画像計測最新情報 (1997.12 〜 2000.10)

目次
 
 第24回高速写真とフォトニクスに関する国際会議開催(記:2000.10.15)
 第24回高速写真とフォトニクスに関する国際会議運営委員発足(記:1999.12.21)
 第4回高速写真とフォトニクスに関する総合シンポジウム開催(記:1999.12.20)
 第4回高速度写真とフォトニクスに関するシンポジウム1999(開催アナウンス)(記:1999.09.10)
 モーションキャプチャシステム(VICON8)イマジカ納入(記:1999.03.09)
 Centrifuge98国際学会開催(記:1998.09.24)
 インターオプト『INTEROPT98』に参加して(記:1998.07.20)
 映画「TITANIC(タイタニック)」(記:1998.07.04、7.12)
 自動車安全実験データ日本自動車工業会主導で統合化へ(記:1998.05.19)
 IPPF1998 国際プロフェッショナル写真機材展(記:1998.03.06)
 高速度ビデオ ICメモリかテープ記録か?(記:1998.01.04)
 第3回高速度写真とフォトニクスに関するシンポジウム1997 開かれる(記:1997.12.19)
 高速度カメラの国際会議(ICHSPP)
 高速度撮影とフォトニクスに関する本
 

 

第24回高速写真とフォトニクスに関する国際会議開催(記:2000.10.15)

 2000年9月24日より29日まで仙台の仙台国際センターにて開催されました。
24th International Congress on High-Speed Photography and Photonics & Exhibition
 (ICHSPP)
穏やかな秋の気配を随所に見せ会期中見事に晴れ上がった仙台の地で全世界の高速度写真とフォトニクスに関係する人々が一同に会して互いの研究成果、情報交換を行いました。
 参加者総人数は約300名。会期中、平泉のツアーや日光ツアー、仙台プラザホテルでのバンケットなど盛りだくさんのプログラムがあり、「杜の都仙台」を印象づけた会議でもありました。主催者の東北大学流体科学研究所 衝撃波工学センター 高山和喜教授(Prof. Kazuyoshi Takayama, Shock Wave Research Center, Institute of Fluid Science, Tohoku University)のご尽力に心より敬意を評したいと思います。
 
 海外からの多くのお客様と接し、日本が安全な国で美しく、礼儀正しく(polite)、食べ物が美味しいという印象を語ってくれました。また同時に、日本の物価も特別に高いとの悲鳴も聞こえました。ドイツから来られたお客様は、ユーロの低い価値評価のためにマルクが下がって、日本での滞在は従来の2倍以上の出費がかさむとこぼしていらっしゃいました。
 
 
  
写真左:会場の仙台国際センター(青葉山)、写真右:ポスターセッション&展示会会場
【高速度ビデオカメラの動向】
 半導体素子の急速な進展によって高速度カメラ分野も高解像力、高機能、高感度、コンパクトなカメラが多数開発されるようになりました。
 

 

 

 

第24回高速写真とフォトニクスに関する国際会議運営委員発足(記:1999.12.21)

 1999年12月に開かれる国内の高速度撮影とフォトニクスに関するシンポジウムと織りなすように国際会議が2年毎に開かれます。

この国際会議の正式名称は、
24th International Congress on High-Speed Photography and Photonics & Exhibition
 (ICHSPP)
と呼ばれています。
24回目の今回は、2000年9月24日〜29日までの5日間で、仙台市で開催されます。
主催者は、東北大学流体科学研究所 衝撃波工学センター 高山和喜教授(Prof. Kazuyoshi Takayama, Shock Wave Research Center, Institute of Fluid Science, Tohoku University)です。既に第一段階の論文呼びかけが行われており、1月まで論文の受け付けを行っています。
論文投稿に関する問い合わせ: ichspp24@rainbow.ifs.tohoku.ac.jp
 
この国際会議は、1952年米国ワシントン市で開かれ以後隔年毎に世界各国で開かれました。
1回会議 1952年 米国 ワシントン市
2回会議 1954年 仏国 パリ市
3回会議 1956年 英国 ロンドン市
4回会議 1958年 独国 ケルン市
5回会議 1960年 米国 ワシントン市
6回会議 1962年 オランダ ヘイグ市
7回会議 1965年 スイス チューリッヒ市
8回会議 1968年 スウェーデン ストックホルム市
9回会議 1970年 米国 デンバー市
10回会議 1972年 仏国 ニース市
11回会議 1974年 英国 ロンドン市
12回会議 1976年 カナダ トロント市
13回会議 1978年 日本 東京
14回会議 1980年 ソビエト モスクワ市
15回会議 1982年 米国 サンディエゴ市
16回会議 1984年 独国 ストラスブルグ市
17回会議 1986年 南アフリカ プレトリア市
18回会議 1988年 中国 西安市
19回会議 1990年 英国 ケンブリッジ市
20回会議 1992年 カナダ バンクーバー市
21回会議 1994年 韓国 太田市
22回会議 1996年 米国 サンタフェ市
23回会議 1998年 ロシア モスクワ市
24回会議 2000年 日本 仙台市

日本では、1978年(昭和53年)に続き2回目の開催となります。13回東京大会では、東京大学植村教授がチェアマンを務められ、東京・芝の東京プリンスホテルで行われました。

 

第4回高速写真とフォトニクスに関する総合シンポジウム開催(記:1999.12.21)

 
  2年に一度開かれる「高速度撮影とフォトニクスに関する総合シンポジウム」が1999年、12月13日(月曜日)〜15日(水曜日)の期間で大阪大学コンベンションセンターで開催されました。

【シンポジウム内容】

 今回の主催者が大阪大学核融合研究センターということもあり、核融合・プラズマ研究における高速度撮影の発表が多く見受けられました。セッションは大きく分けて10のテーマがあり、
1. 招待講演 独・仏サンルイ研究所 M. Hugenschmidt
2. 衝撃波・破壊
3. 高速度撮影法(光学・X線)
4. プラズマ・アブミレーション
5. 招待講演 近畿大学 江藤剛治先生
6. X線
7. 高速度撮影機器(装置等)
8. 衝撃波
9. 招待講演 東海大学 山本芳孝先生
10. 流体
について討論がなされました。

 

第4回高速写真とフォトニクスに関する総合シンポジウム(開催アナウンス)(記:1999.09.10)

 
  2年に一度開かれる「高速度撮影とフォトニクスに関する総合シンポジウム」が今年1999年、12月大阪大学で開催されます。実行委員長は、大阪大学レーザー核融合研究所 山中龍彦所長です。
 

【開催趣意書】

 高速度撮影とフォトニクスに関する研究は、科学と産業の様々な領域に多岐にわたって発展してきました。特に最近は、めざましい電子技術の発達を基礎としたデバイスの開発とともに新たな展開が見られます。このような動向に呼応して、1993年に高橋清教授(九州大学)の主導の下に第1回「高速度撮影とフォトニクスに関する総合シンポジウム1993」が開催され、我が国の高速度撮影に関する分野の研究者および産業界の方々の組織化がなされました。以来このシンポジウムは、1995年には高山和喜教授(東北大学)、1997年には山本芳孝教授(東海大学)を中心として隔年で開催され、多数の発表論文と参加者を得て、高速度撮影とフォトニクスの基礎及び応用に関する多岐にわたる分野において総合的かつ学際的な発表・討論の場を提供してきました。これまでに引き続き、今回は関西地区で本シンポジウムを開催すべく準備作業を進めております。また、高速度撮影とフォトニクスに関する国際会議とも連携し、2000年にはこの国際会議が日本で開催されることになっております。
本シンポジウムが、今後も高速度撮影とフォトニクスに関しての研究者と産業界に開かれた共通の発表の場として、他学協会とも協力して我が国の高速度現象の解明に貢献することを強く願っております。
 
  
大阪大学核融合研究センター: ガラスレーザGekko(激光)
(同核融合研究センターパンフレットより)
シンポジウム開催期間中Gekko見学会が組み込まれる予定です。
 
 
「高速度撮影とフォトニクスに関する総合シンポジウム1999」の概要
 
1.主催 「高速度撮影とフォトニクスに関する総合シンポジウム1999」組織委員会
2.共催 可視化情報学会、画像応用技術専門委員会、照明学会、自動車技術会、
  電子写真学会、日本医学物理学会、日本医学放射線物理学会、日本印刷学会、
  日本エネルギー学会、日本航空宇宙学会、日本写真学会、日本体育学会、
  日本放射線研究連合、日本流体力学学会、レーザー学会、プラズマ・核融合学会
  協賛 応用物理学会、精密工学会、日本機械学会
  (予定含む)
3.会期 1999年12月13日(月)〜15日(水)
4.会場 大阪大学コンベンションセンター
   565-0871 大阪府吹田市山田丘1-1
5.発表形式
  招待講演および一般講演。
  なお、一般講演はポスターセッションで御発表いただくこともありますので、あらかじめ
  ご了承くださいますようお願いいたします。
6.講演募集分野
   1.装置(センサー、各種光学装置、ビデオ、X線装置等)
   2.手法(ホログラフィー、スペックル、モアレ、シャドウグラフィー、コーステックス、光弾性等)
   3.応用(流体、材料、構造物、プラズマ、加工、機械診断、スポーツ科学、生理学等)
   4.その他
7.講演申込締切 :平成11年9月24日(金)
8.講演申込方法 :別紙の申込書に必要事項を記入の上、講演論文申込先へFAX
  あるいは電子メールで締切までにお申し込みください。
9.講演論文申込先
    FAX:06-6877-4799
   大阪大学レーザー核融合研究センター企画室内
   高速度撮影1999事務局(三浦)
   E-mail:shiraga@ile.osaka-u.ac.jp
 
 
 

モーションキャプチャシステム(VICON8)イマジカ納入(記:1999.03.09)

 
  昨年の7月にこの項目の映画「TITANIC」で紹介しましたモーションキャプチャ(VICON)装置が、日本のモーションキャプチャの大御所であるイマジカに納入されました。最近そのモーションキャプチャの詳細記事が「日経CG (1999March Vol.150)」に紹介されています。
 
 
 

Centrifuge98国際学会開催(記:1998.09.24)

  動土質の研究を行うCentrifuge 国際会議が、東京駿河台の中央大学駿河台記念館で9月23日から25日にわたり開催されました。Centrifuge とは、遠心力載荷装置のことで、地盤のモデル土質を巨大な遠心分離機のようなものに載せて、これに100G程度の重力加速度を加え続ける装置です。100倍の重力加速度を土質模型に加えるのは、1/100に縮尺された土質模型の相似則を満足させるためです。面白いことに、時間軸スケールはスケールの二乗に短縮されるそうです。100分の1の模型では10,000時間が短縮されますから、1日運転するとモデルは10,000日を経過した加重を受けることになります。この実験は、20時間〜1週間程を連続して度昼夜を分かたず続けられるそうです。こうして力を加えていって、地盤の重力による変形の具合を見ようというものです。地盤は長時間力を加えていくとある時点で突然崩壊が始まるそうです。これが何時起きるかわからない。だいたいの予想はできるそうですが、崩壊が始まる数時間前からはデータ計測、写真計測のスタンバイなどの準備で研究スタッフにかなりの緊張が走るそうです。長時間運転して最終的な実験でさらなる緊張を強いられるわけですから、この実験も大変です。
 日本では1970年代に東京工業大学土木工学科で基礎研究が始められ、1980年代前半に運輸省港湾技術研究所(寺師昌明室長 当時)が本格的な大型遠心載荷装置を導入しました。土質模型を載せるといっても、この遠心力載荷装置は2,800Kgの土質モデルを載せることができ、回転半径は3.8mで100Gの力を模型に与えることができるものです。この時土質モデルは200km/h以上の周速で回ることになります。
 日本で初めて本格的な遠心載荷装置が作られた当初、こうした実験の前例も実績も無く、それにかなりの設備規模になるため、専門家の間でも研究内容に疑問視する声もあったとか。この疑問を解決するため、港湾技術研究所では、本格的な写真計測手法(土質変形を70mmフィルムを使った画像計測で行う)の導入に踏み切り、時速200Kmで飛翔する模型の700x400mmにわたるエリアを0.1mmの精度で計測できるシステムを完成させました(詳細は「画像計測事始め」を参照)
  この研究は、大きな成果を生み、土質の変形・崩壊に関する研究、ダムや堰堤、橋梁基礎などを埋設した際の土質に及ぼす影響や年月が経つに連れて変形・崩壊していく様子を精度良く測ることができるようになったと言われています。
 
   日本では、現在37基の遠心力載荷装置が導入されて、たくさんの研究成果を上げています。「国別人口比に対する装置稼働数は世界一、日本は遠心力載荷装置のメッカ」と日本での国際会議を開いた大会委員長 木村孟東京工業大学学長は満足そうでした。
 遠心力載荷装置は、非常に大きな構造物でかつ高速で回転するので、製作にはかなりのノウハウが必要です。日本でこのようなシステムを受注できる会社は、
 ・住友金属工業
 ・日立製作所
 ・三菱重工業(右の模型)
 ・丸東製作所
 ・マルイ
海外では、
 ・ACDYN SA
 ・Team Corporation
 ・UWA(University of Western Australia)基礎地盤コンサルタンツ(株)
などがあります。
 モデル土質が高速で回転し、かつ高い重力加速度を与えながら100Hz程度の振動(地震の模擬)を与えてその崩壊過程を見ようとする研究では、耐G性のすぐれた高速度ビデオカメラ、速いシャッタ速度が必要とされます。
 「遠心載荷装置による計測の研究評価は終わった。数値シミュレーションとの整合も収束しつつある。今後はこの装置を使って未来を予測する地盤研究が主流になるだろう」と言われています。自然災害が喧しい昨今、この分野の研究成果が大いに役立つことを願いたいと思います。
 
パネルディスカッションで熱心に研究成果を議論する各国研究者たち。パネルディスカッションは今までにない盛り上がり、と関係者の弁。

 


 

インターオプト『INTEROPT98』に参加して(記:1998.07.20)

 レーザとオプティクスに関する日本で最大のトレードショー『インターオプト98』(1998.7.14-16)に参加しました。会場は幕張メッセ。
総括としては、
1. レーザも小型、固体化の方向に向かっている。
2. 新旧レーザの入れ替えが進んでいる。
3. 取扱業者も再編が進んでいる。
4. オプティカル部品もマイクロ化が進み新しいコンポーネントが出現
5. 出展業者も不況の折、出展を控えている様子。2割減の出展者
という感想を持ちました。
   
千葉幕張メッセインターオプト会場  米国スペクトラフィジックス社の半導体励起レーザ『Evolution』
 
【1. レーザも小型、固体化の方向に向かっている】
【3. 取扱業者も再編が進んでいる】
 レーザは、YAGレーザと半導体レーザの出展に焦点が絞られています。アルゴンレーザの出展会社は皆無で日本電気の出展がなかったのが寂しい気がしました。米国大手のレーザメーカの営業マンによると、自社の半導体励起の固体レーザが急速にに売れており、これらはすべてアルゴンレーザの代替であるといっていました。世界的に大きなレーザ会社である、米国のスペクトラフィジックス社、同じく米国のコヒレント社、それにドイツのラムダ・フィジックス社の3社はすべて出展を半導体レーザに絞って出展を行っていました。また、レーザ商社、丸文は、半導体レーザ(米国SDL社)を前面に押し出して出展を行っていました。
【2. 新旧レーザの入れ替えが進んでいる】
【5. 出展業者も不況の折、出展を控えている様子。2割減の出展者】
半導体レーザの発展は目覚ましいものがあります。しかし淘汰されるメーカも出てきています。4年前に出展していた半導体レーザで今回は姿を見せていない会社もありました。外国のレーザメーカーが日本の商社に頼らず、自分たちで日本現地法人を作り頑張っている印象を受けました。
【4. オプティカル部品もマイクロ化が進み新しいコンポーネントが出現】
半導体レーザ、固体レーザのコンパクト化が進む中、オプチカルコンポーネントのマイクロ化が進んでいます。ニューポート、ニューフォーカスがこの分野では元気。ニューフォーカス社はニューポート社を飛び出した人間が作った会社だそうです。品数はニューポートの方が豊富ですが、ニューフォーカスの部品は粋なものが多く見受けられました。
 

映画「TITANIC(タイタニック)」(記:1998.07.12)

 今さらながらという感じを与える映画「タイタニック」の感想です。昨年12月に封切られるや一世を風靡してアカデミー14部門を受賞、観客動員数史上最高、3時間を越えるスケールのデカイ映画です。この期に及んでなぜこの映画を紹介するかというと、この映画にはCG(コンピュータグラフィックス)手法がふんだんに使われ、この基礎データ取りに我々が扱っている3次元データ解析装置「VICON」(英国Oxford Metrics社)が使用されているためです。実は私がこの映画を見たのが、封切り後7ヶ月も過ぎた7月初旬だったのです。遅蒔きながらの鑑賞に行っての感想というわけです。
【観客動員数史上1位】
 観客動員がすごいのは、この映画がラブ・ストーリーをメインに押し出して、これらを取り巻く調度品が超一級品で見応えがあり、またこれが歴史的な事実であり、かつこれが最初で最後であろう悲惨な海難事故でありこの史実を忠実に再現し、見応えある作品に仕立て上げたことにあると思われます。この大スペクタクル映画は、映画「十戒」を凌ぐものだと言われています。チャールトン・ヘストン主演のモーゼの十戒も史上最大のエキストラを動員し、かつオプティカル合成を駆使した未曾有の大作でしたが、「タイタニック」は、この大作を確かに凌いだ感があります。映画「十戒」は当時はそれはそれで斬新な映画ではあったのですが、今見ると、オプチカル合成のアラが見えたり、模型がチャッチかったりします。しかし映画「タイタニック」はそのアラが全く見えない。アラが見えないから仮想現実(バーチャルリアリティ)が真に迫っていて、あたかも自分が現場に遭遇しているような錯覚に陥ってしまいます。
1997.12月19日封切り、主演 Leoarndo DiCaprio, Kate Winslet
脚本/監督:James Cameron
 
【また一皮むけたCG(コンピュータグラフィックス】
 コンピュータグラフィックスは映画手法の重要な技法の一つとなりました。コンピュータグラフィックスで世間をあっと言わしめたのは、映画「ジュラシックパーク」ではなかったかと思います。この映画では、現実にはあり得ない恐竜を生き生きと描いていました。CGに使われたコンピュータがジム・クラークの作った「シリコングラフィックスコンピュータ」です。彼はジオメトリックエンジンと呼ばれる画像専用のプロセッサを開発しシリコングラフィックスコンピュータに搭載させました。CGが時代の寵児になり、コンピュータグラフィックス会社がハリウッドの回りにたくさんできました。その中で、1993年にロスアンゼルス市ヴェニス・ビーチに設立されたデジタル・ドメイン社が今回のCGを一手に引き受けました。デジタル・ドメイン社の3名の創立者は、「ターミネータ2」で名を馳せ今回の「タイタニック」の監督でもあるジェームズ・キャメロン、それにスタン・ウィンストン(4つのアカデミー賞受賞、クリーチャー=特殊ぬいぐるみや特殊メイクデザイナー、「ジェラシック・パーク」の恐竜造形などを手がけた)、スコット・ロス(ILM = Industrial Light & Magic、ルーカスフィルムの特殊部門の経営者)といった人たちで、かなり有名な人たちが作った会社です。この会社は、『アポロ13号』でもその話題をさらいました。会社には、シリコングラフィックス社のグラフィックコンピュータ「ONYX(オニキス)」がフル活動しています。「タイタニック」ではこのONYXに、WindowsNTマシンが加えられCG製作に活躍したとのことです。映画製作日程を急ぐ同社ではスタッフを増やさなければならず、これらスタッフにすべて高価なシリコングラフィックスコンピュータを与えることは経済的に難しく、安価なWindowsNTマシンを与えたというのが真相のようです。「タイタニック」のVFXの10%はWindowsNT DECのAlphaマシンを使用し、制作ソフトはLightwave3Dを使ったそうです。コストパフォーマンスは非常によく、今後はWindowsNTマシンが業界に増えるだろうと言われています。
 「アポロ13号」発射の映像はあたかもそれが本当に撮影されたごとくに作られていました。この製作には、模型とモーションコントロールカメラ「SPEED」とCGの合成だそうです。「SPEED」は、ミッチェルカメラをベースにした35@フィルムカメラで、20年前の「スターウォーズ」(ジョージ・ルーカス監督)から使われ出したそうです。製作は、基本的にはスケールモデル(模型)を製作し、これの撮影を35@カメラ(SPEEDカメラ)で行い、得られた画像をフィルムスキャナー(6144x4096画素、25Mピクセル、94Mバイト)で一枚一枚読み込みシリコングラフィクス社ONYXに取り込んでディジタル合成を行います。模型では得られない部分は、CGで作り出します。作り出す画像のソフトウェアは、820万円する「PRISMS」で、景色を作るソフトは「アマゾンペイント」と呼ばれるソフトウエアです。これらの手法が「タイタニック」にも活かされているわけです。こうした仕事を手がけると、これらがCG会社の資産になるため次の作品を作るときにさらに迅速に早くできるようになるそうです。「タイタニック」での成果は、人間の群を動かすCG技術を完成させたことにあります。
【CGの系譜】
 コンピュータグラフィックスの系譜は、2Dから3D、群から群集へ、という流れがあります。最初にCGを大々的に導入して度肝を抜いた「ジュラシック・パーク」で3次元CGを用いた動物を登場させました。「フォレスト・ガンプ/一期一会」、「エース・ベンチュラ」ではCGで群集を作り上げましたが、まだこのときはたくさんの人だけであってこの人々には動きはありませんでした。またこれらの映画では、2次元コンポジット・エフェクトを使用しました。「バットマン・リターンズ」のコウモリ、「ライオン・キング」のヌー、「ジュラシック・パーク」の恐竜、「ジュマンジ」の動物、「スターシップ・トゥルパーズ」の異星の虫などの作品では、創造物に動きをつけました。
そして「タイタニック」です。「タイタニック」は3次元CG人間と群集を見事に作り上げて本物かどうか全くわからない作品に仕上げたのです。
 【CGに使う人間の動きのデータ取り】
 CGに使う人体の動きを取る手法を最初に手がけたのは、米国アクレイム・エンタテイメント社(ニューヨーク州 グレインコープ)です。この会社は、1977年にロングアイランド・オイスター ベイで8名で設立しました。1995年現在の従業員は400名、年商500億円。新社屋を1995年に完成させています。
 飛躍のきっかけは任天堂の家庭用ビデオゲームを手がけるようになってからだそうです。同社は、NES(Nintendo Entertainment Ststem)のファミコンゲームの成功の可能性をいち早くキャッチしたのです。当時はアタリ・ショックが吹き荒れ、アメリカのゲーム市場は壊滅的なダメージを受けていました。この後遺症で当時のマーケットは、ファミコンに懐疑的であったそうですが信念を曲げずにマーケットを育て、業界で成功を収めました。
 モーションキャプチャ技術の基本は、スポーツ解析研究から来ています。アクレイム・エンタテイメント社は、1992年に、米国アトランタのBiomechanics Inc.(社長トーマス・マクロフリン、1995年当時44歳)から3次元ディジタイジングソフトウェアの供給を受け、ゲームのソフトウェア開発に利用しました。トーマス・マクロフリンは、シカゴ生まれ。イリノイ大学学生時代は重量挙げの選手であったとともに砲丸投げの理論的研究で3次元解析を導入した人だそうです。
 1974年にマクロフリンがイリノイ大学で研究を始めた時、最初に取り組んだのは人体の動きを連続写真で記録することだったそうです。写真一枚一枚に定規をあてて関節と関節の間の距離を測ったり、分度器を使って角度を測ったそうです。また、人体骨格のモデルを作るために、たくさんの死体を研究し、1980年には博士論文「テニス・ストロークが手首に及ぼす衝撃の測定」を発表し、卒業後、アラバマ州オーバーン大学に教職を得ましたた。1984年、ユタ州エヴァンス・アンド・サザーランド社が画像処理専用のコンピュータ「PS330」を開発して、フライト・シミュレータ用3Dグラフィックスコンピュータに出会ってからのマクロフリンは、これで会社を興す決心をしたそうです。
 エヴァンス・アンド・サザーランド社は、ユタ大学の電気工学科の教授だったデイビッド・エヴァンスとアイヴァン・サザーランドが1968年に設立した会社。特にサザーランドは「コンピュータグラフィックスの父」として有名。1960年代から70年代中期にかけてサザーランドのいたユタ大学はコンピュータグラフィックス技術の前衛基地となり、後に重要な活躍する人材を続々と輩出しました。マクロフリンの出たイリノイ大学もネットスケープ社の主要なスタッフを排出したコンピュータのメッカです。
1985年シリコン・グラフィックス社が3Dワークステーションを発表したのを機に3D応用の技術が加速されました。
 マクロフリンの研究の中心は、人体の動きを完全に捕らえるには23個の骨の「回転角」だけを測定すればよい、という方法論でした。体の各部の位置に関するデータは必要ない、関節の曲がり具合だけを測れば良い、というのがマクロフリンの考えだったのです。アクレイム社は1991年バイオメカニクス社と技術提携をします。
【アクレイムのモーションキャプチャー装置】
キャプチャリング装置は、米国モーションアナリシス社の3次元映像測定装置を使っています。モーションキャプチュアスタジオは、8m(H) x 15m x 20m で黒ずくめのスタジオです。部屋が明るいと迷光が入って計測に支障を来すためです。天井から4台のCCDカメラと2ヶずつのアリライト(ハロゲンランプ500Wx2台)が取り付けられます。計測される人間は、ボディー・スーツと呼ばれる真っ黒な反射をしない布地でできた体にフィットするスーツを着ます。これに64個の反射マーカーを取り付けます。VICONも同じ構成を取っていますが、ダイナキャルによる三次元座標補正、ターゲット識別など、スピーディな計測ができ、これが今回のデジタルドメイン社による「タイタニック」の計測に使用されたのだと考えます。「タイタニック」では、人間の動きのサンプル(歩く、座る、振り向く、タバコを吸う、走るなど)をたくさん取りこれに服を着せて甲板に屯させました。また、沈没するシーンも数々のショットを取って人々が海に投げ出されたり落下していく様子を作りました。
【映像の功罪】
 映像がリアルになり、実際に起こり得ないこともデジタル技術でそれらしくできてしまうことは、シミュレーションの世界ではとても大事だとは思いますが、実験データを取る場合とか、実験結果を外部に発表する場合、映像がもはや物的証拠とはなり得なくなってきている事実は大変な出来事です。報道画像も同じような局面を迎えています。
 共同通信で長年写真部でカメラマンをされ、現在総合画像システム実施委員会事務局長をされている田中利明さんが、あるインタビューでこう語っておられました。
 「デジタルカメラは、本当に現場のカメラマンが待ち望んでいたものでしたね。カラー写真の時代になってくると現場で現像できるように現像剤を持ち歩かなくてはならず、何かと面倒だったので、デジタルカメラにしてほしいという現場の要望は多かったんです。今やっとデジタルカメラが導入されましたが、画質の面で大伸ばしにはできない問題があるため、まだ速報用のみにと使い分けて利用されています。もうAP通信などはほとんどフィルムを使っていないのですが、日本の新聞は画質が非常に重視されていて、読者の要求も厳しくて完全には使い切れていないというのが現状です。現場も絶対に簡単でスピーディな方がいいわけですから、いずれ完全にデジタルを使えるようになったらいいと思いますね。
 でもデジタルカメラなどが報道写真で一般化されてくると、報道写真の信憑性に疑問をもたれてしまう危険性があります。以前他の通信社でサッカーの写真のボールの位置を動かして切り貼りして、問題になったことがありました。ただそのときは「切って貼った」から分かっただけで今は本当に分からないようにできています。これは本人のモラルに頼るしかないという状況ですね。ちなみに共同通信では電線も消してはいけないということになっています。認められるのは画質を整え色を補正するところまでです。しかしもう「写真が証拠だ」とは言えない世の中になったということです。」(Apple - Link Club Newletter July Vol.47 1998)

 

自動車安全実験データ 画像データと電気データの統合ファイルシステム完成
日本自動車工業会主導で統合化へ(記:1998.05.19)
 日本の自動車産業28機関を集めて、5月19日、新横浜国際ホテル南館にて『自動車安全実験用高速度撮影システム及び画像データファイリングシステム機器展示説明会』が開催されました。参加者は総勢70名。
 自動車安全実験はハイウェイも幕開けとともに本格化し、モータリゼーションの本家米国では1948年、日本では1960年代に始まりました。安全実験における高速度カメラの役割は大きく、実験遂行になくてはならぬ計測装置として重要な位置を占めてきました。また、最近のデジタル画像の発展と共に、実験のデータをコンピュータに統合的に取り込み併せて処理しようとする機運が高まり、これらのデータを規格化し関連機関相互で有効利用する要求が高まっています。こうした機運の中、英国の自動車安全実験研究機関MIRA(マイラ=The Motor Industry Research Association)は、高速度カメラの画像データ、電気計測データを実験毎にファイリングし、必要に応じてデータを再生、転送させ、シミュレーション画像をも同時表示させるシステムを開発しました。
 日本自動車工業会側突ワーキンググループはこうした趨勢と日本の現状を見て、近い将来のあるべきデータファイリングシステムについての提案を図ることになり今回の説明会開催となりました。
今回の機器説明会には、ほとんどの自動車メーカ、部品メーカ、財団を含めた28機関、総勢70名が参加しました。自動車メーカ、部品メーカ、JARI、運輸省など今回の説明会に参加された機関の代表者達は、データの統一化が計れることにより実験の省力化、迅速化が可能となると新しい試みに関心を示すとともに大きな期待を寄せていました。
 
 

IPPF1998 国際プロフェッショナル写真機材展(記:1998.03.06)

 池袋サンシャインで開かれているプロ用写真機材展に参加しました。この展示会は今年で27回を迎えるそうです。
私は今回を含め4年前より毎年参加しています。毎回熱心なプロ写真家やディーラなどが情報交換を行いかなりの活況を呈しています。
プロ向けの展示会とあって、ニコン、キャノン、ミノルタ、ペンタックスはもちろんライカ、Hasselblad、Linhofなどのプロ向けカメラや大型ストロボ、三脚、撮影小物が一同に集まる大きな展示会です。
近年の趨勢は、
・デジタルカメラの台頭とデジタル処理
・銀塩映像の実直し
・Opticsの技術革新
があげられます。
 
【デジタル】
映像のデジタル処理は、好むと好まざるとに関わらず対応を迫られているもので、使用する者も、機材を提供する者も何が一番ベストなのかを問われています。ある出展会社は大々的なデジタル画像への移行を行っていますし、ある会社は銀塩とデジタル画像の良さを相補的に提案しています。また、ある会社は銀塩画像に命を吹きかけながら生き残りを模索しています。ドイツあたりのカメラメーカからは、デジタル画像の提案がありませんでした。
 去年までの展示会は、デジタル機器の出展がかなり鼻息が荒く、銀塩を早晩駆逐するのではないかというような勢いがありましたが今回はこの勢いが薄れ、共存の形を取りつつあるかな、という気がしました。
アマチュア写真家ならともかく、画質と構図に明け暮れているプロの写真家相手ですから供給するメーカも「高飛車にデジタル!」とはいかないようです。
 下のスナップ写真は、Sonyの30万画素DSC-F1デジタルカメラで撮影したもので、それはそれで即時性の良さはあるのですが、踏ん張りどころがなく深みもキレもイマイチ・・・という感じです。100万画素のデジタルカメラは、そこそこ画質が良いのですが再生や連写性に時間がかかりすぎる難点があります。屋外撮影にデジタルカメラを持っていく場合、やはり不安要素はつきまといます。デジタルカメラはスタジオで最も威力を発揮します。また環境の整った(コンピュータや通信網)場所でも報道関連で強みを発揮します。
 
【ニコンとキャノン】
 キャノンのブースでは、自社のキャノンEOS D2000デジタルカメラが長野オリンピックに使われ、朝日新聞の2月11日付夕刊にはそのデジタルカメラで撮影したラージヒルジャンプ船木選手の大飛行のカラー写真(2面にわたる掲載)が掲載されたことを宣伝していました。
 キャノンとニコンはいろいろな意味でライバルで、EOS-1とNikonF5の35mm一眼レフカメラは超ハイテクカメラの双璧です。この両者のカメラは切磋琢磨しあいながら今日まで激しい競争をしています。4、5年前ですとエレクトロニクスと明るいキレの良いレンズの開発でキャノンが一時有利な感じを与えましたが、ニコンはFシリーズの伝統を前面に押し出し頑強、信頼性、システムの豊富さを売り物にして起死回生を狙っています。競争している仕様内容は、
・シャッタ時間(双方1/8000秒)
・ストロボ同期シャッタ(双方1/250秒)
・連写撮影速度(F5:8コマ/秒、EOS:6コマ/秒)(但し、EOSのRSタイプには10コマ/秒が可能。これは反射ミラーにペリクルミラーと呼ぶ薄膜半透明固定ミラーを採用して、ミラーの跳ね上げをなくし高速対応したもの。35%がファインダーに行き、残り65%がフィルムに結像する。光量不足の問題がある。シャッタは1/1000秒以上の設定)
・測距方式(双方5つの測距ポイントでフォーカス決定)
・測光(F5:8分割測光、マルチフォトミックファインダーDP-30では1005画素のCCDアレーを内蔵しRGB測光、EOS:16分割測光)

です。価格は\250,000〜\350,000と豪華です。

 レンズも両者激しく競争しています。ニコンは光学ガラスから製造を行っている老舗で非常に豊富なレンズ群を誇っています。キャノンはいち早くエレクトロニクス化、コンピュータ化に着手し、超音波モータのフォーカスリングの開発や、望遠レンズ用光学ガラス(人工蛍石)、非球面レンズなどの採用でシャープなレンズを送り出してきました。スポーツ報道でのキャノンの躍進は眼を見張るものがあります。キャノンとニコンのレンズを比較すると、キャノンのレンズは発色が華やかです。目が覚めるほどきれいです。私のように年をとってくると、もう少し柔らかな自然の発色がほしいな、と思うくらいキレが良い。その反面ニコンは自然の発色を重視しているような感じを受けます。
 キャノンからは、f1200mm、F5.6という明るい望遠レンズが紹介されていました。価格は\9,800,000ということです。また、望遠レンズを使う際、手ブレを補正するためレンズにジャイロを内蔵させたISレンズが3機種(28-135mmズーム、75-300mmズーム、300mmF4)が発表されていました。また、標準レンズ(f50mm)で明るさF1.0とうレンズも展示していました。
 ニッコールは、レンズの種類の多さでは世界一です。紫外領域に感度を持ったUVレンズや、医学用のリングストロボを組み込んだMedical Nikkor、3種類の拡大撮影レンズ(Micro Nikkor f55mm、f105mm、f200mm)、望遠ズームレンズf1200mm-1700mmなどなど。超音波モータレンズも望遠レンズ3機種に搭載し始めました。ニコンは歴史が古いだけに古いお客様を大切にし、その人たちにもレンズを供給する関係上たくさんのレンズを供給しなければならないためか少々混乱を来します。Ai、AF、AF-S、AF-Iなどいろいろなレンズが発売されています。オートフォーカスもカメラにモータがついていたり、レンズにモータがついていたり、超音波モータにしたりと大変です。
 
【Kodak とFuji】
  老舗Kodakと日本のフジがライバル争いを展開してます。日本の市場のアマチュアフィルム業界ではフジフィルムが圧倒的はシェアを誇っていますが、プロ写真ではまだまだKodak神話が続いています。そのKodakは7年ほど前よりデジタルイメージングに力を入れ始めPhoto-CD、デジタルカメラを始めとするデジタル処理システムの提案に熱心です。フジもこここ数年徐々にデジタルシステムの機器拡充を進めています。スタジオ用プロユースのデジタル処理となると、現時点でKodakの方がまだリードしているな、と感じさせます。
 
【SONYの提案】
 CCDのSONYがプロ写真家に新しい提案をしました。スタジオ用デジタルカメラとしてデジタルフォトカメラDKC-ST5を\2,600,000で発売しました。このカメラは、2/3インチプログレッシブスキャンCCD(1400x1400画素)を3つ用いたRGBカメラで、それぞれのCCDを斜めずらし方式によって実効解像力2560x2560x3chx8bit(15MB)まで高めています。撮像素子(CCD)が2/3インチと大きいためPentaxに専用バヨネットマウントのズームレンズ(f12.5-63mm、F2、\400,000)を作らせています。実効感度はISO20、40、80、160で、電子シャッタにより4秒〜1/10,000秒、ストロボ同期1/10,000秒まで可能です。専用のプロセッサーには9枚までの画像を取り込むことができ、ビデオ信号(NTSC、S端子)、RGBビデオ出力をはじめSCSIインターフェースによりWindows、 Macintosh にデータ転送できるそうです。ピント合わせは通常のビデオモニタでリアルタイムにモニタリングできるため使い勝手も良さそうです。レタッチは、Photoshopなどに任せているようです。金額は\2,600,000と高価ですが使い勝手はなかなか良さそうです。Kodakなどが提案しているデジタルカメラは単板でフィルタによるカラー情報構築のため、カラーの質感だけに限ればこちらの方が優れていると思います。これを使ったスタジオカメラマン近藤誠さんのレポートによると、画質は35mmライカサイズを凌いで6x4.5cm判に匹敵するそうです。
 
IPPF会場 池袋サンシャイン文化会館の2ホールで開催(1998.3.5-3.7)

    

ドイツEMO社の自由雲台(左) 伊manfrotto社のギア雲台#400(中) 
米国Photo-Therm社の小型カラーリバーサル・ネガ現像機(右)
 
 上の写真左は、ドイツWetzlar(ライカの故郷)にある Emo社の自由雲台(デシムコ、ケンコー扱い\29,800)です。ボールジョイントを中心にして4軸の自由なセッティングが可能。ボール部と本体の間接部は特殊ファイバー採用でロック感に優れています。35mmスティルカメラの雲台としては使いやすい製品だと思いました。
 中央部のギア雲台はイタリアmanfrotto社(本庄扱い)のギアヘッドで、我々の高速度カメラの微調整架台としてよく使っています。このカメラにMEMRECAM Ci、Kodak HS4540などの高速度カメラを載せて拡大撮影に使用しています。
 右の装置は米国ニュージャージー州Photo-Therm社が製造している卓上フィルム現像機「サイドキック」(近代インターナショナル扱い\1,480,000)です。35mm、120/220、4x5インチのフィルムのリバーサル、ネガ、白黒フィルムの現像ができる優れものです。
  
 
高速度ビデオ ICメモリかテープ記録か?(記:1998.01.04)(2001.05.20追記)
 世はデジタル時代、デジタルでなければ価値がないような見識がまかり通っています。事実はそうとも限りません。アコースティックサウンドが根強い人気を持っているし、フィルムカメラで撮影した画像はシャープで奥が深い。ただマジョリティ(絶対多数)を得ていくのはデジタルであるかも知れません。高速度ビデオの世界でも、テープ式の装置を開発・製作しているのはもはや全世界で日本の会社1社となってしまいました。ICメモリによるデジタル記録は、ある程度の情報量を確保できればすばらしい保存ができますが、情報量(時間と単位時間当たりの情報)に限界があります。
 
 
第三回高速度写真とフォトニクスに関するシンポジウム1997 開かれる(記:1997.12.19)
高速度カメラ及び光を扱う(フォトニクス:Photonics)日本の研究者が一同に介して2年に一度のシンポジウムが東京有明の国際展示場(ビックサイト)で開かれました。会期は12月16日〜18日の3日間。高速度撮影を用いたスポーツ工学、エンジン噴霧・燃焼、X線装置、高速度カメラ、衝撃波、フォトンカウンティング、画像処理などが熱心に討議されました。第一回目は、1993年12月九州大学応用力学研究所 高橋清教授が委員長でした。2回目は1995年12月東北大学 流体科学研究所 高山和喜教授が委員長でした。そして今回の3回目は、東海大学総合科学技術研究所 山本芳孝教授が委員長でした。参加者は、展示関係者を含め約150名と過去3回の中で最も盛況なシンポジウムとなりました。
シンポジウムの論文集(\4,000)は、山本芳孝先生(エ0463-58-1211 内線 5300)の所に在庫があり、分けていただけるそうです。
     
 会場:東京ビックサイト                ポスターセッション会場
 
高速度カメラの国際会議(ICHSPP)
2年に一度、世界中のフォトニクスにかんする研究者が一同に会して情報を交換する場がICHSPP(International Congress on High Speed Photography and Photonics)の国際会議です。世界中から500名ほどの参加があり、日本からも50名ほど参加します。各国に代表が任命されていて、日本は東北大学流体科学研究所 高山和喜教授が任命されています。西暦2000年には、仙台でこの会議が開かれることが決まっています。
ちなみに、1998年はモスクワで、1996年は米国Santa Fe、1994年韓国太田市、1992年カナダVictoria、1990年英国ケンブリッジでした。1978年には日本で最初の会議があり、当時日本代表だった東京大学工学部植村恒義教授を委員長として芝の東京プリンスホテルで盛大に催されました。
 
高速度撮影とフォトニクスに関する本
●「High Speed Photography and Photonics」 editied by Sidney Ray
1997初版。英国の高速度写真とフォトニクス委員が中心になって編集した本。高速度カメラの歴史、種類、応用、ストロボ、レーザなどの周辺装置などについて細かな説明がなされています。
        

 

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