更新日時:2009年 11月 4日 水曜日 - 0:50 AM

 

●私、安藤幸司のこと (更新:2009.11.04)  1998.1書き始め
 
 
■ 住んでるところ
■ 生い立ち
■ 私の愛したコンピュータ
■ マッキントッシュと私
■ マックの良さ
■ マック遍歴 
■ 我が家にWindows 
■ 私の好きなもの
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
■ 住んでいるところ
 
私が現在住んでいるところは、東京北区王子(八王子 = はちおうじ ではありません、埼玉よりにあるオウジです)です。
飛鳥山公園の近くです。
王子に住んで24年(1984年3月引越)になります。
交通機関は、JR京浜東北線(大宮←→横浜、大船)、都電荒川線(三ノ輪←→早稲田)、営団地下鉄南北線(赤羽岩淵町←→目黒)があって交通の便の良いところです。
 

 

写真は飛鳥山公園。桜が満開4月初旬のもの。(1998年、35万画素のSonyサイバーショットで撮影。)
当時は、首都高速王子線の工事で飛鳥山も工事規制があった。 

 
 
上の2枚の写真は、2007年3月末の飛鳥山公園と都電荒川線の電車。(2007.3.29撮影。)
 
 
 王子は、その昔、江戸時代に徳川吉宗が飛鳥山の地に桜を植え、江戸庶民が桜見物をする一日コースとしてにぎわった所だそうです。
江戸落語でも「王子のきつね」というのがあります。江戸城下から見れば王子は辺境の地で、中山道、日光街道の通り道という感じです。
 
 明治時代になって、財閥の創始者の一人である渋沢栄一氏がこの地に製紙工場の地盤を築きました。王子製紙、十条製紙などは界隈の地名から名付けられたものです。
今は、公害問題もあってこれらの工場は富士や北海道に移転しています。
大蔵省印刷局は、王子駅前と滝野川に工場があり、切手、印紙、紙幣を作っています。
 
周りには、「紙の博物館」、「旧古河庭園」、「渋沢栄一博物館」などがあります。
 
紙の街」それが王子です。
 
  
 
 
 
 
 

 
 
 
■ 生い立ち 
 
生まれ
1956年(昭和31年)2月、愛知県に生まれました。
紅葉で有名な香嵐渓(こうらんけい、足助町)から山あいに10Kmほど入った旭町という小さな村で、3人兄弟の末っ子としてわがままいっぱい育ちました。(2005年4月、町村合併により、旭町は足助町などと一緒に豊田市に合併されました。)
 
幼稚園時代
陽気で明るく、反面とても神経質で、躁と鬱の性格がこのころから顕在化してきた記憶があります。
登校拒否も多くありました。坂本九の「上を向いて歩こう」という歌がヒットして口ずさんだ記憶があります。
初めておとなの世界に興味を示した出来事として妙に心に残っています。
 
 
1961年 七五三 兄と姉と私(左)    1970年中学3年生  
 
小学生時代
 外面(そとづら)陽気な性格が完成してきました。学校は楽しくて、学校を休んだことは1日も無く、スポーツ、特に野球が大好きでした。理科と社会、音楽も好きでした。5年生の時、兄貴から富士写真のアマチュアカメラをもらいました。6年の時にオヤジにオリンパスペン(当時¥12,000円)を買ってもらいました。とてもうれしかった記憶があります。機械いじりが好きで「将来は飛行機か船を造りたいなぁ」と思っていました。小学校3年には東京オリンピックが開かれ、10月10日の快晴の日、家族全員でテレビ中継を見ていた記憶があります。NHKの「四つの目」という子供向け科学番組が好きでした。つい最近(1997年6月)、愛宕山のNHK博物館で30年ぶりに「四つの目」を見ました。
 
中学生時代
 「社会的」な世界に目覚めだした記憶があります。3年の時、三島由紀夫事件(市ヶ谷の自衛隊での自決事件)があり、大学紛争が高校にまで及んで来た時代でした。NHKのドキュメント番組が凄みと影響力を出し始めたのもこの頃だと記憶しています。公害が社会問題となり連日マスコミをにぎわせていました。技術的な裏付けをもたない当時の私は、世界がこのまま悪い方向へ行って破滅してしまうのではないかという恐怖を抱いていました。
 中学時代に出会った友達や先生は思い出深いものがあります。数学の先生と理科の先生はとてもユニークで、私の歩む方向がここでほぼ決まった感じがありました。1年の時、マツダがロータリエンジンを開発し、マツダに資料を請求したら送ってくれました。あのときの感動は忘れ難く(普通は中学生には資料を送ってくれないでしょう)、マツダの懐の深さを感じました。
 
高校生時代
 親元を離れ、岡崎市で下宿しながら高校へ通いました。剣道をはじめました。1年で初段をとりました。大人へ脱皮していく中で多くの友達に出会いました。彼らとは今でも年に一度落ち合って楽しい酒を飲んでいます。今思うと、当時の世相は暗く、1年生の2月の寒い時期に赤軍派が浅間山荘に立てこもる事件があり、学生運動の終焉が告げられたり、3年生の暮れには「オイルショック」が起きてすべての物価が高騰しました。あの時は親元を離れ、下宿生活でひもじい思いをしていた時で、年若だった私には世相の暗さが強烈な印象として脳裏に焼き付いています。インスタントラーメンが3倍の値段に跳ね上がった哀しい記憶があります。
 
  
1973年高校三年生   1979年2月鎌倉にて(右は高校時代の友人)
 
大学生時代
名古屋市昭和区鶴舞にある工業大学の機械工学科に在籍しました。千種区にある大学の航空学科は入学が認められず飛行機の夢は遠のきました。1年生の時、車の免許を取りオヤジにクルマ(日産サニークーペ1200GL)を買ってもらって卒業まで乗りつぶしました。3年の時に大型免許を取ってダンプやバスを運転しました。また、1年の時にオヤジから35mm一眼レフ(Pentax KM)をもらい、以来25年間、尾瀬にアメリカに、中国に、イギリスにずっとわたしに随伴しました。(1998年頃より、フィルムカメラはほとんど使わなくなりました。仕事も16mm映画フィルムを使う仕事だったのに使わなくなりました。)
4年になって、燃焼学の研究室 高橋 和先生(2008.06故人、享年90才)のゼミに入りました。太田 安彦教授(2006年3月停年退職)は、当時高橋研究室の講師で我々に機械以外の電子工学も教えてくれました。この時期に電子工学をかじったのが後々大変有効なものとなりました。
 就職は、高橋研で親切に指導をして下さった技官の西清先生(1998.6故人、享年80才)の紹介で東京に出てくることになりました。就職する会社の技術部長に、専門学校から新制大学になった1期生の竹下栄一氏(1998.9故人、享年68才)がおられて、西先生と竹下氏は在学時代から懇意だったため先生の紹介で就職先が決まりました。
 
社会人
 1978年4月、晴れて社会人になりました。名古屋から東京に出てきてとまどうことも多く、何よりも地方では味わえない大きな社会の動きを体感しました。好きなカメラの仕事をしながら電子工学や光学、コンピュータサイエンス、そして英語を勉強しました。テレビ技術のことはさっぱりわからず、会社に入ってはじめてテレビが30コマ/秒で画が変化していることや、電子ビームで一枚の画像を一筆書きしていることを知りました。
 この詳細は、本編「私の趣味の仕事」
   光と光の記録
   高速度カメラ入門Q&A
   高速度カメラ撮影の実際
   画像計測事始め
   高速度カメラ歴史背景とトピック
に譲ります。
 2001年12月、小さいながらも会社を作って、画像計測の世界を見続けています。
家庭
 1982年5月に家庭を設け、2男に恵まれました。結婚当初は、東急東横線の新丸子で2年間生活し、
その後、1984年3月に東京都北区「王子」に越して来ました。
以来、26年目に入ります。
二人の子供と連れ合い(妻)を通して家庭と父親の立場から社会を見ることができました。
 オイルショック後の日本の経済復興、東西冷戦とその終結、コンピュータをはじめとする
電子機器の急成長を目の当たりにし、カメラとクルマの面白味を教えてくれたオヤジとの永久(とわ)の
別れなどがあって、家庭生活28年を迎えようとしています。
 
 

 
 
■ 私の愛したコンピュータ
 
 私は、ビル・ゲイツと同じ年です。パソコンの興隆にあわせた同時代を生きて来ました。ビル・ゲイツの自伝や彼に関する書物を読むと、1970年代のアメリカと日本、そして私の歩んできた地域における、同じ時の流れを2元化して見ることができ、感慨深いものがあります。
 パーソナルコンピュータがこれほどまでに発展を遂げるとは思っても見ませんでした。我々の世代の20才代の頃を思い起こすと、コンピュータ文化などあるはずもなく、コンピュータの発展に流されるように生きてきました。同世代の多くは40才代で接し始め、その前の30才代になんとか「ワープロ」に慣れようとしていました。だから、我々の世代はパソコンに翻弄された世代なのです。しかし、パソコンを作り上げたのは、我々と同じ世代の若者だったのです。ビル・ゲイツにしてもアップルの創始者スティーブ・ジョブズにしても私と同じ年なのです。(詳細は、パソコンの文化 参照。)
私のコンピュータとの関わりを以下に述べます。
 
中学時代(1968-1970)
 初めて電子卓上計算機を見ました。机の上にどっかっと乗ってガシャガシャとキーを打って計算をしていました。足し算はともかくとして、掛け算、わり算ができるのが感激でした。カシオ製だったと思います。愛読書だった少年マガジン(巨人の星、あしたのジョーが連載されていた)の背表紙にIBM○○○○とタイプがあり、こうした本は、大型計算機で管理していることを数学の先生が教えてくれました。中学二年(1969年)の夏、アポロ有人月着陸のテレビ中継(同時通訳の片山潜氏の実況)を見ながら、司令船に小型高性能コンピュータが搭載されていることを知りました。
 
高校時代(1971-1973)
 ポケット電卓が出ました。4ビットマイコンだったそうです。が、私にはその中味を知るよしもありませんでした。身近な大型計算機といえば、模擬試験などで100,000人の受験生の成績を一括で処理し、私たちにドラムプリンタで印字された成績表を提供してくれるもので、計算結果を見ながらその処理能力のすばらしさを知りました。
 
大学時代(1974-1977)
 HP、テキサスインスツルメンツ、シャープ、カシオなどが高性能関数電卓を出し始めていました。価格は¥10,000から¥20,000程度で、研究室ではみんなこれを使ってデータの計算をしていました。(今の学生は、エクセルを使ってデータを処理しているでしょう。飛躍的な処理能力の向上です。)電卓の出現で、数表や計算尺を用いた計算法とおさらばになりました。また、大学の中央計算機センターには日立のHITACと呼ばれる大型計算機があって、FORTRAN言語でカードさん孔による計算プログラムを作り、空き時間を見つけてはプログラムを走らせていました。
 大学の生協で8ビットマイコンが16万円で販売されていましたが、テンキーと7セグメント表示装置のみというシロモノで、言語も機械言語(アセンブラーという言語)でしか動かないこの装置には機械屋の私にとってその魅力が少しもわかりませんでした。私の在籍した機械工学科には、制御研究室に三菱のMELCOMというコンピュータが一台入っていて、制御工学の実習にそのコンピュータを使わせてくれ、データをカードパンチャに打って統計計算をした記憶があります。非常に高価そうで先生がそばにつきっきりで我々が変な事をしないよう丁寧に教えてくれました。
 ちなみに、当時の物価は、250円だせば大学界隈の飯屋で昼食が食えました。アルバイトも時給240円程度でしたので、そのお金の価値は現在(2007年)の800円程度に相当し、現在の3倍弱に相当すると思われます。そうしてみると、関数電卓は現在のお金で30,000円から60,000円ほどし、8ビットマイコンは50万円近くすることになります。
 
社会人時代(1978- )
 社会人になって一年目。会社の先輩がインテルの8ビットマイコンを使ったコンピュータを作りました。「シネコン」と呼ばれるコンピュータで、撮影距離と撮影範囲を入力すると、撮影に必要なカメラレンズの焦点距離を計算してくれたり、高速度で動く現象の推移速度を入力すると撮影に必要な撮影速度や必要照度を求めてくれました。当時のコンピュータには、ハードディスク(HDD)もなければフロッピーもない時代だったので、電源を入れる度に「さん孔テープ」を読み込ませてプログラムを入力し計算を実行させました。この装置に使われていたコンピュータは、SEIKO社から販売されていたもので中心部のCPU(Central Processing Unit)は、インテルの8ビットマイコンをベースとしていました。私はこの装置をとても気に入っていて、これを作った先輩をとても尊敬していました。
 このアイデアを基に、写真計測の原理を勉強し、SHARPのプログラム電卓にBASIC言語でこのプログラムを移植したり、HP(ヒューレット・パッカード)のプログラム電卓(下写真)に逆ポーランド記述でシネコンのプログラムを組みました。HPのポケットコンピュータHP11C(1982年当時¥40,000)は、25年経った今(2008年)でも現役バリバリで活躍しています。26年!も使っているのです。このプログラム関数電卓は、レンズ焦点距離、撮影のための必要照度、必要撮影速度などの計算を簡単に行うことができるので、今でも重宝しています。
1982年に購入したヒューレット・パッカードの関数電卓 HP-11C。
とても使いやすくて、26年経った今も現役で使っている。
レンズ焦点距離の計算、照度計算、撮影速度計算には、
手製テンプレート(右上)をつけてプログラム計算させている。
 
 
SEIKOのマイコン
 1978年、最初に入社した映像計測関連会社では、私が入社する1年ほど前に、SEIKOのマイコン(CPUはインテル)を使った「フィルム画像処理装置」と呼ぶ装置を開発し、フィルム画像から物体の変位、速度、角度などを計測するシステムを販売していました。この装置にはBASIC言語が使われていました。その後、この装置はCPUをインテルの8ビットから16ビット、32ビットへと換え、対話型ディスプレーも、モノクロ6インチから13インチカラー16色、同256色、VGA、SVGAと代えて行きました。当時インテルもOSを作っていました。しかしOSは新興勢力のマイクロソフト社のPC-DOS(MS-DOS)に負けてしまいました。
 フィルム画像から物体の変位を抽出して解析を行う装置としては、1970年当時、フィルム投影スクリーンにフィルム像を投影して、その像面に機械式ヘアカーソルを合わせて0.25mmの読み取り単位で操作者が読み取る装置がありました。1970年代後半は、ヘアーカーソルに代えて超音波マクロホンとペンの発振器で位置を測定していました。この方式では、読み取り精度は良くないものの読み取り時間が速くなりました。1980年代にはスクリーンにデジタイザを埋め込んで、カーソルから直接デジタル数値を読み出せるようになりました。(今、2008年は、デジタル画像をパソコンが自動的に読み込んでターゲットパターンをサブピクセル処理してくれます。)
 
NEC9801
 ビル・ゲイツとその友人ポール・アレンが、PDS(パブリックドメインソフトウェア = 無料での使用が許可されたソフトウェア)となったプログラム言語のBASICを8bit CPUパソコンに移植させ、OS(オペレーティングシステム = コンピュータを管理し使いやすくするソフトウェア、当時はフロッピーディスクの読み書きを管理するソフトがメイン)を完成させてから、NECがこのライセンスを取得し、漢字変換のROMを乗せて発売しました。
 このNECのモデル8801の後継機であるモデル9801(8ビットから16ビットへ移行したモデル)の発売で、日本中に9801旋風が吹き荒れました。1981年頃だったと記憶しています。9801が爆発的に売れたのは、漢字ROMをいち早く実装して日本語環境を整え、N88BASICというパッケージで16ビットの対応を行い、ファミリー作りにも熱心だったからです。1980年当時は、8ビットパソコンが中心で、これをうまく管理するOSは、ゲーリー・キルドールが開発したCP/Mくらいしかありませんでした。NECは、16ビットマシンに移行する際、マイクロソフト社に接触していち早くMS-DOSを移植し、その後、徳島にあるソフト会社ジャストシステムの「一太郎」を育てました。パーソナルコンピュータに日本語環境(日本語入力)を整えた功績は大きいと思います。
 私は、しかし、NEC9801には深くのめり込むことはありませんでした。理由は、当時私の仕事は物書きが多く、いろいろなドキュメントの切り貼りをする必要上、当時のNEC9801ではパワー不足だったのです。入社3年間は手書きとドラフターを使い、4年目ぐらいから英文タイプライターを使いだし、1982年頃から、東芝の事務用ワードプロセッサーを使うようになりました。8インチ(薄っぺらな下敷きのような感じ)の辞書と文書ファイルの2枚のフロッピーデスクを入れてジーコジーコ(フロッピーディスク装置がフロッピーをアクセスする音、しょっちゅうアクセスしていたのでこの音が頻繁に聞こえた)とやっていました。このワープロを使って文書作成がかなり上達してしまったため、NEC9801のワープロが使いづらくて、全く魅力のないものでした。
 1988年になって32ビットの9801が出回るようになり、「一太郎」による辞書変換が速くなってきました。が、それでも業務用ワープロの方が何倍か速く打てました。ここらあたりが、Windowsにいかず、マックに向かった転換点だったような気がします。
 それでも、1988年に導入した32ビットNEC9801XLとCADソフト『AUTOCAD』の出会いは衝撃的でした。21インチカラー画面で32ビットCPU、20MBのハードディスクなど、非常にパワーあるコンピュータでした。これを使って多くのドキュメントを作りました。
 
CADで文書!
 
と笑うかも知れませんが、CADソフトは文字の印字をプロッターで描くためワイアードットプリンタ(ドット印字)に比べ、表現力が豊かだったのです。このコンピュータを1994年まで使いました。私が業務用TOSWORDを使っている間に、外の世界では、NEC9801に採用されたワードプロセッサ「一太郎」、正確に言うと日本語変換処理FEP(フロントエンドプロセッサ)の「ATOK」が、変換アルゴリズムを急速の勢いで進化させました。「ATOK」の長文読解能力のすばらしさを体感したのは、1991年、会社の先輩が使っていたNEC9801の文書ワープロ「一太郎」に触れた時です。ストレスのない入力で深い感銘を受けた記憶があります。
 Macを使いだしても文書変換は、ATOKが断然使いやすく、ATOK8は古すぎて問題を起こすと言われながらもヒット率の高さは他のFEPと群を抜いてよかったのでこれを使い続けました。
1997.11月にATOK11ができて複数辞書などの機能が追加され、ようやくWindowsの環境に近づきました。
1999.3月にはATOK12を移植しました。
1999.12月には「ATOK13」を移植しました。Power PC 200MHzのMacでは、ATOK13はちょっと重たい感じがしました。G3マックだとより快適に動くのでしょうけれど。
2003.02には、PowerMac G4とiBOOKを購入できたので、これにATOK15を入れました。
2004年には、バージョンアップしたATOK16を入れました。2006年には「ATOK2005」を入れました。
2008年4月には、ATOK2008を購入しました。
浮川夫妻(JUSTシステム社長夫妻)が開発した日本語変換FRP「ATOK」との付き合いは18年近くになります。
 
 私がもう20年遅く生まれ、Windows95に出会っていたら、おそらくマックではなくDOS/Vを使っていたかも知れません。また、マックが1990年当時のように高価なままであったら、マックに向かわなかったかもしれません。若い世代(20歳代)は別として、我々のような40歳前半から60歳前半の世代は、1990年〜1995年の時代のマックとWindowsの選択について、以下のような判断をしたと思います。(2005年までの感慨)
 今、現在(2008年5月)は、上の感慨とは別の考えを持ち出しています。昔にWindowsを使っていたとしても、おそらく今ぐらいの時点では、Macを買っているかも知れないという考えです。なぜかというと、2006年にMacがインテルのCoreDuoというCPUを搭載したコンピュータ(Intel Mac)を発売し、これがWindowsもMacも使える代物だったからです。Windowsを使いながら、Macの新しい世界に触れられる! これは買う価値があるだろう。そう、考えるに違いないからです。
今の私は、Macにどっぷり浸かってますので、逆の考えで、「これでやっと2台のコンピュータ(WindowsとMac)を持ち運ぶ重労働から解放される」と考えています。(2008.05.21記)
 
☆マック派
グラフィックを多用する仕事、もしくはコンピュータを意識しないツールとして使用したい人が多い。金銭的に余裕のある人、またはひねり出せる力のある人が多い。自分で創意工夫して作品を作る人で仕上がりの体裁をとても気にする人はマックを使用する。ある程度メカが好きな人もWindowsよりマックを使う。1995年(Windows95が出る前)までにコンピュータ人生を決めた人。(これは1998年までの話。iMacが登場して以後はまた違った観点からマックを使う人が増えている。2000.04.30) 
☆Windows派
NEC9801もしくはIBMを中心としたPC-DOSコンピュータにどっぷり浸かってきた人。遺産(I/Oボードやソフトなど)がたくさんある人で簡単にはMacに転向できなかった人。コンピュータが全くわからず相談する相手がコンピュータ専門家(作品を作る人ではなくてプログラマーのような人)をブレーンに持った人。会社の偉い人でネットワークを大きなお金をかけて大々的に行う立場の人。業務(伝票とか、公的文書作成)を中心に行う人。1995年までにマックに移らなかった人。(これは1998年までの話)
 
 
 
 
【昨今のマック事情】 (2001.04記)
 
 1996年から1997年は、Windows95が発売され、使い勝手がかなり向上し、かつ、ハードウェアそのものが Macintosh に比べ安価だったので、新しくコンピュータを買ってインターネットをはじめる人はWindwos(DOS/V)を選択するケースが圧倒的に多くなりました。
 G3 Macintosh 、iMacが登場するまでの時代は、 Macintosh の暗黒の時代といっても過言ではありません。市場シェアは5%程度まで落ち込み、いつ身売りしてもおかしくない状況でした。
 1997年に、スティーブ・ジョブズ(アップル社創設者、現暫定CEO)がNeXt社から戻って来るや社運は好転します。1998年5月のiMacの出現は、それまでのパーソナルコンピュータの記録を次々に塗り替え、アップル贔屓(びいき)の日本にあっては、1999.6月での市場シェアは20%まで回復したと言います。
 この状況を見る限り、まだ Macintosh には使いやすさにおいてWindowsより一日の長があるな、と感じさせます。
 会社では、Windowsを使い、家では Macintosh を使っている人を良く見かけます。漫画家や広告関係、音楽関係に勤める人は家でも会社でも Macintosh を使っています。
 マックは、システム性に優れていると思います。コンピュータを買って、後からプリンタやMOやハードディスクなどを追加購入しても簡単に接続できます。DOS/Vですとなかなかそうは行きません。
 
 (Windows98になって接続のためのアドレス管理が自動になり、USB対応の周辺機器が増えてプラグアンドプレー式のインストールとなったため随分と楽になりました。WindowsNTは、使いやすさから言うとWindows98よりも敷居が高く扱いづらいですが、その分信頼性が高い、という利点があります。マイクロソフトは信頼性の高いWindowsNTにWindows98の使い勝手の良い操作性を移植させてWindows2000という形に収れんさせたいようです。 2000.12、2001.02記
 2001年には、WindowsXPが出荷されました。これはWindows98の使いやすさにWindowsNT(Windows2000)の安定を融合させたものです。WindowsXPにより、MacOSXとの相性はかなり良くなりました。逆に言うと、WindowsXPでは、GUIがかなりマックに近くなって来て、マックはその逆に、Windowsを意識した操作性を出してきました。そうしてくるとマックの優位さはあまりなくなって来ます。実際、学生時代にマックを使っていたのに、現在は、Windowsに切り換えたエンジニアをたくさん見ます。仲間がいないと何かと物入りになるのは否めないものです。(2003.0.7.26記)
 パソコン業界は日進月歩で進化します。マックもUnixをベースにしたMacOSXから徐々に進化を遂げ、2005.4.28日のTiger(MacOSX ver. 10.4)ではさらに洗練されたOSを提供するに至っています。あれだけ洗練されたUNIXマシンは他にはないでしょう。UNIXマシンだから大きな基幹サーバとの相性も良い。東京大学では1,100台あまりのiMacを導入して運営管理に劇的な効率化をもたらしたといいます。(2005.05.01記)
 2009年10月には、マイクロソフト社があたらしいOSであるWindows7を出したのを機に、アップル社もOSをSnow Leopard(Mac OSX 10.6)としました。
 
 コンピュータに詳しくない人なら一旦システムを組み上げて購入したら、システムアップはしない方が無難です。最近はコンピュータが安くなっていますから、新しいことをやりたければ全部新しいのにした方が信頼できますし安価にできます。DOS/Vは、それほど安くなっています。DOS/Vはいろいろな会社が持ち寄ってできあがっているコンピュータですからややもすると一貫性がなく、責任の所在がはっきりしません。DOS/Vの世界のコンピュータは、『OS』であるマイクロソフトのWindowsがもっとも影響力があって、次にCPUの開発であるインテルが影響力を持っています。そしてBIOS(CPUとの橋渡しをするチップ)の開発を行ってるIBM(2004年にパソコン部門を中国のメーカに売却して撤退)、コンパック(2001年9月HPが買収)、Phoenix Technologies社(現AWARD社)、アミ社などが続きます。これらが規格を作りながらシステムを作り上げています。そのWindowsも98のバージョンから改良バージョンのWindwosSE(SecondEdition)、2000年に発売したWindowsME(Millenium Edition)と続きます。また、この流れとは別に、MS-DOSの古いコアを取り去ったWindows2000(WindowsXPに統一するための予備OS)と呼ばれるOSも登場させています。
 方やマックは、OSからロジックボードからBIOSまですべてアップルが責任持って開発しています。従って、システムの統一性から見てもDOS/Vから育ってきたWindowsとは観点が違うのです。
 
DOS/V: 安価、競争が激しいので製品が絶えず良くなる。
     品数豊富。システムの統一性に難。
マック: システムの統一性、操作性に優れている。インストール、設定が極めて楽。
     アプリケーションソフトが少ない。付属品が少ない。
 
 もう一つ、マックの魅力を述べるとすれば、フォントの多様さと美しさがあげられます。マックは標準フォントに「OSAKA」を使用していますが、この字体が実に柔らかみがあって、品があり表現が豊かです。Windowsには、マックのOSAKAに匹敵するフォントがありません。MSゴシックがこれに相当しますが、この字体で表現されたインターネットのWebサイト画面はとてもゴツゴツして痩せ細って見にくいものです。
 2003.02に購入したPowerMac G4には、ヒラギノという美しいフォントが内蔵されています。このフォントはゴシックと明朝があり、画像表現に威力を発揮しています。画面もゴシックのきれいなフォント表示してくれるので心が安らぎます。
 私は、このホームページをマックで作っていますが、これを会社などでDOS/Vコンピュータで見ると字体に品がなくて寂しい思いをします。DOS/Vにも、マックのOsakaフォント(ヒラギノフォント)に相当するフォントを標準装備してもらえないんでしょうか、と思ってしまいます。(1999.6)(2003.07)
 
Macの表示スクリーン(左)とWindows2000の表示スクリーン (2003.11現在)
 
 
 
【WindowsXPとマックOSX】(2003.11.30)(2005.05.01追記)
 2001年より、WindowsはXPという新しいOSを投入しました。このOSは、従来のMS-DOS、Windws3.1、95、98、Meの流れとは全く違ってUNIXを意識した(だけどUNIXとはまったく別物になってしまった)WindowsNTやWindows2000の流れを汲むOSです。Windows98まではシステムが頻繁にフリーズしました。この主な原因は、システムが本質的にマルチタスク環境ではないために、複数のアプリケーションを立ち上げるとメモリ管理がうまく行かず、OSのコア部分まで不具合が浸透し、システムが止まってしまうというものです。
 UNIX(ゆにっくす)と呼ばれるシステムは、タイムシェアリングを骨格としたOSでマルチタスクを得意としていました。UNIXは、当初2、3の流れがありました。その中でも、スタンフォード大学のグループがSUNというワークステーションに移植してネットワーク機能を強化したものを展開したため、UNIXグループの中でメジャーとなります。
 パソコンの世界でもネットワーク環境が重要な要素になり、UNIXの堅牢なシステムの重要性が再認識され、UNIXが移植されるようになりました。マイクロソフト社もUNIXのような堅牢なOSの必要性を感じていて、アマチュア向けのOSであるMS-DOSに見切りをつけはじめ、サーバー対応、マルチユーザ対応、マルチタクス対応のOSの開発に踏み切り、WindowsNTを開発して、それがWindows2000になってWindowxXpに落ち着いて行きました。
 
 方や、マックも最新のOSであるMacOSXでは、UNIXをコアに持っています。Mac OS9までのマックは、完全なマルチタスクではなくたくさんのアプリケーションを開くことはできても同時進行をすることはできませんでした。
 2003年2月に新しいマックを買って、OSXで使用していますが、なるほどフリーズはほとんどしなくなりました。アプリケーションの一つがおかしくなって止まっても他のアプリケーションに影響を与えず、OS自体も止まることは無くなりました。私は新しいマックに、古いOS9.2とWindows2000(VirtualPCというWindowsのエミュレーションソフトを入れている)を立ち上げて、Windowsのアプリケーションや古いマックのアプリケーションを立ち上げて使っています。
 2005年4月28日、MacOSX ver10.4 Tingerが発売されたのでさっそく買ってインストールしました。ver.10.2.8に比べて格段にスッキリとしてアプリケーションソフトも速く動作するようになりました。
 
 
 


 
 
■ マッキントッシュと私
 マックが個人で手が届くなと実感したのは1993年の春でした。1年前の1992年よりカタログを取り寄せて、マックで何ができるか、マックを使いこなせるかどうかの検討を始めていました。
 当時(1990年代初め)の私は、NEC9801の『AutoCAD』と東芝のワープロTOSWORD、Rupoでだいたいの仕事をこなしていました。しかし、マックの持つフォントの多様さ、レイアウトの多様性、写真の添付、ドロー描画の威力、マルチ画面の威力、多くのゲーム、等どれをとってもマックは魅力十分な存在でした。
 
しかし、高かった。
 
 当時の私の事務所には自由に使えるマックはなく、欲しいとは思ってもそれを買うという決断を維持・増強することができず、1993年の3月までの5年間をあいまいなまま悩んでいました。
 1988年、仕事で金沢工業大学機械の田辺秀明先生(現在群馬大学)を訪問した際、先生から Macintosh IIを見せていただき、熱心に Macintosh のGUI(Graphical User Interface:わかりやすい画面表示)を説明していただきました。
 1992年に母校の太田安彦先生を訪ねたときも、先生は Macintosh Classicを用いてグラフや表、フォントを多用し、魅力ある論文を次々と書いておいででした。
 同時期、三菱自動車のエンジン研究部 安東弘光氏(GDI開発責任者)は、写真と図を多用し彼の発案した新型エンジンのコンセプト、実験成果などを学会などで発表されていました。とても魅力的でした。(当時は、MacDraw = マックドローを使っていらっしゃいました。安東氏の趣味は、今もマックとのこと。2000.12
これらの先生方は今もマックを使用されていて、ソフトはIGOR(イゴール)と呼ばれる編集ソフトを使っていらっしゃいます。グラフや写真がとても綺麗に思い通りに編集できるそうです。使い勝手はプログラム言語の感覚に見受けられました(2000.12)
 スポーツ工学学会でお会いした筑波大学のスポーツ研究者 宮地力 先生(現、国立スポーツ科学センター、2007.02)は、1993年当時、研究室に Macintosh を数十台ネットワークでつなげて『Mathematica』という数学モデルソフトウェアを使ってスポーツの運動画像を自動計測するソフトウェアを作った話をして下さいました。
 1993年2月に仕事で渡米した際、行く先々でマックを購入しようかどうかと悩んでいました。米国の学会や展示会で見たWindows3.1も使いやすくなったとはいえ Macintosh を上回るほどのインパクトはありませんでした。米国で買い求めた Macintosh の雑誌、書籍(それになぜか英語のワープロソフト)を帰国途中の機内で見ているうちにもはやこれしかない、という結論に達しました。
 帰国後早々、販売店から見積もりをもらい妻の了承をとりつけ、50万円という私にとっては大金を用立てLCIIIを購入しました。マシンは、CPUにモトローラの68030 25MHzを搭載し、メモリは4MBRAM、ハードディスクドライブは80MBで、これに13インチカラーモニタ、マックライトII、スタイルライター(白黒インクジェットプリンタ)、FAXモデム、ラック、OAチェアを併せて購入しました。
 コンピュータが納入された日、当時小学校5年生だった長男と一緒に20枚ほどあるフロッピーを一つずつ入れながらシステムをインストールしたことを覚えています。
 
 
 
 
 

 
 
 
■ マックの良さ
 
 マックと1993年に出会って足かけ14年。時間とお金を湯水の如く使ったいう印象を拭い切れません。それでも私にとってマックは得るものは大きかったといえます。ドキュメント管理、データ管理が整備され、お客様や仕事仲間にタイムリーに情報を提供できるようになりました。今はまたインターネットと呼ばれる新しいメディアを使って情報交換ができる恩恵を受けています。
 
 今まで10台のマックを購入しました。
 
  1. Mac LCIII  - 1993年
  2. Color ClassicII  - 1994年
  3. PowerBook Duo230  - 1994年
  4. Power Macintosh 6100/66  - 1995年
  5. Performa5440  - 1997年
  6. Macintosh Power Book 2300C  - 1997年
  7. PowerBook2400c/240  - 2000年
  8. PowerMacG4Dual1GHz  - 2003年
  9. iBOOK  - 2003年
  10. PowerBOOKG4  - 2006年
 
 私のライフワークとして、今後もWindowsではなくマックを使っていきます。マックの息の根が止まり、マックを凌ぐ環境がwindowsかもしくはインターネットJava環境で構築される日まで、マックで培った資産とテクニックを駆使してマックとつきあっていくつもりです。
 以下は、マックとつきあっていて良かったと思う点です。
 
【ネットワークの容易さ】(1998年までの話)
マックは、購入の最初からアップルトーク、イーサネットが装備されています。事務所などでマック仲間が増えると即座にネットワークを組んで仲間入りをさせ情報を分かち合います。マックのネットワークにはネットワークの管理者がいません。従って誰か彼かが助け合って社内LANが出来上がっています。社内にはWindowsのLANも走っていますがこれは管理者が必要です。社外秘の情報も多く気軽には扱えません。社内LANにはWindowsNTのサーバーがあって、そこにマックがイーサネットを通じてアクセスできる領域が確保されています。ここがWindowsとマックの交差点でデータの相互乗り入れを行っています。マックユーザのほうがドキュメントを制作する能力が高い人が多いので、文書フォーマットなどはマックから作られるケースが多く、相互乗り入れできるクラリスインパクト、ファイルメーカPro、Excel、Word、Photoshop、PowerPointなどを我々ネットワークの標準アプリケーションとして使っています。1998.10にマック用のOffice98が出てからは、かなり相互乗り入れが楽になりました。ファイルメーカProは完全に互換性が取れいてどちらの機種でも同時に同じファイルを開いて更新できる優れものです。
 
【洗練された画面】 - とにかくわかりやすい。ストレスなく作品ができる。
マックのGUIは、完全に仮想世界です。実際のものではなくバーチャルな環境を私たちに提供してくれます。マックの中に机があり、ゴミ箱があり資料フォルダーがあります。それを専門用語でメタファーと言うのだそうですが、そのメタファーの構築がマックではWindowsに比べ一日の長があります。(2004年5月の時点でもまだマックの方がデスクトップの画面がきれいですし、MacOSXのドックの使い勝手ははなかなか見事です。)子供の「ままごと」やテレビのドラマと一緒で、約束の中で遊ぶ場合には、できるだけ現実に即することが大事です。これは、アラン・ケイがゼロックスのパロアルト研究所にいた時からアップルでマックを開発するに至るまで提唱してきた一番大事なことです。それが「使いやすさ」につながるからです。Windowsは、コンピュータの中にコンピュータがあり不自然です。気にしない人は全く気にならないでしょうが、作品を美しく仕上げる人たちが多いマックユーザにはこれをとても気にします。女性はそういったフィーリングがとても強いので、創作意欲の強い女性社員に二つのタイプのコンピュータを見せれば間違いなく Macintosh を選ぶことでしょう。
私が使っているMacG4デスクトップ画面のドック。
マックの画面下のドックに、日頃よく使うアプリケーションをドラッグするとアイコン表示のエイリアス(Windowsではショートカットと言う)が格納される。
私は上に示したように、これだけのアプリケーションをドックに格納している。
カーソルをドックにもっていくと、ドックに格納されたアプリケーションのアイコンが現れ、起動したいアプリケーションが大きく飛び出す。
アイコンの下に▲で表示されているアプリケーションはすでに起動していることを示す。
右から4番目のアイコンはFetchと呼ばれるホームページをサーバーにアップするためのソフトウェアで、犬のアイコンである。このアイコンはドックの中でジャンプしている(右図)。ジャンプしているのは、このアプリケーションがユーザになんらかの操作を促しているためで、アプリケーションが操作の途中であるか、なんらかの注意を促すサインである。メールソフトのアイコンがジャンプしていればメールが受信されたことを示す。
ドックは通常は隠されていて、カーソルを持って行くと現れる。ドック機能は、デスクトップがスッキリしてとても使いやすい。(2004.06)
 
【ファイル管理が簡単】
 マックは、Windowsで作ったデータを読むことができます。しかし、WindowsはMacのデータを読んでくれません。MOメディアではDMCP12(DMCP13)(このソフトは、MOの衰退とともに現在、2006年では意味をなさなくなりました。)というアプリケーションにお世話になればWindowsの230MBメディアを読み書きできます。マックは、OS8.5から標準で「PC Exchange」の機能にDOS/VフォーマットしたMOも読み込めるようになりました。(これは、1998年までの話。現在は、WindowsのCD、MOなどほとんどのメディアがMac OSXで読み込める。ネットワークでもWindowsのワークグループに入っていける。ただ、Windows98ではファイル名が文字化けを起こす。2003.07)
 画像ファイルも「GraphicConverter」と言うソフトを使えばストレスなくかつ一気にWindowsで作った画像を変換表示してくれます。GraphicConverterは、ドイツ人Lemke氏の開発による画像変換ソフトウェア(シェアウェア)ですが、このソフトの充実ぶりには驚かされます。2007年1月現在のソフトはバージョン5.9.4で、100種類以上の画像フォーマットを開くことができます。KodakのPhotoCDは取るに足らず、最近出回っている各種デジカメの画像フォーマットに対応して苦もなくファイルを見ることができます。一連の画像(たとえば100枚程度の画像)ファイルを一気に希望する画像フォーマットに変換したり、ファイルの中の画像を一覧表示したり、スライドで見せてくれたり、レタッチできたり、これが¥4,000かというぐらいの優れものです。Windowsにはこれほどの優れた画像オープナー・コンバータはないのではないかしら。ちなみにこのGraphicConverterは数々のソフトウェア賞を受賞しています。
 CADは、最近(2004.05)VectorWorks10.5を購入しました。昔から、「MiniCAD」を使っていてその操作性に惚れ込んで、今回やっと購入できました。以前(1990年当時)は、DOSの「AutoCAD」を使用していましたが、マックの「MiniCAD」に出会ってそのすばらしさを知ってからこれの虜になっています。VectorWorks(MiniCAD)は、DXFファイルも読み込むことができるので、AutoCADで作ったファイルも読み込んで使っています。AutoCADのDXFファイルは業界標準で、これはDOSの時代にこのCADしかなかったためにデファクトスタンダード(業界標準)になったものです。VectorWorksはWindows版もリリースされ、Viewerソフトも出ているので、これをWindowsに入れておけば、マックで作ったVectorWorksの図面データをWindowsで見ることができます。AutoCADの欠点は、フォントの扱いが遅れていて文字を打ちにくい、表現しにくい、線巾が自由に変えられない、ハッチング処理が洗練されていない、などです。(最近のAutoCADは改善されているのでしょうがそのへんの事情はよくわかりません。)
 「Photoshop」、「Illustrator」など出版・広告会社で定番の版下ソフトもMac・Windowsの両方がリリースされています。ただ、フィルター、フォント、出力プラグインなどは圧倒的にMacの方が充実しているため出版関係ではWindowsが前面に出て使用されることははあまりないようです。
 また、プリンタに出力をするとき、 Macintosh では「プレビュー」という機能がありプリンタに出力する前にモニタ画面で出力する内容を事前に確認できるのですが、Windowsにはそれがありません。とんでもない印刷を多量に延々としてしまう失敗をWindowsで何回かしたことがあります。マックはその点画像機能が発達しているなと思いました。(2000.12)
インターネットホームページを作る人たちもマックを使う人が多いようです。ホームページを扱う広告業者は、「Windowsは、絵柄やレイアウトのチェックに使う程度」と言っています。
 
 五十嵐進さんの書いておられる『これから始めるCAD - MiniCad6操作術』の本の中にAutoCADについてこんなくだりがあります。
 「IBM/PCで成功をおさめたAutoCADは、80年代後半には Macintosh にも移植されプラットフォームを股にかけてCADの王者たらんとその地位を誇示するはずだったのだが、その思惑は期待通りには行かなかった。結局、オートデスク社はAutoCADを Macintosh 市場から撤退させることになるのだが、敗因の大きな理由が、AutoCADが「オブジェクト指向(Object Oriented)」でなかったことだ。 Macintosh の多くのアプリケーションソフトがそうであるようにAutoCADの操作は全く逆である。
 結局のところ、Macユーザーが選択したCADは業界標準のCADではなく、デザイナーにとって使いやすい「オブジェクト指向」のCADだった。」
【システムの一貫性】
マックは、システム性に優れています。コンピュータを買った後からでもプリンタやDVDやハードディスクなどを追加購入しても簡単に接続できます。DOS/Vですとなかなかそうは行きません。コンピュータに詳しくない人なら一旦システムを組み上げて購入したら、システムアップはしない方が無難です。最近はコンピュータが安くなっていますから、新しいことをやりたければ全部新しいのにした方が信頼できますし安価にできます。DOS/Vは、それほど安くなっています。しかし、その反面、DOS/Vはいろいろな会社が持ち寄ってできあがっているコンピュータですからややもすると一貫性がなく、責任の所在がはっきりしません。OSであるマイクロソフトのWindowsがもっとも影響力があって、次にCPUの開発であるインテルが影響力を持っています。そしてBIOS(CPUとの橋渡しをするチップ)の開発を行ってるIBM、コンパック、Phoenixなど。これらが規格を作りながらシステムを作り上げています。
方やマックは、OSからロジックボードからBIOSまですべてアップルが責任持って開発しています。従って、システムの統一性から見てもDOS/Vとは隔世の感を持ちます。
 WindowsもWindwos98になって周辺機器への接続がかなり容易になってきました。Windows95ですと慎重に機器の接続をしなければならなかったのですがWindows98ではプラグアンドプレーが充実し、割り込みアドレスも自動割り振りになり、安心して機器のインストールができるようになりました。USBケーブルではシステム電源を落とさなくて機器を抜き差しできます。しかしWindowsではあまりにも機種が多いため周辺機器のサプライヤーが全ての機器の接続チェックをしているわけではないのでインストールには若干の緊張を伴います。(2000.12)
 
【ソフトのインストール】(2004.06.03)
ソフトのインストールに関しては、インストールのしやすさでマックの右に出るものはありません。WindowsXPでやっとインストールもしやすくなったとはいえ、それでもインストールにはずいぶんと気を使います。デバイスマネージャで接続する機器が受け付けられたどうか見なくてはなりませんし、認識していない場合には再度インストールを慎重にし直さなければなりません。私は、家族の者や親戚のもの、友人のもの、仕事上でパソコンを組み上げる時に何度となくWindowsXPでのソフトインストールをやらされますが、その都度、「Windowsは、なんでこんなに面倒なのだろう」と心で呟いてしまいます。Macにはその手の煩わしさがないのです。MacOSXになってさらに使いやすくなった感じを受けます。
 
【フォント】
マックの魅力に、フォントの多様さと美しさがあげられます。マックは標準フォントに「OSAKA」を使用していますが、この字体が実に柔らかみがあって、品があり表現が豊かです。Windowsには、マックのOSAKAに匹敵するフォントがありません。MSゴシックがこれに相当しますが、この字体で表現されたインターネットのWebサイト画面はとてもゴツゴツして見にくいものです。
 わたしは、このホームページをマックで作っていますが、これを会社などでDOS/Vコンピュータで見ると字体に品がなくて寂しい思いをします。DOS/Vにも、マックのOsakaフォントに相当するフォントを標準装備してもらえないんでしょうか、と思ってしまいます。(1999.6)
 結局のところ、オフィス用(会社の事務用)に供給されるWindowsは、あまりフォントにはこだわらないんではないかと考えています(ものによっては音の出ないDOS/Vマシンがあるのですから)。
 Windowsのマーケットシェアは大きいのでフォントなども別に買い求めればちゃんとあると思うのですが私の周りにはそうしたフォントを入れている人はほとんどいません。Windowsというのはそういうもんなんだなっていう感じを抱いています。(2001.02記)
 2008年の現在になっても、Windowsのフォントはあまり芳しくありません。インターネットがきれいに見られない。これは結構つらいものです。(2008.05記)
 
【バックアップ】
 Windows95を使用している私の友人が、ハードディスクの中身のバックアップをすべて一つのMOに取っているのを見てびっくりしたことがあります。マックでは一つのハードディスクをパーテションで区切り、それぞれにシステムを入れたり、外付けのハードディスクやCD-ROMに別システムを置いて不具合が合ったときシステムを交代して立ち上げることができるのに、Windowsではそれができないらしいのです。マックでは、不具合が起きるのは、必ず‘何か’をシステムフォルダに入れた時か、新しいアプリケーションを立ち上げた時です。その場合には、システムフォルダの中の「コントロールパネル」、「拡張機能」、「初期設定」フォルダの中の心当たりある項目を別フォルダに移すか捨ててやれば、ほとんどの場合これで復元することができます。Windowsだとこれがなかなか難しいらしいのです。アプリケーションを構築するファイルがバラバラに格納され、ユーザから把握するのが難しいというのです。一般のユーザがWindowsのシステムまで立ち入らずお任せで使っているのが納得できる症例です。それだけシステムの中身が難しいのでしょう。
 これは、Windwos(DOS/V)の成り立ちを見れば明らかです。 Macintosh はアップルがハードとソフトウェア両方を責任もって設計・製造しているのに対し、DOS/V機は、総責任者が不在なのです。OSはマイクロソフトが作るが、CPUはインテルかAMD、ロジックボードはコンパックかDell、はたまたコンピュータメーカ。PCIボードはスロットはあるがアドレスなどの細かい取り決めはシステムの方で把握し切れていないのでボードを追加挿入するたびにボード間で通信がぶつからないか心配しなくてはなりません(これはWindows95までの話、Windows98では自動割り当てで随分楽になった 2000.12)。
 マックでその人それぞれの個性が出せるのは、比較的簡単にシステムフォルダの中身をいじることができるからです。反面システムまで立ち入ることができるので「爆弾」も出やすくなります。マックがフリーズしたとき「爆弾」マークが出るのは一般マーケットを考えた場合適切なアイコンでは無いと思います。実際は、「何か新しいものを入れたね。これだとおなか壊してしまう」みたいな軽いジョークで流した方が、マックは壊れやすいという風評を1/10程度に抑えられたと思います。
 Windowsユーザで、自身のデータをこまめにバックアップをしているユーザはどれくらいいるのでしょう?最近、インターネットによるウィルスの被害が多く出てきているため、Nortonなどのアンチウィルスを購入される人が増えてきてはいるものの、システムの管理やデータのバックアップをこまめに取る人は稀なような気がします。それだけ、パソコンに疎い人たちがこぞってWindowsを使いだした証なのです。が、どうして、難しいWindowsを選ぶのでしょう。ほんとに奇妙なことです。日本人の寄らば大樹の影的な発想で、みんなが使っているから買う人が多いのです。実際の運用は結構大変なのですけど(2004.06)
 
【検索機能 - Spotlight】 (2007.01.04)
 2005年4月に発表されたMacOSX ver.10.4(通称Tiger)に強力な検索機能がつきました。ハードディスクに保存した文書の内容やファイル名をたちどころに検索して表示してくれる機能です。この機能はスポットライト(SpotLight)と呼ばれているもので、アップルが昔から暖めていたシステムの機能の一つです。この機能は、MacOS8までにSharlock(シャーロック)という機能で提供されていたものと同じアイデアのものですが、これはそれほど強力な機能ではありませんでした。SpotLightは、とても洗練されていて検索を実行する待ち時間がほとんどなく、検索したい単語を入れる端から候補のファイルが表示されていきます。これはiPodで有名になっている音楽管理ソフトiTunesを操作されたことのある人には理解が早いと思いますが、iTunesで聞きたい音楽を検索すると瞬時に検索結果が現れるのと同じ感覚です。とにかく速い。WindowsXPにも検索機能があって、ファンキーな犬が出てきて検索を始めます。しかし、あれはとても遅い。10分など平気でかかってしまう。あの犬を見るのも嫌になるほどもたもたと検索を行います。だから、ほとんどの人はWindows で検索をかけることはないと思います。
 スポットライトは、この点出色の出来です。ファイルの中の文字列を検索できるのは、WordなどのOffice系ファイルとPDFファイル、HTMLファイル(インターネットファイル)、テキストファイル、システムがサポートするメールファイル、アドレスファイルに限られていて、イラストレータファイルやCADファイルの中身は検索できません。
Windows では、Google検索というのがありこれは結構迅速な検索を行うようです。
 
【何故Windows?】
この項を見られた人は、「安藤さんはずんぶん偏見をもって書いておられるな。現実はWindowsが90%以上(1999.4現在の日本のシェアは82%)のシェアを持っていて、Macなんて2割程度じゃないか。この数字の事実はしっかり認識する必要があるのではないか」、とご指摘されるかもしれません。確かにその通りで、勤め先でもWindowsマシンが有象無象にごろごろころがっています。かくいう私も、会社ではWindowsを使っているのです(ただし、慣れていないためおっかなびっくりですが)。Windowsにしかできない画像処理ソフトウェア(欧米のソフトウェアはWindowsが圧倒的)などではWindowsで画像を処理します。
私個人の世界ではMacが圧倒的に使いやすいので、WindowsのデータをCDかネットワークでMacに送ってマックでより細かな仕上げをします。使う相手がWindowsで、データをWindows用にしなければならない場合、再びWindowsに戻すような使い方をしています。
 
「Windowsは会社が買い、Macは個人が買う」
 
これほど両者を端的に言い当てた言葉はありません。事業所でイントラネットを整備するとき一度に数百台のPCの発注があると言います。マックは残念ながら広告関連の事務所などの小規模注文が多いから数台から十数台が精一杯です。それと個人。Macを身銭を切って血道を上げて遊ぶ。そんなMacユーザと、会社の与えられたWindowsでシステムを壊さないようにおっかなびっくり使うユーザでは、コンピュータを視る支点も力点も違います。当然結果も推してしるべしでしょう。稼働率、使用率から言えばかなりマックは使用されているのではないでしょうか。
 ただ、これはWindows陣営の正しい判断だと思うのですが、Windowsはマーケットの育て方が上手かった。MS-DOSからの資産やお客を大事にしました。反面Macはマーケットを甘く見て増上慢でした。Macの操作環境のすばらしさ過大評価し、Windows3.1(Windows95)を過小評価しました。仲間を増やさずMacブランドに固執し、何よりも高価だった。高価であることでブランドを維持しようとした風も見えました。ちょうどヤマハがピアノでブランドに固執し、SEIKOも時計でブランドに固執したように(結局どちらもCASIOの低価格路線にしてやられた)。この視点から今でもMacを嫌うDOS/Vユーザがいます。
 
■カスタムメードPC
 DOS/Vの世界は持ち寄り所帯で全ての規格は標準化を進める機関で取り決めがなされます。従ってすべての構成品がモジュールとして販売されていて、興味あるユーザーは個別にこれらを買い求めて自分のPCを作り上げてしまいます。マザーボードという基板を買って、それに自分の希望するCPUを乗っけて、それに附属する周辺装置(CD、DVD、HDD、PCIボード)を結線して最後に箱(エンクロージャー)に入れ込んで出来上がり。自分で作ると部品部品を都度入れ替えて好きなマシンに仕上げられます。
 残念ながらマックはこうしたことは不可能です。本体内部を、つまりCPUを入れ替えたり、BIOSを入れ替えたりなどと言うことはできないのです。マシンを安く仕入れる、作り上げるという観点からはDOS/Vの方がオープンであると言えなくもありません。マシンの信頼性は別問題として(2001.02)
 
 
【今後のMac】  (1999.04.25)
 Windows98が登場した頃のお話です。
 ハードウェアもOSもすべて純血を守り通していたマックは、価格の割高感もあってシェアのじり貧にあえいできました。
1997年、アップルの創始者スティーブ・ジョブズが返って来るやドラスティックな改革を実行し、赤字続きだった同社を黒字に転換させてしまいました。
主な、改革は以下の通りです。
 
  1. マイクロソフトと株式資本での合意に達し、
    マイクロソフトのアプリケーションソフトの互換を始めた
  2. DOS/Vで使われている周辺機器の採用に踏み切った。
    (PCIボード、IDEのハードディスクドライブ、ATI RAGE画像表示ボードなど)
  3. 売れる機種に絞って経営状態を向上させた(G3マックの投入)。
  4. デザイン、使い勝手に優れたiMac、iBookを登場させた。
 
彼が打ち出す方針は次々と当たり、1999年4月現在、6連続四半期黒字で、1999.4月の4半期では1億3500万ドルの利益が出たという経営が続いています。特にiMacの爆発的人気は、1機種のコンピュータとしては過去最高の総出荷台数(827,000台)を記録し、米国でのシェアを12.5%まで引き上げています。この成功が今後のアップルの方針を興味深くさせています。
 
問題点も無いわけではありません。
 
  5. 画像表示が遅い - 競争の激しいDOS/V機では
    次々に高性能な画像ボードが開発されている。
  6. 高速バスの採用が遅れている - DOS/VはPCIバスから次なる
    新しい高速バスの採用を進めているのにマックはPCI対応のまま。
 
などです。
 
 しかし、総じてマックは買いです。1日中(DOS/VやらNTマシン)コンピュータの仕事をしている人が家に帰って憩いを求めるようにマッキントッシュを使っているという話をよく聞きます。24時間仕事をするデザイナーは勿論マックにどっぷり。かくいう私も24時間に近いくらいマックに向かっています。Windowsだったら・・・、どうでしょうか?
 
 要するに使いやすい、仕事がはかどる、自分のイメージあった作品ができやすい
これがマックを捨てきれない大きな要因だと思います。(1999.04)
 
 
【東京大学のネットワークPCに約1000台のMacを導入】(2003.11.30)
 2003.09に驚くべき情報が入りました。東京大学の学生や教職員など約3万人が共用するパソコンの大半1,142台がiMacベースになったことが新聞、メディアで報道されたのです。マックは個人が使うと信じていた私にはなにやらワクワクする情報でした。
なぜ、Macなのか?
東京大学は、これまで使っていたLinuxベースのx86系PCを入れ替えて、OSXで動くiMacを2004年3月までに導入することに決めたのです。
 iMacの導入に決めた大きな理由は、以下にあるとのことでした。
 
■ 従来のLinux系PCの限界
東京大学は、これまで学生、教職員が共用で使うパソコンとしてネットワーク上のサーバーからOSイメージをブートするLinuxマシンを使ってきた。この方式だとパソコン用の特定アプリケーションを使う場合、それ専用のパソコンを用意しなければならなかった。
Mac OS Xを使うと、こうした問題の大半が解決することが分かった。MacのOSXをNetBootさせて、MS-Officeなどのオフィスアプリケーション使用可能となる。さらに、Windows Terminal Serverを使ってWindowsのアプリケーションも利用可能。コスト効率を考えると効果的な選択となる。
■ネットワークの堅牢性
東京大学は、キャンパスが本郷、駒場、柏と距離的に離れていて、ここで非常にたくさんのユーザーが利用する。このネットワークを管理するのは、数人のチームであるため、日常でトラブルがなく、安定した稼働が必要条件となる。UNIXの堅牢性、JavaやCの学習環境からMacを検討すると、MacのOSXは、BSDをベースにしたUNIXであり、ネットワーク環境には申し分ない性能を持っている。また、大学で必要な開発環境もほとんど装備されている。例えば、UNIX、GCC、Javaの開発環境が直接利用できる。
■ ハードディスクなしのiMac
東京大学に納入するiMacは、PC内のハードディスクから立ち上げずに、NetBootで立ち上がるようになっている。ハードウエアトラブルの対応を考慮したもの。このシステムを採用することにより、万一ハードウエアのトラブルに見舞われても、ハードウェアを取り換えるだけで元のように使用可能。内蔵ハードディスクから立ち上げるシステムだと、ハードウェアを取り換えた後、環境設定を再度行わなくてはならず大変は労力がかかる。システムはサーバが管理するため、ユーザーがどこの端末からログインしても、自分の環境をデスクトップに呼び出せることが可能。NetBootは、仮に学生が自分のパソコンを学校に持って来て、ネットワークにつないでも授業環境ができ上がる。 NetBootをノートパソコンも含めてOS標準の機能としてしっかり保証しているデスクトップPCはMac以外にはない。1149 台をブートするというプロジェクトは世界にも例がないとのこと。マックのOSXではそれができる。
■ 対Windows環境
MacからWidowsターミナルサーバーにアクセスしてWindowsソフトが使える環境を用意。その理由は、統計処理用のソフトウエア「SAS」を使うため。SASはMac OS X用がないため、Windowsターミナルサーバー経由で使用。
■ 波及効果
東京大学の事例が成功すると、他の研究組織にも大きな影響が出てくると期待される。UNIX、Linuxをベースに情報科学教育を進めている所(NeXTを導入していた大阪大学など)は注目していると予想される。小さな組織では、一人の管理者がすべてのネットワークコンピュータを管理しなければならない状況にある。MacのOSXでは、管理体制が簡便化できるメリットがある。NetBootを持たないネットワークシステムでは管理がとても大変。初等、中等教育の現場では、システムフォルダをごみ箱に捨てる児童、生徒が必ずいる。そうなってもNetBootがちゃんと機能していれば復旧になんら問題がない。
 
 
 
【あまりに美しいG5】  (2004.06.06)
 PowerMacG5がリリースされた時の衝撃はすごいものでした。今までにこれほど美しいパソコンがあったでしょうか。その美しさは機能美による究極的なものに思えました。多くのパソコンメーカが激しい価格競争の中で戦っているのに対して、PowerMac G5 は次元を超えた提案をしています。車で例えるならば欧州の高級スポーツカーを彷佛させる機能美を備えたデザインです。整然と並んだ内部部品のレイアウトは微塵の妥協も見られず、冷却用の空気の流れのレイアウトからきれいな基盤のレイアウトに至るまで内部回路の信頼性の高さを伺い知ることができます。他のパソコンでこれほどきれいな内部レイアウトを持ったものが他にあるでしょうか。多くのパソコンは、出来合いのマザーボードと電源ユニットを仕入れて規格のハードディスクやCD機器を組み入れるため内部は雑然としていて電源ケーブルや信号ケーブルが空中を飛び交っています。ボードの取り付けも立て付けの悪い建て具のようにガタがあります。そうした安価なパソコンに対し、PowerMac G5 は、あきらかに総合的なデザインを煮詰めてパッケージングされています。マッキントッシュは以前からデザインに秀逸なものを多く世に出してきました。今回のG5は、その集大成とも言うべきとてもすばらしいデザインをしています。過日、大手電機メーカの研究所エンジニアと仕事を共にした時、このパソコンのデザイン(工業デザイン)の秀逸性に「見事だ!」と言っていました。彼は、もちろん公私に渡ってWindowsユーザです。また、デザインの秀逸さも見事ながら、その使い勝手も注目に値します。
  
あまりに美しいPowerMac G5
 
 このパソコンを見た時、パソコンも量から質へ変わるのではないか、と思いました。ただ単に安価なもの、むちゃくちゃに高速なモンスターマシンという路線とは一線を画した、持つ喜び、使う喜びを与えてくれるマシンのような気がします。Macのデスクトップの使い勝手は定評のあるところです。こうしたハード、ソフト両面で優れた製品を出しているマックは今後もパソコン業界の中で面白い位置を築いて行くように思います。たとえトップシェアにならなくても、こうしたマシンの良さを認めて、使う喜びを感じていく人たちに愛されながら歩んで行くものと思います。
 私は、まだこのマシンを持つ余裕がありませんが、ゆくゆくは持ってみたいと思っています。
 
【Macにインテル社製CoreDuoプロセッサ搭載】 (2007.02.11)(2008.05.25追記)
 マックは、開発当初からCPUに米国モトローラ社・IBM社製のものを使ってきました。それを2006年にインテル社製のものに切り替えました。インテル社製のCPUは、Windowsパソコンにあまねく使用されているCPUです。このCPUの採用により、マッキントッシュはWindows OS環境で使用できるようになりました。私が今までWindows とマックの2種類のパソコンを絶えず持ち歩いていたのが、IntelMac(いんてるまっく)を使えば1台ですむようになるのです。これはすごい画期的なことです。2002年にカナダに仕事で出張に行った時、現地の関連会社の人が2つのコンピュータを持ってやって来た私を見て失笑していたのを思い出します。私にとっては真剣なことだったのですけど。これは、2007年の渡米の時も2つのコンピュータを持って行きました。そうした苦労が、今後はなくなると思うとちょっとうれしい気がします。
 
 
 
  
 
 

 
 
 
 
 ■ マック遍歴
☆1993年4月
小遣いをはたいてMacintosh LCIIIを購入しました。68030CPU25MHz、4MBRAM、80MHDD、System7.1でした。カテナで購入しました。幼い長男(当時、小学校5年)が喜んで、二人で15枚もあるフロッピーを入れ入れしてシステムを立ち上げました。彼は、キッドピクスがお気に入りで、誰に教わるともなく絵を描きスライドショーにしてそれに音声を入れて紙芝居を作っていました。しかし、4MBのRAMはシステムを立ち上げるだけで精一杯で、仮想ディスクをONにしてもアプリケーションが開いている間中ハードディスクがうなりっぱなしでした。RAMメモリが大事なことを勉強しました。1ヶ月後に秋葉原のディスカウントショップ「ステップ」で8MBのメモリを¥30,000で購入しました。12MBのRAMになったLCIIIはストレスなく動くようになりました。80MBのHDはすぐパンク状態になりHDDを物色していたとき、六本木「ステップ」のオープン記念で「Quantumの240MBが¥40,000」の広告が出され、行列を作って買いました。このハードディスクをパーティションで2つに分け120MBずつにして大事に使いました。
 
☆1994年4月
会社にMacを置く必要上、Color ClassicII(RAM8MB、HDD160MB)を購入しました。T-zone 秋葉原で¥109,000でした。会社でNEC9801とTOSWORD、自宅でマックと分割して仕事をしていましたが、マックの方が効率が良いため会社にマックを置くことを決めました。机に大きなマックを置くスペースがなかったことと、お金がなかったためにColor ClassicIIを買いました。RAMを買う金がなかったのでRAM Doublerを使いました。HDも小容量だったのでAutoDoublerというソフトで見かけの容量を大きくして使用しました。これで、NEC9801とTOSWORDにサヨナラとなりました。
 
☆1994年12月
PowerBook Duo230を購入しました。六本木ステップで¥114,000を出して購入しました。会社と自宅のコンピュータ内のデータをフロッピーに収録して往復していましたがデータ容量が大きくなり、往復に必要なフロッピーも3枚になりました。また、データベースのデータが1MBを超えるようになりフロッピーでは取り扱いが難しくなりました。当時、230MB容量のMO(光磁気記録装置)が出始めていた時期で、ドライブ装置の価格が¥150,000前後、メディアが1枚¥5,000程度しました。2台購入することはできないので、モバイルができる軽いPowerBookを物色してDuoを買うことに決めました。このDuoを使って、会社のデータと自宅のデータを「Synchronize」というアプリケーションソフトで更新させ機動性を高めました。このDuoには、モデムが内蔵されていてFAX通信することができました。Niftyに加入してソフトをダウンロードしたり、出張先からFAXを送信したり、海外からFAXを送ったりしました。
 Duoは、大きな病気を2回しています。1回目は、保証期間中の1995年7月でディスプレー画面が乱れてしまう、コントラスト・明るさ調整ができない、キーボードがヘタる不具合でした。六本木Stepに持ち込み無償で修理してもらいました。修理に1ヶ月かかりました。ちなみに、六本木Stepは翌月の8月に店をたたみ、翌年9月にはStep自体が倒産してしまいました。Duoは、2回目も同じ不具合が起こりました。1997年5月の米国出張を終え日本に帰り、イギリスに向かおうとしていた矢先でした。実は、この不具合はDuo230の持病ともいえるもので、ディスプレーのフレキシブルケーブルがちょうど手でつかむ箇所に配線されているため、持ち運ぶ際に裏板がケーブルを圧迫して断線してしまうというものでした。この不具合は何度も再発していて保証期間が過ぎた後は、自分で裏蓋を開けて配線し直したり、補強を行っていました。今度はこれに加え、明るさが調整不能になり真っ白な画面しか表示されなくなりました。修理代¥60〜¥70,000を払うのが得策か新しいのを買うのが得策かを考え、製造中止直後で値段の下がったDuo2300Cを中古で買うことにしました。
 
☆1995年8月
Power Macintosh 6100/66を購入しました。アプリケーションがどんどん大きくなり非力な68KのCPUでは苦しい状況が出てきました。夏休みに秋葉原に日参しPower Macを物色して歩きました。最終的にLAOXザ・コンピュータMAC館でPower Macintosh 6100/66、16MBRAM、350MBHDDを¥190,000で購入しました。1995年の夏休みはPowerMacの立ち上げで暮れました。PowerMacの威力はすごくアプリケーションや検索、ドキュメントのローミングを目の覚めるような速さで展開してくれました。お金がなかったのでモニタは13インチのモニタをそのまま使いました。LCIII本体は、行く先が決まらず休眠したままになっています。HDDとRAM、イーサネットを追加装備してサーバーとして使おうかとも考えています、が、投資がそこまで回っていません。
 
☆1997年2月
Performa5440を購入しました。ひょんなことから家庭内で特別予算が計上されコンピュータが買えるメドが立ちました。会社で使っているColor ClassicIIをPowerMacにしたかったので、Color ClassicIIを会社のお嬢さんに使ってもらって(ワープロ代わりなら十分に使えるし、ネットワーク環境でも十分に頑張っている)自宅のPower Macintosh 6100/66を会社に持っていき、自宅にはPerforma5440を設置しました。購入先は、ビックカメラ池袋で¥330,000でした。16MBRAM HD1.6GB/180/8XCD/TV/Expressモデム、2次キャッシュメモリ、32MBRAM追加仕様でした。
 
☆1997年6月
前にも話したとおりDuo230が壊れたのでMacintosh Power Book 2300C(20MB RAM、1.1GB HDD、Modem)を購入しました。秋葉原ソフマップの中古ショップで¥196,000でした。これですべてコンピュータをPowerPC化しました。
 
☆1999年3月
1998年は、G3マックの発売とiMacのブレークで明け暮れました。この間、何度か新しいMacを購入しようと秋葉原、池袋に足繁く足を運びましたが、新しい機種の購入には至りませんでした。その代わり、35mmフィルムスキャナー装置(OLYMPUS)を買ったり、会社のMac(6100/66)にメモリを増設したり(44MBから74M)、家のPerforma5440のメモリを増設(48MBから104MB)しました。家のPerformaでインターネット(Netscape Navigator)を立ち上げ、ホームページソフト(クラリスホームページ3.0)を立ち上げ、Fetchでファイル転送すると、メモリがアップアップになりました。そこで64MBのDIMMメモリを¥18,000で購入しました。
 
☆1999年7月
会社もマックを公費で導入できる環境ができてiMacを購入できました。そのお陰で別の人が使っていたUMAX社のマック互換機を使えることになりました。333MHzのG3で動くiMacに比べて鈍いことは否めませんがSCSIのアクセサリーを持っている私には十分でした。このマシンはPowerPC200MHzで動きOS8.6を積んでいます。憧れの17インチモニタも確保できて作業スペース(モニタ上の)も拡がって快適になりました。今まで使っていたPower Macintosh 6100/66は自宅に持って帰り次男(中学2年)が使い始めました。自宅のコンピュータ(Performa5440)、PowerBook Duo2300cのOSは7.6.1のままでした。理由は、このOSの方が軽くてCPUに負担をかけないことと、今まで使っているNowUtilitiesがOS7.6.1までのサポートで倒産してしまったのでアップバージョンできないためです。NowUtilitiesはActionFileに全ての機能を移したとアナウンスしていたので買い求めたのですが結果は期待はずれでした。
 
【BeHierarchic】
 NowUtilitiesに代わるOS8.6のメニューユーティリティとして、知り合いに紹介してもらった「BeHierarchic3.1J3」を入れて試験運用を始めました。使い勝手も徐々になれ、これなら家のコンピュータにも使えるな、という感触を得ました。
 なぜ、私がメニューユーティリティに固執するかというと、マックでいろんなファイルを開いて作業をするときお目当てのファイルを即座に開きたいという欲求があり、NowUtilities以外この欲求を満足してくれるものがなかったのです。
 OS8.6も標準でアップルメニューの階層化表示をしてくれるのですが表示は名前だけでアイコン表示がなされない。アイコンというのは非常に認識がしやすく、アイコンでメニュー表示されるのとされないのでは3倍くらいのアクセス時間が違ってきます。これを1日何十回となくやるわけですから、メニューユーティリティにこだわる理由がわかってもらえると思います。
 「BeHierarchic3.1J3」は、アップルメニューのみを階層化アイコン表示するユーティリティです。NowUtilitesは4箇所程度ボタンを設定でき、それぞれに階層化アイコン表示ができたし、独自にショートカットが作れ、アプリケーションの「ファイル」→「開く」では使用したファイルを表示してくれるという優れものでした。(1999.8)
 
【Action Utilities】
2000年2月に待望のAction Utilitiesを入手しました。これは、Now Utilities の流れをくむユーティリティソフトウェアで、MacOS9まで対応したものです。PowerON社というところが開発してact2(アクト・ツー)という会社が販売しています。このユーティリティは、ほしいアプリケーションやデータファイルをメニューバーから快適にアクセスできるものです。メニューバーへの登録や削除も簡単にできるようになりました。これを使うようになってBeHierarchicは使わなくなりました。(2000.04)
 
☆2000年2月
PowerBook2400c/240を友人から購入しました。80MBRAM、2GBHDD、イーサネット、56Kbpsアナログモデムカードがついたもので¥160,000で譲り受けました。PowerBookは3台目です。それまで使っていたPowerBook Duo2300cのモデムが昨年より全く機能しなくなり、修理を見積もってもらったところ¥60,000程度かかると言われました。Duoはアップルトークしかインターフェースがなく、イーサネット対応が強く望まれ、それに加えて外出先で電子メールがとれるノートブックが欲しかったのです。
買い換えるノートブックパソコンの条件は、現状のDuoの大きさと重さであること。SCSIかイーサネット通信ができることでした。アップルからは小型のPowerBookが出そうもないとわかった時点で、小型で人気のあるPowerBook2400cを中古で購入することにしました。運良く、会社の友人がPowerBook2400cを譲っても良いと言ってくれたので譲り受けました。
DocoMoの携帯を使って電子メールをするために、TDKのDP9628というPCカードを¥12,000で購入しました。これで、イーサネット環境、アナログモデム環境、携帯電話による電子メール環境が可能になりました。(2000.04)
 
☆修理
 Duo230の故障修理は上に述べたとおりです。このほかにPowerMac6100は電源故障を2回起こしています。1回目は1997年6月、私が長期出張中で会社を留守にして、部内の女子社員がデータをアップデートしてくれていたとき電源が入らなくなったのです。1年前にも甥のQuadraの電源も入らなくなり電源部を¥30,000で交換したことがあります。1994年頃のMacは、電源部が弱い欠点があるようです。修理は通常は1ヶ月程度かかるものですが、私が懇意にしているNCR クイックガレージは在庫を豊富に持っていて機材を持ち込めばその場で直してくれます。私は池袋のNCR(正確には大塚)にMacを持ち込み30分程度で直してもらいました。費用は¥33,000程度と記憶しています。同時期にPerformaのSCSIがつながらなくなりロジックボードの不良が起きました。これは1年以内だったため無料で交換してもらいました。修理は同じNCR池袋で行いました。電源を修理したPowerMac6100は2ヶ月後の9月に同じ電源部の故障を引き起こしました。これは3ヶ月以内だったので無償再修理で即座に直してくれました。
 
 とまあこういうわけで、故障は無いに越したことはありませんが、人間の体と同じようにいつ何時起きるかわからないので、NCRさんの即日修理は非常に助かっています。
自宅でコンピュータに向かうわたし(1997)
 
 愛機(上の写真)は、1997年1月に購入したPerforma5440。
会社にPower Mac6100/66があり、その往復をDuo2300c
(写真上部のおっかなげに乗っかっているもの)が取り持っています。
データは「Synchronize」と呼ばれるシェアウェアでAppleTalkを介して
2台のコンピュータのデータフォルダをスキャニングし、
更新しているデータを相互にアップデートします。
これにより、会社と自宅とモバイル(出張先)のどこでも
仕事ができる環境が整いました。
 
【Duo230&2300c】
 しかし最近(1998年)は、Duoを出張で持ち出さない限り、家庭と会社のデータ互換は、MOで行っています。Duo2300C PowerBookはAppletalkのシリアル回線しかないため、20MBに及ぶデータアップデートでは20-30分かかってしまうので、よほどのことがない限り230MBのMO(光磁気ディスク)に「Synchronize!」でアップデートしています。メールデータ、住所データ、データベースなど一つ一つが2-4MBの容量になっているため毎日20MB程度をアップデートしなければなりません。
 Duo2300cは、1997.6月に中古を購入しました。それまで使っていたDuo230がディスプレー問題の持病を再発し、ヨーロッパ出張の激務に耐えられそうもなくなったため急きょ購入したものです。Duo230は、現役に戻ることもなく、隠居生活を送り、最後は廃棄しました。
 1999年の暮れには、Duo2300cもモデムのトラブルに見舞われ、修理にかなりのコストがかかるとわかった時点で、イーサネット、携帯モデムカードをつけたPowerBook2400c/240に代えました。
 
【修理 - Perfoma5440】
 2000年6月にPerforma5440のCRT電源がぶっ飛びました。半年前よりその兆候があり本体から時折バチッという異常なスパイク音が聞こえてそのたびに画面が消えていました。
いずれ修理しなくては、と思いながら使い続け4月頃から頻繁(2時間に一回程度)おきるようになり、6月に最後のスパイク音を発してCRTの画面が消えました。
 池袋のNCRクイックガレージに電話したところ電源交換、システムチェック等を含めて80,000円から90,000程度かかるだろうと言われました。ゆくゆくは新しいG3マックにしようと考えていたのでそこまでの投資はしたくないと思い、秋葉原へ出かけていきPerforma5440用のの電源モジュールを探し歩きました。電源は10,000円から15,000円程度で出回っていましたがPerforma用のものはないようでした。
 仕方なく、マックの中古屋でPerformaの同じ外観で安いモデルを買ってきてCRTと電源だけを取り出すことにしました。基板とハードディスク、CD、RAM、テレビチューナー、外観は今のまま使い、電源とCRTを入れ替えるというものです。この中古品は20,000円でした。うまくいくかどうか不安だったのですが、なんとか修復でき現在は何事もなかったように動いています。(2000.12.11)
 この修理は功を奏したようで、2003.02月にPowerMac G4を購入するまで何事も問題なかったように働いてくれました。
 
修理 - PowerBook2400c/240】
 携帯用のノートブックパソコンっていうのはどのメーカでもそうでしょうが不具合の出る可能性が高いものだとつくづく感じます。このパソコンも1年でディスプレイ画面のカラー表示がおかしくなりました。接触不良によって画面のある部分の色表示がおかしくなるのです。ディスプレイ部の左端中央部を抑えると正常な表示に戻るのでコンピュータを持ち運んでいる際に内部の配線部に接触不良が起きたと考えられます。そのうち画面が見えなくなってしまうでしょう。アップルは、このノートブックコンピュータの対面修理を受け付けなくなったと言っていますからゆくゆくはPowerBookG4チタンでも購入しなければならないのでしょうか。
 コンピュータライフはお金のかかるものだとつくづく思い知らされます。(2001.02.25)
 
修理 - iBook】  (2009.11.04追記)
 2003.07月、小さなマックが発売されたので、iBOOK12.1"を購入しました。携帯パソコンは壊れやすいので、AppleCare(3年)に入会しました。保険料は30,000円。主に液晶画面とハードディスクメモリが一番心配する所です。保険料が高いか安いかは別にして、保険がないと7万円ほどの修理代を確保しておかなければならないので敢えて加入しました。
 このiBookは丈夫で2006年3月までの間の約3年間故障知らずでした。保険に入ったらノントラブルになりました。
 
 このコンピュータは、2006年に新しいノートパソコンを買ったため、一線を引退して、カミサンが家庭で使うものになりました。3年の間動いていましたが、2009年9月、突然パソコンが立ち上がらなくなりました。電源を入れてもまったく反応しなくなったのです。修復ソフトでインストールしようとしてもHDDを認識しなくなり、HDDが壊れたかと思いました。しかし、修復ソフトはDRAMがおかしいという診断をしました。別の診断ソフトではどこも異常がないと言います。そうこうするうちになんとかOSを再インストールでき、動くようになりました。しかし、1ヶ月後の2009年10月に、再び異常を訴えだしてシステムが立ち上がらなくなりました。電源を入れるとシステムエラーがでてしまうのです。診断ソフトはシステムもDRAMも異常はないと言います。しかし、今までの経緯を見ていると、おそらくDRAMが壊れたものと疑わざるを得ない状況でした。
 2009月11月初旬に、SO-DIMM(256MBのDRAM)を取り外して、システムについている128MBだけでOSをインストールしました。そうしたら正常にインストールできました。これで256MBのDRAMが壊れていることは明白となりました。128MBのままでは動きが遅くOSもTiger(Mac OSX 10.4)にアップグレードできないので、512MBのSO-DIMMを購入して取り付けました。2009年11月現在、2GBのDRAMが5,000円程度で買える時代に、512MBのRAMはなんと30,000円もしました。新しいマックを買った方が良いのではないかと思えるほどでした。512MBを実装してシステムの128MBを加えて640MBとなったiBookは、快適に立ち上がりTigerも難なくインストールしていき、動きも買った時よりきびきびしているように感じました。
 購入6年も経ったiBookになぜこだわるかと言うと、このパソコンは常時居間に置いてあり、AirMacで無線LANがつながって、居間で家族と談笑するときにちょっとした調べ物をする際、GoogleやYahooにアクセスするのに便利だからです。カミさんは、このパソコンにiPodを接続して音楽をダウンロードしています。 (2009.11.04記)
 
【修理 - PowerBookG4】
 先のiBookが3年で保険が切れるので2006.03にPowerbookG4にしました。これにもアップルケア(3年)に加入しました。このパソコンも3年経ちますがノントラブルです。購入して半年後の2006年11月にソニー製バッテリの不具合で新しいバッテリに無償交換しました。  (2007.01.03)
 2009年6月にバッテリの消耗が激しく、フル充電で30分しか保たなくなたので新しいバッテリを購入しました。(2009.11記)
 
 
 妻は、ファイルメーカProで作った私の手製の家計簿を愛用してくれています。子供たちは、ビデオプレーヤで表示されるテレビマンガをスクリーンショットして悦に入っています(これは1998年までの話)。しかし、Macにあるゲームは、残念ながらPlaystationの敵とはならないようで、現在は目もくれぬ存在となりました(2000年までの話)。
 現在(2007年)では、上の息子はテレビと兼用のテレビチューナーのついたWindowsXPのデスクトップパソコン、下の息子はWindowsXPのVAIOを愛用していますが、Playstationは相変わらずお気に入りで、パソコンの使用率はそれほど高くありません。VAIOにもスーパーファミコンのエミュレーションソフトやプレイステーションのエミュレーションソフトがあるようで、これにUSB経由でプレイステーションの操作キーを接続して昔のソフトをパソコン上で楽しんでいるようです。
 
☆2003年2月
 
【PowerMac G4 Dual 1GHz】
 PowerMacG4Dual1GHzを購入しました。このマックは、PowerPC G4プロセッサ1GHz を2基搭載したモデルです。主な仕様は、768MB DRAM、80GB HDD x 2基、1Gイーサネット、USB、DVD-RAM、17インチアップルStudio(1280x1024)で、ソフトウェアを含めて、約¥500,000で購入しました。Performa5440を購入してから6年が経っています。この間、何度か新しいマックを買おうとして果たせず、6年経った2003年にやっと重い腰をあげました。環境を整備して、それがそこそこ動いていると、なかなかシステムを変えたくないものです。しかし、このパソコンもOSがかなり古くなり、時代についていけなくなり、文書を保存するHDDのメモリも50MBまでになってしまって、やっと購入する気になりました。今度のマックは6年前のマックと違ってあらゆる意味で異次元です。その違いを大まかに述べますと、
 
  1. ハードディスクのメモリが、160GB
  2. RAMメモリが256MB。2003年5月に買い足して現在は768MB。2004年には1.75GB。
  3. OSがUNIXベースのMacOSX - マルチタスク
  4. USB内蔵 - 使い勝手の良いインターフェース
  5. DVD-R、CD-R/W - 大容量のバックアップメディア
  6. ネットワーク - Windowsマシンと接続できる
  7. 液晶ディスプレーが大型できれい
  8. iTune、iPhotoなど使いやすいソフトウェアが同梱
 
と、かなり高性能になりました。OSが新しくなって馴れるのにちょっと時間がかかりました。馴れれば、新しいOSも使いやすいものです。システムが安定しているのでフリーズすることがなくなりました。ただ、購入当時は、RAMメモリを256MBしか搭載していなくて、これでOS9の古いOSを同時に立ち上げるとメモリをたくさん食ってコンピュータが遅くなることに気づきました。それで、購入後2ヶ月後にメモリを512MB足して、合計768MBとしました。1年後には、さらに付け足して1.75GBとしました。(32ビットCPUでは、アドレス空間の関係上2GBのメモリが限界だそうですね。)
 キーボードもマウスも、USB対応になって旧タイプ(ADB)のものが使えなくなりました。変換アダプタを使えば、旧タイプのキーボードとマウスが使えますが、CDトレーの取り出しやモニタ画面の明るさ調整など、USBの純正キーボードでないと行えない機能が古いキーボードでは使えないため、10年間馴染んだADBキーボードを諦めざるを得ませんでした。
 マウスは、ずっと、KensingtonのThinking Mouseを使ってきてとても気に入っていたので、なんとか使えないかといろいろ試みました。しかし、結局、USB対応のKenthington Mouse in a BOXを購入しました。2,500円程度で安価になったので、古いマウス(ADBタイプ)を使うよりシステムが安定すると考えたのです。もっとも、ケンシントンは、今まで使ってきた古いタイプのThinking Mouseでは、新しいOSX対応はしていないので、新しいものを買わざるを得ないという事情もありました。このマウスは、オプティカルマウスではなくて、ボールタイプですが、実に使いやすいので、仕事場と、iBOOK用、それに息子のWindows用に同じものを合計4個買いました。オプティカルマウスは、カーソル飛びが頻繁に起きてしっくり来ないので、安定したボールタイプのマウスを選びました。
安藤家の新時代Macシステム - PowerMac G4 Dual 1GHz と iBOOK 12.1"
マウスは、Kensington。
 
☆2003年5月
iBOOKを購入しました。3代目のPoweBook2400c/2400がいよいよ調子悪く、液晶画面の色合いがおかしくなり(マックのパワーブックは3代ともすべて液晶画面がおかしくなった)、ハードディスクメモリもなくなり、母艦(PowerMac G4)がすごいデータ容量を保存しだして、携帯パソコンがそれについていけなくなったからです。iBOOKは、一番小さいものを選びました。
 iBOOKは、CPUがG3で900MHzのクロックを持つ12.1インチ液晶(TFT XGA、1024x768、1670万色)のものです。購入は、ビックカメラ有楽町店で購入しました。
 384MB DRAM、40GB HDD、コンボドライブ(DVD-ROM/CD-RW)が装備されています。液晶画面は、PowerMacG4のアップルStudioに比べると視認性や視角の点でかなり見劣りしますが、携帯性が良いのと安価なのでこれで良しとすべきでしょう。
 
iBOOKには小さなスピーカが二つ標準装備されている。さすがマック。(左)
iBOOKのコネクタ類 左から100Baseイーサネット、IEEE1394、USB x2 、VGAモニタ端子、イヤホン端子 (右)
 
  
アイデアいっぱいのiBOOKのバッテリシステム。 充電中に光るバッテリ端子。充電が完了すると発光の色が変わる。(左)
バッテリは、リチウムイオン電池。
ボタンを押すと緑のLEDでバッテリ残量がチェックできる。
バッテリを外す時は、左のロックを解除する。(右)
 
☆2005年5月
4月29日にOSが10.4になりました(Mac OSX ver.10.4 Tiger)。午後6時の販売開始を待って買いに行き、それをMac G4とiBookに入れました。新しいOSXの特徴はすべてに渡って快速になり、さくさく動くようになりました。『spotlight』という機能はフォルダ名だけでなく、ファイルの中身まで検索して表示してくれるもので、このバージョンになってようやくまともに機能するようになりました。7年間も待ち続けていた機能です。OS8の時代にシャーロックという機能であらわれたフォルダ内の内容検索でしたが、発表された当時は動きが遅く検索ファイルを作るのにすごく時間がかかって実用とは程遠い内容でした。昔のバージョンは、一昼夜かけて検索データを保存してたのですが途中でエラーが出ることがしばしばで2、3回トライして止めてしまいました。今回のものはデータを作るのに小一時間でできました。スポットライトの威力は強烈で、検索内容を瞬時に読み出してくれます。それも縦横無人に日付けから複数内容からアプリケーションの指定まで自由です。iPodの成功にデータの検索ソフトがすばらしいことがあげられていますが、そのアルゴリズムが活かされているのかも知れません。
 アップルが手掛けてきたインターネットのブラウザソフト『Safari』も格段に良くなってサクサク動いていました。特に大きな不具合もなく完成度の高さを感じさせます。
 困ったことといえば、テレビチューナが今回のOSに対応していなくてマックでテレビが見られなくなったことです。TVチューナの製造元のPixela社のwebサイトに行って確認した所、新しいOSに対応してないとのことでした。今回のOSはマイナーなバージョンアップだと思っていたのに残念でした。
 
☆2006年3月   (2006.04.03記)
12インチPowerBOOKG4 を購入しました。5代目になります。4代目のノートパソコンであるiBookのハードディスクが30GBであったため容量不足になりました。それに加え、iBookのCPUに限界があり操作上とても遅いことを痛感していました。アップルケアが切れる3年をメドに新しいノートパソコンを購入することを決めていましたので、迷いなく新しいパソコンを購入しました。今度のノートパソコンも携行性を重視して、重量が2kg程度におさえられるようにして、かつ高性能なものを物色しました。今回は、PowerBookに非常にコンパクトなものがあったのでそれにしました。今まで使っていたiBookよりもひと回り小さい感じです。重さも軽く(2.1kg)なりました。
 今回購入したPowerBookG4は、CPUが1.5GHzのPowerPCG4でRAMメモリは1.25GBにしています。ハードディスクは74GBとなり一息つけるようになりました。DVDもiBookではRAM(記録機能)がなかったのに今回はDVDに記録できる8倍速スーパードライブ(DVD+/-RW)になりDVDにデータを焼けるようになりました。また、USBが2.0となりました。仕事上で計測カメラが接続できるようになりました。バッテリもリチウムイオンバッテリで50Whで5時間の連続稼動が可能になりました。
 先日広島へ出張したときにはそのパワフルなバッテリを実感しました。画面は12インチなので1024x768画素と若干不満はあるものの、携行性を考えれば我慢すべきものだと考えます
 
▲移植性の簡便さとすばらしさ
 新しいパソコンを買うと、従来のパソコンのデータやアプリケーションソフトを移植し直さなければならない煩わしさに直面します。今回、PowerBookG4を買ってびっくりしたのは、移植の簡便さでした。今までのiBookをFireWire(IEEE1394)で接続し、電源投入時「T」を押し続けると外部デバイスとなって、新しいPowerBookが従来のソフトやデータをそのままコピーしてくれて、スムーズに移行を果たしてくれました。データ移植に要した時間は約1時間、iTunesの音楽データを含めた30GBのデータをそっくり移植してくれて、OfficeやFileMaker、Acrobatなどのアプリケーションソフトもちゃんと移植してくれました。パスワードやインストールキーなどを再度入れ直すこともなく新しいPowerBookが動いたのは感激でした。1日得した気分でした。
 
▲表示デバイスの拡がり
 先のiBookは、プレゼンテーションなどで液晶プロジェクタに接続すると、800x600画素での表示しか設定できませんでした。昨今のプレゼンテーションでは、これでは不満でせめて1024x764画素は欲しくいろいろな講演会では、仕方なくWindowsのDell D600を持って行っていました。今回のPowerBookG4は、仮想画像メモリが大きく設定されていて、自分の液晶画面とは別に、表示デバイス用の画像エリアがあって外部出力装置に表示できる機能がありました。外部出力は1280x1024画素表示ができて、かつ自らの画面では別の表示ができる2画面機能が備わっています。この機能はけっこう便利で、補助モニタを接続して二つの画面で仕事ができるというメリットが出てきます。この機能は予期していなかったものだけにちょっとうれしくなりました。
☆2008年5月   (2008.07.03記)(2008.08.08追記)
Mac OS の新しいバージョンLeopard(OSX 10.5.1)を導入しました。しかし、従来使っているソフトウェアが完全移管できるかどうか不安だったので、PowerMac G4 Dual コンピュータのデスクの1つに新しいOSを入れ、別のデスクには、旧来のOSを残すことにしました。同時に、アップルのTimeCapsuleという1テラバイトのハードディスクと無線LANを備えた装置を購入しました。
 
【コンピュータの故障】
 デスクトップ(PowerMac G4 Dual )は6年目を迎えていて、買い換えの時期なのに、移植がわずらわしくてなかなか重い腰が上がらなかった矢先、OSをインストール中にコンピュータにトラブルが発生しだしました。
 
  --- システムがフリーズし出したのです ---
 
もともと、Mac OSXはマルチタスクでアプリケーションが落ちてもシステムまでフリーズしない頑強な作りが売りだったはずです。購入から今に至るまで故障らしい故障は起こしたことがなく、デスクトップには絶大なる信頼を寄せていました。それが、マックを操作中に突然フリーズして全く動かなくなったのです。
故障原因を調べるために、マックに接続しているPCIボードを外して、システムをインストールし直して原因を追及していきました。困ったことは、システムは古いOSはなんとかインストールできるものの、新しいLeopardでは最後までインストールできずに、途中でフリーズしてしまうことでした。アップルに相談したところ、マザーボードに重大な障害があるだろうという結論になり、修理に出すことにしました。修理を止めて、新しいマックに移し替えるには、これまで使ってきたソフトウェアと、新しいOS(Leopard)の適合性が十分になされていないことがわかっていて、不安だったからです。修理代金は、一律51,400円とのことでした。
修理から上がってきたMacは、軽快になりました。故障の原因は、CPUの故障ということでCPUが交換されていました。後、電源部も異常が見つかったため、交換されました。このマックは、6年目を迎えハードディスクのメモリが一杯になっているため、新しいマックに交換するのは時間の問題となっています。ですが、当面(あと1年くらいか)一緒に仕事をしてくれるものと思っています。
 
 
 
 
 

 
 
 
■ 我が家にWindows  (2000.12.11)(2004.08.05追記)
 
 
■ SONY VAIO XR PCG-XR1E/BP (2000.08)
 我が家にも、Windowsの波が押し寄せて、DOS/Vパソコンが初めてやってきました。2000年8月、買ったのは、SONYのVAIOシリーズのノートブックパソコンで、XRシリーズのPCG-XR1E/BPと呼ばれるものです。我が家が購入したVAIOは、XRシリーズの中のエントリーモデルです。
 私自身は、Windowsにそれほど興味がなかったのですが、下の息子が学校のクラブ活動のレポートに使いたいと言いだし(今までPower Macintosh 6100を使っていたのですが、スピードが遅くてWORDがうまく走らず、レポートを持っていっても彼らの知識では十分にマージできないらしかったのです)、学校の試験の成績がそこそこ良かったら購入しようと約束したのです。
 我が家にも1台くらいWindowsがあっても良いだろうという判断もありました。また、どうせ成績など良くはならないだろうと高を括(たかをくく)っていたのですが、結構頑張ったみたいで「良かったよ」と暗に催促をされました。大人が約束を破らないのは小さいときから嫌というほど体験してきましたから、約束は守ってやろう、ということで8月に購入に踏み切りました。
 コンピュータは、彼の大好きなソニーブランドから選ぶことにしました。私はソニーを買うなら持ち運びに便利な小さなノートブックC1シリーズを買って、家で使う時は別途15インチの液晶モニタをあつらえて使おうと思ってましたが、息子が大きな画面の持ち運びできるノートブックがいい、少々重くても持っていくから、と主張しました。それにDVDが見られるものがほしい、という要求を出してきて結局そうしたものを加味するとXRシリーズのノートブックが最適という結論になりました。ただXRはかなり本格的なノートブックで高価なので、エントリーモデルのIntelのCeleronプロセッサー500MHzを搭載したものにしました。他の上位機種は、Pentium III 600MHzなのですが息子が使用するにはCeleronで十分なような気がしたのです。どうも息子は旅先(クラブ活動が旅行をするクラブ)でDVDを見るのが狙いだったようです。
 XRシリーズはマルチパーパスベイとよばれる大型スロットを装備していて、そこにCD-Rやハードディスク、フロッピードライブを挿入できるようになっています。そのベイにDVDドライブを入れようといろいろさがしたのですが専用のものが完売してしまい、何故か販売予定も当面無いということだったので、PCMCIAカード式で電源をカードから取るモバイル用のDVD(アイ・オーデータ製)を40,000円くらいで買いました。(高いですね。今ではDVDなんてCD並みに当たり前に付いていますが当時は、40,000円もした。2004.10記)
XRには、このほか128MBのRAMとイーサネットカード、USBマウス、キャリングポーチをアクセサリーとして購入しました。128MBのRAMメモリは10,000円程度だろうと思っていたのですが34,000円もしてビックリでした。なんやかやで40万円くらいの出費になってしまいました。
 彼はこのコンピュータを主にゲーム(スーパーファミコンのエミュレータ)、音楽管理、電子メール、レポート作成、DVD鑑賞に使っているようです。最近は自分でYAMAHAのXGWorksという音楽作成ソフトを購入して音譜を打ち込んでいます。スーパーファミコンのエミュレータゲームのファイナルファンタジIVの体感速度はスーパーファミコンとほぼ同じとか。
 私は、さっそく、ロバートレッドフォードの「モンタナの風に抱かれて」というDVD映画を買って見ました。しかし、液晶画面は見づらい。輝度に指向性があるので本格的な表示装置としてはまだまだCRTが残るんだろうな、って思ってます。(と思っていたら、あれよあれよという間に液晶の画面が良くなって今では主流が液晶になってしまいました。視認性もほんと良くなりました。2004.10記)
 2004年04月、息子のパソコンをWindowsXPに入れ替えました。パソコンショップでWindowsXPのOSを購入し、ソニーのサイトでバージョンアップドライバーをダウンロードしました。内蔵ハードディスクドライブも20GBのものに入れ替えました。意外と快適に動いています。CPUが遅いので最新のPentium4に比べると若干もたつく感じがありますが、大所において動いています。
 
■ ネットワーク (2000.12)
 ネットワークは、VAIOのPCMCIAのカードスロットルに100BaseのLANカードを差し込んでISDNのルーターにイーサネット接続しています。このルーターには Macintosh も接続しているので、VAIOの方にPCMACLanというソフトを入れて Macintosh とのファイルの共用をおこなっています。VAIOの方から共有設定されたマックのフォルダを見ることができるので共有できるファイルはネットワークを経由して送受信をしています。
プリンタがマック用しかなくて、VAIOからプリンタ共有経由で出力できるかどうか試験していますが今現在うまく接続できません。
ゆくゆくはUSB対応のプリンタを買ってマックもG4を購入して共有しようと考えています。(2000.12)
これは、2002年の9月に実現しました。USB接続のマルチプリンタ(Brother MFC-5100J)を購入してマックとWindowsに接続しています。このプリンタはすぐれもので、FAX、コピー、プリンタ、スキャナができしかもマックとWindowsの両方が使えると言うものです。1台4役のMac/Win両刀使いはBrotherだけです。このマシンは大活躍です。(2004.10.06記)
 2003年07月、家庭内をADSLのインターネットにして、100BaseでマックとWindowsが繋がれています。
 2004年04月、自宅にAirMacを導入し無線LANを構築しました。Windowsには無線LANカードを入れて無線通信に対応しました。
 
■ Dell Latitude Inspiron5150 (2004.08.05)
 2004年8月、息子のバイオが故障してしまい、修理代が高くつきそうで修理しても現在の安価なパソコンの性能に追い付かないという判断から、デルのノートパソコンを買いました。デルにしたのは安価であったからです。
 息子はバイオが欲しそうでしたがとてもそこまでの緊急出費がでず、将来、彼がアルバイトをして自分で買うということにして納得してもらいました。故障と言うのは、大学1年の彼がバイオを学校に持って行った時、何かのはずみで落としてモニタ画面が出なくなってしまったのです。故障したバイオは、2001年12月に購入したもので、2004年のはじめにiPodを購入した際には、iPodを動かすiTuneというソフトウェアがWindows98では使えないことから、手を加えてWindows XPにし、ハードディスクドライブを40GBにして無線LANをつけて、と、かなりの追加投資をして来たものでした。しかし、外傷を負って結局は諦めざるを得なくなりました。故障の原因は、おそらく表示用の蛍光灯が割れたか、外れたかだと考えているのですが、修理代は表示部を全取り替える必要があるとのことで¥70,000かかると言われました。修理を施して延命させても時代の流れについていけないパソコン、と判断し、新しくパソコンを買うことにしたのです。
 新しいパソコンの購入予算を修理代金の倍の14万円としてパソコンを選定しました。コストパフォーマンスはデルが出色で、出張修理もしてくれることからデルにしました。DVDの書き込みができるタイプにしたので予算を数万円オーバーしてしまいましたけど、良いパソコンを購入できたと思います。少なくとも私のiBook(G3)よりは動きがキビキビしています。4年前より(当時のバイオより)性能がうんと上がっているのでインターネットが速い、CDの読み込み、書き込みが速い、画面が大きい、DVDが読めると御満悦でした。ただ、重さが3.2kgと重い。2.2kgのiBookやDell Lattitude D600にくらべるとズシリとします。大きさも15インチ画面を持っているせいか大きい。存在感があります。
 → このパソコンは、2008年に息子が自分でVAIOを買ったので、非常時に使うぐらいになって一線から退きました。息子が購入したVAIOのノートパソコンは軽くて高性能でした。
 
 
私にWindows(Lattitude D600) (2004.07.01)(2009.02.12追記)
 2004年の5月、仕事用に新しいWindowsマシンが必要になったので、DELLのノートパソコンLATITUDE D600を導入しました。
 DELLのノートパソコンにしたのは、
  ・ 4年間のオンサイトサービス(壊れても出張修理してくれる)があること、
  ・ 仕事ではほとんどDELLのコンピュータを使っていること、
  ・ 米国の計測装置を扱う関係上、プレーン(シンプル)なパソコンが欲しかったこと、
    (シンプルというのは、音楽関連や画像関連でその会社独自のソフトウェアが
     プリインストールされていない、ということ。ソニーのバイオはそうした傾
     向が強く、パーソナルユースとしては好ましいパソコンかも知れないが業務
     用としては不向きと考えた。バイオはWindowsの中でマックに近いパソコン。)
などの理由からです。
 D600にしたのは、持ち運びに便利でかつCPUの性能もそこそこあり、動画像の再生や解析がキビキビとできることを理由に選びました。息子のパソコン(Inspiron5150)より倍の値段がしました。そのせいか、彼のものよりサクサク動く感じです。1GB程度のAVIフィルをいくつも同時に広げて仕事をする関係上、サクサク動いて軽いことが大事なので良い選択であったと思います。
 
2009年2月、このパソコンも購入後5年が経ち、相当古くなりました。しかし、仕事ではまだ一線で活躍しています。CPUがIntelCore2が標準になっている時期にあっては、その非力さは否めません。しかし、画像表示がソコソコ速いので、まだ一線で使えていると判断しています。しかし、1280x1024画素の動画を動かすとやはり動きがごつごつしてぎこちなくなります。このパソコンも、もう少ししたら、現役引退となります。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
■ 私の好きなもの (2007.01.04追記)

 
 
☆本 - 
司馬遼太郎の本
20歳代で出会った最大の作家。日本を教えてくれ、歴史を教えてくれ、文化を教えてくれました。
ローラ・インガルス・ワイルダーの本
ここ数ヶ月前(1997年秋)に知った作家。1850年代のアメリカ歴史の側面を教えてくれました。
これに触発され、この時代の関連する本を読みました。
その中でRussel Freedmanが書いた『リンカン - アメリカを変えた大統領 -』Abraham Lincoln、(株)偕成社発行、1993.8初版は、写真が豊富で解説もわかりやすく親切でした。ニュベリー賞受賞、ジェファソン杯賞受賞、ゴールデン・カイト賞次席、ボストングローブ・ホーンブック賞次席をもらっただけあって、リンカンの人となり、苦悩が良くわかった書物でした。この書物を通して、時代の評価は後からされるべきものであり、その人が生きているときにはあまり評価されないのが普通であることがわかりました。リンカンもそのうちの一人。ゲティスバーグの演説にしても、彼の大統領としての執務も、南北戦争も、その時代のまっただ中ではあまり評価されませんでした。それをこの書物はたくさんの資料と写真を通して、そして、彼の咀嚼を通して教えてくれました。
猿谷要(アメリカ歴史家)の本
仕事柄何度か渡米し、アメリカの文化や風土に触れるにつけ、この本がアメリカの真の姿を簡潔に正確に伝えているような気がしました。
Norman Rockwell
アメリカの風刺イラストレータ。高校時代から気に入っている画家です。
彼の精緻な作風は、見るものにその時代の文化や風俗などいろいろなことを教えてくれます。
1900年代前半と第二次大戦を通じてアメリカの心を伝えてくれます。
その他
堺屋太一(歴史小説、経済評論家)、C.W.ニコル(自然愛好家)、柳田邦夫(航空機、医学関連のジャーナリスト)、ロバート・X・クリンジリー(米国コンピュータサイエンス評論家)、立花隆(評論家)、相田洋(あいだ ゆたか、NHKディレクター、電子立国のディレクター)、ラッセル・フリードマン(米国ジャーナリスト、リンカーン、ライト兄弟の著者)、重村智計(しげむら・としみつ、元毎日新聞記者、朝鮮事情に精通)。
 
☆食べ物 - 
ラーメン、そば、うどん、スパゲッティの麺類。味噌、ソース系より「しょう油」派。
海外出張の時はカップラーメンを持参します。持っていかないと飢餓感にさいなまされます。
 
☆お酒 - 
ビール(キリンラガー)350ml x 1本。仲間が良くて話が弾むと350ml x 4本。
 
☆衣服 - 
全く気にしません。アウトドア系統の衣類が好きです。ポケットがいっぱいあるから。
 
☆スポーツ - 
息子とキャッチボール。息子と相撲(最近は相手をしてくれない)です。←これは、1999年頃の話。
2005年現在は、上の息子22才、下の息子19才。相撲なんてしたら病院行きです。
1999.5に義兄から譲り受けたMTB(マウンテンバイク)で週末は都内を走ってます。
MTBは小気味よく走れてごきげんです。体力も回復してきました。
詳細は、「マウンテンバイク始めました」(http://www2.ocn.ne.jp/~anfowld3/MTB.html)を参照下さい。
 
1999年夏
 
ここ、4年(2002年から2006年)はマウンテンバイクに乗っていません。仕事が忙しくなり、自転車とはご無沙汰です。
健康のため月に2回程度4時間くらい乗りたいですなぁ。
 
☆クルマ - 
 走れば何でも。ゆくゆくは、マツダロードスターがほしいと思っています。(1998.1の時点)
今(2003.08まで)は、義父のコロナプレミオ2.0(1997.03納車)を愛しています。
燃費、操縦性、居住性、トランクルーム、外形寸法、駐車スペース、すべてにわたり合格です。
2000.08月から社用車で日産のステージアを乗るようになりました。L6のエンジン、後輪駆動の足回り、スカイラインのシャシーを使っているそうでドライブフィールはバツグンです。足回りが安定していてカーブもスムーズに回ってくれます。ただ、燃費がすごく悪い。6-7Km/h程度とかなりのガソリンを食います。それに少々大きめです。
 2003.08にトヨタのアルテッツァ・ジータを購入しました。自宅の駐車場が5ナンバーのサイズしか入らないこと、仕事柄荷物を積むことが多いのでワゴンタイプであること、長距離ドライブが多いので高速安定性に優れた車であること、ディーラが近くにあって親切なことを理由に選びました。この車は、4輪独立懸架(ダブルウィッシュボーン)で後輪駆動、DOHCの直列6気筒エンジン(3リットル)です。
この車は後輪駆動だけあって、ハンドルの切れ方が非常に素直で小回りも効きます。前輪駆動車では切り返さないと曲がれない細い路地でも、この車は一回で回っていきます。前の車からナビをつけていて、トヨタのナビは使いやすかったので、今回も選定する際にトヨタ車を選ぶ大きな要因となりました。
 
☆好きな人 - 
司馬遼太郎、西堀栄三郎、桑原武夫、湯川秀樹、立花隆 ← 関西の文化人が多いですね。
 
☆女性 - 
女性に限らず私は、女たらし、男たらし、人たらしで通っています。
男は、女性の持つ男に備わっていない「もの」に魅力を感じるものでしょう。私はその中で、女性的聡明さ、女性的情の深い部分に惹かれます。思慮は浅いが情が深い、というのが私の女性観です。
 
☆コンピュータ - 
Mac。これほどまでに入れあげたコンピュータはありません。
Windowsより5倍の仕事がこなせます。Windowsは置物の感が強く、Macは深いつきあいができ、シャブリつくせます。
 
☆音楽 - 
私の生涯の10代から20代前半に接した音楽のインパクトの後、その残り火で余生を送っています。
音楽というのは、感性の世界が強いので、若い時代の色恋を通して入り込んだ音楽がどうしても強い影響を及ぼすようです。
1950年代のアメリカポップス、1960年代のアメリカフォークソング、1970年代の日本のニューミュージック、それに私のオヤジが好きだった文部省唱歌が私の原点です。ビードルズにはたどり着けずじまいでした。ただし、一番好きな歌の一つにビートルズの「Let it be」があります。
 
サイモン&ガーファンクル、PP&M(ピータ、ポール、アンド、マリー)、ジョン・デンバー、イーグルス、さだまさし、吉田拓郎、五つの赤い風船、及川恒平、加川良、高石ともや、小椋桂、かぐや姫、風、井上揚水、ふきのとう、中島みゆき、ハイ・ファイ・セット、オフコース、山下達郎、デューク・エイセス、リチャードクレイダーマン、ベン・E・キング
 
などがお気に入りです。
高校時代、深夜ラジオ番組のコッキーポップというのをよく聞いていて、高木まさ(高木麻早)、中島みゆき、ウィッシュ、NSP、葛城ユキなど有名無名のフォークシンガーたちの歌を聴くのが好きでした。
2005年暮れにTBS番組で小田和正の「クリスマスの約束」という番組を見て、「風のようにうたが流れていた」というDVDを購入しました。
 
☆場所 - 
    
1978.11 足助香嵐渓 香積寺 山門より燃える紅葉を望む
  
足助香嵐渓、尾瀬、名主の滝(北区王子)が好きな場所です。
都内では、日曜日の人気のない大手町、日本橋界隈を歩くのが好きです。
休日は、たいてい、最寄りの喫茶店でMacをいじっているか、図書館にいるか、家でMacをいじっています。
 →(と言っても2001年暮れに独立してからは、休日というものがなくなり毎日が仕事か趣味かわからない日々を送っています。2007.02.11記
最近(1999.5以降)は、マウンテンバイクばかり乗っています。しかも一日中。よくやるわ。
 → 2002年以降は、仕事が忙しくなり、マウンテンバイクも遠ざかっています。健康のために2週間に1度は乗りたいんですけど・・・
 
☆趣味 - 
Macと読書と散歩(自転車)と、仕事 !!!。
 
 
 
 
 

 
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