更新日時: 2017年05月07日 17:04 

●私、安藤幸司のこと (更新:2017.05.05)  1998.1書き始め
 
 
■ 住んでるところ
■ 生い立ち
■ 私の愛したコンピュータ
■ マッキントッシュと私
■ マックの良さ
■ マック遍歴 
■ 我が家にWindows 
■ 私の好きなもの

 


 
■ 住んでいるところ
 
私が現在住んでいるところは、東京北区王子(八王子 = はちおうじ ではありません、埼玉寄りに位置するオウジです)です。
飛鳥山公園の近くです。飛鳥山公園はソメイヨシノで有名で、北区のシンボルマークは「サクラ」です。
王子に住んで33年(1984年3月引越)になります。
交通機関は、
 
JR京浜東北線(大宮←→横浜、大船)、
都電荒川線(三ノ輪←→早稲田)、
営団地下鉄南北線(赤羽岩淵町←→目黒)
 
があって交通の便の良いところです。

 

写真は飛鳥山公園。桜が満開の4月初旬のもの。(1998年、35万画素のSonyサイバーショットで撮影。)
撮影当時の1998年の飛鳥山公園は、首都高速王子線の工事で飛鳥山の園内も工事規制があった。 

 
 
上の2枚の写真は、2007年3月末の飛鳥山公園と都電荒川線の電車。(2007.3.29撮影。Sony Cybershot DSC-P8)
 
 
王子は、その昔、江戸時代に徳川吉宗が飛鳥山の地に桜を植えて、江戸庶民が桜見物をする一日コースとしてにぎわった所だそうです。
 
江戸落語では、「王子のきつね」というのがあります。
江戸城下から見れば王子は辺境の地で、中山道、日光街道の通り道という感じです。
 
明治時代になって、財閥の創始者の一人である渋沢栄一氏がこの地に製紙工場の地盤を築きました。
王子製紙、十条製紙などは界隈の地名から名付けられたものです。
今は、公害問題もあってこれらの工場は富士や北海道に移転しています。
 
大蔵省印刷局は王子駅前と滝野川に工場があり、切手、印紙、紙幣を作っています。
周りには、「紙の博物館」、「旧古河庭園」、「渋沢栄一博物館」などがあります。
 
紙の街」それが王子です。

 

 

 


 

 
 
 
■ 生い立ち 
 
生まれ
1956年(昭和31年)2月、愛知県に生まれました。
紅葉で有名な香嵐渓(こうらんけい、足助町)から山あいに10Kmほど入った
旭町という小さな村で、3人兄弟の末っ子としてわがままいっぱい育ちました。
(2005年4月、町村合併により、旭町は足助町などと一緒に豊田市に合併されました。)
 
幼稚園時代(1961年〜1962年)
陽気で明るく、反面とても神経質で、躁と鬱の性格がこのころから
顕在化してきた記憶があります。
登校拒否も多くありました。坂本九の「上を向いて歩こう」という歌が
ヒットして口ずさんだ記憶があります。
初めておとなの世界に興味を示した出来事として妙に心に残っています。
 
  
1961年 七五三 兄と姉と私(左)       1970年中学3年生  
小学生時代(1962年〜1968年)
外面(そとづら)陽気な性格が完成した意識があります。学校は楽しくて、学校を休んだことは1日も無く、スポーツ、特に野球が大好きでした。理科と社会、音楽も好きでした。
5年生の時、兄貴から富士写真のアマチュアカメラをもらいました。
6年の時にオヤジにオリンパスペン(当時¥12,000円)を買ってもらいました。とてもうれしかった記憶があります。
機械いじりが好きで、「将来は飛行機か船を造りたいなぁ」と思っていました。
小学校3年(1964年)には、東京オリンピックが開かれ、10月10日の快晴の日、家族全員でテレビ中継を見ていた記憶があります。
NHKの「四つの目」という子供向け科学番組が好きでした。
1997年6月、愛宕山のNHK博物館で30年ぶりに「四つの目」を見ました。
 
中学生時代(1968年〜1971年)
「社会的」な世界に目覚めだした記憶があります。
3年の時、三島由紀夫事件(市ヶ谷の自衛隊での自決事件)があり、大学紛争が高校にまで及んで来た時代でした。
NHKのドキュメント番組が凄みと影響力を出し始めたのもこの頃だと記憶しています。
公害が社会問題となり、連日マスコミをにぎわせていました。
技術的な裏付けをもたない当時の私は、世界がこのまま悪い方向へ行って破滅してしまうのではないか、という恐怖を抱いていました。
中学時代に出会った友達や先生は、思い出深く思っています。
数学の先生と理科の先生はとてもユニークで、私の歩む方向がここでほぼ決まった感じがありました。
中学1年の時、マツダがロータリエンジンを開発し、マツダに資料を請求したら送ってくれました。
あのときの感動は忘れ難く(普通は中学生には資料を送ってくれないでしょう)、マツダの懐の深さを感じました。
 
高校生時代(1971年〜1974年)
親元を離れ、岡崎市で下宿しながら高校へ通いました。
剣道をはじめました。1年で初段をとりました。
大人へ脱皮していく中で多くの友達に出会いました。
彼らとは今でも年に一度落ち合って楽しい酒を飲んでいます。
今思うと、当時の世相は暗く、1年生の2月の寒い時期に赤軍派が浅間山荘に立てこもる事件があり、
学生運動の終焉が告げられたり、3年生の暮れには「オイルショック」が起きてすべての物価が高騰しました。
あの時は親元を離れ、下宿生活でひもじい思いをしていた時で、年若だった私には世相の暗さが強烈な印象として脳裏に焼き付いています。
インスタントラーメンが、3倍の値段に跳ね上がった哀しい記憶があります。
  
1973年高校三年生       1979年2月鎌倉にて(右は高校時代の友人)
大学生時代(1974年〜1978年)
名古屋市昭和区鶴舞にある工業大学の機械工学科に在籍しました。
千種区にある大学の航空学科は入学が認められず飛行機の夢は遠のきました。
1年生の時、車の免許を取りオヤジにクルマ(日産サニークーペ1200GL)を買ってもらって卒業まで乗りつぶしました。
3年の時に大型免許を取ってダンプやバスを運転しました。
また、1年の時にオヤジから35mm一眼レフ(Pentax KM)をもらい、以来25年間、尾瀬にアメリカに、中国に、イギリスにずっとわたしに随伴しました。
 
     (1998年頃より、フィルムカメラはほとんど使わなくなりました。
     仕事も16mm映画フィルムを使う仕事だったのに使わなくなりました。
     CCD/CMOS固体撮像素子のデジタルカメラと付き合うことが多くなってきました。)
 
4年になって、燃焼学の研究室 高橋 和先生(2008.06故人、享年90才)のゼミに入りました。
太田 安彦教授(2006年3月停年退職)は、当時高橋研究室の講師で我々に機械以外の電子工学も教えてくれました。
この時期に電子工学をかじったのが後々大変有効なものとなりました。
就職は、高橋研で親切に指導をして下さった技官の西清先生(1998.6故人、享年80才)の紹介で、東京に出てくることになりました。
就職する会社の技術部長に、専門学校から新制大学になった1期生の竹下栄一氏(1998.9故人、享年68才)がおられて、西先生と竹下氏が在学時代から懇意だったこともあって、先生の紹介で就職先が決まりました。
 
社会人(1978年〜)
1978年4月、晴れて社会人になりました。
名古屋から東京に出てきてとまどうことも多く、何よりも地方では味わえない大きな社会の動きを体感しました。
好きなカメラの仕事をしながら電子工学や光学、コンピュータサイエンス、そして英語を勉強しました。
テレビ技術のことはさっぱりわからず、会社に入ってはじめてテレビが30コマ/秒で画が変化していることや、電子ビームで一枚の画像を一筆書きしていることを知りました。
 
  この詳細は、本編「私の趣味の仕事」に譲ります。
 
    光と光の記録
    高速度カメラ入門Q&A
    高速度カメラ撮影の実際
    画像計測事始め
    高速度カメラ歴史背景とトピック
 
2001年12月、小さいながらも会社を作って、画像計測の世界を見続けています。
家庭(1982年〜)
1982年5月に家庭を設け、2男に恵まれました。
結婚当初は、東急東横線の新丸子で2年間生活し、
その後、1984年3月に東京都北区「王子」に越して来ました。
以来、王子での生活は34年目に入ります。
二人の子供と連れ合い(妻)を通して、家庭と父親の立場から社会を見ることができました。
オイルショック後の日本の経済復興、東西冷戦とその終結、コンピュータをはじめとする電子機器の急成長を目の当たりにし、カメラとクルマの面白味を教えてくれたオヤジとの永久(とわ)の別れなどがあって、家庭生活35年を迎えようとしています。
■ 私の愛したコンピュータ
私は、ビル・ゲイツ(1955年10月生)と同じ年です。 パソコンの興隆にあわせた同時代を生きて来ました。ビル・ゲイツの自伝や彼に関する書物を読むと、1970年代のアメリカと日本、そして私の歩んできた地域における、同じ時の流れを2元化して見ることができ、感慨深いものがあります。
 
パーソナルコンピュータがこれほどまでに発展を遂げるとは思っても見ませんでした。 我々の世代の20才代の頃を思い起こすと、コンピュータ文化などあるはずもなく、コンピュータの発展に流されるように生きてきました。
 
同世代の多くは、40才代でパーソナルコンピュータに接し始め、その前の30才代になんとか「ワープロ」に慣れようとしていました。だから、我々の世代はパソコンに翻弄された世代なのです。 しかし、パソコンを作り上げたのは、我々と同じ世代の若者だったのです。
 
ビル・ゲイツ(1955年10月生)にしても、アップルの創始者スティーブ・ジョブズ(1955年2月生、2011年10月逝去)にしても私と同じ世代です。
(詳細は、パソコンの文化 参照。) 私のコンピュータとの関わりを以下に述べます。
 
 
● 中学時代(1968 - 1971)
初めて電子卓上計算機を見ました。机の上にどっかっと乗ってガシャガシャとキーを打って計算をしていました。
足し算はともかくとして、掛け算、わり算ができるのが感激でした。カシオ製だったと思います。
愛読書だった少年マガジン(巨人の星、あしたのジョーが連載されていた)の背表紙にIBM○○○○とタイプがあり、こうした本は、大型計算機で管理していることを数学の先生が教えてくれました。
中学二年(1969年)の夏、アポロ有人月着陸のテレビ中継(同時通訳の片山潜氏の実況)を見ながら、司令船に小型高性能コンピュータが搭載されていることを知りました。  
 
 
● 高校時代(1971 - 1974)
ポケット電卓が出ました。4ビットマイコンだったそうです。が、私にはその中味を知るよしもありませんでした。
身近な大型計算機といえば、模擬試験などで100,000人の受験生の成績を一括で処理し、私たちにドラムプリンタで印字された成績表を提供してくれるもので、計算結果を見ながらその処理能力のすばらしさを知りました。
 
 
● 大学時代(1974 - 1978)
HP、テキサスインスツルメンツ、シャープ、カシオなどが、高性能関数電卓を出し始めていました。
価格は¥10,000から¥20,000程度で、研究室ではみんなこれを使ってデータの計算をしていました。(今の学生は、エクセルを使ってデータを処理しているでしょう。飛躍的な処理能力の向上です。)
電卓の出現で、数表や計算尺を用いた計算法とおさらばになりました。
また、大学の中央計算機センターには日立のHITACと呼ばれる大型計算機があって、FORTRAN言語でカードさん孔による計算プログラムを作り、空き時間を見つけてはプログラムを走らせていました。
大学の生協で、8ビットマイコンが16万円で販売されていましたが、テンキーと7セグメント表示装置のみというシロモノで、言語も機械言語(アセンブラーという言語)でしか動かないこの装置には、機械屋の私にとってその魅力が少しもわかりませんでした。
私の在籍した機械工学科には、制御研究室に三菱のMELCOMというコンピュータが一台入っていて、制御工学の実習にそのコンピュータを使わせてくれ、データをカードパンチャに打って統計計算をした記憶があります。
非常に高価そうで、先生がそばにつきっきりで我々が変な事をしないよう丁寧に教えてくれました。
ちなみに、当時の物価は、250円だせば大学界隈の飯屋で昼食が食えました。
アルバイトも時給240円程度でしたので、2007年時点の800円程度の食事相場からすると3倍弱と思われます。
そうしてみると、当時私たちが購入していた関数電卓は現在のお金で30,000円から60,000円ほどし、8ビットマイコンは50万円近くしたことになります。
 
 
● 社会人時代(1978 - )
社会人になって一年目。会社の先輩がインテルの8ビットマイコンを使ったコンピュータを作りました。
「シネコン」と呼ばれるコンピュータで、計測用カメラの撮影に関するパラメータを計算してくれるものでした。
例えば、撮影距離と撮影範囲を入力すると、撮影に必要なカメラレンズの焦点距離を計算してくれたり、高速度で動く現象の推移速度を入力すると、撮影に必要な撮影速度や必要照度を求めてくれるものでした。
当時のコンピュータには、ハードディスク(HDD)もなければフロッピーもない時代だったので、電源を入れる度に「さん孔テープ」を読み込ませてプログラムを入力し計算を実行させました。
この装置に使われていたコンピュータは、SEIKO社から販売されていたもので、CPU(Central Processing Unit)は、インテルの8ビットマイコンをベースとしていました。
私はこの装置をとても気に入っていて、これを作った先輩をとても尊敬していました。
このアイデアを基に、写真計測の原理を勉強し、SHARPのプログラム電卓にBASIC言語でこのプログラムを移植したり、HP(ヒューレット・パッカード)のプログラム電卓(下写真)に逆ポーランド記述でシネコンのプログラムを組みました。HPのポケットコンピュータHP11C(1982年当時¥40,000)は、25年経った今(2008年)でも現役バリバリで活躍しています。26年!も使っているのです。このプログラム関数電卓は、レンズ焦点距離、撮影のための必要照度、必要撮影速度などの計算を簡単に行うことができるので、今でも重宝しています。(このプログラム電卓は、2015年バッテリを入れるターミナルが折れてしまい電卓に電源を供給出来なくなってしましました。33年の寿命でした。今はパソコンとiPhoneに同機能の関数電卓を入れて使っています。2017.05.02記)。
 
(左)1982年に購入したヒューレット・パッカードの関数電卓 HP-11C。
とても使いやすくて、26年経った今も現役で使っている。
レンズ焦点距離の計算、照度計算、撮影速度計算には、
手製テンプレート(右上)をつけてプログラム計算させている。
 
(右)Macのアプリ 「15C Scientific Calculator」。
有料アプリであるが、iMac、MacBookPro
iPod touch, iPad, iPhone6sに入れて使っている。
仮想関数電卓であるものの、
実際のものと使い勝手は同じ(か、それ以上)。(2017.05.02追記)
 
 

● 往年のパーソナルコンピュータ

▲ SEIKOのマイコン
1978年、最初に入社した映像計測関連会社では、私が入社する1年ほど前にSEIKOのマイコン(CPUはインテル)を使った「フィルム画像処理装置」と呼ぶ装置を開発し、フィルム画像から物体の変位、速度、角度などを計測するシステムを販売していました。この装置にはBASIC言語が使われていました。
その後、この装置はCPUをインテルの8ビットから16ビット、32ビットへと換え、対話型ディスプレーも、モノクロ6インチから13インチカラー16色、同256色、VGA、SVGAと代えて行きました。
当時、インテルもOSを作っていました。しかしOSは新興勢力のマイクロソフト社のPC-DOS(MS-DOS)に負けてしまいました。
 
フィルム画像から物体の変位を抽出して解析を行う装置としては、1970年当時、フィルム投影スクリーンにフィルム像を投影して、その像面に機械式ヘアカーソルを合わせて0.25mmの読み取り単位で操作者が読み取る装置がありました。
1970年代後半は、ヘアーカーソルに代えて超音波マクロホンとペンの発振器で位置を測定していました。この方式では、読み取り精度は良くないものの読み取り時間が速くなりました。
1980年代にはスクリーンにデジタイザを埋め込んで、カーソルから直接デジタル数値を読み出せるようになりました。
(今、2008年は、デジタル画像をパソコンが自動的に読み込んでターゲットパターンをサブピクセル処理してくれます。) 
 
 
▲ NEC9801
ビル・ゲイツとその友人ポール・アレンが、PDS(パブリックドメインソフトウェア = 無料での使用が許可されたソフトウェア)となったプログラム言語のBASICを8bit CPUパソコンに移植させ、OS(オペレーティングシステム = コンピュータを管理し使いやすくするソフトウェア、当時はフロッピーディスクの読み書きを管理するソフトがメイン)を完成させてから、NECがこのライセンスを取得し、漢字変換のROMを乗せて発売しました。
 
このNECのモデル8801の後継機であるモデル9801(8ビットから16ビットへ移行したモデル)の発売で、日本中に9801旋風が吹き荒れました。1981年頃だったと記憶しています。
9801が爆発的に売れたのは、漢字ROMをいち早く実装して日本語環境を整え、N88BASICというパッケージで16ビットの対応を行い、ファミリー作りにも熱心だったからです。
1980年当時は、8ビットパソコンが中心で、これをうまく管理するOSは、ゲーリー・キルドールが開発したCP/Mくらいしかありませんでした。
NECは、16ビットマシンに移行する際、マイクロソフト社に接触していち早くMS-DOSを移植し、その後、徳島にあるソフト会社ジャストシステムの「一太郎」を育てました。
パーソナルコンピュータに日本語環境(日本語入力)を整えた功績は大きいと思います。
 
私は、しかし、NEC9801には深くのめり込むことはありませんでした。
理由は、当時私の仕事は物書きが多く、いろいろなドキュメントの切り貼りをする必要上、当時のNEC9801ではパワー不足だったのです。
入社3年間は手書きとドラフターを使い、4年目ぐらいから英文タイプライターを使いだし、1982年頃から、東芝の事務用ワードプロセッサーを使うようになりました。
8インチ(薄っぺらな下敷きのような感じ)の辞書と文書ファイルの2枚のフロッピーデスクを入れてジーコジーコとやっていました。(フロッピーディスク装置がフロッピーをアクセスする音、しょっちゅうアクセスしていたのでこの音が頻繁に聞こえた。)
このワープロを使って文書作成がかなり上達してしまったため、NEC9801のワープロが使いづらくて、全く魅力のないものでした。
1988年になって32ビットの9801が出回るようになり、「一太郎」による辞書変換が速くなってきました。が、それでも業務用ワープロの方が何倍か速く打てました。
ここらあたりが、Windowsにいかず、マックに向かった転換点だったような気がします。
それでも、1988年に導入した32ビットNEC9801XLとCADソフト『AUTOCAD』の出会いは衝撃的でした。
21インチカラー画面で32ビットCPU、20MBのハードディスクなど、非常にパワーあるコンピュータでした。
これを使って多くのドキュメントを作りました。
 
   CADで文書!
 
と笑うかも知れませんが、CADソフトは文字の印字をプロッターで描くためワイアードットプリンタ(ドット印字)に比べ、表現力が豊かだったのです。
このコンピュータを1994年まで使いました。
 
■ 漢字変換プロセッサ - ATOK
私が業務用TOSWORDを使っている1980年代後半、パーソナルコンピュータの世界では、NEC9801に採用されたワードプロセッサ「一太郎」、正確に言うと日本語変換処理FEP(フロントエンドプロセッサ)の「ATOK」が、変換アルゴリズムを急速の勢いで進化させました。
 
「ATOK」の長文読解能力のすばらしさを体感したのは、1991年、会社の先輩が使っていたNEC9801の文書ワープロ「一太郎」に触れた時です。
ストレスのない入力で深い感銘を受けた記憶があります。
Macを使いだしても、文書変換はATOKが断然使いやすく、ATOK8は古すぎて問題を起こすと言われながらもヒット率の高さは他のFEPと群を抜いてよかったのでこれを使い続けました。
 
・1997年11月にATOK11ができて、複数辞書などの機能が追加され、ようやくWindowsの環境に近づきました。
・1999年3月にはATOK12を移植しました。
・1999年12月には「ATOK13」を移植しました。
   Power PC 200MHzのMacでは、ATOK13はちょっと重たい感じがしました。
   G3マックだとより快適に動くのでしょうけれど。
・2003年2月には、PowerMac G4とiBOOKを購入できたので、これにATOK15を入れました。
・2004年には、バージョンアップしたATOK16を入れました。
・2006年には「ATOK2005」を入れました。
・2008年4月には、ATOK2008を購入しました。
・2011年4月には、MacBookPro用(Max OSX 10.6用)にATOK2010を購入しました。
・2013年6月に、ATOK2013を購入しました。
・2016年3月に、ATOK2015を購入しました。
 
 
浮川和宣・初子ご夫妻(JUSTシステム創業者、2017年現在株式会社MetaMoji経営)が開発した日本語変換FEP「ATOK」との付き合いは30年近く(1990 - 2017)になります。
 
■ マッキントッシュの立場 (2008.05.21記)(2011.11.25記)
私がもう20年遅く生まれ、Windows95に出会っていたら、おそらくマックではなくDOS/Vを使っていたかも知れません。
また、マックが1990年当時のように高価なままであったら、マックに向かわなかったかもしれません。
若い世代(20歳代)は別として、我々のような40歳前半から60歳前半の世代は、1990年〜1995年の時代のマックとWindowsの選択について、価格の面や仕事での延長で両者をとらえていたと思います。(これは、2005年までに感じたことです。)
 
2008年5月になって、上の感慨とは別の考えを持ち始めました。
仮に、当時、Windowsを使っていたとしても、おそらく今の時点では、Macを買い換えているかも知れないという思いです。
なぜかというと、2006年にMacがインテルのCoreDuoというCPUを搭載したコンピュータ(Intel Mac)を発売し、これがWindowsもMacも使える代物だったからです。
    Windowsを使いながら、Macの新しい世界に触れられる! 
これは買う価値があるだろう。そう、考えるに違いないからです。
今の私は、Macにどっぷり浸かってますので、逆の考えで、「これでやっと2台のコンピュータ(WindowsとMac)を持ち運ぶ重労働から解放される」と考えています。(2008.05.21記)
 
2011年11月時点の考えを述べます。この時点のマックはデザインや使い勝手で人気急上昇で、若い学生の間で結構な評判となっています。学校でWindowsを使っていても、自宅ではマックを使っている若い人をよく見かけます。
この現象は、iPhoneやiPodの成功と無縁ではないと考えます。
30年以上も年が離れた若い人たちに、今、マッキントッシュは新しい風を吹き込むパソコンという位置づけがなされているように思えてなりません。(2011.11.25記)
 
2012年3月のApple Special Event講演の中で、アップルのCEOであるTim Cooke氏は興味ある発言をしています。
これからのパソコンは、WindowsやMaxOSを使ったノートパソコンやデスクトップパソコンではなく、iPadやiPhoneに代表されるようなOSを意識しないコンパクトな端末になっていくというものです。
より広い世代が深いコンピュータの知識を必要とせずに、コンピュータを使いこなして行く場合に、インターネットができてメールが受信できて簡単なドキュメントが作れるパソコンがあればそれで十分に事足りるというのです。
2011年秋に、我が家にお目見えしたiPadは茶の間の人気者で、家族(息子夫婦、下の息子、奥さん)は誰彼となくこのiPadを操作して調べ物をしています。そういう時代が来たということです。
 
iPhoneの登場は、パソコンを胸元に収めることに成功しました。高速無線通信の進化、バッテリの小型化と大容量、液晶画面の高画質化、タッチスクリーンの進化、CPUの高性能化、OSの進化、通信料金の低価格化、デジタル通信の整備がスマートフォンの普及を後押ししました。調べ物をしたりメールを出したり写真を撮ることが簡単にできるようになりました。
 
そのように考えると、私がずっと使い続けてきたMacintoshはいずれ去りゆくべき運命の恐竜のような存在なのかもしれません。(2012.03.16記)
 
2015年5月、電子端末機器はパーソナルの様相が強くなり、手のひらにパソコンがすっぽり収まるようになりました。しかも電話機能もついて。いわゆるスマホ(スマートフォン)の台頭です。スマートフォンは、カナダのブラックベリーからスタートし、カルフォルニアにあるGoogle社のAndroidとApple社の iOSが時代を引っ張る形になりました。パソコンは携帯端末(スマホ)の発展につれて販売台数が落ち込んできました。ソニーのVAIOは業績悪化のため事業を切り離してしまいました。デスクトップPCも会社で使用する需要しか見込まれず、パーソナルユーザはiPadに代表されるタブレットPCを使い始めまた。タブレットPCやスマホにはそれほど多くのメモリを搭載していません。せいぜい32GBで、多くは外部のサーバーと接続してデータを保存、取り出しを行ういわゆるクラウド(cloud)が中心になってきました。
 
2017年5月の近況です。2016年4月にiPhone6sを購入しました。1996年7月から使い続けてきた携帯電話(Panasonic = docomo)を20年を経ってようやくスマホに代えました。iPhone6sとMacの親和性はよく、カレンダー、メモ、連絡先、写真、メールなどのデータはiCloud経由でリアルタイムで更新できます。大きめのデータはMacで更新し、現場に出たらスマホを使ってで細かな修正するようになりました。2011年に我が家にやって来たiPadは6年が経とうとしています。今だ現役で活躍していますがOSのアップデートとインターネットURLが重くなってしまってインターネット閲覧が重くなりました。iPhone(6sと7)の方がサクサク閲覧できるので、居間でもiPhoneを使うことが多くなりました。iPadの買い換え時かも知れません。(2017.05.02記)
 
 
☆マック派  (2000.04.30記)
世に言われるマック派の人とはどんな人たちでしょう。
グラフィックを多用する仕事、もしくはコンピュータを意識しないツールとして使用したい人が多い。
金銭的に余裕のある人、またはひねり出せる力のある人が多い。
自分で創意工夫して作品を作る人で、仕上がりの体裁をとても気にする人はマックを使用する。
カメラマンやグラフィックデザイナー、ミュージシャン、お医者さん、一部の大学の先生、一部の研究者などが好んで使っている。
ある程度メカが好きな人もWindowsよりマックを使う。
1995年(Windows95が出る前)までにコンピュータ人生を決めた人はマックを使い続けている。
(これは1998年までの話。iMacが登場して以後はまた違った観点からマックを使う人が増えている。2000.04.30)
 
☆Windows派  (2000.04.30記)
NEC9801もしくはIBMを中心としたPC-DOSコンピュータにどっぷり浸かってきた人。
遺産(I/Oボードやソフトなど)がたくさんある人で簡単にはMacに転向できなかった人。
コンピュータが全くわからず相談する相手がコンピュータ専門家(作品を作る人ではなくてプログラマーのような人)をブレーンに持った人。
会社の偉い人でネットワークを大きなお金をかけて大々的に行う立場の人。
プログラム
言語に秀でていて、コマンドを直接打ち込むことが好きな人が好んで使う。
業務(伝票とか、公的文書作成)を中心に行う人。
1995年までにマックに移らなかった人。(これは1998年までの話)
 
 
 

【マック事情 2001年当時】 (2001.04記)(2012.09.23追記)

■ Windows95/98
1996年から1997年にかけてWindows95が発売され、パソコンの使い勝手が大幅に向上しました。
かつ、ハードウェアそのものが Macintosh に比べ安価だったので、新しくコンピュータを買ってインターネットをはじめる人はWindwos(DOS/V)を選択するケースが圧倒的に多くなりました。
G3 Macintosh 、iMacが登場するまでの時代は、 Macintosh の暗黒の時代といっても過言ではありません。
市場シェアは5%程度まで落ち込み、いつ身売りしてもおかしくない状況でした。
 
■ Steve Jobs(1955 - 2011)氏のアップル復帰
1997年にスティーブ・ジョブズ(アップル社創設者、現暫定CEO)がNeXt社から戻って来るや社運は好転します。
1998年5月のiMacの出現は、それまでのパーソナルコンピュータの記録を次々に塗り替え、アップル贔屓(びいき)の日本にあっては
1999年6月での市場シェアは20%まで回復したと言います。
この状況を見る限り、まだ Macintosh には使いやすさにおいてWindowsより一日の長があるな、と感じさせました。
 
■ Macを使う人
会社では、Windowsを使い、家では Macintosh を使っている人を良く見かけます。
漫画家や広告関係、音楽関係に勤める人は家でも会社でも Macintosh を使っています。
マックは、システム性に優れていると思います。
コンピュータを買って、後からプリンタやMOやハードディスクなどを追加購入しても簡単に接続できます。
DOS/Vですとなかなかそうは行きません。
 
Windowsの躍進
Windows98 になって、接続のためのアドレス管理が自動になり、USB対応の周辺機器が増えてプラグアンドプレー式のインストールとなったため随分と楽になりました。
WindowsNTは、使いやすさから言うとWindows98よりも敷居が高く扱いづらいですが、その分信頼性が高い、という利点がありました。マイクロソフトは、信頼性の高いWindowsNTにWindows98の使い勝手の良い操作性を移植させて、Windows2000という形に収れんさせたいようです。(2000.12、2001.02記)
2001年には、WindowsXPが出荷されました。
これはWindows98の使いやすさにWindowsNT(Windows2000)の安定を融合させたものです。
WindowsXPは、もっとも安定したOSで歴代Windowsの中でも一財産を作らしめたと言っても過言ではありません。
2012年10月にあっても、WindowsXPを使っているユーザを多く見かけます。それほど息の長いOSでした。(2012.09記)
 
■ WindowsXPの功績
WindowsXPにより、MacOSXとの相性はかなり良くなりました。
逆に言うと、WindowsXPでは、GUIがかなりマックに近くなって来て、マックはその逆に、Windowsを意識した操作性を出してきました。
そうしてくるとマックの優位さはあまりなくなって来ます。
実際、学生時代にマックを使っていたのに、その後Windowsに切り換えたエンジニアをたくさん見ます。
仲間がいないと何かと物入りになるのは否めないものです。(2003.0.7.26記)
 
■ MacのOSX
パソコン業界は日進月歩で進化します。
マックもUnixをベースにしたMacOSXから徐々に進化を遂げ、2005年4月28日にリリースされたTiger(MacOSX ver. 10.4)ではさらに洗練されたOSを提供するに至っています。
あれだけ洗練されたUNIXマシンは他にはないでしょう。
UNIXマシンだから、大きな基幹サーバとの相性も良いという利点もあります。
東京大学では、1,100台あまりのiMacを導入して運営管理に劇的な効率化をもたらしたといいます。(2005.05.01記) 
2009年10月には、マイクロソフト社があたらしいOSであるWindows7を出したのを機に、アップル社もOSをSnow Leopard(Mac OSX 10.6)としました。(2009.10記)
MacOSXはさらに進化を続け、2010年10月にLion(Mac OSX 10.7)、2012年7月には、Mountain Lion(Mac OSX 10.8)がリリースされるに至っています。(2012.09追記)
 
【Windowsの足取り】
Windowsの源流であるDOS/Vは、生産される台数の絶対量もあって、Macよりもかなり安くパソコンが買えた時代が多くつづきました。しかし、DOS/Vは安価ではあるもののいろいろな会社が持ち寄ってできあがっているコンピュータであるため、ややもすると一貫性がなく、責任の所在がはっきりしませんでした。
DOS/Vの世界のコンピュータは、『OS』であるマイクロソフトのWindowsがもっとも影響力があって、次にCPUの開発であるインテルが影響力を持っていました。
そして、BIOS(CPUとの橋渡しをするチップ)の開発を行っているIBM(2004年にパソコン部門を中国のメーカに売却して撤退)、コンパック(2001年9月HPが買収)、Phoenix Technologies社(現AWARD社)、アミ社などが続きます。
Windowsは、これらが規格を作りながらシステムを作り上げています。
そのWindowsというOS自体も98のバージョンから改良バージョンであるWindwosSE(SecondEdition)、2000年に発売したWindowsME(Millenium Edition)と続きます。
また、この流れとは別に、MS-DOSの古いコアを取り去ったWindows2000(WindowsXPに統一するための予備OS)と呼ばれるOSも登場させました。
 
【Macの足取り】
方やマックは、OSからロジックボードからBIOSまですべてアップルが責任持って開発しています。
従って、システムの統一性から見てもDOS/Vから育ってきたWindowsとは観点が違うのです。 
 
 
DOS/V: 安価、競争が激しいので製品が絶えず良くなる。
        品数豊富。システムの統一性に難。
マック: システムの統一性、操作性に優れている。インストール、設定が極めて楽。
        アプリケーションソフトが少ない。付属品が少ない。
 
しかし、DOS/Vは安価ではあるもののいろいろな会社が持ち寄ってできあがっているコンピュータであるため、ややもすると一貫性がなく、責任の所在がはっきりしませんでした。
DOS/Vの世界のコンピュータは、『OS』であるマイクロソフトのWindowsがもっとも影響力があって、次にCPUの開発であるインテルが影響力を持っていました。
 
【フォントの魅力】
もう一つ、マックの魅力を述べるとすれば、フォントの多様さと美しさがあげられます。
マックは標準フォントに「OSAKA」を使用していますが、この字体が実に柔らかみがあって、品があり表現が豊かです。
Windowsには、マックのOSAKAに匹敵するフォントがありません。
MSゴシックがこれに相当しますが、この字体で表現されたインターネットのWebサイト画面はとてもゴツゴツして痩せ細って見にくいものです。
これは2011年のWindows7の時代になっても変わっていません。
2003.02に購入したPowerMac G4には、ヒラギノという美しいフォントが内蔵されています。
このフォントはゴシックと明朝があり、文章表現に威力を発揮しています。
画面もゴシックのきれいなフォント表示してくれるので心が安らぎます。
私は、このホームページをマックで作っていますが、これを会社などでDOS/Vコンピュータで見ると字体に品がなくて寂しい思いをします。DOS/Vにも、マックのOsakaフォント(ヒラギノフォント)に相当するフォントを標準装備してもらえないんでしょうか、と思ってしまいます。(1999.6)(2003.07)(2011.11.25)
 
Macの表示スクリーン(左)とWindows2000の表示スクリーン (2003.11の時点)

 

 

【WindowsXPとマックOSX】(2003.11.30)(2005.05.01追記)
 
2001年より、WindowsはXPという新しいOSを投入しました。
このOSは、従来のMS-DOS、Windws3.1、95、98、Meの流れとは全く違ってUNIXを意識した(だけどUNIXとはまったく別物になってしまった)WindowsNTやWindows2000の流れを汲むOSです。
Windows98までは、システムが頻繁にフリーズしました。この主な原因は、システムが本質的にマルチタスク環境ではないために、複数のアプリケーションを立ち上げるとメモリ管理がうまく行かず、OSのコア部分まで不具合が浸透し、システムが止まってしまうというものでした。
 
UNIX(ゆにっくす)と呼ばれるシステムは、タイムシェアリングを骨格としたOSでマルチタスクを得意としていました。
UNIXは、当初2、3の流れがありました。
その中でも、スタンフォード大学のグループがSUNというワークステーションに移植してネットワーク機能を強化したものを展開したため、UNIXグループの中でメジャーとなります。
 パソコンの世界でもネットワーク環境が重要な要素になり、UNIXの堅牢なシステムの重要性が再認識され、UNIXが移植されるようになりました。
マイクロソフト社もUNIXのような堅牢なOSの必要性を感じていて、アマチュア向けのOSであるMS-DOSに見切りをつけはじめ、サーバー対応、マルチユーザ対応、マルチタクス対応のOSの開発に踏み切り、WindowsNTを開発して、それがWindows2000になってWindowxXpに落ち着いて行きました。
 
方や、マックも最新のOSであるMacOSXでは、UNIXをコアに持っています。
Mac OS9までのマックは、完全なマルチタスクではなく、たくさんのアプリケーションを開くことはできても同時進行をすることはできませんでした。
 
2003年2月に新しいマックを買って、OSXで使用していますが、なるほどフリーズはほとんどしなくなりました。
アプリケーションの一つがおかしくなって止まっても他のアプリケーションに影響を与えず、OS自体も止まることは無くなりました。
私は新しいマックに、古いOS9.2とWindows2000(VirtualPCというWindowsのエミュレーションソフトを入れている)を立ち上げて、Windowsのアプリケーションや古いマックのアプリケーションを立ち上げて使っています。
 2005年4月28日、MacOSX ver10.4 Tingerが発売されたのでさっそく買ってインストールしました。
ver.10.2.8に比べて格段にスッキリとしてアプリケーションソフトも速く動作するようになりました。
 
 
 
【マック事情 2011】 (2011.10.07記)(2011.12.02追記)
 
■ カリスマ - Steve Jobs(スティーブ・ジョブズ: 1955 - 2011)
2011年10月5日、アップルの創設者スティーブ・ジョブズ氏(Steeve Jobs: 1955.02.24 - 2011.10.05)が亡くなりました。
享年56才。
私とちょうど1年先輩の同年代を生きてきた人です。彼は、私がパーソナルコンピュータを意識した20代から今日にいたるまで絶えず意識の中にあった人でした。
彼は、良くも悪くもアップルの顔として世界有数の企業にまで成長させました。
その手腕は、後世まで語り継がれていくことだろうと思います。
 
私がMacintoshを意識し始めたのは、1988年。私が32才、ジョブズ氏33才の時です。
それから、5年間の時を経て、1993年に初めての自分のパソコン(Macintosh)を手に入れ、そして20年近くをマッキントッシュと歩んで来ました。
私がMacを購入した時、ジョブズ氏はアップル社にいませんでした。
自分の作った会社アップルを1985年に追い出されているのです。
11年後の1996年に、彼は再びアップル社に戻ります。
その当時のアップル社は、ライバル会社であったマイクロソフト社に業績で大きく水をあけられていました。
マイクロソフト社は、Windows3.1を開発し、Windows95を発売してその勢いはまさに破竹の勢いでした。
方やアップル社は、そのあおりを受けてパソコンのシェアを奪われ、じり貧の状況でした。
いつ倒産してもおかしくない時期でした。
 
 Macを購入して3年を経た当時(1996年)の私は、Windowsのすさまじい躍進を見てアップル社の倒産を覚悟しました。
アップルが倒産したとしても、自分の買った愛機、Macintoshを使えるまで使おうと決意していた時でした。
そんな時期の1996年、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏が古巣に復帰するや、矢継ぎ早に新製品を市場に投入し、その後の10年でアップルブランドを蘇生させてしまいました。
アップルが世界的に有名になるのは、パーソナルコンピュータ、マッキントッシュの蘇生ではなくて、音楽携帯機器iPod(2001.10)の開発であり、巨大なネットミュージックストア(iTunes Store)の開設(2003.04)、それにスマートフォン iPhone(2007.01)やタブレットPC「iPad」(2010.04)の投入と成功によるものでした。
 
■ V字回復
アップル社の業績回復と成長は、私にとっては少なからず嬉しいことでした。
その理由は、アップル社が元気であれば私の愛用しているマッキントッシュも作り続けてくれるに違いないと思っていたからです。
私にとってiPodやiPhoneは、発売当時はそれほど興味あるものではなかったのです。
携帯音楽装置は、1979年にソニーのウォークマンが発売されたときから持っていましたし、2000年当時もMDウォークマンを持っていました
それで結構満足をしてたのです。
 
ジョブズ氏がアップルに戻ってきた1996年当時、私は
 
「彼は、一体何がしたくてアップルに戻ってきたのだろう?」
 
と思っていました。
1985年の彼は、ライバルのマイクロソフト社ビルゲイツにも出し抜かれ、自分の会社からも追い出されたのです。
追い出された後の11年間は、悔しい毎日だったと思います。
いつか、本家のアップルを見返してやろうと思っていたに違いありませんでした。
 
■ MacOSX
その11年の間、彼は下準備を怠らずMacOSの下地になるOS = NeXTSTEPを開発していました。
このOSは、UNIXをベースにしたものでとても強固なものでした。
その資産を携えて、1996年、ジョブズ氏は瀕死のアップル社に戻ります。
 ジョブズ氏がアップルに戻った2年後の1998年に発売されたiMacは、市場に大いに受け入れられ、アップルは回復の兆しを見せはじめました。
3年後の2001年に投入されたMac OSXは、Windows2000を追い越すべく堅牢でネットワークに強いものでした。
そのOSは、マイクロソフト社からPCのシェアを奪い返す切り札と期待されました。
しかしながら、市場にあまねく使われたWindows98/2000/NT/XPはあまりに巨大で、シェアの回復はほど遠いものでした。
 
■ iPodとそのビジネス
Mac OSXがリリースされた同じ年の2001年、ジョブズ氏は、パーソナルコンピュータとは違うビジネス製品を世に出します。
 
iPodの発売です。
これは、1980年代から20年にわたりソニーがウォークマンで世界を席巻してきたビジネス分野でした。
iPodの発売は、アップル社を単なるパーソナルコンピュータを開発製造する会社としてではなく、携帯音楽機器と音楽ソースを配信する会社として舵を切り始め、新しいビジネスを展開し始めたのです。
 
私は、当時、「これが彼のしたかったこのなのだろうか?」と、疑問に思っていました。
幸いなことに、このビジネスは携帯音楽機器の使いやすさが受け、またネットワークによる音楽配信の手軽さも手伝って大成功をおさめます。
アップルが始めたデジタル音楽配信は、音楽業界の革命だったと言われています。
このビジネスにより、CDの売上が激減し市中の音楽販売店が店じまいする契機ともなりました。
ソニーが育てたウォークマンにも甚大な被害をもたらしました。
 
また、2007年1月に発売されたスマートフォン(iPhone)は、画期的な使いやすさが受け入れられて世界的にヒットし、携帯電話に革命をもたらしたものとなりました。
 
■ アップルのデザイン
アップルのiPodの成功は、マッキントッシュで長年培ってきたパーソナルコンピュータ製造の設計ノウハウやデザイン技術、それに使いやすい操作性へのこだわりの文化があったからこそなしえたものだと思っています。
ジョブズ氏がこうしたビジネスを立ち上げて成功してきた流れの中で、最後の仕上げとして見据えていたものはマッキントッシュだったのだろう、と思ってきました。
マッキントッシュ自体は、iPod、iPhone、iPadの成功の影に隠れてマスコミに多くを取り上げられることはありませんでしたけれど、確実に進化を遂げて来ていることは実感できました。
特にMacOSの進化は、確実で堅牢でスマートなものでした。
こうした製品群をジョブズ氏はどのように料理して、はたまた、もう一つ手をつけていないビデオ機器についても、どのようなビジョンを持って製品化していくのか、そのことをiPadの発売以降とても注目していました。
 
■ ポスト ジョブズ
残念ながら、Mr.Appleは、今、命燃え尽き、彼の産んだ製品群の行く末を見ずに永久の別れをしてしまいました。
彼亡き後、どのような舵取りでアップルが進んでいくのか、心配もあり期待もあります。
願わくば、彼が最後の仕上げとしていたであろうマッキントッシュのより高度な進化を、今後も今まで以上突き進めて行って欲しいものだと思っています。(2011.12.02追記)(2012.09.23追記)

 

 

 


 

 

 

 

■ マッキントッシュと私
マックが個人で手が届くなと実感したのは1993年(37才)の春でした。
1年前の1992年よりカタログを取り寄せて、マックで何ができるか、マックを使いこなせるかどうかの検討を始めていました。
 
当時(1990年代初め)の私は、NEC9801の『AutoCAD』と東芝のワープロTOSWORD、Rupoでだいたいの仕事をこなしていました。
しかし、マックの持つフォントの多様さ、レイアウトの多様性、写真の添付、ドロー描画の威力、マルチ画面の威力、多くのゲーム、等どれをとってもマックは魅力十分な存在でした。
 
しかし、高かった。
 
当時勤めていた私の事務所には自由に使えるマックはなく、欲しいとは思ってもそれを買うという決断を維持・増強することができず1993年の3月までの5年間をあいまいなまま悩んでいました。
 
1988年、仕事で金沢工業大学機械の田辺秀明先生(1996〜、群馬大学教授)を訪問した際、先生から Macintosh IIを見せていただき、熱心に Macintosh のGUI(Graphical User Interface:わかりやすい画面表示)を説明していただきました。
 
1992年に母校、名古屋工業大学の太田安彦先生を訪ねたときも、先生は Macintosh Classicを用いてグラフや表、フォントを多用し、魅力ある論文を次々と書いておいででした。
同時期、三菱自動車のエンジン研究部 安東弘光氏(GDI開発責任者)は、写真と図を多用し彼の発案した新型エンジンのコンセプト、実験成果などを学会などで発表されていました。とても魅力的でした。
(当時は、MacDraw = マックドローを使っていらっしゃいました。安東氏の趣味は、今もマックとのこと。2000.12
最初に購入した Macintosh LCIII (1993年)
これらの先生方は、今もマックを使用されていて、ソフトはIGOR(イゴール)と呼ばれる編集ソフトを使っていらっしゃいます。
グラフや写真がとても綺麗に思い通りに編集できるそうです。使い勝手はプログラム言語の感覚に見受けられました(2000.12)
 
スポーツ工学学会でお会いした筑波大学のスポーツ研究者 宮地力 先生(国立スポーツ科学センター、2001〜)からは、1993年当時、研究室に Macintosh を数十台ネットワークでつなげて『Mathematica』という数学モデルソフトウェアを用いて、スポーツの運動画像を自動計測するソフトウェアを作った話をして下さいました。
 
1993年2月に仕事で渡米した際、行く先々でマックを購入しようかどうかと悩んでいました。
米国の学会や展示会で見たWindows3.1も使いやすくなったとはいえ Macintosh を上回るほどのインパクトはありませんでした。
米国で買い求めた Macintosh の雑誌、書籍(それになぜか英語のワープロソフト)を帰国途中の機内で見ているうちに、もはやこれしかない、という結論に達しました。
 
帰国後早々、販売店から見積もりをもらい妻の了承をとりつけ、50万円という私にとっては大金を用立てLCIIIを購入しました。
 
マシンは、CPUにモトローラの68030 25MHzを搭載し、メモリは4MBRAM、ハードディスクドライブは80MBで、これに13インチカラーモニタ、マックライトII(ワードプロセッサ)、スタイルライター(白黒インクジェットプリンタ)、FAXモデム、ラック、OAチェアを併せて購入しました。
 
コンピュータが納入された日、当時小学校5年生だった長男と一緒に20枚ほどあるフロッピーを一つずつ入れながらシステムをインストールしたことを覚えています。
 

 
 
 
■ マックの良さ
 
マックと1993年に出会って足かけ14年(2007年時点)。時間とお金を湯水の如く使った印象を拭い切れません。
それでも私にとってマックは得るものは大きかったといえます。
ドキュメント管理、データ管理が整備され、お客様や仕事仲間にタイムリーに情報を提供できるようになりました。
今はまた、インターネットと呼ばれる新しいメディアを使って情報交換ができる恩恵を受けています。(2007年記述)
 
今まで12台のマックを購入しました。(2017年記述)
 
  1. Mac LCIII  - 1993年
  2. Color ClassicII  - 1994年
  3. PowerBook Duo230  - 1994年
  4. Power Macintosh 6100/66  - 1995年
  5. Performa5440  - 1997年
  6. Macintosh Power Book 2300C  - 1997年
  7. PowerBook2400c/240  - 2000年
  8. PowerMacG4Dual1GHz  - 2003年
  9. iBOOK  - 2003年
  10. PowerBOOKG4  - 2006年
  11. MacBookPro  - 2011年
  12. iPad2  - 2011年
  13. iMac - 2013年
  14. MacBookPro - 2016年
 
私のライフワークとして、今後もWindowsではなくマックを使っていきます。
マックの息の根が止まり、マックを凌ぐ環境がWindowsかもしくはインターネットJava環境で構築される日まで、マックで培った資産とテクニックを駆使してマックとつきあっていくつもりです。
(と、1998年はそのように悲観的に思っていましたが、2011年時点は、共存できると思うようになりました。)
以下は、マックとつきあっていて良かったと思う点です。
 
 
 
【ネットワークの容易さ】(1998年までの話)
マックは、購入の最初からアップルトーク、イーサネットが装備されています。
事務所などでマック仲間が増えると即座にネットワークを組んで仲間入りをさせ情報を分かち合います。
マックのネットワークにはネットワークの管理者がいません。
従って誰か彼かが助け合って社内LANが出来上がっています。
社内にはWindowsのLANも走っていますが、これは管理者が必要です。社外秘の情報も多く気軽には扱えません。社内LANにはWindowsNTのサーバーがあって、そこにマックがイーサネットを通じてアクセスできる領域が確保されています。
ここがWindowsとマックの交差点でデータの相互乗り入れを行っています。
マックユーザのほうがドキュメントを制作する能力が高い人が多いので、文書フォーマットなどはマックから作られるケースが多く、相互乗り入れできるクラリスインパクト、ファイルメーカPro、Excel、Word、Photoshop、PowerPointなどを我々ネットワークの標準アプリケーションとして使っています。
1998年10月にマック用のOffice98が出てからは、かなり相互乗り入れが楽になりました。
ファイルメーカProは完全に互換性が取れいて、どちらの機種でも同時に同じファイルを開いて更新できる優れものです。
 
→ 2012.09コメント: 1998年に書いた上のコメントは、2012年にあっては陳腐化されました。
ネットワーク接続はWindowsXP以来、随分と楽になりました。
しかしそれでもMacに慣れた私にとってMacでのネットワーク接続は簡便で楽です。
その接続のしやすさは、iPhone、iPad、iPod touchを使われている人には理解できることだと思います。
【洗練された画面】 - とにかくわかりやすい。ストレスなく作品ができる。
マックのGUIは、完全に仮想世界です。実際のものではなくバーチャルな環境を私たちに提供してくれます。
マックの中に机があり、ゴミ箱があり資料フォルダーがあります。
それを専門用語でメタファーと言うのだそうですが、そのメタファーの構築がマックではWindowsに比べ一日の長があります。
(2004年5月の時点でもまだマックの方がデスクトップの画面がきれいですし、MacOSXのドックの使い勝手ははなかなか見事です。)
子供の「ままごと」やテレビのドラマと一緒で、約束の中で遊ぶ場合には、できるだけ現実に即することが大事です。
これは、アラン・ケイがゼロックスのパロアルト研究所にいた時からアップルでマックを開発するに至るまで提唱してきた一番大事なことです。それが「使いやすさ」につながるからです。
Windowsは、コンピュータの中にコンピュータがあり不自然です。
気にしない人は全く気にならないでしょうが、作品を美しく仕上げる人たちが多いマックユーザにはこれをとても気にします。
女性はそういったフィーリングがとても強いので、創作意欲の強い女性社員に二つのタイプのコンピュータを見せれば間違いなく Macintosh を選ぶことでしょう。

私が使っているMacG4デスクトップ画面のドック。(2004年時点)

■ ドックの説明
マックの画面下に配置されているドックに日頃よく使うアプリケーションをドラッグすると、アイコン表示のエイリアス(Windowsではショートカットと言う)が格納されます。
私は、上に示したように、これだけのアプリケーションをドックに格納しています。
カーソルをドックにもっていくと、ドックに格納されたアプリケーションのアイコンが現れ、起動したいアプリケーションが大きく飛び出します。
アイコンの下に▲で表示されているアプリケーションは、すでに起動していることを示します。
右から4番目のアイコンは、「Fetch」と呼ばれるホームページをサーバーにアップするためのソフトウェアで、犬のアイコンです。
このアイコンは、ドックの中でジャンプしています(右図)。
ジャンプしているのは、このアプリケーションがユーザになんらかの操作を促しているためで、アプリケーションが操作の途中であるかなんらかの注意を促すサインです。
メールソフトのアイコンがジャンプしていれば、メールが受信されたことを示します。
ドックは、通常は隠されていて、カーソルを持って行くと現れます。
ドック機能は、デスクトップがスッキリしてとても使いやすいです。(2004.06追記)
【ファイル管理が簡単】
マックは、Windowsで作ったデータを読むことができます。しかし、WindowsはMacのデータを読んでくれません。
MOメディアで読み書きする場合、DMCP12(DMCP13)というアプリケーションにお世話になればWindowsの230MBメディアを読み書きできます。
(このソフトは、MOの衰退とともに、2006年では意味をなさなくなりました。
マックは、OS8.5から標準で「PC Exchange」の機能の中に、DOS/VフォーマットしたMOも読み込めるようになりました。(これは、1998年までの話です。
それ以降は、WindowsのCD、MOなどほとんどのメディアがMac OSXで読み込めるようになりました。また、ネットワークでもWindowsのワークグループに入っていけます。ただ、Windows98では、ファイル名が文字化けを起こします。(2003.07記
 
画像ファイルも、「GraphicConverter」と言うソフトを使えばストレスなく、かつ一気にWindowsで作った画像を変換表示してくれます
GraphicConverterは、ドイツ人Lemke氏の開発による画像変換ソフトウェア(シェアウェア)ですが、このソフトの充実ぶりには驚かされます。2007年1月時点のソフトはバージョン5.9.4で、100種類以上の画像フォーマットを開くことができます。
(2013年3月の時点では、バージョン8.5.3になっています。)
この画像アーカイブソフトウェアは、KodakのPhotoCDは取るに足らず、最近出回っている各種デジカメの画像フォーマットに対応して苦もなくファイルを見ることができます。Quicktime、WMVなどの動画も見ることができます
一連の画像(たとえば100枚程度の画像)ファイルを一気に希望する画像フォーマットに変換したり、ファイルの中の画像を一覧表示したり、スライドで見せてくれたり、レタッチできたり、これが¥4,000かというぐらいの優れものです。
Windowsにはこれほどの優れた画像オープナー・コンバータはないように見受けられます。
ちなみにこのGraphicConverterは数々のソフトウェア賞を受賞しています。
 
CAD(図面作成ソフト)は、2004年5年にVectorWorks10.5を購入しました。以前から「MiniCAD」を使っていて、その操作性に惚れ込んで今回やっと購入できました。
以前(1990年当時)は、DOSの「AutoCAD」を使用していましたが、マックの「MiniCAD」に出会ってそのすばらしさを知ってからはこれの虜になっています。
VectorWorks(MiniCAD)は、DXFファイルも読み込むことができるので、AutoCADで作ったファイルも読み込んで使っています。AutoCADのDXFファイルは業界標準で、DOSの時代のCADはこれしかなかったために、デファクトスタンダード(業界標準)になったものです
VectorWorksは、Windows版もリリースされViewerソフトも出ているので、これをWindowsに入れておけば、マックで作ったVectorWorksの図面データをWindowsで見ることができます。
AutoCADの欠点は、フォントの扱いが遅れていて文字を打ちにくい、表現しにくい、線巾が自由に変えられない、ハッチング処理が洗練されていない、などです。
(最近のAutoCADは改善されているのでしょうが)そのへんの事情はよくわかりません。)
 
「Photoshop」、「Illustrator」など出版・広告会社で定番の版下ソフトもMac・Windowsの両方がリリースされています。ただ、フィルターのライブラリやフォント、出力プラグインなどは圧倒的にMacの方が充実しているため、出版関係ではWindowsが前面に出て使用されることははあまりないようです。
また、プリンタに出力をするとき、 Macintosh では「プレビュー」という機能がありプリンタに出力する前にモニタ画面で出力する内容を事前に確認できるのですが、Windowsにはそれがありません。とんでもない印刷を多量に延々としてしまう失敗をWindowsで何回かしたことがあります。マックはその点画像機能が発達しているなと思いました。(2000.12)
インターネットホームページを作る人たちもマックを使う人が多いようです。ホームページを扱う広告業者は、「Windowsは、絵柄やレイアウトのチェックに使う程度」と言っています。
五十嵐進さんの書いておられる『これから始めるCAD - MiniCad6操作術』の本の中にAutoCADについてこんなくだりがあります。
 

「IBM/PCで成功をおさめたAutoCADは、80年代後半には Macintosh にも移植されプラットフォームを股にかけてCADの王者たらんとその地位を誇示するはずだったのだが、その思惑は期待通りには行かなかった。結局、オートデスク社はAutoCADを Macintosh 市場から撤退させることになるのだが、敗因の大きな理由が、AutoCADが「オブジェクト指向(Object Oriented)」でなかったことだ。Macintosh の多くのアプリケーションソフトがそうであるように、AutoCADの操作は全く逆である。結局のところ、Macユーザーが選択したCADは業界標準のCADではなく、デザイナーにとって使いやすい「オブジェクト指向」のCADだった。

【システムの一貫性】 (2000.12)
これは、2000年の話です。
マックは、システム性に優れています。コンピュータを買った後からでもプリンタやDVDやハードディスクなどを追加購入しても簡単に接続できます。DOS/Vだとなかなかそうは行きません。コンピュータに詳しくない人なら一旦システムを組み上げて購入したら、システムアップはしない方が無難です。
最近はコンピュータが安くなっていますから、新しいことをやりたければ全部新しいのにした方が信頼できますし安価にできます。
DOS/Vは、それほど安くなっています。
しかし、その反面、DOS/Vはいろいろな会社が持ち寄ってできあがっているコンピュータですから、ややもすると一貫性がなく責任の所在がはっきりしません。
 
WindowsパソコンはOSであるマイクロソフトのWindowsがもっとも影響力があって、次にCPUの開発であるインテルが影響力を持っています。そしてBIOS(CPUとの橋渡しをするチップ)の開発を行ってるIBM、コンパック、Phoenixなどが重要な位置を占めています。
これらが規格を作りながらパソコンのシステムを作り上げています。
方やマックは、OSからロジックボードからBIOSまですべてアップルが責任持って開発しています。
従って、システムの統一性から見てもDOS/Vとは隔世の感を持ちます。
 
 WindowsもWindwos98になって周辺機器への接続がかなり容易になってきました。
Windows95ですと慎重に機器の接続をしなければならなかったのですが、Windows98ではプラグアンドプレーが充実し、割り込みアドレスも自動割り振りとなって安心して機器のインストールができるようになりました。
USBケーブルではシステム電源を落とさなくて機器を抜き差しできます。
しかしWindowsではあまりにも機種が多いため周辺機器のサプライヤーが全ての機器の接続チェックをしているわけではないのでインストールには若干の緊張を伴います。(2000.12)
 
 
【ソフトのインストール】(2004.06.03)
2004年の話です。
ソフトのインストールに関しては、インストールのしやすさでマックの右に出るものはありません。
WindowsXPでやっとインストールもしやすくなったとはいえ、それでもインストールにはずいぶんと気を使います。
デバイスマネージャで接続する機器が受け付けられたどうか見なくてはなりませんし、認識していない場合には再度インストールを慎重にし直さなければなりません。
私は、家族の者や親戚のもの、友人のもの、仕事上でパソコンを組み上げる時に何度となくWindowsXPでのソフトインストールをやらされますが、その都度、「Windowsは、なんでこんなに面倒なのだろう」と心で呟いてしまいます。
Macにはその手の煩わしさがないのです。MacOSXになってさらに使いやすくなった感じを受けます。
 
 
【フォント】
マックの魅力に、フォントの多様さと美しさがあげられます。
マックは標準フォントに「OSAKA」を使用していますが、この字体は柔らかみがあって、品があり表現が豊かです。
Windowsには、マックのOSAKAに匹敵するフォントがありません。
MSゴシックがこれに相当しますが、この字体で表現されたインターネットのWebサイト画面はとてもゴツゴツして見にくいものです。
 わたしは、このホームページをマックで作っていますが、これを会社などでDOS/Vコンピュータで見ると字体に品がなくて寂しい思いをします。
DOS/Vにも、マックのOsakaフォントに相当するフォントを標準装備してもらえないんでしょうか、と思ってしまいます。(1999.6)
 結局のところ、オフィス用(会社の事務用)に供給されるWindowsは、あまりフォントにはこだわらないのではないかと考えています(ものによっては音の出ないDOS/Vマシンがあるのですから)。
 Windowsのマーケットシェアは大きいので、フォントなども別に買い求めればちゃんとあると思うのですが私の周りにはそうしたフォントを入れている人はほとんどいません。
Windowsというのはそういうもんなんだなっていう感じを抱いています。(2001.02記)
 2008年の現在になっても、Windowsのフォントはあまり芳しくありません。
インターネットがきれいに見られない。これは結構つらいものです。(2008.05記)
 
このフォントの問題は、2017年にあっても痛切に感じます。Windowsはフォントをないがしろにしているようです。
あのフォントでインターネットを見ていると辛く感じます。
iPhoneやiPadできれいなフォントでネットやメールが見られるのに、なぜWindowsはきれいなフォントを作ろうとしないのか、不思議でたまりません。(2017.05記)
 
 
【バックアップ】
1998年の話です。
Windows95を使用している私の友人が、ハードディスクの中身のバックアップをすべて一つのMOに取っているのを見てびっくりしたことがあります。
マックでは一つのハードディスクをパーテションで区切り、それぞれにシステムを入れたり、外付けのハードディスクやCD-ROMに別システムを置いて不具合が合ったときにシステムを交代して立ち上げることができるのに、Windowsではそれができないらしいのです。
マックでは、不具合が起きるのは、必ず‘何か’をシステムフォルダに入れた時か、新しいアプリケーションを立ち上げた時です。
その場合には、システムフォルダの中の「コントロールパネル」、「拡張機能」、「初期設定」フォルダの中の心当たりある項目を別フォルダに移すか捨ててやれば、ほとんどの場合これで復元することができます。
Windowsだとこれがなかなか難しいらしいのです。
Windowsでは、アプリケーションを構築するファイルがバラバラに格納され、ユーザから把握するのが難しいというのです。
一般のユーザがWindowsのシステムまで立ち入らず、コンピュータにお任せで使っているのが納得できる症例です。
それだけシステムの中身が難しいのでしょう。
 
これは、Windwos(DOS/V)の成り立ちを見れば明らかです。
Macintosh がアップルがハードとソフトウェア両方を責任もって設計・製造しているのに対し、DOS/V機は、総責任者が不在なのです。OSはマイクロソフトが作ります。CPUはインテルかAMD、ロジックボードはコンパックかDell、はたまたコンピュータメーカが作ります。
PCIボードは、スロットはあるけれどもアドレスなどの細かい取り決めはシステムの方で把握し切れていないので、ボードを追加挿入するたびにボード間で通信がぶつからないかを心配しなくてはなりません(これはWindows95までの話、Windows98では自動割り当てで随分楽になった。 - 2000.12)
 マックでその人それぞれの個性が出せるのは、比較的簡単にシステムフォルダの中身をいじることができるからです。
反面、システムまで立ち入ることができるので「爆弾」も出やすくなります。マックがフリーズしたとき「爆弾」マークが出るのは一般マーケットを考えた場合適切なアイコンでは無いと思います。
実際は、「何か新しいものを入れたね。これだとおなか壊してしまう」みたいな軽いジョークで流した方が、マックは壊れやすいという風評を1/10程度に抑えられたと思います。
 Windowsユーザで、自身のデータをこまめにバックアップをしているユーザはどれくらいいるのでしょう?
最近、インターネットによるウィルスの被害が多く出てきているため、Nortonなどのアンチウィルスを購入される人が増えてきてはいるものの、システムの管理やデータのバックアップをこまめに取る人は稀なような気がします。
それだけ、パソコンに疎い人たちがこぞってWindowsを使いだした証なのです。
けれど、どうして、難しいWindowsを選ぶのでしょう。ほんとに奇妙なことです。
日本人の寄らば大樹の影的な発想で、みんなが使っているから買う人が多いのです。
実際の運用は結構大変なのですけど(2004.06)
 
 
【検索機能 - Spotlight】 (2007.01.04)(2010.11追記)
 2005年4月に発表されたMacOSX ver.10.4(通称Tiger)に強力な検索機能がつきました。
ハードディスクに保存した文書の内容やファイル名をたちどころに検索して表示してくれる機能です。
この機能はスポットライト(SpotLight)と呼ばれているもので、アップルが昔から暖めていたシステムの機能の一つです。
この機能は、MacOS8までにSharlock(シャーロック)という機能で提供されていたものと同じアイデアのものですが、これはそれほど強力な機能ではありませんでした。
SpotLightは、とても洗練されていて、検索を実行する待ち時間がほとんどなく、検索したい単語を入れる端から候補のファイルが表示されていきます。
これはiPodで有名になっている音楽管理ソフトiTunesを操作されたことのある人には理解が早いと思いますが、iTunesで聞きたい音楽を検索すると瞬時に検索結果が現れるのと同じ感覚です。
とにかく速い。
WindowsXPにも検索機能があって、ファンキーな犬が出てきて検索を始めます。
しかし、あれはとても遅い。10分など平気でかかってしまう。
あの犬を見るのも嫌になるほど、もたもたと検索を行います。
だから、ほとんどの人はWindows で検索をかけることをしてないと思います。
 スポットライトは、この点出色の出来です。
ファイルの中の文字列を検索できるのは、WordなどのOffice系ファイルとPDFファイル、HTMLファイル(インターネットファイル)、テキストファイル、システムがサポートするメールファイル、アドレスファイルに限られていて、イラストレータファイルやCADファイルの中身は検索できません。
Windows では、Google検索というのがありこれは結構迅速な検索を行うようです。
ただ、この検索サービスは、なぜかインターネットをつなげていないと機能しません。
自分のパソコンの中身を調べるだけなのに、なぜインターネットをつなげなければならないのか、意味がわかりません。
ひょっとして、パソコンの中身をすべてGoogleが吸い上げている?? などという妄想が広がります。(2010.11追記)
 
 
【何故Windows?】 (1999.04記)
この項を見られた人は、
「安藤さんはずんぶん偏見をもって書いておられるな。現実はWindowsが90%以上(1999.4時点の日本のシェアは82%)のシェアを持っていて、Macなんて2割程度じゃないか。この数字の事実はしっかり認識する必要があるのではないか」、
とご指摘されるかもしれません。確かにその通りで、勤め先でもWindowsマシンが有象無象にごろごろころがっています。
かくいう私も、会社ではWindowsを使っているのです(ただし、慣れていないためおっかなびっくりですが)。
Windowsにしかできない画像処理ソフトウェア(欧米のソフトウェアはWindowsが圧倒的)などではWindowsで画像を処理します。
私個人の世界では、Macが圧倒的に使いやすいので、WindowsのデータをCDかネットワークでMacに送ってマックでより細かな仕上げをします。
使う相手がWindowsで、データをWindows用にしなければならない場合、再びWindowsに戻すような使い方をしています。
 
    「Windowsは会社が買い、Macは個人が買う」
 
これほど両者を端的に言い当てた言葉はありません。
事業所でイントラネットを整備するとき一度に数百台のPCの発注があると言います。
マックは残念ながら広告関連の事務所などの小規模注文が多いから数台から十数台が精一杯です。それと個人。
Macを身銭を切って血道を上げて遊ぶ。そんなMacユーザと、会社の与えられたWindowsでシステムを壊さないようにおっかなびっくり使うユーザでは、コンピュータを視る支点も力点も違います。
当然結果も推してしるべしでしょう。
稼働率、使用率から言えばかなりマックは使用されているのではないでしょうか。
ただ、これはWindows陣営の正しい判断だと思うのですが、Windowsはマーケットの育て方が上手かった。
MS-DOSからの資産やお客を大事にしました。
反面Macは、マーケットを甘く見て増上慢でした。
Macの操作環境のすばらしさ過大評価し、Windows3.1(Windows95)を過小評価しました。
仲間を増やさずMacブランドに固執し、何よりも高価だった。
高価であることでブランドを維持しようとした風も見えました。
ちょうどヤマハがピアノでブランドに固執し、SEIKOも時計でブランドに固執したように
(結局どちらもCASIOの低価格路線にしてやられた)。
この視点から今でもMacを嫌うDOS/Vユーザがいます。 (1999.04記)
 
 
■カスタムメードPC  (2001.02)
DOS/Vの世界は、持ち寄り所帯で全ての規格は標準化を進める機関で取り決めがなされます。
従ってすべての構成品がモジュールとして販売されていて、興味あるユーザーは個別にこれらを買い求めて自分のPCを作り上げてしまいます。
マザーボードという基板を買って、それに自分の希望するCPUを乗っけて、それに附属する周辺装置(CD、DVD、HDD、PCIボード)を結線して最後に箱(エンクロージャー)に入れ込んで出来上がり。自分で作ると部品部品を都度入れ替えて好きなマシンに仕上げられます。
残念ながらマックはこうしたことは不可能です。
本体内部を、つまりCPUを入れ替えたり、BIOSを入れ替えたりなどと言うことはできないのです。
マシンを安く仕入れる、作り上げるという観点からはDOS/Vの方がオープンであると言えなくもありません。
マシンの信頼性は別問題として。(2001.02)
 
 
【今後のMac】  (1999.04.25)
Windows98が登場した頃のお話です。
ハードウェアもOSもすべて純血を守り通していたマックは、価格の割高感もあってシェアのじり貧にあえいできました。
1997年、アップルの創始者スティーブ・ジョブズが返って来るや、ドラスティックな改革を実行し、赤字続きだった同社を黒字に転換させてしまいました。
主な、改革は以下の通りです。
 
  1. マイクロソフトと株式資本での合意に達し、
    マイクロソフトのアプリケーションソフトの互換を始めた。
  2. DOS/Vで使われている周辺機器の採用に踏み切った。
    (PCIボード、IDEのハードディスクドライブ、ATI RAGE画像表示ボードなど)
  3. 売れる機種に絞って経営状態を向上させた(G3マックの投入)。
  4. デザイン、使い勝手に優れたiMac、iBookを登場させた。
 
彼が打ち出す方針は次々と当たり、1999年4月時点、6連続四半期黒字で、1999.4月の4半期では1億3500万ドルの利益が出たという経営が続いています。
特にiMacの爆発的人気は、1機種のコンピュータとしては過去最高の総出荷台数(827,000台)を記録し、米国でのシェアを12.5%まで引き上げています。
この成功が今後のアップルの方針を興味深くさせています。
 
問題点も無いわけではありません。
 
  5. 画像表示が遅い - 競争の激しいDOS/V機では次々に高性能な画像ボードが開発されている。
  6. 高速バスの採用が遅れている - DOS/VはPCIバスから次なる新しい高速バスの採用を進めているのにマックはPCI対応のまま。
 
などです。
 
しかし、総じてマックは買いです。
1日中(DOS/VやらNTマシン)コンピュータの仕事をしている人が、家に帰って憩いを求めるようにマッキントッシュを使っているという話をよく聞きます。
24時間仕事をするデザイナーは勿論マックにどっぷり。
かくいう私も24時間に近いくらいマックに向かっています。
Windowsだったら・・・、どうでしょうか?
 
 要するに使いやすい、仕事がはかどる、自分のイメージあった作品ができやすい。
これがマックを捨てきれない大きな要因だと思います。(1999.04)
 
【東京大学のネットワークPCに約1000台のMacを導入】 (2003.11.30)
2003年9月に驚くべき情報が入りました。
東京大学の学生や教職員など約3万人が共用するパソコンの大半1,142台がiMacベースになったことが新聞、メディアで報道されたのです。
マックは個人が使う、と信じていた私にはなにやらワクワクする情報でした。
なぜ、Macなのか?
東京大学は、これまで使っていたLinuxベースのx86系PCを入れ替えて、OSXで動くiMacを2004年3月までに導入することに決めたのです。
 iMacの導入に決めた大きな理由は、以下にあるとのことでした。
 
■ 従来のLinux系PCの限界
東京大学は、これまで学生、教職員が共用で使うパソコンとしてネットワーク上のサーバーからOSイメージをブートするLinuxマシンを使ってきた。この方式だとパソコン用の特定アプリケーションを使う場合、それ専用のパソコンを用意しなければならなかった。
Mac OS Xを使うと、こうした問題の大半が解決することが分かった。MacのOSXをNetBootさせて、MS-Officeなどのオフィスアプリケーション使用可能となる。さらに、Windows Terminal Serverを使ってWindowsのアプリケーションも利用可能。コスト効率を考えると効果的な選択となる。
 
 
■ネットワークの堅牢性
東京大学は、キャンパスが本郷、駒場、柏と距離的に離れていて、ここで非常にたくさんのユーザーが利用する。このネットワークを管理するのは、数人のチームであるため、日常でトラブルがなく、安定した稼働が必要条件となる。UNIXの堅牢性、JavaやCの学習環境からMacを検討すると、MacのOSXは、BSDをベースにしたUNIXであり、ネットワーク環境には申し分ない性能を持っている。また、大学で必要な開発環境もほとんど装備されている。例えば、UNIX、GCC、Javaの開発環境が直接利用できる。
 
 
■ ハードディスクなしのiMac
東京大学に納入するiMacは、PC内のハードディスクから立ち上げずに、NetBootで立ち上がるようになっている。ハードウエアトラブルの対応を考慮したもの。このシステムを採用することにより、万一ハードウエアのトラブルに見舞われても、ハードウェアを取り換えるだけで元のように使用可能。内蔵ハードディスクから立ち上げるシステムだと、ハードウェアを取り換えた後、環境設定を再度行わなくてはならず大変は労力がかかる。システムはサーバが管理するため、ユーザーがどこの端末からログインしても、自分の環境をデスクトップに呼び出せることが可能。NetBootは、仮に学生が自分のパソコンを学校に持って来て、ネットワークにつないでも授業環境ができ上がる。 NetBootをノートパソコンも含めてOS標準の機能としてしっかり保証しているデスクトップPCはMac以外にはない。1149 台をブートするというプロジェクトは世界にも例がないとのこと。マックのOSXではそれができる。
 
 
■ 対Windows環境
MacからWidowsターミナルサーバーにアクセスしてWindowsソフトが使える環境を用意。その理由は、統計処理用のソフトウエア「SAS」を使うため。SASはMac OS X用がないため、Windowsターミナルサーバー経由で使用。
 
 
■ 波及効果
東京大学の事例が成功すると、他の研究組織にも大きな影響が出てくると期待される。UNIX、Linuxをベースに情報科学教育を進めている所(NeXTを導入していた大阪大学など)は注目していると予想される。小さな組織では、一人の管理者がすべてのネットワークコンピュータを管理しなければならない状況にある。MacのOSXでは、管理体制が簡便化できるメリットがある。NetBootを持たないネットワークシステムでは管理がとても大変。初等、中等教育の現場では、システムフォルダをごみ箱に捨てる児童、生徒が必ずいる。そうなってもNetBootがちゃんと機能していれば復旧になんら問題がない。
 
 
 
【あまりに美しいG5】  (2004.06.06)
PowerMacG5がリリースされた時の衝撃はすごいものでした。
今までにこれほど美しいパソコンがあったでしょうか。
その美しさは機能美による究極的なものに思えました。
多くのパソコンメーカが激しい価格競争の中で戦っているのに対して、PowerMac G5 は次元を超えた提案をしています。
車で例えるならば欧州の高級スポーツカーを彷佛させる機能美を備えたデザインです。
整然と並んだ内部部品のレイアウトは微塵の妥協も見られず、冷却用の空気の流れのレイアウトからきれいな基盤のレイアウトに至るまで内部回路の信頼性の高さを伺い知ることができます。
他のパソコンでこれほどきれいな内部レイアウトを持ったものが他にあるでしょうか。
多くのパソコンは、出来合いのマザーボードと電源ユニットを仕入れて規格のハードディスクやCD機器を組み入れるため内部は雑然としていて電源ケーブルや信号ケーブルが空中を飛び交っています。
ボードの取り付けも立て付けの悪い建て具のようにガタがあります。
そうした安価なパソコンに対し、PowerMac G5 は、あきらかに総合的なデザインを煮詰めてパッケージングされています。
マッキントッシュは以前からデザインに秀逸なものを多く世に出してきました。
今回のG5は、その集大成とも言うべきとてもすばらしいデザインをしています。
過日、大手電機メーカの研究所エンジニアと仕事を共にした時、このパソコンのデザイン(工業デザイン)の秀逸性に「見事だ!」と言っていました。
彼は、もちろん公私に渡ってWindowsユーザです。
また、デザインの秀逸さも見事ながら、その使い勝手も注目に値します。
  
あまりに美しいPowerMac G5 (2004年6月)
 
このパソコンを見た時、パソコンも量から質へ変わるのではないか、と思いました。
ただ単に安価なもの、むちゃくちゃに高速なモンスターマシンという路線とは一線を画した、持つ喜び、使う喜びを与えてくれるマシンのような気がします。
Macのデスクトップの使い勝手は定評のあるところです。
こうしたハード、ソフト両面で優れた製品を出しているマックは今後もパソコン業界の中で面白い位置を築いて行くように思います。
たとえトップシェアにならなくても、こうしたマシンの良さを認めて、使う喜びを感じていく人たちに愛されながら歩んで行くものと思います。
 私は、まだこのマシンを持つ余裕がありませんが、ゆくゆくは持ってみたいと思っています。
 
【Macにインテル社製CoreDuoプロセッサ搭載】 (2007.02.11)(2008.05.25)(2011.11.25)(2013.04.02)(2017.05.02追記)
マックは、開発当初からCPUに米国モトローラ社・IBM社製のものを使ってきました。
それを2006年にインテル社製のものに切り替えました。
インテル社製のCPUは、Windowsパソコンにあまねく使用されているCPUです。
このCPUの採用により、マッキントッシュはWindows OS環境で使用できるようになりました。
私が今までWindows とマックの2種類のパソコンを絶えず持ち歩いていたのが、IntelMac(いんてるまっく)を使えば1台ですむようになるのです。
これはすごい画期的なことです。
2002年にカナダに仕事で出張に行った時、現地の関連会社の人が2つのコンピュータを持ってやって来た私を見て失笑していたのを思い出します。
私にとっては真剣なことだったのですけど。
2007年の渡米の時も2つのコンピュータを持って行きました。
そうした苦労が、今後はなくなると思うとちょっとうれしい気がします。(2008.05.25記)
 
2011年4月、何度かのノートパソコンの更新の中でMacBookProを購入しました。
このノートパソコンは、インテルCPU(iCore7)が使われていてWindowsが走ります。
アップルがインテルCPU搭載したマックを出した4年半後に、私の夢がひとつ実現しました。(2011.11.25記)
 
2013年3月、10年使ったPowerMacに代えてiMac27インチを購入しました。このパソコンもIntelMacなので、Windows7が走ります。(2013.04.02記)
 
2016年4月、MacBookPro 15.4"(Retina、15-inch、Mid2015)を購入しました。(2017.05.02記)
 

 


 
 
 
 
 ■ マック遍歴
 

☆1993年4月 Macintosh LC III
小遣いをはたいて、Macintosh LCIIIを購入しました。
このマッキントッシュは、
CPUが、モトローラの68030@25MHzで、
4MBのRAM、80MBのHDDを装備し、
System7.1で動きました。
カテナで購入しました。
 
幼い長男(当時、小学校5年)が喜んで、二人で15枚もあるフロッピーを入れ入れしてシステムを立ち上げました。
彼は、キッドピクスがお気に入りで、誰に教わるともなく絵を描きスライドショーにしてそれに音声を入れて紙芝居を作っていました。
しかし、4MBのRAMはシステムを立ち上げるだけで精一杯で、仮想ディスクをONにしてもアプリケーションが開いている間中ハードディスクがうなりっぱなしでした。
RAMメモリが大事なことを勉強しました。
購入した1ヶ月後に、秋葉原のディスカウントショップ「ステップ」で8MBのメモリを¥30,000で購入しました。
12MBのRAMになったLCIIIはストレスなく動くようになりました。
80MBのHDはすぐパンク状態になり、HDDを物色していたとき、六本木「ステップ」のオープン記念で「Quantumの240MBが¥40,000」の広告品を知り、行列を作って買いました。
このハードディスクをパーティションで2つに分け120MBずつにして大事に使いました
 
 
 
☆1994年4月 Color Classic II

    

         Color Classic II 1994年4月

        PowerBook Duo230 1994年12月

会社にMacを置く必要上、Color ClassicII(RAM8MB、HDD160MB)を購入しました。
T-zone 秋葉原で¥109,000でした。
会社でNEC9801とTOSWORD、自宅でマックと分割して仕事をしていましたが、マックの方が効率が良いため会社にマックを置くことを決めました。
机に大きなマックを置くスペースがなかったことと、お金がなかったためにColor ClassicIIを買いました。
RAMを買う金がなかったのでRAM Doublerを使いました。
HDDも小容量だったので、AutoDoublerというソフトで見かけの容量を大きくして使用しました。
これで、NEC9801とTOSWORDにサヨナラとなりました。
 
 
 
☆1994年12月 PowerBook Duo230
PowerBook Duo230を購入しました。六本木ステップで¥114,000を出して購入しました。
私が購入した初めてのノートパソコンでした。
それまでパソコンの文書管理は、会社と自宅のコンピュータ内のデータをフロッピーに収録して往復していましたが、データ容量が大きくなり、往復に必要なフロッピーも3枚になりました。
また、データベースのデータが1MBを超えるようになりフロッピーでは取り扱いが難しくなりました。
当時、230MB容量のMO(光磁気記録装置)が出始めていた時期で、ドライブ装置の価格が¥150,000前後、メディアが1枚¥5,000程度しました。
CD-Rはまだこの時期一般的ではありませんでした。
MO装置を2台購入することはできないので、モバイルができる軽いPowerBookを物色してDuoを買うことに決めました。
このDuoを使って、会社のデータと自宅のデータを「Synchronize」というアプリケーションソフトで更新させ機動性を高めました。
このDuoには、モデムが内蔵されていてFAX通信することができました。Niftyに加入してソフトをダウンロードしたり、出張先からFAXを送信したり、海外からFAXを送ったりした。
Syncronize!」は、2013年4月現在も現役で使っています。ver.6.2で「syncronize! ProX」という商品名になっています。2013.04.02追記。2017年5月現在も現役で、ver.6.8/Oct.2015です。2017.05.17追記
 
 
 
【Duoの故障】
 Duoは、大きな病気を2回しています。
1回目は、保証期間中の1995年7月におきました。
その症状は、ディスプレー画面が乱れてしまい、コントラスト・明るさ調整ができないもので、さらにキーボードがヘタる不具合でした。
これは、購入した六本木Stepに持ち込んで無償で修理してもらいました。修理に1ヶ月かかりました。
ちなみに、六本木Stepは翌月の8月に店をたたみ、翌年9月にはStep自体が倒産してしまいました。
Duoは、2回目も同じ不具合が起こりました。
1997年5月米国出張を終え日本に帰り、イギリスに向かおうとしていた矢先でした。
実は、この不具合はDuo230の持病ともいえるもので、ディスプレーのフレキシブルケーブルがちょうど手でつかむ箇所に配線されているため、持ち運ぶ際に裏板がケーブルを圧迫して断線してしまうというものでした。
この不具合は、何度も再発していて保証期間が過ぎた後は、自分で裏蓋を開けて配線し直したり、補強を行っていました。
今度はこれに加え、明るさが調整不能になり真っ白な画面しか表示されなくなりました。
修理代¥60〜¥70,000を払うのが得策なのか、新しいのを買うのが得策かを考え、製造中止直後で値段の下がったDuo2300Cを中古で買うことにしました。
Duo230は、1994年12月から1997年6月まで使いました。2年半の寿命でした。
Duo230の樹脂製のカバーは、薄くて剛性が弱くペラペラという感じでした。
このパソコンは見るからに貧相で虚弱体質でした。
 
 
 
☆1995年8月 PowerMacintosh 6100/66

                   Power Macintosh 6100/66

 

                    Performa 5440

 

           PowerBook 2300c

Power Macintosh 6100/66を購入しました。
アプリケーションがどんどん大きくなり非力な68KのCPUでは苦しい状況が出てきました。
この年の夏休みに、秋葉原に日参しPower Macを物色して歩きました。
最終的に、LAOXザ・コンピュータMAC館でPower Macintosh 6100/66、16MBRAM、350MBHDDを¥190,000で購入しました。
1995年の夏休みは、PowerMacの立ち上げで暮れました。
PowerMacの威力はすごく、アプリケーションや検索、ドキュメントのローミングを目の覚めるような速さで展開してくれました。
お金がなかったので、モニタは13インチのモニタをそのまま使いました。
今まで使っていたLCIII本体は、行く先が決まらず休眠したままになっています。
HDDとRAM、イーサネットを追加装備してサーバーとして使おうかとも考えています、が、投資がそこまで回っていません。
Power Macintosh 6100/66は、1年半後の1997年2月に息子が使いはじめ、2000年8月まで使ったので5年間の命でした。
 
 
☆1997年2月 Performa5440
Performa5440を購入しました。ひょんなことから家庭内で特別予算が計上されて、コンピュータが買えるメドが立ちました。
会社で使っているColor ClassicIIをPowerMacにしたかったので、Color ClassicIIを会社のお嬢さんに使ってもらって(ワープロ代わりなら十分に使えるし、ネットワーク環境でも十分に頑張っている)、自宅のPower Macintosh 6100/66を会社に持っていき、自宅にはPerforma5440を設置しました。
購入先は、ビックカメラ池袋で、価格は¥330,000でした。
16MBRAM、HD1.6GB/180/8XCD/TV/Expressモデム、2次キャッシュメモリと言う性能で、これに32MBRAMを追加しました。
このコンピュータは、1997年2月から2003年2月までの6年間使いました。
 
 
☆1997年6月 Macintosh PowerBook 2300C
前にも話したとおりDuo230が壊れたので、Macintosh Power Book 2300C(20MB RAM、1.1GB HDD、Modem)を購入しました。
秋葉原ソフマップの中古ショップで¥196,000でした。これですべてコンピュータをPowerPC化しました。
このノートパソコンは、1997年6月から2000年2月まで使いました。2年8ヶ月使いました。
 
 
☆1999年3月
1998年は、G3マックの発売とiMacのブレークで明け暮れました。
この間、何度か新しいMacを購入しようと秋葉原、池袋に足繁く足を運びましたが、新しい機種の購入には至りませんでした。
その代わり、35mmフィルムスキャナー装置(OLYMPUS)を買ったり、会社のMac(6100/66)にメモリを増設したり(44MBから74MB)、家のPerforma5440のメモリを増設しました(48MBから104MB)。
家のPerformaでインターネット(Netscape Navigator)を立ち上げ、ホームページソフト(クラリスホームページ3.0)を立ち上げ、Fetchでファイル転送すると、メモリがアップアップになりました。
そこで64MBのDIMMメモリを¥18,000で購入しました。
 
 
☆1999年7月
会社もマックを公費で導入できる環境ができて、iMacを購入できました。
そのお陰で別の人が使っていたUMAX社のマック互換機を使えることになりました。
333MHzのG3で動くiMacに比べて鈍いことは否めませんが、SCSIのアクセサリーを持っている私には十分でした。
このマシンは、PowerPC200MHzで動きOS8.6を積んでいます。
憧れの17インチモニタも確保できて作業スペース(モニタ上の)も拡がって快適になりました。
今まで使っていたPower Macintosh 6100/66は自宅に持って帰り、次男(中学2年)が使い始めました。
自宅のコンピュータ(Performa5440)、PowerBook Duo2300cのOSは、7.6.1のままでした。
バージョンアップをしなかった理由は、このOSの方が軽くてCPUに負担をかけないことと、今まで使っているNowUtilitiesがOS7.6.1までのサポートで倒産してしまったので、アップバージョンできないためです。
NowUtilitiesは、ActionFileに全ての機能を移したとアナウンスしていたので買い求めたのですが、結果は期待はずれでした。
 
【Now Utilities】ナウ・ユーティリティは、Macの画面表示のアプリケーションソフトウェアで、ファイル操作やアプリケーション表示を即座に簡単に行ってくれるものです。これに慣れると、このユーティリティソフトウェアがないと操作がとてもまどろっこしく感じてしまいます。当時としては秀逸なソフトウェアでした。
 
【BeHierarchic】
 NowUtilitiesに代わるOS8.6のメニューユーティリティとして、知り合いに紹介してもらった「BeHierarchic3.1J3」を入れて試験運用を始めました。使い勝手も徐々になれ、これなら家のコンピュータにも使えるな、という感触を得ました。
 なぜ、私がメニューユーティリティに固執するかというと、マックでいろんなファイルを開いて作業をするときにお目当てのファイルを即座に開きたいという欲求があり、NowUtilities以外この欲求を満足してくれるものがなかったのです。
 OS8.6も標準でアップルメニューの階層化表示をしてくれるのですが、表示は名前だけでアイコン表示がなされませんでした。
アイコンというのは非常に認識がしやすく、アイコンでメニュー表示されるのとされないのでは3倍くらいのアクセス時間が違ってきます。これを1日何十回となくやるわけですから、メニューユーティリティにこだわる理由がわかってもらえると思います。
 「BeHierarchic3.1J3」は、アップルメニューのみを階層化アイコン表示するユーティリティです。NowUtilitesは、4箇所程度ボタンを設定でき、それぞれに階層化アイコン表示ができました。それに加え、独自にショートカットが作れ、アプリケーションの「ファイル」→「開く」では使用したファイルを表示してくれるという優れものでした。(1999.8)
 
【Action Utilities】
2000年2月に待望のAction Utilitiesを入手しました。
これは、Now Utilities の流れをくむユーティリティソフトウェアで、MacOS9まで対応したものです。
PowerON社というところが開発してact2(アクト・ツー)という会社が販売しています。
このユーティリティは、ほしいアプリケーションやデータファイルをメニューバーから快適にアクセスできるものです。
メニューバーへの登録や削除も簡単にできるようになりました。
これを使うようになって、BeHierarchicは使わなくなりました。(2000.04)
 
こうしたユーティリティソフトウェアを使った画面表示機能は、マッキントッシュ自体のOSでどんどんよくなって、MacOSXが出てからはユーティリティソフトウェアを使わなくても同様以上の操作ができるようになりました。(2011.11.25)
 
 
 
☆2000年2月 PowerBook 2400c/240

 

     PowerBook 2400c/240

PowerBook2400c/240を友人から購入しました。
80MBRAM、2GBHDD、イーサネット、56Kbpsアナログモデムカードがついたもので、¥160,000で譲り受けました。
PowerBookは、3代目です。
それまで使っていたPowerBook Duo2300cのモデムが、昨年より全く機能しなくなり、修理を見積もってもらったところ¥60,000程度かかると言われました。
Duoはアップルトークしかインターフェースがなく、イーサネット対応が強く望まれ、それに加えて外出先で電子メールがとれるノートブックが欲しかったのです。
買い換えるノートブックパソコンの条件は、現状のDuoの大きさと重さであること、そして、SCSIかイーサネット通信が可能であることでした。
アップルからは、小型のPowerBookが出そうもないとわかった時点で、小型で人気のあるPowerBook2400cを中古で購入することにしました。
運良く、会社の友人がPowerBook2400cを譲っても良いと言ってくれたので譲り受けました。
DocoMoの携帯電話を使って電子メールをするために、TDKのDP9628というPCカードを¥12,000で購入しました。
これで、イーサネット環境、アナログモデム環境、携帯電話による電子メール環境が可能になりました。(2000.04)
このノートパソコンは、2000年2月から2003年7月まで3年半使いました。(2011.11.25)

 

 
☆修理
 
Duo230の故障修理は、先に述べたとおりです。
このほかにPowerMac6100は、電源故障を2回起こしています。
1回目は、1997年6月、私が長期出張中で会社を留守にして、部内の女子社員がデータをアップデートしてくれていたとき電源が入らなくなりました。
1年前にも甥のQuadraの電源も入らなくなり、電源部を¥30,000で交換したことがあります。
1994年頃のMacは、電源部が弱い欠点があるようでした。
修理は、通常は1ヶ月程度かかるものですが、私が懇意にしているNCR クイックガレージは在庫を豊富に持っていて、機材を持ち込めばその場で直してくれました。
PowerMac6100の修理は、池袋のNCR(正確には大塚)にMacを持ち込み、30分程度で直してもらいました。
費用は¥33,000程度と記憶しています。
同時期に、PerformaのSCSIがつながらなくなりロジックボードの不良が起きました。
これは1年以内だったため無料で交換してもらいました。修理は同じNCR池袋で行いました。
電源を修理したPowerMac6100は、2ヶ月後の9月に同じ電源部の故障を引き起こしました。
これは3ヶ月以内だったので、無償再修理で即座に直してくれました。
結構な故障を起こしています。故障は無いに越したことはありませんが、人間の体と同じようにいつ何時起きるかわからないので、NCRさんの即日修理は、非常に助かった記憶があります。
  
自宅でコンピュータに向かうわたし(1997年)
 
(上の写真)は、1997年1月に購入したPerforma5440。
会社にPower Mac6100/66があり、その往復をDuo2300c
(写真上部のおっかなげに乗っかっているもの)が取り持っています。
データは、「Synchronize」と呼ばれるシェアウェアを使ってAppleTalkを介して
2台のコンピュータのデータフォルダをスキャニングし、
更新しているデータを相互にアップデートします。
これにより、会社と自宅とモバイル(出張先)のどこでも
仕事ができる環境が整いました。(1997年)
(「Synchnomize!」は2017年現在も販売していてサポートもしています。いまだ現役で使っています。- 2017.05.02追記)
 
 
【Duo230 & 2300c】 (1998.06)(2000.06追記)
1998年当時は、Duoを出張で持ち出さない限り、家庭と会社のデータ互換は、MO(光磁気ディスク)で行っていました。
Duo2300C PowerBookは、Appletalkのシリアル回線しかないため、20MBに及ぶデータアップデートでは20-30分かかって作業性がわるかったのです。したがって、通常はよほどのことがない限り230MBのMO(光磁気ディスク)を使って、「Synchronize!」でアップデートしていました。
メールデータ、住所データ、データベースなど一つ一つが2-4MBの容量になっているため、毎日20MB程度をアップデートしなければなりませんでした。
Duo2300cは、1997.6月に中古を購入しました。
それまで使っていたDuo230がディスプレー問題の持病を再発し、ヨーロッパ出張の激務に耐えられそうもなくなったため急きょ購入したものです。
Duo230は、現役に戻ることもなく、隠居生活を送り、最後は廃棄しました。
1999年の暮れには、Duo2300cもモデムのトラブルに見舞われ、修理にかなりのコストがかかるとわかった時点で、イーサネット、携帯モデムカードをつけたPowerBook2400c/240に代えました。 (2000.06)
 
 
 
【修理 - Perfoma5440】
2000年6月にPerforma5440のCRT電源がぶっ飛びました。
半年前よりその兆候があり本体から時折バチッという異常なスパイク音が聞こえていて、そのたびに画面が消えていました。
いずれ修理しなくては、と思いながら使い続け4月頃から頻繁(2時間に一回程度)おきるようになり、6月に最後のスパイク音を発してCRTの画面が消えました。
池袋のNCRクイックガレージに電話したところ電源交換、システムチェック等を含めて80,000円から90,000円程度の修理代がかかるだろうと言われました。
ゆくゆくは新しいG3マックにしようと考えていたのでそこまでの投資はしたくないと思い、秋葉原へ出かけていきPerforma5440用の電源モジュールを探し歩きました。
電源は10,000円から15,000円程度で出回っていましたがPerforma用のものはないようでした。
仕方なく、マックの中古屋でPerformaの同じ外観で安いモデルを買ってきてCRTと電源だけを取り出すことにしました。
基板とハードディスク、CD、RAM、テレビチューナー、外観は今のまま使い、電源とCRTを入れ替えるというものです。
この中古品は20,000円でした。うまくいくかどうか不安だったのですが、なんとか修復でき現在は何事もなかったように動いています。(2000.12.11)
この修理は功を奏したようで、2003.02月にPowerMac G4を購入するまで2年と2ヶ月間何事も問題なかったように働いてくれました。(2003.02)
 
 
 
修理 - PowerBook2400c/240】
携帯用のノートブックパソコンっていうのは、どのメーカでもそうでしょうが不具合の出る可能性が高いものだとつくづく感じます。
このパソコン(PowerBook2400c/240)も1年でディスプレイ画面のカラー表示がおかしくなりました。
接触不良によって画面のある部分の色表示がおかしくなるのです。
ディスプレイ部の左端中央部を抑えると正常な表示に戻るので、コンピュータを持ち運んでいる際に内部の配線部に接触不良が起きたと考えられます。
そのうち画面が見えなくなってしまうでしょう。
アップルは、このノートブックコンピュータの対面修理を受け付けなくなったと言っていますから、ゆくゆくはPowerBookG4チタンでも購入しなければならないのでしょうか。
コンピュータライフはお金のかかるものだとつくづく思い知らされます。(2001.02.25)
 
 
修理 - iBook】  (2009.11.04追記)(2011.10.12追記)
2003.07月、小さなマックが発売されたので、iBOOK12.1"を購入しました。
携帯パソコンは壊れやすいので、AppleCare(3年)に入会しました。保険料は30,000円。
ノートパソコンは、液晶画面とハードディスクメモリが一番心配する所です。
保険料が高いか安いかは別にして、保険がないと7万円ほどの修理代を確保しておかなければならないので敢えて加入しました。
このiBookは丈夫で2006年3月までの間の約3年間故障知らずでした。保険に入ったらノントラブルになりました。
このコンピュータは、2006年に新しいノートパソコンを買ったため、一線を引退して、カミサンが家庭で使うものになりました。
3年の間動いていましたが、2009年9月、突然パソコンが立ち上がらなくなりました。
電源を入れてもまったく反応しなくなったのです。
修復ソフトでインストールしようとしてもHDDを認識しなくなり、HDDが壊れたかと思いました。
しかし、修復ソフトはDRAMがおかしいという診断をしました。
別の診断ソフトではどこも異常がないと言います。
そうこうするうちになんとかOSを再インストールでき、動くようになりました。
しかし、1ヶ月後の2009年10月に、再び異常を訴えだしてシステムが立ち上がらなくなりました。
電源を入れるとシステムエラーがでてしまうのです。
診断ソフトはシステムもDRAMも異常はないと言います。
しかし、今までの経緯を見ていると、おそらくDRAMが壊れたものと疑わざるを得ない状況でした。
2009月11月初旬に、SO-DIMM(256MBのDRAM)を取り外して、システムについている128MBだけでOSをインストールしました。
そうしたら正常にインストールできました。これで256MBのDRAMが壊れていることは明白となりました。
128MBのままでは動きが遅くOSもTiger(Mac OSX 10.4)にアップグレードできないので、512MBのSO-DIMMを購入して取り付けました。
2009年11月、2GBのDRAMが5,000円程度で買える時代に、512MBのRAMはなんと30,000円もしました。
新しいマックを買った方が良いのではないかと思えるほどでした。
512MBを実装してシステムの128MBを加えて640MBとなったiBookは、快適に立ち上がりTigerも難なくインストールしていき、動きも買った時よりきびきびしているように感じました。
購入6年も経ったiBookになぜこだわるかと言うと、このパソコンは常時居間に置いてあり、AirMacで無線LANがつながって、居間で家族と一緒に調べ物をする際、GoogleやYahooにアクセスするのに便利だからです。
カミさんは、このパソコンにiPodを接続して音楽をダウンロードしています。 (2009.11.04記)
そのiBOOKも画面が表示できなくなるという不具合を2010年にかかえ、臨終を迎えました。
このiBookの代わりに2011年9月に iPad2を購入しました。(2011.10.12記)
 
 
 
【修理 - PowerBookG4】 (2007.01)
先のiBookが3年で保険が切れるので、2006年3月にPowerbookG4にしました。
このパソコンもアップルケア(3年)に加入しました。
このパソコンも3年経ちますがノントラブルです。
購入して半年後の2006年11月にソニー製バッテリの不具合で新しいバッテリに無償交換しました。(2007.01.03)
交換したバッテリの消耗が激しく、フル充電で30分しか保たなくなったので2009年6月に新しいバッテリを購入しました。(2009.11記)
妻は、ファイルメーカProで作った私の手製家計簿を愛用してくれています。
子供たちは、ビデオプレーヤで表示されるテレビマンガをスクリーンショットして悦に入っています(これは1998年までの話)。
しかし、Macにあるゲームは、残念ながらPlaystationの敵とはならないようで、現在は目もくれぬ存在となりました(2000年までの話)。
2007年の時点では、上の息子はテレビと兼用のテレビチューナーのついたWindowsXPのデスクトップパソコンを使い、下の息子はWindowsXPのVAIOを愛用しています。
しかし、Playstationは相変わらずお気に入りで、パソコンの使用率はそれほど高くありません。
VAIOにもスーパーファミコンのエミュレーションソフトやプレイステーションのエミュレーションソフトがあるようで、これにUSB経由でプレイステーションの操作キーを接続して昔のソフトをパソコン上で楽しんでいるようです。
 
 
 
☆2003年2月
【PowerMac G4 Dual 1GHz】
PowerMacG4Dual1GHz(デスクトップパソコン)を購入しました。デスクトップでは5代目となります。
このマックは、PowerPC G4プロセッサ1GHz を2基搭載したモデルです。

  

       安藤家の新時代Macシステム
     PowerMac G4 Dual 1GHz と iBOOK 12.1"
      マウスは、Kensington。(2003年5月
主な仕様は以下のものです。
  ・768MB DRAM、
  ・80GB HDD x 2基、
  ・1Gイーサネット、
  ・USB、
  ・DVD-RAM、
  ・17インチアップルStudio(1280画素 x 1024画素)
 
ソフトウェアを含めて、約¥500,000で購入しました。
4代目デスクトップのPerforma5440を購入してから6年が経っています。
この間、何度か新しいマックを買おうとして果たせず、6年経った2003年にやっと重い腰をあげました。
環境を整備して、それがそこそこ動いていると、なかなかシステムを変えたくないものです。
しかし、このパソコンもOSがかなり古くなり、時代についていけなくなり、文書を保存するHDDのメモリも残り容量が50MBまでになってしまって、やっと購入する気になりました。
今度のマックは6年前のマックと違ってあらゆる意味で異次元です。その違いを大まかに述べます。
 
   1. ハードディスクのメモリが、160GB
   2. RAMメモリが256MB。
      2003年5月に買い足して、768MB。
      2004年には、1.75GB。
   3. OSがUNIXベースのMacOSX - マルチタスク
   4. USB内蔵 - 使い勝手の良いインターフェース
   5. DVD-R、CD-R/W - 大容量のバックアップメディア
   6. ネットワーク - Windowsマシンと接続できる
   7. 液晶ディスプレーが大型できれい
   8. iTune、iPhotoなど使いやすいソフトウェアが同梱
 
かなり高性能になりました。
OSが新しくなって馴れるのにちょっと時間がかかりました。
馴れれば、新しいOSも使いやすいものです。
システムが安定しているのでフリーズすることがなくなりました。
ただ、購入当時は、RAMメモリを256MBしか搭載していなくて、これでOS9の古いOSを同時に立ち上げるとメモリをたくさん食ってコンピュータが遅くなることに気づきました。
それで、購入後2ヶ月後にメモリを512MB足して、合計768MBとしました。
1年後には、さらに付け足して1.75GBとしました。(32ビットCPUでは、アドレス空間の関係上、2GBのメモリが限界だそうですね。)
キーボードもマウスも、USB対応になって旧タイプ(ADB)のものが使えなくなりました。
変換アダプタを使えば、旧タイプのキーボードとマウスが使えます。
けれども、CDトレーの取り出しやモニタ画面の明るさ調整など、USBの純正キーボードでないと行えない機能が古いキーボードでは使えないため、10年間馴染んだADBキーボードを諦めることにしました。
マウスは、ずっと、KensingtonのThinking Mouseを使ってきてとても気に入っていたので、なんとか使えないかといろいろ試みました。
しかし、結局、USB対応のKenthington Mouse in a BOXを購入しました。
2,500円程度で安価になったので、古いマウス(ADBタイプ)を使うよりシステムが安定すると考えたのです。
もっとも、今まで使ってきた古いタイプのケンシントン製のThinking Mouseでは、新しいOSX対応はしていないので、新しいものを買わざるを得ないという事情もありました。
このマウスは、オプティカルマウスではなくて、ボールタイプですが、実に使いやすいので、仕事場と、iBOOK用、それに息子のWindows用に同じものを合計4個買いました。
オプティカルマウスは、カーソル飛びが頻繁に起きてしっくり来ないので、安定したボールタイプのマウスを選びました。
(マウスは1990年代初めから2017年の30年近くも使われいる恐ろしく長い入力装置です。2000年あたりから17年ほどオプティカルマウスが登場しているけれど、光学式特有のカーソル飛びは解消されていません。鏡面の机ではまず使い物になりません。 - 2017.05.02
 
 
 
☆2003年5月 iBook
iBOOKを購入しました。
3代目のノートパソコンのPoweBook2400c/2400がいよいよ調子悪くなりました。液晶画面の色合いがおかしくなり(マックのパワーブックは3代ともすべて液晶画面がおかしくなっています)、ハードディスクメモリもなくなり、母艦(PowerMac G4)がすごいデータ容量のファイルを保存しだして、携帯パソコンがそれについていけなくなったからです。
iBOOKは、一番小さいものを選びました。
iBOOKは、CPUがG3で900MHzのクロックを持つ12.1インチ液晶(TFT XGA、1024x768、1670万色)のものです。
購入は、ビックカメラ有楽町店で購入しました。
384MB DRAM、40GB HDD、コンボドライブ(DVD-ROM/CD-RW)が装備されています。
液晶画面は、PowerMacG4のアップルStudioに比べると視認性や視角の点でかなり見劣りしますが、携帯性が良いのと安価なのでこれで良しとしました。
iBOOKには、小さなスピーカが二つ標準装備されている。さすがマック。(左)
iBOOKのコネクタ類 左から100Baseイーサネット、IEEE1394、USB x2 、VGAモニタ端子、イヤホン端子 (右)
  
アイデアいっぱいのiBOOKのバッテリシステム。 充電中に光るバッテリ端子。充電が完了すると発光の色が変わる。(左)
バッテリは、リチウムイオン電池。
ボタンを押すと緑のLEDでバッテリ残量がチェックできる。
バッテリを外す時は、左のロックを解除する。(右)
 
☆2005年5月 Mac OSX Tiger
4月29日にOSが10.4になりました(Mac OSX ver.10.4 Tiger)。
午後6時の販売開始を待って買いに行き、それをMac G4とiBookにインストールしました。
新しいOSXの特徴は、動作がすべてに渡って快速になり、さくさく動くようになりました。
『spotlight』という機能はフォルダ名だけでなく、ファイルの中身まで検索して表示してくれるもので、このバージョンになってようやくまともに機能するようになりました。
スポットライトは、7年間も待ち続けていた機能です。
OS8の時代に、シャーロックという機能があって、これでフォルダ内の内容検索が行えました。今回は、それの心機一転版と言えるものでした。
シャーロックが発表された当時は、その機能の動きが遅くて検索ファイルを作るのにすごく時間がかかり実用とは程遠い内容でした。
昔のバージョンは、一昼夜かけて検索データを抽出して保存していました。
それでも、途中でエラーが出ることがしばしばだったので、2、3回トライしたものの結局うまくいきませんでした。
今回のものは、データを作るのに小一時間でできました。
スポットライトの威力は強烈で、検索内容を瞬時に読み出してくれます。
それも縦横無人に日付けから複数内容からアプリケーションの指定まで自由です。
iPodの成功にデータの検索ソフトがすばらしいことがあげられていますが、そのアルゴリズムが活かされているのかも知れません。
アップルが手掛けてきたインターネットのブラウザソフト『Safari』も格段に良くなってサクサク動いていました。
特に大きな不具合もなく、完成度の高さを感じさせました。
困ったことといえば、テレビチューナが今回のOSに対応していなくてマックでテレビが見られなくなったことです。
TVチューナの製造元のPixela社のwebサイトに行って確認した所、新しいOSに対応してないとのことでした。
今回のOSは、マイナーなバージョンアップだと思っていたのに残念でした。
 
 
 
☆2006年3月 PowerBook G4   (2006.04.03記)(2011.11.25追記)
  
            PowerBook G4 12"
12インチPowerBOOKG4 を購入しました。先代から3年経っています。
ノートタイプでは、5代目となります。4代目のノートパソコンであるiBookのハードディスクが30GBであったため、容量不足になりました。
それに加え、iBookのCPUに限界があり操作上とても遅いことを痛感していました。
アップルケアが切れる3年をメドに新しいノートパソコンを購入することを決めていましたので、迷いなく新しいパソコンを購入しました。今度のノートパソコンも携行性を重視して、重量が2kg程度におさえられるようにして、かつ高性能なものを物色しました。
今回は、PowerBookに非常にコンパクトなものがあったのでそれにしました。
今まで使っていたiBookよりもひと回り小さい感じです。重さも軽く(2.1kg)なりました。
 
今回購入したPowerBookG4は、CPUが1.5GHzのPowerPCG4でRAMメモリは1.25GBにしています。
ハードディスクは74GBとなり一息つけるようになりました。
DVDも、iBookではRAM(記録機能)がなかったのに、今回はDVDに記録できる8倍速スーパードライブ(DVD+/-RW)となり、DVDにデータを焼けるようになりました。
また、USBが2.0となりました。
 
仕事での計測カメラが接続できるようになりました。
バッテリもリチウムイオンバッテリで50Whの容量があり5時間の連続稼動が可能になりました。
先日広島へ出張したときにはそのパワフルなバッテリを実感しました。
画面は12インチなので1024x768画素と若干不満はあるものの、携行性を考えれば我慢すべきものだと考えます
 
▲移植性の簡便さとすばらしさ
新しいパソコンを買うと、従来のパソコンのデータやアプリケーションソフトを移植し直さなければならない煩わしさに直面します。
今回、PowerBookG4を買ってびっくりしたのは、移植の簡便さでした。
今までのiBookをFireWire(IEEE1394)で接続し、電源投入時「T」を押し続けると外部デバイスとなって、新しいPowerBookが従来のソフトやデータをそのままコピーしてくれて、スムーズに移行を果たしてくれました。
データ移植に要した時間は約1時間、iTunesの音楽データを含めた30GBのデータをそっくり移植してくれて、OfficeやFileMaker、Acrobatなどのアプリケーションソフトもちゃんと移植してくれました。
パスワードやインストールキーなどを再度入れ直すこともなく新しいPowerBookが動いたのは感激でした。1日得した気分でした。
 
▲表示デバイスの拡がり
先のiBookは、プレゼンテーションなどで液晶プロジェクタに接続すると、800x600画素での表示しか設定できませんでした。
昨今のプレゼンテーションでは、これでは不満でせめて1024x764画素は欲しく、いろいろな講演会では仕方なくWindowsのDell D600を持って行っていました。
今回のPowerBookG4は、仮想画像メモリが大きく設定されていて、自分の液晶画面とは別に、表示デバイス用の画像エリアがあって外部出力装置に表示できる機能がありました。
外部出力は、1280x1024画素の表示ができて、かつ自らの画面では別の表示ができる2画面機能が備わっています。
この機能はけっこう便利で、補助モニタを接続して二つの画面で仕事ができるというメリットが出てきます。
この機能は予期していなかったものだけにちょっとうれしくなりました。
 
このノートパソコンは、2006年3月から2011年3月まで5年間使いました。
2011年4月からは、MacBookProに現役の場を譲り、以降1ヶ月に2、3度程度電源が入ってデータが更新される程度となりました。 (2011.11.25記)
 
 
 
☆2008年5月 Mac OS Leopard (2008.07.03記)(2008.08.08追記)
Mac OS の新しいバージョンLeopard(OSX 10.5.1)を導入しました。
しかし、従来使っているソフトウェアが完全移管できるかどうか不安だったので、PowerMac G4 Dual コンピュータのデスクの1つに新しいOSを入れ、別のデスクには、旧来のOSを残すことにしました。
同時に、アップルのTimeCapsuleという1テラバイトのハードディスクと無線LANを備えた装置を購入しました。
 
PowerMac G4の故障】
2003年2月に購入したデスクトップ(PowerMac G4 Dual )は、6年目を迎えていて買い換えの時期なのに、移植がわずらわしくてなかなか重い腰が上がらなかった矢先、OSをインストール中にコンピュータにトラブルが発生しだしました。
 
  --- システムがフリーズし出したのです ---
もともと、Mac OSXはマルチタスクでアプリケーションが落ちてもシステムまでフリーズしない頑強な作りが売りだったはずです。
購入から2008年に至る5年間、故障らしい故障は起こしたことがなく、デスクトップのマックには絶大なる信頼を寄せていました。
それが、このマックを操作中に突然フリーズして全く動かなくなったのです。
故障原因を調べるために、マックに接続しているPCIボードを外して、システムをインストールし直して原因を追及していきました。
困ったことは、システムは古いOSはなんとかインストールできるものの、新しいLeopardでは最後までインストールできずに、途中でフリーズしてしまうことでした。
アップルに相談したところ、マザーボードに重大な障害があるだろうという結論になり、修理に出すことにしました。
修理を断念して新しいマックに移し替えるには、これまで使ってきたソフトウェアと、新しいOS(Leopard)の適合性が十分になされていないことがわかっていて、不安だったからです。
修理代金は、一律51,400円とのことでした。
修理から上がってきたMacは、軽快になりました。
故障の原因は、CPUの故障ということでCPUが交換されていました。
後、電源部も異常が見つかったため、交換されました。
このマックは、2008年の時点で6年目を迎えており、ハードディスクのメモリが一杯になってきています。
新しいマックに交換するのは時間の問題となっています。
ですが、当面(あと1年くらいか)一緒に仕事をしてくれるものと思っています。
 
 
 
☆2010年4月 iPod touch (2011.10.12記)(2011.11.26追記)
2010年4月にiPod touchを購入しました。
iPodは、それ以前にも、iPod nano 8GBを2008年6月に購入して使っていました。
iPod touchを購入したのは、iPhoneの影響です。
iPodがiPhoneの機能の多くを受け継いでいることを知って、魅力的なものに感じたのです。
iPhoneも欲しい製品には違いありませんが、電話機の本質的な機能である通信品質に優れたdocomoから乗り換えることができないのです。
仕事柄、日本全国それも試験機関や研究所の地方に出向くことが多く、電波品質の良いdocomoは何をおいても譲れない携帯電話なのです。
iPod touchは、メール、スケジュール管理、科学計算機、メモ、地図など重宝なアプリケーションソフトが簡単に手に入るため、仕事上大いに重宝しています。
 
 
 
MacBook Pro 15.4"(2011.04)
Macの中でWindows7が走ります

  

iPad(2011.09)(左)と、
iPod nano(2008.06)(中)、
iPod touch(2010.05)(右)
☆2011年4月 MacBookPro 15.4" (2011.10.12記)
2011年4月、ノートパソコンのMacBookPro15.4"を購入しました。
ノートパソコンでは、6代目のマックになり5年の歳月での更新となりました。
ノートパソコンは、つくづく消耗品だと痛感せざるを得ません。
新しくノートパソコンを購入を決意したのは、
 
 ・ Windows7がネイティブで走ること、
 ・ 今まで持っていたノートパソコン
    (PowerBookG4)のバッテリが
    30分程度しか持たなくなったこと、
 ・ HDDが残り少なくなってきたこと、
 ・ インターネットアクセスが遅く
    なってきたこと
 
が主な理由です。
特に、2004年に購入して7年目となるWindowsXPのノートパソコン「Dell Latittude D60」 の老朽化がひどく、このパソコンの代替えが急務となったことが上げられます。
したがって、これはWindowsマシンとして購入した色彩が強いものです。
 MacBook ProにParallelsというソフトウェアをインストールして、併せてWindows7(64bit)を入れています。
そのWindows7に、従来、仕事で使ってきたWindows用のソフトウェアをインストールして使っています。
1つのパソコンにMacとWindowsが同居できたことによって、Windowsの画面を見ながらMac画面で取扱説明書や文書を仕上げることができるようになりました。
マッキントッシュ上でWindowsが走るエミュレーションソフトウェアは、過去いくつかのソフトウェアがありました。
しかし、それらはいずれも動作がおそく、もたもたしていました。
Parallelsは、そうした過去のソフトウェアとは次元が異なり、快適にWindowsを動かすことができます。
過去のソフトがPowerPCのマック専用のアーキテクチャだったので、エミュレートするのにかなりの処理時間がかかっていたのに対し、インテルMacはWindowsのアーキテクチャと同じなので内部処理にストレスがかからないのだと思っています。
このMacを仕事でWinodws専用機として使うには、起動時に「Option」ボタンを押してOSの選択をWindowsにします。
 
【MacBookProの不具合】(2017.05.02)
このMacBookProの不具合は一回のみでした。けれど結構しつこいトラブルでした。結局はメーカの設計・製造上の問題ということで修理代金無償となったものです。
不具合はAppleCareの三年サポートが切れた半年後の2014年11月に起きました。
出張中にパソコンを操作していたら急に画面が真っ暗になったり(ブラックアウト)、全面ピンクの画面や水色横縞画面になりました。
強制終了で再立ち上げすると正常に立ち上がっていたのでだましだまし使っていたけれど、信頼がないのでアップルサポートに電話連絡して症状を確認してもらい、ハードウェア上の問題(コントロールボードの不具合)という判断となり、修理代金42,120円ポッキリで修理を行うことになりました。
修理後1ヶ月で今度はQuickTimeで動画を再生させるとブラックアウト現象が起き、画面が二つに分かれてしまう不具合が発生してこれまた修理。
結局この2度の修理は、設計(製造上)の問題があったとかで換金プログラムがあって、翌年3月に手続きをとって全額返金されました。
不具合はその一回だけでバッテリのヘタリも問題なく現役を全うしました。
 
 
☆2011年9月 iPad   (2011.10.12記)(2013.05.18追記)(2015.07.23追記)
2011年9月にiPad2 Wi-Fi 64GBを購入しました。
居間に置くネットワーク情報機器として、家族のものが気軽に使えるようにという配慮です。
家族が居間でくつろぐときに、調べ物をしたり、音楽を聴いたり、テレビやラジオで中継しない野球中継を流したり、写真を見たりと、手軽に情報が入手できるネットワーク情報機器があれば便利だろうという思いがありました。
iPad2は、主に家内が使っています。
家内は、自分のパソコンがなく、私のパソコンや子ども達のパソコンを借りて使っていたので、さみしい思いをしているだろうという配慮がありました。
かと言って、パソコンを新たに購入しても初老の婦人が使いこなすのは難儀だろうとの配慮もありました。
今までは、私の使い古しのパソコンを何度か彼女に使ってもらってましたが、故障があったりと十分に使いこなすにはいたりませんでした。
古いパソコンでインターネットなどを使いこなすのは、古い船で海に乗り出すようなもので熟達したパソコン使いでないと使用するのが難しいのです。
 
彼女のために取得したパソコン用の電子メールは、長い間使っておらず、蜘蛛の巣が張ったような状況でした。
携帯電話のメールの方が使い勝手がよかったのです。
それがiPad2の導入で、簡単にメールをとることができるようになり、大きな画面で一度に文章を読んでメール文を打つのも簡単にできるようになりました。
今まで1年以上も見ることがなかったパソコンメールを、頻繁に見るようになりました。
インターネットでの調べ物も積極的に喜んでするようになり、そんな姿を見て、操作の簡便さは商品価値の大きな魅力なのだと認識しました。
 
2013年5月、iPad2は大活躍です。
息子夫婦が近くに越して来て繁く往来があり、パパさんはもちろんママさんも時間があるとiPad2を取り出し調べ物をしています。
2才になる孫娘は自分の写真や動画がある場所と再生の仕方を知っているので何度となく見ています。
使い勝手というものはこれほどまでに大切なことかと、身をもって知ることができました。(2013.05.18追記)
 
2015年7月、iPadを使い始めてもうすぐ4年。
ずっと居間に置いてあるので使う頻度はまだまだ高いです。
りっぱなことに故障が一度もありません。持ち運ばないからかもしれません。よく作られた端末だと感心しています。
さすがにマグネットカバーがボロボロになったので2015年1月に新しいものに買い換えました。
iOSも何度がアップバージョンして負荷がかかるようになったので、いよいよ新しいiPadに交換かなと思い始めています。(2015.07.23追記)
 
2016年、家内がiPhone7を購入しその端末の使い勝手がかなり良いために居間にいてもiPadではなくiPhoneを使うようになりました。iPhone7はインターネット通信が速く画面がサクサク変わります。写真も音楽もたっぷり入り、電卓も動きます。古くなったiPadは、大画面ならではの使い方、大画面での電卓やゲーム、インターネットでの調べ物、写真の閲覧に特化しつつあります。(2017.05.07追記)
 
 
 
 
☆2013年3月 iMac 27inch (2013.04.02記)(2013.05.18追記)
2013年3月に、iMac 27inch(27inch, Late2012)を購入しました。
2003年に購入したPowerMac G4 Dual 1GHzは、10年を迎えていました。そのマックは古い基板設計のためMacOSが10.4までしか動かず、新しいさまざまなアプリケーションソフトが対応しなくなり、それに加えインターネットブラウザも新しいものに対応せず正しい表示をしなくなりました。パソコンの10年は十分に長い年月と言ってよいのでしょう。
 
新しいデスクトップの購入は、銀座アップルストアで行いました。価格もかなり安くなっていて、本体価格で16万円ほどでした。これにRAMメモリを増設して32GBにしたり、CPU、HDD、画像ボードを上位クラスにしたので、倍ほどの価格となり、8TBのRAID記憶装置(米国Promise社PegasusR4)も購入したため、全部で48万円ほどになりました。
 
担当してくれた店員がとても詳しくて、私の知らないことを楽しく紹介してくれました。
このお店では、いろいろなイベントを開催していて、「One to One」というサービスに加入するとお店で対面説明してくれるということでした。
以前からほしかった「Final Cut Pro」という動画作成ソフトがすごく安くなっていることや(16万円→2.6万円)、この使い方を「One to One」に加入していると、予約で説明セッションを受けることができるということでした。
 
iMac27インチを導入するにあたり、今まで20年来使ってきた収納ラックが小さすぎるため、ラックも新たに設計して狭い仕事部屋に設置することにしました。
ラックの設計がやっかいなのと、MacProを買おうとしていたので、その新製品が出るのを待ち続けてきました。
しかし待ち続けていたMacProの新製品が3年以上も遅れていて、それでも発売のアナウンスがないから観念したというのが実情です。
 
iMacがやって来て思ったことは、10年間にわたるパソコンの技術革新はすごいな、の一言。
まず、CPUが格段に速くなりました。
購入したiMacは、3.4GHzの Intel Corei7を搭載しています。
iMacのシリーズの中では最も高速なプロセッサです。
今まで使ってきたPowerMacは、IBM製のPowerPC G4プロセッサ1GHz が2基搭載されていました。
当時は、このCPUの消費電力が少ないというのがうたい文句でしたけれど、今のCPUに比べればはるかに電気を消費し、且つ、スピードも遅いのは否めません。
新しいiMacは、Retinaのきれいな画面で動画がサクサク動いて、アプリを8本程度立ち上げても消費電力は80W程度です。
これまで使って来たPowerMacが350W程度でしたから1/4程度の消費電力となります。
仕事部屋の発熱が抑えられるため夏場のエアコンの消費電力が抑えられます。
 
今回のiMacの仕様は、以下のものです
 
   ・CPU: Intel Corei7、3.4GHz
   ・ディスプレー: 2560 x 1440 画素
   ・DRAM: 32GB、 1600M Hz、DDR3
   ・HDD: 1TB + 128GB SSD(Fusion Drive)
   ・グラフィックス: NVDIA GeForce GTX 680MX、 2048MB
   ・ OS: MacOS 10.8.2
   ・I/O: サンダーボルト(Thunderbolt1、10Gbpsx2) x2、USB3.0  x4、GigaEthernet  x1、SDカード  x1、Wi-Fi(802.11 a/b/g/n)  x1、Bluetooth  x1
CPUの性能もともかく、大画面をサクサク動かす画像ボードが高速になり、広い作業環境を提供するDRAM容量を32GBとしたため、これ以上の贅沢はいという感じです。
また、内蔵HDD(ハードディスクドライブ)には、1TBに加えて120GBのSSDの双方がついていて、データをSSDに保存するかHDDにするかの管理をOSが行ってくれます。
OS自体と頻繁にアクセスするアプリケーションおよびデータはSSDに入るようです。起動が格段に速くなり、ParallelsでのWindows7の起動も速い感じがします。
USBは、USB3.0になっていて4基装備されています。これはちょっと少ない数なので分岐USBポートをつけました。
超高速通信ポートである「サンダーボルト」 (第1世代で10Gbpsのもの)が2基ついています。このポートに、アップルで推薦している外部記憶装置(RAID)を接続しました。
右に示したものが、サンダーボルト接続のRAID(外部記憶装置)です。
このRAID装置は、米国Promise社のPegasus R4というもので、2TBのハードディスクドライブが4基搭載されていて、RAID5で動くものです。
実効容量は2TB x 3 = 6TBとなります。
iMacに「Promise Utility」というユーティリティソフトを入れて、サンダーボルト経由で装置を接続して電源をONにすれば、RAID5での保存を行ってくれます。
右に示した画面は「Promise Utility」の画面で、装置のエラー状況や内部温度、ファンの動作状況、電源電圧のチェックが確認出来るようになっています。
ユーティリティソフトを起動しなくても、装置の各ドライブにはステータスランプが装備されていて、読み書きに障害が起きた際に青色点灯からオレンジ色→赤色点灯に変わるので、電源を入れたまま障害のあるハードディスクを交換できます。
赤色点灯になっても他のドライブにはデータが問題なく保存されているのでそれほど急ぐ必要はなく、数日の間に新しいものと交換すれば良いようです。
このRAIDにiMacのタイムマシンの設定を行っているので、1時間毎の差分のバックアップをとっています。
タイムマシンのバックアップ機能は何かと安心です。
 
【iMacの不具合】(2017.05.02)
iMacは、購入後の4ヶ月目(2013年7月)で不具合を起こしています。
外付けのハードディスクドライブが予期せずにアンマウントされる(認識されなくなる)といもので、アップル修理部門に送って症状を見てもらいました。サービス部門では不具合は再現されなかったようですが、再発防止のためロジックボードを交換していただきました。
iMacは、一年後再度不具合を起こしています。2014年8月に起きたその不具合は、使用中に画面が真っ暗になりサンダーボルトの通信が切れるというものでした。
ノートパソコンMacBookProでの該当サンダーボルトRAID装置は問題なく接続できてデータ通信できているのに、iMacでは「このMacについて」のメニューでサンダーボルトの欄に何も表示されなくなったのです。
アップルサポートに連絡したところ、ボード交換の必要ありという見立てだったので、宅急便経由で修理センターに本体丸ごと送りボードを交換してもらいました
その後、ボード交換をして3年が経とうとしていますが、ボード交換レベルの修理はありません。
2017年2月にBootCampで使っているWidnows7に通信障害が発生してインターネット接続できなくなってしまいました。
エクセルやPDF、仕事で使う計測装置用アプリケーションは正常に動き、イーサネットケーブルでの社内LANも使えるのにインターネットのルータを識別してくれずネットワークで外に出ることが出来なくなりました。
マイクロソフトに電話してWindowsの年間保証契約を結び修復作業を行っても復帰することが叶わず、WindowsOSそのものの再インストールを行う事態となりました。OSの再インストール後はインターネット接続ができるようになりました。
 
☆2016年4月 MacBookPro 15.4" (2017.05.03記)
2016年4月に、MacBookPro 15.4"(Retina、15-inch、Mid2015)を購入しました。
ノートパソコンでは7代目となります。2011年に購入した六代目MacBookPro 15.4"の代替えで5年目の更新です。
5年が経ったとは言え、新しいMacBookProの外観は先代とあまり変わっていません。
アルミ筐体を削り出しているデザイン(ユニボディ)は、アップル社ノートパソコンデザインの究極の感があって、コンセプトデザインを大きく変えておらず新しさを感じさせません。
六代目と大きく変わった所は、
 
・ CPUが高速高性能低消費電力になったこと、
・ メインストレージをフルSSDとしたこと、
・ ディスプレーが2800 x 1800画素Retinaとなり緻密な画面になったこと、
・ バッテリ容量が増えたこと(東京 - 大阪間の新幹線出張にも十分に堪えられる)、
・ イーサネットポートがなくなったこと、
・ 2世代目のサンダーボルト(20Gbps)が二基搭載されたこと、
・ HDMI出力ポートが追加されたこと、などです。
 
このパソコンにBootCampでWindows10をインストールして、必要に応じてWindowsが使えるようにしています。
重さや大きさは6代目とあまり代わりません。CD/DVDトレーがなくなってディスクを直接アクセスできなくなりました。
その上、イーサネットポートもなくなってしまいました。
無線機能に相当の自信があるようで、また、サンダーボルトポートを使っての変換アダプターを使用すれば良いということのようです。
 
今回のMacBookPro 15.4の仕様は、以下のものです
   ・CPU: Intel Corei7、3.4GHz
   ・ディスプレー: 2880 x 1800 画素 Retina
   ・DRAM: 16GB、1600MHz DDR3
   ・HDD: 1TB SSD
   ・グラフィックス: Intel Iris Pro 1536 MB
   ・ OS: MacOS 10.11.6(OSX El Capitan)
   ・I/O: サンダーボルト(Thunderbolt2、20Gbpsx2)x2、
      USB3.0  x2、SDカード x1、HDMI x1、
        Wi-Fi(802.11 a/b/g/n/ac)  x1、
      Bluetooth x1
 
アップルのパソコンは作りが良いので、WindowsユーザもMacBookをWindowsマシンとして使い出しているようです。
米国の関連会社の社長は、MacBookPro(2016年秋に発売されたUSB-Cを初めて搭載したMacBookPro Retina)をWidnowsマシンとして使っています。
昨秋発売されたそのMacBookProは、ノートPCでは初のUSB-C搭載となり周辺機器とのデータ通信の高速性能を可能にしました。
その社長は、自社で開発した計測用カメラをUSB-C経由でMacBookProに接続して4K画像をぐりぐり動かしていました。
私の持っている昨年(2016年4月)に購入したMacBookProはUSB-Cを搭載していません。
 
また、2016年4月には、iPhone 6sを購入しました。
携帯電話の生活は1996年7月からですから20年になります。
2006年に登場したiPhoneに踏み切れなかったのは、docomoからiPhoneを発売しなかったらです。
今でこそ3社のキャリア(au、softbank、docomo)は全国どこへ行ってもストレスなく繋がりますけれど、2000年当時はdocomoが全国を幅広くカバーしていて仕事上そのキャリアは手放せなかったのです。
iPhoneが使えない間はiPod touchと携帯ルーターを使っていました。
 
同じ年の2016年3月は、iPod touchも新しくしています。私の持ち物としてのiPodは四代目です。初代は2008年8月に購入したiPod nano 8GBで、二代目は2010年4月のiPod touch 32GB、三代目が2012年11月に購入した5世代iPod touch 64GBでした。代を重ねる毎にメモリ容量が倍々になっています。
四代目iPod touchはアップル社では6世代のもので、128GBメモリ搭載としたためデータ保存容量切迫の心配がなくなりました。
また同時期に、RAID 12TBのサーバー(Promise社のPegasus2 R6)を追加しました。
先代のRAIDサーバ(8TB)の容量が切迫してきて、それにもましてそのサーバーの調子が良くなく4つのベイ(2TBのHDD x 4基)が頻繁に故障を起こしていました。
温度管理がうまくないようで、コントロールパネルの温度が異常に上がったりコントロールボードを交換したりファームウェアを交換したり、2TBのHDDを交換したりとかなりの労力を費やしていました。
信頼性がないのと容量が切迫したので12TBのサーバーを増設しました。
新しいRAID装置はすこぶる快調で、先代のRAIの隣に置いての同じ使用環境であるのに、納品以来1年が経過した2017年4月になるも一度も故障したことがありません。
先代の同じ会社の製品シリーズとは雲泥の差の信頼感です。
先代のRAIDも並行して使っていますが、こちらは同じ一年間で4回も2TB-HDDベイが赤色点灯し「rebuid」機能で修復しています。
新しいRAIDサーバーには、iMacとMacBookPro双方をタイムマシン設定しています。
データ転送は驚くほど速い。
しかし、iMacはサンダーボルトの1世代のもので10Gbpsの転送速度しかないので、Pegasus2装置の持つ20Gbpsの速度体感は得られていません。
 
【MacBookProの不具合】(2017.05.02)
2016.04に購入したMacBookProは購入一ヶ月で不具合が起きました。
電源投入が出来なくなりました。電源ボタンを押しても起動しないのです。
アップルサポートに電話で連絡したところ、症状を聞いていくつかの確認の結果、電話では修復できないと判断されました。
アップル銀座に持ち込めばより詳細な診断ができ修復できるかもしれないとのことだったので、アップル銀座に持ち込みました。
結局、そこでも修復すること(電源を立ち上げること)ができず、アップル銀座からサポートセンターに送ってもらってロジックボードを交換しました。
修理代は無償修理でした。
その後、一年を経ていますが経過は良好です。

 

 

 

 
 
 
■ 我が家にWindows  (2000.12.11)(2004.08.05追記)
 
 
■ SONY VAIO XR PCG-XR1E/BP (2000.08)
我が家にも、Windowsの波が押し寄せて、DOS/Vパソコンが初めてやってきました。
2000年8月、買ったのは、SONYのVAIOシリーズのノートブックパソコンで、XRシリーズのPCG-XR1E/BPと呼ばれるものです。
我が家が購入したVAIOは、XRシリーズの中のエントリーモデルです。
私自身は、Windowsにそれほど興味がなかったのですが、下の息子(14才、中学校3年)が学校のクラブ活動のレポートに使いたいと言いだしました。
彼はその当時私のお古のPower Macintosh 6100を使っていました。けれどそのスピードが遅くてWORDがうまく走らず、レポートを持っていっても彼らの知識では友達が作った文書とマージさせることができないようでした。学校の試験の成績がそこそこ良かったら購入しようと約束したのです。
我が家にも1台くらいWindowsがあっても良いだろうという判断もありました。
また、どうせ成績など良くはならないだろうと高を括(たかをくく)っていたところ、結構頑張ったみたいで「良かったよ」と暗に催促をされました。
大人が約束を破らないのは小さいときから嫌というほど体験してきましたから、約束は守ってやろう、ということで8月に購入に踏み切りました。
 
コンピュータは、彼の大好きなソニーブランドから選ぶことにしました。
私はソニーを買うなら持ち運びに便利な小さなノートブックC1シリーズを買って、家で使う時は別途15インチの液晶モニタをあつらえて使おうと思ってましたが、息子が大きな画面の持ち運びできるノートブックがいい、少々重くても持っていくから、と主張しました。
それにDVDが見られるものがほしい、という要求を出してきて結局そうしたものを加味するとXRシリーズのノートブックが最適という結論になりました。
ただXRはかなり本格的なノートブックで高価なので、エントリーモデルのIntelのCeleronプロセッサー500MHzを搭載したものにしました。
他の上位機種は、Pentium III 600MHzなのだけれど息子が使用するにはCeleronで十分なような気がしたのです。
 
どうも息子は旅先(クラブ活動が旅行をするクラブ)でDVDを見るのが狙いだったようです。
 
XRシリーズはマルチパーパスベイとよばれる大型スロットを装備していて、そこにCD-Rやハードディスク、フロッピードライブを挿入できるようになっています。
そのベイにDVDドライブを入れようと、いろいろ探してはみたものの専用のものが完売してしまい、何故か販売予定も当面無いということだったので、PCMCIAカード式で電源をカードから取るモバイル用のDVD(アイ・オーデータ製)を40,000円くらいで買いました。
 
(高いですね。今ではDVDはCD並みに当たり前に付いていますが、当時は、40,000円もしました。2004.10記)
 
 
XRは、このほか128MBのRAMとイーサネットカード、USBマウス、キャリングポーチをアクセサリーとして購入しました。
128MBのRAMメモリは10,000円程度だろうと思っていたところ、34,000円もしてビックリでした。
なんやかやで40万円くらいの出費になってしまいました。
彼はこのコンピュータを主にゲーム(スーパーファミコンのエミュレータ)、音楽管理、電子メール、レポート作成、DVD鑑賞に使っていました。
その後、彼は自分でYAMAHAのXGWorksという音楽作成ソフトを購入して音譜を打ち込んでいます。
スーパーファミコンのエミュレータゲームのファイナルファンタジーIVの体感速度は、スーパーファミコンとほぼ同じとか。
私は、さっそく、ロバートレッドフォードの「モンタナの風に抱かれて」というDVD映画を買って見ました。
しかし、液晶画面は見づらい。輝度に指向性があるので本格的な表示装置としてはまだまだCRTが残るんだろうな、って思ってます。
(と思っていたら、あれよあれよという間に液晶の画面が良くなって今では主流が液晶になってしまいました。視認性もほんと良くなりました。2004.10記)
2004年04月、息子のパソコンをWindows98からWindowsXPに入れ替えました。
パソコンショップでWindowsXPのOSを購入し、ソニーのサイトでバージョンアップドライバーをダウンロードしました。
内蔵ハードディスクドライブも20GBのものに入れ替えました。
意外と快適に動いています。CPUが遅いので最新のPentium4に比べると若干もたつく感じがありますが、大所において動いています。
(息子は、その後大学を経てコンピュータソフト会社に就職しました。大学時代からアルバイトをして、貯めたお金をVAIOにつぎ込んでいました。VAIOが大好きなようです。2013.04.02追記
 
■ ネットワーク (2000.12)(2015.07.23追記)
ネットワークは、VAIOのPCMCIAのカードスロットルに100BaseのLANカードを差し込んで、ISDNのルーターにイーサネット接続しています。
このルーターには、 Macintosh も接続しているので、VAIOの方にPCMACLanというソフトを入れて Macintosh とのファイル共用をしています。
VAIOの方から共有設定されたマックのフォルダを見ることができるので、共有できるファイルはネットワークを経由して送受信をしています。
プリンタがマック用しかなくて、VAIOからプリンタ共有経由で出力できるかどうか試験していますが今現在うまく接続できません。
ゆくゆくはUSB対応のプリンタを買ってマックもG4を購入して共有しようと考えています。(2000.12)
 
プリンタの接続は、2002年の9月に解決しました。
USB接続のマルチプリンタ(Brother MFC-5100J)を購入してマックとWindowsに接続しています。
このプリンタはすぐれもので、FAX、コピー、プリンタ、スキャナができ、しかもマックとWindowsの両方が使えると言うものです。
1台4役のMac/Win両刀使いはBrotherだけです。このマシンは大活躍です。(2004.10.06記)
このプリンタは、2009年に役割を終えました。7年の寿命でした。(2012.03月追記)
 
 2003年07月、家庭内をADSLのインターネットにして、100BaseでマックとWindowsが繋がれています。
 2004年04月、自宅にAirMacを導入し無線LANを構築しました。Windowsには無線LANカードを入れて無線通信に対応しました。
 2009年06月、7年使ったBrother MFC-5100の寿命に伴い、Canonのレーザプリンタ(MF8450)に換えました。
 2014年10月、5年使ったCanonのレーザプリンタ(MF8450)を同じCanonのMF8570Cdwに替えました。
ドラムの交換時期にあたり、修理代とトナー代、それにWi-Fi機能を考えると新品にした方が得だと考えました。
 
■ Dell Latitude Inspiron5150 (2004.08.05)
2004年8月、息子のバイオが故障してしまい、修理代が高くつきそうで修理しても現在の安価なパソコンの性能に追い付かないという判断から、デルのノートパソコンを買いました。デルにしたのは安価であったからです。
息子はバイオが欲しそうでしたがとてもそこまでの緊急出費がでず、将来、彼がアルバイトをして自分で買うということにして納得してもらいました。故障と言うのは、大学1年の彼がバイオを学校に持って行った時に何かのはずみで落としてモニタ画面が出なくなってしまったものです。
故障したバイオは、2001年12月に購入したもので、2004年のはじめに彼がiPodを購入した際には、iPodを動かすiTunesというソフトウェアがWindows98では使えないことから、手を加えてWindows XPにし、ハードディスクドライブを40GBにして無線LANをつけて、と、かなりの追加投資をして来たものでした。
しかし、外傷を負ったVAIOは結局は諦めざるを得なくなりました。
故障の原因は、おそらく表示用の蛍光灯が割れたか、外れたかだと考えているのですが、修理代は表示部を全取り替える必要があるとのことで¥70,000かかると言われました。
修理を施して延命させても時代の流れについていけないパソコン、と判断し、新しくパソコンを買うことにしたのです。
新しいパソコンの購入予算を修理代金の倍の14万円としてパソコンを選定しました。コストパフォーマンスはデルが出色で、出張修理もしてくれることからデルにしました。DVDの書き込みができるタイプにしたので予算を数万円オーバーしてしまいましたけど、良いパソコンを購入できたと思います。少なくとも私のiBook(G3)よりは動きがキビキビしています。
4年前より(当時のバイオより)性能がうんと上がっているのでインターネットが速い、CDの読み込み、書き込みが速い、画面が大きい、DVDが読めると御満悦でした。
ただ、重さが3.2kgと重い。2.2kgのiBookやDell Lattitude D600にくらべるとズシリとします。
大きさも15インチ画面を持っているせいか大きい。存在感があります。
 → このパソコンは、2008年に息子が自分でVAIOを買ったので、非常時に使うぐらいになって一線から退きました。息子が購入したVAIOのノートパソコンは軽くて高性能でした。
 
 
 
■ 私にWindows(Lattitude D600) (2004.07.01)(2009.02.12追記)(2011.10.12追記)
 
2004年の5月、仕事用に新しいWindowsマシンが必要になったので、DELLのノートパソコン Lattitude D600 を導入しました。
OSは、WindowsXPでした。
DELLのノートパソコンにしたのは、
 
  ・ 4年間のオンサイトサービス(壊れても出張修理してくれる)があること、
  ・ 仕事ではほとんどDELLのコンピュータを使っていること、
  ・ 米国の計測装置を扱う関係上、プレーン(シンプル)なパソコンが
    欲しかったこと、
    (シンプルというのは、音楽関連や画像関連でその会社独自の
     ソフトウェアがプリインストールされていない、ということ。
     ソニーのバイオは、プレーンではなくパーソナルユースと
     しては好ましいパソコンかも知れないが、業務用としては不向き
     と考えた。バイオはWindowsの中でマックに近いパソコン。)
 
などの理由からです。
D600にしたのは、持ち運びに便利でかつCPUの性能もそこそこあり、動画像の再生や解析がキビキビとできることを理由に選びました。
息子のパソコン(Inspiron5150)より倍の値段がしました。そのせいか、彼のものよりサクサク動く感じです。
1GB程度のAVIフィルをいくつも同時に広げて仕事をする関係上、サクサク動いて軽いことが大事なので良い選択であったと思います。
このパソコンは、仕事の画像操作をする以外はほとんど使いませんでした。
 
2009年2月、このパソコンも購入後5年が経ち、相当古くなりました。しかし、仕事ではまだ一線で活躍しています。
CPUがIntel Core2が標準になっている時代にあっては、その非力さは否めません。
しかし、画像表示がソコソコ速いので、まだ一線で使えていると判断しています。
そうは言っても、1280x1024画素の動画を動かすとやはり動きがごつごつしてぎこちなくなります。
このパソコンも、もう少ししたら、現役引退となります。(2009.02記)
 
2011年4月、このコンピュータの後継として、Intel Mac(MacBookPro)を購入したため現役を引退することになりました。
それでもまだ動くので、時に応じてXPでのソフトウェアを検証する時に使っています。
実質の稼働期間は、2004年7月から2011年4月までの約7年でした。(2011.10.12追記)

 

 
■ 私にWindows(インテルMac) (2011.11.26)(2013.04.02追記)(2014.01.10追記)
 
 
DellのLattitude D600が老朽化したので、その更新パソコンとしてMacBook Pro 15.4"を購入しました。
2011年4月1日に購入しました。
OSは、Windows7(64ビット)としました。
これに伴い、Officeを購入しました。
2013年時点で、iMacは順調に動いています。
仕事上、Windowsでしか動かないアプリケーションをBootCampで動かしています。
Macを起動しMac画面にはめ込むWindowsはParallelsというアプリケーションソフトで動かしています。
このソフトは秀逸で、MacとWindowsが同時に動いているにもかかわらずほとんどストレスなくWindowsアプリケーションを操作することができます。(2013.04.02追記)
Parallelsで動かないアプリケーションソフトがあります。
PowerDVDという動画再生ソフトです。
PanasonicのDVDでテレビ録画したDVD(BD)をパソコンで見ようとしたけれど、Mac併用の画面では動作することができず、BooCampから立ち上げないとテレビ録画DVDが見られませんでした。(2014.01.10追記)
 
 
■ 現在のApple (2015.07.30)
 
2015年7月、アップル社とお付き合いをしてきて22年が経とうとしています。
小学校5年生だった長男と3インチフロッピーディスクを15枚使ってOSをインストールした当時を懐かしく思い出します。
1993年当時はインターネットなどまだ発達しておらず、パソコンで行うことと言えば文書作成と表計算、それにゲームなどでした。
写真を切り貼りする作業などはとても負荷が大きくて、処理能力の高い高価なQuadoraでなければ1000x1000画素程度の画像を開いたりスライドショーにすることは困難でした。
当然動画を見るなど不可能に近いことでした。
 
そのマッキントッシュも今は昔。
 
新しいMacintoshは、Windowsが走るようになり、iMacとMacBook(Pro)、MacProの時代になりました。
それに加えてiOS(iPod、iPad、iPhone)の兄弟達の登場。彼らは強固な情報システムを作り上げた感があります。
Appleは、コンピュータビジネスでの成功よりもiPodで時代の波をつかみ、AppleStoreでインターネット時代の販売スタイルを確立しました。
さらに2006年から登場したiPhoneにより携帯電話のスタイルを一変させ、他の追随を許さずスマートフォンのあるべきスタイルを確立し、大きな帝国を築き上げてしまいました。
今やアップルはコンピュータメーカーではなく、ITシステムを提案実践する総合メーカーとなりました。
音楽を配信し、買い物でのクレジット決済を行う会社。
携帯電話機の主導権を握ってパソコン(Mac)を含めてデータの共有化を推し進めている。
私自身想像もしていなかった展開です。
音楽携帯端末がそんなに売れるのか!
携帯はたかだか携帯でしょう。
付加価値つけてそんなに効果があるのかねぇ、などと当時は思っていました。
 
 
20年前(1998年当時)のMacは、Windowsにシェアをあけられ追いつき追い越すどころか存亡の危機さえささやかれていました。
当時そのことに私自身観念し、MacOSがなんとか生き延びてくれればデータを失わずに済むのだが、と考えていました。
それが、今やiOSの成功とともに浸透力し、ここ数年は販売数でWindowsをしのいでいると言われています。
これからのアップルはどこへいくのか?
世界一優良な企業となったアップルは、時代のイニシアチブを握り始めています。
コンピュータのビジネスなど取るに足らない規模のものになって来ているようにも思えます。
私自身はMacintoshがまだまだ使えて今までの遺産をそのまま使えていけば良いなと思っています。
ビジネスコンピュータへの関わりが興味のあるところです。
iPhoneの成功とiPadの成功がビジネス社会にどのように組み込まれていくのでしょう。
時代はクラウドコンピューティングになりつつあります。
個人がメディア(CDやDVD、フラッシュメモリなど)を持つ時代からサーバーに置いてインターネットで引き出す時代になっています。
 
2017年の私はと言えば、iPhoneですべてのメールが受信できてスケジュールも確認でき、関連する人たちの電話番号も入っているので、ちょっとした外出であればMacBookを持ち歩かなくてもiPhoneとAppleWatchで十分にこと足せるようになりました。図面を引いたり技術書を書いたりするにはさすがにiPhoneでは無理だけれど、PDFやエクセル、ワード、画像であればiPhoneで確認できます。身軽に外出できるのは何よりです。
 

 

 


 
■ 私の好きなもの (2014.01.10追記)

 

 

☆本 -

司馬遼太郎の本
20歳代で出会った最大の作家。日本を教えてくれ、歴史を教えてくれ、文化を教えてくれました。
「この国のかたち」全6巻を折に触れ読み返しています。(2013.06.02記)
ローラ・インガルス・ワイルダーの本
ここ数ヶ月前(1997年秋)に知った作家。1850年代のアメリカ歴史の側面を教えてくれました。
これに触発され、この時代の関連する本を読みました。
その中で、Russel Freedmanが書いた『リンカン - アメリカを変えた大統領 -』Abraham Lincoln、(株)偕成社発行、1993.8初版は、写真が豊富で解説もわかりやすく親切でした。
ニュベリー賞受賞、ジェファソン杯賞受賞、ゴールデン・カイト賞次席、ボストングローブ・ホーンブック賞次席をもらっただけあって、リンカンの人となり、苦悩が良くわかった書物でした。
この書物を通して、時代の評価は後からされるべきものであり、その人が生きているときにはあまり評価されないのが普通であることがわかりました。
リンカンもそのうちの一人。ゲティスバーグの演説にしても、彼の大統領としての執務も、南北戦争も、その時代のまっただ中ではあまり評価されませんでした。
それをこの書物はたくさんの資料と写真を通して、そして、彼の咀嚼を通して教えてくれました。
猿谷要(アメリカ歴史家)の本
仕事柄何度か渡米し、アメリカの文化や風土に触れるにつけ、この本がアメリカの真の姿を簡潔に正確に伝えているような気がしました。
Norman Rockwell
アメリカの風刺イラストレータ。高校時代から気に入っている画家です。
彼の精緻な作風は、見るものにその時代の文化や風俗などいろいろなことを教えてくれます。
1900年代前半と第二次大戦を通じてアメリカの心を伝えてくれます。
その他
堺屋太一(歴史小説、経済評論家)
C.W.ニコル(自然愛好家)
柳田邦夫(航空機、医学関連のジャーナリスト)、
ロバート・X・クリンジリー(米国コンピュータサイエンス評論家)
立花隆(評論家)
相田洋(あいだ ゆたか、元NHKディレクター、ドキュメンタリー「電子立国(1987年)」のディレクター)
ラッセル・フリードマン(米国ジャーナリスト、リンカーン、ライト兄弟の著者)
重村智計(しげむら・としみつ、元毎日新聞記者、朝鮮事情に精通)
マーク・ピーターセン(明治学院大学教授、岩波新書「日本人の英語」)
 
☆食べ物 - 
ラーメン、そば、うどん、スパゲッティの麺類。味噌、ソース系より「しょう油」派。
海外出張の時は、カップラーメンを持参します。30才代は持っていかないと飢餓感にさいなまされました。
 
☆お酒 - 
20才代はお酒をほとんどたしなみませんでした。
30才代は、ビール(キリンラガー)350ml x 1本。仲間が良くて話が弾むと350ml x 4本。
2000年からは、スコッチ、紹興酒、老酒、ワイン、テキーラの味わいを覚えるようになりました。
2010年からは日本酒の味わいを覚えるようになりました。
 
☆衣服 - 
全く気にしません。アウトドア系統の衣類が好きです。
ポケットがいっぱいあるから。
機能的なデザインと生地が好きです。
 
☆スポーツ - 
息子とキャッチボール。息子と相撲(最近は相手をしてくれない)です。←これは、1999年頃の話。
1999年5月に、義兄から譲り受けたMTB(マウンテンバイク)を使って週末は都内を走ってます。←2000年までの話。
MTBは小気味よく走れてごきげんです。体力も回復してきました。←2000年までの話。
詳細は、「マウンテンバイク始めました」(http://www2.ocn.ne.jp/~anfowld3/MTB.html)を参照下さい。
 
              1999年夏
ここ、4年(2002年から2006年)はマウンテンバイクに乗っていません。
仕事が忙しくなり、自転車とはご無沙汰です。
健康のため月に2回程度4時間くらい乗りたいと思っていいます。
 
2014年現在、相当な高齢となりました。持病の腰痛が悪化し歩く姿勢が悪くなりました。
運動らしい運動も遠ざかり階段を上るとき息が切れます。年を経るとはこういうことかと、思い新たです。
 
それでも現役で仕事を続けられていることに感謝しています。 (2014.01.10記)
 
 
☆クルマ - 
走れば何でも。ゆくゆくは、マツダロードスターがほしいと思っています。(1998.1の時点)
2003年8月までは、義父のコロナプレミオ2.0(1997年3月納車)を愛していました。
燃費、操縦性、居住性、トランクルーム、外形寸法、駐車スペース、すべてにわたり合格です。
2000年8月から、社用車で日産のステージアを乗るようになりました。
L6のエンジン、後輪駆動の足回り、スカイラインのシャシーを使っているそうでドライブフィールはバツグンです。
足回りが安定していてカーブもスムーズに回ってくれます。
ただ、燃費がすごく悪い。6-7Km/h程度とかなりのガソリンを食います。それに少々大きめで重いです。
 
2003年8月にトヨタのアルテッツァ・ジータを購入しました。
自宅の駐車場が5ナンバーのサイズしか入らないこと、仕事柄荷物を積むことが多いのでワゴンタイプであること、長距離ドライブが多いので高速安定性に優れた車であること、ディーラが近くにあって親切なことを理由に選びました。
この車は、4輪独立懸架(ダブルウィッシュボーン)で後輪駆動、DOHCの直列6気筒エンジン(3リットル)です。
   
この車は後輪駆動だけあって、ハンドルの切れ方が非常に素直で小回りも効きます。
前輪駆動車では切り返さないと曲がれない細い路地でも、この車は一回で回っていきます。
前の車からナビをつけていて、トヨタのナビは使いやすかったので、今回も選定する際にトヨタ車を選ぶ大きな要因となりました。
2012年2月に、フォルクスワーゲン社のゴルフ6に乗り換えました。
9年間乗った前愛車の老朽化に伴い、長距離ドライブが安全にできることを想定して購入しました。
この車は、FRでないことと6気筒のシルキーなエンジン音でないこと以外は、すべてにおいて異次元です。
Golf6は、2000cc4気筒ターボエンジンで1500rpmからかなりの太いトルクを発揮します。そのまま疲れ知らずで回転数が上がっていきます。
オートクルーズコントロールがついているので高速運転が楽です。
 
2014年11月に、ゴルフ7 Rにしました。Golf6が乗り始めて3年弱でタイヤが減ってきたなと感じ、タイヤ交換の相談にディーラに訪問した際、懇意にしている腕利きの営業マンに薦められ3年車検前に手放してこの車に変えました。
この車はスポーティフルタイム4輪駆動です。若い頃からAudi Quattroに代表される常時4輪駆動で高速走行できる車に憧れていました。
ようやくその車を運転するチャンスに恵まれました。
この車の4輪駆動方式は常時前輪駆動で、後輪に負荷がかかる場合に即座に適切な比率で後輪に力を与え、ぬかるみや雪道などの路面では4つの駆動力をバランス良く配分するというものです。
馬力がかなりあるので、2輪だけではタイヤに負荷がかかりすぎるという理由もあります。
私はそこまでかっ飛ばすことはありませんが、山道や雨、雪道での走行やコーナリングで4輪に伝わる力の配分を楽しんでいます。雨走行でその威力を感じることがあります。アルテッツァでは雨の走行時後輪が空回りしたり車自体が滑る感覚を持つことがありましたが、この車では未だそうした経験を持ったことがありません。冬場にはスタッドレスタイヤに交換します。冬場でもドライな高速道路使用が多いので、ミシュランのスタッドレスタイヤをチョイスしています。
この車は、エンジンが横置き4気筒なので前輪主体の4輪駆動となっているようです。AudiやSUBARUなどのエンジン縦置きの車では後輪主体の4輪駆動としているようです。
ブレーキの効きも秀逸なものがあります。
 
☆好きな人 - 
司馬遼太郎、西堀栄三郎、桑原武夫、湯川秀樹、立花隆 (← 関西の文化人が多いですね。)
 
☆女性 - 
女性に限らず私は、女たらし、男たらし、人たらしで通っています。
男は、女性の持つ男に備わっていない「もの」に魅力を感じるものでしょう。
私はその中で、女性的聡明さ、女性的情の深い部分に惹かれます。
思慮は浅いが情が深い、というのが私の女性観です。
 
☆コンピュータ - 
Mac。これほどまでに入れあげたコンピュータはありません。
Windowsより5倍の仕事がこなせます。
Windowsは置物の感が強く、Macは深いつきあいができ、シャブリつくせます。
 
☆音楽 - 
私の生涯の10代から20代前半に接した音楽のインパクトの後、その残り火で余生を送っています。
音楽というのは、感性の世界が強いので、若い時代の色恋を通して入り込んだ音楽がどうしても強い影響を及ぼすようです。
1950年代のアメリカポップス、R&B、1960年代のアメリカフォークソング、1970年代の日本のニューミュージック、それに私のオヤジが好きだった文部省唱歌が私の原点です。
ビードルズにはたどり着けずじまいでした。
ただし、一番好きな歌の一つにビートルズの「Let it be」があります。
 
サイモン&ガーファンクル、PP&M(ピータ、ポール、アンド、マリー)、
ジョン・デンバー、イーグルス、さだまさし、吉田拓郎、五つの赤い風船、
及川恒平、加川良、高石ともや、小椋桂、かぐや姫、風、井上揚水、
ふきのとう、中島みゆき、ハイ・ファイ・セット、オフコース、山下達郎、
デューク・エイセス、リチャードクレイダーマン、ベン・E・キング、
ブルーススプリングスティーン、ベンチャーズ、
 
などがお気に入りです。
高校時代、深夜ラジオ番組のコッキーポップというのをよく聞いていて、高木まさ(高木麻早)、中島みゆき、ウィッシュ、NSP、葛城ユキなど有名無名のフォークシンガーたちの歌を聴くのが好きでした。
2005年暮れにTBS番組で小田和正の「クリスマスの約束」という番組を見て、「風のようにうたが流れていた」というDVDを購入しました。
2009年からは、会社の友人の影響で、Bruce Springsteenを聞くようになりました。 (2011.11.25記)
 
☆場所 - 
    
1978.11 足助香嵐渓 香積寺 山門より燃える紅葉を望む   
足助香嵐渓、尾瀬、名主の滝(北区王子)が好きな場所です。
都内では、日曜日の人気のない大手町、日本橋界隈を歩くのが好きです。
休日は、たいてい、最寄りの喫茶店でMacをいじっているか、図書館にいるか、家でMacをいじっています。(2000年当時)
 →(と言っても2001年暮れに独立してからは、休日というものがなくなり毎日が仕事か趣味かわからない日々を送っています。2007.02.11記
1999.5以降2000年までは、マウンテンバイクばかり乗っていました。
 → 2002年以降は、仕事が忙しくなり、マウンテンバイクも遠ざかってしまいました。
還暦に近づいた2015年は、iMacとiPodの生活がほとんどで、自転車も卒業してしまいました。
代わりに自動車を運転することが多くなりました。
ホームページの更新も昔ほど熱心ではなくなりました。
悔い改めなければと思っています。
 
☆趣味 - 
Macと読書とドライブと、仕事 !!!。
 

 

 
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