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光と光の記録 - 光編   (2023.04.13更新・修正) 
「光と光の記録 - 光編」 (2003.12.18)
 光と光の記録が本になりました。
出版社は、産業開発機構(株)殿で、 
情報機関誌「映像情報 Industrial」誌 
に2002年1月から2003年11月までの 
約2年間に渡り掲載された内容を、
一冊の本にまとめたものです。
 
「映像情報」誌に掲載された内容は、
本Webサイトの内容を基本としています。
単行本に御興味ある方は、上記サイトにアクセスして下さい。
「光と光の記録 - 光編その2」 (2007.06.06)
 「光と光の記録」第二巻が刊行されました。
出版社は、産業開発機構(株)殿で、 
情報機関誌「映像情報 Industrial」誌 
に2004年1月から2005年3月までの 
約1年3ヶ月に渡って掲載された内容を 
一冊の本にまとめたものです。
 
 
目 次
 
■ 光と光の記録について考える
 ■ 主観としての光、客観としての光
 ■ エネルギーとしての光、電磁波としての光
 ■ 光の歴史
    光の粒子説・波動説、そして光量子説
    波長
    可視光域外の光
    X線
    光速
    レーザ
■ 光の単位について
 
■ 光の明るさ
プランクの放射則
■ カンデラ
 
■ 光度と照度について
■ 照度と輝度について
 
 
 
照度・輝度の換算表
カンデラ(candela)
ルーメン(lumen)
ルクス(lux)
フート・カンデラ(fc-cd)
ニト(nt)
cd/ft2
ラドルクス(lm/m2
フート・ランベルト(lm/ft2
ランベルト(lm/cm2
アポスチルブ(asb)
スチルブ(stilb)
■ 完全拡散面
ランベルトの余弦則
ランベルト(Johann H. Lambert)
米国の照度の表し方
燭(しょく)
 
■ 光度と輝度について
光度と輝度の関係
■ ANSIルーメン
■ 距離変化に伴う輝度値について
 
■ 光の色について
日本人の色感覚
波長と色
色の規格化
色相(Hue)、彩度(Chroma)、明度(Value)
色温度
プランク(Max Planck)
■ 比視感度
 

 
■ ヒトの目
  人の目のレンズ焦点距離(Lens Focal Length)
  人の目の感度(Luminous Sensitivity)
  人の目が感じる色(Color)
  目の反応時間(Luminous Response)
  網膜細胞(Retina, Photo Recepter)
    - 解像力(Resoloving Power)
 
■ フォトン(光子)
  光の三つの革命
  フォトンの単位
  光の波、光の粒
  量子としての光
  光量子
  光と電子
  フォトンの明るさ
 
  アインシュタイン(Albert Einstein)
  ニュートン(sir Isaac Newton)
 
■ 光 - 波と粒子
■ 光速と長さ
メートル原器
1960年
ガリレオの実験
レーマーの実験
フィゾーの実験
フーコーの実験
マイケルソンの実験
現在の1メートル
■ レーザ光の強さ
レーザ光の有効性
レーザシャドウグラフの光源
 
■ 自然現象に見る光の性質
光の直進
  コロンブスと月食
  点光源
  レーザ光
  光の速度
  長さの基準としての光
  幾何光学
光の反射
  通り抜ける光、捕捉される光
  原子(分子)と光
  光と電子
  炭素(Carbon)
  エネルギギャップ
  鏡(Mirror)
  反射板(Reflector)
  光の反射・屈折の横ずれ現象
光の屈折
虹(Rainbow)
ハロー現象(日暈、月暈)
蜃気楼、逃げ水
チェレンコフ光
ホイヘンス
光が電磁波たる理由
音波と電磁波
媒質の違いによる光の屈折
屈折率
スネルの法則
光路可逆の原理
フェルマーの原理
全反射
光の反射率
屈折のたまもの - レンズ
 
 
偏光
ポラロイド(Polaroid)の発明 - ランド博士
偏光発見の歴史
方解石による複屈折現象
反射偏光の発見
ブリュースター
フレネル
直線偏光、円偏光、楕円偏光
1/4波長板
光の干渉
眼鏡の反射防止膜
ニュートンの薄膜研究
レンズコーティング
干渉フィルター
ダイクロイックミラー
薄膜技術のまとめ
干渉と回折の祖 - トーマス・ヤング
モアレ干渉
ペリクルミラー
光の吸収
透明物体、白色体、黒色体
カラーフィルタ
ゼラチンフィルタ
光の散乱(レーリー散乱とミー散乱)
レーリー卿
レーリーの回折限界
チンダルとチンダル現象
ミー
紫煙・白煙・黒煙
青い瞳
見える粒子、見えない粒子
ブラッグ散乱
ブラッグ
光の回折
 
光の分光 - 回折格子の原理
レンズ職人 - フラウンホーファー
回折の考え方
回折格子
ボシュロム社
ブレーズ格子
プリズムによる分光と回折格子による分光
分光器の基本配置1 - ローランド式分光器
分光器の基本配置2 - ツェルニー・ターナー
分光器の計測精度
 

 
■ 光源について
 
■ 太陽
■ 月
■ 蝋燭(ろうそく)
 
■ ガス灯 
■ アーク電灯
電気の光
ライムライト
 
■ 管球
白熱電灯
クーリッジ
タングステンランプ
タングステンハロゲンランプ
 
■ 放電灯
蛍光灯
蛍光灯の歴史
蛍光灯のフリッカ
蛍光灯直流点灯
「水銀」と発光
水銀の電気分野での使われ方
アマルガム
水銀の有害性
蛍光灯に使用される水銀の量
蛍光灯の演色性
キノ・フロ(Kino Flos)
高周波点灯蛍光灯(Hfランプ)
 
■ 次世代型 無電極放電ランプシステム
■ 水銀灯
■ ナトリウムランプ
■ クセノン(キセノン)ランプ
高速道路標識投光用光源
■ キセノンフラッシュランプ(ストロボ)
瞬間発光光源の歴史
キセノンフラッシュの発明
  - エジャートン博士
レーザ発明への貢献
キセノンフラッシュの性能
キセノンフラッシュの発光原理
ストロボの明るさの単位
■ 閃光電球
閃光電球の歴史
閃光電球の発光
■ 長時間閃光電球
■ メタルハライドランプ
演色性
HMIランプ
自動車ヘッドランプ
イカ釣り漁船の集魚灯
水銀キセノンランプ
 
 
■ ルミネセンス
 
■ 発光ダイオード(LED)
発光ダイオードは半導体(固体素子)
pn半導体接合を通過する電子
Eg(バンドギャップ、禁制帯幅)
自動車のヘッドランプにLED
青色発光ダイオード・白色発光ダイオード
LED携帯ライト = 懐中電灯
高輝度LED
 
LCD(Liquid Crystal Display) = 液晶
液晶ディスプレーの経済効果 - 使用電力
液晶の誕生
液晶の構造
カラーTFT液晶
シャッタとしての液晶
 
EL(Electro Luminescence)表示灯
 
光と光の記録 --- レーザ編  別コーナー
  
  レーザ(LASER)
  ヘリウムネオンレーザ
  アルゴンイオンレーザ
  窒素レーザ
  炭酸ガスレーザ
  YAGレーザ
  ファイバーレーザ
  固体グリーンレーザ
  エキシマレーザ
  銅蒸気レーザ
  ヘリウム・カドミウムレーザ
  波長可変固体レーザ
  色素レーザ
  半導体レーザ
 


 
■ X線光源
X線(X-ray)の発見
X線の性質
X線のエネルギー
X線を用いた撮影応用
 
■ 中性子光源
 
■ 爆発光源(アルゴンフラッシュ、アルゴンキャンドル)
 
■ シャッタ(Shutter)
ギロチンシャッタ
レンズシャッタ
フォーカルプレーンシャッタ
ロータリディスクシャッタ
ロータリミラーシャッタ
ケルセルシャッタ
ポッケルスセルシャッタ
ファラデーシャッタ
銅線爆破シャッタ
液晶シャッタ
イメージコンバータシャッタ
電子シャッタ
キセノンフラッシュシャッタ
アルゴンフラッシュシャッタ
LED(発光ダイオード)シャッタ
レーザシャッタ
AOM(音響光学素子)シャッタ
 
 
レンズ・・・人類の科学史上最も有益な発見
       光と光の記録 --- レンズ編  別コーナー
 
光の記録原理・・・ CCD、CMOS、銀塩フィルム、
          イメージインテンシファイア
       光と光の記録 --- 記録編  別コーナー 
 

 
 
 
光と光の記録について考える
 
 
 映像を表現の手段としたり、計測手段として扱う人にとって、「光」は重要な要素です。
私たちは、この光についてあまり深く考えず、映像機器を操って画像がまがりなりに得られればそれで良し、としています。
このWebサイトでは、映像を作り出す「光」について、今一度原点に返って認識を深めて見ようと考えています。
 
 私は、40年以上映像に関わり、映像からどのような情報が得られるか、という世界を歩んで来ました。
このホームページでは、映像に関わる「光」の捉え方について今一度おさらいをして見識を新たにするとともに、光を記録するにはどのような方法があるかについてもできるだけわかりやすく、かつ具体例を挙げて話を進めて行きたいと思っています。
 
 
■ 主観としての光、客観としての光
 「光は、本来主観的な範疇で扱われてきた、と私は考えています。
視覚は、人間の五感の中でも極めて重要な感覚で、生まれながらに明るさや色合いを会得し、明るいとか暗いとか、赤い、青いという言い方をしてきました。
光を認識する手段は、ヒトの目に負うところが多かったのです。
 
光の概念は、ヒトの目を中心にして構築され、太陽の下でヒトが認識する光とその影が光の規範となっていました。
長さや重さの単位の歴史に比べて、光の量を決めるには随分と時間がかかりました。
映画やテレビ、写真などの映像媒体が盛んになってきても、映像の質は人間の目による判断に負うところが多かったのです。
写真にしてもテレビにしても、映像媒体は人間の目が見たものと同じような質を求められたのです。
 
そうした中で、光を記録する感光材料が発明され、レンズが発達するようになると、光の量が問われるようになりました。
どれだけの光の量を与えれば記録に耐える写真が得られるか、が問題となったのです。
写真技術が発達する中で、光を計る照度計、輝度計、色差計が必需となりました。
もちろん、生命体の持つ「眼」の働きも光に反応する素子として定量的な科学アプローチがなされました。
 
19世紀になって電気物理学が急速な発展を見るようになると、光に反応する金属(半導体)が見いだされて、光の量を電気に置き換えられるようになりました。
この発見は、大きな意義があります。光を電気に変える下地ができたのです。
光に反応して電気を蓄える光電面ができて、テレビ技術が発達し、ビデオ技術が進歩しました。
光電変換素子が作られるようになると、どれだけの光を与えるとどれだけの電気が発生するかということがわかるようになり、光を量として測ることができるようになりました。
 
 
■ エネルギーとしての光、電磁波としての光
光を客観的にとらえようとすればするほど、光を量として扱いたくなります。
その量をエネルギーの観点から体系づけて、電気、磁気の領域まで高めたのが、1865年に電磁波を体系づけたイギリスの物理学者マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831-1879)です。
マクスウェルの電磁波の統一理論により、光は電磁波と同じ性質をもつと考えられるようになり、量子力学の発展と共に、波長と振動数、それに光速をもとにした「光子」(photon、フォトン)と呼ぶあたらしい概念が登場しました。
 
光は、水の流れのように連続した量ではなく、粒子のように一つずつ数えられる、という考え方が出てきました。
これが「光子」という概念です。
これらの体系化づけには、プランク、アインシュタイン、コンプトン、ボーアらが活躍します。
量子力学の世界に入り込みますと、光は電子と恐ろしく密接な関係をもっていることがわかります。
原子核を回っている電子は絶えず自らのエネルギー準位を高めたり落としたりして、その都度外部からエネルギーを吸収したり放出したりしています。
この電子の運動に密接に関係しているエネルギーの一つが光エネルギーなのです。
光の根元は、エネルギーの塊であり、電子エネルギーの形を変えたものであることがわかってきました。
レーザは、そうした研究過程(光の誘導放出と共振原理)で発明されました。
 
 
 
■ 光の歴史  (2006.03.29)(2006.04.03追記(2017.12.04追記)
 
▲ 光の粒子説・波動説、そして光量子説:
光は、人の歴史とともにありました。
暗闇が支配する夜と、太陽が差し込む昼の2面の世界がある地球上では、太陽(神々しい光)は「神」そのものでもありました。
人類歴史の中で、太陽は光の権化であり「神」そのものであったのです。
規則正しく運行する太陽と、まばゆいばかりに差し込む光は、古代の人たちにとって畏敬以外のなにものでもなかったことでしょう。
「神」の代名詞でもあった太陽は、その光によって日時を知ることや鏡やレンズを使って光を曲げたり集めたりすることはあっても、
光そのものを科学的にとらえようとうする動きは、ルネサンスまでありませんでした。
文芸復興以降、光学の分野は大いに発展しました。
 
 光は、そもそも何であるのか?
 光は、粒子であるのか?
 はたまた、波であるのか?
 
という論議が現れます。
 
【粒子から電磁波になった光】
イギリスの物理学者 ニュートン(Sir Isaac Newton: 1642-1727)によって、「光は粒子である」と唱えられて後、光の素姓に関する論議は連綿と続けられました。
この議論は、200年を経て、英国キャベンディッシュ研究所所長マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831-1879)による「光は電磁波である」という定義付けによって一応の決着を見ます。
しかし、マクスウェルが定義した光の電磁波論も本当にそうであるという確証が当時まだなく、「光はエーテル(Ether)を媒体として伝播する波」という考えが根強くありました。
光の電磁波論( = マクスウェル理論)の追試のために、いろいろな学者が検証を行ってきました。
エーテルの存在が否定され、光の速度を測って光が電磁波であるとの確証が得られたのは、マクスウェルの死後3年経った1882年のことで米国物理学者 マイケルソンによる実験がこれを明らかにしました。
マイケルソンは、自ら考案した干渉計装置を使って光速を精度よく求め、その中に「エーテルの介在する余地はない」という結論に達したのです。
光の電磁波論を決定づけた出来事でした。
彼はまた、光を使って長さを測定する手法を考案しました(彼の装置で、フランスにあるメートル原器の長さが正確に測定されました)。
 
【光の波動性を決定づけたヤング】
光が物理科学の対象になった当初、光は粒子であるという説が圧倒的に強い時代がありました。
この理論は、英国物理学者のニュートンが強く主張していたため、波動説を唱える他の学者の学説に耳が傾けられなかった時代があったのです。
同時代、オランダのホイヘンス(Christiaan Huygens、1629-1695)は、事例をいくつか挙げて光が波の性質を持つとし、ニュートンの光の粒子説に異論を唱えました。
光の粒子説にせよ波動説にせよ、両者には納得のいく部分とうまく説明できない部分がありました。
光が波とするのなら、光は真空中を伝搬できないはずですし、光を粒子とするならば、偏光回折現象をうまく説明できません。
しかし、光はどうやら波である、という結論を出したのは、イギリスの物理学者 ヤング(Thomas Young、1773-1829)でした。
彼は、光の干渉・回折実験を手がかりにして、光の振る舞いは波の性質があまりにも大きいことを発表したのです。
ならば、真空を伝ってくる太陽光はどうして地球に到達するのか。
そうした疑問に対して、当時の物理学者たちは空間にはエーテル(Ether)という光を伝播する媒質が充満しているからだと仮説しました。
当時、多くの物理学者がそれを信じていました。そうでなければヤングの実証した波の性質が説明できないからです。
宇宙の仮説よりも地上の実証が優先されていたのです。
そのエーテルの存在をアメリカ人物理学者マイケルソン(Albert Abraham Michelson、1852  -1931)が否定しました。
彼は光の速度を求める実験を行って、エーテルの存在を示す実験結果が何一つ出てこないことを根拠に、マクスウェルが唱えた光の電磁波論を決定づけたのです。
 
【光と量子力学】
光は電磁波である」という決定が下されて、量子力学の世界が開けてきます。
1900年初頭は、まだ、物質の根本である元素が原子核と電子でできているとの理解がなされていない時代でした。
電子が発見されたのは、1897年、イギリス人物理学者 J.J.トムソン(Sir Joseph John Thomson)によってです。
原子核が発見されたのは、トムソンの弟子であるラザフォード(Ernest Rutherford:1871 - 1937)によってであり、それはトムソンの電子の発見から6年遅れた1911年のことでした。
それ以降、1913年にデンマークの物理学者ボーア(Niels Henrik David Bohr:1885 - 1962、キャベンディッシュ研究所にてトムソン、ラザフォードに師事)が原子モデルを進化させた理論を発表し、原子の振る舞いの中で、光が果たす役割も徐々に解明されていきました。
 
しかしながら、ラザフォードが原子核を発見する6年も前の1905年に、ドイツの物理学者プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck:1858 - 1947)その弟子のアインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)によって、「光は、一つ一つと数えられる粒子の振る舞いをする存在(光子 = フォトン)でもある」と定義づけていました。
光は波でもあるし粒子でもある、という光量子説の誕生です。
 
 光のエネルギーについては、以下で述べる「光 - 波と粒子」を参照してください。
 
 
▲ 波長:
光の歴史を振り返る時に何よりも見落としてならないのは、
ニュートンの時代(1600年代)の科学者たちが、波動説にせよ粒子説にせよ、
太陽の光が連綿と続くたくさんの波長をもったエネルギーという理解をしていなかったことです。
たしかに、ニュートンは太陽光をプリズムを使って色の分解を行いました。
しかし、ニュートンは光の色が波長に依存していることを知りませんでした。
彼は、光の粒子が運動によって色を変えたり干渉したりすることをなんとかして説明しようとしていました。
ニュートンがなぜ粒子にこだわったかというと、光があまりにも強い直進性を示すからでした。
光の色が波長に依存していることを突き止めたのは、ニュートンよりずっと後のヤング(Thomas Young、1773-1829)です。
ヤングは、光の干渉実験を使って光が波であることを決定づけました。
そして光の波長を特定しました。 波長の違いによって色が決定されるという歴史的な発見でした。
ヤングの実験(1807年)以降、光の波長が論議されるようになります。
 
そして、分光器(1814年、回折による分光器は1817年)の登場です。
分光器によって、光の波長を簡単に特定できるようになりました。
分光器は、電気分野でのオシロスコープのようなものです。
分光器によって、光の成分がたちどころにわかるようになりました。
分光器が光分野に果たした役割は大変大きなもので、
この器械によって分光光学が大いに発展し、天文学分野のみならず、原子の発見に多大な貢献をしました。
 
新しい原子が発見される度に、検証の手だてとなったのが分光器を使った分光分析だったのです。
 
つまり、光が物理学の世界で重要な意味を持ちはじめたきっかけとなったのは、分光器の発明以降だと言っても過言ではないでしょう。
当時の化学者、物理学者は、元素を加熱すると固有の光が放出されることを突き止めていて、分光分析によって新しい元素を発見していました。
分光分析を確立した人たちに、以下の物理学者がいます。
 
  ・ ドイツのブンゼン(Robert Wilhelm Bunsen:1811 - 1899)
  ドイツのキルヒホッフ(Gustav Robert Kirchhoff, 1824-1887)
  ・ スウェーデンのオングストレーム(オングストローム)(Anders Jonas Angstrom: 1814-1874)
 
元素に固有の発光スペクトルがあることを突き止めたのは、オングストレーム(オングストローム)で、1850年のことです。
しかし、元素がなぜ固有の光を出しているのかはわかっていませんでした。
その秘密を解き明かしたのは、以下の3人の科学者です。
 
  ・ 電子を発見したイギリスの物理学者J.J.トムソン(Sir Joseph John Thomson、1856 - 1940)
  ・ 原子核を発見したニュージーランド出身の実験物理学者ラザフォード(Ernest Rutherford、1871 - 1937)
  ・ そして、原子核を回る電子の配列を解きあかしたデンマークの理論物理学者ボーア(Niels Henrik David Bohr、1885 - 1962)
 
彼らの業績は、1913年ボーアモデル(原子モデル)として実を結びます。
彼らによって、電子の振る舞いと光の間の密接な関係が解き明かされたのです。
光がエネルギーの固まりであることは、それ以前の1905年、アインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)によって解き明かされていたので、ボーアの理論によって光量子が決定づけられました。
 
 
▲ 可視光域外の光:
太陽光に人間の見えない光があることが突き止められたのは、1800年〜1801年です。
赤外線の発見と紫外線の発見です。
赤外線は、1800年イギリスの天文学者ハーシェル(Friedrich Willhelm Herschel、1738 - 1822、ドイツ生まれ、1757年ドイツの戦渦を逃れるためイギリスに移民)によって発見されました。
紫外線は、赤外線の発見の1年後、1801年にドイツ人リッター(Johann Wilhelm Ritter:1776-1810)によって発見されます。
可視光が、電波やX線などの連綿と続く波長の電磁波の一種類であることの序章とも言える出来事でした。
 
 
▲ X線:
X線は、1895年ドイツの実験物理学者レントゲンによって発見されます。
赤外線・紫外線の発見から90年以上も後のことです。
X線は、光の延長上で発見されたものではありません。
全く別の研究過程で発見され、光の仲間に組み入れられました。
X線は、物理学者レントゲンによって真空の電気放電状態でおきる不思議な放射線(陰極線)を研究している過程で発見しました。(「X線(X-ray)の発見」参照)
雷のような大気放電と違って、真空場で電圧を加えると不思議な放電発光が得られ、それがどういったものであるかという研究がドイツ、フランス、イギリスを中心に熱心に続けられていました。
この時代になると、電気的な研究と光の研究の接点が生まれてくるようになります。
 
 
電気を人類のものして自由に使えるようになったのは、1800年のイタリア物理学者ボルタが電池を発明して以来です。以降、身近に電気を起こせるようになったので、電磁気物理学が急速に発展します。
イギリスのハンフリー・デービー(Humphry Davy:1778 - 1839)やその弟子マイケル・ファラデー(Michael Faraday: 1791 - 1867)は、電気分解によってたくさんの化学物質を発見していますし、電磁誘導現象も発見しています。
その延長上に、スコットランド物理学者マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831-1879)がいて、電磁気学が進展します。
電気を電子の粒としてとらえるようになったのは、1897年、レントゲンのX線発見から2年後のことです。
イギリス人物理学者J.J.トムソン(Sir Joseph John Thomson)が、X線の追試をしている時に電子の粒(電子)の着想を得たと言われています。
X線の発見以降、イギリスでは電子の概念が発展し、フランスでは放射性物質の研究が熱心に続けられます。
フランスのアンリ・ベクレル(Antoine Henri Becquerel:1852 - 1908)は、1896年にウランからの放射線を発見し、1898年、マリー・キュリー(Maria S. Curie:1867 - 1934)は、夫ピエールと共にラジウムとポロニウムを発見します。
自ら蛍光を発したり、対象物を光らせるという放射性物質の発見は、電子の発見と光の電磁波理論ともみ合うような歴史の流れで新しい量子力学の門戸をあけることになりました。
こうして、「電磁波」のグループの中に光が組み込まれ、波長を仲立ちとして、マイクロウェーブから赤外線、可視光、紫外線、X線へと流れるような電磁波の体系が出来上がりました。
 
 
▲ 光速:
光の性質で大事なことは、光の伝播する速さです。現在の物理学では、光の速さは非常に重要な意味を持っています。
光の速さは、現在では物理単位量のもっとも大切な「量」となっています。
現在の度量衡の規定では、光によって長さが決められているのです(「光束と長さ」参照)。
重さの定義も、長さが元になっているので(摂氏4度の水の立方体 = 10cm x 10cm x 10cmの重さが1kg)、長さも重さも両方とも光が支配していると言っても過言ではありません。
なぜ光が支配しているかというと、光の進む速さ =「光速」が非常に安定しているからです。
 
 
▲ レーザ:
1960年代に入ってレーザが出現します。
レーザは、人類がつくり出した人工の光です。
レーザの発明によって、物理学、光学、工学のみならず医学、経済への貢献も大きくなりました。
近年(1960年代)、半導体レーザの発明によって、レーザを使った応用分野が大いに拡がり技術社会に大きな功績を残しています。
レーザは、とても大きな発明でした
レーザは、極めて純粋な単一波長を持つ光で、しかも波長の位相がきれいに揃っています。
波長の位相がそろっているということは、光の波長単位で長さ計測ができることを意味しています。
光の波長は短いので(例えば、ヘリウム・ネオンレーザの場合は、λ = 632.8nm)、サブミクロン単位の長さ計測が可能となります。
このようなことから、レーザを使った光関連製品は現在において非常に多様な広がりを見せています。
 
 レーザの詳細は、「光と光の記録・・・レーザ編」を参照下さい。
 
 
 
 
光の単位について
 
さて、光を明るさの観点から眺めてみましょう。
明るさの考えを今一度おさらいしておきたく思います。
明るさを言い表す数値の単位には2つの系統があります。
 
▲ 自然界の光を『量』として扱ってきた 光度(カンデラ、cd)、照度(lux)、光束(lm)による単位系
▲ 光を『エネルギー』として扱う エネルギー量(J:ジュール、W:ワット)の単位系
 
エネルギー量の単位は、電気エネルギーを光に換える機器(白熱球、蛍光灯、ストロボ、レーザ)の普及に伴って、これらの機器の性能を表す単位がワットで表わされることで知られるようになりました。
60Wの白熱電球、30Wの蛍光灯、6WのLED電球というような呼び方をし、この値でだいたいの明るさを経験的に身につけています。
但し、ここで注意しなければならないのは、この値は電気入力の値であり、光エネルギーそのものではないことです。
通常の白熱電球は、使用する電気エネルギの90%近くが熱になり残りの10%程度が光になります。
従って、60Wの白熱電球が放出する光エネルギー自体は6W程度となります。
レーザなどでは、使用する電気入力エネルギーで表わさずに光そのものの出力エネルギーで表わされます。
というのは、レーザ光のエネルギー変換効率は、例えばアルゴンレーザでは0.02%程度しかなく、4Wのレーザ出力を得るのに20kW( = 20,000W )の電気エネルギーが必要となります。
これではエネルギー値の意味合いが薄れるため、レーザでは光出力で光の強さの度合いを現しています。
 
もう一つ光の単位には、量子力学で扱うフォトン(光子)という単位があります。
フォトンの単位は、[J]というエネルギー量です。フォトンは、従って光エネルギーの単位です。
この値は、通常微弱な光に対して用います。
また、電気の粒である電子(エレクトロン = electron)の対語としてもフォトン(光子)はよく使われます。
 
光合成の研究を行っている分野では、モル数と光子の関連性を重視することから、[μmol/m2/s](光量子束密度 = Photon Flux Density)を使います。
この難しい単位は、ルクス(照度)と極めて近い単位です。
これは、光束(ルーメン)を光子の数に置き換えて、アボガドロ数で単位化したものです。
これはとても特殊なケースなので、深くは立ち入りません。
光の化学作用を研究するときに、モル数でとらえた方が都合が良いために使われる単位です。
 
 
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光の明るさ  (2010.09.28追記)
 
光の単位は何を基準にしているのでしょうか?
キログラム原器のように絶対的な基準があるのでしょうか?
我々が手にする光の測定装置はそれほど精度が高いとは言えず、またその必要性もありません。
 
光の単位の根本は、カンデラ(candela)と呼ばれる『光度』(こうど)に始まります。
カンデラは、ラテン語で "けものの油でつくったロウソク"  という言葉に由来し英語でもロウソクのことをcandleと言っています。
光の明るさを最初に定義したのは、1860年のイギリスです。
首都ロンドンでガス条例が作られた際に、「燭 = しょく、英語でcandle」という光の単位が使われたことに始まります。
当時、ロンドンでは大規模なガス灯事業が始められ、光を定量的に扱う必要が出てきました。
この時に制定した、燭(しょく = キャンドル)の単位が国際燭になって、以後、その明るさをもとにしてより科学的な手法によるカンデラという値が考え出され、1948年に国際度量衡総会で決定されました。
燭という単位が考えだされた88年後のことです。
高校までの教科書には1カンデラという値がどこからきたのか明確にされておらず、鵜呑みをさせるカリキュラムになっています。
1カンデラがどのくらいの明るさをもっているのか検討もつきません。
それほど身近に明るさのわかる指標がないからです。
ごくおおざっぱに言えば、家庭用の照明器具に付いているナツメ球(小さい白熱電球)が2カンデラ程度の明るさです。
1カンデラはずいぶんと暗い光なのです。(1カンデラの光で1mの距離で照射される照度が1ルクスです。1 ルクスは暗い。満月の月明かりの5倍の明るさです。)
 
1カンデラの明るさを持つ光が空間に放射されるとき、その光の量を表すのに『光束』(こうそく。Luminous Flux。単位はルーメン = lumen)という単位を使います。
光の束(たば)と訳され光源から放射される光を糸のように見立てたもので、たくさんの光の糸が出ていればたくさんの光が出ていることになるため、明るいことを意味します。
光の糸の密度が濃ければ明るい光源となります。
ルーメンは、1894年フランスの物理学者A.Blondel(1863-1938)が提案したものと言われ、その時の光源に1 国際燭(以下に述べる光度よりも前に定義された光度の単位)を用いたそうです。
『燭』(しょく)については以下の項目を参照下さい。
 ルーメンの語源は、「窓」または「光」を意味するラテン語から来ています。
 
 
■ カンデラ(candela = cd) = 光度の定義(その1)
1カンデラ(candela = cd)という光の定義は、以下のように定義されています。(ただし、これは1979年までの定義です。)
『1気圧(101,325ニュートン/m2 )のもとで完全黒体を加熱し、白金の融けだす温度(凝固点温度 = 2042K)になった時、1cm2 の平らな表面から放射される光の中の垂直方向の明るさの1/60』
非常に難しい言い方でよくわからないかも知れませんが、これが国際度量衡総会で定義された単位なのです。
この値は、それまで使われていた燭(しょく)という単位をもとに、一定の明るが得られるように、圧力と温度がしっかりした環境下で黒体を熱して、その黒体から発する光を取りだして明るさの量を決めたものと考えられます。
要するに、燭をできるだけ客観的に再現の良い条件で定義したのです。
古い時代の燭の明るさを、当代でできる技術を用いて精密に定義したのです。
 
光度を表す1カンデラ(candela = cd)は、別に、1 lm/sr(立体角1ステラジアンに放射される1lm[ルーメン]の光束)と定義されています。
 
ここで登場するルーメン(lumen)という単位は、光束(こうそく、luminous flux)と呼ばれるもので、空間に放射される光の量の単位です。この量によってたくさんの光が出ているかどうかの目安としたり、光源の性能を表す目安としたり、輝度や照度などを計算する場合の大切な単位になっています。
ルーメンは、1894年にフランスの物理学者A.Blondel(1863-1938)によって提案されたものと言われています。
1ルーメンの単位は、光度1カンデラから放射される単位立体角の光の量(束)を表したものです。
1カンデラの理想点光源は、全立体角(四方八方)に放射されるため、空間全体には以下の光束が放射されます。
 
     全立体角( = 4πsr)x 1lm/sr = 4πlm ・・・(Light1)
 
πは円周率でπ = 3.14159です。
立体角の単位はステラジアンになります。
4π( = 12.566ステラジアン)は、平面の角度でいう2π(ラジアン)と同じで、360°の全周を表します。
従って、1カンデラの光度を持つ点光源は四方八方に光を放ち(立体角で4π)、その光量は光束で表すと4πルーメンになります。
平面角θと立体角ωの関係は、上図右に示す関係になっています。
 
     ω = 2π{1-cos(θ/2)} ・・・(Light2)
 
上に述べた定義からわかるように、光度は、色々な波長の光が混ざった総合的な単位であり、完全黒体を想定したプランクの放射則に適合するエネルギー分布の集合といえます。
理想の点光源1カンデラから1m離れた所を照らす明るさが1ルクスとなります。(半径1mの球面で立体角1ステラジアンの占める面積は1m2となります。)
【プランクの放射則】 (プランクの放射則は有名ですが、式が難しいので、興味ある方だけ参考にしてください)
プランクの放射則の意味することを述べたいと思います。
この法則は、「光は、以下の式に示されるように光の波長と温度によって求まるエネルギー量」というものです。
この式の凄いところは、温度を一定とするならば光のエネルギーは波長の関数となることであり、波長全域にわたってこの式を積分していけば、光そのもののエネルギーが求まることです。
 
Me (λ、T)= c1λ-5{exp(c2/λT)-1}-1   ・・・(Light3)
Me (λ、T) : 分光放射発散度 [W・m-2・nm-1
λ: 光の波長(単位はnm)
T: 放射体の温度(単位はK、ケルビン)
c1 : 2πc2 h
c2 : ch
h : 6.626 x 10-34 J・s(プランク定数)
κ : 1.380 x 10-23 J/K(ボルツマン定数)
c : 2.998 x 108 m/s(真空中の光の速さ)
 
1900年、プランクがこの放射則を導いた時代背景には熱力学の急速な進展がありました。
この法則が、熱力学のみならず光の分野にまで使われるようになりました。
プランクがこうした熱力学を統一的に考えるようになったのは、当時、ドイツの鉄の生産による温度と熱の科学的探求があったからだと言われています。
1870年になると、欧州の産業革命の嵐が後進国ドイツに移ります。
プロシアを中心に国家統一を成し遂げて常勝フランス軍に勝ったドイツは、国家の政策によって鉄と石炭による重工業政策を押し出し、機械化と軍国主義を進めました。
 
こうした背景の中で、ドイツでは鉄鋼炉の高温測定技術が進んで、高温物体が発する光を正確に測定する技術が発展します。
高温物体の研究では、キルヒホッフ(Gustav Robert Kirchhoff, 1824-1887)が発光スペクトルの
研究を行い、ヴィーン(Whilhelm W.O. Franz Wien, 1864-1928、1911年ノーベル物理学賞受賞)が
熱力学を熱輻射に応用して良質な理論を作り、最終的にプランクが赤外領域にまで理論を推し進めて、
量子力学まで進展させました。
その統合体系が、今述べているプランクの放射則なのです。
 
プランクの放射則に従うと、放射エネルギーは波長と温度に依存することがわかります。
上の関係式を一瞥しただけではよくわかりませんが(右上の図ではよくわかる)、温度が高くなるほど
放射エネルギーのピークは波長の短い方に移動し、高温物体では可視光領域にたくさんのエネルギー放射
をしていることが認められるようになります。
太陽光やタングステンランプ、ロウソクの炎、融けた鉄などは、この関係を良く表しています。
プランクが活躍した時代以前にも、鉄の生産において鉄の溶けた色と温度には正確な因果関係がある
ことが理解されていました。
つまり、鉄を熱して行く過程で、鉄は始め鈍く赤く光り、温度の上昇と共に黄色味を帯びて最終的には
白熱していくという現象です。
鉄を作る人々は、鉄の溶けた色を見て温度を知っていたのです。
この鉄の温度と発熱した色を理論的に解明したのが、ドイツの物理学者たちであり、プランクはそれを
集大成したわけです。
 
現実の光は、白熱電球にしても蛍光灯にしてもそれにレーザにしても完全黒体とは程遠い発光分布をしているため、これらをすべてルーメン、カンデラに当てはめるのは疑問の残るところです。
しかし、光を集合的に取り扱う上では都合がよい単位であるため、便宜的にこの単位系を用いており、この単位系に当てはまらない単色光やレーザなどに対してはエネルギー量の単位(J、W)を用いています。
 
光を実用的に、かつ統合的にとらえるには、光度(カンデラ, candela = cd)よりも光束(ルーメン, lumen = lm)の単位を用いて光束を『光』の中心単位としてとらえた方が理解が早いと考えます。
プロジェクタ(液晶プロジェクタ)などでは、明るさの性能を示す単位としてルーメンが使われています。
こうした映像表示装置では、明るさをルーメン表示にしておくと、単位面積当りの光束で照度(lumen/m2 = Lux= ルクス)を求めることができ、また単位面積から単位立体角当りに放射される光束で輝度(1 lm/sr・m2 =1cd/m2)が求まるようになり便利です。
下の図に光度、照度、輝度、光のエネルギーの流れ図を示しました。
 
 
■ カンデラ(candela = cd) = 光度の定義(その2)  (2006.12.06追記)
上記で述べた光度の定義は、1967年の第13回国際度量衡総会(GCWM = General Conference on Weights and Measures)で決められたものです。
その後、1979年10月11日、パリで開かれた第16回度量衡総会では光度の単位を以下のように取り決めました。
 
『1cd(カンデラ)は、光の周波数 540 x 1012 Hz において、問題とする方向の放射強度が 1/683 W/ステラジアン である光源の特定方向への放射強度とする』
 
『The candela is the luminous intensity, in a given direction, of a source that emits monochromatic radiation of frequency 540×1012 hertz
and that has a radiant intensity in that direction of 1/683 watt per steradian.』
 
この意味は少し解説が必要かもしれません。
この定義の大きな特徴は、従来、黒体の発光放射光(連続した光)で光を定義していたのに対して、今回の新しい定義では特定の波長についてのみのエネルギー単位量でカンデラ(光度)を定義しうることを示したことです。
つまり単位立体角に放出される波長555nmの光が1/683ワットであるとき、これを1カンデラと定義する、というのです。
光度が温度によって定義されていたものが、波長とエネルギー量で規定する決まりになったのです。
 
この定義にもとづいて、光束は、波長555nmで683 ルーメン/w となりました。
 
また、今回の新しい定義では、指向性のある光でも単位立体角当りに(波長 λ = 555nmで)1/683 Wの光が出ていれば1cdとして良いということになりました。
新しい進展です。
LED(発光ダイオード)などは、この恩恵にあずかって指向性を持つ単色発光体でありながら性能を表すのに光度(ミリカンデラ)で表すようになりました。
 
 
標準光源から光を測定する手法とは別に、光の取り扱いを量子力学のレベルから行う方法もあります。
つまり、原子分子が励起して下位レベルに戻るとき、その原子分子から特定波長の光が放射され、エネルギ量を計算で精度よく割り出せることから、フォトン(光子=hν)カウントによる光のエネルギーを求める方法も行われています。
フォトン(photon)については以下の(フォトン=光子)の項目で説明しています。
 
上図が、光の単位の関係図です。
光の単位の大もとは、光度(cd = カンデラ,candela)から始まります。
この光度の源流は、「燭(しょく) = candle power」から来ています。
光度から照度(ルクス)が考え出され、光束(ルーメン)と言う概念が導き出され、輝度(ニト)という概念が考え出されました。
 
古典的な光の量に加えて、エネルギーという概念が入ってきた時に、エネルギーの単位と古典的な光の量の仲立ちをしたのが、683 ルーメン/W at λ555nm という値です。
緑の波長(λ =555nm)の光エネルギー1Wは、光束で683ルーメンに相当するという定義です。
古来、光は太陽光や月明かり、そしてたき火やろうそくの火などの自然光が中心でしたから波長という考えは希薄でした。
光が科学的にとらえられるようになって、人工の光が作られるようになると波長とエネルギーの関係が大切になってきました。
光に波長という概念が入ってきて、エネルギーを波長(周波数)依存でとらえる概念ができあがり、光子(hν)という概念が導入されるようになりました。
 
以下の関係表が、カンデラとルーメンとワットの換算です。
ワットは、光の波長が関係していて、人間の眼に一番強く感じる緑(λ = 555nm)での換算となっています。
 
 
 
カンデラ
ルーメン
ワット(λ=555nm)
カンデラ(cd)
1
π/170
ルーメン(lm)
1/4π
1
1/683
ワット(W) (λ=555nm)
170/π
683
1
 
1 cd = 4π ルーメン = π/170 W ・・・(Light4)
 (点光源であり、全立体角 = 4πステラジアンに放射時の換算値。)
 
自ら発光している自発光物体は、輝度(cd/m 2 という数値で表され、光の反射によって光っているものは反射輝度で表されます。
輝度の学術的な考え方は少々難しく、多くの人は電球などの輝度を電球の表面積で掛けて光度を求めようとしますがこれは間違いです。
 
 
 
 
 
 ■ 光度と照度について(Luminous Intensity and Illuminance) (2002.12.01)(2007.04.20追記)
 
照度(Lux = ルクス)は、我々の生活の中で明るさを表す数値として一番馴染みの深い単位です。
日中の明るさも、事務所内の明るさも、居間の明るさもすべて照度によって数値化され、その値でおおよその明るさを認識しています。
人間の目は、日中の一番明るい150,000ルクスから月明かりの0.2ルクスまでおよそ1:750,000の明るさの変化を認識しています。
照度は、光源から物体に照射される光の量で示されます。
照度の単位はルクスですが、ルクスの意味は1m2当たりにどれだけの光束(ルーメン)が照射されているかを示す値(lumen/m2)です。
従って、発光体そのものの明るさは照度とは言わず、光度とか輝度という単位で表します。
照度は、光を受ける量の単位ということができます。
光をたくさん与えても光を吸収する黒いものは明るく見えません。
逆に白いものは光を多く反射するので少しの光でも認識することができます。
同じ照度でも物体によって明るさの見栄えは違ってきます。
 
照度の定義に使われる光束は、光度(cd)から定義されています。
 
 
1カンデラの光度を持つ点光源(すなわち4πルーメンの光束を放つ光源)が1メートルの距離から照射した明るさを1ルクスとする。
 
照度は、別の観点から次のように定義されています。
照度の本来の定義は、上でも述べたとおり、単位面積(m2)当たりに入射する光束(lumen)で表され、照度E(lux)は、lumen/m2という単位で定義されています。
1cdの点光源は、全方向(立体角4π)に光を放つため4πルーメンの光束があり、これを1メートルの距離で光を受けると、1メートルでの全面積は4π(m2)になるため照度は1ルクスとなります。単位立体角(1sr = ステラジアン)の1m位置での面積は1m2だからそうなります。
 
点光源から発した光は、距離が2倍になると受ける面積が4倍になるので(円の表面積が4πR2:R = 点光源からの距離)、照度は1/4となります。
これが有名な照度の逆二乗の法則です。
しかし、サーチライトやレーザなど指向性が強くて発散をしない光源や、照射距離に比べて光源が大きい場合(電球の大きさが照射距離の1/10以上ある場合)照度の逆二乗法則は当てはまらなくなります。
これは、放射される光束が拡がらずに距離が離れてもほぼ同じ面積に照射されるためです。
 
 
 
 
 
■ 照度と輝度について(Illuminance and Luminance) (2007.04.20追記)(2017.11.28追記)
 
上の「光度と照度」で述べたように、光を扱うのに一番良く登場するのが
照度(単位:ルクス、lx、Lux、lm/m2)です。
その次に使われるのが、輝度(単位:ニト、nt、cd/m2)ではないでしょうか。
光度は、日常生活や計測関係の仕事でもあまり使われませんが、光の単位の根本概念です。
もっとも、最近はLEDの明るさを示すのに光度(mcd、ミリカンデラ)の単位が使われています。
光度の概念があって照度、輝度がある。それらを結び付ける概念が光束である、と言ったところでしょうか。
 
照度と輝度の両者にはどんな意味があり、どのように使い分けられているのでしょう。
 
照度は、物体が黒いものであろうと明るいものであろうと光が入る量によって求められます。
厳密に照度を定義すると、点光源から発せられた放射状に拡がる光が単位立体角に出す光束の量となります。
さらに、それが単位面積を照らす光束の量にも使われるようになり、
今では単位面積に入ってくる光束の量で照度が定義されるようになりました。
照度は入射する光束の密度だけを言っているので、
例えば、300ルクスの明るさの室内でも黒いものは暗く見え、白い紙は明るく見えます。
 
輝度はどうかというと、物体の明るさの度合いを指し示すのに使います。
日常的にはあまり使いませんが、テレビモニタの明るさを言う時とか、
会議などに使うプロジェクタスクリーンの明るさの度合いを表すときに輝度という単位を使います。
自発光体でない物体の輝度は、物体に反射して人の眼に入る光の強さと言うことができます。
同じ光を当てても黒いものは低い輝度となり、白い紙は高い輝度値を示します。
 
照度と輝度には以下の関係があります。
 
     B = K x E / π    ・・・・(Light5)
       B:輝度(cd/m 2
       K:物体の反射係数、黒いほど値が低い、100%反射は1.0
       E:照度(ルクス)
       π:円周率(3.14159)
         注) ただし、この関係式が成り立つ反射物体は、拡散面を
            もつ物体についてだけです。鏡のようなものはこの限
            りではありません。K=1の物体面を完全拡散面と言い
            ます。
 
上に述べた関係式は、すべてのものにあてはまるわけでなく、完全拡散面について言える関係式です。
この式からわかるように、輝度と照度は同じ値ではありません。
π(円周率:3.14159)を仲立ちとしています。そして物体の明るさ(反射係数)も加味されています。
 
輝度を求めるには、輝度計というものを用います。
物体が光っているものに対してその明るさを測るよりどころは、輝度計しかありません。
照度計では自発光体の面の明るさを求めることはできないのです(まわりくどいやり方をすれば換算できますが、一般的に測定ができません)。
上の図が輝度と照度の違いを説明し、両者の関係を示した図です。
上の図では、左に白熱電球があり右に白熱電球の光で明るくなった反射板が置いてあります。
まず、輝度計を使って白熱電球の明るさ(輝度 = BL)を測ります。
次に同じ輝度計で反射板の明るさ(輝度 = Bb)を測ります。
両者の測定値は、容易に想像できることですが違うはずです。
両者が同じになるのは、反射板が限り無く明るくて、乱反射を起こさない板、すなわち100%反射の鏡の時です。
白熱電球からの光は、反射板で反射して四方八方に散らばります。この四方八方に散らばる度合いがπであると考えられます。
 
上の式の数学的意味は、下で紹介するランベルトという人が考察して導きだしました。
ランベルトの余弦則というのが、輝度の概念を表した数式です。
ランベルトの余弦則では、反射する物体、もしくは発光体は完全拡散面であることが条件になっています。
完全拡散面を持つものは、映画館に見られるようなスクリーン(実際は、人が鑑賞しない左右には拡がらないように微小ではあるけれど縦筋状に波打たせて左右への光の反射を防いでいる)とか、白い大きな白熱電球(シリカ電球)がこれに近い性質をもっています。
ようするに、発光面(反射面)のどの方向から見ても明るさが一様な面を完全拡散面と言うのです。
輝度計でいろいろな角度から面の輝度を測ってみて、それがほぼ同じ値を示すならその面は完全拡散面と見なすことができます。
 
さて、上の図の中の反射板を完全拡散面とし、反射板を輝度計で測ってBbを得たとします。
これとは別に、照度計を使って反射板に入射する光を測定して照度ELを得たとすると、BbとELの両者には上の式で示した関係式が成り立ちます。
この式は、輝度と照度の関係は、物体面の吸収の度合いとπが仲立ちしていることを示しています。
何度も述べますが、この両者には完全拡散面という条件がついています。
 
テレビなどに使われている液晶パネルの明るさは、照度で言い表わすことが難しく、輝度を用いています。
液晶パネルは、みなさんも経験されていることと思いますが、見る角度によって明るさが異なります。
最近はずいぶんと視認性が良くなったものの、それでも斜から見ると明るさが変わります。
この液晶を輝度値で表す場合は、測定した角度を明記しておく必要があります。
輝度は完全拡散面が基本となっているので、照度などへの換算を試みる場合に誤解が生じるからです。
 
上の関係式で興味深いのは、テレビモニタのような発光体の明るさ(輝度)と室内照明で照らされた明るさ(照度)との比較が簡単にできることです。
例えば、500ルクスの明るさのリビングでは、500ルクスに相当するような明るさのテレビ画面を基準として明るさを調整したり、その程度の明るさを持つテレビをあつらえたりすることができます。
室内の明るさに馴染んでいる眼がテレビモニタを見る時に、テレビが明るすぎたり暗すぎたりするのでは眼が疲れてしまうからです。
500ルクスの室内では、上の式を参考にして、灰色の明るさの画面で以下の輝度があれば良好であることが理解できます。
 
     Bb = 0.18 x 500ルクス / 3.14 ・・・(Light6)
      = 28.6 cd/m2
 
 
  
私が持っている古い照度計(左)と輝度計(スポットメータ)(右)。
1970年代のもの。
照度計(左)は、左部が入射面で完全拡散面の白色白板に入射した光を測光して照度を求める。
輝度計は、左部のレンズを通して入射した光をシリコンフォトダイオードで受け受光角度より物体から反射した輝度を求める。
両者とも受光素子で光を検出するのは同じ。光エネルギーを取り入れる光学系と、光エネルギーを照度と輝度に換算し表示するところが違う。
 
 
 
シリカ電球をデジカメで撮影して、「Image」という画像処理ソフトにて解析。
左画像中の水色の水平線の輝度プロファイルを右図に示す。右図の横軸が画像の画素座標で、縦軸が輝度値。
画像処理が示すシリカ電球の輝度は、256階調分の220の値が中央にあり周辺までほぼ一定の輝度を示している。
シリカ電球は、電球全般にわたり一定の明るさを持つ完全拡散面にほぼ近い輝度体であることがわかる。
 
 
次に、光の単位のそれぞれの換算について考えてみましょう。
以下に換算表を示します。
換算にはπが頻繁に出てきます。
 
 
 
■ 照度・輝度の換算表 (2000.06.05見直し)
 
 
 
照度 注1
(ルクス)
照度注1
(フート・
  カンデラ)
輝度
(cd/m 2
輝度
(nt = ニト)
光束発散度
ラドルクス)
光束発散度
(フート
ランベルト)
光束発散度
(ランベルト)
輝度
アポスチルブ)
照度
(ルクス)注1
1
1/10.764
0.18/π
0.18/π
0.18
0.0167
1.8/100,000
0.18
照度
(フート・カンデラ)注1
10.764
1
1.94/π
1.94/π
1.942
0.18
1.94/10,000
1.94
輝度
(cd/m 2
5.56π
0.515π
1
1
π
π/10.764
π/10,000
π
輝度
(nt = ニト)
5.56π
0.515π
1
1
π
π/10.764
π/10,000
π
光束発散度
(ラドルクス = lm / m2
5.56
0.515
1/π
1/π
1
1/10.764
1/10,000
1
光束発散度
(フートランベルト
= lm / ft2
58.8
5.56
10.764/π
10.764/π
10.764
1
10.764/10,000
10.764
光束発散度
(ランベルト
= ルーメン / cm 2
55,556
5,145
10,000/π
10,000/π
10,000
10,000/10.764
1
10,000
輝度
(asb = アポスチルブ)
(1/π)・cd / m2
5.56
0.515
1/π
1/π
1
1/10.764
1/10,000
1
注1)照度との輝度換算は、反射する材質によって異なるので18%反射材質での換算輝度とした。
 
上の表の見方は、横に見て下さい。(2000.06.05 整合性を取り見直しました。
                この見直しにはT工大M.Y.さん(訪問者からの声No.122)のご指摘を仰ぎました)
 
     1ルクス = 0.0573ニト = 0.0573cd/m 2 = 0.0167フート・ランベルト = 0.18アポスチルブ
 
という具合です。
以下に、現在使われている光の量を現す単位をまとめました。
 
 
【カンデラ】(candela)(cd) (2009.02.28追記)
 光度をあらわす単位です。 
 光の根本的な単位です。
 波長555nmの光が、立体角当たり(1sr = ステラジアン)に、1ルーメンもしくは1/683 W放出されるエネルギーを1cdと定義されています。
 難しい定義となっていますが、レーザやLEDなど広範な光を扱う場合にはむしろわかりやすいかも知れません。
 歴史的には、燭(しょく) = candleという光の明るさからカンデラが定義されました。
 
【ルーメン】(lumen)(cd/sr)
 光束を表す単位です。
 1カンデラ(cd)の光度を持つ光が、単位立体角(1ステラジアン)に放射される光の量を表す単位です。
 光度と照度、輝度の仲立ちをするため換算に便利です。
 
【ルクス】(lux)(lumen/m2
 照度を表す単位です。
 入射光束の単位です。
 単位平面(m2)にどれだけの光(光束= ルーメン)が入ってくるかを表します。
 この単位は1897年にドイツで採用され、一時はメートル燭(メートル燭、meter-candle)とも呼ばれていました。
 ルクスの語源はラテン語の『光』から来ています。
 明るさを言い表すのに最もなじみの良い単位です。
 事務所の室内はおよそ500ルクス、晴天の屋外は、30,000ルクス〜80,000ルクスです。
 
【フート・カンデラ】(ft-cd)(lumen/ft2
 これも照度を表します。
 ルクスがSI単位系なのに対して、これは1平方フィートあたりの入射光束を表します。
 ルクスをメートル燭と言っていたのに対し、フート燭(foot-candle)と呼んでいました。
 メートルとフィートの面積換算は、
 
     1 ft2 = 0.093 m2、  1 m2 = 10.76 ft2
 
 で示される如く、面積を表す単位が1 ft2の場合に1m2よりも1/10程度小さいので、
 1ルーメンの光が1 ft2に入る1ルーメン/ ft2は、1ルーメン/m2よりもたくさんの光束を受けていることになり、
 1ルクスより11倍ほど明るい値となります。したがって、
 
     1 フート・カンデラ(= ルーメン / ft2 = 10.76 ルクス(= ルーメン / m2 ・・・(Light7)
 
 と換算されます。
 
【ニト】(nt)(nit)(cd/m2
 輝度を表す単位です。
 放射光の密度単位です。
 みかけの単位面積から立体角当たりにどれだけの光(光度)が放射されるかを表します。
 単位は、ntとか、nitで表します。
 ntは、cd/m2と同じ値です。
 晴天の青空の輝度は、2 x 103〜 6 x 103 ntです。
 ニトは『輝度』という意味のラテン語から来ています。
 よく間違えるのは、輝度を測ってその輝度を持つ面光源の面積をかけると光度が導きだされると考えがちですが、それは間違いです。
 面積をかけても立体角の単位が消えていません。
 
【cd/ft2
 これも輝度を表します。
 米国の輝度の単位です。
 米国では照度は、フート・カンデラ(ft-cd)という値で親しまれているのに、輝度に関してはあまり頻繁に登場せず、
 フート・ランバートで言い表されることが多いようです。
 ですから、この値を米国でどのように表現しているのか知りません。
 カンデラ・フートと言っているのでしょうか。
 だとすると、照度のフート・カンデラと間違いやすくなってしまいます。
 
【ラドルクス】(lm/m2
 光束発散度と呼ばれる単位で、完全拡散面では照度に相当します。
 意味は単位面積から発する光束で、次元は照度と一緒です。
 アポスチルブと同じです。
 
【フート・ランベルト】(lm/ft2
 光束発散度を表す単位で、アメリカ・イギリスで使われている輝度単位です。
 footlambert(単位:ft-L)と呼んでいます。
 
【ランベルト】(lm/cm2
 光束発散度を表す単位で、単位面積をcm2としています。
 ラドルクスがm2を単位とし、フート・ランベルトがft2を単位としているのに対して、
 ランベルトはcm2を単位面積としています。
 
【アポスチルブ】( asb = 1/π・cd/m2 = lm/m2
 光束発散度で単位面積をm2としています。
 ラドルクスと同じです。
 
【スチルブ】( stilb、sb = 1/cd/cm2 = l04cd/m2
 輝度の単位です。
 この単位はcmを主要素としたCGS単位で、cm2当たり1cdに相当します。
 快晴の空の輝度は0.2〜0.6sbです。
 スチルブの語源はランプを意味するギリシャ語から来ていて1921年フランスのA.Blondelによって名付けられました。
 
興味あることに、これらの明るさに関する単位は、
他の単位(例えば、ワット、ジュール、ニュートン、など)がそれに貢献した人物たちの名前が付けられているのに対し、
Lambert(Johann Heinrich Lambert、独 1728 - 1777)以外に人物名の単位はありません!
 
 
 
■ 完全拡散面(Perfect Diffusing Surface) (2000.06.06)(2005.02.22追記)
本ホームページを開設して「光と光の記録」がかなり親しまれるようになって以来、訪問者の中で問い合わせが一番多いのが、照度と輝度に関するコメントです。
自分で光っているものと、周りから照らされて明るくなっているものの両者の明るさを比較するにはどうしたらいいか?という問い合わせです。
両者を比較する手っ取り早い方法は、輝度計(スポットメータ、それがなければフィルムカメラの露出機構、デジカメの絞りと露出時間の情報)を使って、両者を測定してやれば数値で比較することができます。
建築関係者は、アポスチルブという単位を使用しているようです。
我々写真関係者は、輝度はnt(ニト)、照度はルクス、それにカメラの露光条件にはEV値を使用しています。
輝度と照度の関係式は、光源に照射されて反射する面が完全拡散面であるという条件のもとで以下の関係式が導き出されています。
 
       B = K x E / π   ・・・(Light5)(前述)
           B:輝度(cd/m 2
           K:反射係数
           E:照度(Lux) 
 
この式が導かれる経緯を以下で示します。
 
完全拡散面は、どの方向から見ても輝度の等しい表面を言います。
完全拡散面では、表面に凹凸があっても見る方向が変わってもどのような方向でも同じ明るさに見え、凹凸のあばたが見えません。
こうした拡散面は、左上の図に示すように、In・cosθの光度分布を持つ(拡散面を持つ)理想の面となります。
このような条件をランベルトの余弦則といい、この条件を満たす拡散面を完全拡散面と言います。
この余弦則に従うと完全拡散面の光度の軌跡は球面になります。
 
 
 
 【ランベルトの余弦則】
 
       dIθ = dIn cosθ   ・・・(Light8)
          Iθ: 完全拡散面の法線方向より
             θ角度から見た光度
          In : 完全拡散面の法線方向の光度
 
この式は、「発光面をどの位置からみても同じ明るさに見える」という完全拡散面の考えを数式にあらわしたものです。
この式は、光度は見る位置によって変わり、発光面と垂直の法線面の光度(Iθ)が一番強く、θが90°である位置が「0」になっていることを示しています。
光度が変わることが、明るさが同じに見えるというのうのも変な気がしますが、輝度は面積当たりの光度ですから、発光面を横から見るとみかけの面積が小さくなるため光度もそれに対応した小さい値となります。
小さい面積から放出される光の量は小さいのが当たり前で、それが光度の変化として表され、ランベルトの余弦則として数式化されました。 完全拡散面から放出される光度の強さは上図に示した球面状を描くような強度分布となります。
 
輝度(B)は、任意の角度での光度(Iθ)と、その角度からのみかけの完全拡散面の面積(dA・cosθ)を割って求められるで、両者の関係は以下のようになります。
 
     dIθ = B・dA・cosθ   ・・・(Light9)
 
また、光度Iθによって照らされる面の照度(Eθ)は、照度面位置までの距離(Dθ)を使って、
 
     Eθ = B・dA・cosθ2 / Dθ2   ・・・(Light10)
 
で求められます。
これより拡散面全周にわたって全光束を求め、それを微小面積で割れば、
 
     dF = π・B・dA   ・・・(Light11)
     dF/dA = π・B   ・・・(Light12)
 
という関係式がもとまります。
この式は、単位面積あたりの光束の量は、完全拡散面の輝度Bにπをかけたものであり、単位面積当たりの光束の量、dF/dAを光束発散度Mと言っています。
従って、完全拡散面では、拡散面から放射される輝度 B (cd/m 2)と光束発散度 M (lm/m 2)との間には、
 
     M = π x B  ・・・(Light13)
 
の関係があり、
 
     光束発散度と入射照度は同じなので反射率が1の場合、E = π x B
 
という関係式が導き出されます。
 
完全拡散面は、上記のような条件を満足させる仮想的な面ですが、この条件に近いものとして、良質の乳白色ガラス(オパールグラス)、厚く塗布された酸化マグネシウム、硫酸バリウム、澄み切った青空、一様に雲のかかった空などがこれにあたります。
白熱電球のシリカ電球もボール全体が均一に光って完全拡散面に近い発光体です。
蛍光灯もチューブの回りは均一に光って明るさが一定なので完全拡散面とみなして良いと思います。
 
 
【ランベルト(Johann Heinrich Lambert、1728.08 - 1777.09)】  (2017.11.28追記)
フランス生まれのドイツの哲学者、数学者。
独学で哲学科学を修める。彼の家は、父親が服の仕立て屋で、7人兄弟(5人男、2人女)の中で育つ。
兄弟が多く暮らし向きも決して楽ではなかったので、義務教育を終えた12才より家業の仕立て屋を手伝った。
15才になると鍛冶屋で働くようになったが、まもなく新聞社の編集者の手伝いの職を得て、哲学、科学、数学、天文学などの見聞を広める機会に出会った。
20才にはスイスに移り住んで名家の家庭教師をするうち、その家にあったたくさんの蔵書を読み学問の造詣を深めた。
家庭教師先の子どもが大きくなって、彼らの見聞旅行に随伴し、ゲッチンゲンなどヨーロッパ各地を回り思想家、科学者と親交を深めた。
1765年ベルリン・アカデミーの会員。同じ時代の会員にはレオンハルト・オイラー(Leonhard Euler:1707.4.5 - 1783.9.18)やジョセフ・ルイ・ラグランジェ(Joseph-Lois Lagrange:1736.1.25 - 1813.4.10)らがいた。
当時は、科学的現象を数式を使って表す学問が芽生え、イギリス、フランス、ロシアなどの国王や貴族が競って優秀な数学者を召し抱えた。
スイス人オイラーはそうした時代の代表的な人物で、卓抜な数理的頭脳を持っていた。
オイラーは、王族が作った科学アカデミーに招かれて論文を書き上げ自然物理学の数学的処理を確立して行く。
同じ仲間にオイラーの先輩のスイス人ダニエル・ベルヌーイ(Daniel Bernoulli: 1700.2.8 - 1782.3.17)や、オイラーの門下生で後にフランス革命政府軍によりエコル・ポリテクニク(エコール・ポリテクニーク)の初代校長になったフランス人ジョセフ・ルイ・ラグランジェらがいた。
ランベルトもこうした仲間と一緒に光の学問に足跡を残した。
彼は、生涯に200近い研究論文と16の著書を著した。
哲学の研究では、ライプニッツの影響下、科学知識と数学と同等の精確さを持つための条件を探求した。
物理学を数学と同等の精確なものにするために、測光学、湿度測定、高温測定の分野で貢献した。
『測光学』(1760)の著書では光度のコサイン則(ランベルトの余弦則)を発表した。
溶液の吸収度の法則、ランベルト・ベールの法則(Lambert - Beer's law)も有名。
 
 
  
輝度の表し方にはたくさんの言い方があるので、理解しずらい面が多いと思います。
いろいろな人たちが自分たちで使いやすいように使っているというのが正直なところです。
カメラマン達にはおそらくエネルギーの単位であるワットなど必要ないでしょうし、アメリカ人にはルクスという照度の単位やメートル法はなじみが薄いでしょう。
反面、このページを見ている多くのエンジニアや研究者はエネルギーで光を見ているので、フートランベルトやアポスチルブなどは使わないと思います。
輝度の基本単位は、単位面積あたりの光度で、[cd/m 2 という単位を用いていて、これをnt(ニト)と表します。
光っている物体を完全拡散面と見なせば、輝度にπの補正を加えてアポスチルブ[asb](もしくはラドルクス)として照度(ルクス)と換算しやすい値にすることができます。
我々の日常での光の単位は、輝度の単位[cd/m 2 ]と簡単な呼び名であるnt(ニト)、それに照度(ルクス)との換算をおさえておけば十分だと思います。
輝度は、蛍光面の明るさ、ランプの明るさ、スクリーンの明るさを表すときに使います。
 
 
【米国の照度の表し方】(1999.09.10)
光の単位の表し方で最も一般的なものは照度です。単位はルクスが一般的です。
しかし米国では度量単位にヤード・ポンド法を使っているため、照度をft・cd(フート・カンデラ)で表しています。
この照度の表し方について疑問を抱かれた方からメールをいただいた(訪問者からの声2 No.75)ので若干の説明をしてみたいと思います。
 
フート・カンデラというのは、米国が使っている照度の単位です。
日本やメトリックを採用している国では「ルクス」を使っていますが、米国はメートルではなくフィートが一般的ですからメートルをフィートに直して表しています。
結論から言いますと、両者には、
 
     1 ft-cd(フートカンデラ) = 10.76 Lux   ・・・(Light7)(前述)
 
という関係式があり、100 フート・カンデラと記されていれば約1,100 ルクスのことになります。
 
------------
照度の便宜的な考え方は、
光度1 cdの光が1 m離れた所で照らされる明るさを1ルクスと定義し、
2m離れると1/4倍の0.25ルクスになります。式で表すと、
 
     照度(ルクス) = 光度(cd)/(距離m)2   ・・・(Light14)
 
と表されます。距離の二乗に逆比例するという原理です。
米国のフートカンデラは、この距離メートルにフィートを当てたもので
照度(フートカンデラ) = 光度(cd)/(距離ft)2
となります。
 
     1 ft2 = 0.0929 m2   ・・・(Light15)
 
ですから、
 
     照度(フートカンデラ) = 光度(cd)/(0.0929 m2
                = 10.76 x 光度(cd)/(距離m)2
                = 10.76 ルクス   ・・・(Light16)
 
という換算になります。
 
     米国の文献を見て、照度にft・cd(フート・カンデラ)という単位が出てきたら、
     約10倍を掛け合わせればルクス換算になる、とご理解すれば良いと思います。 
 
なお、スティルカメラ(35 mmフィルム一眼レフレックスカメラ)で撮影の露光条件を決める際に露出計に使用されるEV(Exposure Value)値については、『高速度カメラ入門Q&A』に説明がありますのでそちらを参照下さい。
 
 
 
【燭(しょく)(= candle power)】 (2002.3.24)(2002.12.08追記)(2017.11.28追記)
燭は、光の単位である『光度』の古い言い方です。
私が小さい頃(1960年代前半)、蛍光灯などまだ十分に普及していなかった時代、小さい豆ランプ(5W程度か?)が夜の寝室に灯された明かりであったことを記憶しています。
この小さい豆ランプのことを、祖父が『五燭電球』と言っていました。
燭(しょく)というのはどういう単位なのでしょうか?
燭という単位は、1877年イギリスで決められた光度の単位です。
この単位をcandle powerと呼びましたから、まさにロウソクの炎からきた単位のようです。
これを日本に輸入した際に燭と訳したのだと思います。
この値の単位は、イギリス人化学者ハーコート(Augustus George Vernon Harcourt: 1834.12.24 - 1919.8.23)によって考案されたペンタン灯を使います。「ペンタン灯火を一定の条件(圧力1 気圧、0.8%の水蒸気を含む空気)のもとで燃焼させて、その発光の水平方向の光度の10分の一を『1燭』」としました。
燭は、上に述べた定義よりも前の1860年に英国の首都ガス条例で初めて法定され、その時の燭の定義は、「1時間に120グレーン(7.776 x 10-3kg)の割合で燃焼する6ポンド(2.7216kg)のくじらローソクの明るさ」とされていました。クジラの脂はススが少なく良質の灯火でした。
1800年代初頭の英国は、灯火をロウソクから石炭ガスに替えていた時代で、光の明るさの基準が欲しかったのだと思われます。
現在の光の単位になるカンデラ(candela = cd)は、燭とほとんど同じ光度を持った明るさで、燭の単位をもとにして正確なカンデラが制定されました。
1燭は、1.0067cd(カンデラ)に相当し、今のカンデラが単位として採用されるまでイギリスや日本などで用いられました。
日本では、1958年(昭和33年)12月31日に「燭」の使用が廃止されたそうです。
祖父は明治の人でしたから、カンデラよりも燭の方が使いやすかったのだと思います。
先ほど登場した5燭の電球は、5カンデラの光度を持った明るさの電球ということになります。
この電球の明かりの下では、1mの位置で5ルクスの明るさが得られるというわけです。寝室で使う灯りとしては十分でした。
 
ちなみに、ロウソクの炎の輝度(光度ではありません)を測定したところ、炎の真ん中の一番明るい所で1,200cd/m2 ありました。
炎の上部は750cd/m2 で中心部は150cd/m2 程度でした。
測定したロウソクは、直径20mm、芯径が2mmのもので炎の大きさが15mmx30mmほどでした。
このロウソクで照度を測定したところ炎からの距離10cmで200ルクス、30cmで15ルクスありました。
照度からロウソクの全光束を計算すると約20ルーメンの光束を持っていることになります。
これが一点から出されたとすると光度は20cdとなり、これは1燭光の20倍の明るさになります。
今回測定した炎は15mmx30mmほどの体積をもっていますので、体積比1/20のロウソクを使用すればとすれば1燭光の光が得られる計算になります。
ロウソクと単に言ってもすべてが1燭光の明るさを持っているわけではないことがわかります。
 
【燭と灯台】(2017.11.28追記)
燭に関連して灯台の話です。航海を行う際の灯台の働きは重要なものです。灯台は船の航海が始まった有史以来からあったとされていますが、現在のような高輝度光源を使って遠くまで光を投射させる投光光学装置ができたのは、大航海時代以降のフランスのフレネルフレネルレンズを考案してからです。
現在、灯台に使われる高輝度ランプは、AC100V、250Wのメタルハライドランプだそうです。
これで50万から100万燭光の光を得て20海里(37 km)まで光を到達させています。
2010年以降、灯台の光源はLED(発光ダイオード)に置き換えられ、その代替率は80%以上になっているそうです。
LEDは、交換が半永久的に不要であること、消費電力が少ないこと、高輝度でなくてもGPS航海技術や高感度センサーなど新しい技術により高輝度光源の必要がなくなったことが代替へ移行した主な要因です。
 
灯台用の高輝度光源は、1782年Argan Lamp(油脂ランプ)から始まります。空気を燃焼器に上手に送り燃焼効率を高めたものです。
それまでは石炭が使われていて、年間300トンほど消費されていました。石炭はオイルランプより明るかったものの、煤によりランプハウスが汚れるため清掃が大変で、それに石炭の確保も重労働でした。石炭ガスは配管工事が大変なため、実用化には至らなかったようです。
アルガンランプは、煤の出が少なく重宝がられました。
アルガンランプは、最初は魚の脂を使いそれを植物性オイルに替えて、1860年からは鉱物油となりました。
1862年には、電気放電を利用したカーボンアークランプが使われるようになりました。
しかし、このランプは操作が大変難しかったため、すぐ灯油ランプに戻されてしまい、正式採用は13年後の1875年になってからです。
アークランプには発電用の蒸気機関を灯台に設置し、これに発電機を接続して電気を起こしアーク放電を行いました。
カーボン電極は時間と共に電極が消耗するので、絶えず電極間調整する必要があり、それにカーボン煤も出たりと保守がやっかいな光源でした。
しばらくの間は高圧燃料ガスとマントルを使った光源の時代が続くことになります。
1901年、英国人Arther Kitson(1859 - 1937)による高圧ガスオイル燃焼器と高効率マントル光源が発明されて、光源は6倍の明るさになりました。
アーサーキットソンのランプは、灯油を高圧でガス化して空気と混合させて燃焼器に導き、燃焼ガスをマントルに当てて高輝度を得るというもので、この原理によるランプやストーブは現在でもアウトドア用品として使われています。
1906年スウェーデンAGA社によるアセチレンバーナー光源が灯台の光源として使われます。
アセチレンは、爆発性のある炭化水素ガスで燃焼輝度が極めて高いものです。炎の温度が摂氏3300度と非常に高温です。
AGA社(工業用ガス製造メーカー)のニルス G. ダーレン(Nils Gustaf Dalen: 1869 - 1937、1912 年ノーベル物理学賞受賞)は、取り扱いのやっかいなアセチレンガスを多孔質の吸収素材(Agamassan = Aga)に詰めて安全に輸送と貯蔵ができるようにしました。アセチレンガスの自動点灯装置も発明し、ダレーン式灯台として灯浮標と一緒に販売しました。複雑なスカンジナビア湾で大いに採用されパナマ運河にも使われました。
アーク放電ランプが灯台の光源として一般的になるのは1913 年以降で、北海のHelgoland灯台に設置されたアーク灯はサーチライト用反射鏡の採用もあって3800万燭光の光を放っていました。
1920年代より取り扱いの難しいアーク灯に代わって白熱電球が使われるようになりました。
使われたのはアルゴンガス封入の大光量(1 kW〜3 kW)白熱電球でした。
その後、より効率の良い高輝度放電灯であるメタルハライドランプ(250 W〜1.2kW)が使われるようになりました。
2000年以降、高輝度LEDが旧来の電球に取って替えられるようになりました。
LEDは、寿命が驚異的に長いためランプ交換の労力がなくなります。旧来の電球は、半年から1 年毎の交換が必要でした。
LED は電気代節約にもなります。旧来の電球と比べると光度は落ちますが、夜間航行技術の進歩で強い光の需要が減ったこともLEDへの移行を後押ししていると言えます。
 
 
■ 光度と輝度について(Luminous Intensity and Luminance) (2000.12.21)(2007.04.20追記)
AnfoWorldをご訪問された方から輝度の意味合いがよくわからないというご質問を受けました。(『訪問者からの声』 No.163)
光の単位には、基本的に、
 
     光度、光束、照度、輝度、(それにエネルギーとしてのワット)
 
という基本単位があります。私たちは、これらの単位を状況に応じて使い分けています。
日常生活では、ほとんどの場合、照度(ルクス)で明るさの度合いを言い表していることが多いのですが、テレビの画面や電球そのものの明るさを表す時は輝度を使います。
ここでよく間違われるのが、輝度と光度です。
輝度と光度の認識がきちんとできていれば、光の単位のとらえ方はかなり楽になると思うのですが、日常頻繁に使うものではないためにこれらを認識するのはちょっと辛いかもしれません。
光度、照度、輝度の間を取り持って、一元化した考えのできる光の単位が光束(こうそく)と呼ばれる概念です。
光を一本一本の束と考えて、どれだけの量の束(光束 = ルーメン)が単位立体角空間に放射されるかで光度という単位ができ、どれだけの単位密度で放射されるかによって輝度という単位になり、そして、どれだけの量が面にあたるかによって照度の単位になります。
ちょうど頭に生えている髪の毛を想像してもらえると良いでしょう。
若い人は、髪の毛がフサフサとして単位面積あたりの髪の本数が多いのに、年を経るに従って薄く(単位面積当たりに生えている本数が少なくなる)のに似ています。
照度と光度と輝度は、光束という単位で互いに関連づけられますが、光束の拡がり方がそれぞれの単位では違うようです。
照度は、光束が平行であれ、収束光であれ単位面積に入る光束でその値が求まります。
光度は、光束が四方八方に放射される値で、単位立体角に放射される光束で定義づけられます。
輝度は、単位面積から放射される垂直光度で、球状の光度分布(光束放射)をするものです。この定義は、一般の人にとっては若干難しい感じを受けます。
 
これまで照度と輝度については、前項でかなり深く説明してきました。
今回は、光度と輝度について述べてみようと思います。
太陽の明るさを言うときにどんな単位を用いれば良いでしょうか? 
また100Wの裸電球の明るさを言うときには、どんな光の単位を用いれば良いのでしょう?
何度も言いますが、光の量や明るさを表す場合に、一番よく使われるのは照度(ルクス)です。
ですが、照度という単位で全ての光の量を特定することは困難です。
テレビ画面の明るさを照度で表すのもかなり無理がありますし、蛍光灯の明るさも、発光体自体も照度で表すのは苦しいものです。
(照度と輝度の関係は、上の ■照度と輝度 で説明してあります。)
 
    発光体自体の明るさを言う場合には、輝度(cd/m 2)という単位を使います。
    発光体が点のような小さな物ですと、光度(cd)という言い方になります。
 
つまり、発光体(反射体)で面を持ったものは輝度で表し、一点から出ているような光源の場合には光度で表します。
その使い方の違いは、はっきりとはしていないのですが、光源の大きさが見る側から見て、光源の大きさの10倍以上離れて見るときは点光源として大きな誤りはないとしています。
つまり、10cmの裸電球を1mの距離で見た場合には点光源として見ても良い、という考えです。
テレビのブラウン管面(液晶画面)は、面の明るさが重要な性能であり、面自体が一様でなく暗い部分や明るい部分をかなり慎重に論議しますので点光源と見なすわけにはいかず、輝度という尺度を用いることになります。
輝度は、基本的には完全拡散面からの光度を前提としています。
しかし、実際にはそうした拡散面は希(まれ)ですから輝度計を使って輝度(明るさ)を測ることになります。
 
 
 
輝度は、面を持った発光体や反射体での明るさを表すのに使いますから、ブラウン管の蛍光面輝度、プロジェクターのスクリーン輝度、LEDの表示灯の発光輝度、太陽、月の明るさを表す時に使います。
太陽や月はかなり遠いところにあるので光度としてとらえることもあります。
光度は、点光源の明るさを示しますから灯台の明るさ、蝋燭の明るさ、水銀灯、キセノン管などのショートギャップの放電発光灯の明るさに使用されます。
光度表示で示される光源は、投光距離によっておおよその照度が求まるので便利です。
10,000cdの光源は10mで100ルクスの照度が得られる、という具合です。
ただ、最近は光度で言うケースはあまり無く、点光源はルーメンという単位をもった光束で表されることが多いようです。
ルーメン表示ですと、投影する面積でルーメンを割ってやればおおよその照度がわかるという利点があります。
 
 
【光度と輝度の関係】
光度I(cd)を持った点光源の周りを拡散板で覆った場合、拡散板の輝度 B(cd/m2)がどのようなものになるか検討して見ましょう。
輝度の単位を見ていると、輝度値に面積を積算してやれば光度が求まるように思えます。
しかし、輝度値に全面積をかけてやるとかなり大きな光度値となってしまいます。
点光源から放射された光束はある距離 R 離れた位置の拡散板で四方八方に拡散されるので、輝度と面積をそのままかけたのでは都合が悪そうなことは直感で判断できます。
 
完全拡散面の所でも述べましたが、拡散面の単位面積当たりに入射した光束 F (lm)が四方八方に放射される場合、それが完全拡散面の場合は、立体角πステラジアン分だけ拡散します。
ですから輝度も入射した光束がπ分だけ拡散することになります。
輝度の定義は、何度も述べますが、
 
『面光源からある特定の方向に放射する光束が、その方向に垂直にとった単位面積当たり、及び単位立体角当たりいくらであるかを表す単位で、lumen / m 2・sr で表される。』
 
となります。
輝度は光束から求めないと正しい判断ができないことになります。
これをもとに、輝度と入射光束の関係式を求めますと、
 
      B = ρ * F / (π * A)  ・・・(Light17)
         B: 輝度  cd / m 2
         ρ: 透過率 (0-1.0)
         F: 入射光束 lumen
         π: 3.14159 ステラジアン
         A: 単位面積 m 2
 
という関係が導かれます。
ちなみに、F/Aは入射光束を単位面積で割ったものですから、これをE(照度)とおくと
 
      B = K x E / π   ・・・(Light5)(前述)
         B:輝度(cd/m 2
         K:反射係数
         E:照度(Lux)
 
となり、今まで述べてきた照度と輝度の関係式と同じになります。
ここで見方を変えて見てみます。
完全拡散面に到達する光束は、光度 I cd から放射されたものですから全方位に光束 4πI ルーメン の光を放ち、それが球形の完全拡散面で受け止められ拡散されます。
完全拡散面は、半径 R の球形ですから拡散面の表面積は、4πR 2で表せます。
したがって、完全拡散面で受ける照度は、
 
      F/A = 4πI / 4πR 2 = I / R 2   ・・・(Light18)
 
とすることができますから、上に出てきた輝度式は、
 
      B = ρ * I / (π * R 2  ・・・(Light19)
      I / R 2 = E ・・・(Light20)
 
で表され、これより、
 
      B = ρ * E / π  =   K x E / π   ・・・(Light5)(前述)
 
と表すことができます。
 
この式は、
     ある光度 I を持った点光源をRの距離で完全拡散球で包み込むと、
     拡散面の輝度は、立体角πで除した値に距離Rの二乗に反比例した値になる。
ということがわかります。
従って、拡散面の輝度がBであったからといってこの輝度Bに表面積4πR 2をかけると、4πBR 2となり、上の式のπBR 2/ρの値と比べて、4/ρも大きな値となってしまうことがわかります。 
 
右の図は、家庭にあったシリカ白熱電球を点灯させて、電球表面の輝度をカメラのスポットメータで測り、併せて照度計を使って1m離れた位置から照度を測った模式図です。シリカ電球は、ホワイトボールと呼ばれているもので非常に均一な光を発します。
このホワイトボールを点灯させ電球表面の輝度(実際はEV値を測定してEV値から輝度値は簡単に換算できる)を測定しました。
その値は全域にわたってEV16(輝度値 9,150 cd/m 2)でした。
また、電球から1m離れた距離で照度を測ったところ120ルクスありました。
このシリカ電球はカタログで見ると、球形の直径が95mmで、全光束が725 lumenあるとありました。
実測した輝度と、上で述べた輝度と光度の関係式からシリカ電球の見かけの光度 I cd を求めてみます。
 
     9150 = ρ * I / (π * (95x10-3/2)2 )  ・・・(Light21)
     I = 64.8/ρ cd  ・・・(Light22)
 
となります。また、カタログ値の全光束が725ルーメンという数値から見かけの光度を求めると、
 
     725 = 4πI  ・・・(Light23)
     I = 725/4π = 57.6 cd  ・・・(Light24)
 
となり、測定した値とよく一致します。
また、測定した照度から見かけの輝度を求めますと、測定距離1mで120ルクスですから、見かけの輝度は120 cdとならなくてはならないのに、輝度とカタログ値から求めた見かけの光度とは倍近く違うことがわかります。
この理由は、電球をとりつけた背面の壁や反射などの周辺光が照度計に入射してしまうためと考えられます。
また、1mの距離でφ95の発光体は点光源とするにはまだ少し大きいのかも知れません。
測定距離を2mとしたら20ルクス程度となり、点光源に近い値となりました。
 
 
■ ANSIルーメン (2001.12.28)(2003.07.26追記)
昨今のプロジェクタの興隆で明るさの度合いを表す単位として頻繁に登場するのが、ANSIルーメンという光の単位です。
この値が大きいほど明るいプロジェクタとなります。
「光束」の単位がプロジェクタの性能表現になぜ使わているのかと言えば、この値を投影するスクリーン面積で割ってやればスクリーン照度を簡単に割り出すことができるからです。
照度は、我々が一番なじみが深い光の単位なので、理解がしやすいわけです。
理解しやすい照度もプロジェクタで映し出すスクリーンの大きさが変わると明るさが変わります。
従って、その大元の投射される光束でプロジェクタの明るさ性能を示しているのです。
例を挙げますと、40万円クラスの液晶プロジェクタの明るさを1,200ANSIルーメンとしますと、このプロジェクタを使って、2m x 1.5m の大きさのスクリーンに投影した場合、スクリーン照度は、
 
     1,200 ルーメン / (2m x 1.5m)= 400 ルクス  ・・・(Light25)
 
となります。400ルクスは通常の事務所の明るさですから、事務所内でこのプロジェクタを使用してこの大きさに拡げて使用するには、部屋の明るさをプロジェクタのスクリーン照度よりも1/5から1/10に落とさなければなりません。
この場合には、部屋の明るさを100ルクスから50ルクスくらいにする必要がでてきます。
また、500ルクスの事務所内で部屋を暗くせずにプロジェクタを使用したい場合には、周囲照度の4倍程度の2000ルクスのスクリーン照度が必要となります。
この場合、同じプロジェクタを使うとしますと、スクリーン投影は1m x 0.8m程度の大きさが適当である、ということになります。
このように、ANSIルーメンの単位はスクリーンの大きさとスクリーン照度に直結する光の単位なので極めてわかりが良い単位、ということができます。
ルーメンという光束の単位の前にANSIという記号がつくのは、ANSIという米国の規格協会(American National Standard Institute)が制定した測定方法によって光束(ルーメン)を算出しているためです。
ANSIが定めた光束の測定方法というのは、40インチから70インチの白いスクリーンを使って(映像は出さずに)光だけをスクリーンに投影し、その画面を9分割してそれぞれ各ゾーンの中心に照度計を置いて照度(ルクス)を測定する方法です。
この9箇所の照度の平均値にスクリーンの面積(m2)を掛けた値がANSIルーメンとなります。
 
 
 
■ 距離変化に伴う輝度値について
- 照度は照射距離で値が違ってくるのに、輝度は距離によって何故値が変わらないのか? (2000.12.10)(2015.07.05追記)
 
37年くらい昔、私がこの業界に入って間もない頃、イベントの映像関係の仕事でプロジェクターのスクリーン設置工事を手伝ったことがあります。
この時スクリーン面の輝度を計るため輝度計(スポットメータ)を持って、張られたスクリーンにチャートフィルムを映してスクリーン各部の輝度を計ったことがありました。この時教わったのは、
 
     輝度面からの測定する距離が変わっても輝度値は基本的には変わらない。
 
ということでした。
当時は、実際に輝度計で計ってみて先輩の言っていることを事実として理解したものの、原理的に十分な理解をしていませんでした。
輝度面から離れれば明るさも暗くなりそうな気がして、イマイチしっくりと理解できなかったのです。
輝度というのは単位面積から発している光束の度合い(光度)を示すものであり、距離が遠くなればそれだけ目(輝度計)に入る光束は少なくなります。
しかし、光を発している発光体の面積も小さくなるため、比率(立体角あたりの光束)は結局変わらないのです。
これが、『輝度は計る距離によって変わらない』という拠り所となっています。
輝度の単位面積を極端に小さくした点光源では値が光度となり、この値は光束を四方八方に発散させる能力を表すものであり見る位置によって値が変わる代物でないことがわかります。
上記の説明は一般的な説明で(完全拡散光源について述べたもので)、発光体の放射に偏りがあるようなものではこのきまりは当てはまらないことをご理解下さい。
 
 
 
 
 
 
光の色について (2003.01.07)(2015.07.05追記
今までの説明では、光を強さとしてその量を求める方法について述べてきました。
光には、明るさの他に「色」という大切な属性を持っています。
光は波であり、その波長(振動数)の違いを人間の目が色として認識しているのです。
人間の視細胞は青色から赤色まで、光の波長にしてλ = 380nm 〜 780nmまでの領域を色として認識できます。
山や森、人の着る衣類など私たちの周りのものがいろいろな色合いで目に入り込むのは、それを映し出す光源、すなわち太陽光がいろいろな光の波長成分を含んだ白色光源であり、その光源を物体が吸収したり、散乱させたり反射したりするのでいろいろな色に見えるのです。
 
■ 究極の光源 - 太陽
太陽は、地球にとって究極のエネルギー源です。
エネルギーとして大事である以上に、私たちの営みでも大切な光源です。
太陽からは、いろいろな光が降り注いでいます。
太陽は、水素がほとんどを占めるガス球で直径140万kmの巨大なものです。
太陽系のほとんどの質量が太陽にあると言われていますから、ガス球といっても大きさと密度は相当なものです。
太陽は質量が大きいため、水素が外に放出されることはなく、内部ではその圧力のために水素同士がぶつかる核融合が起きています。
この核融合でヘリウム(4個の水素原子から1個のヘリウム原子)ができるのですが、その核融合反応時に生成エネルギーができ、その一部として光が放出されます。
1グラムの水素がヘリウムに変わる核融合反応では、およそ1億5000万キロカロリーのエネルギーが発生します。
太陽光の内部は、1600万Kの高温であり、70万km離れた太陽表面(光でも中心から2秒以上もかかる距離!)での温度は6,000Kとなっています。
太陽表面では、固体輻射に近似した連続スペクトル(固体を熱していくと温度に応じた発光が見られ、赤外から青色領域までカバーする連続した発光)が見られます。
厳密に言うと、太陽光は赤外から紫外まで連続した光を放射してますが(もっと厳密に言うとX線や各種放射線も放出している)、特定の波長が歯抜けになったような現象(これを吸収線、フラウンホーファー線と言う)が見られます。
なぜ特定の波長が歯の抜けたように無くて吸収されてしまうかと言うと、表面にある原子やイオンが特定の光を吸収するので、その波長分だけ欠落した形で光が放射されるのです。
 
■ 視神経
人は太陽の光に適応するために、電磁波の中の特定波長だけを光と感じています。
また、その特定範囲の波長を色として区別できるようになっています。
目が色を識別できるのは、目の中の視細胞に色を見分ける能力があるためで、その原理は、写真フィルム、カラーテレビやプロジェクタ、デジタルカメラなどに見られる光の三原色と極めて似た機能だと言われています。
すなわち、人間の視細胞には赤、緑、青の三原色に応答する三種類の感色機構があるのです。
これは、ヤング(Thomas Young、1773-1829、英国医学者、物理学者、考古学者)とヘルムホルツ(Hermann Ludwig Ferdinand von Helmhortz、1821-1894、ドイツ物理学者、生理学者)が唱えました。
この説に反して、ヘリング(Edwald Hering、1834-1918、ドイツ生理学者)が反対色という理論(視細胞は、明-暗、赤-緑、青-黄の反対色に応答する機構があるとする理論)を唱え、両者間で長い間論議が行われていました。
最近の生理学の研究により、網膜のすい状体には三原色に相当する細胞があることがわかり、それが三原色的な信号を発生し、網膜内の神経細胞で反対色的なパルス信号に変換されて脳に伝達されていると考えられるようになりました。
 
■ 日本人の色感覚
日本人は、色に関しては古来、明るいと暗い、赤いと青いの4つの感覚しかなかったようです。
日本の言葉の中にも「赤い」のように形容詞で終わる色表現はこの四つだけです。
ですから、緑色も「青」の仲間としてとらえられていましたし、秋に色づく葉も赤いもの、黄色いもの、橙色のものといろいろあるのにすべて「赤」いとひっくるめて紅葉としていました。
大相撲中継で土俵の天井四隅にぶら下がった房(ふさ)は、白房、黒房、青房、赤房の四つです。
青房の色が緑であるとアナウンサーが言っているのを聞いて、いつも不思議に思っていました。
また、交通信号で「青になったら渡ろう」と、青色信号に目を凝らして見ていた小学校時代、その青の信号がどうしても青に見えず、緑色だったのを「どうしてだろうなぁ」と子供心に思ったものでした。
日本人は古来色を4種類にしか区別せず、青も緑も「あおい」であったわけです。
このように日本人の色に対する認識は、大きく4種類とし、微妙な色に関しては、鳶色、亜麻色、鶯色、だいだい色、茜色、ねずみ色と言うようにものの色に寄せて表現していました。
 
■ 波長と色
ニュートン(Sir Isaac Newton: 1642-1727)は、プリズムを使って太陽の光を分光し、白色光が多くの色を持った光でできていることを示しました。
1666年のことです。ただし、ニュートンは、波長によって色が変わると考えていませんでした。
彼は光は粒子と考えていて、波とは考えていなかったのです。
その後、光の色は波長に強く依存していることが確かめられました。
しかし、すべての光の色を単一の波長だけで言い表せるかと言うとそうではありません。
380nmから780nmまでを連続的に変えていけば相当数の色が再現できます。
しかし、実際の光の色はそれ以上にあるのです。
例えば赤い光と紫の光を混ぜると赤紫色の鮮やかな光が得られますが、これは太陽光の単色光で取り出すことができず、二つを混ぜ合わせないと出来上がらないのです。
すなわち、赤紫は単色光ではないのです。また、淡い色彩である桃色も単色光ではなく白い光にわずかに赤い光を落として出来上がります。
光の色は音楽の音色と同じようにいろいろな波長が絡みあってできたものであることが理解できます。
その色合いはまさに無限大と言っても過言ではありません。
逆説的に言うと、ある色を出す場合に、いろいろな光を混ぜての調合が可能で、同じ色をだすのに幾通りものやり方があることを教えてくれています。
光の色を作るのにいろいろな方法がある中で、赤と青と緑の三種類(三原色)ですべての色を作ることが考え出されました。
 
■ 色の規格化
色は主観的であり、客観的に数値化することが難しいものですが、これをなんとか数値化できないものかと大きな関心が寄せられてきました。
色の絶対的な数値化の試みです。
色の規格はSI(国際単位系)では規定がありません。
SIの国際規格で決められている光の単位は、光度(カンデラ、cd)と光束(ルーメン、lm)、照度(ルクス、lx)、それに輝度(ニト、nt)の4つだけです。
光の色に関しては国際照明学会が主導的な役割を果たしています。
この試みは、光の三原色という概念が確立化され、3種類の光の比率で再現の良い色が無数にできることから、光の色の規格化が始められたように思います。
この規格は、国際照明学会(CIE = Commision Internationale de I'Eclairage)による色度図の完成で成果をみます。
色度図では、白色光を三原色の混合で表し、その比率を1:1:1としています。三原色が均等に混ざると「白」になるというものです。
また、この比率の合計をいつも1としておけば、緑と赤の比の二次元グラフですべての色が表されるようになります。
三原色としては、通常、赤 = 700nm緑 = 546nm青 = 436nmの単色光を用いています。
下に示す色度図では縦軸に緑(y)を取り、横軸に赤(χ)を取っています。
 
 
図に示された馬蹄形の曲線の周りに示された数値は光の波長を表し、その数値でどんな色に見えるかを表しています。
馬蹄形の境界線上に乗っている色を総称してスペクトル色と呼んでいます。
山形をした曲線の下側の直線部分は、単独の波長としては存在しない光の色で、赤と紫の単色光を混ぜ合わせることによって作ることができます。
この直線部分は、現実の波長で示すことができないので補色となる相方の波長で示し、これにマイナス符号を付けて表示されています。
白色は、χとyがそれぞれ0.33の所に理想の白があることを示しています。
この時、χ(赤)とy(緑)の比の合計が0.33 + 0.33 = 0.66 であるので、暗黙に青の成分(z成分)が0.33含まれていることを了解しなくてはなりません。
この図が三色の比の合計が1になっていることを前提にして作られているからです。
したがってχ=y=0.33の場合、青(z)の成分が自動的に0.33となって白になっています。
上の図を見てみると面白いことに気づきます。
波長が700nmの光は赤色であり、本来ならχ = 1、y= 0、(z = 0)であるはずなのに、図ではχ= 0.7、y = 0.3、(z = 0)となっていて緑の成分が少し加味されています。
この理由を簡単に述べますと、赤だけの成分では実際の赤にほど遠い色となってしまうからだそうです。
この色度図を作るのに比色法と呼ばれる手法をとっています。
色の特定というのはいまだに純然とした科学計算式には乗せることができず、人間の感覚に頼っている部分が多いためでしょう。
この色度図の作成には、一つの視野の一方に測定したい色を入れ、他方に三原色を混合した検定光を入れて両者を比較し合致した時の三原色の比によって測定色の色を決定するというやりかたを取っています。
 
■ 色相(Hue)、彩度(Chroma)、明度(Value)
上の色度図は、色の特定には実に都合よくできていますが、同じ色でも明るく見えるものと暗く見えるものの特定には適当ではありません。
物体にたくさん光を与えると明るく見えるようになりますが、与えすぎると白くなってしまいます。
反面、与えないと暗く見えて最後には黒に落ちてしまいます。こうした『明るさ』や『鮮やかさ』の考えを考慮するため、色には3つの属性があると考えて、色を三次元的に特定する試みがなされました。
この立体的な光の色の特定方法としてマンセル表色系が有名です。
マンセル値で示された色表示は、塗装色を指定する場合によく利用します。
マンセル(Albert H. Munsell、1858.1.6 - 1918.6.28)は米国の画家で、1905年に色の立体表色を考案し、1930年代にアメリカ光学学会(OSA = Optical Society of America)がこれを採用して世界に広まりました。
彼の考え方はその後、写真やテレビジョンにも影響を与え、三原色とならんで彼の考え方による色の作り方が一般的になりました。
マンセルの考え方は、波長で示されるスペクトル色に加え、白色を何パーセントか加えるという表現で色を表しています。
この二つの量をそれぞれ「色相」と「彩度」と呼ぶことにしました。色相は青とか赤で表し、彩度はスペクトル色(一番鮮やかな色)を10に、白色(無彩色)を0という具合に目盛ります。
現実の色彩は同じ色であっても光の当て方で明るい色と暗い色という感覚があるのでこの度合いを表すのに「明度」という量を使います。
黒を0とし、白色を10と目盛り、その中間に様々な明るさの灰色を並べ、それに応じて種々の色の明暗を区別するのです。
マンセル表色系は、上でも触れたように、色相 (H:Hue)、明度(V:Value)、彩度(C:Chroma)の3つの属性に よって色を規格化するものであり、HV/Cの順に記号化して表します。
例えば、2.5R 4/10という具合に表わされ、「2.5R、4の10」と呼んでいます。最初の2.5Rは色相を表し赤の2.5番を示します。
4は明度で0から10の間の4番目の明るさを指します。
最後の10は彩度を表し0から10までの値を取るので、10の場合はもっとも鮮やかな色になります。
ちなみに、色を持たない灰色のマンセル値はNeutralであるNの記号で色相を表し、N7というように明度を後に付けて示します。
灰色では彩度の値は取りません。
 
 
 
 
▼ 色相(Hue):色みの種類を示します。
R(赤)、Y(黄)、G(緑)、B(青)、P(紫)の5つの基本色相と、その間の中間色相としてYR、GY、BG、PB、RPの5種類を加え合計10種類の色を作り、各々を感覚的に等しく10 分割して100色相とします。
理論的には10分割されていますが、それぞれの色相の代表色は5の位置にあり、2.5、5、7.5、10の4つの色相がメインであるため、ほとんどのケースで40色相が主な色票化として利用されています。
 
▼ 明度(Value):色の明るさを示します。
明度は無彩色(色を持たない黒から白)を基準とし、理想的な黒を0、理想的な白を10としてその間を感覚的に等しい段階に分けています。
有彩色の明度は、その明るさの感覚 が無彩色の基準と等しいところの明度記号で表しています。
 
▼ 彩度(Chroma):色のあざやかさを示します。
無彩色の0を起点とし、色みのさえかたの度合いの増し方を 等歩度に分割表示します。
彩度の限度は色相によって異なります。
 
右に示すのがマンセル色立体と呼ばれるもので、色の3属性の立体構造を実際の色標本にしたときの構造を表したものです。
この色立体からわかるように、色標本はすべての組み合わせで標本ができるのと異なり、色によっては少ない標本しかなかったり多くあったりします。
全体的に明るい上側と暗い下側は色標本が少なく、白と黒に収束しています。
 
■ 色温度(Color Temperature) (2000.12.29)
光の性質を表す値に色温度(いろおんど)というのがあります。
白色光源はすべて同じ色あいではありません。太陽光にしても朝日と夕日では光の色が違いますし、曇空の色合いも晴天の昼間の光と違います。
こうした白色光源の光の色合いを数値で表すために「色温度」という考えが導入されました。
色温度は、数値K(ケルビン)という単位で表わされます。
ケルビンは温度表示の一種で、「絶対温度」とも呼ばれているものです。
 一般的な温度表示は日本やフランスなどで日常使われている摂氏(度C)、それに米国では華氏(度F)が用いられています。
   (温度の歴史については、「AnfoWorldオムニバス情報3 標準化-温度」を参照)
 
絶対温度は、物質がこれ以上下がることのできない絶対0度(摂氏-273度)を決めて、これをある単位の刻み(このきざみは摂氏と同じで水の融点と沸点を100等分した一つを1度とする)で温度表示したものです。
論文などの学術的な場ではこのケルビン単位が使われています。 ケルビンは、イギリスの物理学者ケルビン卿ウィリアム・トムソン(William Thomson, 1st Baron Keron、1824.6.26 - 1907.12.17)の業績にちなんでつけられた絶対温度の単位です。
色温度もこのケルビン温度を利用しています。
固体を熱していくと、物体は暗赤色から光を出し始め温度の上昇とともに輝きを増し赤から青に熱放射が起きます。
この現象に注目したドイツ人のプランク(Max Karl Ernst Planck : 1858 - 1947)熱放射則を導き出します。
この放射則は、放射率が1(外部からの熱エネルギーを完全に吸収し、自ら発する熱エネルギーも完全に放射する物体)の性質を持つ完全黒体について当てはまる熱放射、吸収に関する法則で、カーボンブラック(黒鉛)がこの法則に近似する物体であると言われています。
プランクの熱放射則によりますと、完全黒体の熱放射は波長に関してある波長をピークとした山なりの熱放射となり、温度とそのピーク波長は極めて関係が親密で、ウィーン(もしくは、ヴィーン。ドイツ物理学者、Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien、1864.1.13 - 1928.8.30)が、「黒体放射では、絶対温度Tで放射する波長の中の一番多い波長λmと絶対温度Tに逆比例する」ことを発見していました。
つまり温度が高くなるとピーク波長は短くなり赤から青に変わってくるというものです。
これをウィーンの変位則といいます。
プランクはこのウィーンが導いた法則をさらに任意の波長について放射エネルギーを求める方程式を導き出したのです。
この絶対温度Tの時に一番多く放射している波長の色、言い換えるならば、黒体が発している色と同じ発光の温度を色温度と言うようになりました。
現実の物体は、完全黒体などありませんから、便宜的に白色光源の色合いを示す数値と見なすことが多いようです。
たとえば、1800Kの温度を示すタングステンの色温度は1825Kであり完全には一致していません。
また、色温度はこうした学術的なものから単なる色の付きぐあいを表す色感の数値手段として用いられてもいます。
したがって蛍光灯などのように輝線スペクトルが多い緑の色が強い発光も色温度に当てて表現されています。
 
 
光源の種類
色温度(K = ケルビン)
太陽 日出後 30分
太陽 正午
一様に曇った空
青空の光
2400 - 2650
5000 - 600
6500
11,000 - 20,000
4100
タングステン電球(40W)
 同上 (100W)
 同上 (1,000W)
写真電球(1,000W)
CIE標準光源 A
 同上 C
2760
2850
2990
3200
2856
6740
蛍光ランプ (白色)
 同上   (昼光色)
4200
6500
閃光電球
3500 - 4000
ろうそく
1850
出典:「照明工学」電気学会編、オーム社
 
 
人間の目はある意味順応性が良いので、普段みなれた光も白い光としてとらえることができますが(反面、ヒトの比較能力は驚くほど発達していて、二つの光源の色の違いの比較は微妙な所まで見分けることができます)、フィルムのような感光剤は、人の目のように時と場合に応じてさまざまな色合いを持つ白熱電球を白色と見なすことができず、光源の色合いを忠実に再現してしまいます。
つまりタングステン電球は赤色が強い色合いになり曇り空では青色が強く出てしまいます。
カラーフィルムではこうした色合いを補正するために3200Kのタングステン光源用フィルムと、日中の太陽光でカラーバランスの優れた5600K用のデーライトフィルムの2種類が用意されています。
CCDカメラでは電子的に色補正ができるので、カメラを白い被写体に向けて補正ボタンを押せば最適な白表現にする機能がついています。
フィルムではこうした色温度補正がフィルム側でできないためにカメラレンズに色温度変換用のフィルターを入れて、光源とフィルムの色温度の違いを補正するようにしています。
微妙な色温度補正を行うには、色温度をミレッド値という数値に代えて計算を行い、光源のミレッド値と感光剤のミレッド値の単純な引き算で導き出されたミレッド値のフィルターを用いれば色温度補正を行うことができます。
ちなみにミレッド(MIRED)値とはMicro Reciprocal Degree の略で、色温度の逆数に100万をかけた数値のことです。
 
      Mired = 1,000,000 x 1/色温度    ・・・(Light26)
 
 
【標準の光】
色温度を測るためには色温度計を用いればいいのですが、その色温度計の基準となる光源が標準光源と呼ばれるものです。
CIE(Commision International de I'Eclairage)では、標準の光をA、B、C、Dという具合にクラス分けして標準の光を規定しています。
Aは、2856Kの完全放射体の光と規定してこれを実現する方法として2856Kに近似するガス入りタングステンランプ(透明のバルブ)を使っています。
この規格は1968年に決められました。
Bは、4874Kの光で、Cは6774Kに相当する光です。
これは太陽の光に近似させたもので4875Kは黄味がかった昼光、6774Kは青味がかった昼光です。
これを実現するには、Aのランプに成分の定められた溶液を使ったフィルタ(デビス・ギブソンフィルタBまたはC)を装着します。
標準の光D65は、色温度約6504Kの昼光を代表する光で、自然の太陽光下での分光分布を統計的に調べて波長毎の値が規定されています。
CIEは、Dの光について4000Kから25000Kまで任意の色温度について昼光の分光分布を数式で求める方法を完成して公開しています。
D65はその中の一つというわけです。
 標準の光が、太陽の光であり完全黒体の放射であることがこの標準の光からわかります。
 
【標準光源】
 色彩上の標準の光を得るのとは別に、光の単位の根本的な単位である光度(cd = カンデラ、candela)を求める標準光度光源があります。
光度は白金のルツボに入った溶融トリアの白金凝固点温度での光で求めていますが、これを一次標準器といい、この一次標準器に代わって測光単位を維持するための標準電球があり、これは上記の標準の光を作り出す光源とは区別されています。
この標準ランプの製作は非常にシビアなものと聞いています。
この電球は、光出力の安定性、再現性を良好に維持するため材料や構造及び製作に特別の考慮を払い、十分にエージングした白熱タングステン電球が用いられるそうです。この光度標準電球は、一次標準器と分光分布を近似させるため、2042K(白金の凝固点温度)の電球が用いられます。
 
 
【プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck)】(1858 - 1947)  (2006.04.06追記)
プランクは、ドイツの理論物理学者である。
1918年にノーベル物理学賞を受賞した。
熱エネルギー(温度T)と光エネルギー(波長λ)を統一的に理論づけ、歴史的な業績を残した。
彼は、物理量を連続した量ではなく、飛び飛びの(離散的な)量として捕らえた先見ある物理学者で、その飛び飛びに取る定数(プランクの定数)は、量子力学にとってなくてはならぬ定数となっている。
もっとも、この定数もアインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)の光量子説の援護があって初めてその意義が認められることになった。
当時としては、プランクの概念は革命的ですらあった(逆に言うと、簡単には受け入れがたかった)。
プランクの法則に従うと、熱、光、あるいは電波などの放射エネルギーは、連続して変化する量とはならずに、一つ一つ分割された量子の集合として放射されるという。
従って、エネルギーである光も最小単位があり、これが光が粒子としての振る舞いをする根拠となり、光子(フォトン)と呼ばれる概念ができるもとになった。
  [参考:フォトン(光子)]
 
プランクは、比較的恵まれた環境で研究・思索を行えた学者である。
プランクは、1857年、ドイツのキールという所で、法学教授の父と、プロテスタントを曾祖父に持つ環境で生まれ育った。
ベルリン大学を中心に研究活動を行った。1880年代後半の物理学世界は、熱力学が勃興してした時代で、プランクはこうした熱力学の世界を量子力学の世界へ誘っていった。
量子力学がドイツを中心にして発達していった時代背景には、国情が大きく関わっている。
1870年代、イギリスで発展した産業革命は、後進国ドイツに移る。
プロシャを中心に、国家統一を終えてフランスに勝ったドイツでは、国家の政策によって鉄と石炭による重工業に重点がおかれ、機械化と軍国主義を背景に鉄の生産技術が向上した。
ドイツのクルップが開発した鉄鋼は、その品質と性能の高さで軍需品として大成功をおさめた。
鉄を作るには温度管理が大事と言われる。
ドイツでは、このため高温の鉄鋼炉の温度測定技術が向上し、高温物体が発する光を正確に測定する技術が発達し、量子論を生み出す下地となっていった。
高温の温度測定技術を高めるために熱力学が発達した。
 
当時、熱放射に関しては、
  キルヒホッフ(Gustav Robert Kirchhoff: 1824 - 1887)
   → 吸収と発散との関係、黒体の概念を導入、スペクトルの研究
  シュテファン(Joseph Stefan: 1835 - 1893)とその弟子ボルツマン(Ludwig Boltzmann: 1844 - 1906)
   → 波長全域にわたる放射エネルギーが温度の4乗に比例することを発見
  ヴィーン(Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien: 1864 - 1928)
   →熱放射している黒体は温度の上昇によって放射しているピーク波長が短波長に移行するすることを発見
らの研究が発表されたばかりの時期で、活況を呈していた。
プランクも、この方面の研究に傾注するようになる。
キルヒホッフとヴィーンの熱輻射の理論によって、熱力学はほぼ完成したかに思われていたが、摂氏1600度の高温場での発光スペクトルを赤外領域で測ると、それらの理論と少しばかりの食い違いが出る事が1897年にわかった。
プランクは、その違いに注目し、最終的にこれらの研究を統合的に体系づけるプランクの法則を1900年に導きだした。
彼は、エネルギー、そして光の色と波長に対して次のようにアプローチをしていった。
つまり、プランクは熱エネルギーの計算を行いやすいようにするために、光のエネルギーにも原子モデル(これ以上は細かくすることができないという単位)を仮定し、1個、2個とカウントできるように考えた。
エネルギーに最小ユニットがあると仮定すること自体がすごい発想であるが、微分積分の世界では、Δχ、Δy、Δtという値を想定してそれをどんどん小さくしていく手法があるので、彼もまた、そのようなアプローチをし、エネルギーの最小単位を限りなく「0」にもってくれば、つじつまがあうだろうと考えていた。
プランク以前にも、ボルツマンがこの手法で熱力学にアプローチしていた。
こうして、彼は熱エネルギーの理論式を立てて、実験で得た数値を入れて検証を行っていった。
この過程を通じて、エネルギーの塊を「0」に収束していけば、きれいな解を求めることができるはずであった。
しかし、この試みはうまくいかず収れんできなかった。
エネルギーの塊を「0」とせずに、ある塊としてとらえると、実験式と非常によく一致した。
つまり、連続の値を取り得ずに飛び飛びの量子化された値(塊)になってしまう事実に直面した。
この塊こそ、光の色( = 波長)ごとに特定される塊 (= hν)であった。
 
プランクは、現代の量子力学ではなくてはならぬ「プランクの定数 = h = 6.6260755 x 10-34 J・s」を発見するにいたるのであるが、
それが、電子と光、素粒子を結び付ける大変な発見であったことを、当時のプランクは知る由もない。
彼の弟子であるアインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)が、さらに発展させて光量子説を展開していくことになるのである。
プランクの定数によって、光もエネルギーを持った粒子として扱えるようになった。
プランクの考えを統括的に継承したアインシュタインが、「光」は粒子の性質をもったエネルギーのかたまりであるとし、光電効果をもとにした光量子説を1905年に打ち出し、1921年ノーベル物理学賞を受賞した。
プランクは、1913年ベルリン大学の大学長に就任したとき、相対性理論を唱えだしたアインシュタインの意義を見抜き同大学に招いた。
彼は、「プランクの定数」と「アインシュタイン」という二つの大きな発見をしたことになる。
ベルリン大学退官後の、1926年から死去するまでの1947年は、決して幸せとは言えなかった。
折からのナチスの台頭で、それに異を唱えた彼は、ナチスから不当な処遇にあい、家族の不幸な出来事や空襲による被災などに苦しみゲッチンゲンで死去した。 第二次世界大戦後、カイザー・ハイゼンベルグ研究所の名誉総裁に就任した。1946年9月に同研究所はマックス・プランク研究所と改名され、世界的権威のある研究所として数々の研究成果をあげている。
 
 
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比視感度(spectral luminous efficiency) (2002.01.27)
エネルギーがいくら高くても人間には見えない光があります。
人間の眼は、明るい環境では 555nmの緑の波長に最も効率よく反応し、400nmの紫色より短い波長、そして700nmより長い波長には全く反応しません。
また、人間の眼は暗い環境で活発に反応する桿体(かんたい)細胞と、明るい環境で活発に反応する錐体(すいたい)細胞の2種類があるため、暗いところでは青色の光を明るく感じ、明るいところでは赤色をより明るく感じます。
映像機器で被写体を記録する場合、この比視感度が非常に重要になります。
なぜなら、フィルムカメラもビデオカメラも人間の眼に見える如く記録しなければならない宿命上、人間の目の感度特性に合わせたフィルム感光乳剤やビデオカメラ光電面を開発しているからです。
反面、物理工学の研究分野では、肉眼を越えた波長域(例えば、赤外、紫外、X線)で感度を持つ記録媒体の要求もあります。
黒体と比視感度特性を用いてエネルギー量と光度の関係を解析した結果によりますと、比視感度の最も高い波長である 555nmで、光エネルギー1Wが光束683lmに相当することがわかりました。
 
      1W(at 555nm)= 683 lm   ・・・(Light27)
 
この関係は、エネルギー量単位と光度単位を行き来する上で極めて重要な関係式です。
 
 
 
 
 
ヒトの目(Human's Eye) (2003.01.07)(2005.08.21追記)
光を考える際、ヒトの眼の仕組みと働きを知っておくことは大切なことです。
光は、有史以来ヒトと共にあり、ヒトの生活の大きな拠り所となってきました。
光を科学的にとらえるようになったのは近代になってからで、光が電子と密接な関係のある電磁波であることが解明されたのは本当に最近のことなのです。
光学は、ヒトの眼の働きをお手本にしながら成長してきました。
カメラやレンズの仕組みを見てみると人の眼や網膜、視神経に通じるところが多く見られます。
ヒトの眼は直径24mm程度の眼球からなり、光が入る方向から順に角膜、虹彩、前房水、水晶体、硝子体、網膜の構成で成り立っています。
人の目の視角は、片眼で鼻の方向約60°、耳の方向約90°の視界を持っています。
両眼を用いると上下左右ともほぼ180°近くまで感知することができます。
ヒトの眼は、この範囲すべてに渡ってはっきりと見えているわけではなく、よく見える範囲は4°程度に限られ、あとはただぼんやりとしか見えていません。
つまり目の中心の狭い範囲に視神経が集中していて、あとはぼんやりとしか見えず必要に応じて眼球が動いて興味ある部位に絶えず焦点を合わせて物体をとらえているのです。
この動きはとても速く、視野をサーチしながら視野の全体をシャープな像として頭の中で記憶・認識しているのです。
人の目は180°の視野があると言いましたが、眼球の速い動きによって視野をシャープにとらえる範囲は40°〜50°と言われています。
したがって、カメラなどのレンズは40°〜50°の範囲を撮影できるものを標準レンズと呼んでいます。
35mmフィルムのライカサイズのカメラ(1眼レフカメラ)では、f46mmのレンズがこれに相当し、2/3インチのCCDカメラでは、f12mmのレンズがこれに相当します。
ヒトの目とカメラレンズの違いは、人の目が狭い範囲で像をとらえ眼球運動によって広い範囲をシャープに認識しているのに対し、カメラレンズはフィルム面やCCD・CMOS撮像面の周辺までピントがぼけることなく像を結像させなければならないため、撮像面全域にわたって収差のないレンズが求められます。
従って、ヒトの目につけるメガネには高度な収差をとったレンズを使う必要はありません。
老眼用のメガネ(凸レンズ)をカメラレンズに使ったとしたら、画像周辺部が収差によってボケてしまい使い物にならないでしょう。
 
 
 
 
 
■ 人の目のレンズ焦点距離(Lens Focal Length)
 
▲ 屈折力(Diopter)
ヒトの眼の中で、レンズ作用があるのは主として角膜と水晶体です。
屈折力は角膜で約45D(ディオプター)、水晶体は注視する物体の距離によって変化し、その屈折力は15〜27D(ディオプター)です。
ここで、D( = Diopter、ディオプター)は、レンズの屈折力を表す値です。
焦点距離1mを1D(単位はm-1)と表し、屈折力が高くなるほど値が大きくなります。
屈折力は、1mを焦点距離で割った値となり、屈折力が50cmなら2D、25cmなら4D、100mmなら10Dという値になります。
 
      屈折力(D) = 1m / レンズ焦点距離 m   ・・・(Light28)
 
角膜は、厚さが0.5mmの透明な固い膜でできていて、それ自体に調節能力はありません。
血管が通っていないので他人同士で移植ができます。
角膜の湾曲に異常があると、垂直断面と水平断面で曲率半径の差が大きくなり乱視の主要原因となっています。
 
▲ 人の目はズームレンズ
水晶体は、毛様筋の働きで厚みを変え近距離から遠距離まで物体を正常に見ることができます。
その屈折力は15D-27Dの範囲で変化するそうです。
いわゆるズームレンズです。
ズームレンズというと、CCDカメラについているズームレンズを思い浮かべます。
カメラのズームレンズは、画角の調整用としてズーム機能を使っていますが、ヒトの場合は焦点を合わせるために焦点距離を変えています。
焦点距離が変わると画角も変わって大きさも変わるような気がするのですが、人の目はそのようになっています。
CCDカメラのピント調整は、レンズと撮像素子の位置を変えることによって行っているのに対し、ヒトの目は、眼球の大きさが一定で硝子体を伸び縮みさせてピントを合わせることができないので、水晶体の焦点距離を変えることでピントを合わせているのです。
この働きは、ズームレンズに薄い接写リングを挿入してズーム比を変えるとピントの合う範囲が表れるので、ズームレンズでピントを合わせるという考えで理解いただけるかもしれません。
ヒトの目のピント調整機能も年とともに変わります。
遠くのものから近くのものまで焦点を合わせようと目の屈折力を変える能力を調節力と言い、近点距離の屈折力から遠点距離の屈折力を差し引いた値で表します。
この値は、10才の若年で14D、25才で10D、50才で2.5Dが標準と言われ年と共に調整能力は弱ってきます。
50才の人が2.5Dの調節力しかないということは、その人が正常な目の持ち主で遠くのものが正常に見える場合、近点は2.5Dの屈折力となり40cmとなります。
ですから40cm以内にあるものはピントが合わずにぼやけてしまいます。
 
▲ 人の目の焦点距離
目の構造を単純にして考えて薄いレンズとみなすと、水晶体は後側焦点距離が約23mmの凸レンズと見なすことができます。
その直前にレンズで言うところの絞りである虹彩があり、その前面が角膜で覆われるという仕組みです
。レンズの前方は空気ですから物体空間の屈折率は1、像を結ぶ網膜までは硝子体とよばれる液体で満たされてますから、その屈折率は水に近く1.34となっています。
この構成で等価レンズを考えるとレンズの焦点距離は、
 
     22 mm x (1/1.34) = 17.1 mm   ・・・(Light29)
 
f17.1mmとなります。
この式の意味は、直径が22mmの眼球で無限遠の物体を見たとき、目のレンズは22mm後方の網膜に像を結ぶため、レンズの焦点距離は22mmとなります。
しかし水晶体と網膜の間には硝子体が入っていて屈折率が違うため、その屈折率を考慮した場合に、焦点距離がf17.1mmになることを示しています。
 
▲ 人の目の明るさ
 レンズの絞りに相当する虹彩は、明るさに応じて見かけの大きさが2mmから7mmくらいまで変化し、5mm程度を境に色収差や球面収差が悪化すると言われています。
目の結像機能を評価する場合、レンズ絞りの直径が5mmで焦点距離f17.1mmの無収差レンズと考えればよいことになります。
目のレンズの明るさは、
 
     F = f / D = 17.1mm / 5 mm = 3.4   ・・・(Light30)
 
となり、口径比F3.4(収差を無視すればF2.8)の明るさを持つレンズということができます。
 
▲ 人の目の分解能
目を無収差レンズとした場合のレンズの分解能は、
 
     0.6λ / sinα = 0.6λ / (D/2f)
      = 0.6 x (550 x 10-9m / (5 /2 x 17.1 ) = 2.26 x 10-6 m = 2.26 um   ・・・(Light31)
 
となり、目の最高のコンディションでの分解能は2.26ミクロンであることがわかります。
この式は、ホイヘンス・フレネルの光の屈折による回折限界から求めた値です。
sinαは、レンズの世界、特に顕微鏡レンズでは有名な値で、N.A.(Numerical Aperture)と呼ばれる値です。
N.A.は光を集める能力を表す数値です。
sinαが1.0の時、レンズ口径比はF0.5となり、この値が理論上一番明るいレンズとなります。
詳細は、開口数、N.A.を参照ください。
ヒトの目が2.26ミクロンの分解能を持つことが分かりましたが、この値を信じて、この程度の小さな粒子を裸眼で識別できるかと言うとそうは簡単にいきません。
レンズ機能を持つ角膜と水晶体を通った光は、網膜にきちんと結像させて像を認識させなければなりません。
ヒトの目の解像力は、網膜神経の大きさとレンズの組み合わせで決まり、被写体を識別できる分解能は明視の距離(25cm)での分解能になります。
一般的に人の目の分解能は明視の距離で0.07mmと言われています。
水晶体の分解能に比べ随分と大きな値になっていますが、これは、水晶体の分解能と網膜の視神経の大きさの総合で視角限界を求めた値です。
ヒトの目の最小視角は、物体に対して1"(1/60°)と言われていますから、明視の距離(250mm)での物体を認識できる能力は、
 
     目の視角分解能 = 250mm x tan(1/60°)
         = 0.073 mm  ・・・(Light32)
 
となります。
詳しくは下の項目「網膜細胞」で述べます。
 
 
 
■ 人の目の感度(Luminous Sensitivity)
ヒトの目は、明るいところから暗いところまでかなり広範囲に渡って見ることができます。
網膜にある視細胞は、錐状体と桿状体の二種類があります。
錐状体細胞は、網膜の中心部3mm部分に密集していて明るいところで働き(明所視 = photopic vision)、桿状体は中心の周りをとりまき暗いところで働きます(暗所視 = scotopic vision)。
二つの視細胞が切り替わるのは被写体の輝度が0.002cd/m2(照度にして0.03ルクス)で、満月の夜より一桁暗い明るさで役割を交代します。この状態を薄明視 = mesopic vision と言っています。
過日(2003年2月)、映画館で映画を鑑賞する機会があって出かけたときの事です。
映画鑑賞は2年ぶりで久しぶりの鑑賞でした。あいにく行くのが遅れ、映画館に着いた時には予告が始まっていて観客席は暗くなっていました。
明るいところから暗いところに入る時、目が慣れるまでしばらく時間がかかります。
暗いところに入った直後は目の前が真っ暗でしばらく何も見えません。
俗に目が慣れるとも言いますが、目が慣れると不思議なもので意外といろんなものが見えてきます。
若い頃は映画館に入ってもすぐに目が慣れたのですが、遠視がはいったこの年になって久しぶりに暗い部屋に入ってみて、以前にも増して目が慣れるのにかなり長い時間がかかったのはショックでした。
ヒトは、光に感ずる能力がとても高く、10-7ルクス(0.000001ルクス)程度の光を感じると言われています。
フォトンを検知するほどの感度をもっていることになります。
暗いところに入った時、ヒトの目は、明るい場所で主役であった錐状体細胞の感度が約1,000倍くらいに上昇します。
この状況が約10分ほど続き、続いて徐々に桿状体細胞が働きだし、この細胞の感度も1,000倍に向上します。暗いところに慣れるのに約20分ほどかかるのに、暗いところから明るいところに出るときは1-2分で順応します。
人の目の感度は、ある本によるとフィルム感度に換算してDIN4000とありました。
DINというのはドイツのフィルム感度規格で、
 
     DIN = 10 log ISO + 1   ・・・(Light33)
       DIN: フィルム感度のドイツ規格
       ISO: フィルム感度の国際規格。ASA感度がそのまま採用された。
 
と定義されています。
感度換算するときに、我々はフィルム感度を基準として判断します。
これは、従来、写真を撮るとき、ISO100のフィルムやISO400のフィルムを使用してきているため、その感度を体で知っているからです。
現在よく使われるCCD白黒カメラは、ISO1600程度の感度、カラーデジタルカメラでは、ISO400程度となります(ISOフィルム感度の説明は以下の『ASA感度』を参照下さい)
上の式からDIN4000は、ISO 10400 (10の400乗!)あることになります。
ちょっとこの値はにわかに信じがたいので、自分自らの経験で算出してみます。
私の経験から言うと、満月の月明かりはかなり明るく、人の顔も色合いもほぼ認識できます。満月の明かりは一般的に0.2ルクスと言われています。
月明かりの下では歩くこともできますし障害物もなんとか避けることができます。
ということは、月明かりの明るさで、人は1/10秒程度の時間で物を認識できることになります。
人の目の虹彩が全開の時の口径比(レンズ焦点距離と虹彩の大きさの比)はF2.8となり、1/10秒での露光で物体が認識できる人の目の感度は、ISO感度に換算すると、ISO100,000相当となります。
目の錐状体細胞は、この明るさの1/10程度までは自らの感度上昇で追従し、それ以下の明るさについては桿状体細胞が働き1000倍の感度を得るようです。
そうしてみると、人の目の感度は、ISO1,000,000,000(10の9乗)となります。
このように考えると、先に述べたヒトの眼の感度がDIN4000 = ISO 10400 (10の400乗!)とする値との間に相当な開きがあることがわかります。
いずれ、この項目は折りを触れみなさんからの情報を踏まえ更新したいと考えています。
 
 
■ 人の目が感じる色(Color)
ヒトの目には、光の三原色に反応する視細胞があり、これによって色を認識していると言われています。
カラーフィルムやCCDカメラ内で色を作っている原理が目の中でも出来上がっているのです。
視細胞には明るい光を得意とする錐状体細胞と、暗い光を得意とする桿状体細胞があり、明るい光を得意とする錐状体細胞は、黄緑色をピークとする赤い色に感度が強く、網膜の中心に特に密集しています。
暗い光を得意とする桿状体細胞は、青緑をピークとする青い色に高い感度があります。
この細胞は、網膜の中心には分布しておらず周辺に散らばっています。
日本人は、古来、色の識別を黒と白、青と赤の4種類で大別して、細かい色は、蓬色(よもぎいろ)、鴇色(ときいろ)、茜色(あかねいろ)というように自然にある色合いで示していました。
黒い、白い、青い、赤いというように「い」で終わる色の形容詞はこの4つしかありません。
だから、青も緑も「青い」部類に入り、黄色も赤も「赤い」仲間に入れられています。相撲の土俵の角の青房は緑色であるし、信号機の「青」も実は緑色です。しかし、日本人はこれを青としていました。
秋に山々の木々の葉が黄色や赤に変わるのを「紅葉」と称していました。
黄色までも赤に入れていたのです。
これは、逆の見方をすれば、色は複雑なためばっさりと大きく色分けしていたのかも知れません。
江戸時期、経済の主導権を握った町人階級が豪奢な生活をはじめ、武士階級を圧迫することを憂えた幕府は、町人の服地の色を強く規制するようになりました。
町人階級は、その色の規制の中で独自の色文化を築きあげて行きました。
色の規制が厳しい中、茶色と灰色は「お構いなし」とされたために、実にたくさんの色が作り上げられ、四十八茶百鼠と呼ばれる言葉が生まれました。
北原白秋の詩の中に出てくる「利休鼠」も、灰色の一種の色合いであり、利休のお茶にあやかって抹茶のような緑色がかった灰色のことを言っています。
このように、色はかなり複雑で多様です。そして主観的です。
学術的は、色は光の波長で表されます。
しかし、実際の色はいろいろな波長の光が混ざり合って出来上がってます。
国際照明学会(CIE = Commision Internationale de I'Eclairage)では、この色を表すために色度図を完成させて複雑な色合いを数値化しました。
詳細は、「色の規格化」を参照ください。
 
■ 目の反応時間(Luminous Response)
面白い事実があります。ランプが点滅するとき、ゆっくりと点滅する点灯時間の長いものは間合いの区別がつきますが、発光が短くなって1/100秒程度になると、どれが長い発光でどれが短い発光かわからなくなります(発光の短いものは一般的に光量が少なく弱い光なので光の強弱は区別がつきます)。
100us(1/10,000秒)の発光と1us(1/1,000,000秒)の発光の区別をつけるのは並大抵のことではありません。
また、ストロボ発光装置を使って1秒間に数回から数十回まで変化させていきますと10Hzあたりから間欠発光が連続発光として認識されるようになります。
実はこの現象は、人の目の働きの中で結構大事なもので、活動写真、映画、テレビ、アニメーションなどの動画はすべてこの人の目の「残像」現象を利用しています。
映画の撮影・映写速度が16コマ/秒と決められたのは、人の目が動画として無理なく目に入る最低の速度であったそうです。
撮影速度を最低にセットしたのは高価なフィルムを無駄遣いしたくなかったからです。
映画がトーキー(サウンドトラック入り)の時代に入り、音質を確保する必要上、撮影・映写速度が16コマ/秒から24コマ/秒に上げられました。
テレビが60フィールド/秒(30フレーム/秒)に決められたのは発電所からの交流周波数が60Hzであったためです(ヨーロッパは、電源周波数が50Hzであるため、PAL規格のテレビ映像は、50フィールド/秒、25フレーム/秒となりました)。
ブラウン管に映像を出す時、ブラウン管には高電圧が必要です。商用電源から高電圧を作る場合に、どうしても商用電源周波数成分が残ってしまいリップル成分となります。
このリップルは、ブラウン管の画像の歪みに繋がります。
この歪みをみかけ上低く抑えるため、画像の表示速度とリップル変動速度の同期を取る必要があったのです。
テレビが、1枚の画像を得るのに2回に分けて取り込んだのは、テレビが映画と違って画像を作るのに走査線という方式を使っていて、画面を上から下に一筆書きでなぞるような仕組みであったためです。
一筆書きで画像を作る際、1秒間に30枚の画像を作り出してその画像1枚を左上から右下まで1/30秒で描いた場合、画像の描き初めと終わりの1/30秒(33ミリ秒)の間にブラウン管の残光が保持できず、画面の上部と下部に時間差ができて極度のチラツキが出てしまいました。
60コマ/秒で画面全部を走査できれば問題なかったのですが、60フレーム/秒で走査するための技術(映像帯域、高周波数素子の開発)がなかったため、1画面を2つに分けて1走査線を飛び飛びにして織りなすような仕組み(インタレース方式 = interlace)が考え出されました。
苦肉の策だったのです。
現在では電子技術も進歩し、インターレース無しで1280x1024画素をカラーで75Hzで走査できるようになっています。
 
■ 網膜細胞(Retina, Photo Recepter) - 解像力(Resolving Power)
人の眼が細かい所を見るとき目を凝らしますが、この時目は網膜中心に集中した視神経を使っています。
目の中心φ3mmには錐状体細胞がギッシリ詰まっています。
この細胞の直径は約1.5ミクロンでできているそうで、これがφ3mmの網膜の中に密集してますから直線方向に2,000本並んでいることになります。
数としては700万本に相当します。
視神経の大きさが網膜上で1.5ミクロンありますから目の分解能は網膜上で1.5ミクロン以下は取り得ません。
実際のところ物を認識するには2つの細胞にまたがっていなければならないし、CCDカメラの撮像素子と解像力(高速度カメラ入門Q&A ■ 固体撮像素子)の解像力でも述べているように概ね2つの素子(細胞)分が最小分解能となります。
したがって、この場合の網膜上の分解能は約3ミクロンとなります。
目の解像力に影響を与える要素に目のレンズ(水晶体)があります。
目のレンズについては上の項目で触れていますが、レンズの分解能は目の場合、2.26ミクロンとなります。目の錐状体細胞が1.5ミクロンで、その細胞に2.26ミクロンの点像が結ばれます。
当然この点像は隣の視細胞にも周りこみます。
したがって、目の分解能は、両者の分解能の和として、
 
     2.26ミクロン + 3ミクロン = 5.26ミクロン   ・・・(Light34)
     目の総合分解能 = tan-1(5.26 x 10-3 mm / 17.1mm)
            = 0.017°( = 1/60° = 1分)   ・・・(Light35)
 
となり、視角1分が正常な人の目の分解能となります。
視角1分は、明視の距離25cmでものを見る場合、
 
     250mm x tan0.017 = 0.073 mm   ・・・(Light36)
 
となり、裸眼では0.1mm程度が目の限界能力となります。視力検査で、5mの距離を離れて1分の分解ができる視力を1.0と言っています。
この視力では、5m先の1.45mmの切れ目を識別できる能力を持っていることになります。
人の視野は目の動きで約50°が標準の視野と言われていますから、視角1分で識別する視野の範囲は、
 
     50° / 1分 = 50 x 60 = 3,000 分割   ・・・(Light37)
 
となります。
もちろんヒトの目はこれだけの情報を常時取り込んでいるわけではありません。
視細胞は、目の中心部に集中して集まり、ここの部分は1分の分解能をもっています。それが、眼球の運動によってあたかも50°視野を1分の分解能で認識しているように見せかけているのです。
その認識速度は、約10画像/秒です。
これだけの分解能を得るために目の網膜には見かけ上(眼球の運動と脳の合成機能の助けを借りて)、10,000素子x10,000素子の視細胞が並んでいることになります。
 
 
 
 
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フォトン(Photon = 光子) (2002.01.6)(2003.03.21追記)
光をフォトン(光子)というエネルギー単位で論じる考え方は、20世紀初頭に始まった量子物理学の世界から発展してきました。
光は大きく分けて3つの革命によってその特性が語られてきました。
 
 
■ 光の三つの革命
 
一つめの革命は、17世紀のイタリア人天文学者のガリレオガリレイ(Galileo Galilei、1564.2.15 - 1642.1.8)です。
彼は、それまで概念的で哲学的だった『光』を科学の対象としてとらえ、実験によって光をとらえようとしました。
1609年、天体望遠鏡を作ったのもガリレオでした。
彼は、光の速度を求めようと実験を試みます。
彼は、興味あるあることに、光は粒子であると信じていました。
当時は、まだ光が波であるという現象が認識されず、話題にされなかったのです。 ニュートンでさえ光は粒子であると信じていました。
 
二つめの革命は、1867年、英国人物理学者マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831-1879)の唱えた電磁波論です。
ここで、光は波であることが決定づけられます。
ニュートン(Sir Isaac Newton: 1642-1727)が粒子説を唱え、ホイヘンス(Christiaan Huygens、1629-1695)が波動説を唱えて、
それ以降、二分していた光の属性が、ヤングによって波であることに軍配が上がり、
マイケル・ファラデーの電気と磁気に関する研究によって、
これらの基本定数から計算される方程式のある定数値が、光速と不思議な一致示すことから、
マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831-1879)が光 = 電磁波を着想し定義づけました。
 
三つ目の革命が、1905年ドイツ人物理学者アインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)の唱えた光量子説です。
1900年、同国のマックス・プランクが発見したエネルギーの飛び飛びの値をとるふるまいについて、
アインシュタインは、光が粒子であり1個1個として振る舞うことを定義づけました。
彼は、これを光子(フォトン = photon)と呼んだのです。
アイシュタインといえば、難しい相対性原理があまりにも有名ですが、
この原理の元となるのは、光は粒子であると仮説し、運動のスピードは光速を越えられないこと、
質量とエネルギは等価であるという大発見に根ざしています。
アインシュタインによれば、
「光は粒子の一種であり、エネルギーが hν、運動量が hν/cの塊として光速 c で飛んでいる。」
と定義しました。
フォトンの発見は、レーザへの道を開くことになりました。
 
■ フォトンの単位
フォトンの物理量は、微弱な光を扱うときに使用される光の単位として J = ジュールで表されます。
このエネルギー単位は、hc/λ = hν で示されるように光の波長によって決まっているため、
特定波長の光しか発光していない現象では、発光の全エネルギーを量子化された光エネルギー単位( = hν)で割ってやることにより、1個、2個と数えられるようになります。
微弱光の研究分野では、高感度光検出器を使って光の測定をしているとエネルギーが連続した値で放射されずに飛び飛びの値で放射される事実がわかっています。
これが、フォトンカウンティングと呼ばれる所以です。
 
■ 光の波、光の粒
光は、波の性質と粒子の性質を併せ持っています。
光が波であるのか粒子であるのかの論議は、17世紀の時代にからかなり激しく論じられてきました。
光を科学的に体系づけた初期の物理学者、ニュートン(Sir Isaac Newton: 1642-1727)は、光は粒子であるという説を曲げませんでしたが、トーマス・ヤング(Thomas Young、1773-1829)という同国(イギリス)の科学者による実験的考察から光の波動説に軍配が上がることになります。
ヤングは、1801年11月12日、ロイヤル・ソサイアティ(Royal Society)で講演を行い、ニュートンの死後英国人として初めて公然とニュートンの光の粒子説を否定し、波動説を擁護しました。
当時の物理の世界での光の振る舞いは、粒子よりも波の性質の方が物性がよくわかっていて説得力があったのです。
光の波動説は、スコットランドの科学者ジェームズ・クラーク・マックスウェルの提唱した(光の)電磁波理論で決定的になったかに見えました。
しかし、それでもなお、光が粒子であるという説が完全に否定されたわけではありませんでした。
光が固まったエネルギーを持っていてあたかも粒子のような振る舞いをすると気づき始めたのです。
 
■ 量子としての光
それが、ドイツ人科学者プランクおよびアインシュタインらによる量子力学からの説明であり、光は粒子的な振る舞いをするエネルギーとして認められるようになっていったのです。
プランクは、光の放射がある単位量をもとにして不連続に変化することを示しましたが、これに至る前段階では熱放射について彼の考え方を明確にして「プランクの定数」を導きました。
プランクは「光」に関してはそれほど熱心ではなかったと言われます。
彼が「プランクの定数」を導き出したのは熱力学を統一的にまとめ上げる仕事をしている時であって、そのプランクの放射則を展開していくと可視エネルギー領域まで入り込まざるを得なかったのですが、「光の本質は波動」と考えていたプランクは、光の粒子性を認めることについては弱気で、革命的な主張を推し進めて良いかどうか長い間迷っていたと言います。
 
■ 光量子
光を量子力学の中で不連続なエネルギー量(粒子)として確立したのは、アインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)でした。
アインシュタインは、プランクの放射則に光の粒子性が含まれるとしてプランクを勇気づけ、「光量子」という考えを確立して量子論を推し進めたのです。
量子力学が発達する中で、光と電子はエネルギーを授受しあう重要な相互関係があることがわかり、原子・分子が放出するエネルギー形態の一つが光エネルギーであることがわかってきました。
それも、その光エネルギーは連続した値を取らずに飛び飛びの値を取る、
 
     E = h ν  ・・・(Light38)
       E:光のエネルギー(J)
       h:プランク定数、 6.6260755 x 10-34 J・s
       ν:光の周波数 = c/λ
       c:光速、299792.458 km/s (真空中)
 
という単位のエネルギーになることを、1905年にアインシュタインが突き止めたのです。
この最小単位を光子(フォトン)と呼びます。
 
■ 光と電子
そもそも、光を「明るさ」という概念だけではなくてエネルギーとして考えはじめたのは、光によって電子が放出される光電子効果が発見されてからでした。
光電効果は、1887年にドイツ人物理学者ヘルツ(Heinrich Rudolf Herz 1857-1894)によって、マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831-1879)の唱えた電磁波理論の追従実験をしている中で発見されたものとされています。
ヘルツは、紫外線を使って電極を照射すると電極間のスパークがはるかに容易になることに着目し、紫外線を照射すると金属から電子を放出することを確かめたのです。
この光電効果について、ヘルツはあまり深く追求せず、1905年、アイシンシュタインが光電現象を法則化するまではそれほど大きな扱いはなされなかったようです。
光によって電気が起きる現象は、セレンや硫化カドミウムのような金属で良く反応し、ゲルマニウムやシリコンでも良く認められている現象です。
現在は、この恩恵にあずかって、シリコンに光があたると電気を起こすシリコンフォトダイオードやCCDカメラ、C-MOS撮像素子などに応用されています。
 
光電効果には、以下に述べる二つの大きな意味があります。
 
     一つは、金属から放出される光電子の数は光の強度に比例する
であり、
     もう一つは、電子の放出される速度(エネルギー)は、光の波長(振動数)のみに依存する
 
というものです。
前者は、光をたくさん当てればそれに比例した分だけ電子が飛び出すことを意味し、後者はどれだけたくさん光をあてても電子が飛び出さない光があり、エネルギーの高い光子(例えば紫外線、X線)では、ほんのわずかの量でも電子を飛び出させる力を持つことを意味しています。
このようにして、光は粒子として位置づけがなされるようになり、光エネルギーを個数で表すことができるようになりました。
それが、光子と呼ばれる素粒子の扱いです。
光子は、「光は質量を持たない粒子であり、その伝播速度は光速」、というアインシュタインの相対性理論の究極のもの(エネルギー)でもあるのです。
難しいと言えば難しい概念です。
私たちの回りに溢れるほどに拡がっている光が、そんなに奥の深い意味があるかと思うと神秘ですらあります。
 
 
■ フォトンの明るさ
しかし、現実の生活において、フォトンを使った単位で光を論ずることは極めて希です。フォトンは微弱光を論じたり、光反応を扱う分野でよく使われていて、その量は微弱なことが多く、フォトン検出には高感度光検出器であるフォトマルチプライア(光電子増倍管)や、イメージインテンシファイアを使わないと測定が困難です。
ちなみに、フォトン計測は、1秒間に1cm2 あたり1〜108 (1億)個までのエネルギーを放射する分野で用いられます。
108 個/秒・cm2 という光のエネルギーは、10-4 ルクス(0.0001ルクス)程度の明るさで、これは星明かり程度の明るさであり、この明るさがフォトン計測の最大限界と言われています。
アインシュタインによって、光は究極のエネルギー(質量を持たないエネルギーそのもの)という位置づけがなされました。
宇宙を論ずるとき、また、原子やクォークなどの小世界を論ずるときに「光」はなくてはならないエネルギーそのものになっています。
しかし、このサイトを愛読される人達の中で、光を「光子(フォトン)」としてとらえる人は少ないように思われます。
 
 
 

【アインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)】 - 「光」の概念に革命をもたらした人 (2006.04.08)(2008.04.19追記)  

▲光とのかかわり:
アインシュタインと言うと、「相対性原理」がすぐに思い浮かぶ。
現実離れした宇宙空間の法則性を、頭脳一つで導き出した天才物理学者というイメージが強い。
しかし、彼の真骨頂は、「光」の本質をえぐり出した光量子説の発見にあるだろう。
彼は、この発見によって1921年、ノーベル賞を受賞した。
「光」をエネルギーの固まりとして、1個1個カウントできる量として扱うことにより、物理学の世界が一歩前進した。
波としての「光」の位置づけが強かった当時の物理学の世界にあって、彼は、粒子としての光の振る舞いに注目し、
また、プランクの放射則を土台において、光子という概念を導き出して、「光量子」の概念を考え出した。
彼はまた、光の波と粒子の二重性について追求し、気体分子と壁との運動量の授受における類似の理論から、
プランクの放射則に粒子性と波動性とが共存していることを明確にした。
この考えによって、光、電子、原子が統一的に説明できることになった。
 
▲光量子:
「光量子」という考えは、20世紀になって考え出された新しい考え方である。
この理論によって、当時新しく発見された光電効果をものの見事に説明した。
光電効果とは、紫外線を当てると金属から電子が飛び出す現象であり、光を強くすると電子の数は増えるものの
電子の放出速度は変わらない、とする理論である。
また光電効果では、ある波長より長い波長の光ではいくら光を強くしても電子は出ない、ことも指摘している。
これらの光電効果は、「光」を粒子とし、これが電子と衝突することで完全に説明できた。
また、この概念は、ストークスの法則(照射光よりも発生する蛍光の波長が長い方にずれる現象)や、
コンプトン効果(X線と電子が衝突するとX線の波長が長くなる現象)などの発見を統一できるもので、
X線を光量子と考えればすべて説明できるものであった。
 
▲人となり、生い立ち:
彼の前歴は、異例と言っても良いくらいに非エリート的で特異である。
彼自身、ユダヤ人であったことから時代に流され米国に亡命するという憂き目にもあった。
アカデミックな枠にとらわれずに、独学で斬新な理論を導きだす独創性は、物理学のみならず哲学、思想界にも影響を及ぼした。
権威や差別、とくにファシズムを憎み、人類の平和を求め続けた人間性の豊かさは、他の類を見ないものであった。
 
アインシュタインは、1879年3月14日、南ドイツのウルムにユダヤ人の長男として生まれた。
幼年時代は、平凡な日々を送っている。
幼年時代は、普通の子供に比べて成長が遅く、知恵遅れではないかと両親を心配させたほどである。
平凡ではあったが、5歳のときに父親に見せてもらった羅針盤には異常な興味を示し、また6歳からバイオリンを習い始め、
これは生涯を通じての楽しみになった。
1895年、電気技師になる目的でチューリヒのスイス連邦工科大学を受験したものの失敗し、
翌年、再度の受験で合格し1900年に卒業した。
学生時代は、正規の授業にはほとんど出席せず、友人のノートで試験を切り抜けた。
片方、一流の物理学者の原論文を熟読することに日々を費やした。
大学時代の彼は、教授からの評価が悪く、大学は出たものの研究に進む道が与えらなかったので、
友人(マルセル・グロスマン:1878-1936、チューリッヒ工科大学数学教授)の父親の推薦を受けて、
1902年、ベルンの特許局に見習い技師の職を得た。
その仕事の余暇に、理論物理学の研究に没頭し、1905年の「光量子」理論を導き出すに至った。
友人グロスマンとは、後に空間場を計算する時に計量テンソル(球面幾何学)という数学手法を採用することになり、
彼から数学処理の援助を得ている。
 
▲1905年:
1905年は、「奇跡の年」とも言えるべき年で、アインシュタインは光量子説、ブラウン運動、特殊相対性理論に
関する三つの論文をドイツの物理学雑誌『物理学年報』(Annualen der Physik)に発表した。
さらに1907年、固体の比熱の量子論を同誌に寄せている。
彼の研究スタイルは、自身の頭脳で思考することである。
多くの物理学者が、高額な実験設備を擁して研究を進めていたのに対し、彼の実験室は彼の頭脳のみであった。
その頭脳から、従来の物理学を統合する全く新しい次元の理論を構築していった。
彼の理論を「メタ原理」と呼ぶ。
メタとは、metaphor(メタファー:隠喩、形而上)の略で、現実世界を睨みながら、現実とは一線を画した別の世界、という意味合いが強い。
彼の相対性原理は、物理世界を統一する理論であったが、現実世界に束縛されて生きている人にとっては、おそろしく分かりづらい理論であった。
それは、彼がメタ原理で統一理論を構築したからである。
従って、彼の理論は仮定が多い。
仮定からの構築こそがメタ原理である。
彼の理論が正しいと認められるようになって行くのは、天文分野においてであり、次に原子の世界においてであった。両極の物理学の世界で彼の理論の確かさが証明されていった。
仮定が真実になっていった。
 
▲彼の構築した理論の背景(物理学の統一の思い):  (2009.02.27追記)
彼が物理学を統一理論でまとめたい、と思い立った発端は、当時、物理学には2本の柱があり、
その両者の非対称さがとても不愉快であったことだと言われている。
二本の柱とは、ガリレオ→ニュートンの構築した力学であり、
もう一つは、ファラデー→マクスウェルの電磁気学であった。
この両者は、それぞれの世界ですばらしい成果を生み出していたが、
深淵部(天文学の分野と原子物理学)において、互いに歩み寄る気配がみじんもなかったのである。
アインシュタインは、この両者を統一的に結び付けたのである。
その統一の大鉈(おおなた)が、
一つは、空間は曲がるという理論であり、
もう一つが、光の速度はどの世界(時空を超えた世界)でも一定である、
としたことである。
この二つの大前提(メタ原理)は、古典力学の大前提を根底で否定した。
古典力学では、乗り物に乗った人から見た外界の動きは、止まって見た時に見える運動とは異なって見える、という前提がある。
電車に乗って、りんごを放り上げる運動は放り上げた人から見れば上下運動であるのに対し、
電車に乗っていない外の人が見れば、進行方向にもリンゴは運動(放物曲線運動)している。
光も、・・・そうであるに違いない、と、普通は、そう考える。
地上に降り注ぐ光の速さと、ロケットに乗って高速で飛んで入る時に見える光の速さは、・・・当然、違うに違いない。
古典力学ではそうなる。
我々の地上での日常生活では、その考えで100%で事足りている。
しかし、アインシュタインは、それを否定した。
光の速度は、見るものがどんなに動いていても一定であるとした。
実際問題として、当時の彼の下した大前提に証拠はあったのか。
証拠はなかった。
その大前提を作ることによって、それまで対峙していた二つの物理世界が一つにまとまる、ということが、彼の思考のよりどころであった。
彼の理論は、ほどなく天文学や量子力学で正しいと下される証拠があげられるようになる。
彼の理論によれば、太陽から放射されて地球に届く光の速度と、遠い何万光年と離れた恒星から地球に届く光の速度は一定ということになる。
太陽と地球は一定の関係があり、両者がどのようなスピードで運動していようとも、両者の相対位置は良くわかっているので光の速度は一定であろう、というのはなんとなく理解できる。
それが何万光年も遠くの恒星の場合、恒星が地球に対してどのような運動をしているかは分からない。
それこそ、地球に対して秒速何百km(光の速度の0.067%)で遠ざかっているかもしれないし、逆に近付いているかもしれない。
ガリレオ - ニュートンの力学では、そうした場合の運動体に対して相対的に運動の変化を要求する。
光も、当然速度が変わらなければならない。
しかし、アインシュタインは、光は一定の速度で推移すると定義づけた。
光の速度が、どんな運動場でも一定の速度で伝播するとなると、それを伝える空間はどうなってしまうのだろう。
アインシュタインは、運動する空間場自体が歪むと考えた。
そうしなければ、光速一定の大原理が崩れてしまう。
「重力場」という考え方である。
電磁気学では、実は空間が歪んでいるという考え方をしていなかったので、エーテルの存在に固執し、エーテルによってすべてを解決しようとしていた。
アインシュタインと同時代にあって、電磁気学を発展させ電子の存在の仮説を立てたオランダのヘンドリック・ローレンツ(1853 - 1928)も、マクスウェルの電磁気学をガリレオ物理学に合わせるべく苦心を重ね、エーテル中を移動する物体は、長さが短縮されるという仮説を立て(1893年)、力学と電磁気学の統一理論を作ろうと躍起になっていた。
その結果が、ローレンツ変換という式で結実する(1904年)。
しかし、残念ながら彼が期待したエーテルは結局は見つからなかった。
ローレンツは、偉大な電気物理学者であったが、当時の学者がそうであったようにエーテルに固執していた。
アインシュタインは、そうした考え方をとらずに、加速度のある空間場(重力場)を可変にした。
ローレンツの式では、光よりも速い運動体があると、時間も空間も虚数になってしまうという問題があった。
アインシュタインは、物体の速さが増すと質量も増加して加速が起きにくくなり、物体が光速を越えることがないようにした。
空間場(重力場)が可変になることは、物体の質量も不変ではなくなることを意味していた。
静止している物体と運動している物体では、質量が変わる。アインシュタインはそう考えた。
おもしろいことに、アインシュタインは、自らの理論を構築する際に、ローレンツの変換理論も、米国マイケルソンの実験も知らなかったそうだ。
このことは、彼が当時、物理学の趨勢を見ながら自分の理論を構築したのではなく、単に、ガリレオ - ニュートン力学とマクスウェルの電磁気学の統一を図りたくて、思索の道を歩んでいたことを物語るエピソードである。
 
 
 
【ニュートン(Sir Isaac Newton: 1642-1727)】 - 光学の粗、物理学の祖  (2006.03.29)
ニュートンは、ルネサンス以降の科学技術が急速に発展した時代を生きた人で、物理学(運動力学)の基礎を築いた人物である。
日本の歴史スケールで見ると、江戸時代初期の頃に活躍した人物である。
 
▲生い立ち:
アイザック・ニュートンは、イングランドのカールスターワース(Colsterworth)の近くにあるウールスソープ の(Woolsthorpe)に 生まれた。
カールスターワースは、イギリスの中ほどのイングランド島のくびれた部分の東寄りにある小さな町で、同じ位置の西には競馬で有名なダービーがある。
宮殿で有名なノッチンガムや、港町ボストンも彼の生まれた近くにある。
両親には恵まれず、父親はニュートンが産まれる3ヶ月前に死去した。
二年後、母親はニュートンを祖母に預けて新しい夫の元へ嫁いだために、彼は母方の祖母に育てられることになる。
幼少期の彼は、体が小さく内向的で目立たぬ子であったため、友だちから虐めの対象にされていたが、あるとき、彼らに反旗を翻してそれに勝てたことによって自分への自信につながり、学問の分野にも自分の生きる道を見つけて自我を開拓することができた。
学業は、すばらしくよくできて神童であった。
1661年、19才の時に、叔父が学んでいたケンブリッジにあるトリニティカレッジに入学する。
ケンブリッジでは、デカルトやガリレオ、コペルニクス、ケプラーなどの最先端をいく物理学者達の学説を好んで勉強したという。
1665年、23才の時に、数学理論の構築の中で「二項定理」を発見し、微分を発見し、微分積分学の発展に寄与した。
彼の数学における真骨頂は、幾何学であり、代数学は、スイス人数学者オイラー(Leonhard Euler、1707 - 1783)の方が秀でていた。
ニュートンを有名にする運動力学も、オイラーによって後に数式化されたものであり、ニュートン自身は、運動力学を幾何数学によって説明していた。
彼のバックボーンには、当時のキリスト教社会にあってピューリタン思想が強くあったようだ。
ケンブリッジ時代の彼は、世界から逃げ出したい厭世的な人物と評価されている。
それは、当時のイギリスが大航海時代時代に入り、海外貿易での商業が盛んになって時代の変革を迎えていたにも関わらず、大学は旧態依然とした年功序列の学内人事が横行していたために、それに嫌気がさしていたと言われている。
生涯独身を通し、1727年、85才、ロンドン郊外のケンジントンで病没した。
 
▲国を支える:
ニュートンは偉大な数学者であり、かつ物理学者、天文学者、哲学者であったが、政治にも深い関わりを持っている。
大学教授時代のニュートンは、国の政治にも参加し、教え子たちの推薦もあって国の政に参加した。
1696年、54才の時に教え子で大蔵大臣を勤めるモンタギュー(Charles Montagu、1661 - 1715)のすすめで、造幣局監事に就任した。
1699年造幣局長官になり、贋金(にせがね)作りの取締や、金本位制度の改革を行った。
 
▲集中期:
1665年、23才の時にケンブリッジで学位を取った直後、ロンドンでペストが大流行したため、大学が閉鎖されてしまった。
そのため、ニュートンは故郷のウールスソープに帰り、その後の2年間、微分積分学と光学、重力についての研究を行った。
帰郷期間の1665年後半から1666年の一年半で、彼の生涯に成し遂げたほとんどの研究の成果を出している。
この期間は、「驚異の一年半」と呼ばれている。
の期間で思索した内容の発表は、すぐには行わず、かなり後のことになる。
 
▲業績: 
プリンピキア - Philosophi Naturalis Principia Mathematica「自然哲学の数学的諸原理」 (1687年)(45才)出版。
   ラテン語で書かれた古典数学。天体の運動を解明し、万有引力の法則と運動方程式を記述した。
   古典力学(ニュートン力学 = ニュートンの運動の三法則)を創始した。運動に、「力」という概念をはじめて導入した。
   この本は、文章と幾何数学(図形)で構成されていて、代数による記述はない。したがって、ニュートンの有名な
   運動方程式は後の数学者が彼の記述に当てはめた。方程式は、フランスのデカルトがあみ出し、運動力学に微積
   分を応用したのは、スイスのオイラーであり、
     md2χ/d2t = F(←運動力学 F= ma の微分方程式)
   という運動方程式の記述は、ニュートン・オイラーの式と呼ばれている。エネルギーという概念で動力学(Dynamics)
   を体系化したのは、ドイツのライプニッツであった。
   しかし、自然界に隠れる運動の本質をさぐりあて、三つの法則を抽出し数学的に表した手法は画期的な革命と言える。
・微積分法を発明(1666年)。同時期、ゴットフリート・ライプニッツも同じ手法をあみ出していたため対立することになる。
・二項定理に完全な証明を与える。
・天文学。地球と天体の運動を初めて実験的に示した。地動説をより一歩進めて詳細な研究を行い、運動力学をあみ出す。
   ケプラーの惑星運動法則に関して数学的に証明を与えた。
・錬金術師 - ニュートンは近代科学の成立に貢献する傍ら、錬金術の研究を行っていた。
   当時、彼は造幣局長官をしていたため、このことを隠していたが、 20世紀になってニュートンの遺髪を分析したところ、
   水銀が検出されたことにより、錬金術に相当の関心と情熱を持っていたことを裏付けることになった。
 
▲光学に関する業績:
・光学は、ケンブリッジでの学生時代、ケプラーやデカルトの影響を受けて造詣を深めるようになる。
   レンズ、プリズム、顕微鏡、望遠鏡などを集めてレンズ研摩を始める。
・1666年、最初のプリズムの実験を行う。これは望遠鏡改良の一環で行った研究で、球面収差除去の目的で始めた。
   この研究から色による収差を発見した。この知見から光の屈折を研究。光のスペクトル分析も行うようになる。
・1669年、27才の時、師のバロー(Isaac Barrow:1630-1677)を継いでルーカス教授となり、光学を講議した。
   バロー(当時38才)は、偉大な数学者(ユークリッド幾何学)であり、物理学者(光の反射および屈折の研究、
   光学の焦点、屈折焦線の作図法を考案)でもあったが、聖職者でもあったので
   ニュートンの非凡な才能を認めた彼は、自らトリニティ・カレッジのヘンリー・ルーカス基金による
   ルーカス数学初代教授の職を辞し、ニュートンにその職を譲って聖職に専念した。
・1671年、29才の時に、口径2インチ(φ50mm)、倍率38倍の反射望遠鏡の発明した。
・1672年、ロンドン王立協会に提出した反射望遠鏡が大評判となり、王立教会の会員に選出された。
   以降、王立教会にて、ロバート・フック(Robert Hooke:1635-1703)と光学論争で対立することになる。
・光の粒子説。- オランダのホイヘンスの光の波動説を否定。
   彼は、光の粒子説をとったが、彼の研究には細いスリットからもれる光の回折や、ニュートン・リングで知られる
   干渉縞実験、薄膜の実験などを通して、光の波としての性質も十分認知していた。
   彼が光の粒子論に固執したのは、光の直線性としての性質が極めて高く、幾何光学を得意としていた彼にとっては
   この特性を無視して波動性を論じきれなかったためと考えられる。
   粒子としての立場を貫きながら、波としての性質を持つ光の属性に苦慮した、というのが本当の所ではなかろうか。
・「Opticks」(←綴りに注意)(光学)出版。1704年(62才)
   英語表記で書かれた本。プリンピキアが出版されていなければ、ニュートンの最も代表的な出版書となった本。
   数学的表記は、幾何学(幾何光学)の手法によっている。光の屈折、反射、色について、実験や現象の裏づけによって言及。
   白色光は、いろいろな光が混じっていることを証明した。
   白色光のプリズムによる色分解、色とスペクトルの関係について言及している。
 
 
【マクスウェル(James Clerk Maxwell: 1831-1879)】 - 光の素性を集大成  (2017.11.29)
マクスウェルは、英国の理論物理学者である。電磁波の存在を理論的に予測して、光も電磁波であるとした。
光を電磁波とすることで、ニュートン、ホイヘンス、ヤングらがそれぞれに唱えた光の粒子説と光の波動説論争に終止符を打った。
電磁波は、光速で伝播し横波であるとした。
 
▲ マクスウェルの方程式:
英国人マイケル・ファラデーの電磁場における考察結果を数式によって体系づけた古典電磁気学の基礎方程式である。
4つの方程式のみを使って、彼の時代における電磁気学の法則をすべて言い表した。
 
▲ 生い立ち:
1931年6月13日、スコットランド・エディンバラで弁護士の家に生まれる。
幼少時は近くに学校がなかったため母親が教育を施し、マクスウェル8才で母親が早世した後は家庭教師についた。

 

 
 
 
 
 
 
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光 - 波と粒子 (2003.01.3.24)
光は、波の性質と粒子の性質を兼ね備えています。
1900年を境にして、波と粒子の二つの性質を兼ね備えた物質を求め、その相互関係を研究する分野が出来上がりました。
これが、量子力学と呼ばれるものです。
難しい量子力学の世界も、その根本は光であるのは不思議です。
すごく身近にある光がとても不思議なふるまいをし、宇宙を述べる根本の一つが光であったなどとは摩訶不思議なことです。
ガリレオが光を科学の対象として研究を始めて後、英国人物理学者ヤング(1773 - 1829)から同国の物理学者マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831-1879)にいたるまで、光が波であるとする説が有力でした。
光を粒子として再度位置づけ、ニュートンの光の粒子説を高度にまとめあげたのは、アインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)でした。
我々の日常生活では、光は波としてとらえた方が都合が良い場合が多くあります。
以下に、光の二つの考え方(波としての光と、粒子としての光)を示したモデルを示します。
両者では、パラメータにかなりの違いがあります。
両者を取り持つのは、光の速度(光速 = c)と波長λです。
 
波としての光のモデル
粒子としての光のモデル
記号
名称
説明
記号
名称
説明
a
振幅
光の強度  = | a | 2
e
電荷
なし (無誘導性)
λ
波長
1 x 10-9 m〜1 x 10-3 m
(可視光400nm - 700 nm)
m
質量
0(静止質量はなし)
p
位相
0〜2π(rad)
E
エネルギ
E = hν
 h:プランク定数
ν: 光の周波数(= c/λ)
c
光速
c = 2.998 x 108 m/s
P
運動量
P = hν / c
c: 光速
ν
周波数
ν = c / λ
N
個数
生成 / 消滅が自由
偏光
直線偏光、(楕)円偏光
コヒーレンス
波長の純度、干渉しやすさ
統計的性質
ボーズ統計(ボーズ粒子)
スピン(自転) = 1に対応
(2005.06.23  ν: 光の波長を→光の周波数(= c/λ)に変更。光学メーカF氏より御指摘。)
 
 
光が波であると言っても、一般的にはあまり馴染みがないかもしれません。
一般生活で、光が波であると自覚できる事象があるのでしょうか?
光は、光が波であると認識された初期の頃に縦波であるとされていましたが、偏光という現象が現れてからは、横波であるとされるようになりました。
偏光という現象は、液晶表示やCD、DVDのオプティカルピックアップ光学系に積極的に利用されています。
自然界では透明体の反射面で偏光がおきます。
偏光は、光が横波であることの確かな証拠なのです。
光は、いろいろな波長を持っていて、その波長により色が変わることは、物理学を学んだ方なら理解できると思います。
光は、連綿とつづく電磁波の中のある特定の波長を指して、これを可視光と呼んでいます。
その範囲は、波長で言うと400nmから700nmというわずか300nmの範囲です。
なぜか(いや、太陽の光がこの範囲の電磁波を一番たくさん地球に降り注いでくれたので)、人の眼はこの電磁波に感じ、それを色として認識できるようになっています。
光が波である根拠のもう一つの理由は、発光体が高速で移動する際にドップラー効果が光でも現れることです。
現実社会ではこの現象はわかりませんが、天体観測などで恒星の運動速度を求めるときに光のドップラシフトを用いています。
 
新しい考え方によると、光は電気的な性質はまったくありません。
つまり電気に左右されないのです。
ですけど、電子がものに当たったり、電子が外部からエネルギを受けると一時的にエネルギを蓄え、それがまた元に戻るとき光(もしくは電磁波)を放出します。
光は電子と性質を異にしますが、切っても切れない関係にあるのです。
もともと、光というのは、電子の運動の結果放出されるものだとされています。
つまり、光の出るメカニズムは、
 
   1. 双極子放射 - 電子の振動
   2. サイクロトロン放射 - 電子の加速運動
   3. 誘導放出 - 光による光の発光
 
の3つで、上の二つ(1.と2.)が自然放出と呼ばれているものです。
最後の誘導放出が、レーザの基本原理となったものです。
光が光を生むのです。
双極子放射というのは、加熱発光に代表されるもので、外部からエネルギを受けると電子が振動し、その振動が激しくなると波長の短い電磁波が放出されて、それが可視光になるというものです。
その振動数は、一秒間に約500兆回というものです。
サイクロトロン放射は、電子を加速させることによりそれに伴って光を放射します。
電子を円運動させ光速に近づけると強い光(X線)がでるようになります。
こうしてできた強い光は、学術的に利用価値が高いため、国家プロジェクトとして施設を建設し研究に使われています。
兵庫県にある高輝度放射光施設(SPRing8)は、強い放射光(X線)を放出する設備です。
誘導放出についてはレーザの項目を参照してください。
光は質量がありません。
質量がないのに運動量を持つ、というのはどうも納得がいきません。
古典力学が染みついている私は、運動量は質量と速度で求まる、と思ってしまうからです。
運動量は古典力学から導きますと、
 
     P = mv  ・・・(Light39)
       P: 運動量
       m: 質量
       v: 質量の速度
 
となります。
方や光は粒子ですから(だけども質量はありません)、運動量は上の表から、
 
     P = hν / c  ・・・(Light40)
       P: 運動量
       h: プランク数
       ν: 光の周波数
       c: 光速度
 
となります。
古典力学で扱っている物体mが非常に高速にvで運動して、ついに光速にまで達したらどうなるのでしょう?
上の二つの式は同じになり、
 
      mv = mc = hν / c  ・・・(Light41)
      hν = mc2  ・・・(Light42)
 
となります。
ここで、
 
      E = h ν  ・・・(Light38)(前述)
 
ですから、
 
      E = mc2  ・・・(Light43)
 
となり、有名なアインシュタインの相対性理論の根幹をなす方程式にいたります。
この式は、質量mの物質は、ポテンシャルエネルギーとして、質量mと光速 c の二乗を掛け合わせただけのエネルギを持っていることを示しています。
光は、ある意味、エネルギーの最終形態ということができるのかもしれません。
光は電子によって簡単に発生し、電子に簡単に吸い取られて消滅する。
それが、アインシュタインが110年前に考えていた光の原型です。
 
 
【ボーズ統計とフェルミ統計】
上の表で、ボーズ統計という言葉が出てきました。
光と電子の性質の違いを表すものに、ボーズ統計性質とフェルミ統計性質、という考え方があります。
ボーズ(Satyendra Nath Bose: 1894-1974)は、インド人の物理学者で、フェルミ(Enrico Fermi: 1901-1954、1938年ノーベル物理学賞受賞)は、イタリア系米国物理学者です。
光は、集団的なふるまいがとても好きで、互いに強調して同一行動をとろうという性質があります。
この性質をあらわしたのが、ボーズ統計と言われています。詳細は、私自身よくわかっていません。折りをみながら追記をします。
片や、電子は、光とは全く違って、単独行動が大好きで、電子同士仲が悪くて排他的だそうです。
その仲の悪さを表したものが、フェルミ統計で表されるのだそうです。
フェルミ - ディラック統計も、私自身良くわかっていないので、折りをみて更新します。
宇宙に存在する素粒子は、ボーズ統計に従う仲の良い素粒子と、フェルミ統計に従う仲の悪い素粒子の二つに分類できるそうです。
レーザと呼ばれる光も、実は、光の仲の良い性質(誘導放出、共振)を最大限に利用した所産であると言えます。
この説明によると、電子は、きちんと整列させて発振させることは不可能であることがわかります。
電子は、質量があるのにいまだその所在がわからず神出鬼没、あちらに現れたりこちらに現れたりと忍者のようです。
 
 
 
 
 
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光速と長さ(The Speed of Light and Physical Length) (2003.01.18)
光は、長さをも規定してしまいます。光で長さを決めることができるのでしょうか。
現在のメートルの定義は、光によって決められているというのだから驚きです。
 
● メートル原器
長さの単位であるメートルは、元をたどると、フランスが発明したもので、かなり理論的な単位です。
生活に密着した所から定義づけられてきたインチや尺・寸とは趣を異にしています。
非常に論理的にかつ物理的に割り出されました。
メートル誕生は、AnfoWorldオムニバス情報3-標準化、メートル法を参照下さい。
そのメートルという長さの根本は、メートル原器というものがあってすべての長さの基本はフランスが保管している白金とイリジウムの合金で作られた(熱膨張の極めて低い)メートル原器によって成り立っていました。
主要各国は、メートル原器のレプリカを持っていて、それを使って物差しやいろいろな測定機器が作られていました。
このことは、私の小学校時代(1960年代)に学校の先生からそう教わりましたし、教科書にもその原器なるものの写真が載っていました。
現在、メートルの定義は、光によってなされています。
その方がメートル原器に合わせるよりはるかに精度良く、かつ、再現性が良いのです。
長さの定義が、メートル原器から光によって定義されたのは、1960年です。
 
●1960年
1960年は、光にとって注目すべき年です。
一つは、メートルの定義がメートル原器からクリプトンの同位体86Krのオレンジ線の波長の1,650,763.73倍、と定義され直された年であり、
もう一つは、レーザーの発振が初めて行われた年なのです。
レーザの話は、項を改めます。
光によって、どうして長さが精度よく求まるのでしょうか?
光は、とてつもなく速く伝播するので、1メートルの長さなど、計測が不可能なように思われます。
しかし、光の速度を求めていく過程で光速を精度よく求める手法が考え出されて、これが逆に、長さを測る原理になったのです。
面白い出来事といえましょう。それほど光の速度は安定していることの証でもあります。
 
●ガリレオの実験
光の速度を最初に求めようとしたのは、イタリア人ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei 1564 - 1643)です。
ガリレオの時代、光が有限の速度をもつかどうかが大きな関心事になっていました。
同時代のケプラー(Johannes Kepler 1571 - 1630 独)や、デカルト(Rene Descartes 1596 - 1650 仏)は、光は有限の速度を持たない、と思っていたようですが、ガリレイは有限であると信じ、その測定に情熱を傾けます。
彼は、光は粒子だという信念も持っていました。
彼が行った光の速さを求める測定は、今から考えると滑稽なほどプリミティブでした。
その実験は、1.6kmほど離れた位置にランプとシャッタをおいて、一方がシャッタで光を相手に送って、相手がその光を見たら相手はシャッタを開いて光を送り返すというもので、それに要した時間で光の速度を求めようと言うものでした。
実験は失敗に終わりました。
しかし、ガリレオのすごい所はその失敗にもめげず、なお、光はとてつもなく速いが有限である、という信念を曲げず研究を続けました。(その信念の拠り所は、稲妻の始点と終点が肉眼で認識できることだったらしい。)
 
● レーマーの実験
この測定は、ガリレオの没後、1676年、レーマー(Ole Roemer 1644 - 1710 デンマーク)によって行われました。
彼は、木星の衛星が木星自身によって遮られる現象(食)が、地球上の季節によって周期の変動が見られることに着目し、地球の公転距離と木星距離を割り出して、周期の違いから時間を求めて、地球と木星の距離の差で割って光の速度を求めました。
惑星間の距離を使って、やっと光の速度をそれらしい値を求めることができました。
レーマーが求めた光速は、214,000km/sだったそうです。
 
● フィゾーの実験
レーマーの実験は、測定距離を長く取ることにより光速を求める方法でしたが、シャッタを短く切る手法を使えば、それほど長い距離を取らなくても光速は求まるはずです。
1849年のフランスの物理学者フィゾー(Armard Hippolyte Louis Fizeau、1819-1896 仏)の実験は、高速シャッタの開発から始めました。
彼は、円板に歯車のような形をした切り欠きを等間隔に作り、重力の力を借りて錘で円板が一定の回転数で回る装置を作りました。
1840年代当時は、電気モータなどない時代で、正確な装置と言えば機械時計しかなかったので、フィゾーは機械時計の原理を高速シャッタ装置に応用しました。
彼の作った高速シャッタは、720ヶの切り欠きの円板があり、これを毎秒10回転で回しました。
したがってこのスリットを通る光は、
 
     1 /(720 x 10)= 1/ 7,200 秒(138.89マイクロ秒)  ・・・(Light44)
 
の毎秒7200回で点滅する光源となりました。
光の点滅時間は、切り欠きが等間隔ですから、点滅間隔の半分になり、
 
     1 /(720 x 10 x 2)= 1/ 14,400 秒(69.44マイクロ秒)  ・・・(Light45)
 
の発光時間となります。 この点滅は人間の目では見ることができません。
歯車を通った光は、ある距離 L 離れた所に反射鏡を置いておくと、反射鏡によって再び歯車に光が戻ってきます。
従って、光の測定距離は2 x Lとなります。
光の点滅の間に、2Lの距離を光が往復すると、歯車の隙間を通して光が見えるようになります。
フィゾーは、反射鏡と歯車を置く距離を正確に割り出し(8,633m)、歯車の回転数(n回転/秒)を徐々に上げていき、光の点滅の様子を観察しながらすべての光が見えなくなる歯車の回転数を求め、その回転数と距離から光の速度を求めました。
フィゾーの実験では、その時の歯車の回転数が12.6回転/秒であったので、
 
     c = 2 x 8,633 / (1/720 x 12.6 x 2) = 313,274 km/s  ・・・(Light46)
 
という結果を得ました。
フィゾーの実験には、その最初からフーコー(Jean Bernard Leon Foucault 仏、1819 - 1868)が参加していて、彼と共同して光速の測定実験を行っていました。しかし、しだいに両者の関係が悪くなります。
1950年には、彼らは別々の実験を行うようになり、得られた結果も別々に発表することになります。
 
● フーコーの実験
フランスの実験物理学者フーコー(Jean Bernard Leon Foucault、1819-1868)は、フィゾーの実験をさらにおし進めて、歯車に変え、さらに回転鏡を使って実験精度を高め、1862年に298,000km/sという値を得ました。
フーコーは、生来病弱で正規の教育を受けておらず、基礎教育は家庭教師によっていました。
フーコーは、振り子の実験者としても有名で、地球の自転を証明した人でもあります。
フーコーは、1851年パリのパンテオンで67メートルと25kgの錘による振り子を使ったデモンストレーションを行い、時間の推移と共に振り子の振動面が真上から見て時計方向に回転していることを示しました。
フーコーはまた、ジャイロスコープの発明や、天文学で使う反射望遠鏡の検査手法、シュリーレン手法をあみ出しました。
 
● マイケルソンの実験
アメリカの物理学者マイケルソン(Albert Abraham Michelson、1852-1931:生まれはプロイセン。2才の時両親と共にアメリカに移住)は、光の干渉原理を利用して極めて精度の高い光速の測定に従事しました。
彼は、アメリカの海軍兵学校を卒業し数回の航海の後に母校の物理学講師となります。
1880年から1882年(28才〜30才)に、ドイツ、フランスに留学し、ヘルムホルツらに師事しました。
干渉計は、その時に発明されます。
彼の研究は、一貫して光速の精密測定に関連したものでした。
彼はその中で、エーテルの存在を客観的に否定するデータを出し、彼が作り出した超高精密のマイケルソン干渉計は、実験物理学上の大きな功績となりました。
1882年、30才の年に発明した干渉計で、メートル原器を測定しました。
彼は、この結果より、長さの基準であるメートル標準を従来のメートル原器から光波長にすべきことを提案しました。
それは、彼の死後30年ほど経った1960年に実現しました。
マイケルソンは、干渉計の考案とそれによる分光学、及びメートル原器に関する研究で、1907年にノーベル物理学賞を受賞しています。
この授賞は、アメリカ人として初めての授賞でした。
マイケルソンは、回折格子の製作にも貢献しました。
 
 
 マイケルソンが発明した干渉計(上図)について説明します。
マイケルソンが干渉計を発明した時代には、レーザなどありませんでした。
光の干渉縞は波長依存性が高いので、使用する光源を単一波長に近付けるため、使用する光源をプリズムで分光して単一波長を取り出しました。
波長選択スリット(S)より射出する光は、コリメータレンズを介して平行光となり、半透明鏡(G1)によって二つに分岐します。
分岐した光は、それぞれの反射鏡(M1)(M2)に入射し、もと来た光路を帰り、再び半透明鏡(G1)で会して観察視野に入ります。
観察視野では、二つに分けられた光路の長さの違い(L)によって干渉縞の数が増減します。
 その関係は、
 
     L = N * λ / 2  ・・・(Light47)
      L: 鏡M2の移動量
      N: 干渉縞の増減の数
      λ: 光源の波長
 
で示され、使用する光源の波長と干渉縞の数がわかっていれば、被検定鏡(M2)の移動量がわかります。
この方法を用いて、1895年、カドミウムのスペクトル線を標準光源としてメートル原器の長さが測定されました。
 
● 現在の1メートル
 光の速度を、なぜ高精度に求めなければならないのでしょうか。
これには、物理学的な理由と光学的な理由があります。
物理学の世界では、基本的な量である質量、電気、磁気、エネルギーが光速を仲立ちとして密接に結びついています。
アインシュタインが定義づけたエネルギー(E=mc2)などが好例です。
光速は、物理学で今や根幹をなすものなのです。
光速の精度が上がれば、関連づけられた単位の精度も上がるのです。
工学的な観点からも、光速は大事なものです。
光が、長さを定義づけるまでになっているからです。
メートル原器で定義された長さも、1984年10月の国際度量衡委員会総会で、次のように決定されるまでになりました。
もっとも、1960年では、1メートルはクリプトンの同位体の発するオレンジの波長から求められる、と定義されていました。
24年の短い間に次のように変更されたのです。
 
     『1メートルを光が真空中を299,792,458分の1秒の間に進む長さとする』
 
この定義のすごい所は、メートルそのものが光速(299,792,458m/s)の数値を採用していることです。
光速が長さの根本になるくらいに安定していてかつ精度良く求められていることです。
この定義をもとにして、実際にはどのように1メートルを求めているのでしょう。
長さを求める例を挙げると、次のようになります。
ヘリウムネオンレーザとセシウムの同位体133Csを用いた原子時計(9.2ギガヘルツ)との組み合わせでビートを発生させ、ヘリウムネオンレーザの発振周波数を精密に測定します。
原子時計は、原子の共鳴で発振するもので、その原理はレーザの発振と極めて似ています(AnfoWorldオムニバス情報3-標準化、【時間】参照)。
その発振誤差は、30万年〜160万年に1秒というものです。
その時間と光速をもとにして、ヘリウムネオンレーザの波長を正確に求めることができます。
ヘリウムネオンレーザ光の波長が求まれば、長さの単位が求まり、波長の数を数えれば、希望の長さが求まります。
今後、実際の長さを求める手法に、もっと信頼性の高い方法が現れるかもしれません。
その時のために、国際度量衡委員会は、手法で長さを縛るのではなくて、光速を拠り所として長さを定義し、その手法は時代にまかせるとしたのです。
いずれにしても、光速が普遍であり、信頼性の高いものであるが故に長さの基準に光が採用されたことは間違いないところです。
 
 
 
 
 
レーザ光の強さ(Light Intensity of Lasers) (2000.12.21改)
つぎにレーザ光について、レーザ光が照らす面の照度、光束の値について考えてみましょう。
レーザ光は、レーザポインターなどでご存じのように光の放射の指向性が強い発光体です。
上で述べたような、光度とか輝度のような考え方は適用し難い光です。
レーザを光度(カンデラ)表示することはまずありません。
光度の単位表示する背景には光が四方八方に拡がるという暗黙の考えがありこのイメージにレーザはほど遠いのです。
また、輝度という考えも適当ではありません。
レーザの光は、1mm程度の光の線のようなものです。
輝度はある面積から完全拡散面を想定した光の広がりをもった光束の密度を言いますから指向性の強いレーザ光では輝度という考え方も適応できません。
しかし、レーザ光をレンズで広げて白い紙に照射すればその部分は明るくなり照度としての値は出せそうです。
この項では、レーザ光を照度として見た場合にどのくらいの明るさになるかを考えてみます。
(レーザについては、別の項で詳しく触れていますのでそちらを参考にしてください。)
 
He-Ne(ヘリウム・ネオン)レーザは、波長632.8nmの赤色発光です。
通常ヘリウムネオンレーザは、1mW〜100mWの光出力を持ちます。
ここでは10mWの光出力について考えます。
これを前式を使ってレーザの出力光が何lm(ルーメン)に相当するかを求めます。
上の図の比視感度曲線より波長630nmの比視感度が、555nmの0.29倍であることがわかりますから、
 
     0.29 x 683 lm/W x 10 x 10 -3 = 1.97 lm  ・・・(Light48)
 
という値が導きだされ10mWのヘリウム・ネオンレーザー光は約2ルーメンの光束に相当することがわかります。
同じ10mWの光出力でもアルゴンレーザの場合は、緑の発光(511 nm)であるので 赤色ヘリウムネオンレーザより2.5倍比視感度が高く、約5 lmの光束となります。
ヘリウムネオンレーザのビーム径は約1mmであり、レーザー出力10mW、ルーメンで言い換えると約2 lmの光がほぼ平行に放射しています。
これを照度に換算するには、光束を放射される面積(m2)で割ってやれば良いので
 
     2 lm/(25πx10-8m2=2.5x106 Lux  ・・・(Light49)
 
となり、かなり明るい赤色ビームであることがわかります。
これを光学レンズで拡げてφ100mmのビームにすると面積で10,000倍に拡がるので、照度は250luxとなります。これからわかるように10mW程度のレーザではビームイクスパンダで光を拡げてやると室内光程度の明るさになってしまいます。
参考までに、真夏の太陽光は100,000lux程度の照度をもち、口径φ50mmの虫メガネでφ1mmに集光させると、
 
     100,000Lux(=100,000lm/m2)x(25x10-32 x π m2 = 200lm   ・・・(Light50)
     100,000Lux x (50/1)2=250,000,000 Lux   ・・・(Light51)
 
となります。これは、10mW ヘリウムネオンレーザのφ1mmのビームより100倍も強力な光になります。
 
 
前項でも触れたように、レーザ光はビームを拡げてしまうと強い光になりません。
随分とたくさんの電気エネルギーを消費しながらほんのわずかの光学エネルギーしか取り出せない(電気エネルギー変換効率が悪い)レーザがもてはやされる理由は、他の光源にはない特徴があるからです。
その特徴を以下に述べます。
(レーザの詳しい説明はレーザ(LASER)の項を参照下さい。)
 
【レーザ光の有効性】
 
   1. 発振波長が正確にわかるため光反応、ドップラーシフト、ラマン反応などの履歴が取りやすい。
     ・ドップラーシフト : 高速飛翔体に光を照射すると当てた光の波長とは違う波長で反射する。
     ・ラマン反応 : 化学反応時、反応化学種に特定波長のレーザ光を照射すると化学種が励起し
      エネルギー準位を戻すときに化学種特有の光発光を伴う。
      したがって、検出したい科学種に反応する波長のレーザ光をあてて反応を見る。
   2. 発振波面がそろっているため光の干渉性が高くこれを積極的に利用して発振波長単位での計測が可能。
   3. 直進性が良いため、ミラーなどの光学部品の位置決めが容易。
   4. 単色光のため色収差を心配することなく、安価な光学部品で光を拡散、集光、シート光にすることが可能。
   5. 光のピークエネルギーが強い(YAG、エキシマー、銅蒸気レーザなど)ので、金属、非鉄の材料加工用熱源に使用。
 
我々の扱う高速度カメラは、通常の散乱光照明で10,000ルクス〜1,000,0000ルクス程度の光量が必要で、かつ広範囲にわたる照明が必要なためレーザ光源は適当ではありません。
レーザシャドウグラフ、レーザシュリーレンなどの透過光撮影では、上記の3.、4.の利点が使えるため利用価値が高いといえます。
 
【レーザシャドウグラフの光源】
自動車などの内燃機関のエンジン燃焼で使われるシュリーレン手法やシャドウグラフ手法ではレーザを点光源に見立てたレーザシャドウグラフという撮影手法が幅広く使われています。
レーザーシャドウグラフの場合、10mWのヘリウムネオンレーザでどの程度の短時間露光が可能かを検討してみましょう。
レーザは、光の出力エネルギーが正確に把握できるためフィルム面(やCCDカメラ撮像面)に到達する光量を計算することができます。
一方、感光フィルムや CCD 撮像素子では、像面での適性露光量が決まっていて、ASA(ISO)100のフィルムで 0.1 Lux・秒、CCDカメラで1/160 Lux・秒となっています。
これは、ASA100のフィルムを使えば 0.1ルクスの像面を照らす照度でシャッタ速度を1秒間にセットすれば適性露光が得られることを示しています。
また、1ルクスの照度でフィルム面に光が当たっていれば、1/10秒の露光で適正露光濃度が得られることを示しています。
10mWのヘリウムネオンレーザを使って光学系でカメラ像面上でφ6mmの径にレーザ光を結ばせたとき 、2ルーメンのレーザ光束は、
 
     1.97ルーメン / 9π x 10-8 m2 = 69,700 ルクス  ・・・(Light52)
 
の照度を得ます。
しかし、レーザは、光学レンズ、被写体を透過して撮像面に到達するためこの間の吸収を加味しなければなりません。
この光学系で50%の吸収ロスがあると仮定すると、像面は、
 
     69,700 ルクス/ 2 = 34,900 ルクス  ・・・(Ligh53)
 
の照度となります。
ASA100のフィルムは、0.1 Lux・秒で適性露光になるのでこの値から必要な露光時間を求めると、
 
     0.1 Lux・秒 / 35,000 Lux = 2.9 x 10-6 秒  ・・・(Light54)
 
となり、3マイクロ秒の露光でASA100のフィルム面が適性露光となります。
CCDカメラではさらに、ASA(ISO)100のフィルムの16分の1の露光時間で適正となるので、 200ns(0.2マイクロ秒)を与えれば良いことになります。
いずれにしても、レーザ光を用いると光学系のセッティングが容易で効率良く光を導くことができ、比較的微弱な光でも3マイクロ秒程度の露光を満足できる点が興味あるところです。
 
 
 
 
 
 
 
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自然現象に見る光の性質(Light properties appeared in Nature Phenomena) (2003.12.21)
自然界には、光にまつわる様々な現象が現れます。
古代の人々にとっての光は、天からの恵みであり神そのものではなかったでしょうか。
茜色の夕焼け空や、紺碧の空、など太陽の光が形作る自然界のスペクタクルは魂を揺さぶるほどの感銘を受けます。
そうした自然に接する時、ふと疑問に思うことがあります。
 
 空は何故青いのか? 
 夕焼けは何故おきるのか? 
 雲は何故白かったり黒かったり赤かったりするのか?
 虹は何故起きるのか?
 呼び水や蜃気楼は何故起きるのか?
 日食や月食は何故起きるのか?
 カミナリはどのくらいの光を放つのか?
 太陽の回りにできるハロー現象はどうしておきるのか?
 極地に降り注ぐオーロラの正体はなにか?
 雲海の彼方に見えるブロッケン現象やセント・エルモの火はどうして起きるのだろう
 
こうした自然界に見られる不思議な現象を古来の人達は神の意向ととらえてきました。
しかし、16世紀あたりから光を熟知した科学者によって現象を科学的に突き止めていく試みがなされます。
 
 
光の直進(Straight Line Motion) (2004.01.04)
光の大きな特徴の一つに、真直ぐに進む性質があります。
もちろん、光は反射したり屈折しますし、散乱や回折、吸収も起きます。
しかし、光の一番の大きな特徴は、まっすぐに進むことなのです。
この大きな特徴の下に屈折や反射があると考える方が素直です。
光の直進のおかげで太陽からのエネルギーが地球に降り注ぐことができ、何千光年かなたからの光も地球に届くのです。
この性質は他の電磁波よりも強い性質です。
地球から1億5000万キロメートル離れた太陽の光が地球に降り注ぐ際に物体にあたった光はしっかりとした陰影を作ります。
この事実は光が真直ぐに進んでくることをハッキリと示しています。
2003年11月23日には南極で皆既日食が現れました。
日食は太陽と地球の間に月が入り、太陽光を遮り地球に月の影を落とすと言うものです。
この現象は、光が直進する事実をはっきりと示しています。
天体の運行が計算によって認識されるようになって太陽、月、地球の位置関係が特定されるようになると、はっきりと日食、月食の日時が特定されるようになりました。
 
■ コロンブスと月食(Lunar Eclipse of Columbus)
月食で思い出されるのは、アメリカ大陸を発見したコロンブス(1451-1506: Christoper Columbus, イタリア人船乗り)が、月食の事実を知っていて航海の災難を免れたことです。
コロンブスは、1492年にアメリカ(西インド)を発見しましたが、1502年5月、第4回目の航海で難破しジャマイカ島に回航しました。
スペインに帰る機会を待ちながらジャマイカで暮らすうち、彼等に食料などを供給していた土着人らが彼らを疎んじはじめました。
最初のうちは、スペインから持ってきた品々を物珍しがって、喜んで食料と交換していた土着人もそれに慣れるうちに珍重しなくなったのです。
食料に事欠く事態に陥ったコロンブスは、彼の天文学の知識を利用してこの危機を打開しました。
その天文知識と言うのは、1504年3月1日に月食が起きることで、彼は、ジャマイカ人の酋長を集めて、もしお前たちが心を改めずに我々を餓死させるのであれば、神はお怒りになり、月の色を変え光も消し去るであろう、と宣言しました。
酋長の中にはこれをあざ笑うものもいたそうですが、予定通り月食が起き、光を失った月を見た原住民は恐れおののき、コロンブスを神とあがめ月をもとに戻してくれるよう懇願したと言います。
コロンブスは、神にお伺いをたてる体裁をたてて難破した船室に退き、再び現れて、「お前達が約束を守れば神様は許しをたまう。その証拠に神はただちに月を再び光に満たされる」と説いたそうです。
月が再び満月になるのを見て土着人たちは喜び、コロンブスに感謝し、尊敬をしたそうです。
コロンブスは、天文知識によってこの難局を切り抜けたのです。
上の日食の原理図は、分かりやすく示したもので実際の距離間隔とは異なります。
月は、白道という軌道で地球の周りを約1ヶ月の周期で回り、地球は太陽の周りを黄道という軌道で約1年の周期で回ります。
白道と黄色の軌道が同じであれば、日食は地球上で毎月ごと新月の時に現れますが、両者の軌道は5度8分43.43秒傾いているため、新月の時に必ずしも月の影を地球上に落とすとは限らず、両軌道が一直線になったときに初めて日食が成立します。
両者は年に2回軌道が交叉する時期があり、この時地球上のどこかで必ず日食が見られます。
2回の周期はおおよそ6ヶ月です。
両者の軌道が一直線になるのは約18.6年の周期(サロス周期)で、この周期で両者の軌道は徐々に狭められたり広くなったりして逆行運行をくり返しています。
従って、年に2回起きる日食の間隔が1月と7月から3月と9月というようにサロス周期の間に移動しながら再び戻ってきます。
月は、地球の周りを楕円軌道で回っているので、地球に落とす影の位置が変わり、月が太陽をすべて隠す皆既日食が起きる場合と、月が小さくて太陽をすべて隠せない金環食が現れます。
また、上の図では、地球が作る影が大きくて月が地球の影に入る確率が多くて月食が頻繁におきそうな図になっていますが、実際は地球の影は月の位置に対して狭いので頻繁にはおこりません。
むしろ、日食より月食の起きる確率は低いのです。
しかしながら、月食は日食にくらべて月食の見られる地域が広いため、月食が起きればほとんどどの地域でも見られるため、感覚的に日食より月食の方が多く見れる感覚にとらわれます。
 
■ 点光源
光が直進する原理を応用して、一点から放射する光を作りあげるといろいろな面白い機器が作られることが分かってきました。
顕微鏡に使われる光源は、照射する対象が小さいために効率良く光を集める必要があります。
光を絞って照射する場合には、元になる光源は集光性の良い点光源が必要であり、しかも密度の高い光である必要があります。
灯台に使う光源は、遠くに光を飛ばすため、光の密度の高い点光源が使われます。
映画を写し出す映写機の光源も、液晶プロジェクタも基本の光学設計は点光源をもとにしています。
これらは、光が直進するという前提で光学設計を行っています。
シャドウグラフ、シュリーレン撮影で使用される光源にも点光源が使われます。
精度のよい点光源を用いることによってきれいなシュリーレン像を得ることができます。
光の干渉を利用する光学測定装置には、干渉を起こしやすい単一波長と共に点光源からの光を広げて精度の良い測定ができるようになっています。
 
■ レーザ光
レーザ光は、光が直進する理想的なものです。
大型建造物の位置出しや測量にレーザが利用されるのは、レーザに強い指向性があり直進する力が強いからです。
光は、どの光でも直進しますが、弱い光だと到達距離が短く、ビームも広がってしまい精度が上がりません。
米国NASAのアポロ計画では、レーザを使って月に置いてきたレーザ反射装置に向けて地球からレーザを発振させて、その往復する時間で、地球と月の距離を精度よく測定しました。
この事実を見ても、光がいかに精度よく直進し、おまけに一定の速度で進んでいるかの証になります。
レーザの詳細は、本ホームページ「光と光の記録 - レーザ」の項目を参照ください。
 
■ 光の速度
光が一方向に真直ぐ進む性格と同時に、一定の速度で進む速度は光の大事な特性の一つです。
光がどのくらいの速度で進むかと言う問題は、光を研究する科学者たちの大きな関心事であり、多くの人達の研究により精度の良い計測手法が考え出されました。
詳細は、「光速と長さ」で触れています。
光の進む速さは、我々の生活ではおそらく体験することのできないほどの速さです。
音でしたら、やまびことか、救急車の警笛音、雷の稲妻と音のズレなどで音の伝播速度を体験できます。
しかし、光はあまりにも速いため現実に体験するのは困難です。
それでも天文分野では、光の速度は有限的な値となります。
月から地球まで到達する光の時間は1.3秒であり、太陽の光は8分18秒かかって地球に到達します。
宇宙の距離は、光が一年かかって進む距離で表し1光年と呼んでいます。
別の観点から見ますと、それほど、光の進む速度は安定しているのです。
光の速度は究極的なものかも知れません。
光の安定した速度をもとに、長さの基準を光を用いて規定するようになりました。
 
■ 長さの基準としての光
上でも述べたように、光は真直ぐに進み、しかも速度がとても安定しているので、1960年には、メートル原器の代わりとして長さの定義を光で行うようになりました。
1960年の制定では、クリプトン元素が発するオレンジの光を利用して長さを決めていましたが、1984年の改定では使用する光源を排除し、光の速度だけで定義するようになりました。
レーザが発明されてクリプトンの光を使うよりもより簡便に精度よく長さが割り出されるようになったからです。
有効数字9桁まで測定されています。
この有効数字9桁が現代の工学(光学のみならず工学、物理学)の大切な基本の一つとなっています。
詳細は、「光速と長さ」を参照ください。
 
■ 幾何光学
レンズの設計は、光の直進を大前提としています。
光が直進する性質は、光学設計を行う上で幾何学が非常にうまくあてはまりました。
西洋科学が発達する過程でレンズが登場し、プリズムができ反射鏡が出来上がります。
その過程にあって光を幾何学的に扱ったのはドイツの天文学者ケプラー(Johannes Kepler, 1571-1630)です。
彼は、ガリレオの発明した天体望遠鏡に触発され、望遠鏡のレンズ系の研究を行いました。
その研究成果が1611年、「屈折光学(Dioptrik)」として表されました。
ケプラーは、自分では望遠鏡を作りませんでしたが、シャイネル(Christoph Scheiner, 1575-1650) という人がケプラー式天体望遠鏡を作りました。
ケプラー以後、17世紀になって、光の幾何学理論がフェルマ(Pierre de Fermat, 1601-1665)、スネル(Van Roijen Willebroad Snell, 1591-1626)、デカルト(Rene Descartes, 1596-1650)らによって基礎づけられます。
スネル、デカルトらは光線の反射、屈折の法則を確立し、フェルマは一般的な光線通過に関する原理(フェルマーの原理)を発見しました。これらの基礎は現在のレンズ設計においても幾何光学として生き続けています。
デカルトが考え出した平面の直交座標をデカルト平面と呼んでいます。
デカルトは幾何学の集大成家として知られています。
 
 
光の反射(Light Reflection) (2002.12)(2004.04.12追記)
光の反射は、我々の日常でよく見られるものです。
水面に反射する風景や太陽は光の反射の代表例です。
鏡に映った自らの顔や形も光の反射によって起こるものです。
また、物体が物体として見えるのも実は光の反射によるものです。
鏡のようにきれいに反射するものと違って、通常物体は表面で光を四方八方に反射します。
これを光の散乱とか乱反射と呼んでいます。
ツルツルの紙は表面が滑らかなので比較的規則正しく光を反射させるので光を与える光源部が明るく光るスポットとして見えます。
タオルなどのように表面が毛羽立っているものは光が散乱しやすいので艶のない面になります。
 
 
物体には光を選択的に透過(吸収)したり反射させたりする性質があります。
すべての光を反射する物体は白色となり、赤い色を吸収しやすいものは青く見えます。
すべての光を吸収する物体は黒色に見えます。
光の反射は、光の直進の性質からとらえると分かりが良いかも知れません。
光は直進性の強い波であるために、媒質の違う場に入る時に、媒質に阻まれて光が直進できず反射されます。
穏やかな池の水面に石を投げ入れると、波面が放射状に広がり池の縁で遮られて反射を起こすように波としての光はそうした反射の性質を色濃く持っています。
光の反射は幾何学的な作図によって簡単に光の進む方向を求めることができます。

 

 
 
 
 
■ 通り抜ける光、捕捉される光
昔から不思議であったものの一つに、
 
  空気はなぜ光を透過させるのだろう、固体にあってもなぜガラスは光を透過させるのに鉄は光を透過させないのだろう?
 
というのがあって、ずっと疑問に思っていました。
それ以前に、光という波は、振動を伝える媒質がない空間(宇宙)をなぜ進んでくるのかもわかりませんでした。
これは偉い学者が喧々諤々論じあってきた命題で、年端も行かない少年が理解すること事態難しいことだと今になっても思います。
それはさておき、固体中を通過する光にとって透過する物体と透過しない物体があるのは何故なのか、このことは身近に感じるとても不思議な現象でした。
透明な物質は、すべての電磁波を透過させるかと言えば、そうではなくある限られた電磁波を透過させるに過ぎません。
例えば、ガラスなどは、可視光を良好に透過させますが40nm以下の波長の短い紫外線は透過せず、1000nm以上の長い波長も透過しません。
X線は不透明体である金属を透過します。
 
▼ 原子(分子)と光
光が物質を透過する際に、まず理解しておかなければならないことの一つとして、光は大きさがないことが挙げられます。
そして、光は質量をもたず、電気的な性質もありません。
光は大きさがない反面、エネルギの固まりとしてとらえることができ、光子という塊として数えることができます。
方や光を遮ったり透過したりする物質は、原子核と電子で成り立つ分子で概ね説明できます。
原子の大きさは、原子核を取り巻いている電子の距離によって決まります。
原子核と電子の距離は、原子核の大きさや電子の大きさに比べると驚くほど長い距離になっています。
大きさを持たない光にとっては、原子(分子)は簡単に入り込むことができるものであり、素通しできる存在なのです。
それが、物質によって遮られるのはなぜでしょうか。
 
    そこには、電子が光(エネルギ)を捕縛するという事実があります。
 
電子と光はとても仲がよくて影響を及ぼしあっています。
分子を構成する電子が光を捕縛したり跳ね返したりして光の透過、反射がおきているのです。
 
▼ 光と電子
電気の根元である電子については不可解な振る舞いが多く、全容はわかっていません。
電子はおどろくほど小さくて、現在のどんな顕微鏡を使ったとしても見ることができません。
電子関連の本を読んでも、電子の属性として電荷[クーロン]、質量[グラム]の説明はあるものの、大きさについて触れているものは少ししかありません。
電子の振る舞いは雲のようなものでぼやけているそうです。
原子の周りを回っている電子は、原子核からの距離は特定できるものの(その距離で原子の大きさが決められる)、電子1個の大きさはわからないそうです。
ちなみに電子の重さは分かっています。
電気量もわかっています。
しかし、電子一個の大きさはわかっていない。
電子が少ない時の電子の振る舞いは、粒子より波としての性質が強くなり、電磁波の領域に委ねなければならないようです。
原子の大きさは、おおよそ1億分の1センチメートル(0.1nm)で、原子核の大きさは数兆分の1センチメートルと言われています。
この両者比は1/20,000〜1/30,000になります。
約80mmの野球ボールを原子核になぞえると、電子は1,600メートル〜2,400メートルの遠い軌道を描いて取り巻いていることになります。
この観点から見ると、原子は隙間だらけの空間が存在し、(相対的に)広い空間に原子核が点在していて、その周りをせわしなく電子が取り巻き、原子核との量子力学的なバランスを保っていることにります。
そうした原子核を取り巻く電子と、身の回りに溢れる光は密接に結びついています。
光のエネルギは、電子の活動を活発にし、物質を構成している原子の周りを回っている電子にエネルギを与えます。
また、電子は光エネルギを放出しながら原子の周りを回る凖位を落としています。
そう考えると、電気を流さない物質は光の吸収も起きないため、透明かもしくは白色である傾向があることが理解できます。
透明と言うのは光が複雑な屈折や反射を起こさずに進むことで、白色であると言うのは複雑に屈折したりはねとばされ反射したりすることです。
がラスは電気的に安定しているので電子を流すことができません。
ですから光エネルギも吸収がおきずに透過すると考えられます。
碍子も絶縁物です。
こちらは内部の結晶粒塊が複雑にからみ合っているために、光は吸収しないものの複雑に屈折するために白く見えます。
氷も水が固体になったもので絶縁体ですから電気を通さず可視光も水分子の電子に作用することがないので透過します。
氷の結晶の並びがよくないと、結晶粒塊の境界で複雑な屈折、反射が起きて白くなります。
ガラスが透明なのは、がラスは結晶体ではなく液体(理解に苦しむかも知れませんが固体化した液体、固溶体と言います)だからです。
金属は、銀白色のいわゆる金属色をしていますが、この物質は周りに電子がありすぎて、しかもそのエネルギ準位が高いため光エネルギをほしがりません。
それに原子も重く密度も高いため、入射する光は金属の表面で弾き飛ばされてしまいます。
金属が光るのはそのためです。
 
▼ 炭素(Carbon)
炭素は光にとっておもしろい物質です。
炭素の粉は真っ黒ですが、きちんと配列した炭素結晶のダイヤモンドは透明です。
ダイヤモンドは、炭素元素の共有結合を受け持つ4つの電子の手をすべて原子同士が共有して結合しているため、原子間配列が極めて良好でありとても堅牢な結晶体です。
このため外部から電子が入ることがありません。
したがって、ダイヤモンドは良好な電気絶縁物となり、しかも光エネルギーもほしがらない透過体となっています。
ダイヤモンドは、さらにおもしろいことに、赤外エネルギについても結晶格子の振動となってすみやかに伝達します。
自由電子の多い金属銅が、電子によって熱エネルギーを伝導しているのに対し、ダイヤモンドは銅金属よりもすみやかに熱を伝えます。
したがって、ダイヤモンドの熱伝導率はあらゆる物質の中で一番良好だと言われています。
 
炭素は、反面、炭素棒と呼ばれる黒い棒については電極に使われているほどに電気をよく通します。
炭素棒は黒いので、光を吸収します。
炭素棒は、炭素原子の持つ4つの電子の手のいくつかが開いているため電子が光を捕捉しやすい性格を持ちます。
黒鉛(グラファイト)という炭素分子は、平面状に六角形の網目状の原子結合していますが、立体構造をしていないために滑りやすく平面膜のような組織です。
従って、電子の手が上下方向にあいていて自由がきくので光エネルギも捕捉して(電子が多い場合は光を受け付けないので反射します)黒い金属光沢の物体となります。
もちろん電子も自由に移動できるので良好な電導体となっています。
  
炭素結晶でおもしろいものに、C60フラーレン(Fullerene)という球状分子があります。
フラーレンは、ちょうどサッカーボールのように六角形と五角形を交互に組み合わせた球形の形をしたもので、炭素原子60個で構成されています。
フラーレンは、1985年に発見されました。
発見した英国サセックス大学クロート(Harold W. Kroto:1939 -)と米国ライス大学スモーリ(Richard E. Smalley:1943 -)及びカール(Robert F. Curl:1933 -)は、1996年にノーベル化学賞を受賞しました。
C60フラーレンは、60個の炭素原子で分子を形作った球状結晶であるために物性上はとても強固で固い特性を持っています。
しかし、分子を構成する炭素原子は、隣り合った3個の炭素原子と共有結合をしている反面、本来4つの電子の手を持つ炭素原子であるため一つ余ったままの分子構造となっています。
つまり、フレーランは、機械的にはとても強くそして電子的(化学的)にとても活発な結晶と言えます。
従って、フラーレンは電子の手が余っているため光を捕縛し、グラファイトのように黒い物体となり電気も良く通す性質を持ち合わせているのです。
 
こうした事例から、光を通す物質は、電気を通さない物質が多いことが理解できるでしょう。
(左図、フラーレンイラスト提供:京大ベンチャーズ 「サイエンス・グラフィックス(有)」殿 http://www.s-graphics.co.jp/
 
▼ エネルギギャップ(Energy Gap)
光(電磁波)が媒質を透過する場合にはエネルギーを吸収することはありません。
物質は光を散乱させるか透過させるかのどちらかになります。
半導体レーザの所でも触れていますが、光はエネルギーであるために物質に作用します。
光のエネルギーは波長によってエネルギーの強さ(光子 hν)が変わり、電子と相互作用を持ちます。
光エネルギーが原子や分子の周りを取り巻いている電子に作用すると、光エネルギーは電子によって奪われるので媒質によって吸収が起きてしまいます。
光エネルギーの吸収が起きない場合は、光エネルギーは透過したり散乱(反射)を起こします。
光エネルギー(E)を吸収する度合いは、物質のエネルギギャップ(Eg)に依存します。
光が透過するということは、その物質のエネルギギャップ(Eg)が光エネルギー(E)に対して高いことを意味しています。
 
     E(=入射光) < Eg(=物質のエネルギギャップ)  ・・・(Light55)
 
例をあげると、窓ガラスの主成分はケイ素で、水は酸素と水素でできています。
これらの物質は可視光の持つエネルギ(光子エネルギhν)よりも大きいため、相互作用をすることなくエネルギーを通過させてしまうので透明に見えます。
しかし、波長の短い紫外線は光子エネルギが大きいので吸収が起きて透過を阻止します。
ちなみに、X線は多くの物質を透過します。X線はエネルギ(光子 hν)が強いので上式の観点からすると物質で吸収されそうに思われますが、X線は吸収される以上にエネルギが強いため電子を弾き飛ばして突き進んでしまいます。
電子が弾き飛ばされた原子は、電子がなくなるためにイオン化されます。
逆に光子エネルギの小さい赤外線は、X線と異なり波の性質が強くなるため、原子(分子)自体を振動させる(格子振動)現象を起こし透過しづらくます。
赤外線を良好に透過させる物質には、石英、結晶塩化ナトリム、シリコン、ゲルマニウム、サファイア、フッ化カルシウム、フッ化リチウムなどがあります。
 
■ 鏡(Mirror)
鏡(Mirror)は我々の生活には馴染みの深いものです。
自らを映してみる手っ取り早い方法は鏡を使うことです。
昔の人達は良い鏡がなかったので穏やかな水面に姿を落として陰影を映し出していたのかもしれません。
鏡は、光の入射と反射角度が等しいという法則を利用したものです。
平面の整った金属面を細かく磨き、細かな凹凸を取り除くと鏡面が出来上がります。
鉄や銀などはすぐに酸化して反射が鈍くなりますが平面ガラスの裏側に銀を塗布して酸素を絶つと保存の良い鏡ができます。
現在の鏡は銀に換えてアルミを蒸着させて鏡を作っています。
鏡をつくる反射膜としては
 
  銀(Ag)、アルミニウム(Al)、金(Au)、ロジウム(Rh)、銅(Cu)、チタニウム(Ti)
 
などがありますが、金以下では可視光領域での反射率が高くなく吸収が多いのであまり使われません。
最近では、可視光のみを反射するだけでなく特定の波長を反射するフィルターミラーや光学系などにつかう半透明鏡(ハーフミラー)などの要求も高まっています。
 
【保護膜】
アルミニウムは非常に酸化しやすい金属です。
アルミニウムで鏡を作ると酸化膜で鈍い鏡面になってしまうので表面に保護膜をもうけて鏡面の劣化が進まないようにしています。
・Al2O3 - 酸化アルミニウムはアルミニウムの表面保護に使われています。
      アルミニウムの酸化を逆手にとった手法です。
      酸化アルミニウム(Al2O3)はアルマイトとも呼ばれるもので、
      薄膜構造が非常に緻密で2〜3nm以上には酸化が進まない性質をもっています。
      これを電気処理で厚い酸化被膜にすると黒いアルマイト処理になります。
・MgF2 - 酸化アルミニウムは、紫外領域に吸収があるので、紫外線の反射ミラーには
      フッ化マグネシウムを使用します。製作には、真空中でアルミニウム蒸着で
      ミラーを作り、そのままの状態で保護膜を蒸着させます。
・SiO - 酸化シリコンは、蒸着しやすく膜自体が丈夫なので保護膜として一番よく使われます。
 
▲ リフェクスミラー(REFEX miror) (2005.08.25)
薄い膜(フィルム)でできた反射鏡です。
ガラス基板を使ったミラーに比べ格段に軽いので、大形ミラーを設置する場合に威力を発揮します。
 
  
■ 反射板(Reflector) (2003.01.14)
車で夜道を走っていますと、交通標識などが明るく光って見えることがあります。
別にランプが埋め込まれているわけでもないのにかなり明るく光ります。
交通標識からの光は、ヘッドランプなどが照射した光が当てた方向と同じ方向に強い指向で反射していることによるものです。
この標識のことを視線誘導標と言っています。
標識に使われる材質の反射特性には一定の基準が設けられているようです。
このような標識には、光の反射作用を利用したコーナーキューブ、マイクロプリズム、マイクロビーズを使った反射シートが使われています。
 
ミラーを直角に立てて2面のミラーを作ると、入射した光は同一面上でもと来た方向に戻っていきます。
3つのミラーを用いてそれぞれ直角にした立方体を作りますと、入射した光は同じ方向に反射して戻っていきます。
この3面のミラーを用いた反射体をコーナーキューブと言っています。
レーザ測距などでターゲット部にコーナーキューブをおいて離れた位置からレーザを照射して反射されて帰ってくるレーザ光で位置や、距離を求めます。コーナーキューブを小さくして面状にちりばめたものがマイクロプリズム式の反射板です。
 
▼ 再帰性反射(Retroreflection):
入射した光がもとの方向に反射されることを再帰性反射(Retroreflection)と言います。
反射板のカタログを見ていますと面白いことに気がつきます。
反射性能を示す値として、今述べた再帰性反射を表す値 Ra = coefficient of retroreflection が表示されているのですが、この値の単位がcd/m2/luxになっています(cd/lux/m2となっている資料もあります)。
この値は、一般の人でも、またある程度光学に精通した我々にもよくわからない値です。
こういうあまりわからない単位をこれ見よがしに出されてもドギマギしてしまいます。
この値は、色彩に関する規格を策定しているCIEと呼ばれる機関が作ったCIE Publication No.54(TO-2.3)に従って測定されているようですが、その測定の仕方も単位の取り方もよくわかりません。
数値からみると入射光と反射光の角度が狭いほど大きな数値となっていて、300-500ほどの値となり、角度が広くなると低い値の100-150程度になります。
これは私の想像の域を出ていませんが、白い紙をおいた時の反射輝度と反射板をおいた時の再帰性反射輝度の比が再帰性反射値(coefficient of retroreflection)になっているものと思われます。
入射光をルクスで表して、入射光による反射輝度をcd/m2で表し、その比を取るためにcd/m2/luxとなっているものと考えられます。
照度E(ルクス)の入射光を入れて反射率100%の白い紙に照射させますと、白い紙によって反射される光の輝度は、(5)式で述べた
 
     B1 = K1 x E / π = E / π    ・・・・(Light5)(前述)
       B1:輝度(cd/m 2
       K1:物体の反射係数、白い紙は100%反射で1.0
       E:照度(ルクス)
       π:円周率(3.14159)
 
となります。これを書き直すと、
 
     E = π x B1  ・・・(Light56)
 
が導かれます。
この入射光の条件で反射板を置き換えて反射輝度を測定し、B2(cd/m 2)という値が求まりますと、B2は、(5)式と同じ入射光から得られていますから、
 
     B2 = K x E / π    ・・・・(Light5)(前述)
 
となります。
再帰性反射値(coefficient of retroreflection)Raは、B2と入射光Eの比とすると、
 
     Ra = B2 / E = B2 / (π x B1) = (B2 / x B1) / π  ・・・(Light57)
 
および、
 
     Ra = B2 / E = K x E /( π x E) = K /π  ・・・(Light58)
 
の両式の関係が導かれます。
上の両式は、いずれも白い紙の反射と反射板の反射の比を表しているのですが、その比にπが入っています。
πを考慮してよいのかどうかわからないのですがRaの単位から考察するとこのようになります。
従ってRaが500というのは白い紙の反射輝度より、500 x 3.14 = 1,570倍ほど明るいことを示してます。
(ひょっとしたら、単純に500倍明るいのかもしれませんが、ここの所はよくわかりません。)
この値は、いずれ調べてアップしておきます。
 
■ 光の反射・屈折の横ずれ現象 (2004.09.09)(2006.01.17追記)(2007.01.12 追記)
2004年9月9日の朝日新聞朝刊3面に興味ある記事が載っていました。
光の反射・屈折は規則通りの一定の角度で反射したり屈折したりするのが定説でしたが、産業技術総合研究所(永長直人・研究チーム長、小野田勝研究員)と東京大学(村上修一助手)のグループは、反射光も屈折光も入射位置から微妙にずれて出てくることを突き止めた、というものです。
光のズレは、光が別の媒質に入射する位置から、可視光で数万分の1ミリ(約100ナノメートル)程度入射面と同一面で進行方向に対して前後にずれるそうです。
このズレは、レンズなどの光学製品では無視できる範囲だそうですが、「フォトニック結晶」と呼ばれる特殊な素材では、通常より数十倍もずれが大きくなることをわかり、光通信回路設計に利用価値がありそうだとのことです。
この現象がなぜ起きるのかは、詳しくは触れてませんが、電磁波である光が電子と同じように「スピン」と呼ばれる回転を示す性質も見つかっているようです。
難しい考えですが興味ある記事だと思いました。
 → 2006.01.14 J.U.さんよりメールにて以下のコメントをいただきました。
この記事の内容は、グースヘンシェンシフトという横ずれ現象で、新しい事ではなく古くから知られているということです。
古いというのはどの時代のことか良く分からず、グースヘンシェンというのは人の名前なのかどうかも私には良く分かっていません。
インターネットで調べてもほとんど出て来ないものですが、追々調べて、わかった内容を追記していきたいと思っています。
光を微視的に見ていくといろいろな面白い現象が現れるものだと痛感させられます。
J.U.さん情報ありがとうございました。
→ 2007.01.12 グースヘンシェンシフトは、英語表記では Goos-Hanchen Shiftとなります。
   1947年に F. Goosと H. Hanchenが確認したそうです。
 
 
 
 
 
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光の屈折(Light Refraction) (2002.11.07)(2004.04.19追記)
私が中学校の頃、最初に光学らしいことを学んだのはガラスの屈折の実験だったと記憶しています。
厚いガラス板を白い紙の上においてガラスの向こう側に2本の虫ピンを使って任意の角度をつけて白い紙に突き刺します。
ガラスを通して反対側から二本の虫ピンが一直線になる方向を見極めて、見る方向(反対側)からも二本の虫ピンを刺します。
こうしてガラス板を取り外して、ガラスを挟んで突き刺した白い紙の上の合計4本の虫ピンの位置を定規で結んで光の光路を図式化し、ガラスによって光路が直線とならずに曲がっていることを理解した記憶があります。
その実験では実験から作図によって屈折率まで求めました。
光との関わりは、その実験の前にも虫メガネを使った拡大観察や、太陽光を集光して黒紙を燃やす実験をしましたが、学問としての実験らしい実験は初めてのような気がします。
この実験とは別に、実生活の中で水面下に落としたコインが浅い所にあるように見えたり、夏の熱いアスファルトに水たまりのような光の陰(逃げ水)ができたりする現象を体験し、これが実は光の屈折という性質であることを学びました。
当時読んでいた本の中で蜃気楼の話がでてきた時は、なんだかすごく怖い気持ちになった記憶があります。
プールに入った人の体が随分と縮んで見えたのを面白く見てました。
このように、光の屈折現象は私達の身の回りにたくさんあります。
 光の屈折や反射を扱う学問はかなり昔から体系づけられていて、幾何光学という分野を確立しました。
光の屈折を利用していろいろな光学器械が発明されました。レンズもこの恩恵を受けた人類の大きな財産です。
幾何光学という学問は、光の直進、反射、屈折だけに焦点を絞り、これ以外の光の性質(回折、干渉、偏光など)は別の課題として位置付けています。
幾何光学は、光を一つの線とする、つまり光線を図面上で扱い幾何の対象として学問づけたものです。
この学問は近代になって、それだけで光を扱える領域が狭くなってきて、古典領域という位置づけにおかれるようになりましたが、レンズやミラーなどを組み合わせて光学系を設計する場合やレンズそのものを設計する際にはなくてはならない考え方として、光学器械の設計のみならず電子顕微鏡や粒子加速器の設計などにも現在も活躍しています。
幾何光学の始まりは古く、幾何数学を唱えたギリシャのユークリッドは、自然界の一つの法則として光の直線と反射を題材にした光の幾何学性を立証しました。
光の屈折に関する研究のはじまりは、17世紀後半のルネッサンス後期と言われています。
屈折の法則を最初に突き詰めたのは、フランスの哲学者で数学者のデカルト(Rene Descartes, 1596-1650)です。
光の屈折の研究に関しては、デカルト以前1の615年にオランダのスネル(Van Roijen Willebroad Snell, 1591-1626)という人が実験データを整理してこの法則に達していましたが、どこにも公表していませんでした。
その上、デカルトはライデン大学にスネルを訪問していたことから光の屈折の法則に関する先取権が取り沙汰されました。
我々は屈折の法則をスネルの法則と習いましたが、フランスの教科書ではデカルト・スネルの法則としているものが多いと聞いています。
 
■ 虹(Rainbow)
虹は、おそらく光学の事始めとしてはとても興味ある自然対象に違いないでしょう。
あまり頻繁に現れないこの現象が、太陽の反対側の天空に架かるのを見るととても晴れ晴れとした気持ちになります。
虹は太陽が出ていないと現れません。そして同時に、太陽の反対側に雲がある(正確には水滴が浮遊している)場合に円形状に表れるのです。
日本では虹は七色と決まっていますが、私自身七つ色を数えたことはありません。
円形状に内側からと続いて見えます(実際はもう少し複雑で中央部に黒い帯を挟んだ二重の虹になりその色は対称になっているようです)。
虹は、実は空気中に浮遊する雨の水滴に太陽光が当たってその屈折によって出来上がったものです。
 
   虹は見る位置から42°の円を描いて見えます
 
これは、私は全く意に介さなかったことですが古い人達はこの事実を知っていました。
その正体を突き止めたのはフランスの数学者(正確には哲学者)デカルトです。
デカルトは、幾何学に明るく座標の概念を確立した人として有名です。
光の屈折を明らかにした初期の人としては、このフランスのデカルトとそれにオランダの数学者スネルが挙げられます。
彼等につづいて、イギリスの物理学者ニュートン(Sir Isaac Newton: 1642-1727)が「光学(Opticks)←綴りに注意!」を著しました。
彼等の研究によって光の屈折が体系づけられ、幾何光学の一応の完成を見ます。
デカルトは、光の屈折原理を説明する格好の材料として、みんながよく知っている虹を引き合いに出したのです。
 
 
彼は、虹の説明をするにあたり、光の屈折理論を用いて幾何学的に説明しました。
その説明の前提条件になったのが以下の項目です。
 
   1. 虹は、雨滴に太陽光が当たって生じる。
   2. 雨滴は球形とする。雨滴の大きさは虹の発生に関係ない。
 
デカルトは、理論式を導き出す前に模擬水滴を用意しました。
大きな球形のガラス瓶に水を見たし、これに太陽光をあてて光路の実験を行なったのです。
彼は、水の屈折率を1.337として計算し、球形内部で屈折反射して出る一次光が半径41°47'にあり、二次光が51°37'にできることを突き止めました。
デカルトは、虹の発生が太陽光と球形の水滴による屈折反射という考えを証明しましたが、なぜ虹色に見えるかは説明できませんでした。
これを説明したのが、英国の物理学者ニュートン(Sir Isaac Newton: 1642-1727)でした。
ニュートンは、1666年に白色光をプリズムによって色別に分解し、それを再び集めて白色光に戻すという実験を行って、白色光が多くの色を持った光でできていることを示しました。
ニュートンは、色別に水の屈折率を測定し虹の出来具合を特定しました。
彼は、虹には主虹と副虹の二種類があり二つの間には屈折光が介在しない領域(アレキサンダーの暗帯)が存在していて、二つの虹はそれぞれ色の順序が逆になっていることを突き止めました。
 
こうして虹の正体が自然科学の手法によって魅惑のベールを脱がされることになりました。
しかし、デカルトとニュートンの理論でも虹のすべてが解き明かされたワケではありませんでした。
虹は、プリズムで分光したときのような鮮やかな色合いに比べて褪せたようなぼんやりしたもので、時にはほとんど着色しない虹(白虹)が認められます。
また、過剰虹というもう一つの虹が主虹に隣接して下方に現れたり、時には重なって混色が起きて主虹に黄色の帯が太く現れたりすることがあります。
こうした自然現象をさらに深く突っ込んだ考察がなされました。
ニュートンらの業績を引き継いだ同国人トーマス・ヤング(Thomas Young、1773-1829)やエアリー(George Biddell Airy:1801-1892)ら第一級の物理学者らが再度自然界の虹に着目し、デカルトが当初定義した「雨滴の球形は大きさに関係なく虹ができる」という仮定を洗い直して、粒径を考慮した新しい波動光学理論(光の干渉を扱う理論)を編み出してこれらを説明しました。
ヤングは、1804年に波動光学理論を完成しますが、この完成にあたっても自然界の「虹」の解明を応用命題にしたことを思うと、「虹」がもたらした科学の恩恵は大きいものがあるな、と思わざるを得ません。
 
 
■ ハロー現象[日暈(ひがさ)、月暈(つきがさ)halo]
本項を書いている10月下旬(2002年)夜、仕事からの帰り道歩きながら空を見上げると、満ちた月に薄い雲がかかっておぼろになって、さらにぼやけた月の周りに明るい光の輪ができていました。
月暈とよばれる現象で、薄い雲を通して見える月に霞がかって月の周りに光の環をなしていました。
なお注意深くみるとその環は外側が幾分赤くなっていました。
この現象は、雲が高い位置にあって(5,000メートル〜10,000メートルにある巻層雲、白くて薄いベールのような雲。氷の粒で成り立っています)、その雲にある氷の粒で月の光が屈折を起こし光の輪を作るのだそうです。
したがって、この現象が起きるのは雲が薄くて水滴ではなく氷の粒でなければならないことがわかります。
この現象は、ハロー(Halo Phenomena)現象と呼ばれるもので氷の結晶中に光が入り屈折して出るために、月のまわり、太陽の周りの22°の半径で光の輪が生じます。
ハローは、もう一つ46°にも光の輪を作ります。
氷の結晶粒は、六角形状をしていて、氷粒に入射して反射をくり返して出てくる角度が22°と46°になります。
ちなみに、暈(かさ)を作らない雲は高層雲と呼ばれるおぼろ雲で、法則性のある光の屈折はせずに単に光を散乱させるだけのようです。水滴(球状)が42度の角度で光を屈折させて「虹」を作り、氷の粒(六角形状)が22°でハロを作るのは興味のある所です。
 
 
■ 蜃気楼、逃げ水(mirage)
私は蜃気楼を見たことがありません。
しかし真夏のアスファルトに見える逃げ水や、陽炎(かげろう)は何度か体験したことがあります。
蜃気楼は富山湾が有名です。
蜃気楼や逃げ水は、大気の密度変化による屈折現象です。
太陽で熱せられた空気が一つのプリズム(もしくはレンズ)を形成して地上の風景をあたかも別の方向にあるように見せる現象です。
ですから、こうした現象は空気が熱せられる暑い夏場に発生することになります。
砂漠などに見られる蜃気楼は、太陽が砂漠を熱しその熱が大気に上って暑くし、空気の屈折率を変えるために空が地表に現れて水と錯覚する現象です。
ナポレオンがエジプトに遠征した際、従軍したフランスの数学者モンジュ(G. Monge)が初めてこの現象を書き著したので「モンジュの現象」とも呼ばれました。
砂漠やアスファルトの熱せられた地面とは反対に、極地の海面や冷たい雪解け水が湾に流れ込む地域では、海面の温度が低く上に行くに従って温度が高くなる状態になります。
このような場合でも、地表のものが持ち上がって空中に浮くという現象が見られます。
この現象を初めて著したのがイギリスのビンズ(S. Vince)であったため、彼の名前をとって「ビンズの現象」と呼んでいます。
この現象は、日本では富山湾の蜃気楼が有名です。
富山湾の蜃気楼は、4-5月頃、立山などの雪解け水が富山湾に流れ出し海面の温度が低下して、上空に暖気が入り込むと現れるそうです。
北海道のオホーツク海沿岸で流氷の季節に現れるものは、「幻氷(げんぴょう)」と呼ばれています。
九州八代海と有明海で見られるこの現象は「不知火(しらぬい)」と呼ばれていて、これも漁火が空気の屈折現象によって水平方向にいくつか別れそれが明滅する現象です。
不知火は、月のない真夜中の午前3時頃 = 大潮の干潮(新月の干潮)時、漁り火の多い旧暦8月の初めと12月の終わりによく見られるそうです。
遠浅の干拓地帯は潮が引くと温度が下がりますが沖の海水は地面より温度が下がらないため、双方で約3度の温度差があるとき、そしてそこに風が吹くと周りの海域は温度差(密度差)のある空気の塊が多数できあがり、それがレンズの役割を果たして漁り火を屈折させ、左右に分岐させたり、一つになったり、明滅させたりします。
幻想的な現象です。
 
■ 屈折の意味するもの - 何故光は曲がるのか
今まで述べてきたようは、自然界の光の現象を見て見ますと、光には屈折する性質があることが良く分かります。
光は直進する、という前回までの話とは裏腹に、光がぐにゃっと曲がるのはどうしておきるのでしょうか。
両者の関係にはどういう決まりがあるのでしょうか。
媒質中に密度差があると光は直進せずに進路が曲げられます。
私達の身の回りに起きる光が曲がる(屈折する)現象は、実は、光の透過する速度が変わるために結果的に光が曲がるように受け取られているのです。
光の本質は直進です。
光は、しかし、様々な振る舞いをするために、その属性を定義するのにいろいろな考えが提案されました。
それが、光の粒子説であり、波動説であり、光量子説であり、電磁波説なのです。
我々は、光の性質を論ずる時にこれらの都合の良い光の定義を引っ張りだしてそれに当てはめて納得しようとします。
光の本質は、電磁波という位置付けでよいように思います。
ただし、その考え方は我々にはいまいち理解に苦しむものです。
光を小さい世界で見る時には、粒子としてふるまう性質が出てくるために、光子として扱ったほうが理解する上で都合がよいのですが、光の屈折を考える時は、波としての性質を利用したほうがわかりが良いようです。
 
 
電磁波の性質として、電磁波は真空中を光速で伝播する性質があり、媒質が変わるとその速度が変化することが知られています。
光は、まさに電磁波ですから真空中では光速で移動し、媒質の中では速度を落として進みます。
 
▼ チェレンコフ光(Cherenkov radiation)
旧ソビエト連邦の科学者チェレンコフ(P.A. Cherenkov)が1934年に発見した、放射性物質の放射する青白い光をチェレンコフ光と言っています。
原子力発電所の燃料が入った水の容器(プール)を覗き込むとこの青白い光が見えます。
荷電粒子が物質を通過する時、荷電粒子が光の速度より速い場合は飛跡にそって光を残していくような現象が現れます。
これは明らかに物質中での光の速度が真空中で伝わる光速cよりも遅いことに起因しています。
荷電粒子は言い換えると電子の塊のようなもので、これが光速で物質中を伝搬する時に物質に電子的な作用を及ぼします。
荷電粒子は物質の原子を分極化させます。それが飛び去った後、分極化した原子がもとに戻るときに光が放出されます。
これがチェレンコフの光と呼ばれるものです。
ノーベル賞を受賞した東京大学名誉教授小柴昌俊先生が岐阜神岡のカミオカンデで実験されているのは、宇宙から飛来する荷電粒子(超新星爆発でできるニュートリノ)の方向と量を求めるため、神岡鉱山の跡地に作った地下1000mの巨大プールに1,050個の超高感度光検出器(光電子増倍管 = フォトマル)を埋め込んで、微弱な発光をするチェレンコフの光をとらえているのです。
カミオカンデは1983年に完成し観測を始め、3年半後の1987年に大マゼラン星雲での超新星爆発をとらえました。
この時のデータは、13秒間で11個の信号が検出されたそうです。(1,050個のフォトマルが13秒間の計測期間中に11箇所の検出!)
 
▼ 「光は波」と位置付けたホイヘンス (Christiaan Huygens、1629-1695) (2005.01.16記)
ホイヘンスは、英国ニュートン、仏国パスカルと同時代のオランダの天文・物理学者である。
1998年、米国NASAによって土星に向けて探査機(カッシーニ)が送りだされ、この探査機に積み込まれた土星の衛星(タイタン)を探る小型探査機の名前がホイヘンスであった。
ホイヘンス(タイタン小型探査機)は、欧州宇宙機関(ESA)が作ったもので、親機カッシーニから切り離されてタイタンに着陸した。
7年の歳月をかけて2005年1月14日に到着した小型探査機ホイヘンスは、タイタンの大気や地表の様子を鮮明に撮影しNASAに画像を送ってきた。
 物理学者ホイヘンスは、自らレンズを磨き望遠鏡を作って1657年、彼が28才の時、土星を観察し衛星を発見した。
彼の名前にちなんで土星の衛星探査機はホイヘンスと名付けられたのである。
ちなみに、土星探査機のカッシーニは、イタリア人の天文学者ジャン=ドミニク・カッシーニ(1675年、土星の輪が二重になっていて、内側の輪と外側の輪があることを発見した人)にちなんで名付けられている。
 
ホイヘンス(Christiaan Huygens)は、1629年、オランダのハーグで生まれる。
知識階級の高い家に生まれ、彼の父Constantin Huygenceは外交官で自然哲学に造詣が深かった。
そのもとで育てられたホイヘンスは、幼少の頃より家庭教師につき数学を得意とした。
父親がフランスの数学者マラン・メルセンヌ(Marin Mersenne)や哲学者デカルト(Rene Descartes)との親交が厚く、デカルトがオランダにやってくると彼の家に滞在することも多かったため、彼らの影響を受けて数学の素養を深めて行った。
ライデン大学で数学と法律を学び後に数学と物理学を専門とした。
1661年にロンドンに旅行し英国王立協会設立のための会議に出席している。
ここで彼はいろいろな研究者と交流を持つことになり啓発されていく。
1666年から1681年(37才から52才)までフランスのパリに滞在して研究生活を送っている。
オランダよりもパリの方が活躍の場が高かったのである。
彼はフランスに移る前の数年間イギリスのロンドンに滞在し、当時の著明な数学者パスカルやフェルマーと書簡を交えている。
フランスに活動の場を移したのは、フランス国王ルイ14世が彼に奨学金を与え彼の研究活動を援助したためである。
彼はその恩に報い、1675年、フランスに移った9年後、より精度の高い振り子時計を完成させてルイ14世に献上している。
彼がフランスに移った1666年は、フランスで王立科学アカデミーが作られている。
このアカデミーは、国のお墨付で科学を研究しようというもので、王侯貴族の趣味的要素と軍事開発が多分に盛り込まれたものであったが、このアカデミーが近代科学の発達を大いに促すことになる。
実際、このアカデミーから数多くの数学者、物理学者が輩出した。
対国イギリスでは、その4年前の1662年、国王チャールズ二世の勅許を得て王立協会(ロイヤル・ソサイエティ)が作られている。
(真の設立は1645年で、王の勅許が得られたのが1662年頃とされている)。
設立の真意はともあれ、ここに集まった優秀な頭脳によって近世ヨーロッパの科学技術は急速の進歩を遂げることになる。
話をホイヘンスに戻す。
1681年、15年にわたるパリでの生活を終えてオランダに戻ったホイヘンスは、光学レンズの設計にとりかかる。
望遠鏡用の焦点距離の長いレンズを製作し、ロンドンの王立協会(ロイヤル・ソサイエティ)に献上するのが目的であった。
レンズ製作の過程で彼はレンズ研磨の技術を研究し色消しレンズの発明をする。
1689年から1690年の1年間彼はロンドンに滞在し、ニュートン(Sir Isaac Newton: 1642-1727)と面識を持つようになり、ニュートンの運動力学に強い関心を示したがすべてを受け入れたわけではなかった。
 光学における彼の功績は、「光は波である」と最初に提唱したことである。
1678年、彼が49才の時に光の性質に関し二次波という概念を導入して光の波動論を唱え、光の直進、反射屈折などを説明した。
彼のこの着想は、運河の水面を見ていた時に水面を拡がる波面に着想を得たと言われている。
光を波としたとき、光が宇宙を伝わる際には宇宙に充満するエーテルを媒質としていると考えた。
二次波の概念は、波面上にあるエーテルのそれぞれの周りに新しい球面波(素元波)ができそれが重なりあい、新しい波面ができるとするものである。
ホイヘンスが光の波動論を展開し、ニュートンが光の粒子説を唱えて大きな論議となったのは有名である。
当時の勢力では、ニュートンがあまりにも偉大すぎホイヘンスの理論に耳を傾ける学者は少なかったと言われる。
この波動論に光を当てたのは、ニュートンよりも200年後に現れた同国のヤングであった。
ホイヘンスの理論では、光の直線、反射、屈折を巧みに説明できたものの、回折を明確に説明しきれなかった。
彼の説には「波長」の概念が明確になっていなかったからである。ヤングはそれを明確にした。
 
ホイヘンスを機械工学の面から見た場合、彼の存在意義は大きい。
ホイヘンスが時計に注目したのは、当時、新しい大陸が発見され船の建造と共に航海時に大切な正確な時を刻む時計の必要性があったからである。
参考:【時間】- 標準化、AnfoWorldオムニバス情報3) 
彼は、正確な時計を求めて振り子の振動周期について研究する。
振り子時計についてはイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイが最初にアイデアを出している。
しかし、実際に作ってはいない。
実際に作ったのはホイヘンスである。
ホイヘンスは、振り子の振動振幅が大きいと等時性が成り立たないことを知って、厳密な等時性を得るために振り子の弦がサイクロイド曲線に沿って運動しなければならないことを明らかにした。
その原理を明らかにはしたけれど、彼が作った実際の時計は期待したほどには正確に動かなかった。
しかし、彼が原理を明らかにし、1673年、彼が44才の時にパリから出版された『振り子時計』という書物には、「慣性モーメント」の概念が書かれてあり、物理学、動力学書として出色のものであった。
この書物は、ガリレオ以後、ニュートン以前の中間を埋める最大の力学書であった。
ホイヘンスは遠心力の考え方も明確にした。
ちなみに、動力学はニュートンで頂点に達する。
ニュートンの運動力学の法則(1687年、書物「プリンキピア = Principia」で出版)は、高校の物理学で習う最も基本的なものである。
ニュートンのプリンキピアでは、運動力学を示す数学の表現として幾何学が使われているだけで、代数式は一つもないという。
プリンキピアはすべての説明を文章と幾何学で行っている。
ニュートンの運動方程式は、フランスの数学者オイラーが当てはめた。
従って、正確には運動方程式(F = ma、微分方程式で表すと、 md2χ/dt2 = F)はニュートン・オイラーの式と言うべきである。
 
 
▼ 光が電磁波たる理由
光が媒質中を透過する時に何故速度が弱まるかは、私自信よくわかっていません。
媒質中の原子(電子)との相互作用があり、光の運動を拘束しているのだろうと想像します。
無線などに使われる電波も電磁波の仲間で同じような特徴があります。
ちょっと話がそれますが、電磁波と似たような性格を持ったものに音波があります。
しかし、音波と電磁波の決定的な違いは、音は真空中を伝わらないのに対し、電磁波は真空中を伝わり、なおかつ真空中が一番速く伝播します。
音波は、媒質の振動によってエネルギを伝えるのが基本であるのに対し、電磁波は媒質を振動させてエネルギを伝播するという性質は低いのです。
低いと言ったのは、電磁波は媒質を振動させる力も十分に持っていて、電子レンジのマイクロ波は、物体の水分子を振動させますし、赤外線も分子を振動させて熱を発生させる力があり、場合によってはその力が無視できないものになるからです。
電磁波は、電界と磁界の波の合成されたもので、それぞれの波は進行方向に対して直角で(従って横波)、かつ互いの波も90°の角度(直角)の関係を保って進みます。
電磁波は電界の時間的変化に応じて電界に直角に磁界を生じさせ、電界(磁力線)が動けば磁界ができます。
このようにして電磁波は、真空中を媒質なしで自ら切り開きながら、しかも物理学的に最高の速度で伝播すると考えられています。
これが、イギリス人(スコットランド人)物理学者マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831-1879)が唱えた電磁波理論です。
電磁波の進む速度の定義に、以下のような公式があります。
 
     V = c /√(μs x εs)   ・・・(Light59)
        V:位相速度 (m/s)
        c :真空中の光速 (m/s)
          = 299,792,458 (m/s)
       μs : 媒質の比透磁率
       εs :媒質の比誘電率
 
この式の意味するところは、電磁波の伝播は、比透磁率(specific magnetic permeability)と比誘電率(relative dielectric constant)がともに1の時に光速になることを示しています。
両者の値は通常1以上の値であるため、媒質中を伝播する電磁波は光速より遅くなることを意味しています。
比誘電率とは、真空状態の誘電率(ε0)を1とした時の媒質の割り合いで、真空状態で電子が相互に及ぼす力(クーロン力)の定数(ε0= 8.854E-12 [F/m])との比を示します。
この値は、電気素子のコンデンサの容量を求める時にも使います。
従って、この値が大きいほどたくさんの電気をためることができます。
絶縁体ほどこの値が大きくなっています。
絶縁体のことを誘電体とも言います。
誘電率を示す英語の表記dielectric(di-electricとも言う)は絶縁という意味です。
英語の語感からすると電極が二つ(di)に別れるという意味があるので、帯電しやすい意味にもとれます。
この値(比誘電率)は、物質内での電子の振る舞いのしやすさを表す目安とも受け取られます。
電子が相互に力を及ぼしあう値であるため、この値が大きいほど電子の振る舞いを抑制するものと考えられます。
この考えが電磁波の動きを抑制するともとらえられます。
 
比透磁率は、磁場での電子の受ける力の割り合いを示すもので、真空中の透磁率を1とした時の比で表します。
この値は、磁束の通しやすさの目安になるものです。
真空中での透磁率は、μ0 = 4 x πE-7 [Wb2/N・m2] となります。
ちなみに、√(ε0 x μ0 )は、光速となります。
この式から、電磁波は、電界と磁界の相互作用で進んで行くことがわかり、比透磁率と比誘電率の高い物質ではその速度が減ぜられることがわかります。
光も電磁波ですから、この式があてはまります。
光も電子と密接に関わっていることがこの式からも理解できます。
 
媒質
媒質の比誘電率(εs)
媒質の比透磁率(μs )
真空
1
1
空気
1.0006
1
81.6
1※
ガラス
5 - 10
1※
ゴム
2.0 - 3.5
1※
-
500 - 5000
アルミニウム
-
1.0002
媒質の比誘電率(εs)と比透磁率(μs )
(1は、出典の根拠がなく記したものです。多くの文献には、
磁性体でない物体の比透磁率は1であるとあったので1としました。
鉄とアルミの比誘電率は今現在(2004.04.03)調べきれていません。
 誘電率は、電気の溜めやすさの目安で、電気を通しやすい目安は導電率で表します。
液体では、誘電率が高いほど電解質を溶解する力が大きいため、水などはいろいろな溶液を作る時に使われます。
 
 
▼ 音波と電磁波
電磁波は、高速で伝播する性質がありますが、音波の伝播速度は、媒質の振動する属性(能力)に依存します。
音波は空気よりも分子が密に集まっている液体の方が速く伝わりますし、固体の方がもっと速く伝わります。
金属で音を最も速く伝えるのはベリリウムです。
ベリリウムは原子の中では4番目に軽い元素で、金属の中ではリチウムの次に軽い金属です。
リチウムは活性の強い金属なので単独では使いづらく、比較的安定したベリリウムが音響関係の材料として使われていました。
しかし、ベリリウムは毒性が強く、ベリリウムの粉が呼吸器系を犯すことから、ベリリウム単独では使わない方向になって来ています。
 音と違って電磁波(光)は、媒質が密なほど速度が減ぜられる傾向にあります。
光は、気体のみならず液体、固体に対しても比較的良好に透過しますが、音は空気から水、固体へはそれほど良好な透過を示しません。
また、面白いことに、光の仲間である電波も空気から水への透過は苦手です。
電波が水中に入ると見る見る減衰するため、電波による空気から水への送受信の限界はわずか数cmの深さだと言われています。
潜水艦を海上から探査するとき、ソノブイ(sono bouy = 超音波を発して海面下の移動物体を認識し、それを海上の探査飛行機に無線送信するブイ = 浮標)が利用されるのはそのためです。
最近では潜水艦の探査のために海上からレーザを海面下に照射してセンシングする手法が開発されているそうです。
光の方が電波よりも水への入射が楽であることの証明です。
 
▼ 媒質の違いによる光の屈折
さて、媒質が異なると何故光は曲がるのかの説明に入りましょう。
上の図に光の伝播の概略を示しました。ここでの絶対事実は、媒質が変わると光の速度が変わるということです。
なぜ、光の速度が変わるのかという疑問はここでは深く触れないでおきます(私もよく分からず説明が難しいので)。
ある方向から入射した光が点P0で違う媒質に入るとします。
P0から媒質2に進む光は、速度が減ぜられて、媒質1ではP1の位置に来ている同一時間の波面も媒質2ではP2の位置にしか進みません。
その比は、D2/D1となります。
従って、同一時間軸で見た波面は媒質1と媒質2ではずれた形になり、結果的に光が曲がって見えるようになります。
 
■ 屈折率(refractive index)
屈折率とは、光の曲がる度合いを示したものですが、上の説明から、「光の進みやすさ」を示した値と言えなくもありません。
光学の本をひも解けば、光学材料の屈折率は一目瞭然に紹介されていますから、自分で実験して調べる必要もないのですけれど、屈折率の本当の意味は、以下の式から導かれるものです。
 
     n = c/v  ・・・(Light60)
       n : 媒質の屈折率
       c : 光速
       v : 媒質中の光の速度
 
この式からもわかるように、光速が得られる媒質の屈折率が1となります。
空気は、屈折率が1.000293ですが、光学設計では便宜上屈折率を1として計算しています。
面白いことに、屈折率は、光の波長によって値が変わります。
つまり、媒質は透過する波長によってその速度を異にしているのです。
総じて、青色波長の方が赤色波長より速度が遅いため、屈折率は高い値となっています。
光を透過する物質は、なぜ波長によって透過速度が変わるのでしょう(=屈折率が変わるのでしょう)? 
ここの所は私もよくわかっていません。
波長の短い光はエネルギーが高いため媒質の相互作用が強いために速度が遅くなるのでしょうか。
一般的に物質の屈折率を示す時、D線(λ = 589nm)をもとにした数値が多いようです。
D線というのは、ナトリウムガスから発せられる指向性の強い黄色の光で、比較的簡単に単色光源が取りだせることから、光学を扱う検定用の単色光源として非常に重宝されていました。
ナトリウム光源は、レーザが発明されるずっと前からあり、光学の世界に多大なる貢献をしてきたのです。
ちなみに、ナトリウムの光線をなぜD線と呼ぶのかと言うと、ドイツの科学者フラウンホーファー(Joseph von Fraunhofer: 1789-1826)が太陽のスペクトルを測定していた時に、太陽光線の中に多数の暗線(フラウンホーファー線)があるのを発見し、600本ほど発見した中で(現在では数千本あると言われている)特に暗線の著しいものを選んで、ローマ字の頭文字(A、B、C、D、E、F、G、H)をふりました。
 
   A線(濃赤)、B線(真紅)、C線(橙色)、D線(黄色)、E線(緑色)、F線(濃青)、G線(藍色)、H線(すみれ色)
 
この割り振りの中で、光学測定で良く使われていたナトリウムランプの光線がD線にちょうどあてはまったので、D線と呼ばれるようになりました。
このような理由から、屈折率を示す時は、D線の単色光を使った値が一般的となりました。
また、光学設計をするときは、D線の一本だけの波長のみでは収差などの補正ができないために、他の波長を考慮した光学設計が行われます。
この時に使用される光線が、水素発光によって簡便に取り出すことのできる橙色のC線と濃青のF線であったことから、C線、D線、F線の3線による屈折率表示と光学設計が行われるようになりました。
レンズで2線の光学収差を行ったレンズをアクロマート(Acromatic lens)、3線で光学収差を行ったレンズをアポクロマート(Apocromatic lens)と呼んでいます。
アポクロマートは、収差の良くとれた良好なレンズで高価です。
光学ガラスの発達と光学設計の進化は、ドイツ人アッベ(Ernst Abbe:1840-1905)の功績が多大で、彼が採用したアッベ数(Abbe Value)は、3つの波長の屈折率を使って端的に光学ガラスの屈折率性能を言い表わすことができる数値として、光学設計にはなくてなならないものとなっています。
このアッベ数を求めるのに、先に述べたC線、D線、F線の3本の波長が使われているのです。
 
     ν = (n D - 1)/(n F - n C   ・・・(Light61)
       ν: アッベ数(逆分散率)
       n Dn Fn C : D線、F線、C線における物質の各屈折率
 
アッベ数は、数値が大きい方が色によるプリズム効果が低く、プラスチックレンズ(眼鏡レンズ)などでアッベ数が40以上であればクリアで鮮明に光が透過します。
これよりも低いと滲んだような像になります。
 
物質
屈折率(nD
物質
屈折率(nD
空気
1.0000293
石英
1.5443
1.333
岩塩
1.5442
水素
1.00013184
サファイア
1.768
砂糖溶液(5%)
1.341
BK7
1.5168
砂糖溶液(30%)
1.376
SF13
1.7408
海水
1.343
螢石
1.4339
氷(0℃)
1.309
ダイヤモンド
2.4173
物質のD線における屈折率
 
 
 
C線の屈折率(nC
D線の屈折率(nD
F線の屈折率(nF
分散(nF - nC
アッべ数(ν)
ダイヤモンド
2.4100
2.47173
2.4354
0.0254
57.9
BK7
1.51385
1.51633
1.52191
0.00806
64.1
螢石(CaF2)
1.4325
1.4339
1.4371
0.0046
94.0
C線、D線、F線における屈折率と分散
 
 
上の屈折率の表は、面白い情報を与えてくれます。
基本的に、気体の屈折率は液体よりも小さく、空気の屈折率に近くなっています。
また、固体の屈折率は液体よりも大きな値となっています。
大雑把なとらえ方としては、空気の屈折率が1で、水などの液体が1.3、ガラスなどが1.5で、硬そうな光学ガラスが1.7程度、一番硬いダイヤモンドが2.4という数値になっています。
また、波長別に屈折率を見てみますと、赤色波長よりも青色波長の方が屈折率が高く、屈折率の差(分散)は、光学ガラスや光学結晶の場合、ダイヤモンドが一番高く、ホタル石が一番低い値となっています。
プリズムで光を分光する場合には、屈折の高いダイヤモンドのプリズムを使うと光の分離がうまくいくはずです。
ただ、ダイヤモンドのプリズムは高価であり、回折格子を使った分光の方が精度がでるので、ダイヤモンドを使ったプリズムは現実には使用されていないようです。
しかし、ダイヤモンドの屈折力の強さは、入射した光を強烈に分解し(分散し)色とりどりの光をつくり出すので、宝石としては非常に価値があるものとなっています。

 

ホタル石(Fluorite = フッ化カルシウム)は屈折率が1.43近傍で、紫外から赤外にいたるまで一様な屈折率を持つ光学材料であるために、レンズを設計する上ではとても貴重なものでした。
特に、色収差をとりたい焦点距離の長いレンズを設計する際には、魔法の材料と言っても良いくらいの材料でした。
天然のホタル石は純度が悪かったり、大形のものがないために望遠鏡や望遠レンズに使われることはなく、顕微鏡のアポクロマティックレンズ(3波長の色消しレンズ)に使われていました。
このフッ化カルシウムも、1970年代より人工で製造できるようになり、この材料を使った望遠レンズ、望遠鏡、顕微鏡、紫外レンズが市場にたくさん出回るようになりました。
また、レーザの発振光学素子としても、特にエキシマレーザ用(紫外レーザ)の光学部材としてたくさん使われています。
屈折の現象は、先にも述べたように、自然界の至る所で見ることとができます。毎日の疲れを癒すお風呂に入る時(日本人は湯舟が好きなので)、湯舟にしずめた体が小さく縮んで見える経験は誰しもお持ちだと思います。
水の屈折率は、1.33( = 4/3)であるため、3/4、すなわち75%も距離が近いように感じられるのです。
 
 
■ スネルの法則(Snell's Law)
スネルの法則は、光学の本をひも解くと最初に出てくる法則です。
屈折の法則とも呼ばれているこの法則は、オランダ人スネル(Van Roijen Willebroad Snell, 1591-1626)が最初に発見して整理したと言われています。
オランダは、ホイヘンスやスネルが輩出したことからも、当時光学の技術レベルは相当高かったようです。
ヨーロッパの光学産業は眼鏡と共に発展を見ますが、15世紀には、オランダとベルギーが眼鏡産業のメッカとなっていました。
その眼鏡による光学技術の基盤があって顕微鏡の発明がオランダ人(ヤンセンやレーウェンフック)の手によってなされます。
屈折の法則は、顕微鏡が発明されてからの発明ですから、ヤンセンやレーウェンフックは、屈折の法則を知らずに顕微鏡を開発したことになります。
スネルが活躍した時代の日本は、江戸時代の初期であり鎖国を取ってオランダと清国だけを相手に交易をしていました。
光学の技術動向から日本の物理科学を見て見ると、オランダを通してか細くはありながらヨーロッパの最新科学を手に入れていた感じを受けます。
スネルの法則は、光が異なる媒質を通過する時の光の速度の割り合いの関係式を表したもので、光の速度が遅くなる媒質に対して屈折率が高いと定義しました。
屈折率が高いというのは、別の側面から見ると光が媒質によって曲げられる度合いが高いことを示し、直感的に理解しやすいものになっています。
また、別の側面からスネルの法則を見てみますと、屈折率は、光が進むのを妨げる抵抗力を示す値とも言えます。
左図のLとL'がその意味をよく表しています。
スネルの法則:
 
     n・sinθ = n'・ sinθ'  ・・・(Light62)
       n : 媒質1(入射側)の屈折率
       θ:入射角
       n' : 媒質2(屈折側)の屈折率
       θ':屈折角
 
上式のsinθがLを示し、 sinθ'がL'を示しています。
LとL'は、入射する光線と屈折した光線の進行(図から見て水平成分の)速度を表しています。
屈折率は媒質に入った光線の速度を補正するような値となっています。
 
■ 光路可逆の原理 (Principle of Ray Reversibility)
上の説明は、入射光の媒質の屈折率よりも屈折する媒質の屈折率が高い場合の説明でしたが、これとは逆に屈折率の高い媒質から低い媒質に光が入る時に光線がどのように屈折をするかというと、上の光線とまったく同じ光路を通って逆方向に進みます。
これを「光路可逆の原理」と言います。
世の現象の中には可逆でない現象が数多くあり、その意味では屈折光路の可逆性は光学設計者にとってありがたい原理です。
 
■ フェルマーの原理 (Fermar's Principle)
フェルマー(Pierre de Fermat:1601-1665。フランス)は、17世紀のフランスの法律家、数学者です。
同国人デカルトと同じ世代の人(デカルトより6才年下。没年はほぼ同じ)ですが、光学にはそれほど深く関わっていません。
彼の本職は政治家であり、その余暇として古い数学書を読みながら数学を研究し、その成果を数学者仲間に手紙で知らせていました。
彼の数学上の功績は、デカルトとは別の座標系を考え出したことと、極大・極小という考え方をあみ出し曲線上への接戦を引く手法を考えました。
また、パスカルと賭博の掛け金の分配について書簡をかわし「確率論」の創始者ともなりました。
その彼が光学の世界に功績を残します。それがフェルマーの原理と呼ばれるものです。
フェルマーの原理は、光の最短時間の原理とも呼ばれているもので、
 
  「二点間を進む光の経路は、幾何学的に可能な経路の中で所要時間が極小をとる」
 
と表現されます。この原理から、光の反射、屈折、不均質媒質での光の経路を求めることができます。
光の反射、屈折の原理を別の観点から見い出したのがフェルマーだったと言えるでしょう。
 
■ 全反射(Total Reflection)
上の図で、入射角θをどんどん大きくして行って、θ= 90゜になったとき、入射光は媒質2の境界面に対して平行になるため中に入ることができません。
光の屈折には上に述べた光路可逆の原理がありますから、例えば、屈折率の高い媒質2から低い媒質1に光が抜けて行った場合に、θ'をどんどん大きくしていくと、最後には媒質1に抜けて行く光が境界面と同じになって、ついには外に出て行かなくなります。
これ以上に媒質1のθ'を大きくすると、光は境界面において反射の法則に従ってすべて反射されて戻ってしまいます。
この現象を光の全反射と言います。光が外に出て行かずに全反射を起こす光の角度を臨界角(critical angle)と呼んでいます。
臨界角は、
 
     sinθ' = n'/n  ・・・(Light63)
       n : 媒質1の屈折率
       n' : 媒質2の屈折率
       θ':臨海角
       全反射を起こすには n' < n であることが必要。
 
で求められます。
水の場合は、水の屈折率が1.333ですから、水から空気に抜ける光線の臨界角は、sinθ' =1/1.333であるため、48.607゜となります。
ダイヤモンドは、屈折率が2.4173であるため臨界角は、24.43゜と水の半分の角度で全反射を起こします。
ダイヤモンド内に一たん入った光はなかなか外に出てこず、光の分散も手伝ってダイヤモンド内部で光の反射をくり返して、最終的に分散した赤や青の光が外に出てくるようになり、まばゆい輝きを持つようになります。
全反射はすべての光が反射されるために光量ロスがなく、この法則を利用してプリズムで光を反射させる場合にも全反射条件で使用します。
 
▼ 光の反射率
光が異なる媒質から反射する場合、反射率はどのくらいでしょうか。
この項目は、光の反射で紹介すべきなのですが、興味のついでにここで紹介しておきます。
媒質境界面で反射する割り合いは以下の式で表されます。
 
     R = 100 x (P - 1)2 / (P + 1)2  ・・・(Light64)
       R: 反射率
       P: 媒質間の屈折率の比(空気や真空中との比であれば媒質の屈折率)
          P = n2 / n1
          n2:媒質2の屈折率(光が入る側)
          n1:媒質1の屈折率(光を入れる側)
 
ただし、この式は入射する光が垂直に入る時の場合であって、斜めから入射するときの反射率はこの限りではありません。
斜め入射する場合には、「偏光」という現象も現れます。
偏光に関しては当サイトの「偏光」を参照ください。
上の反射率を求める式からわかることは、屈折率が高いものほど、界面での反射が大きいことが理解できます。
例えば、水の屈折率は、n = 1.333ですから、反射率は、2.04%になります。
光学ガラス(BK7)では、n = 1.516であるため反射率は4.2%、ダイヤモンド(n = 2.417)では17.2%の反射となります。
ダイヤモンドはかなりの反射をすることがわかります。
 
屈折率の強い媒質から弱い媒質へ出る時(例えば、ガラス内部から空気中へ光が出る時)の光の反射はどのようなものになるのでしょうか。
この場合も、上式に当てはめて考えてやると、Pの値が1以下の小さな値となりますが反射率は同じ値となって、水から出る光の反射率は、2.04%、光学ガラス(BK7)での反射率は4.2%、ダイヤモンドでは17.2%の反射となります。
つまり、異なった媒質に入る時に反射される量と再び同じ媒質に抜け出る時に反射される量は同じとなります。
従って、ガラス窓に入る光の約4%は反射されて再び抜け出る時も96%の光の4%が反射を受けるため、合計0.96 x 0.96 = 0.922、92.2%の光しか透過せず、7.8%の光がガラスの両面で反射されてロスしてしまいます。
 
ガラスが何枚もある場合、どれだけの光が反射によってロスするかというと、
 
     Rt = 100 x [1 - (1 - R/100)2m   ・・・(Light65)
       Rt : 複数層(n層)の媒質を透過する光の総合反射率
       R: 媒質の反射率
       m: 透過する媒質(ガラス)の層(枚)数
 
この式の意味するところは、例えば、コーティングのない眼鏡では、8.2%の光量がロスし、3枚程度のレンズで構成された対物レンズでは22.7%の光量ロスが起きます。
また、3枚の対物レンズと3枚のレンズで作られた接眼レンズを組み合わせた望遠鏡では、40.2%の光量ロスが起き、入射する光は半分程度まで減ってしまいます。
レンズを多く使うズームレンズでは、コーティングを施さない限り実用に耐えないことがわかります。
 
媒質界面の反射を抑えるために、コーティング(反射防止膜)という手法が取られます(詳細は、コーティング参照)。
コーティングは、光の干渉から応用されたものですが、反射率の原理から言いますと、例えば、空気とガラスの境界面に空気とガラスの中間の屈折率(正確には1 / √2)を持った媒質を光の波長の1/4の膜厚で処理すると反射が極小になるそうです。
 
■ 屈折のたまもの - レンズ
現在、私達の身の回りにある光学部品であるレンズは、光の屈折を非常に巧妙に利用したものです。
人の目もレンズに相違ありません。
カメラのレンズのみならず、光を集める目的のためにもレンズが使われます。
眼鏡、顕微鏡のレンズ、望遠鏡、カメラ用のレンズ、IC部品を製造するリソグラフィ用レンズなど巧緻を極めたレンズが生まれて育っています。
現在のレンズ技術が確立するまでには多くの困難がありました。
レンズ設計を行う場合、屈折につきものの色収差がかならずクローズアップされます。
レンズ設計は、色収差をはじめとする諸収差との折り合い、妥協とこだわりの戦いと言われる所以です。
こうしたレンズの歴史や性質を紹介するのは、もう少し後の章に譲って、光の性質を一通り述べた後に回したいと思います。
 
 
 
 
 
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偏光(Polarization) (2004.05.22追記)(2018.09.30追記)(2023.04.10追記)
光の偏光というのはおもしろい現象です。
一般的にはあまり馴染みがありませんが、液晶素子にはなくてはならない光の性質です。
光の偏光を利用しなければ、あれだけシャープな表示装置はできなかったでしょう
(液晶については液晶ディスプレーの項を参照してください)
ヘリウムネオンレーザやアルゴンイオンレーザ光も偏光をもった光です。
レーザは光の共振条件を作って光を増幅させて発振させるのですが、偏光の仕組みを使って光が減衰しないようにしています。
従って、この原理を応用しなかったらおそらく世の多くのレーザは発振できなかったでしょう。
ガスレーザは、鏡を使って誘導放出光を光増幅させる際、プラズマチューブとは別に置かれた1対の反射鏡で光を何度も反射させます。
この時に光がガスチューブから出て再び入るとき光の反射が起きます。
それが何度も繰り返されるので反射時の損失が無視できなくなります。
英国物理学者ブリュースター(Sir David Brewster、1781-1868)が発見した偏光角にガラス窓をセットしておくと、偏光した光はガラス面の反射に影響することなく透過することができます。
この恩恵に預かって反射鏡を何度も往復して発振を行うヘリウムネオンレーザが発振できるのです。
こうしたレーザに使われているガラス窓のことをブリュースター窓と呼んでいます。
ブリュースター窓を取り付けたレーザ光は偏光をもったレーザとなります。
また、CDやDVDに使われているオプティカルピックアップにも偏光素子が使われています。
偏光素子を使うことによってディスクのピットの読み取り精度が向上するのです。
鉱物を顕微鏡で観察するときに鉱物の持つ偏光特性を利用して偏光顕微鏡が使われます。
光弾性も偏光を応用したもので、内部応力の観察に利用されています。
自然界では、水の表面やガラス表面で反射した光、それに、青空の散乱光が(太陽から90°の位置がもっとも強い)偏光をもっています。
昆虫の中には、偏光を感じるものがいるそうです。
ミツバチはこの機能を持っているそうです。
ミツバチには複眼がありそれぞれの眼が空の偏光を察知し、自分の位置を太陽の方向を基準とした角度で記憶して巣に戻ってきた時ダンスによって蜜を取ってきた場所を教えていると言われています。
 
 
 
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液晶モニタに偏光フィルタをかざして回転させると画面が消える。液晶モニタ画面は偏光を持った光である。
 
 
偏光は、媒質を透過する時に生じる透過偏光と、媒質表面(光学的透明な媒質表面)で起きる反射偏光、それに青空のように微粒子の散乱によって起きる散乱偏光があります。
透過偏光は、方解石の二重像で明らかにされました。電気石という鉱物にも偏光が認められます。
電気石は、トルマリン(Toumaline)と呼ばれていて太陽光のエネルギーを受けて電気が発生し、0.06mA程度の微弱な電流が流れることから命名されました。
1880年、フランスの物理学者キューリー夫妻の夫ピエールが兄ジャックと共に電気石の科学的解明を行ったそうです。
雲母(うんも、きらら、mica)にも偏光特性が認められます。
人工的な偏光光学素子としては、1936年に多色性結晶体のヘラパタイト(Herapatite)が作られました。
その後、フィルム(高分子構造体)を一方向に強く引っ張ると偏光を持つ性格が認められたことから、ポリビニルアルコールフィルムを一方向に引っ張って高分子樹脂の鎖を一方向にして、これに沃素をドープして固定させたフィルム偏光板が作られました。
これらは、ポラロイドやダイクロームという商品名で市販されました。
フィルム偏光子よりプリズム偏光子の方が偏光の能力(消光比)が1桁程度良いので、微細な偏光観察が必要な応用には高価であるプリズムを使った偏光子が使われます。
 
■ ポラロイド(Polaroid)の発明 - ランド博士
偏光板を商品化し、インスタントフィルム事業に進出して巨大な富みを得たのは米国の物理学者エドウィン・H・ランド博士(Edwin Herbert Land:1909-1991)です。
ポラロイド(フィルム)は、今でこそデジタルカメラの勢いに押されて使用される頻度は少なくなりましたが、1950年代から1990年までの40年間のインスタントカメラの役割は重要で、1960年代の米国家庭の半数はポラロイドカメラを持っていたと言います。
ポラロイド社は確固たる市場を築いていました。
そのポラロイド社の源流は、それを遡ること20年、1929年のランド博士による偏光板製造の特許取得と製造販売に始まります。
ポラロイドという名前の由来は、偏光板 (ポラライザー) とセルロイドの2 つの言葉から造られた合成語です。
「ポラロイド」の名前そのものは、ランド博士の奥さん(Helen Maislen)が彼と結婚する前にSmith Collegeで物理学を専攻し、研究室の教授からポラロイドという名前をもらっていました。
しばらくして、Norwitch Collegeで勉強していたランド氏と結婚し、ポラロイドという名前も嫁入り道具の一つとして持って行ったようです。
ランド氏は、幼い頃より光学、特にブリュースターが1816年に発明した万華鏡に興味を持ち、光学に傾倒していました。
博士は、ハーバード大学時代に偏光現象にのめり込み、中退後、ニューヨーク公立図書館で独学自習を通して偏光に関する文献をよりどころに「ポラロイド」偏光フィルターを商品化したそうです。
1932年2月8日、ハーバード大学物理学専門家会議の席上で、これまでになく薄く幅の広い、シート状の偏光板の合成法の開発アナウンスをおこないました。
当時、偏光板そのものはすでに存在していたのですが、サイズが小さく量産もできず実験室的な規模のものしかありませんでした。これを低コストのシート状にすることが彼の研究課題であり、その発表の前の1929年にパテントを獲得しました。
ランド博士、わずか 20 歳の時のことです。
ポラロイド偏光フィルムの最初のお客さまは、Eastman Kodak社で、カメラレンズフィルタや立体画像を見る眼鏡に使われました。
その後、General Motors, General Electricなど大企業が次々と彼の発明品を利用するようになりました。
 1932年、ランド博士はポラロイド・コーポレーションの母体である、「ランド=ホイールライト・ラボラトリー」を設立しました。
同社の名前を有名にしたポラロイドインスタントフィルムを発明するのは、1947年2月のことです。
ポラロイドは、インスタントフィルムの代名詞となり1990年代まで社会に貢献しました。
ポラロイドフィルムには偏光の技術背景は直接にはなく、ポラロイド社のブランドネームを優先させるためにその名前がつけられました。
 
■ 偏光発見の歴史
ところで、偏光とはどういうことなのでしょう?
この性質は、光が学問として体系される中でも比較的後の方になって組み入れられるようになりました。
幾何光学で不十分であった光の回折や干渉は、ホイヘンスやヤングらの光の波動説で一応の完成を見ましたが、偏光の解釈にはなす術をもっていませんでした。
ヤングらは、光は音と一緒で媒質中を粗密波で伝わる縦波だとしていましたが、水面に反射する光が偏光をもっている事が発見されてから光が縦波であるとする根拠が揺らぎました。
偏光は、1808年、マリュス(Etienne Louis Malus、1775-1812)がガラスや水面からの反射光の特異性の発見から始まります。
その後、1815年フランスの数学者ビオ(Jean Baptiste Biot:1774-1862)が電気石の二色性を発見し、同国人天文学者アラゴ(Dominique Francois Jean Arago:1786-1853)が施光性や結晶干渉を発見し、ついでイギリス人物理学者ブリュースター(Sir David Brewster 1781-1868)によって偏光角の発見が相次ぎ、光の進行方向に対して特別の面を持つことが揺るぎない事実となっていきました。
 
■ 方解石(Calcite)による複屈折現象(Double Refraction)
マリュス以前にも、光がおかしな屈折をする複屈折現象については知られていました。
透明な結晶体である方解石(Calcite: CaCO3)をかざして見ると、方解石を透過する物体が二重に見えたのです。
これを発見したのは、1669年、デンマークの学者エラスムス・バルトリヌス(Erasmus Bartholinus:1625-1698)でした。
方解石は炭酸カルシウムの結晶構造体で、マッチ箱を押しつぶしたような平行六面体形状をしていて、角面は101°55’の鈍角と78°5’の鋭角で構成されています。
方解石の仲間に石灰岩、大理石などがあります。
これらは同じ炭酸カルシウムでありながら結晶構造になっていないために平行六面体結晶になっていません。
方解石は、容易にへき解(cleavage)し、細かく砕かれても、その形状は小さな平行六面体形状を保っています。
この方解石は、結晶体の中で光を二つにわける性質があったのです。色が分散して光路が変わるのとは違い、波長全域に渡って二つに別れるのです。
その後、二つに別れる原因が結晶中で偏光作用が起きているためだとわかりました。
当時これは、常光線と異常光線の複屈折現象としてとらえられていて、偏光という考え方には到達していませんでした。
反射光による偏光特性が分かりはじめて、方解石の複屈折が偏光であることがわかりました。
偏光は、物質中にもそして反射面でも起きているのです。
この方解石の偏光分離作用を利用して偏光素子(偏光子、検光子)を作ったのが、スコットランドのエジンバラ大学物理学者ニコル(William Nicol:1768-1851、J.C.マクスウェルは彼の教え子)で、1828年のことです。アイスランド産の方解石で作られたニコルプリズムは、波長特性がよく透過損失も少ない性質を持っていました。
しかし、プリズムを回転すると光軸がずれてしまうので、改良を加えたグラン・トムソンプリズム(Glan-Thomson Prism)に置き換えられるようになりました。
 
■ 反射偏光の発見
フランスの物理学者マリュス(Etienne Louis Malus、1775-1812)は、複屈折の研究から表面反射による偏光を発見した人です。
彼は結晶の複屈折現象について研究を進めている中、ある日の夕方、パリの自宅からリュクサンブール宮殿の窓ガラスが太陽の光を反射しているのを眺め、この反射光を方解石結晶を通して見たところ、二重に見えるはずの窓が一重にしか見えないことを発見しました。
彼は驚き、さらに詳しく調べてみると、方解石を回転するにつれその角度によって二つの像が現れたり消えたりして、方解石を通してみる反射光の明るさも回転によって規則正しく変化しました。
マリュスは最初、この現象を太陽が大気中を通る間に何らかの影響を受けているのだろうと考えましたが、その後、ロウソクを使って水面に反射させた反射光について調べたところ同じ現象が起きていることがわかりました。
彼は、さらに詳しく調べて水面への光の入射を変えていき、52度54分では二重像の一方が完全に消失することをつきとめました。
彼は方解石の実験と水の反射の実験から、光の特質として偏光の現象が透過のみならず反射によっても起きることを発見したのです。
マリュス以後、多くの研究者達が偏光の研究に携わり、フランスの物理学者フレネル(Augustin Jean Fresnel、1788-1827)が偏光現象を統一的に説明する理論を打ちたてます。
彼は、光は横振動である、という仮説を打ちたて光の偏光を説明したのです。
それまで光は縦振動をするものとして受け入れられていて、学問の大系も組み上げられていました。
光が縦波であるとする当時の体系の根拠は、光の真空中の伝搬です。
波が伝わるのは媒質がなければなりません。
当時、空間にはエーテルと呼ばれる光を伝達する媒質があると信じられていてこのエーテルは稀薄な気体と考えられていたので、横波では真空中を光速で伝達できそうもないからです。
当時は光を弾性波と位置づけていて、波が媒質を振動させ伝搬すると考えられていました。
光が縦波であるとする学説はアインシュタインの相対性理論で覆され、光は電磁波であるという説が正しく組み入れられました。
マックスウェルがとなえた電磁波理論は、電波や光波は進行方向に対して互いに垂直に電気成分と磁気成分が存在して伝播するというもので、この理論は明らかに電磁波が横波であることを示しています。
  
 
通常の光は、進行方向に対して横方向(= 垂直方向)に振動する成分がいろいろな方向へ放射していて、偏光では振動成分が一方向に限られたものになっています。
透明媒質の表面では特定の方向に振動をもつ光のみ反射されます。
それがP偏光(Parallel Polarization)と呼ばれるものとS偏光(Senkrecht Polarization)と呼ばれるものです。
P偏光は、媒質に入る方向(入射方向)に対して立った角度で入って行く成分(スキーのジャンプで選手が飛んで行く姿勢と同じような角度)で、S偏光は横に寝た成分です。
直感的にP成分の方が媒質にずぶずぶと入る感じがあり、S偏光成分は表面にあたってそのまま跳ね返るような感じを受けます。
その感覚どおりにS偏光は入射角度を変えても絶えず反射が起き、立った角度で入射するP偏光はある角度ではずぶずぶと入ってしまい反射されなくなります。
その入射角度がブリュースター角と呼ばれているもので、その関係式は、
 
     tanθ = n  ・・・(Light66)
       θ: 光線の入射角度
       n: 媒質の屈折率
 
で示されます。
例えば、ガラスの屈折率をn = 1.5 とすると、ブリュースター角は、56.3°になります。
この角度で自然光が入射するとガラス表面で反射されるのはS偏光のみとなります。
したがって、この位置で偏光フィルタを入れれば反射光は除去されます。
逆に、この角度からP偏光のみの光を入れてやると、光の反射は全くなくなり媒質の中にずぶっと入って行ってしまいます。レーザ発振器のブリュースター窓はこのように設計されています。
 
【Sir David Brewster 1781-1868、ブルースター、ブリュースター】
ギリスの物理学者。
スコットランドに生まれエジンバラ大学を卒業。
大学在学中より光学に興味を持ち望遠鏡などの光学器械を製作した。 んsy
17才よりさまざまな物質の屈折率を測定し始めるようになった。
この屈折率を求めて行く中で、1851年「ブルースターの法則」を発見する。
彼は、イギリス科学振興協会の設立(1831)に貢献した。
ブリュースターの法則を発見し偏光の特性を熟知し屈折にも熟知していた彼であったが、光の波動論は認めず、ニュートン(Sir Isaac Newton: 1642-1727)以来唱えられていた光の粒子説に固執した。
彼は、1816年、万華鏡(Kaleidoscope)を発明する。
Kaleidoscopeは、Kalos = beautiful、 eidos = form、 scope = watcher の造語で、彼が名付け1817年特許を取得している。
彼は、この万華鏡を発明の後わずか3ヶ月の間に30万個を売りつくしたと言われている。
 
 
【ブルースターの法則、Brewster's Law】
1851年(ブリュースター70才)に発見した光の反射による法則。
自然な光が透明物質(屈折率n1)から透明物質(屈折率n2)に入るとき、ある特定の角度θで入射する光については入射面に水平な光成分だけが反射されるという法則。
反射される光は最も偏光の強い光が反射される。
この角度θをブリュースター角、または偏光角と呼ぶ。
偏光角を測定すれば第一の媒質の屈折率(n1)によって両者で第二の媒質の屈折率(n2)を求めることができる。
ブルースター角は、外部型のガスレーザでレーザ発振をする際に安定して発振させる場合にガスチューブの窓を設計する際に適用され、ブリュースター窓として知られている。
 
 
【Augustin Jean Fresnel、1788-1827、フレネル】
フランスの物理学者。
ノルマンディーのブロリーに生まれる。
1800年にカーン中央学校に入学。
1804年にパリの理科大学校で土木工学を学び、橋梁築堤学校を経て、政府の技師となった。
光学を始めたのは1814年、26才の時で、ナポレオンの百日天下の動乱の最中、ナポレオンの蜂起に反対して政府の職を辞し無職となった時である。
1818年にアラゴ(Dominique F. J. Arago)の助力でパリでの勤務となり1824年までの6年間は光学者として多くの業績を残した時期となった。
この時期、アラゴと協力して偏光の実験を行っている。
また、灯台監督官に任命された際、有名なフレネルレンズを考案している。
フレネルレンズは、複数枚の薄いレンズを張り合わせて厚いレンズの代用にしたものである。
近年では、プラスチック成形により、一枚板の上に同心円状の角度の違うプリズムを形成し凸レンズとみなしたものがフレネルレンズとして使われている。
地図を見るためのプレートレンズや、OHPプロジェクタの光集光レンズ、一眼レフファインダの集光レンズに利用されている。
1823年にはフランス科学アカデミーの会員に選ばれ、1827年にはイギリスの王立協会からランフォード・メダルを授与された。
フレネルを有名にしたのは光の波動論の確立である。
それまでの光学は、イギリスのニュートンの影響が強く光の粒子説が主流であった。
19世紀になると結晶などの鉱物の工学的性質が詳しく研究されはじめ、光学理論の再構築化の必要性が出てきた。
1815年、フレネルは「光の回折について」と題する論文で、イギリス人物理学者T. Youngとは別に粒子説の批判を行った。
一方、ラプラスやビオを中心とするフランスの科学アカデミーは、粒子説を指示する立場で、未解決の光の回折現象の理論化を1817年の懸賞問題として取り上げた。
フレネルは科学アカデミーの意向を無視して粒子説を取らずに、オランダのホイヘンスの波の概念、干渉の原理を使って光の回折現象、光の直進性を立証し1818年に提出した。
フレネルの提出した光の波動論は、フランス科学アカデミーの意図に反したが、実験に基づいて数学的に論証したことから翌1819年、賞と賞金が与えられた。
フレネルは、光の伝播について音とのアナロジー(類推)から縦波だと考えていた。
しかし、当時発見された新しい知見、光の偏光や複屈折現象から横波と考えるようになった。
その結果、彼の研究対象が光の波を伝える媒質(エーテル)の動力学的性質を研究し、同国の数学者コーシーに引き継がれ、光の弾性波動論として体系化された。
 
 
■ 直線偏光、円偏光、楕円偏光(Linear Polarization、Circular Polarization、Elliptical Polarization)
偏光には、レーザ光に見られるような直線偏光と、雲母板を透過してみられるような円偏光が認められています。
偏光にはなぜこのような性質のものがあるのでしょうか。
偏光は振動方向がきれいに揃った光であることは理解できます。
この振動方向がいつも一定の方向にあるのを直線偏光と言い、方向が周期性を持って回転しているのを円偏光、さらに回転する強度も周期的に変わるものを楕円偏光と言っています。
光は電磁波であり、進行方向に対して電界と磁界が直交して進みます。
電界と磁界の位相が同じである時、電磁波(光)の強度は両者の間(両者の45°の位置)で振動します。
この位置はいつも一定なので直線偏光と言います。
電界と磁界の位相がずれた場合、光は円を描いたように螺旋状に進みます。
進行方向からみると回転しているように見えます。
これが円偏光と呼ばれるもので、雲母板を透過した光は円偏光になっています。
円偏光のうち、電界と磁界の強度が違う時、合成される光の強度も位相によって周期的に変わります。
この時の偏光は楕円状に螺旋運動します。これを楕円偏光と言います。
 
 
■ 1/4波長板(Quarter Wave Plate) (2023.04.10修正)
波長板は、先に述べた光の電界と磁界の位相ズレによってできるものではなく、石英結晶や雲母板を透過スル際に材質の縦方向と横方向の屈折率が異なるために位相がずれます。このように、波長板は縦方向と横方向の光の振動位相がずれた偏光となります
波長板は、1/4波長板、1/2波長板が市販されています。
この波長板を使うと、例えば直線偏光が通過すると1/4波長板では横振動(X軸)と縦振動(Y軸)に1/4波長のずれがおきるため、それまで直線で偏光していたものが螺旋を描くようになり円偏光となります。 (2023.02 単行本「光と光の記録 _ 光編その2」に誤りがあることを読者から指摘をしていただきました。お詫びとお礼をするとともに修正いたします。Y.U様ありがとうございました。)
逆に円偏光のものが1/4波長板を通過すると1/4波長ずれますから直線偏光にもどります。
1/2波長板は位相が180°ずれるので偏光が反転する働きをもちます。
市販されている波長板は、水晶(合成石英)や雲母で作られています。
また光学材質(BK7)を使って平行六面体のプリズムを作り、プリズムの全反射と複屈折を使ったフレネルロム波長板というものもあります。
フレネルロム波長板は、直線偏光を円偏光に変える1/4波長板と、これを2つ張り合わせた1/2波長板の二つがあります。
 
■ 1/4波長板の応用
これらの波長板は、偏光のモードを変える働きを持つものですが、光のセパレーションの目的によく使われます。
波長板が使われている一つの応用として、偏光顕微鏡があります。
鉱石は、一般的に複屈折を起こしやすい結晶を含んでいるので、鉱物組成を調べる上で偏光素子(偏光子、検光子)を顕微鏡に組み入れて使うことが多くあります。
こうした顕微鏡のことを偏光顕微鏡とか岩石顕微鏡と呼んでいます。
偏光顕微鏡に使われている偏光素子には、今まで述べたニコルプリズム、グラン-トンプソンプリズム、ポラロイドなどが使われ、偏光モードを変換するために波長板(1/4波長板、1/2波長板)が使われます。
 
波長板が使われるもう一つの代表的なものとして、我々の身近にあるCD(コンパクトディスク)のピックアップ光学モジュール(左図)があります。
 1973年にオランダのフィリップス社で開発されたCDのデータ読み取り機構には、偏光の特性が巧みに利用されていて、この原理を使ってコンパクトで信頼性の高いデータを読み取ることが可能となりました。
1973年当時はコンパクトな半導体レーザがなかったため、ヘリウムネオンレーザを使って初期モデルが作られました。
半導体レーザは、1970年に実用化されます。
その3年後にCDが開発されるのですが、当時はまだ半導体レーザの性能が安定せず、価格も高価でした。
半導体の性能の向上と低価格化によってCDは大ブレークしたと言っても過言ではありません。
レーザは、きれいな直線偏光をもった光源で、これを1/4波長板を介してCD面に反射させます。
1/4波長板を通過する際に、直線偏光だったものが位相が1/4波長ずれるため、先に述べたような理由から円偏光になります。
この円偏光は、CD面で反射して回転が変わります。
反射光はもと来た光路を帰る時、再び同じ1/4波長板を通るため直線偏光になります。
この時の直線偏光はもとの偏光成分とは90°ずれた偏光となります。
この戻り光が偏光ビームスプリッタで反射してディテクタに導かれます。
半導体レーザの直線偏光と戻り光の直線偏光は、振動する方向が違うために戻り光がレーザに戻ることはなく100%の光が検出器(ディテクタ)に入ります。
1/4波長板と偏光ビームスプリッタ、レーザ光ならではのなせるわざです。
ちなみに、レーザ光はどのくらいまでしぼれるかと言うと、光の回折の所でも触れますが、集光スポットの限界は波長に比例し、レンズの開口数に反比例します。
780nmの赤外レーザを使って対物レンズの開口数N.A. = 0.5とすると、1.8umまで絞ることができます。
このビームがCDのピットに照射されます。
ピットの大きさは、短軸0.5um(信号情報によって長軸は変わる)で深さは0.1umです。
レーザ光が1.8umのスポットですから、ピットのサイズに比べて倍程度の大きさのスポットがCDのピットに照射されることになります。
ピットの深さは極めて重要です。
深さを波長の1/4の長さにしておくと、往復の光路で1/2波長となり、穿ったピットの底が反射面となって強い反射があったとしても1/2波長分で干渉を起こし反射光が減ぜられます。
このことからピットの深さは信号を取り出す上で極めて重要です。
780nmの光の1/4波長は、195nm(0.2um)です。
しかし実際のピットは0.1um(100nm)です。
なぜ2倍も短くなっているのでしょうか。
ピットの前には透明なポリカーボネートが1.2mmあるのでこの分の屈折率を考慮しなければなりません。
ポリカーボネートの屈折率は n = 1.5 なので、1/4波長は130nmとなります。
このことを考慮してもなお30nmほど短く穿たれている計算になります。
この理由は、CDを回転させて信号を読み出す際に、CDの回転振れや倒れなどで必ずしも正しいトラッキングが行われないため、トラッキングエラーを最小にするためには1/8波長にしてやる必要があります。
そこで、トラッキングエラーの最良の値と光の分離(干渉)の最良の中間をとって1/6波長程度とし、100nmのピット深さが採用されているわけです。
光信号の分離がうまくできているおかげで高速読み出しが可能となっているのです。
 
 
 
 
 
 
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光の干渉(Interference)(2004.07.20)
光の干渉は、光が波であることの決定的な事実です。
しかしこの現象は、我々の周りでは簡単に見い出すことができません。
自然界の光は、いろいろな成分の光が混ざりあっているために干渉現象を見るのは難しいのです。
それに光の波長は音などに比べて極めて短いので現象として我々の目に入りにくいのです。
シャボン玉の虹色の現象は、今でこそ薄膜の干渉による現象として知られていますが、それを科学的に取り上げたニュートンは光の干渉現象として捕らえられていませんでした。
光に干渉現象があることを科学的に説明したのは、ニュートンの死より約50年後に生まれた同国のトーマス・ヤング(Thomas Young、1773-1829)です。
彼は、巧妙な仕掛けを作って太陽光を導き光の干渉を実現して見せました。
彼は、ニュートンと同時代にあって光の波動説を唱えたオランダ人ホイヘンスの理論に息吹を吹き込み、光が波動性を持つことを実験的に検証し、ニュートンが手をつけた薄膜の研究や、ニュートンリングを光の波動理論を使って完全に説明したのです。
 20世紀に発明されたレーザ光を使うと、頻繁に光の干渉を見ることができます。
その理由は、レーザは発振の性質上発光波長が極めてよく近似していて(単色光であり)、波長の位相がとてもよく揃っているからです。
位相が同じでなければ光の共振を起こすことができず増幅もおきませんから、レーザは波長の位相が極めて良好に揃った光ということができます。
波長と位相が揃った光をコヒーレント光(coherent)と言います。
コヒーレントな光の性質のおかげでレーザは実に多くの応用が考え出されました。
例えば、レーザを使った長さの測定は、レーザ光の波長単位での計測ができます。
位相がそろっていますから簡単に干渉を起こすことができ、干渉の強弱により波長単位の測定が可能になっています。
光学測定機器では光の干渉原理を利用したものも少なくなく、代表的なものでは、ニュートンリング、マイケルソンの干渉計、ファブリ・ペロー干渉計、マッハ・ツェンダ干渉計などがあります。
ニュートンリングは、光学部品の研磨精度を検査する時に用いる光学原器で干渉縞によって波長レベル(nm)の平面度を検査することができます。
マイケルソン干渉計は、「光速と長さ」の項目でも述べましたように長さを波長レベルで測定することが可能な器械です。
ファブリ・ペロー干渉計(Fabry-Perot Interferometer)は、「アルゴンレーザのエタロン」の所でも触れました。
この干渉計は、極めて精度の高い波長成分を取り出すことができる光学装置です。
マッハ・ツェンダ干渉計(Mach-Zender Interferometer)は、透明媒質の密度差を測定するのに使われます。
レンズコーティングは、薄膜上の光の干渉です。
この他、光学フィルターとして光学ガラス面に金属、非金属の薄膜を蒸着させて一種のファブリ・ペロー干渉条件を作った干渉フィルタがあります。
このフィルタは、バンドパスフィルタ(Bandpass Filter)とも呼ばれているもので分光の研究に使われています。
このフィルタは、分光器(光の回折の所で詳述)よりも性能は落ちるものの安価であり、レンズに装着できるので映像機器(カメラ)と組み合わせて使われます。
 
■ 眼鏡の反射防止膜(AR 〔= Anti Reflective〕 Coating)
メガネをはめていると、メガネの表面で反射される光がまことに煩わしくて眼が疲れます。
今でこそ眼鏡にコーティングが施されているのは当たり前ですが、私の高校時代(1970年代前半)はコーティングを施してある眼鏡の方が珍しく高価でした。
レンズ表面にうっすらとかかったアンバーやマゼンタ、グリーンのコーティング色を見ると神秘的な気持ちになったものでした。
高級一眼レフカメラのレンズに(マルチ)コーティングが施されるようになったのも1970年代だと記憶しています。
最近のメガネは、ほとんどがマルチコーティングが施されていて表面の反射がなく(あっても極めて微小)、クリアな視界を提供してくれます。
透明体の表面に薄膜を塗布すると表面での反射が著しく減ぜられて透過がよくなる特性があります。
ガラス表面の反射は、約5%と言われていて、単層膜のコーティングでは2%程度になり、3層膜コーティングでは、可視光全体を0.1%程度に抑えることができます。
ガラスのような透明体の表面に薄膜を形成させるとなぜ反射が減ぜられて透過が良くなるのでしょうか?
これは光が波であることの大きな証しでもあります。
透明体の表面で反射が起きるということは、光が媒質の中に入って行くことが困難であるとも取れます。
光が中に入ろうとして押し返されてしまうようなものです。
薄膜は光の波長レベルまで薄い膜でできていて光が媒質に入りやすくしていると考えられなくもありません。
光学では薄膜による干渉によって反射が防止できると説明しています。
光の波長レベルの薄膜を媒質に付着させることによって、媒質の界面を効率良くくぐり抜けられるようになるようです。
私は、今まで反射防止膜の現象について以下のような考えに縛られ無限ループに陥っていました。
 
反射防止膜に関する本を読んでいると、反射した光と防止膜で反射した光の波長がお互いに打ち消し合って反射光を無くしている、という記述をよく目にする。
とすると、100ある入射光のうちの5つが表面で反射し(5%の反射という意味)、コーティング面で位相が逆転して1/2波長ずれた光の3つが反射して追いかけるようにして打ち消し合う。
3つの光が追いかけるので、先に5つの反射した光のうち3つ分だけ打ち消されるけれど2つは生き残って反射光として残る。
であるならば、100の光は5つと3つの光で互いに相殺されるので8つの光が消耗してしまい、92しか透過しない! 
しかし、現実は、2つの光だけが反射して98の光が透過している!!
 
私は、この問題の解答を自分で見つけだすまでに(どの参考書を見てもこの素朴な疑問に答えてくれなかったので)かなりの時間がかかりました。
今は、自分なりに先に述べたような考えを持つに至っています。
 
媒質に入射する光は、以下の関係によって光が伝達されます。
 
     入射する光(LIN = 反射する光(Lref + 屈折透過する光(LOUT + 吸収・散乱する光(Labs  ・・・(Light67)
 
つまり、一連の流れの中の光は(→ここで言う一連の流れとは、一つのソースから放射された光という意味であり、別々のソースから来た光ではないという意味です)、反射と吸収によって排除された残りの光で進んで行くと言うものです。 打ち消す操作は反射が減ぜられはするものの、そこでの消耗はない、と考えます。
100の光があって、それが表面で5反射されると残りは95となります。
95の光が媒質中で15分吸収されると、80の光となって透過する計算になります。
ですから、反射の際に5つ分ではなくて1つ分だけ減ぜられると、反射の過程では100の光は99が残る計算になります。
波と言うのは面白いもので、電気信号の波でも同様の現象が見られます。
ビデオ信号を接続するのに同軸ケーブルというのを使っていますが、この同軸ケーブルも似たような性質があって、75Ωのインピーダンスマッチングさせたケーブルを使うと、理論上、無限大にケーブルを延ばしても電気信号は減衰せずに伝播します。
もちろん無限大に延ばして使用できるビデオ信号の周波数帯域があります。ビデオ信号が採用している周波数帯域にマッチした同軸ケーブルを使うと、ケーブル内で一種の共振現象がおこって、波が安定し、減衰を抑えて信号を長い距離を伝播させることができます。
光の分野の薄膜においてもビデオ帯域の同軸ケーブルと同じような共振条件が揃う条件があり、「光の波長レベルで共振条件をつくり出して、光の方向を反射から透過へ振り向けグイグイと光を媒質に送り込む」、と、そんなイメージを抱いています。
話が横道にそれましたが、光の干渉を利用した反射防止膜の膜厚は光の波長の1/4波長、もしくは1/2波長です。
その厚さはサブミクロンに相当しています。
 
■ ニュートンの薄膜研究(Thin Layer)
薄膜に光の干渉作用があることを最初に研究した人は、英国の物理学者ニュートン(Sir Isaac Newton: 1642-1727)でした。
研究を始めたのは、ニュートンが永年住み慣れたケンブリッジから、1696年に造幣局長の椅子を得てロンドンの邸宅に移り住み始めた頃のことです。
彼が邸宅の窓よりシャボン玉を吹いていたのを通行人が見て、子供のようなニュートンにロンドン市中で評判になったそうです。
彼は童心に帰ってシャボン玉遊びに夢中になっていたわけではありませんでした。
彼はシャボン玉に浮き上がる玉虫色の紋様をながめながら、シャボン玉が水の薄膜でできていることを認識しシャボン玉の大きさで膜の厚さが変化し、その変化によって表面の色が変化することを克明に記録しました。
シャボン玉は吹き初めの液膜が厚いときは無色ですが、大きくなるに従い(膜が薄くなるに従い)鮮やかな色がつきはじめ、青色から黄色、赤の順序で色が変わっていき、ついにはほとんど色彩がなくなって銀白となり、最後は真っ黒の膜となって破裂します。
このような観察をしたニュートンでしたが、膜の厚さと色のつき具合までは測定できませんでした。
しかし、彼の観察に敬意を表して、膜の厚さと色の関係を一覧表にするにあたってこれをニュートンスケールと呼んで使われているそうです。
光の干渉によって起きるシャボン玉の色は、液膜が1ミクロン程度で赤色になり、0.5ミクロンで紫、0.3ミクロンで白、0.1ミクロンで黒になるそうです。
いずれにしても、光の1波長程度の膜厚間で光の干渉が起きているのです。
 
■ レンズコーティング(Lens Coating) (2004.12.25追記)
薄膜の干渉の重要な応用として、コーティング技術があります。
コーティングとは、ガラスの表面にガラスの屈折率とは違う材料の薄膜を正確な厚さで重ね合わせるものです。
写真レンズでは反射光を減らすために単層の反射防止膜を施したものが広く使われています。
レンズにコーティングを施すことを最初に試みたのは、イギリス人の光学学者のデニス・テーラー(H. Dennis Taylor:1862 - 1943)でした。
彼は、1894年にレンズ焼けをおこしている古いレンズから偶然に反射防止膜を発見したそうです。
彼はこの経験を元にレンズ表面を酸化処理させてコーティングを施す処理を考え1904年に特許を取得しました。
しかしながらこのレンズは、製造にばらつきが出て性能的にあまり芳しいものではありませんでした。
レンズコーティング手法を確立したのは、1936年、ドイツの Carl Zeiss(ツァイス)社のAlexander Smakula博士です。
彼は、真空容器の中にレンズを起き、これにフッ化マグネシウム(MgF2、n = 1.38)を過熱させて蒸発させレンズ表面に付着させるという真空蒸着手法を考案したのです。
ドイツのZeiss社が開発したレンズコーティング技術は、ドイツ軍のトップシークレットとして公開されず、彼等の軍用光学機器(測距儀や双眼鏡)に使われました。
コーティングを施したツァイスの双眼鏡は70%も明るさを増し(当然フレアがなく切れが良い)、ドイツ軍の頼もしい装備品となりました。
レンズコーティング技術が公開されたのは第二次世界大戦が終わってからでした。
(別の文献によりますと、真空蒸着を行ったのは、同じ年1936年に米国カルフォルニア工科大学のストロング(J.D. Strong)で、彼は、真空中(10-4torr以下)でガラスを置いてフッ化カルシウムを加熱して蒸着したそうです。この蒸着は初期のものは爪などでこするとすぐに剥げてしまう代物でしたがレンズを加熱することにより強い膜ができるようになりました。Strong博士はパロマ天文台の天体望遠鏡に関する研究に従事し鏡のコーティングの研究をされていたようです。)
レンズにコーティングを施さない場合、空気中からガラスへ光が垂直入射すると、フレネルの反射則に従ってガラスの屈折率が1.5の時に4%の反射になります。
これが屈折率1.6に増えると反射率も5.3%に増えます。
レンズは大抵一枚ではなく複数枚のレンズで構成されるのでレンズを光が透過する毎にレンズ表面で反射を繰り返します。
レンズ枚数をmとすると、入射する100%光は以下の式によって、
 
     Rt = 100 x [1 - (1 - R/100)2m  ・・・(Light65)(前述)
       Rt : 複数層(n層)の媒質を透過する光の総合反射率
       R: 媒質の反射率
       m: 透過する媒質(ガラス)の層(枚)数
 
(1 - R/100)2mの光しか透過しないことになります。
また、レンズで反射された光は、その前にレンズが置かれているとその面で反射されて再び主光線の方向に入り込んで最終的にカメラにレンズで反射された散乱光が入ってきます。
これらの反射光はレンズごとに何度も繰り替えされるため像を構成する光とはならず撮像面を照らすノイズ光になります。
この光は、つまり、像のコントラストを低下させたりフレアっぽい画像となります。
レンズ表面反射による散乱光は、レンズの枚数が多くなると急激に多くなります。
レンズコーティング技術は、レンズ枚数の多いズームレンズや高性能レンズにとって朗報でした。
表面反射と反射によるフレアのために使い物にならなかったレンズ群の多いレンズが主役の座を占めるようになりました。
コーティング技術は、第二次世界大戦後にドイツZeiss社の技術が公開された真空蒸着法によって丈夫な単層反射防止膜が作られるようになり、Zeiss社の特許が切れた1960年代から急速な普及を見ます。
それまで4%以上もあった反射を可視光領域全般で1.2〜1.4%に減ずることができ、透過率を飛躍的に向上させることができました。
薄膜の屈折率がガラスの屈折率より小さい場合、そして、膜の光学的厚さが光の波長の1/4の場合(光がガラス面にあたって反射するので、光の反射光路は波長の1/2になります)、垂直入射光に対する位相が反転し(180°)干渉によって反射光の強度が最小となります。
薄膜は、フッ化マグネウム(屈折率1.38)を使うことが多く、この薄膜コーティングによって先に述べた反射率を4%から1.2%へ減ずることができ、レンズ内を効率よく透過させることができるようになりました。
しかし、単純に単層のコーティングを施しただけでは、400nmから700nmの波長を持つ可視光全域にわたってうまく消すことができません。
人間の眼が緑色に対して感度が高いため、レンズ自身に緑色を多く透過させることを主目的に緑色部の透過を良くするコーティングを施しています。
こうすると赤と青の反射が強く出てしまうため、コーティング面の色が赤紫(マゼンタ)に見えます。
一般の写真は、眼に比べて青色方向に感度があるので、人間の感度中心よりは中心波長を青に寄せるように設計されています。
したがって、そのような写真レンズでは黄橙色(アンバー)色のコーティング反射光が見えるようになります。
コーティング材の薄膜は、微視的にみるとその表面で反射がおきています。
つまり、反射防止膜を施しても、反射光を0にすることは不可能なのです。
射防止のために必要な薄膜の条件は以下の二つです。
 
     反射防止膜の屈折率
       n = √(ng  ・・・(Light68)
 
     反射防止膜の膜厚
       n x d = m x λ / 4  ・・・(Light69)
         n: 反射防止膜の屈折率
         ng:ガラスの屈折率
         d: 反射防止膜の厚さ
         λ: 透過光波長
         m: 整数 m = 1、2、3、・・・ 
 
理想の反射防止膜の屈折率は母材料であるガラスの屈折率の平方根です。
ガラスの屈折率が1.51である場合に要求される反射防止膜の屈折率は1.23となります。
今のところ、低い屈折率で丈夫な膜を形成する材料は見出されていません。
そこで、使用可能な材料を使って単層膜を二層、三層と重ね合わせて垂直入射光に対する反射光を減じ、併せて広いスペクトル域に渡ってこの値を低く抑える多層膜技術が開発されました。
現在、反射防止膜として使用できる材料は、
 
   フッ化マグネシウム(MgF2、n = 1.38)
   硫化亜鉛(ZnS、n = 2.4)
   氷晶石(Na3AlF6、 n = 1.35)
   酸化ジルコニウム(ZrO2、 n = 2.00)
   酸化アルミニウム(Al2O3、 n = 1.60)
   酸化チタン(TiO2、 n = 2.40)
   酸化シリコン(SiO2、 n = 1.46)
 
 
上の写真のレンズは、Pentaxカメラのズームレンズf40mm〜f80mmF2.8/4で、1979年(今から25年前)に購入したものです。
レンズ前面にSMC(Super Multi Coated)と刻印されていて多層膜コーティングを誇らし気に示しています。
ペンタックスは1970年代初めからマルチコーティングを始めています。
私がこのズームレンズを買った当時は、まだ像の切れが甘くシングルレンズ(単焦点距離レンズ)の切れ味にくらべると、画質はほど遠いものでした。
このレンズはコーティングが玉虫色に見えて、当時の他のレンズに比べてレンズ面がとてもきれいでした。
マゼンタとブルーの反射が強く見えます。
そんなわけでコーティングの参考にと載せたまでです。
このレンズは、私の所有するレンズの中ではあまり活躍せずに現役をほぼ終わりつつあります。
今のズームレンズの画質はかなり良くなっています。
 
■ 干渉フィルタ(Interference Filter, Bandpass Filter) (2004.07.20)
干渉フィルタは、バンドパスフィルタとも呼ばれています。
フィルタには、干渉フィルタとは構造が異なる吸収フィルタがあります。
吸収フィルタは、ガラスを着色して希望する光の波長を透過させて残りは吸収させるものです。
干渉フィルタは、光の干渉原理を使って選択透過させるものです。
従って干渉フィルタの方が狭い帯域の光を透過させることができます。干渉フィルタは、光学プレート(ガラス基板)上に薄膜を形成させるので、レンズコーティングと似ています。
しかし、コーティングが薄膜の干渉によって反射を弱める働きをするのに対し、干渉フィルタは1対(2層)の半透明薄膜の間に透明膜を挟む構造となっていて、1対の半透明膜で挟まれた透明膜の膜厚で干渉を起こして光が選択透過されます。
この原理は、ファブリ・ペロー(Fabry-Perot)の干渉原理と同じです。
ファブリ・ペローの干渉についてはレーザのエタロンの項目を参照下さい。
こうしてできた干渉フィルタは、光の波長レベルの膜厚を精密に調整して製作することによって極めて狭い波長帯域を透過させることができます。
選択透過する波長は透明膜の膜厚で決まります。
干渉フィルタの基本原理はファブリ・ペローの干渉ですから、干渉によって透過する波長は、膜厚の整数倍の波長(もしくは整数倍分の1の波長)となります。
従って、可視光域の干渉フィルタでは、その倍の波長である赤外域に透過する帯域ができてしまいます。
紫外域にも透過帯域が現れますが、基板ガラスが紫外域を透過しない光学ガラスであれば、この帯域をカットすることができます。
石英ガラスを基板とした紫外フィルタでは赤色領域に副次透過光が現れます。
副次干渉透過光をカットしたい場合は、紫外干渉フィルタの後ろに赤色カットフィルタを挿入して2枚で使用します。
干渉フィルタの使用に際しては、入射光はフィルターに対して垂直に入れる必要があります。
干渉フィルタの原理は、先に説明しましたように膜厚によって透過波長が決まります。
従って、入射光が斜めから入る場合には膜厚の光学的距離が変わるためそれによって干渉を起こす波長が変わり、中心波長は短波長にシフトします。
例えば、入射角度0で設計された中心波長632.8nmの干渉フィルタに入射角度5°で光を入射させると、中心波長は631.5nmとなり2.3nm(係数にして0.998)分だけ短波長側によります。
従って、広角レンズに干渉フィルタを装着するときは、透過波長に注意をする必要があります。
 
 
▲ 金属干渉フィルタ、非金属(誘電体)干渉フィルタ
干渉フィルタを作る際に、金属蒸着を使ったものを金属干渉フィルタと言います。
使用する金属は、ミラー製作と同じ材料のアルミニウム、白金、銀、クロムなどが使われます。
これらの金属を厚く蒸着させると間違いなくミラーになってしまいますが、薄い蒸着を施すと半透明金属膜となります。
半透明膜はハーフミラーとしても馴染みのあるものです。
この金属膜の間に膜厚を精密に制御した(1/2波長もしくは1/4波長の)非吸収透明膜(フッ化マグネシウムなど)を蒸着させて干渉条件を成立させますと、立ち上がりのするどい干渉フィルタが出来上がります。
金属膜に変えて非金属(誘電体)膜で作られた干渉フィルタを非金属(誘電体)干渉フィルタと言います。
材料は、硫化亜鉛(ZnS、屈折率 n = 2.35)、氷晶石(Cryolite、クライオライト、AlF3・3NaF、屈折率 n = 1.35)などが使われます。
このタイプの干渉フィルタ(誘電体多層膜フィルタ)では、このような材料を何層も重ね合わせた多層膜構造が主流です。
多層膜にすることにより透過中心波長を正確にし、その幅を狭くすることができます。
非金属(誘電体)干渉フィルタは、金属干渉フィルタと比べて光の反射が少ないので透過波長のピークが高く、半値巾も狭いという特徴を持っています。
 
■ ダイクロイックミラー(Dichroic Mirror) 
ダイクロイックミラーは、非金属干渉フィルタの特殊なもので三色分解用フィルタとして開発されました。
CCDカメラを3つ使ってカラーカメラを作るときにCCD撮像素子の前にこの光学系を配置して、R.G.B.(赤・緑・青)を効率よく色分解させてそれぞれの色に反応するCCD素子に導きます。
ダイクロイックの本来の意味は、di = 2つの、choroic = 色の、という合成語で二色性という意味です。
つまり色を二つに分けるフィルタがダイクロイックミラーということになります。
3色分解フィルタは、ダイクロイックミラーを二つ使います。
一番目のミラーで青と緑・赤の2つに分け、二番目のミラーで緑と赤に分けます。
ダイクロイックミラーは、吸収フィルタ(余分な光をフィルタで吸収して希望する光だけを透過させるフィルタ)ではないので、光のロスが少なく効率良く光を分解することができます。
干渉原理のなせる技です。
入射した光を2方向に分ける必要上、ミラーは入射光に対し45°に傾けて設置され、希望する波長の光を入射光に対して90°方向に反射させ残りを透過させます。
反射させる光は比較的広帯域で、干渉フィルタよりも広い範囲の波長を反射させることができます。
 
■ コールドミラー・コールドフィルタ 
コールドミラーは、熱反射ミラーとも呼ばれているもので、映写機や液晶プロジェクタ光源部の熱線反射ミラーとして使われています。
映画フィルムは、その昔、支持母材にセルロイドが使われていました。
セルロイドは着火性がとても良くて、一度火がつくと勢い良く燃えます。
そんな危険なセルロイドが映画用のフィルムに何故使われていたのかというと、寸法安定性がよかったからです。
昔は眼鏡のフレームにもセルロイドが使われていました。
危険なフィルムを使っていたおかげで映画館の中の映写技師は火薬の中で火遊びをしているような心境だったと思います。
実際、映画館の火災事故は多く、事実、20年ほど前(1984年9月3日)には、東京都中央区の東京国立近代美術館フィルムセンター倉庫から出火し,330本にも及ぶ古い名画フィルムが焼失しました。
フィルムに余分な熱を加えない工夫が、光源からの熱をコールドミラーによって排除して光だけをフィルムに集める工夫でした。
フィルムプロジェクタや液晶プロジェクタ、ショーウィンドウの光源などにも熱反射タイプのコールドミラーやコールドフィルタが使われています。
 
■ 薄膜技術のまとめ(Thin Layers Technology) (2018.09.29 追記) 
光の干渉を巧みに利用した製品は多くが薄膜技術で成り立っていることがわかります。
薄膜の使い方で光をうまく透過させたり反射させたりできます。
その薄膜での光の干渉をまとめたのが以下の式です。
薄膜コーティングは、波長の厚さ分を目安に蒸着されます。
面白いことに、光は屈折率が変化する面で2者の屈折率の度合いによって反射の位相が反転したり同じであったりします。
空気からガラス、水に入るような低い屈折率の媒質から高い媒質に入る時は位相が反転し、逆にガラス、水から空気に抜ける時の反射は位相が同じになります。
従って、
 
     2 n d cosβ = m λ  ・・・(Light70)
     2 n d cosβ = (m-1/2) λ  ・・・(Light71)
        n : 薄膜の屈折率             
        d : 薄膜の厚さ             
        β : 屈折角             
        m : 整数(1、2、・・・) 
            
という関係式は、空気から水面に浮かんだ油膜(空気の屈折率 = 1.00、油膜の屈折率 = 1.4、水の屈折率 = 1.33)では上の2式の上段の式で反射光が打ち消され、下段の式で強調されます。
また、レンズコーティング(空気の屈折率 = 1.00、コーティング材の屈折率 = 1.2、ガラス屈折率 = 1.5)では、油膜のケースとは逆に上の2式の上段の式で強調され、下段の式で打ち消されます。
このように媒質の違いによって反射面での光の位相が反転するために、同じ膜厚でも媒質の違いによって光が打ち消さたり強調されたりします。
 
膜厚と干渉の関係
 
 
 
■ 干渉と回折の祖 - トーマス・ヤング(Thomas Young:1773-1829)
トーマス・ヤングについては、本サイトでたびたび出てきています。
ニュートンと共にヤングは、光学の世界では忘れてはいけない先駆者です。
ニュートンとヤングは同じイギリス人ですが、同時代の人ではありません。 日本の歴史の尺度で言いますと、ニュートンは江戸時代初期の人でヤングは江戸時代後期の人です。
ニュートンが光を科学的に見つめることを始めて、ヤングがその世界をワンステップ押し上げた感じを受けます。
その後に、スコットランド人マクスウェル(James C. Maxwell:1831 - 1879)が出て、光は電磁波の世界に入って行きますが、ヤングの光の波動論は、光の素性を知る上で大きな足跡を残しました。
トーマス・ヤングとはどんな人なのでしょう。
トーマス・ヤングは、1773年6月、英国サマーセット(Somerset)州ミルバートン(Milverton)の家柄の良い家に生まれました。
ミルバートンは、イギリス南西部の小さな小島にある町です。
父親は銀行員だったそうで、17世紀に作られたキリスト教の一派クェーカ教(Quaker)の熱心な信者でもありました。
当然、息子のトーマスにもクェーカ教の躾がなされます。
彼は早熟で2才で本を読むことができ、その興味は古典にまで及んだと言います。
6才よりラテン語を始め、14才でギリシャ語とイタリア語、フランス語、ヘブライ語、アラビア語など8つの言語に精通します。
17才の時には、ニュートンの『プリンキピア』や『光学』、リンネの『植物学』、ラボアジエの『化学綱要』などを独学しています。
ミルバートンは小さな島の町なのでちゃんとした学校がなかったのかも知れません。
言語学に特別の才能があったようです。
彼は、医学者として身を立てようとしたようで、1793年、20才の時にロンドンのセント・バーソロミュー(St. Bartholomew)病院に医学生として入ります。
この病院に入るきっかけは、彼の大おじにあたる物理学者で医者でもあった Dr. Richard Brocklesby の勧めがあったようです。
トーマス・ヤングは、その病院で視力調整のための筋肉組織の構造研究を解剖を通して論文にまとめ、それが認められて21才で王立協会(Royal Society)のフェローに選出されます。
1795年、彼が22才の時に、スコットランド・エジンバラ大学に赴き医学を勉強します。
その後、1796年ドイツ・ゲッチンゲン大学、1797年から1999年までケンブリッジ大学で医学を学び、1800年、27才の時にロンドンで自ら医業を始めました。
その一方で、翌年の1801年から1803年まで王立研究所教授、1804年から死ぬまで王立協会書記などの多くの学会や委員会の中心的な役割を果たしました。
こうしてみると、彼のライフワークは医学であったことがわかります。
医学、特に目の研究を通して光と関わって行ったようです。
ヤングは、医学者として目の解剖学的・生理学的研究を通じて光学の分野を開拓し、目が光を感知する観点から「網膜が、光のあらゆる粒子を検知するのは不可能」であるとし光の波動説を支持し、これに関する考察を始めました。
この研究を着手したのは1800年、彼が27才の時で、ロンドンで医業を開いた年です。
この研究を通じて、網膜は光の赤・緑・青の三原色に反応する視神経から成り立っていることを明らかにし、ヘルムホルツと並んで光の三原色の提唱者となりました。
その他、音の伝播の類推から光の干渉を解きあかし、薄膜やニュートンリングなどの現象を科学的に解明し、1802年、「物理光学に関する実験と計算」を著しました。
この論文では、光の波動性を述べ、かつ、光は縦波であるとしました。
光が縦波であるとする見解は、その後、同じ研究を行ったフランス人物理学者フレネルによって訂正され、より高度な波動光学理論へと発展していきます。
ヤングの干渉実験は、1801年から1803年にかけて王立研究所での講演論文『自然哲学講議』(Philosophical Transactions of the Royal Society)にまとめられています。
しかし、発表当時、彼の研究成果は大きな評価を与えられませんでした。
1800年当時の光学は、ニュートンの影響が強かったのです。光の粒子説を根本とするニュートンの光学に真っ向から対立するトーマス・ヤングの学説に正しく耳を傾ける学者は少なかったのです。
彼はまた、物質の構造についても構造力学の関心を示し、ヤング率を発見します。
ヤング率は、王立研究所の同じ講演論文の中に収められていて、アーチ固有の構造に関する講演の中で応力と歪みの比が一定であるとするヤング率の定義が書かれています。
 彼の晩年は、彼の最も得意とする現語学の研究に戻り、ナポレオンがエジプト遠征で持ち帰ったロゼッタ石の解読に専念し、死の直前に古代エジプト文字の辞書編集を完成させています。
(ロゼッタストーンのヒエログリフの最終的な解読は、フランスの若き言語学者フランソア・シャンポリオンが行いましたが、解読の糸口となったのはヤングの研究だったそうです。一説には、解読のために互いに激しい競争をしていたとも言われています。)
 
■ モアレ干渉(Moire Pattern Interference) (2004.08.04追記)
話のついでにモアレ干渉について説明しておきましょう。
モアレとは、フランス語が語源で「波紋状の、キラキラした」という意味です。
光学はフランスが強かったことを証明する置き土産でしょうか。モアレ干渉は、光の波長レベルの干渉ではなくもう少し大きなレベルでの干渉です。
テレビ番組で出演者が縞や格子状のネクタイ、上着を着用していますと、本来の柄とは違った模様が写ります。
これも干渉の一種です。波長レベルの周波数ではないけれど光の強弱が互いに干渉して新しい模様ができます。
これがモアレと呼ばれる現象でモアレ縞とも呼んでいます。
モアレ縞のできる間隔(W)は、以下の簡単な式で表されます。
 
     W = ω / [2・sin(θ/2)]  ・・・(Light72)
        W : モアレ干渉縞のピッチ             
        ω : 格子のピッチ             
        θ : 格子の傾き
 
上式のθが十分に小さいとき(0.05ラジアン = 2.8°程度まで)は、
 
     W ≒ ω / θ  ・・・(Light73)
 
の近似式がなりたち、この式から傾き(θ)を大きくしていくと、モアレ干渉縞のピッチ間隔が小さくることがわかります。
θ = 0.05ラジアンでは、格子ピッチの20倍のモアレ縞が現れることがわかります。  
 
▲ペリクルミラー(Pellicle Mirror) (2004.06.18)
干渉とは直接関係ないものですが、興味のついでにここに紹介しておきます。
ペリクルミラーは干渉の起きないミラーです。
ペリクル(Pellicle)の本来の意味は、細胞の表面を保護する薄い膜状の外皮のことだそうです。
ペリクルミラーは、膜厚が数um前後の極めて薄いニトロセルロースやポリマーでできたもので、この膜にコーティングを施すことにより、極薄のミラーができます。
ミラーと言っても半透明ミラー(ビームスプリッタ)として使われることが多く、支持体の厚さがほとんどないため裏面より反射する光が表面からの反射とほとんど変わらないという特徴があります。
私はこのミラーを分光器の前面において光を分けたり、同軸光学系のシュリーレンシステムのビームスプリッタとして使ったり、1台のレンズから2台のカメラに光を導く時のビームスプリッタとして使ったことがあります。
非常に薄い膜なので取り扱いに注意が必要です。私は、一度そのミラー膜を不注意で破ってしまったことがあります。
ペリクルミラーは、35mm一眼レフカメラにも採用されたことがあります。
古くはキヤノンのペリックスに採用され、最近では同じキヤノンのEOSに採用されました。
一眼レフカメラのレンズとファインダの間には、通常、跳ね上げ式の全反射ミラーがあって、フォーカス時にはレンズからの光がこの反射ミラーですべて反射してファインダに入ります。
撮影ボタンを押すとこのミラーが跳ね上がり、レンズからの光はフィルム面側に導かれます。ミラー跳ね上げ式は、非常に画期的な機構でいつもファインダから被写体が見え、ピントも合わせやすいことからこの種のカメラを一番成功したものにしました。
しかしながら、ミラーが跳ね上がる時にそのショックでカメラが振れたり、1秒間に5コマ以上の連続撮影する場合にはミラーが激しく動いて振動するために、耐久性や使い勝手が問題になりました。
こうした要求に応えてペリクルミラー式のカメラが開発されました。
ペリクルミラーは、入射光の35%がファインダに導かれ残りの65%が撮像面に通るようになっていて、常時固定されていますから撮影時のミラーの跳ね上げはありません。
長時間露光でもファインダで視野を確認できます。
しかし、35%の光しかファインダに回されないため、ファインダ自体は暗く、被写体が暗い場合は65%の光しか撮像面に回されないため光量不足になる心配が出てきます。
ペリクル膜はまた、半導体製造のフォトマスク(原版)のゴミ除去用のカバーとして大きな需要を見い出しています。
半導体を製造するときフォトレジスト法によって原版を紫外線で基板上に投影して回路を焼きつけていきますが、その時に原版にゴミが付着すると回路が正しく焼きつけられません。
原版の前後にペリクル膜でカバーをかけておけば、ペリクル膜上に付着したゴミは焦点が合わないので基板にゴミが結像する心配がありません。
さらにペリクルは極めて薄い膜なので、露光経路に介在しても焦点移動の心配がないという特徴があります。
こうした特性が活かされて、半導体分野ではたくさんのペリクルフィルムが使われています。
この分野では、光源である紫外線の吸収とフォーカスズレを抑えるためにできるだけ薄い膜が望まれていて0.8um厚のペリクルも開発されています。
 
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光の吸収(Absorption)
 
■ 透明物体、白色体、黒色体 (2004.04.20)(2004.09.06追記)
光を透過する物体の説明は、光の反射 - 通り抜ける光、捕捉される光で説明しました。
光は本質的には大きさを持っていないため、あらゆる物質に対して透過する能力を持ち合わせています。
しかし、物質を構成している電子と光は互い仲が良く相互に働きあって、光のエネルギーを電子がいともたやすく捕縛する事実が認められています。
この事実から、物には光を通す物体(光エネルギーをもらいやすい物体)と通さない物体(光エネルギーをもらいにくい物体)があることがわかります。
白色体も黒色体の説明も電子と光の相互関係で説明がつきます。
透明体は、物質が光を捕縛せずになおかつ光の進行を邪魔しないものであり、白色体は、光を捕縛しない物質であるけれど結晶塊が不揃いのために光が内部で乱反射を起こして白く見えるものです。
黒色体は、光を捕縛する電子がたくさんある物体で電気をよく通す物質でもあります。
黒い物体で電気を通さないものは、物質の表面が比較的深い小さな穴がたくさんあいた構造のもので、光がその穴の中に入って吸収されてしまうものです。
黒色アルマイトがその好例でしょう。
色のついた物体は、光を選択吸収するものであり、吸収されなかった波長成分が反射もしくは透過するものです。
物質には光の波長に対して良好な吸収を起こすものがあります。
酸化銅は緑色であり、コバルトは青、カドミウムは黄色、酸化鉄は赤色を呈します。
これらの事実は、物質の周りを回っている電子のエネルギー準位と光のエネルギーの吸収と密接な関わりがあり、分子の周りを回っている電子は、特定の波長の光を吸収する性質から来ています。
純度の高い原子結晶や分子構造のものほどその性質は顕著に見られます。
こうした物質は、特定の光を吸収するので色がついて見えるのです。
絵画に使われる具材、繊維を染める染料や顔料などは、人類が長い歴史を通じて発見し使用してきた材料です。
 
■ カラーフィルタ (2004.06.19)(2009.07.25追記)
先に述べた干渉フィルタとは違って、特定の光を吸収して希望する光の波長を透過するフィルタがあります。
可視光全域に渡って光を吸収するフィルタはサングラスで知られています。
光学フィルタで可視光全域を一定の割り合いで吸収するフィルタをND(えぬでぃ、Neutral Density)フィルタと呼んでいます。
光を吸収するフィルタは、母材の中に特定の波長を吸収する色素や金属、金属イオンを混入させて平面板とするのが一般的です。
母材は、ガラスやプラスチック、トリアセテート、ゼラチンなどです。ガラスフィルタは堅牢で持ち運び易い特徴があります。
ガラスフィルタは、ガラスを溶解して作る時に、着色剤を混ぜてるつぼで溶かし色ガラスを作ります。
使用する着色剤は、クロム、マンガン、鉄、コバルト、ニッケル、セリウム、ネオジムなど遷移元素を主とする有色イオンを使うものと、銅、銀、白金、イオウ、セレンなどの元素や硫化カドミウム、セレン化カドミウムなどの化合物をコロイド化して着色する方式があります。
硫化カドミウムとセレン化カドミウムの組み合わせでは、その混合比によって淡黄色から赤色まで着色が変わります。
 
▲ゼラチンフィルタ
コダックのラッテンフィルタは、上のような紙パックに入れられて販売された。非常にたくさんのフィルタが供給された。
色ガラスは、ステンドグラスでも良く知られているようにいろいろなものができます。
しかし、学術用に使うには品質の安定性、任意の波長透過、大形フィルタを作るのが困難です。
コダックのラッテンフィルタ(Wratten Filter)は、厚さ0.1mm+/-0.01mmを持った表面をラッカーで塗布したゼラチンフィルタで、ガラスフィルタに比べ非常にたくさんの種類があります。
母材にゼラチンを使っているため、着色剤(有機色素)をうまく混ぜることができ均質なフィルタを作ることができます。
しかも大形(350mm x 450mm)のものが安価にできるメリットがあります。
ただ母材がゼラチンのため高温、多湿の環境では品質が劣化します。
ゼラチン膜をガラスやトリアセテートフィルム、プラスチックに塗布したり、サンドイッチ構造にしたフィルタもあります。
ラッテンフィルタは、大形カメラの写真撮影や学術用(天体観測分野)によく利用されています。
カラーフィルターの大きな役割は以下の3つに分けることができます。
 
1. CC(Color Compensating)フィルタ - カラースペクトルの一部を部分的に補正。
  細かい色補正。R、G、B、Y、M、Cの6色の基本色に加え濃度の異なったものが用意されている。
2. LB(Light Balancing)フィルタ - 光源の色温度を補正。色温度を上げるブルー系と色温度を下げる
  アンバー系の2系統。可視光全般にわたっての調整を行う。
3. コンバージョンフィルタ - 光源の光の色質をカラーフィルムがバランスされている色質に変換
  するためのフィルタ。LBフィルタに似ているが効果が大きく、色温度を大きく変えることができる。
 
ラッテンフィルタは、これを発明した英国の発明家 Frederic Wrattenn(1840 - 1926)にちなんでつけられた名前で、コダックが1912年に製造販売権を取得して現在まで販売を続けています。
これらのフィルタは、デジタルカメラの台頭でコンピュータ上で色変換が任意にできるため、その役割を徐々に減らしつつあります。
 
 
 
 
光の散乱(Scattering:レーリー散乱とミー散乱) (2002.10.27)(2009.07.25追記)
 
光技術の世界に身をおいていますと、ミー散乱(Mie scattering)という言葉をよく耳にします。
難しそうな言葉の響きですが(確かにミー散乱の理論式は複雑)、太陽の光を受けた雲のかたちやタバコの煙が実はミー散乱であると聞けばニュアンスは伝わるかと思います。
最近では、レーザ光の出現によって純度が高くてきれいな光(ここで使うきれいな光とはコヒーレントという意味合いを指します)が得られるようになり、このレーザ光を微粒子に当てて光の散乱による微粒径測定を行う研究が多くなりました。
レーザ光はきれいな光であるため、この光による散乱がMieが唱えた光の散乱理論によく合うことから、レーザ光による微粒子の散乱強度を測定して粒径を計ることがさかんに行われるようになりました。
ミー散乱もレーリー散乱も粒子が誘電体の場合にあてはまるものです。
ミー散乱は、粒子が比較的大きなものに対して用い、粒子が光の波長に対して十分に小さい(1/10以下の)場合の散乱をレーリー散乱と呼んで区別しています。
レーリー散乱(Rayleigh scattering)の顕著な例は青空です。太陽光が大気に入射して空気分子に衝突するとそこで散乱が起き、波長の短いものほど散乱強度が高くなるため大気中に青色波長が散乱し空を青く染めるというものです。
反対にミー散乱は雲やキリ、モヤなどに見ることができます。
ここで散乱(scattering)という言葉を整理しておきましょう。
散乱という言葉は、規則正しく光が進まずに四散する感じを受けます。
一般に使われる光の散乱と言う言葉は、大気のチリやホコリによって太陽がもやった状態のときに『光が散乱』すると言う言い方をします。
こうした現象は、大気の粒子で反射して四方八方に跳ね返るためですが、これを散乱と言う表現で用います。
鏡などは入射光がきれいに反射するので散乱とは言いません。
すりガラスや白い紙に光があたって光ることは厳密には散乱とは言わず乱反射と言っています。
反射は、入射角と反射角が等しい時に表現されます。
一定の角度で折れ曲がって進むことを屈折と言っています。
また、光が反射する際に波長に依存して光が強めあったり弱めあったりすることを干渉と言っています。
光が反射・屈折の法則に従わずに回り込むような形で進行することを回折と言っています。
散乱は乱反射に近い感じを与えますが、乱反射は限り無く反射に近くて、散乱は特殊な反射を起こす粒子に対して使われています。
散乱は、回折、干渉を伴った複合的な現象であるとも考えられ理論式で導くことができます。
散乱という言葉からはちょっと想像できませんが、光を波として波の考えから散乱の挙動を数式化できるのはちょっとした驚きです。
そうした散乱の科学的考察が、これから紹介するミー散乱と呼ばれるものでありレーリー散乱と呼ばれるものです。
 
光の散乱には、以下のようなものがあります。
 
・ レーリー散乱(Rayleigh Scattering) - 光の波長よりも小さい粒子が起こす光の散乱。
・ ミー散乱(Mie Scattering) - 微少粒子の光の散乱。
・ ブリルアン散乱(Brillouin Scattering)- 音波との相互作用による散乱。光ファイバー内の歪計測に利用。
・ ラマン散乱(Raman Scattering) - 化学種反応時に放出される光散乱。
                  LIF(Laser Induced Fluorescence = レーザ励起蛍光法)に応用。
・ ブラッグ散乱(Bragg Scattering) - X線回折時に認められる散乱。結晶の散乱。
・ コンプトン散乱(Compton Scattering) - 素粒子の衝突に関する散乱。
 
みなさんはこのうちどれだけ光の散乱について御存知でしょうか。
今回はこの内の上の二つとブラッグ散乱の三つに注目して話を進めていきましよう。
いずれ折りを見ながら後の散乱について追記して行きたいと考えています。
 
レーリー散乱がどうして起きるのかという簡単なたとえを紹介しましょう。
光は波ですから振動によって伝わります。
波長が大きい波と小さな波では、物体に当たったときにその挙動が変わります。
大きな波はその物体を乗り越えて行きますが小さい波は物体によってはね返されてしまいます。
これが微小粒子によるレーリー散乱の基本原理です。
レーリー散乱はレーリーの先輩であったチンダル(John Tyndall:1820-1893)によってその散乱挙動が解き明かされていました。
 
レーリーと呼ばれる人はイギリスの物理学者でかなり有名な人です。
ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所の所長も務めていて、光の散乱のみならず光の回折限界にも言及しています。
イギリスは、ニュートン以来光学に関してはかなり進んだ研究が行わていました。
 
 レーリーの唱えた光の散乱理論は、
 
     I ∝ = 1 / λ4   ・・・(Light74)
         I : 光の散乱強度
         λ : 光の波長
 
で示される関係式です。
光の波長が短いと、その4乗に逆比例して散乱が強くなると言うものです。
ですから青色と赤色では青の方が10倍以上強く散乱されることになります。
レーリー散乱をもう少し正しく示すと、
 
     I = Io x [(8π4Nα2)/(λ4R2)] x (1 + cos2θ) ・・・(Light75)
         I : 光の散乱強度
         N : 散乱数
         α : 偏光指数
         R : 散乱ポイントからの距離
         θ : 光の散乱角度
 
という関係式になります。
かなり複雑な式になりますが、模式的な散乱形態は以下の図のようになります。
レーリの散乱は、ちょうど落花生やお蚕さんの繭のような二つの膨らみをもった形状になります。
これは、上式の1 + cos2θから来るもので、光の進行方向の散乱強度が一番高く、90°方向は半分に減ることがわかります。ミー散乱は、レーリー散乱から少し変型したような形になって前方への散乱が強くなります。
ミー散乱では散乱の際の波長の依存性がなくすべての波長が散乱されます。
 
【レーリー卿 3rd Baron Rayleigh, John William Strutt、1842-1919】
レーリーはイギリスの物理学者で、エセックスのラングフォードグローブに大領主の長男として生まれる。
幼少年時代、体が弱かったため満足な初等教育は受けていない。
1861年、ケンブリッジのトリニティ・カレッジに入学し、そこでストークス(流体力学の数学的基盤を確立した有名な学者)に数学を学び啓発される。
1865年、数学優等試験に合格し、スミス賞を受けて卒業した。
数学の才能は群を抜いていた。
翌年、トリニティ・カレッジのフェローに選ばれた。
当時、英国の優秀な物理学者の多くはヨーロッパの大学へ旅するのが普通であったが、彼はアメリカを選んだ。
アメリカ旅行の後の68年、自分の領地で実験設備を買い集めて私的実験室を創設した。
1871年、彼が29才の時に青空の散乱原理を説いたレーリー散乱に関する論文を発表する。
1872年、ひどいリウマチ熱に冒され、1年間エジプト、ギリシャで療養し73年に帰国。
まもなく父が死亡したため男爵の地位を継ぎ、7,000エーカー(約2,835ヘクタール)の領地管理に専念するが、76年から経営の仕事を弟にゆだね、科学的活動を再開した。
1879年には、実験物理学教授としてマクスウェル(James Clerk Maxwell、1831-1879)の後を継いでケンブリッジの2代目キャベンディッシュ研究所所長となり1884年までの5年間その職を勤めた。
1887年から1905年まで、チンダルの後継者として王立研究所自然科学教授を務め、1905年から1908年まで王立協会会長にあった。その後、1919年に死ぬまでケンブリッジ名誉総長を務めた。
病弱であったが、血統が良く聡明さにも恵まれて位の高い生涯を送った。
レーリーは、初期は光学や振動系の数学的研究に力を注ぐが、のちには音響、電気、磁気、流体力学などで名を残す貢献をし、古典物理学と言われる19世紀物理学のほぼ全分野にわたって研究を行った。
とりわけ音響学、弾性波の研究には優れ、リウマチ熱の療養中エジプトで執筆したといわれる『音響学』(Theory of Sound)は、名著として知られる。
 
 
■ レーリーの回折限界
レーリーは、また、光の回折現象にも触れて光学器械で識別できる2点間の距離の限界を導き出した。
これがレーリーの回折限界として今日の光学設計を行う人達の設計する際の一つの拠り所となっている。
レーリーの回折限界理論を簡単に式に表すと、
 
     d = 2・λ・FNo  ・・・(Light76)
       d: 錯乱円(識別できる限界の点の直径)
       λ: 光の波長
       FNo: レンズ口径比(絞り値)
 
この式では、レンズの口径比が明るければ明るいほど分解能は向上し、扱う光が短いほど(青色の光)分解能が高いことを示している。
例えば、波長500nmの緑の光をf50mm、F1.2のレンズで撮像した場合の分解能は、1.3umであるが、絞りをF22に絞ると22umとなる。
この分解能の理論は、ICチップなど電子回路を製作する際の光によるフォトレジスト過程で紫外光を用いて緻密な回路を焼き付けたり、半導体レーザを使ってCDやDVDディスクを読みとる場合のレーザ光を青色にしたりする拠り所となっている。
また、上の式はおもしろいことを示している。
昨今の固体撮像素子(CCD、MOS)カメラの画素は2.5umまで小さくなっている。
この小さな画素に点像を結ばせたとすると、レンズはF1.8(λ=700nm)からF3.1(λ=400nm)よりも絞ると絞りのために回折像が顕著となり像がボケてしまう。
 
■ チンダルとチンダル現象
John Tyndall(1820-1893)は、アイルランド生まれの英国の物理学者。
生い立ちは貧しく、独学によって成人しマンチェスターの鉄道会社を勤めた後、1847年、新設のクィーンウッド大学で数学を教え、1848年、ドイツのマークブルク大学で化学、物理学を学び、1850年卒業した後、1年ベルリン大学に学んだ。
1853年、チンダルは王立研究所自然科学教授に選ばれた。
彼が選ばれる前にはファラデーがその職にあった。
チンダルの後の王立研究所自然科学教授がレーリーである。
チンダルは、結晶体の磁気的性質をもとにへき開の研究を行い、それに関連して氷河運動の研究へ触手をのばした。その研究の一環で行った登山は趣味にもなり著明な登山家として名を馳せ、『アルプス紀行』、『アルプスの氷河』などの本も著した。
彼は、アイルランド人らしく著述と弁がたったために講議の名手として名声を得ていたようで、50才の時にアメリカに講演旅行をして富みと名誉を得たようである。
また、マイケル・ファラデーの伝記も手がけている。
彼の最も重要な研究は、大気中の太陽光線や熱輻射であった。
その研究の一環として、微粒子による散乱光の研究を行い「チンダル現象」を1868年に発見した。
チンダル現象は、液体中や気体中の微粒子の光の散乱について扱ったもので、レーリーで有名になったレーリー散乱の現象についての先鞭をなした。
しかし、気体中の微粒子散乱についてはチンダル現象と言わずにレーリー散乱とよび、粒子の大きいものに関してはミー散乱と呼ぶようになった。
チンダルは、彼の著書の中で次のように述べている。
 
「風のない日に遠くの小屋の屋根に立ち上る煙の柱を見ていた。
その下の方の背景は松林で黒く、上方は雲を背景とした明るい空であった。
前者の部分は煙を散乱された光で見るので青く、
後者の部分は後方からの煙を透過する光で見るので赤っぽかった。」
 
レーリー散乱現象(大元はチンダル現象)を捕らえた解説である。
チンダル現象は、主に液体中の微粒子の散乱で使われているが、気体中の微粒子の散乱はレーリー散乱ということが多い。
 
 
方や、ミーと呼ばれる人はそれほど名を知られていません。
私自身、ミー散乱と呼ばれる言葉を初めて耳にした時、ミーというのが果たして人物名であるのかどうなのかずっと疑問のままでした。
その疑問が解けてその名前が人物であったとわかるのはつい最近のことでした。
それまで、ミーに関していろいろな資料を探したのですが、その人物についての詳しいことは載っていませんでした。
ミーはあまり有名にならずに生涯を閉じたものと思われます。
ミーは、マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831-1879)の電磁誘導理論を基にして光の粒子による散乱の理論式を構築しましたが、それがあまりにも難しく1969年になってKerkerという人が手を入れて世に広まったようです。
彼とコンピュータの発展のおかげで、ミー散乱が計測手段として使えるようになったと言っても差し支えないようです。
こうして、大空に浮かぶ雲も、霞も、スモッグも太陽光のミー散乱によって出きるものと理解できるようになったのです。
 
青空は、太陽と90°の方向が一番青く見え、太陽に近い所は白くなる。
 
 
 
【ミー、Gustav Adolf Feodor Wilhelm Ludwig Mie、1869 - 1957】 
ドイツの物理学者。
1868年ドイツのRostockに生まれる。
Rostock大学で自然科学と数学の研究を行った。
1891 年Heidelbergで数学の博士号を取得。
1892年から1902年までKarlsruhe技術大学の物理学研究所で助手を勤め、1902年にGreifswald大学に特別教授としての職を得て、ここで後に有名になるミー散乱の論文を書き上げる。
1917年にHalle大学の教授になり、1924年にFreiburg大学に移った。
Gustav Mieは、1908年に球状粒径による光の散乱について最初に考察し公にした人物であるが、散乱を理論立てたのは1969年のKerkerによってである。
Mieの散乱理論は、微少粒体が球形であること、誘電体であること、均一で等方性があること、光学特性が良好なものを前提として数式化されている。
従ってミーの散乱式にあてはまる物体は、数ミクロンの液体粒子がうってつけでエアロゾルの研究などに注目を浴びた。
彼の式を用いると虹の現象をも説明できるそうである。
Mieの散乱理論は、精緻であったが計算式が膨大でかつ複雑であったため、コンピュータが普及する以前はMie散乱式を数表によって計算を行っていた。
近年になって、スーパーコンピュータなどの普及に伴ってMie散乱の式がプログラム化されシミュレーションなどに役立てられている。
 
■ 紫煙・白煙・黒煙
タバコの煙を見ていると面白いことに気づきます。
タバコから立ち上っている煙は紫色をしているのに、人が吸って吐き出したタバコの煙は白いのです。
これは何を意味しているのでしょうか? 
煙草の煙はかなり小さな粒子(詳しく言うとタバコの煙はガス化したものと粒子状の2種類ある)で、その大きさは、0.01ミクロン〜1ミクロン(10nm〜1000nm)と言われています。
それほどタバコの煙は微粒子なのです。
レーリー散乱理論によると、粒子が小さい(波長の1/10程度)場合、波長の短いものほど散乱しやすいので、タバコの先から立ち上る煙は光の青色部を強く散乱させ煙があたかも青色(紫)であるかのように見えるのです。
その煙草の煙もタバコの先から立ち上って、それが上に上がって行くに連れ拡散して薄くなり、色も白くなります。
これは煙が空気に触れることによって水蒸気分子と結びついて粒子が大きくなって、レーリー散乱からミー散乱に変わるためです。
タバコの煙を人が吸って吐き出す煙も同じような理由で白く見えます。
車のマフラーから吐き出される排気ガスを注意深く見てますと、これも面白いことに気がつきます。
車によって排出しているガスの煙が違うのです。
あるものは真っ黒い煙を出しているディーゼル車であったり、あるものは始動直後と思われる水蒸気を含んだ白い煙であったり、あるものは紫がかった煙であったりです。
これらも上で述べたような排気ガスに含まれるガス粒子の大きさに関係しているものと思われます。
薪を燃やしてできる煙にも同じように紫の煙があったり白い煙があったり、黒い煙があったりします。
黒煙や黒雲などはどうしてそう見えるのでしょうか?
白い雲が一転して黒く見えるのは面白いものです。
煙突から出る煙も白い煙は違和感がないのに、黒い煙がもうもうと立ち上ると薄気味悪くなります。たき火でもうまく燃えない時の煙は黒くなります。
ホコリでも白っぽく見えるホコリと黒っぽく見えるホコリがあります。
総じて粒子の大きいものほど黒くなり、粒子が多いほど黒く見えます。
これは、粒子にあたった光が散乱して、散乱した光がまた粒子に当たって、と言う具合にたくさんの散乱を繰り返して、見る側に光が出てこず吸収が起きてしまうためと考えられます。
大きな粒子はその表面の凸凹が大きくて、その谷間に光がトラップされて出てこずに黒く見えることもあります。また、炭素の塊のように可視光域の光を吸収しやすい物質であれば光が反射しないので黒く見えます。
 
■ 青い瞳 (2004.08.01)(2004.10.03追記)
意外なことに、北欧人に見られる青い瞳は、実は青空と同じように光の散乱によって青く見えているのです。
これは意外でした。ネコの目にも青い瞳を持ったものや緑色のものがあります。
瞳が青く見えるのは、虹彩に青色の色素があるからだと単純に思っていましたが、そうではないのです。北欧人の青い瞳は、日本人やラテン人、アフリカ人に見られるような虹彩に含まれるメラニン色素の量が極端に少なくて、光を吸収せずに散乱するために、散乱強度の高い青色が多く散乱して青空のように瞳が青く見えるのです。
メラニン色素は褐色の色素で、人の皮膚や髪の毛にあり、その色素が多い程見た目に黒く見えます。
メラニン色素は人を紫外線から守るためにあるもので、赤道に近い人たちはたくさんのメラニン色素を持つために皮膚が黒く目も黒くなっています。
反面、北欧では太陽の光が弱いので色素が少なく、白い肌や、ブロンズ、金髪の髪、青い瞳を持ち合わせることになります。
神秘的な青い瞳にもそういう秘密があったのです。
色素の弱い瞳を持った北欧人が太陽を眩しく感じサングラスを使うのもうなずけます。
北欧人は、夜でもサングラスをかけて違和感がないそうです。
日本人は、夜サングラスをかけたら暗すぎて何も見えなくなってしまいます。
日本人でも、東北地方には薄褐色や緑色がかった瞳を持った人たちがいるそうです。
青い瞳は劣勢遺伝なので黒い瞳を持つ人との間にできた子どもは間違いなく黒い瞳を持ちます。
青い瞳を持った黒人はいないことになります。
 
■ 見える粒子、見えない粒子 (2004.10.03記)
画像計測の仕事をしていますと、いろいろな方から微小なものを可視化したいという相談をたくさん持ちかけられます。
生物分野でなくても工業分野でも研究対象はどんどん小さくなって来ていて、微少物体の振る舞いを高速度カメラで見たいという要求が強くあります。
代表的なものにインクジェットプリンタの液滴があげられます。
最近のインクジェットの液滴は小さくなって、1.5ピコリットルと言われています。
この液滴の大きさはどのくらいでしょうか。
この液滴を完全球体とすると、
 
     1.5 x 10-12x 106 [mm3] = 4 x π x r3 /3  ・・・(Light77)
                     r = 7.1 um
 
となり、径14umの液滴となります。
14umの液滴を見るためにはどうしたら良いのでしょう。
光学顕微鏡には、対物レンズがx5とかx20、x50という刻印が捺されたものがあり、この顕微鏡レンズを用いれば、14umの液滴を0.7mm程度の大きさに拡大することができます。
この実像を接眼レンズを使って10倍で見たとすると7mmの大きさで人の目に入ります。
人間の目の代わりにCCDカメラを顕微鏡に取り付けると、CCDカメラは人の目ほど融通がききませんからあまり倍率をあげることができず、対物レンズの2倍程度の中間レンズをつけて撮影します。
そうすると、14umのインク滴はCCD上で1.4mmに結像します。
CCD素子は1画素9umとしますと、156画素分の径のインク滴として撮影できることになります。
原理的には写りそうなインク滴ですが撮影してみるとなかなかうまく写りません。
問題は以下の要素が考えられます。
 
・x50の対物レンズは作動距離が数mmと短く、レンズ先端でインクを飛ばさないとピントが合わない。
・ピント方向の厚さが少なくとも14umあり顕微鏡のピントの合う範囲が+/-10um程度であるため、
 非常に狭くピント合わせが難しい。
・インクの飛翔速度が速くて、非常に短い露光をしないと液滴が写らない。
 (秒速3m/sの液滴は10usで30um進む。この距離は液滴の2倍に相当するため、
  0.1usの露光を行わないと移動ボケを伴った画像となる。)
・十数ミクロンの微小体を照明する光源はできるだけ小さな点光源でなければならない。
 大きな光源では光が被写体に回り込み余分な光がレンズに入ってコントラストが低下する。
 
従って光学顕微鏡ではいろいろな限界があるため、小さな物体でしかも動かないものを見る時は走査型電子顕微鏡を使ってシャープな像を得ることが多く、光学顕微鏡では照明法をいろいろ変えてなんとか浮き上がらせようという苦労をします。
顕微鏡下での撮影には照明が大事です。
空中に浮かぶ浮遊微粒子もレーザ光や点光源の光を使わないと浮き上がらないと同じで、光が回り込むとコントラストが低下してうまく写りません。
そして物体が微少であればあるほど、この項で話題にしている光の散乱、回折、干渉作用によって物体を認識することが困難になってしまいます。
現実的に、光学レンズではたしてどこまでの微小物体をみることができるかというと、光の波の性質からどんなにがんばっても0.3um以下は難しいことがわかります。
波長の1/10以下の粒子については光が散乱してしまうので像としての結像ができないことになります。
また、後で述べる光の回折によって像を結ぶべき光が周り込んでボケを作ってしまいます。
光学顕微鏡では1000倍が理論上限界であることの理由です。
それ以上の倍率で観察したい場合には電子顕微鏡を使い、それ以上の倍率を望む場合は以下で述べる回折散乱光による手法によらざるを得ません。
 
■ ブラッグ散乱(Bragg Scattering) (2004.06.28)(2009.07.25追記)
非常に小さな結晶構造を解明する際に使われる手法に、ブラッグが解きあかしたブラッグ散乱による解析があります。
私は、最近になるまでブラッグという人を知りませんでした(正確に言うと、忘れていて思い出せませんでした)。
ブラッグは、高校の物理で習ったという人もいるようですが、私の持っている高校の教科書「物理B」(実教出版1972年)には載っていませんでした。
しかし、高校時代の参考書「親切な物理」(渡辺久夫著)には親切に載っていました。
私はおめでたいことに、ブラッグの法則の項目の所にちゃんと赤ペンを走らせて勉強した足跡を残していました。(彼のことを忘却のかなたに置き去りにしていたようです。) 
 
話は横道にそれますが、私はこの参考書「親切な物理」(渡辺久夫著)に出会って本当によかったと思っています。この本は物理を目指す人にとってはとても良い道先案内人で、この本から実の多くのことを学びました。この本の初版は、昭和34年(1959年)ですから実に50年も前のことです。最初にこの本を手にした高校生は60才を超えていますので、40才以上の理工系の人たちには馴染みの深い参考書です。大学の先生や国の研究機関の博士や企業の研究員にこの本で勉強した人たちも多いと思います。私はこの参考書に高校二年の時に出会いました。初版から13年経っています。版もそのときすでに25版を重ねていました。インターネットで調べると、この本はとっくに廃版になっていて、渡辺先生も御逝去されていらっしゃるようです(先生は1908年生まれ)。残念に思っていたところ、2003年に復刻版運動が実を結んで復刻されたという情報が入りました。なによりのことだと思いました。私は、高校卒業以降、この手の参考書の動向には疎くなってしまっているので、その後、この本より良い本が出ているかどうかよくわかりません。ひょっとしたらもっと分かりやすくて、現代の知見を折り込んだより良い参考書が出ているかも知れません。しかし、私にとって、高校時代に出会ったこの参考書は今でも惨然と輝いていて、折に触れ読み返しています。この本は一生手許において読み返す本だと思っています。
 
仕事の関係上、兵庫県播磨灘研究学園都市にあるSPRing-8の研究施設でX線の画像計測に関わることになり、X線解析をしている一流企業の研究者たちと仕事をする幸運に恵まれました。
そこで得られた知見は、X線を使った解析は面白くて奥が深いということと、X線解析に携わる研究者にとってブラッグの法則は、基本中の基本であるということでした。
ブラッグを知らずしてX線解析を語るなかれ、と言ったところです。
彼等は、物性物理学のエキスパートで新しい材料の開発や物性(結晶構造)の試験に放射光(X線光源)を使っているようでした。
X線は、別の項目でも触れていますが光の仲間に入る恐ろしく粒子性の強い電磁波です。
粒子性が強いというのは、波としての性質よりも粒子としてとらえたほうが理解がしやすいということです。
X線の粒子性の顕著な例としては、原子に当たると衝突して原子をはね飛ばす作用があること、また、原子によってはX線が弾きかえされてそれが散乱という形であらわれるということです。
X線は、当然波の性質も合わせ持っているので、回折という現象も現れます。
X線解析の基本であるブラッグの法則は、X線の特性をうまく言い表わした式のようです。
その公式とはどのようなものなのでしょうか。
そしてブラッグという人はどのような人なのでしょうか。
 
 
▲ ブラッグ(英国Sir. William Henry Bragg:1862 - 1942)(息子William Lawrence Bragg:1890-1971)
父Henryは、1862年、英国Cumberland州Westwardに生まれる。
数学の才能に秀でケンブリッジ大学を卒業後、キャベンディッシュ研究所で物理学を研究し、その後、1886年、オーストラリアのアデレード大学に赴き数学及び物理学の教授の職に就く。
1909年に帰国してリーズ大学教授、1915年よりロンドン大学教授、1923年以降王立研究所長を勤めた。
1904年オーストラリア、アデレード大学で、放射性物質から放射されるX線と物質の相互作用の実験的研究を始め、X線の粒子的特性を実験的に解きあかした。
この間、アインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)の光量子説を知るようになり、X線やγ線が光の延長としてとらえられるとしてその考察を始めた。
1912年にラウエ(Max von Laue、ドイツの物理学者:1879-1960、1914年ノーベル物理学賞受賞)が結晶によるX線回折に成功すると、ただちに1913年から1914年にかけて息子Lawrence(1890-1971)が追実験を行い、この現象が結晶格子面における反射であることをつきとめ、有名な『ブラッグの法則』を導きだした。
X線を使った結晶構造の解明は彼らの名声を高め、1915年、息子のLawrenceと共にノーベル物理学賞を受賞した。
彼は、息子の解きあかした『ブラッグの法則』を元に、X線の波長を特定するX線電離分光計を発明してX線の反射スペクトルの定量測定を可能にした。
X線の波長がわかることによって、照射された原子結晶の構造が精度よく解き明かされることになった。
ブラッグは、父子共々有名な物理学者であり、ブラッグの法則は、息子がケンブリッジ大学を卒業すると同時に研究に着手してその法則を発見した。
父親の庇護のもとに才能の刃を磨いて若い情熱を傾倒させてブラッグの法則を発見した感を受ける。(ただ、親子の関係は良好ではなく、息子の手柄を父親が横取りしているという不満を終生持っていたと言われている。)
若くしてノーベル賞を受賞した息子もまた大学教授の道を歩み、1919年マンチェスター教授、1937年国立物理学研究所所長、1938年キャベンディッシュ研究所所長、1954年より1966年まで王立研究所所長を勤めている。
彼等の研究は、有機化合物の結晶分野に多大なる足跡を残し、生体物質の構造解明の基礎を作った。
 
■ ブラッグの法則
 以下の式が、有名なブラッグの法則(Bragg's Law)です。
 
     2・d・sinθ = n・λ  ・・・(Light78)
       d: 結晶の間隔
       θ: X線の入射角度(照角)(屈折率で扱う入射角とは違う角度)
       n: 次数
       λ: X線の波長
 
模式図を上図に示します。
X線にとって結晶構造は一種の回折格子であるともとれます。
回折については事項で述べますが、X線が結晶構造にあたるとサブナノメートル単位で配列されている原子間距離はX線の波長に近いために回折格子となって干渉を起こします。
上の式は、可視光での回折条件式と極めて似ています。
回折格子(結晶構造)が立体的であるので可視光の回折条件と少し違いますが、X線が可視光の延長にあり波であることの確かな証拠をこのブラッグの法則から読み取ることができます。
ブラッグの法則は、結晶間距離によって波長のズレができその距離が波長の2の倍数になると干渉によって強められるというものです。
結晶構造を解明する研究者達は、結晶に波長の良くわかったX線(λ)を照射し、照射角度(θ)を慎重に変えながら、散乱光強度を検出管で読み取り、結晶間距離(d)を特定しています。
この実験ではX線の波長が極めて重要で、希望するX線の波長を作るためにX線回折格子が使われます。
これは、ブラッグ本人が開発しX線回折による結晶構造解明の先鞭をつけました。
X線の場合、散乱と言っても回折現象と極めて似通った意味で使われていることに気付かされます。
 
 
 
 
 
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光の回折(Diffraction) (2002.11.11) (2009.07.25追記)
 
光が波である性質の一つに、光の回折現象があげられます。
光の回折を現実に体験できるものには何があるでしょうか? 
回折というと、一般的に波が障害物に当たったとき、その裏側の部分に回り込む現象を言います。
大きな建造物の裏側にあってもラジオの電波を受信できるのは電波の回折によってであり、物音がついたての向こうから聞こえるのも音の回折のためです。
また、浜辺に押し寄せる波が防波堤の端から回り込むようにして伝わるのが波の回折としてよく説明されています。
光の場合、波の波長が極端に短いために、現実的な現象として具体例を指し示す事が難しい面があります。顕微鏡の拡大率の限界が光の回折から来ていて、回折像がボケを生じさせてこれが光による分解能の限界となる、と聞けば何となく理解していただけるのではないでしょうか。
また、CDやDVDの記録面の虹色に光る現象は、記録面が回折格子と似たような構造をしているため、光の回折と干渉によって鮮やかな虹色になります。
 
光の「錐(きり)」を作るとき(これは実際にレーザ加工機やIC回路製作をするときに、どれだけ細いビームを作るかという論議で重要な問題になります)、光の回折は避けて通れないものになります。
 例えば、点光源を用いて物体の陰を作ったとしても、細かく観察すると物体の陰はボケた陰影となります。
太陽光によってできる陰は、太陽が大きさを持った光源であるので、物体の影は視角が0.5°の丸い光源が作る陰となります。
したがって、太陽光によって照らされる物体の影は、影になる本影のまわりを部分的に照らされる半影が縁取りを行うのでボケた陰影像となります。
点光源は太陽光線が作る影よりははるかに先鋭な陰影を落としますが、陰影を鮮明にしようとして点光源をどんどん絞って小さくしていくと光の回折のために逆にぼけてくるという現象が起きます。
カメラレンズも、絞ることによってボケが大きくなります。
これは、ちょっと意外な感じがするかもしれません。
カメラでは、ピントを深く合わせるためにレンズを絞ることがよくあるからです。
ですが、レンズを絞るということは、最もピントが合った位置の像は甘くなって、均等にピントの甘い像が出来上がることに他なりません。
レンズを開放にすると、ピントの合う位置の像はとてもシャープである反面、その位置はとても浅く、ピント位置からずれた所では、大きくぼけた像ができてしまいます。ピント位置が外れた像のボケは、当然の事ながら回折によるボケではありません。
 
昔、土門拳と呼ばれる写真家がいました。
彼の作風は、「室生寺」に代表されるごとく、重厚で精緻な作風が真骨頂の写真家でした。
彼は彼の作品を作るにあたり、レンズ絞りをF64程度まで絞り込んで、長時間露光を与える撮影手法を多く取りました。
私は、当時、土門拳の作風とエピソードを知って、レンズは絞れば絞るほど性能が上がるものだと理解しました。
しかし、それが誤りであったと気づいたのはかなりの年月を経てからです。
土門拳の使用したカメラは、4 x 5インチ(101.6mm x 127mm)や8 x 10インチ(203.2mm x 254mm)の大判カメラでした。
このカメラは、フィルムサイズがとても大きく、印画紙に焼く際のフィルムからの拡大率はそれほど大きくはなりません。
そのためにレンズを絞り込んだ撮影で錯乱円(ボケ)が大きくなっても、人間の目の識別限界の0.07mm(70um)以上にはならないのです。
それを彼は知っていて、被写界深度が浅くなる長焦点レンズの性能を補うためにレンズ絞りを絞り込んだのです。
同じ撮影手法を、現代のデジカメを使って行ったらどうでしょうか。
最近のデジカメの画素サイズは、4umです。
2000 x 2000画素を持つカメラは、素子サイズが8mm x 8mm 程度となります。
この大きさは、4 x 5 インチサイズのフィルムに比べて1/200にしかなりません。
このようにしてみると、4umの画素に点像を結ばせるレンズには、回折によるボケが無視できないことがよく理解できます。
デジカメのレンズは、むやみに絞り込むことがないようにカメラ側で制御されています。(安価なデジタルカメラではレンズの絞りをユーザが設定できないようになっています。)
 
■ ヤングの回折・干渉実験
現実世界では認知が極めて難しい「光の回折」を、実験的に確かめたのがイギリスの物理学者トーマス・ヤング(Thomas Young、1773-1829)です。
下の図が有名なヤングの実験の模式図です。
1807年、ヤング34才の時、彼は光を細いスリットに導いて、そこから出る(実質的な点光源となる)光を、さらに複スリットや針金に照射して、その影に現れる回折縞を観察して回折現象を研究しました。
ここで注目すべきことは、回折光の可視化の工夫です。
光は基本的に直進します。
回折は、光が波であるために潜在的に持っているものであり、微細な部分で現れます。
従って、光がたくさん通る所では、回折はたくさんの光量に隠れて顕在化することはありません。
光が少なく、光を遮る部位が大きいと回折現象は顕著になってきます。
上の右の図「回折によるボケの出来具合」が、その考えを表しています。
下の図のヤングの実験は、非常に小さなスリットを通して光の回折を顕著にしました。
ヤングの実験でもう一つ大事なことは、光の回折光を干渉縞として目で見られるように、光源を一旦第一スリットに通して、そのスリットからの光を再度2番目に配列した2つのスリットに入射させて、回折光の干渉を起こさせたことです。
光は波であるけれど、位相が揃っていないとうまく干渉が起きないために、2段のスリット構造として(光の波を整えて)ヤングは実験を行ったのです。
さらに、白色光ではいろいろな波長が混ざっているため、干渉が起きにくいことを考慮して、色フィルタを挿入して単色光での回折実験を行いました。
 
ヤングに先立って、「光が波である」と主張したのはオランダの物理学者ホイヘンスでした(Christiaan Huygens、1629-1695)。
ホイヘンスは、ニュートンと同時代の人でフランスのデカルト、パスカルの影響を強く受けた人です。
ホイヘンスで有名なのは、時計の発明です。また、レンズ研磨に関しても功績を残し、自ら作った天体望遠鏡で土星の惑星(タイタン)を発見しました。
ホイヘンスは、1678年に二次波という概念を導入して光の波動論を唱え、光の直進、反射屈折などを説明しました。
ホイヘンスが光の波動論を展開し、ニュートンが光の粒子説を唱えて大きな論議となったのは有名です。
しかし、ホイヘンスの理論では、光の直線、反射、屈折を巧みに説明できたものの、回折を明確に説明しきれませんでした。
彼の説には、波長の概念が明確になっていなかったのです。
ヤングは、光の波の性質をさらに詳しく調べたのです。
彼は白色光がたくさんの波長によってできていることを見抜き、光の色と波長を特定しました。
彼は、上で述べた実験を通して、色によって干渉縞の間隔が異なるのに気づいていました。
ヤングは、それを調べるため、上の実験装置に光の選択透過を行うフィルタを用いて明暗の間隔を測定し、以下のような見解に達します。
 
「太陽光のスペクトルの端の赤色光を構成する波長は、空気中で、約36,000分の1インチ(710nm)であり、反対の端の紫光の波長は約60,000分の1インチ(420nm)であると思われる。
そして、それらの全スペクトルの平均値は約45,000分の1インチ(560nm)である。
これらの値より、既知の光速の値(1807年当時は正確な光速の値は求められておらず、
レーマーが木星の衛星の食から求めた値)を用いて波長を計算すると、
1秒間に約500兆個の波が目に入ることになる。」
 
当時のイギリスや先進諸国は、まだメートル単位が一般的でなかったのでインチでの研究であったのでしょう。
彼はこの実験を通して、光の波長という概念を初めて明確にしました。
 
 
 
ヤングの実験と考察の後、光の回折を統一的にまとめ上げたのが、フランスの物理学者フレネル(Augustin Jean Fresnel、1788-1827)でした。
ホイヘンスから150年、ヤングの干渉実験から15年経った1816年、フレネルはヤングとは別に、光に波長という概念を与えてホイヘンスの二次波を精密に調べ上げ、二次波同士の干渉と障害物によってできる影の存在、すなわち光の直線性を説明し、併せて、影の近傍に生じる細かい明暗の縞が、光の波動による回折に起因することを理論づけました。
フレネルのこの発見は、光の粒子説と波動説に分かれていた当時の学説に対し、光の波動説に最終的な軍配をあげた出来事でした。
光は、後に、マクスウェルアインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)らによって体系づけられる電磁波によって回折現象が簡単に説明されるようになります。
マクスウェルの概念は、かなり突っ込んだ論議をする場合にはフレネルの理論より正確です。
しかし、この理論は難しいため、電磁波の理論よりは簡便なフレネルの理論を今でも使うことが多いと言われています。
フレネルの理論は、かなり細かいところまで正しい説明を与えるので、光学の研究者の間では、有用な道具としてみなされているようです。
 
■ レンズの分解能
光の回折は、自然界ではあまり顕著に見ることはできませんが、レンズの分解能を語るときその限界を知る目安となるものです。
小さいものを見る場合には物体に目を近づけてみます。
それでももっと小さなもの見たいと思うとき、レンズなどの拡大光学装置を使って見ます。
それでももっと小さいものを見たいときには光学顕微鏡を使い、それ以上の小さいものは電子顕微鏡を用います。
それよりも細かいものはX線回折を使います。
この事実は、別の意味で拡大光学装置には見える限界があることを示しています。
それが使用する光源の波長に起因し、光源が波の性質をもっている限り「回折」という現象があって「ボケ」を作るのです。
 
 
点光源が結像によって点光源とならずに拡がったりぼけたりするのはレンズの収差と光の回折によるものです。
収差はレンズ設計によってある程度抑えることができますが、回折は光の波動性に起因するものなので結像の理論的限界とも言えるものです。
一点から発した光は結像光学系によって点光源像を作ります。
そのときの点光源像の強度は、光の回折によって中心部に輝度の強い正規分布に似た山なりの分布となり、その像周辺部には幾重もの輪を持った回折像となります。
この回折像の輝度分布を持った大きさが像の理論的な限界であり、2点が識別できる限界(分解能)のこの理論式から割り出されています。
 
点光源の像の強度分布は、ホイヘンス・フレネルの原理より、
 
     Io = 1.2λ/n・sinα  ・・・(Light79)
       Io: 点光源の強度
       λ: 光の波長
       n: 媒質の屈折率(空気 n = 1)
       α: レンズが像を形成する際、無限遠からレンズに入る光が屈折して焦点を結ぶ角度
 
で表されます。
この式は、1827年、天文学者であったイギリス人エアリー卿(Sir George Biddell Airy: 1801〜1892)が望遠鏡の分解能を考察する際に定義した式で、この分布を持つ点光源像を彼の功績にちなんでエアリーディスク(Airy Disk)と呼んでいます。
sinαは、光を集める力の項目でも説明しているように、開口数(Numerical Aperture = N.A.)のよりどころとなっているもので、この値(sinα)と媒質の屈折率(n)を掛け合わせたものを開口数と呼んでいます。
 
     N.A. = n・sinα  ・・・(Light80)
       N.A.: 開口数(Numerical Aperture)
       n: 媒質の屈折率
       α: レンズが像を形成する際、無限遠からレンズに入る光が屈折して焦点を結ぶ角度
 
開口数(N.A.)は、顕微鏡の性能を示す値としてよく使われます。
また、我々がよく使っているカメラレンズはレンズ絞りで光の量を制限していますが、レンズ絞りと開口数には、
 
     F = 1 / (2・N.A.) = 1/(2・n・sinα)      ・・・(Light81)
 
という関係があります。
N.A.を用いて点光源の像強度分布を示すと、
 
     Io = 1.2λ/N.A.  ・・・(Light82)
        Io: 点光源の強度
     λ: 光の波長
     n: 媒質の屈折率
        N.A.: 開口数(Numerical Aperture)
 
となります。レンズ絞りで表すと、
 
     Io = 2.4λF  ・・・(Light83)
        Io: 点光源の強度
        λ: 光の波長
        F: レンズ絞り
       (カメラレンズは空気中で使うことがほとんどであるので、n = 1とした。)
 
となります。
上式の強度分布を持った二つの像をそれぞれ近づけて行きますと像は最終的には一致してしまいますが、二つの像として識別できる距離が像の分解能となり、この距離が、
 
     0.6λ/n・sinα  ・・・(Light84)
     0.6λ/N.A.  ・・・(Light85)
     1.2λF  ・・・(Light86)
 
となった時を像の限界分解能と呼んでいます。
これは、二つのうちの一つの回折像にもう一つの回折像を近づけ第一暗環が重なったとき、中央のくぼみ(両者の合成強度の中央値)が両脇の最大値の74%になった時を限界分解能とするものです。
現在、顕微鏡の開口数で一番性能が良いものは、乾燥系(油や水などに対物レンズを浸して使わない方式)でN.A. =0.95であるため、光学顕微鏡で得られる分解能は0.70λが限界となります。
従って、光学顕微鏡では赤色の光では0.49umが限界で、青色では0.28umが分解能の限界となります。
この値は別の見方をすると、ものを拡大する光学器械では、使用する光の波長の7割程度の大きさが識別できる限界であることを示しています。
IC(集積回路)の製造にはマスクパターンと呼ばれる写真技術を応用したプロセス(光リソグラフィ)があり、電子回路をシリコンウエハ上に作るとき、電子回路のパターン図面を縮小投影して焼き付けます。
この時に使う投影レンズはとても性能がよいレンズが使われ、そのレンズと一緒に使う光源として光の回折に良好な青色光源が使われます。
従来は、水銀のe線(λ = 543nm)が使われ、次にg線(λ = 436nm)が使われたそうです。
この光源の変更によって、分解能が28%向上し、面積ではその二乗の50%以上の集積度の向上につながることになります。
このプロセスに使用される光源には、先に述べた水銀ランプのe線(λ = 543nm)、g線(λ = 436nm)、i線(λ = 365nm)から、紫外光を発するレーザのKrF(フッ化クリプトン)エキシマレーザ(λ = 248nm)、ArF(フッ化アルゴン)エキシマレーザ(λ = 193nm)に変わってきて、 短波長化が進んで0.1ミクロン巾の回路設計が可能になっているそうです。
コンピュータのCPUに使われる0.25ミクロンルールの回路設計などは、紫外レーザを光源に使った光リソグラフィ技術のたまものと言えるものです。
過日、半導体製造会社に訪問する機会に恵まれました。
そこでは、300mm径のウェハシステムを導入して、0.06um(60nm)の線巾を可能にするステッパを使うと言っておられました。
60nmの描画を可能にするレーザ光(紫外光)も投影レンズも、さらに露光を助ける微動ステージも機械を設置する足場も相当厳しい性能を要求されるものだと思いました。
ステッパは日本がお家芸だと思っていたのですが、オランダの会社が優秀なステッパを作っているとの事でした。
 
 
 
 
 
エキシマレーザについては、光と光の記録 - レーザ『半導体レーザ』を参照してください。
 
レンズについては、項目を改めて(レンズ・・・人類の科学史上最も有益な発見)で説明したいと思います。
 
 
■ 結像ボケ研究の先駆 - エアリー(Sir George Biddell Airy: 1801〜1892) (2004.07.22)(2004.08.05追記)
レンズを使って、小さな点を像として結ばせる時、例えば1mmの円を1mmの像として正しく結ばせることができるでしょうか。
これは可能です。では、1umの物体を1umの像として結ばせることは可能でしょうか。
これはおそろしく難しいことです。
さらに考えを推し進めて、0.1umの物体をレンズを通して0.1umに結ばせることができるかを考えた時、通常の光では不可能という答えになります。
物体をどのくらいまで小さな像として結ぶか、あるいは、極小点がボケた像となってしまう限界はどのくらいかという問題について、最初に解明したのはイギリスの天文学者のエアリー(George Biddell Airy:1801〜1892)です。
非常に小さな点が理論的に一点に集まらずにボケた像になってしまうことをエアリー円盤(Airy Disc)と呼んでいます。
エアリー円盤の根拠は、光の回折から来ています。
エアリーは、乱視用レンズ(円筒レンズ)を最初に設計した人としても知られています。
乱視レンズを考案したのは、1825年、24才の時のことです。彼がレンズの収差を論じはじめるのは1827年、26才の時で、フランスの物理学者フレネルが没した頃です。
レーリー散乱で有名なレーリー卿が青空の青さを科学的に解明したのは1871年ですから、エアリーよりも50年も後のことになります。
エアリーが点像のボケについて論じたのに対し、レーリーは2点の像分解の限界を科学的に求めました。
どちらも光の回折という性質から、どんな理想のレンズを用いても点はボケを持ち、2点が分解できる精度はおのずから限界があるとしました。
それが先に述べたレンズの分解能です。
エアリー卿は、本来は天文学者であり、ケンブリッジ天文台、グリニッジ天文台の台長として天文学分野で多大な功績を残した人です。
彼は、幼少の頃より数学的才能が秀でていて、1823年にケンブリッジのトリニティカレッジを卒業します。
ケンブリッジ大学卒業後、同大学で数学の教鞭をとりながら天文学に関心を持ち、数学を駆使して天文学を究明するようになり、1828年、27才の時にケンブリッジ天文台の天文学教授、台長になりました。
彼は天文学の分野で地球の子午線の整備や航路の運行整備を行いました。
彼は、ロンドンの名物ビックベン(Big Ben)時計台の建設にもかかわります。
ビッグベンの建設は1844年に議会で決められ、1851年(実際はトラブルが続いて完全な完成は後年)に完成を見ました。
エアリーが立案した時計の仕様が厳しくて、建設が遅れに遅れたという事です。
この時計台は、毎時1秒以内に14トンもある大きな鐘(Big Ben)を鳴らし、1日2回その情報をグリニッジ天文台に電信で送るというものでした。
彼は、類いまれな数学的な素養があったにもかかわらず、性格が陰湿で強烈な皮肉をこめた物言いをした人柄だったようで、ケンブリッジ大学の10才後輩であり天才数学者で機械式コンピュータを考案したチャールズ・バベッジ(Charles Babbage)と強烈に反目しあい、彼のコンピュータ開発の邪魔をしたそうです。
また、ケンブリッジ大学の数学科を出た20年後輩にあたるジョン・アダムス(John Adams:1819 - 1892)に対しても、彼が数学的に求めた海王星の発見(1845年、エアリー44才、アダムス26才の時の発見)を認めず、発見者の栄誉を握りつぶしてしまいました。
マイケル・ファラデー(Michael Faraday:1791-1867) にいたっては、電磁気学の功績も認めなかったそうです。
 
 
 
 
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光の分光 - 回折格子の原理 (2004.06.06)(2004.09.27追記)
光がどのような波長で成り立っているか、を追求する学問が、分光学です。
分光学は、光の回折作用を利用しています。
回折という性質を利用すると、光の波長成分を正確に測定できるようになります。
分光学が発達することによって、光と光に関わるいろいろなことが分かり、宇宙のこと、原子のふるまいなどがよくわかるようになりました。
いろいろな波長が混ざった光をきれいに分別して、波長毎に強度分布を取りだす装置が分光器です。
分光は、プリズムによっても光を分けることができます。
しかし、精度よく波長を分けるには原理的に限界がありました。
精度よく分光を行う器械が、回折格子(grating)を使った分光装置です。
回折格子は、その字に現れているように光の回折現象を利用しています。
回折現象によって光を波長と言う篩(ふるい)にかけ、極めて精度の高い波長分解能で光の波長組成を測定することが可能になりました。
分光器の原理とは、どのようなものでしょうか。
私自身、回折格子がどうして光を精度よく分光するのか良く分かりませんでした。
上で述べたヤングの実験に、そのヒントが隠されています。
回折して周り込む光だけでは、波長の良くわかった光を取り出すことはできません。
ケガキ(線)の入った回折格子から回折される光がケガキの線巾間隔によって干渉を起こし、干渉によって光が互いに強めあい、はっきりした波長の光だけを取りだせて、はじめて分光計測が可能になるのです。
 
CDディスクのピット溝による回折光。
右の写真はペンライトをCDの斜前方から照射した時の回折光。
左の写真は室内灯の下でみたCD面、いろいろな面で回折光が見える。
 
■ CDに見られる回折現象
上の写真は、みなさんお馴染みのCDの記録面です。
CDの記録面は虹色にキラキラと輝いてきれいなものです。
このCDの記録面が、実は回折格子の現象を端的に示している好例なのです。
虹色に見えるのは、光がCDの記録面の細い溝にあたって回折を起こして分光しているからです。
左のCDが複数の光源像の回折光で、右のCDが一点から入射した光源の回折光です。
右のCDの回折像は、CDの中心部が青色で周辺部が赤色になっています。
光源(ペンライトによる白色光源)は、CDから見て斜め上方から入射しています。
CDを光源に対して傾けていくととてもおもしろい現象が現れます。
上のCD面に見られる回折した光は、通常の光の反射の法則とはおよそかけ離れた位置で輝いて見えます。
白色光源をCD面に当てると、入射角度に応じた反射位置ではなく、反射角度位置を挟んだ所に強い虹色光が見えます。
虹色光は、目の位置を光の反射する角度に沿って変えて行くにつれて間欠的に現れるようになります。
虹色光は、反射角度に近いほど強く、離れるほど弱くなります。
虹色の出方は、上の写真に示されたごとく赤→青に変化しますが、反射角を挟んで反対側ではその並びが対称になります。
CDの記録面は、同心円状に細かなピットが穿たれていて、その間隔は1.6umで、1mmあたり625本の溝が形成されています。
分光器に使われる回折格子は、1mm当り200本から2,000本だそうで、この数値から見るとCDの625本は回折格子として十分な性能を持つものであることがわかります。
ただし、CDの溝は、円形にカッティングされていて、計測用の回折格子のように直線ではありませんから、回折光は歪んでしまいます。
 
■ 回折格子の溝
溝の本数が細かいと、何故回折現象が顕著に現れるのでしょう?
光は、本来、回折する性質を持っていますが、その性質は簡単には現れません。
溝の縁で回折が起きるものの、その量は他の光にくらべれば微々たるものです。
光は、本質的には直進するものです。
しかし、本流から外れた末端部では光が回り込む性質を持っています。
ですから、その割り合い、回り込む性質はとても少ないのです。その溝を2本、3本と増やして行くと、その分だけ回折する光は増えるため、溝をできるだけ密に規則正しく作ってやれば規則的な回折光が積算され、かつ光の干渉によって強め合うようになります。
回折現象の研究に格子を使ったのは、ドイツ人物理学者フラウンホーファー(Joseph von Fraunhofer: 1787-1826)が最初です。
彼は、細い針金を平行に並べて回折格子を作りました。
ガラス板の表面にダイヤモンドでケガキを入れて(キズをつけて)、たくさんの溝を作っても格子ができます。
 
 
▲ レンズ職人 - フラウンホーファー(Joseph von Fraunhofer: 1787-1826) (2004.08.17記)(2006.08.07追記)
■生い立ち
分光分析で多大な功績を残したヨセフ・フォン・フラウンホーファーは、
1787年、貧しいレンズ磨き職人の10番目の末っ子として、ドイツ・バイエルンのシュトラウビングに生まれた。
家が貧しく、子だくさんであったため正規の教育をまともに受けられず、幼少より父親の仕事を手伝った。
彼は仕事の飲み込みが早かったようで、レンズを磨く技術が卓抜していて創意工夫も秀でていた。
ナトリウム発光の2本のD線は、彼が父の仕事の手伝いをしているうちに発見したものだったと言われている。
11才の時両親を無くして孤児となったため、ミュンヘンのレンズ・ガラス製造工場に年季奉公に出た。
1801年、14才の時に、彼にとって一大転機が訪れる。
彼が働いていた工場が倒壊して、その下に生き埋めになってしまった。
幸い、数時間後に助け出され一命を取り留めた。
その時、救命活動にあたっていたのが、彼との運命的な出合いをし、生涯に渡って彼を支援することになる政治家 Joseph Utzschneider(ヨセフ・ウッツシュナイダー) であった。
彼は政治家でありながら、光学に強い関心を持った人でもあった。
彼は、小国が林立していた当時のドイツにあって、バイエルン地方(ミュンヘンが中心地)の役人として製塩業や林業など殖産興業に尽力し、多くの工業を興した。
光学工場もその一つである。
彼は二度ミュンヘン市長を務めている。
彼は、フラウンホーファーの非凡さを見抜き、1806年に創設した光学研究所に職人として雇った。
 
■ ガラス研磨技師
ガラス研磨に習熟していた彼は、スイスのガラス研究家ギナン(Pierre Louis Guinand:1748 - 1824)の手ほどきを受け、
光学ガラス溶融の技術を習得し、品質の良い新しいガラス素材をつくり出した。
当時、光学ガラス、特に色消しガラスというのは、容易に手に入るものではなく、
産業革命の起きたイギリスが圧倒的に市場を支配していた。
当時良い光学装置を作るには、イギリスから光学ガラスを輸入しなければならなかった。
しかし、輸入は関税が高くつき、大形の品質の良い光学ガラスなどは本家のイギリスでさえ手法が確立していないため、
入手のあてがつかず極めて困難であった。
政治家ウッツシュナイダー(Joseph Utzschneider)は、バイエルンに高品質の光学ガラス工場を作るべく工場を建設し、
光学ガラス製造で当代随一と言われたスイス人ギナンを雇って(1805年〜1813年)フラウンホーファーに技術を伝授させたのである。
ギナンは、元来は時計師であったが、眼鏡、レンズ、望遠鏡の製作にもかかわっていた。
ギナンは、1784年、36才の時にガラスの溶解から良質な光学ガラスを作ろうと決意して艱難辛苦の末、良質な大形フリント・ガラスの製造法を確立した。
彼は、1790年(6年後)に、直径18インチ(φ460mm)のレンズを作ることに成功したといわれる。
ギナンは、均質な光学がラス製造のために心血をそそぎ、その開発に7年の歳月をかけた。
灼熱の粘る原料ガラスを均一に混ぜるための撹拌棒はなかなか見つからなかった。
高温のガラス原料は、なんでも溶かしてしまい鉄でさえも役に立たなかったのである。
当時、唯一、高温のガラスに耐えられる材料は、耐火粘土であった。
しかしその粘土は脆くて、撹拌にはたえられなかった。彼は鉄の棒を耐火粘土で包む方法で解決した。
この手法は長い間秘密にされた。
ギナンは、この手法により高品質光学ガラスの製造者としての名声を得ていった。
そのギナンを1805年、ギナン58才の時にウッツシュナイダーが雇ったのである。
ギナンとの契約は、毎年、発明の権利に対する報酬と利益の1/5を手にするというものだった。
2年後の1807年、新たな契約が結ばれた。
その契約は、最初の3倍以上の俸給となり、ウッツシュナイダーの指名する助手をギナンが訓練するという条件付きだった。
その助手がフラウンホーファーだった。
フラウンホーファーは技術の飲み込みが良く、1811年以降は、ギナンの手を借りずに光学ガラスを作るまでに成長し、
研究所の重職の地位に就いた。
ギナンが招聘されたのは1805年から1813年までの8年間である。
 
■ ドイツ光学技術への貢献
光学ガラス製造の技術を修得したフラウンホーファーは、その後、天体望遠鏡に使う色消しレンズの母材に必要な
精密な屈折率を持った光学がラス製造に従事し、1817年に完成を見た。
彼の手による色消し対物レンズは、直径158mm、焦点距離2560mmのものがあり、これは太陽光の分光分析に使われた。
彼の技術は、顕微鏡の改良にも及び、高精度の光学機器の改良、開発に貢献した。
また、1813年には眼鏡団体の代表にもなった。
彼は、レンズ研磨技術の改良に心血を注ぎ、新しい研磨機を作り品質の良いレンズ製作を可能にした。
そしてまた、レンズの研磨剤や接着剤の改良も手がけている。
彼の功績は、光学ガラス製造時の脈理のない製造法をあみ出したり(非常に均質な精度の高い高品質光学ガラスの製造を可能にした)、
レンズ設計に初めて三角光線追跡法(レンズ設計者にとっては最も基本である光線追跡法で、三角関数によりレンズの屈折率を加味して
像のできる位置を計算する手法)を適用した人として知られている。
また、精度の高い色消しレンズ製作のために、特定の色に対するガラスの屈折率を測定中、灯油ランプの発光スペクトルに輝線を発見した。
1814年、彼が27才の時、プリズムを使って太陽スペクトルを観察していた際、その中に暗線(フラウンホーファー線)があることを発見し、
その暗線がガラスの屈折率や波長測定の基準に使えることを示した。
 
■ 分光研究
光学設計で、特定の光の波長をC線、D線、F線などと呼ぶことがあるが、これは、彼が太陽光線の中に多数の暗線があるのを発見し、
600本ほど発見した中で特に暗線の著しいものを選んで、ローマ字の頭文字(A、B、C、D、E、F、G、H)をあてたのにちなむ。
黒線をより精密に測定してその波長を研究した人は、フラウンホーファーが研究した50年後の1868年、
スウェーデン人のオングストレーム(Anders Jonas Angstrom: 1814-1874)である。
彼にちなんで、波長の単位はオングストロームとなっている。
オングストレームは、回折格子を使って本格的な精密な波長分析を行い、元素には固有の発光スペクトルがあることを明らかにした。
また、フンラウンホーファーが先べんをつけた太陽光の黒線を克明に調べ、太陽光から太陽には水素とその他の元素の存在があることを確認した。
この時に用いた波長の単位が10-10 m 単位であったため、この波長の単位をオングストロームと呼び、分光分析や原子間距離を示す値として一般的になった。
さらに20年後の1882年、アメリカのローランド(Henry Augustus Rowland: 1848 - 1901)は、より精密な回折格子を製作して太陽光線を測定し、赤色から黄色までの領域で約20,000本の黒線があることを突き止めた
(ローランドの回折格子を使っても可視域の短い領域では精度が出なかった。)
2光が波であることは、1600年代のオランダ人ホイヘンスらが気づきはじめていたが、
いろんな波長を持ったものであることは1800年代初頭まで判らなかった。
光をプリズムで分けたニュートンでさえ、光は粒子であるとして、色が個々の波長を持つという考えに至らなかった。
ヤングによって、光の波長の概念が明確になった。
 光を波長として捕らえることができたのは分光器の発明によるところが大きい。
 
■ 回折格子
フラウンホーファーは、波長の研究の延長線で最初に回折格子を製作した人として知られている。
回折格子を作ったのは、1821年、34才の時のことで、260本の細い線を張って回折格子とした。
彼は、これを使って実際の発光体の輝線と暗線の波長測定を行い、1821年と1823年の2回に分けて発表した。
しかし、当時の光の粒子説と波動説が混然となって方向性が見出せない中にあっては、彼の研究結果も日の目を見なかった。
これが注目されはじめたのは、ドイツ人化学者ブンゼン(Robert Wilhelm Bunsen:1811 - 1899)が
分光を化学的に構築して輝線の存在を説明したことと、同じドイツ人物理学者キルヒホッフ(Gustav Robert Kirchhoff, 1824-1887)が太陽の暗線は、太陽の温度の低い大気によって吸収されたものであることを確認して、地球にある元素が宇宙にも存在することを示してからである。
これは、フラウンホーファーの死後のことであり、彼は重要な発見をしたことを知らずに若くして世を去った。
彼は、ガラス吹きがもとで呼吸器障害(肺結核)を起こし39才で亡くなった。
彼の功績は、彼の死後、イエナ大学のアッベ(Ernst Abbe: 1840 - 1905)、ショット(Otto Schott: 1851 - 1935)らの輩出により、新種の光学ガラスが次々につくり出され、カメラレンズ、顕微鏡レンズ、光学機器の発展につながった。
イタリアで起きたガラス工場と眼鏡の発展、オランダの眼鏡の発展、イギリスのレンズ技術の発展、フランスの数学的考察を経て、ドイツの地道な科学考察と物理学の裏づけで光学ガラスの基礎が出来上がった。
そうした系譜の中で、無学のフラウンホーファーが築き上げた功績は大きい。
回折格子に興味を示し回折格子による分光分析の礎を築いたフラウンホーファーであったが、
彼の回折格子の研究は彼の周りの者に影響を及ぼさず、彼の趣味のような扱いとなり、彼の死後回折格子の研究開発は埋もれてしまった。
50年後、回折格子の製作は米国に移り、Johns Hopkins大学のRowland教授によって命を与えられ、天文学分野を筆頭に分光学に大きな息吹をもたらすことになった。
 
 
▲ 回折の考え方  (2004.08.17記) (2004.11.14追記)
回折は、光束の端で現れて、中心では現れないことはなんとなく理解していただけると思います。
量子力学では、光を一つ一つの粒(フォトン)と考え、しかもその粒子は波として振る舞う一面を持っていると説明しています。
この考えを取り入れますと、みんなで手をつないでいる時の光は、互いの干渉を受けて動きが制限されてしまうのに、端の方では自由になるためにみんなの進む方向とは違う方向に進むようなニュアンスとなります。
光は、お互いに仲がよくて、みんなといる時はみんなと一緒の振る舞いをしますが、仲間との関係を断ち切られるとバラバラの行動を起こすものと考えてよさそうです。
分光器に使われる回折格子は、ならば、積極的に仲間を規則的に立ち切ってやろう、と言うものです。
レンズの結像の度合いを表す分解能も、エアリー卿が唱えた回折現象からくるボケであることを述べましたが、この回折は、実はレンズの縁からの回折が影響しているのです。
ですから、レンズの縁からの回折光が影響されにくい大きな口径ほど、回折と主光束の割り合いに開きが出て影響を受けにくくなることがわかります。
反対に、小さな口径では、主光束がたくさん入ってこないために、回折光の量が無視できないものとなりボケが広がると考えてよさそうです。
右の図は、反射型の回折格子を説明する前に、複数のスリットについてこれを透過する光が回折と干渉によってどのような像を作るのかを説明したものです。
この説明がわかれば、反射光で回折する回折格子についても理解していただけると考えます。
その原理は、両者共に極めて似ています。
スリットによる回折と干渉は、上の「ヤングによる光の回折・干渉の実験」の図で示しました。
ヤングの実験の図では、複スリットから出た光は回折によって回り込むように光が進み、両者の光路差が波長倍になった時に干渉によって高められることを説明しました。
ヤングの成功は、同一の光源から発した光を二つに分けたことです。
別々の光源を使ったのでは決して干渉縞は現れません。光の波長の位相が大事だからです。
右の図で、スリットから出た光は回折光であることを基本としています。
そして、複数のスリットから出た回折光は両者の光路差によって干渉縞ができることを示し、なおかつ、スリットが多くなるほど干渉が強調され縞の巾(線巾、強度巾)が狭くなって先鋭な輝線が現れるようになることを示しています。
つまりそれだけ検出する波長の特定精度が上がることになります。
スリットは、多くなればなるほどこの傾向が強くなります。
スリットによる回折・干渉像は、干渉縞として現れ、スリットが多くなればなるほど縞の濃淡がハッキリと分離した干渉縞となります。波長分解能が上がるわけです。
波長分解能は、干渉縞の次数n(中央部を次数1として、その両脇に現れる干渉縞を2、そのまた両脇を次数3とします)とスリットの本数mの積に比例し、次の式で表されます。
 
     Δλ = λ/(n x m)  ・・・(Light87)
       Δλ: 波長分解能
       λ: 測定したい波長
       n: 干渉縞の次数
       m: スリットの数
 
この式は、スリットが多くなればなるほど波長分解能(Δλ)が小さくなって向上することを示しています。
例えを挙げますと、次数1のところで100本のスリットを配置して500nm近傍の波長を通したとすると、
500nm+/-5nm( = 495nm 〜 505nm)の光が干渉縞として現れて、
それ以上の細かい波長の選別は埋もれてしまい識別することはできないことになります。
スリットの数を1000本にすれば0.5nm、10,000本にすれば0.05nmまで分解して干渉縞を作ることが可能です。
スリットの数を増やさなくても、次数を上げたところで測定すれば分解能があがります。
しかし、次数の高い所は像強度が低いために暗い像になることと、いろいろな波長の光が混ざって現れてくるために測定に関しては注意が必要になります。
基本的には、できるだけ細かなたくさんのスリットを使った方が分解能の高い波長を検出することがわかります。
上右の図は、透過光の場合での回折・干渉の関係を示していますが、この原理に従って、刻み巾の狭いたくさんの透過用スリットを加工するのは極めて困難です。
1mm当り100本(10um)程度が限界なのではないでしょうか。
方や、回折格子は、鏡面に細かな傷を規則正しくケガいて行けば良いので、製作は遥かに楽です。
分光器に反射型の回折格子が使われるのはそのためです。
 
 
▲ 回折格子(Diffraction Grating) (2004.09.27記)(2004.11.14追記)
回折格子で精度の良いものができるようになったのは、1882年、米国Johns Hopkins大学のローランド(Henry Augustus Rowland:1848-1901)教授によるルーリングエンジン(Ruling Engine)の開発からです。
ローランドが勤めたJohns Hopkins大学は、今でこそプリンストン大学と並び称せられる医学と物理学で有名な大学ですが、その当時は、資産家Johns Hopkins氏(1795 - 1873)の私財を投じて1876年に立てられたばかりの小さな大学で、実験設備もまったくありませんでした。
ローランドは、ヨーロッパの有名大学を訪問して実験装置を買い付け、それを持ち帰り実験家として有名になっていきました。
回折格子は、彼の実験装置開発活動の一環で発明されたものです。
彼がルーリングエンジンを発明する前は、ガラス板にケミカルエッジングを施した回折板が天文学分野で使われていました。
しかしながら、そうした当時の回折格子は間隔が粗く精度も出ず、しかも迷光が多くて計測精度が著しく制限されていました。
彼は、自分で開発した刻線機(ルーリング・エンジン)を使って凹面鏡に精密な回折格子を刻印していきます。
彼のルーリング・エンジンは、平板ではなく凹面鏡に添うようにして表面を正確なピッチでけがいていく精密な送りネジを持った刻線機でした。
こうしてできた凹面鏡の回折格子を持つ分光器は、ローランド型分光器と呼ばれ、彼の分光器で測定した太陽光の分光データは当時の計測装置より10倍もの精度が出たそうです。
それでもまだ可視光域での性能は十分とは言えませんでした。
可視光に使うためにはケガキのピッチをもっと狭く正確に刻まなければならないのです。
可視光域で使える回折格子の本格的な実用化は、1945年(第二次大戦)以降になってからです。
それ以前は、波長の長い赤外線用の分光器に使うのが精一杯で、可視域では長くプリズムによる分光分析が行われていました。
プリズムに代わる性能を持った回折格子が製作できなかったからです。
その大きな理由は、格子間隔の精度を10nm(0.01um)までに収めないと、測定されたスペクトルの近傍に微弱ながら疑スペクトル(ゴースト)が現れて、誤認の恐れが出てくるためです。
回折格子の製作は、米国が進んでいました。
Rowlandがルーリングエンジンを使って精度の良い回折格子を作った後、同国のシカゴ大学の教授マイケルソン(Albert Abraham Michelson、1852-1931、アメリカで最初のノーベル賞受賞者。マイケルソンの干渉計が有名)が、さらに精度の高いルーリング・エンジンを製作します。
この刻線機(ルーリング・エンジン)は、マイケルソンの発明した干渉計を使ったのでとても精度が良かったそうです。
このルーリングエンジンは、MIT(マサチューセッツ工科大学)のGeorge R. Harrison教授と、ボシュロム(Bausch & Lomb)社のDavid Richardson 、 Robert Wileyの両名によって改良が施され、第二次世界大戦後の1947年に製造を始めます。
この会社は、後に、ボシュロム傘下のリチャードソングレーティング研究所(RGL = Richardson Grating Laboratory)として有名になります。
当時、世界の回折格子を一手に引き受けていたようです。
その後、1985年、ボシュロムがこの会社を手放したために、ボシュロム社の回折格子事業はなくなりましたが、現在でも RGL(Richardson Grating Lab)ブランドとして回折格子を販売しています。
現在、RGLは、親会社が同じであったレーザで有名な米国スペクトラフィジックス社と合流して、その傘下でRGLブランドによる回折格子の製造と販売を行っています。
ルーリングエンジンを使った回折格子製造も、現在ではレーザ干渉計を用いた高精度の刻線機を使って、1mm当り200本から2000本の精度のよい回折格子が作られるようになりました。
 
【ボシュロム社】
ボシュロム(Bausch & Lomb)社は、1853年、ドイツ移民のJohn Jacob Bauschが運営資金60ドルを彼の友人Henry Lombに借りて、
小さな光学製品の製造メーカとしてニューヨーク州ロチェスターに設立した会社です。
会社が軌道に乗って後、社名を彼らの名前を取ってボシュロムとしました。
ボシュロムの最初の事業は、ゴム製の眼鏡フレームの製造販売に始まり、50年後には双眼鏡、顕微鏡などの製造を手掛け、
第一次世界大戦を通してサングラスの製造、軍用光学製品を製造しました。
第二次世界大戦後は、理化学分野にも進出しました。
現在、彼らの事業は、コンタクトレンズに代表される「目」に関する医療品に特化し、回折格子や顕微鏡製造の事業からは撤退しています。
 
 
▲ブレーズ格子(Blazed Grating)
複スリットの概念を延長して、細かい線を作ってそこに光を入れてやれば、回折と干渉によって同様の効果が現れることが期待されます。
事実はその通りで、上で述べたCDの細かいピットでも回折像が現れるように、できるだけ細かな精密なケガキ線を入れることにより回折像を得ることができます。
このような光学素子を回折格子(Diffraction Grating)と呼んでいます。
現在使われている回折格子は、ブレーズ格子(Blazed Grating)と呼ばれているものがほとんどです。
ブレーズ格子とは、以下の図に示したようにノコギリの歯のような形をしたギザギザな面をもった格子面です。
格子の基本面に対して、ギザギザの面(ブレーズ面)が作る角度をブレーズ角度と言い、この角度は重要な意味を持っています。
回折格子をブレーズ面にすることにより、回折光率の良好な格子面ができると言われています。
平面に単純なケガキを入れて回折格子を作るよりも、入射面を斜にして主光線をもと来た方向に返してやれば、回折する方向には主光線に煩わされることなく回折像が現れるようになります。
入射光がブレーズ面に垂直に当るような配置をリトロー配置(Littrow Configration)と言います。
この配置で回折する一次回折光が一番効率良いものとなるため、この配置で回折される波長をブレーズ波長と呼んでいます。
 
ブレーズ波長(λB(Litt))は以下の式で表されます。
 
     λB(Litt) = 2 x sin θB / N    ・・・(Light88)
       λB(Litt): ブレーズ波長
        θB: ブレーズ角
       N: 1mm当たりの格子線の本数
 
この式で、例えば、900本/mm、ブレーズ角15°をもつ回折格子は、575nmの波長を効率良く回折することになります。
この式はまた、回折格子の本数(N)が多いほど短い波長の検出が良好になることを示しています。
 
 
リトロー配列のLittrowの名前の由来はよくわかりません。
ドイツの天文学者Karl Ludwig von Littrow(1811-1877)にちなんでつけられた名前かと思われますが、
彼の業績として分光学の顕著な足跡を探し当てられないので特定はできていません。
ちなみにリトローという名前でもう一つ有名なものにリトロープリズム(1862年)というのがあります。
このプリズムは頂角30°のプリズムの裏面をアルミ蒸着を施してミラーとするもので、特定の入射光が同じ光路で戻るという特徴を持ち分光分析に使われているそうです。
このプリズムを発明したリトローと、ブレーズ角を利用した回折格子の配置を考案したリトローと同一人物かどうか、今のところわかりません。  
 
  
 
さて、入射光が複数の連続した波長をもつものであれば、回折されるブレーズ波長の周りには近傍の回折光が現れます。
 
その関係式は、以下で示されます。
 
     sinα + sinβ = N x m x λ    ・・・(Light89)
       α: 入射光の入射角(正の値をとる)
       β: 回折光の回折角(負の値をとる)
       N: 1mm当たりの格子線の本数
       m: 回折光の次数
       λ: 回折角βで回折される波長
 
回折格子をリトロー配置にして入射光の角度をθBとすると、回折角(β)で回折する波長が特定できる式となります。
 
     λ = (sinβ + sinθB) / (N x m)    ・・・(Light90)
 
上の例で、ブレーズ角θBを15°とし、格子の溝数N = 900本/mm、回折次数m = 1とすると、上の式は、
 
     λ (nm) = 1111.11 x (sinβ + 0.258819)    ・・・(Light91)
 
となり、回折角度β = 5.8°〜21.8°の範囲でλ = 400nm〜700nmの光が回折されることになります。
従って、400nmから700nmの可視光が16°( 5.8°〜21.8°)の範囲で現れることになります。
回折格子を固定して入射光の角度も固定すれば、入射光の波長に応じて回折光角度が変わります。
また、逆に回折格子を回転させてブレーズ面と入射光の角度を変化させると、回折格子の回転角(φ)がわかっていれば、
 
     λ = (sinβ + sinθB) / (N x m)    ・・・(Light90)(前述)
 
の式が、
 
     λ = [sin(β-φ) + sin(θB+φ)]/( N x m)   ・・・(Light92)
     λ = [2sin((β + θB)/2) ・cos((β - θB )/2 - φ)]/( N x m)  ・・・(Light93)
 
となり、射出光の波長が回折格子の回転とともに変わります。
この回転角(φ)をネジの送りによって規定し、ネジの送り軸にカウンタを取り付けておけばカウンタの読みが直接波長の値になります。
この機械構造をサインバー機構と呼び、長く分光器の機構として使われてきました。
最近では、ステッピングモータを使ってパルス信号でネジ送りができる電子素子が開発され、コンピュータと連動して精度より角度割り出しと制御ができるようになりました。
 
 
 
上の図が、回折格子に入射した光が回折して現れる回折スペクトルです。
この図を見るとCDで示した回折光の意味がよく理解できます。
この図を見ると、入射した白色光は回折格子で回折し、一次、二次、三次と回折光のスペクトルが現れるのがわかります。
0次はすべての光が干渉によって強調される位置ですから、すべての光が現れますので入射光と同じ光が現れます
。スペクトルは次数が多いほど0次光から離れ、離れるほどスペクトルの出る角度が大きくなります。
また、隣合う次数のスペクトルでは、重なり合う領域があるため測定する波長によっては意図しない波長が現れることがあります。
例えば、一次光のλ2近辺の波長と二次光のλ1近辺の波長が同時に現れる領域があります。
この領域ではλ2と思って測定してもλ1の光も入ってくるため、入射光にλ1領域をカットするフィルタを入れる必要があります。
スペクトルが重なり合わない領域を自由スペクトル領域と言います。
この領域ではカットフィルタを入れなくても正しい波長を検出することができます。
▲ グレーティングの形状
回折格子と言えばノコギリ状のブレーズ格子が一般的ですが、その他に、正弦波状の溝を持ったホログラフィック・グレーティング、CDのピット溝のような矩形状のラミナー・グレーティングがあります。
これらは、ブレーズ格子にはない特色があり特定の分野に使われます。
例えば、ホログラフィック・グレーティングは、ブレーズ格子より回折効率はよくないものの広い範囲で回折光が得られるので、広い波長範囲の測定や、赤外波長での使用が多い格子です。
矩形形状のラミナー・グレーティングは、上の二つの格子に比べると2次、4次の偶数次数の回折効率が劣ります。
軟X線領域での効率が良いためこの領域で使用されます。
検出波長は溝の本数だけでなく溝の深さとデューティレシオ(矩形形状の周期巾と溝巾の比)で回折効率のピーク波長が決まります。
回折格子の製造は、従来は刻線機械(ルーリングエンジン)で精密に溝を彫ったものを複製して(レプリカ)使用されていました。
最近は、レーザ光を光源として用いたフォトレジスト法によって、レーザの干渉パターンを焼きつけてエッジング処理したブレーズ格子(ホログラフィックグレーティング)が作られるようになり、溝の精度が上がり迷光が格段に抑えられるようになりました。
レプリカ(Replicas)は、ガラス基板に樹脂を乗せて、これをマスタに樹脂を押し付けて成形しています。
型が取られた樹脂表面はそのままでは回折効率が悪いので、表面をコーティングしています。
コーティング材は、アルミ蒸着が一般的で紫外から赤外領域に良好な特性を持っています。
この他、可視領域にはアルミニウムとフッ化マグネシウム蒸着を施したり、赤外領域では金蒸着が行われています。
 
 
▲ プリズムによる分光と回折格子による分光 (2004.11.06記)
プリズムを使って、太陽光などを入射させると屈折率の違いによって光を分けることができます。
この考えは非常に分かりやすいもので、青い光は屈折が強く赤い光は弱くという具合に素直に分散します。
方や回折格子は、光の回折と干渉という理論から光を分光するもので、その理解がプリズムほど素直にできません。
そのうえ、回折格子は、波長によって輝線の現れる位置が違うために、次数1以外のところではいくつかの波長が同時に現れることがあります。
 
 
 
 
   
プリズムによる光の分光と回折格子による光の分光プリズムの分光は光の屈折を利用し、回折格子の分光は光の回折と干渉の原理を利用している。
 
 
 
回折格子による分光が精度よく測定できるまで、光の分光分析はもっぱらプリズムを使って行われていました。
回折格子分光の基礎を築いたドイツの光学者フラウンホーファーでさえも太陽光の分光研究(フラウンホーファー線を発見)にはプリズムを使っていました。
しかし、現在、精度の高い分光分析を行う場合には回折格子による分光器を使うことが一般常識となりました。
なぜ、直感的に理解のできるプリズム分光が、理解の難しい回折格子分光にとって代えられたのでしょうか。
プリズムによる分光は、光の屈折を利用します。
そのため、製作するプリズムは材質に極めて良質なものを使わなければなりません。
また分散した光は連続的に変わるので、分解能を上げて波長成分を特定するような精度が要求される場合には極めて困難になります。
回折格子は、反射鏡にケガキをいれる間隔によって回折光の干渉が顕著になり分解能が向上します。
回折格子の間隔によって簡単な計算で回折光の分解能が求めることができ、プリズムと比べて桁違いに精度の良い分光を行うことができます。
先にも触れたように1mm当り1000本の回折格子を持つものでは、0.5nmの分解能を得ることができます。
もう一つ、回折格子による分光器が発展した理由は、回折格子の回転する角度と取り出す波長の特定が極めてシンプルにできることでした。
プリズムの屈折光はリニアに変化しないために、プリズムを回転させて取り出される波長を特定するのはなかなか難しい面がありました。
平面型回折格子を使ったツェルニー・ターナー方式(以下で説明)では、回折格子を回転させる機構(サインバー機構)にカウンタを取り付けておけば、カウンタの読みそのものが射出光の波長になりました。
こうした理由から、分光分析では回折格子による分光器が主流になり、米国で画期的な回折格子ができるようになった1800年代の終わりから回折格子による分光分析が主流になっていきました。
 
 
▲ 分光器の基本配置(Principle of Spectrometer) - その1. ローランド(Rowland)式分光器 (2004.11.06記)(2005.01.30追記)
分光器の基本を以下に示します。
反射型回折格子を使った分光器の基本は、きれいな光線を回折格子に当てることです。
この場合のきれいな光線とは、回折格子にあたった光が回折して干渉を起こす場合にその光線の履歴がよくわかる光線、すなわち入射光を点光源としたり、平行光線にすることです。
現在の分光器の多くは、平板の回折格子を使ったCzerny-Turner(ツェルニー・ターナー)式分光器が一般ですが、当初は、精度の良い回折格子を製作したローランドの考案したRowland式分光器が使われていました。
ローランド式は、1882年に考案され、ツェルニー・ターナー式は1930年に考案されました。
 
 
上に示した図が、1882年に米国Johns Hopkins大学教授Rowland(ローランド)博士が考案した凹型回折格子を利用した分光器の原理図です。
回折格子には、刻線機(ルーリングエンジン)を使って凹面鏡に刻線を入れたものが使われました。
非常にシンプルなレイアウトで機構部がなく、ローランド円上に入射光部と凹型回折格子を配置すれば、同じローランド円上に回折した光が集まり、決められた波長が決められた位置に集まるというシンプルな構造になっています。
この構造は、当時の技術レベルとしては画期的なものでしたが、反面、非点収差が大きく球面収差も若干残るので、精密な分光測定には次に述べるツェルニー・ターナー方式が使われるようになりました。
しかし、レイアウトがとてもシンプルなのでそうしたレイアウトが不可欠な目的や、収差をそれほど問題にしない応用、つまり、測定光が比較的強い場合には今でもよく使われています。
この場合、スリットを改良することにより収差を抑えることができるので、利用価値は高いレイアウトです。
ローランドが考案した最初の分光器は、受光部であるローランド円上に沿って感光材を張り付けて回折光を露光していました。
時代が下るにつれ、感光材に変えて光電センサーを取り付けて電気的に測定するようになりました。
フォトマルと呼ばれる光検出装置は、フォトンカウンティングができるほど高感度なのでこの目的にはぴったりの素子でした。
 
 
▲ 分光器の基本配置(Principle of Spectorometer) - その2. ツェルニー・ターナー(Czerny-Turner)式分光器
ツェルニー・ターナー(Czerny-Turner)は、1930年に考案されました。ローランドの分光器から50年後のことです。
この間いろいろな分光器のレイアウトが目的に応じて考案されました。
しかし、現在の分光器ではこれら2つのレイアウトが基本となっているので、代表的な例としてこれらを紹介しています。
興味深いのは、ローランドを始めツェルニーもターナーも、それに他の分光器に関係した人たちはすべて天文学に関わっていたことです。
天文学、とりわけ恒星の光の研究がいかに分光器を望んでいたかを物語るものです。
現在、ツェルニー(Marianus Czerny:1896-1985、ドイツ分光学者、ベルリン大学)とターナー(A.F.Turner)両者の背景をいろいろと調べているのですが、これといった文献が見当たらず、分光器のタイプの名前としてのみ後世に名を残しているという位置付けしかできていません。
彼らの文献が集まり次第アップしたいと思います。
 
 
 
 
 
 
ツェルニー・ターナー型分光器では、平面型回折格子が用いられ、入射側と射出側にそれぞれ凹面鏡が配置されています。
二つの凹面鏡は、それぞれの焦点位置に入射スリット、射出スリットを配置して、入射光束を平行光束にして回折格子に反射させ、回折格子で回折した光が射出スリットに集光するように構成されています。
 
回折格子に観測する光を平行にして当てるというのがこのタイプの分光器のミソです。
回折格子の回転と射出スリットに現れる検出波長の関係が非常に素直な関係式で導かれるので、精密な送りネジとカウンタを付けて回折格子を回すと、カウンタの読みがそのまま検出波長になるという特徴があります。
ネジ送りで回折格子を回転させる機構を、サインバー(sine-bar)機構と言います。
サインバーのネジ部にステッピングモータとエンコーダを取り付ければ、コンピュータからサインバー機構を制御できます。
この方式は、基本的に一度にたくさんの波長を検出することはできませんが、単一の波長を取り出すことが得意で収差も少ないことからモノクロメータ(Monochrometer)として大いに利用されています。
受光部には、光を検出する光電センサーが取り付けられます。
昔は銀塩フィルムであったのが、光電子像倍管(フォトマルチプライア)を使ったり、最近では電子冷却タイプのCCD が使われたり、イメージインテンシファイアが使われます。
分光器では、微弱な光を検出することが多いので、感度が高くて長時間の受光でも十分なS/Nを持った検出素子が使われます。
 
 
 
 
 
 
上の図がツェルニー・ターナー式の実際の分光器の内部レイアウトです。
この分光器では、入射スリット、射出スリット、回折格子の回転、フォトディテクタが操作者の操作する部位で、他の部位は固定となっています。
入射スリット(S1)では、計測対象物から放射される光を点光源(スリット光源)とします。
マイクロメータによってスリットの巾を0.05mm程度まで調整できるようになっています。
入射部は、多くの場合縦長のスリットになっていてスリットの巾で計測精度が決まります。
実際の対象物は、入射スリット部ではなく、ここから離れた場所から放射されるものです。
分光器(入射スリット部)より離れた位置から放射される光が、このスリット部を通過して分光器内部に入ります。
こう考えると、物体から放射される光のうちのほんの少ししかスリットに入らないことになります。
入射部がスリットになっているのは、回折格子による回折がけがき線方向には回折がほとんどおきないために、スリットにしても計測上は問題が生じずたくさんの光を計測に使った方がよいので縦方向の光も計測として取り入れよういう考えから来ています。
入射スリットの巾が広いと計測精度が向上しません。
入射スリットから第一球面鏡までの距離をその球面鏡の焦点距離にセットしますと、入射光は平行光となります。平行光となった光は回折格子に入射しますが、多くの分光器では装置をコンパクトに設計する必要上、光路を折り曲げる平面鏡を配置しています。
回折格子に入射した光は回折して第二球面鏡に入ります。
第二球面鏡では回折した光が反射して射出スリットに収束します。
射出スリットでは、回折格子によって分光された光が透過して光電検出装置に入ります。
回折格子を回転することによって射出スリットを透過する光の波長が変わります。
 
▲ 分光器の計測精度
回折格子を単なる平面鏡とみなすと、分光器内部の光学レイアウトは入射スリット部の像が射出スリット部に結像されていることがわかります。
もし、1対の球面鏡の焦点距離が同じであるならば(実際、ほとんどの分光器が同じ焦点距離の球面鏡を使っています)、入射スリットの像と同じ大きさの像が射出スリットに投影されます。
このことは、次のように考えて良いと思います。
入射スリットを100umの巾にすると、射出スリット部には100um巾の入射スリット像があらわれます。
一方、分光器内部にある回折格子では、波長成分が分解されて第二球面鏡を介して射出スリットに収束します。
その際に100um巾で波長成分が投影されます。
回折格子の性能が射出スリット上で100um巾よりも分解能が良かったとすると100um巾のスリット上には別の波長成分も重なってしまいます。
スリットの巾は、回折格子による波長分解能を十分に満足する値が取られます。
基本的にはスリットは狭くすればするほど検出できる波長分解能は上がりますが、それも限度がありスリットを狭めていってもそれに比例して分解能は上がりません。
スリットを狭くすると取り出す光が少なくなり第二球面強が正しく光を集める能力が問われてきます。
スリットは回折格子から離れておいた方がスリット巾が広くても十分に測定精度が上がるので、遠い位置にスリットを置く工夫、すなわち二番目の球面鏡の焦点距離を長く取ります。
球面鏡の焦点距離を長くして回折した光の集光距離を長くして相対的にスリット巾を狭くしたのと同じにしています。
つまり、球面鏡の焦点距離が長いものほど分解能は上がることになります。
 
分光器の波長分解能を決定づける関係は、以下の式で表されます。
 
     Δλ = Δχ(d・cosβ)/(κ・f)     ・・・(Light94)
       Δλ:分光器の検出波長分解能
       Δχ:射出スリット巾
       d:回折格子刻線の溝巾
       β:回折格子面に対する入射光と回折光の角度
       κ:次数
       f:分光器の集光球面鏡の焦点距離
 
この式は、回折格子の溝が細かいほど、回折角度が大きいほど、回折の次数が高いほど、球面鏡の焦点距離fが長いほど、そしてスリット巾が狭いほど分解能が上がることを示しています。
この関係式より、Δχを小さくしていけば理論上は波長分解能が比例して上がりそうですが、実際はある巾以下からは性能がでなくなるそうです。スリットでの回折による問題とか球面鏡の面精度などが影響しているものと考えられます(もちろん入射スリットのスリット巾とマッチしていなければ検出精度はでません)。 
マイクロメータによるスリット巾では0.05mm(50um)程度が限界ではなかろうかと思います。
この関係式から、回折格子の性能を十分に引き出すために、適切な球面鏡の焦点距離fを決め(あまり長い焦点距離のものは暗くなる傾向にあり、面精度も難しい)、分光器の性能が十分に引き出せるように入射スリット巾、及び射出スリット巾を決める必要があります。
 
最近の分光器は、射出スリット部をオープンにしてスリットに代えてリニアアレイセンサーを置くものが増えています。
こうすることにより一度にたくさんの波長成分を測定することが可能になります。
この際には、リニアアレイセンサーの画素の大きさが射出スリットの巾と同じ役割を果たすことになります。
このリニアアレイセンサーの大きさに合わせて入射スリット部のスリット巾を決めます。
リニアアレイセンサーを出力部に使う場合には入射スリットは大事な働きになります。
入射スリット部で測定波長精度が決定されてしまうからです。
 
 
項目
説明
性能評価
球面鏡の焦点距離(f)
球面鏡の焦点距離
長いものほど感度が良い。計測分解能は上がる。
球面鏡の口径(D)
球面鏡の大きさ
大きいものほどたくさんの光を集めるので明るくなる。
微弱な光を扱う時有利。
N.A.( = D/2f)
球面鏡の明るさ
この値が大きいものほど明るい鏡。
入射スリットの巾
入射する光の制限
スリット巾によって計測できる光の波長分解能が決まる。
射出スリットの巾
射出する光の制限
スリット巾によって取り出す波長巾が決まる。
回折格子の本数(本/mm)
回折格子のけかぎ線の本数
本数が多いほど性能が上がり、
可視光域まで計測できる。
ブレーズ角度
回折格子のギザギザの角度
最も強く回折する波長がこの角度で決まる
分光器性能のパラメータ
 
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光源(Light Source)について
 
 
つぎに、市販されている光源について、その特色、用途を調べてみたいと思います。
下の表は、それぞれの光源について、おおよその照度(ルクス)、撮影できる撮影速度(コマ/秒)、価格(\)を表したチャートです。
 
 
 
 
太陽 (2001.06.17追記)
太陽光は人類にとってなじみが深く、地球上のすべてのエネルギーの源泉でもあります。
石油も石炭も太陽が長年にわたって育んだ生物の遺産であるし、雨による水資源の循環、植物の光合成による大気の還元作用もすべて太陽エネルギーに依存しています。
人間の目も太陽光に適用して進化を遂げてきたため、太陽光が人間にとって最も理想の光源と言えます。
太陽光は、良好な平行光でエネルギーの絶対量も多く集光すればかなり強力な光源となります。
米国では、屋外での大規模爆風実験に衝撃波の可視化光源として太陽光を積極的に利用しています。
自動車の安全実験(車をバリアにぶつける衝突実験)を始め大型構造物の撮影においても太陽光は重要な光源となります。
宇宙開発の大型実験にも太陽を照明光源とした高速度撮影が行われています。
太陽光を利用する問題点は、時事刻々光源の位置が変わり、緯度や季節によっても明るさが変化し気象条件によって撮影条件が大きく左右されることです。
 電気学会「照明工学」(オーム社)のデータによると、緯度35度の地域で最も太陽照度が高いのは夏至の南中で約110,000luxとあり、この値は、冬至の南中の倍近い値となっています。つまり、夏至は冬至より倍の明るさがあるということです。
以下に太陽のデータを示します。
 
  ・放射束: 3.81 x 1026 W
  ・光束:  3.57 x 1028 lm
  ・光度:  3.84 x 1027 cd *)
  ・発光効率: 93.7 lm/W
  ・色温度: 6280 K
  ・輝度:  1.87 x 109 cd/m2
  ・直径:  1.39 x 109 m
  ・地球からの平均距離:  1.496 x 1011 m
  ・太陽定数: 1.94  cal/cm2・min  (= 1.35 x 103 W/m2
   (太陽定数とは、太陽が天頂にあり、途中の大気による吸収がないと仮定したときの地球の表面で
   1cm2の水平面積に1分間に受ける全放射エネルギーを表します。放線照射照度をカロリーで表し
   た数値です。実際は大気の吸収、浮遊微粒子、水蒸気などの吸収があります。北緯35°、
   夏至の 12時の通常の気象条件で1.3 cal/cm2・minの値の30%程度が損失として失われます。
   *)光度について:太陽光の光度について、2001.05.26にK大学4回生A.H.さんからメール
   いただきました。太陽光の光度は、2.838 x 1027 cd が正しいのではないか、
   「照明ハンド ブック」ではこちらの数値が掲載されてあり、この値をもとに太陽光の光束、
   大気外日光法 線照度、輝度、光度を計算するとまとまりよくなる、というご指摘でした。
   貴重な 情報をいただき感謝します。(2001.06.17記)
 
 
【太陽光の光束による地球表面照度】(2000.06.06)
太陽光照明光源として地球表面を照らす際の照度を求めてみましょう。
  ・光度(I): 3.84 x 1027 cd
  ・地球からの平均距離(D): 1.496 x 1011 m
のデータから、また、照度は、光度と照射距離の二乗に逆比例しますから、
     E = I x cosθ / D2  ・・・(Light95)
より、
     E = 171,600 cosθ ルクス
 
となります。
赤道上直下(θ = 0)で春分・秋分の日の午後0時の晴天(湿度0%)の時、171,000ルクスに限りなく近くなります。
東京は、北緯35度(θ = 35)で、春分・秋分の日の午後0時の晴天(湿度0%)の時、141,000ルクスに限りなく近くなります。
夏ですと太陽が北回帰線まで上がってきますから太陽の高さは北緯13度相当になり166,000ルクスまで照度が得られる換算になります。
しかし、大気のチリや、湿度(水蒸気)で光が減衰しますから、これを考慮した照度は100,000ルクスから150,000程度となります。
1983年6月、米国に出張するチャンスに恵まれ、東部(フィラデルフィアあたり)の空軍試験場で戦闘機の非常脱出装置の人体実験に立ち会うことができました。
高さ50mほどの縦に立てたレール(垂直ではなく80度程度に傾けられていた)に緊急脱出シートを取り付け、トリガーによって起爆装置が働き脱出用コックピットシートをリールに沿って放出させるという試験でした。
たぶん、コックピットシートが計画通りのスピードで計算通りの放出高さまで飛び出すかを試験するものだったと思います。
あまり速く飛び出させてもパイロットが放出時の加速度に耐えられなかったり、力がないと速やかに戦闘機から離れられなかったりするんだろうと思います。
その評価テストをするために人体実験をしたんだろうと思われます。
被験者には体中に心拍数を計る装置やらいろいろなセンサーが取り付けられてました。
高速度カメラ(1,000コマ/秒のフィルムカメラや200コマ/秒の高速度ビデオカメラ)も数台設置され、シートを押し出すインジェクターがうまく起動しているかどうかとか、シートがうまく放出されるかどうかをとらえようとしていました。
使用したフィルムは、KodakのエクタクロームというISO250相当のリバーサルフィルムで、カメラレンズの絞りがF5.6でした。
この条件で照度計算をすると147,000ルクスという値になります。
この設定にはいささかビックリしました。
というのは日本の屋外ではこれだけの照度が出ないのです。
日本で行われている屋外での自動車の安全実験やスポーツの高速度撮影では、500コマ/秒のフィルムカメラ(1/2,500秒)を使って、カメラレンズ絞りF4.0〜8、使用フィルムISO500がせいぜいで、この条件の屋外照度は80,000ルクス程度なのです。
日本の条件よりもアメリカの条件はかなり良いのです。
わたしはこのときアメリカの澄んだ乾いた空気が照度をあげているんだと思いました。
日本の夏はかなり湿度が高く、日射しに何かもやったような印象を与えます。
これが米国の乾いた大気よりも照度をあげない要因だと思ったのです。
 
 
 
 
 
 
は、太陽光を反射して輝く二次光源です。太陽の反射板と考えればよいでしょう。月の基本的なデータを以下に述べます。
 
   赤道半径: 1,738km
   軌道長半径: 384,400km
   満月の光度: 約8 x 1016 cd
   輝度: 3 x 103 cd/m2
   色温度: 4100K
   満月の夜の地表の照度: 約0.2ルクス
     (月のない晴天の夜の照度は約 3 x 10-4 ルクス程度、その20%が星光、80%が夜光)
      電気学会「照明工学」(オーム社)より
 
■ 月の明るさ
満月の明るさは地球上を0.2ルクスで照らし出す力を持っています。
また満月での輪郭は中心も周辺も同様の明るさで(むしろ周辺部の方が少し明るく)ハッキリと映し出されています。
これは月の極めて特異な性質と言われています。
その理由は月の表面には細かい岩石の粉がふんわりと堆積しているためと考えられています。
この表面の性質によって月の表面に垂直に入射した光は垂直に反射する光が最も強くなり、さらに月面に斜めに入射した場合も光が来た方向に返る光がもっとも強くなってその強さは直角に入射した場合と同じ強さと言われています。
こうした性質をもつ天体は太陽系の中では水星などごく少数で、ほとんどの天体は写真に撮ると縁の方が暗く写ると言われています。
満月はとても明るく輝いて見えます。その明るさは、朝方、太陽が上ってあたりが明るくなってもまだ認識できるほどの明るさで、下弦の月となって午前中に西の空にある時にも青空にその原型をとどめています。
満月は、青空と同じ明るさを持っていることになります。
月は太陽から見れば地球とほぼ同じ距離にあり、月の表面に受ける単位面積あたりの光束(照度)は同じはずです。
ということは月面には170,000ルクス程度の明るさがあることになります(もちろん月には大気もなければ雲もありませんから可視光以上のエネルギーが降り注いでいるでしょう)。
この170,000ルクスの光が反射して地球に到達し夜の地球を照らし出してくれるわけですが、その月の輝度はデータによると3,000cd/m2だそうです。
この明るさは先ほども述べました青空の明るさ程度です。
ここで、先に述べた ■照度と輝度について の(5)式を思いだして見ましょう。
 
     B = K x E / π    ・・・・(Light5)(前述)
       B:輝度(cd/m 2
       K:物体の反射係数、黒いほど値が低い、100%反射は1.0
       E:照度(ルクス)
       π:円周率(3.14159)
       注)ただし、この関係式が成り立つ反射物体は、拡散面をもつ
         物体についてだけです。鏡のようなものはこの限りではあ
         りません。 K=1の物体面を完全拡散面と言います。
 
この式に月表面の照度と輝度を代入するとKの値が求まります。従って、
 
   B=3,000cd/m2
   E=170,000ルクス
   π=3.14159
 
より、
 
   K = B x π / E = 3000 x 3.14159 / 170,000 = 0.055
 
が求まります。
これの意味するところは、月の表面は太陽の可視光の5.5%を反射していることを意味しています。
5%の反射というとかなり黒い物体と言えるでしょう。
それでも、3,000cd/m2の輝度を持っているのですから太陽は明るい!
この3,000cd/m2の輝度を持つ3,500kmの球形をした月が、384,000km離れた地球を0.2ルクスで照らすというのです。
このレイアウトは月と地球の距離が月の大きさに比べて十分に遠いので月を点光源と見ることができます。
月の光度はデータによると8 x 1016 cdとありますから、このデータを使って地球面の照度を計算すると
 
   E = 8 x 1016 cd /(3.84 x 1082 m2
    = 0.54 ルクス
 
という値が算出されます。
データによる地球面での照度0.2ルクスと2倍強の違いがあるものの、この誤差は月の位置(地球の測定緯度)と大気の吸収係数に関わりがあるものかも知れません。
 
 
 
 
蝋燭(ロウソク) (2002.04)(2009.12.14 追記)
ヒトは、灯りを手にすることにより闇を支配することができるようになりました。
また、灯りの熱を利用して寒さを克服し食を豊にしました。
「木」を燃やす明かりを経て、「脂肪」や「蝋」を燃やす「ランプ」、それに「ろうそく」が生まれました。
ロウソクの原料は、ハゼの実、松脂、牛脂、鯨油(マッコウクジラ)、蜜蝋、パラフィンなどが使われました。
灯りの歴史は、以下の観点から発展してきました。
 
  ・ 明るいこと
  ・ 取り扱い勝手が良いこと
  ・ 煤が出ないこと
  ・ 嫌な匂いがないこと
  ・ 安価であること
 
灯火に求められたもっとも切実なものは、安価であることでした。
灯りは毎日使います。従って、安価で使いやすく明るいことが何よりも求められたことでした。
それだけ需要がありました。
「火」は、人類の切実で大切な道具だったのです。
そうした要求に応えるように、いろいろな創意工夫が凝らされました。
多くの人々が灯りを求めたので、灯りを扱う産業は大いに発展をみます。
ガス事業も電力事業も、人々に灯りを送るために始められました。
 
 
■ 鯨の脂
鯨、それもマッコウクジラの頭蓋にある液体オイル(25度以上で液体になる)は、それまでの灯火オイルに比べて匂いがなく、煤も出にい最も良質なものでした。
良質なランプオイルを求めてマッコウクジラの捕鯨船団が作られ、全世界を飛び回ったのは18世紀から19世紀にかけてでした。
1860年代は、ランプオイルとロウソク原料(固体の鯨蝋)を得るための捕鯨が最も盛んな時期だったそうです。
鯨の油は、高級灯火燃料の他に石けん、機械油として使われ、精密機械の潤滑油としては代替品がないほどの貴重なものだったそうです。
また、抹香(マッコウ)の由来ともなっているように、この鯨からは高級な香料(龍涎香、りゅうぜんこう、Ambergris)がとれました。
当時の捕鯨船は、鯨油と香料、それにセミクジラではヒゲをとるのが目的であり、鯨肉は海に捨てられたそうです。
明治維新の発端ともなる米国ペリーが浦賀にやってきたのも、米国でマッコウクジラを取り尽くした米国の捕鯨船が日本近海にたくさんいることを見越して、日本を捕鯨船の中継地として開港を迫ったからです。
ことほどさようにマッコウクジラの液体オイルは珍重され、高値で取引されたのです。
 
 
■ ロウソクの灯り 
ロウソクは、炭素(C)と水素(H)を多く含んだ有機化合物です。
これらの元素が空気の酸素と反応して反応熱が発生します。
炭素と水素が完全燃焼(理想の化学反応)すると、反応熱の他に紫外域、と青色域、赤外域の光を放出します。
完全燃焼では可視光領域の発光はほとんど無く、ブルーフレームとなります。これでは灯りとして利用する価値はありません。
ガスコンロのブルーフレームでは照明として使えないのです。
 
ろうそくでは、反応熱によって未反応部の炭素が熱せられて高温になった炭素が光り輝く、という固体輻射の原理を利用しています。
しかしながら、ロウソクはそれほど強い明かりではありません。
燃焼温度が低いからです。
燃焼温度が高くなれば、まぶしいくらいの明るい光を得ることができます。
炭や石炭にフイゴを使ってたくさんの空気を与えてやると非常にまぶしく輝きます。
それは、潤沢な酸素を供給されて燃焼温度が上昇するためです。
自然対流によるロウソクの燃焼では、酸素不足の拮抗した状態で燃焼が行われていることを意味しています。
ロウソクの燃焼については、英国人物理学者マイケル・ファラデーの著した「ロウソクの科学」が有名で、ロウソク1本の中に秘められた科学的事実を多方面から検証しています。
ただ、その書物にはロウソクの光度や輝度についての十分な記述はありませんでした。
光の単位の光度(cd = カンデラ、candela)はロウソクの明るさから来ていると言われていますが、ロウソクの炎の大きさによって明るさが異なります。
また、輝度も異なっています。
ロウソクを酸素濃度の高い雰囲気中で燃やすとかなりまぶしく燃えます。
私の自宅にあったロウソク(直径20mm、芯径2.2mm、炎のサイズ短径15mm、長径30mm)を使って明るさを測定したところ、炎の最大輝度は1200cd/m2 でした。
この炎の明かりは、距離100mmで200ルクス、300mmの距離で15ルクスの照度を得ました。
炎の光度1cdとは大分違う値となっています。
1cdの値を基準にした炎はもっと小さなロウソクの炎だったと思われます。
 
 
■ アルガンランプ  (2009.12.14追記)
オイルランプを明るい灯火にしたのは、スイスの化学者アミ・アルガン(Aime Argand:1750 - 1803)です。
彼は、1783年にアルガン・ランプと呼ばれるオイルランプを考案しました。
このランプは、明るいランプの定番となった構造を持ったもので、その後のガス灯やブンゼンバーナー、石油ストーブに応用されました。
アルガン・ランプの根本原理は、灯芯を筒状にして空気を灯芯の外周と内周から供給したことです。要するに燃焼に必要な空気を潤沢に与えて燃焼効率を向上させ、火炎温度を高めて炎を明るくする構造としたのです。
この構造は、燃焼効率が良かったので煤も出にくくなりました。
また円周状の灯芯の周りをガラスの筒で覆って(透明煙突を作って)、風などで揺らぐ炎を守り、燃焼に必要な空気を下から上に安定して流れるように工夫しました。
この構造の巧みな所は、シンプルな構造で燃焼効率を高めたことです。燃焼火炎が上昇することによって、燃焼下部に負圧が生じこれによって燃焼に必要な空気が吸い上げる構造となっています。
明るさは灯芯の調整によって行っていました。
 
 
 
ガス灯 (2002.04) (2009.12.10 追記)(2013.02.11修正)
19世紀まで暗黒を闇を照らし出す明かりは、蝋燭(ろうそく)と石油ランプ(カンテラ)でした。
ガス灯は、19世紀から登場します。ガス灯は、石炭を乾留して得られる石炭ガスを使って燃やした灯火のことです。
18世紀末から19世紀にかけてイギリスで産業革命が起き、鉄鋼業産業が大いに発展しました。
鉄鋼業を支えたのが火力(熱エネルギー)の石炭です。
石炭を使う以前は木炭を使用して鉄を製錬していました。鉄の製造にはたくさんの木が必要で、これをまかなうために大きな森が次々と消えて行ったそうです。
 
■ 石炭ガス - 木炭に代わる熱源として、石炭が登場しました。
しかし、石炭は木炭と違って硫黄分などの不純物が多く含まれ、そのまま使用すると鉄と反応してしまい純度の高い鉄をつくり出すことができません。
製鉄に使うには石炭を蒸し焼きにして不純物を除き、炭素だけの固まり(コークス)を得る必要がありました。
当時の石炭は、乾留してコークスとタールのみを取り出して、残りの石炭ガスは大気に捨てていました。
イギリスのマードック(William Murdock:1754 - 1839)はそれに注目しました。
 
■ 石炭ガスによるガス灯の発明 - 1792年、蒸気機関のエンジニアであったマードックは、仕事先の鉱山の地コーンウォール(Cornwall)で、蒸気機関の設置と運用の責任者を務める傍ら、余暇の仕事として石炭ガスの発生装置と石炭ガスで発光する照明ランプを作り、これらを仕事場に使いました。
この装置は、ボールトン・ワット商会(蒸気機関の改良を行ったJames Wattと仕事仲間Matthew Boulton の会社)のソホー工場(Birmingham Soho)にも採用されて、工場内を照らす照明装置として使われました。
1802年のことです。
石炭ガスの発見は、マードックの発明より200年も前の1609年、ベルギーのヘルモント(Johann Baptista van Helmont:1579-1644)の発見まで遡ります。
彼は、石炭を加熱する際に奇妙なガスが発生するのを発見して「Wild Spirit ワイルドスピリット」と名付けました。
石炭ガスが有効であることがわかって学術的な研究もなされます。
1820年、イギリスの化学者Fredrick Accum(フレデリック・アッカム)は、ガス製造の技術書「Description of the process of Manufacturing Coal Gas」を著し、石炭ガス製造のためのレトルトの設計、石炭ガスの発生量、乾溜の温度、ガスの光力などについて詳細な研究をしています。
 
方や、マードックはとても器用で技術的なひらめきを持ち合わせた技術屋だったようです。
スコットランドで生まれて、23才の時に同郷の蒸気機関製造業者のジェームズ・ワットを頼って500kmも離れたバーミンガムにあるボールトン・ワット商会のソホー工場まで徒歩で訪ねたそうです。
彼が被っていた木製の帽子(彼自身が旋盤でくりぬいたもの)のできのよさを見て、ボールトンは彼を採用したというエピソードがあります。
彼は、工場内で才覚を発揮し短期間で尊敬を集めるまでになりました。
ガス灯システムは、彼がコーンウォール鉱山に納入する蒸気機関の設置運用責任者として赴任した1792年、38才の時に作り上げました。
マードックが、ガス灯を構築するのにあたって他の発明者と異なっていた点は、ガス灯をシステムとして考えた事です。
マードックは、石炭から石炭ガスを作り出す乾留装置と石炭ガスを貯蔵するガスタンク、ガスの配管設備、ガスの燃焼器、ガスの調整のコックなどの一連のプラント設備を考案したのです。
器用なマードックならではのことです。
このシステムの考え方は、電気の照明事業を展開したエジソンによっても受け継がれます。
エジソンは、ガスによる照明システムを徹底的に模倣しました。
中央部に発電所を配置し電力を受給者に送り、配電盤を設けました。
電球を点灯させるスイッチまで同じ形状としました。
(2013.02.11まで、本記述にコーンウォールが炭砿であるという誤記をしていました。産業考古学のK.Sさんよりご指摘を受け訂正しました。
また、ワットとボールトンは友人、という記述をしていましたが、両者は資本家と技術者という関係であったそうです。これも訂正しました。K.S.さんありがとうございました。)
 
■ 都市ガス会社の設立
10年後の1812年、マードックの教え子であるクレッグ(Samuel Clegg:1781 - 1861)がガス燃焼器の改良を行いこの装置を元に世界最初の都市ガス会社をロンドンに設立しました。
ガス産業はヨーロッパではイギリスがいち早い発展を見ました。
その中で、ロンドンはわずか数年のうちにガス供給を広範囲に備えた最初の大都市となりました。
アメリカでも1815年、フィラデルフィアでガス灯会社が創立され主に工場の照明に使われました。
フィラデルフィアは、1950年代までガス灯を使用していたそうです。
日本では、イギリスでガス灯事業が始められた60年後の1871年に大阪造幣局で導入されました。
翌年の1872年には横浜に、その2年後の1874年には東京の金杉橋 - 京橋間に85基のガス灯が建設されました。
この建設に関わった人は、フランス人のアンリ・プレグラン(Henri A. Pelegrin、1841-1882)と日本人の実業家である高島嘉右衛門(たかしま かえもん:1832 - 1914)でした。
ガス灯は関東大震災(1923年、大正12年)の後、電灯の普及もあって次第にその役割を譲るようになりました。
ガス灯事業を始めた東京瓦斯も、事業を照明事業から次第に熱源事業へと移行させて行きました。
 
 
■ マントル(mantle)の発明
ガス灯が発明された当初は、ガスの炎をそのまま明かりとして使っていたため決して明るいものではありませんでした。日本に導入されたガス灯も、従ってあまり明るいものではありませんでした。
ガスの炎を明るくしたのは、マントルの発明からです。
これを発明したのは、オーストリアの化学者ウェルスバッハで1891年のことです。マードックがガス灯を発明して90年が経っています。
ガス灯は、つまり、90年間も裸火のままだったのです。
また、彼がマントルを発明したときにはすでに(12年も前に)、英国のスワンとアメリカのエジソンが電気による灯りを発明して販売をしていました。
マントルとは、ガスの炎に被せる多結晶鉱物でできたキャップのようなものです。
これは、まず袋状の綿糸もしくは絹糸を使って網袋を編み、その網袋に発光剤である酸化トリウムと酸化セリウムを99:1の割り合いで混ぜた液体に染み込ませて、その後に焼き固めて作られたものです。
このマントルでガスの炎を包み込むことにより、ガス熱から輝かしい白色光を得ることができました。
マントルの発光剤の働きにより、裸火より5倍もの明るさが確保できました。
マントルの発明にあたっては、彼はいくつかの酸化物を混ぜ合わせることによって単一の酸化物よりも明るく光ることを知って、いろいろな組み合わせを数限り無く試して効率の良い発光材を研究しました。
その中で、トリウム溶液に浸した綿糸をブンゼン灯にかざしたところ偶然にも強烈な白光が放たれ、さらに研究に没頭していったそうです。
こうしてできあがったマントルは、消耗品でした。
 
ちなみに、ウェルスバッハがマントルに使った原料のトリウムは、放射性物質なのでX線を放出します。
人体に害のないレベルとはいえ放射性物質であるので、現在使われているものは非放射性マントルになっています。
 
電灯を発明したアメリカのエジソン自身も、明るい光を求めて希土(レア・アース)(希土類元素の酸化物)を使ったランプの開発をいち早く進めていましたが、ウェルスバッハのような解決策が見つからず電灯に研究の鉾先を変えていきました。
1880年当時のガス灯は裸火であったのであまり明るくなく、電灯が発明された時は一気にガス灯を駆逐するかに見えました。
しかし、マントルの発明でガス灯が再び息を吹き返します。
1890年代はガス灯と電灯の激しいせめぎ合いがありました。
電灯は新しい光ではありましたが、まだまだ安定していませんでした。高価な電球がすぐ切れてしまう問題がありました。
ガス灯は80年以上の歴史を持っていて、本場イギリスではガスの配管(インフラ)が整備されていました。
1900年頃に達てられたロンドンの家々では、ガス灯と電灯の両方を備えていたそうです。
その理由は、当時はガス灯か電灯かどちらが勝つかわからなかったからです。
1940年代の第二次世界大戦がぼっ発する頃まで、ロンドンのシティと呼ばれる市街区にはガス・マントルの街路灯がたくさん灯っていたそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
■ ウェルスバッハ (Carl Auer von Welsbach:1858 - 1929)  (2009.12.10追記)(2017.11.30追記)
ウェルスバッハは、功績の割には日本の人々に知られていない化学者です。
しかし、彼の業績は、科学史上輝かしいものです。母国オーストリアでは切手にも載せられるほど(右写真参照)有名な化学者です。
彼の業績は以下に列挙するとして、彼のユニークなところは、自ら研究した成果を製品として事業化し、大きな企業を経営したことです。
ガス灯のマントルは世界的に普及しましたから、利権は相当なものでした。
また、フリントというガスを着火する石も特許を取っていて、かなりの量が掃けました。
今も身の回りにある100円ライターの着火石は、ウェルスバッハの発明したフリント(flint)を使っています。
当時、アメリカのエジソンは、ウェルスバッハの研究と彼が経営する会社、と、彼の発明品をかなり意識していたようです。
というのは、エジソンは、電球を発明する前にも灯りの事業としてガス灯に目をつけていましたが、ガス灯の裸火を明るくする工夫ができず、あきらめた経緯があります。
その難しい難題をウェルスバッハはクリアしてしまったのです。
しかもあろうことか、電気による灯火ができたとき、ウェルスバッハは耐熱に優れた金属フィラメント(オスミウムランプ)を発明しています。
エジソンはと言えば、炭素フィラメントの製造がやっとでした。
このことを見ても、エジソンよりウェルスバッハのほうが技術的に深い知見を持っていたと言えるでしょう。
ウェルスバッハは、化学的見知からみた金属に対する深い造詣がありました。
金属の発見には分光という手法が使われます。
これは、金属を熱して金属が発する固有の光を分析する手法で、ドイツのキルヒホフ(Gustav Robert Kirchhoff:1824 - 1887)とブンゼン(Robert Wilhelm Bunsen:1811 - 1899)がその方法を確立しました。
ウェルスバッハは、ブンゼンの研究室で分光による金属の研究をしていましたから、ブンゼンバーナに金属をかざすと特異な光を放つ現象を知っていました。
こうしたことから、ガスの炎を明るくするヒントを得ていました。
それが希土類元素を使ったマントルの発明につながっていきました。
エジソンは、そうしたライバルの業績と成果を十分に認識して、1900年には知識のしっかりした研究者を集めて基礎研究を行う研究所を設立します。
GE研究所は、エジソンの意志に見事にこたえ、タングステンランプ、タングステンハロゲンランプ、蛍光灯など数々の技術革新を行い、GE社を世界に冠たる総合電機会社に押し上げました。
 
ウェルスバッハは、帝国の落日寸前にあったオーストリア・ハンバリー帝国のウイーンで1858年に生まれました。
父親は、帝国印刷所の所長であったそうですから恵まれた家庭環境だったと想像します。
ウィーン大学で数学と化学、物理学、熱力学を学んだ後、1880年にドイツ・ハイデルベルク大学に移り、ローベルト・ブンゼンのもとで「希土類元素化学」についての研究を行いました。
これが彼の生涯を通じた研究の下地となります。
1882年に物理学の博士号を取得した後、ウィーン大学に戻り、さらなる研究を続けました。
 
【ウェルスバッハの業績】
* 4つの希土類元素の発見
   - ネオジム(Nd)(Neodymium) - 強磁性磁石、固体レーザの励起元素。
   - プラセオジム(Pr)(Praseodymium) - ガラスの着色剤、光ファイバーの増幅元素、強磁性磁石。
   - ルテチウム(Lu)(Lutetium) - 金属の中で最も高価。
   - イッテルビウム(Yb)(Ytterbium) - ガラスの着色剤、鉄への添加剤。
* マントルの発明と実用化
* フリント(ライターの着火石)の発明と実用化
* 金属フィラメントランプ(オスミウムランプ)の製品化
* 粉末冶金法の考案
 
ウェルスバッハは、1885年にガスマントルに関する最初の特許を得ます。
これは、酸化マグネシウム(60%)、酸化ランタン(20%)、酸化イットリウム(20%)からなるものでした。
つぎに彼は、酸化マグネシウムを酸化ジルコニウムに置き換えたマントルの特許をとりました。
これはガス灯のマントルではなくアルコールランプ用のマントルでした。
マントルのビジネスは1887年から始めました。この年に彼は、マントル製造に使う硝酸ランタンの生産を始めました。
彼は、世界各国にマントル製造に関するライセンスを供与したものの、原料の大元となる硝酸溶液は自らが調整し、これをマントル製造業者に供給する方式をとりました。
秘伝のタレとも言うべき硝酸溶液は製法を決して明かさなかったのです。
初期のマントルは、あまり満足のいくものではありませんでした。
というのは、これらのマントルは壊れやすく、寿命も短く、明るさも白色光にはほど遠い緑がかった冷たい光だったそうです。
そこでウェルスバッハは、さらに明るい光と耐久性のあるマントルを開発するためにいろいろな鉱物を使った試験を続けました。
最終的なマントルは、1891年に特許を得ます。このマントルは、トリウムとセリウムを使ったものでした。
彼の研究によると1887年に酸化トリウムを使った発光研究に着手し、輝度を上げるための試行錯誤が繰り返されて、酸化セリウムを不純物として加えると明るさが増すことが確かめられました。
その組成の割合の割り出しは、膨大な実験と解析によって突き止められました。酸化トリウム99%と酸化セリウム1%の組成を持つマントルがこうして作られ、1891年の特許につながりました。
彼の開発したマントルは、当時の炭素フィラメント電球に十分に対抗できる明るさと質(白色色)を持ったもので、1913年には全世界で3億個の生産があったと言われています。
この年代でも、白熱電球と十分拮抗した商品であったことがうかがえます。
ウェルスバッハは、希土類元素に着目して暗いガス灯の光を明るくするという研究を行い、その研究を通して実用化製品(マントル)を世に送り出したという点で、光の世界に大きく貢献したと言えます。
 
■ ガス灯の欠点
石炭ガスを使った照明は、明るさの点(ろうそくの焔の3倍〜10倍の明るさ)や能率や安全性の面からみて、必ずしも満足のいくものではありませんでした。
劇場などでこのガス灯が使われると、ガスの燃焼によってたくさんの酸素が使われ観客は酸欠のため激しい頭痛に襲われたといいます。
また、石炭ガスは、製造、貯蔵、配管の問題があり、特に貯蔵には高圧液化という大きな課題を抱えていました。
そのうえ、ガス爆発といつも隣り合わせにある危険性を持っていました。
当時のガスは無色無臭で危険きわまりないものだったのです。
当時としてはほかに代わるものがなく、やむなく採用されたものだったのでしょう。
ガス燈は、現在でも見ることができます。
観光地では、呼び物の一つとして柔らかな光を放つガス燈が作られています。
東京では、恵比須ガーデンプレイス、浅草寺雷門でガス燈が見られるそうです。
左の写真は横浜の馬車道にあるガス灯です。
このガス灯は、イミテーションではなく、ガスによる灯火だと思います。
当時使用されていた石炭ガスではなく、都市ガスを使用しているのかも知れません。
ガス灯には3ヶのマントルが下向きに付いています。
現代の水銀灯に比べると、明るさは比較にならないくらい暗いものでした。
 
東京都小平市大沼町にある東京ガスのガス博物館。
ガス配給の歴史を見ることができる。
屋外にはガス燈の展示があった。
室内のガス灯展示。
シャンデリアのようなランプ。
電灯はガス灯に似せられて作られた。
 
 
 
 
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アーク電灯(Carbon Arc Lamp) (1998.10)
先日、本ホームページの読者の方から「カーボンアーク電灯とはどのようなものか?自分の周りにこれを知っている人がいない」というメールをいただきました。
アーク電灯は、エジソンが管球フィラメント電球を作る前に一世を風靡(ふうび)していた電灯です。取り扱いがやっかいで輝度が高く人の目にまぶしすぎ、高電圧大電流を必要としていたため、白熱電球が登場して一気にその地位が奪われました。
ただ、高輝度で点光源という特徴があったため、大規模な照明装置や映画館での映写機用光源として、日本では昭和43年(1968年)頃まで使われていました。
昭和33年当時は、映画業界が一番にぎわった時期で、カーボン電極を製造していた東芝セラミックスは、毎月100万本以上のアークカーボンを生産していたと言われています(『シネマ100年技術物語』、(社)日本映画機械工業会、1995.11.7 第1刷)。
アーク電灯は、単純に電気の放電を利用して光を得る電灯です。
点灯させる時は電極を接触させ(ショートさせ)、放電が始まると電極を離して希望するアーク長にします。
電極は使用とともに消耗していきますから絶えず電極間を調整しなければなりません。
電極を水平に配置すると一番明るく光る陽極部(クレータ)が陰極棒に隠れてしまうので、陰極を25°傾けて陽極のクレータ部を露出させる方式が一般的でした。
アーク電灯はアークの揺らぎが多いため、安定した光を得るには相当の熟練が必要でした。
また大気放電なので、消耗するカーボンが部屋じゅうに飛散するという煤の問題もありました。
放電中に発する音も大きかったと言われています。
映写機のアーク電灯は、64Vで60Aの電流を消費したといいます。
これは、3,840Wの光源ということになります。
3,840Wの電気がわずかφ6mmの電極棒の7mm程度のギャップの間を放電するわけですから輝度はかなり高いものになります。
当時、映画館ではフィルムにセルロイド(当時は湿度と温度での寸法安定性に優れたものはセルロイドしかなかった)を使っていたので発火しやすく、劇場内は火薬を抱えているようなものだったと言います。
このような映画館に使われたアーク電灯も、昭和33年にウシオ電機からクセノンランプ(キセノンランプ)が開発されると、危険なアーク電灯に換えてクセノンランプ(キセノンランプ)で映画上映が行われるようになりました。
アーク電灯からクセノンランプ(キセノンランプ)に置き換わるのに10年の歳月を経て、劇場用の映写機光源はキセノンランプの時代になって行きました。
 
明治になって最初に発電所が作られたのは、街路灯(当時、ガス灯とアーク灯がしのぎを削っていた)への電力供給のためでした。(東京電力の前身は東京電灯会社といった)。
エジソンのランプの発明以来、電灯業界は一転しました。
電気事業は電灯事業そのものであり、夜の闇を照らす電灯が各家庭にどんどん進出してそれに伴う発電事業と送電事業が大々的に行われていきました。
 
【電気の光】
電灯の起源は、1802年、イギリスの化学者、ハンフリー・デービー(Humphry Davy: 1778 - 1839、マイケル・ファラデーの恩師)が発見した弧状(アーク)を描く電光に始まります。アーク灯は、同時期、ロシアの実験物理学者Petrov(Vasily Vladimirovich Petrov: 1761 - 1834)によっても実験に成功していました。
デイビーは、ボルタ電池の両極から出した二本の針金の先に、それぞれ固い木炭片(炭素)を結びつけて、その両端を少し離して置きました。
するとその間には、眼も眩むような焔の弧が橋渡しされて燦然たる光を放ちました。
これは、弧灯電灯(アーク灯)と名付けられました。
ボルタのバッテリ(ボルタの電たい、Voltaic pile)は、イタリア人のアレッサンドロ・ボルタ(Alessandro Volta: 1745 - 1827)によって1800年に発明されました。ボルタの電たいは、銀とスズの板を互いに幾層にも重ねて、これに食塩水を浸して電気を発生させるものです。
ボルタの電たいができた2年後に、このバッテリを使った電灯ができたことになります。
ボルタが最初に開発した電たいは銀を使っていて高価であったため、亜鉛(-)と銅(+)に変わりました。この両金属が作る電位差は1.1Vでした。Davyは、1813年に大々的な電源設備を研究所(Royal Institution)の地下室に作りました。これは、889ft2(83m2 = 9m四方)のスペースで2000個のボルタの電たいを設備したという巨大なものでした。すべて直列に接続したら2,000Vの電圧を発生します。まさか、そんな接続はしなかったろうと思いますが、100V程度の電圧で数日(もしくは数ヶ月)の実験はできたろうと考えます。これだけの設備があれば、アーク電灯を灯すことは可能だと思います。デービーは、このバッテリを使って電気分解研究を行い、さまざまの物質を見つけだしました。
アーク灯は、陽極の炭素が高温のため蒸発し、また空気中の酸素と化合して消耗するため、毎日のように炭素棒を取り替える必要があり、経費が非常にかかりました。
また、アークの光が強すぎ、かつアークが一定せずちらちらと揺れ動くことも大きな欠点でした。
 
電気の光は、アークの流れを組む電気放電の灯火と発熱を利用する白熱電灯に別れていきます。
 
白熱電灯の研究成果は、10年後の1820年代頃から出てきました。
白熱電球は、イギリスのWarren De la Rueが1820年に白金線を空気を排気したガラス管内に配置して電気を流して発熱させたのが最初と言われています。白金線は高価なので実用的とは言い難いものでした。電気を流すことによって発光するのは当時から理解されていましたが、明るさと安定した寿命、価格的な問題が絶えず足かせとなっていました。
ドイツ生まれの発明家・時計職人ハインリッヒ・ゲーベル(Heinrich Goebel: 1818 - 1893)が、アメリカに移民して竹を炭素化したフィラ面を使って白熱電球の原型を1854年に作ったと言われています。(彼は、エジソンが自分の発明した炭素フィラメント白熱電球を模倣したと訴えました。)
イギリスではジョセフ・スワン(Sir Joseph Wilson Swan、1828 - 1914)が、炭素フィラメントによる実用的な白熱電球を開発しました。
ロシアではアレクサンダー・ロディギン(Alexander de Lodyguine: 1847 - 1923)が電灯の研究者として知られています。ロディギンは、1872年に炭素棒を使って窒素を封じ込めたガラス球の中で明かりをともしました。このランプは数百灯作られてセントペテルスブルグの港を照らしたそうですが、寿命は著しく短かったと言われています。その原因は、ガラス球内に置換された窒素の他に不純物やガスが残っているためだでした。
実用化に耐える白熱電球を完成させたのは、米国人のトーマス・エジソンです。エジソンは、1874年にカナダトロントの医学生であったHenry WoodWardとホテル経営者Mathew Evansが発明した炭素フィラメント白熱電球の特許を購入して研究に着手したと言われています。
 
 
【ライムライト(Limelight】
懐かしい響きです。
鼻腔がツンとくるようなそんな感じの言葉です。
私はこのランプを見たことがありません。
昭和30年代に生まれましたから、生粋のテレビっ子です。
「ライムライト」という言葉の響きは、チャップリンの映画のイメージが強いのかも知れません。
ライムライトは、光源の一種です。電気は使いません。
電気を使わないので、電気のない地方の映画館や休電日(昔はあった)に使用されました。
1820年代に発明されて1915年頃(100年ほど前)まで使われていたそうです。
ライムライトは、酸素と水素の混合ガスを点火させこの炎を生石灰片(酸化カルシウム = ライム)に当てた強い白色光です。
石灰光とも言われていました。
酸素と混合するガスは、水素に限らず日本ではエーテルが使われたそうです。
その他、アセチレンやベンジン、ガソリンなども使われたそうです。
ライム(石灰片)は、φ25mm、50mm長の棒で空気や湿気にたいして弱く、
水分を吸って消石灰になって粉状にくずれてしまうために保管には気を使ったそうです。
また、炎を同じ所に当て続けると輝度が落ち安定した光が得られないため、
棒を回転させたり、ジルコニウムやセリウム、トリウムなどを添加させたライム棒を使っていたといわれています。
マントルを発明したオーストリアのウェルスバッハは、マントルの発明にあたってライムライトを参考にしたそうです。
ライムライト(酸化カルシウム)は高温の炎を明るくする材料だったのです。
 
 
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管球
 
 
 
白熱電灯  (2010.01.11追記)
エディソンが発明した
炭素線電球。
1885年のもの。
炭素線(フィラメント)は
U字形状。
口金はエジソン口金。
白熱電灯は、電気エネルギーを使った明かりです。
米国人トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison: 1847 - 1931)が1879年に発明し、大きな事業に育て上げました。発電所の建設から電線の敷設、家庭内の電気配線、ブレーカ、スイッチなど電気供給システムは、この白熱電球の普及の成果と言っても過言ではありません。白熱電球は、20世紀を通して光源の代名詞となったものです。
白熱電球は、電気を高温に耐える抵抗体を介して通電させ熱エネルギー(ジュール熱)に変換された加熱発光を利用しています。
高い電気エネルギーを与えて発熱体を高温にすれば、より高輝度の光が得られますが、自らの熱で発熱体が蒸発し寿命が短くなります。
白熱電球は構造がシンプルで比較的安価であったため、幅広く使われて来ました。
反面、熱の発生が大きいことや(消費電力の約90%が熱に変わる)破損しやすい欠点があります。
白熱電灯の詳しい内容は、AnfoWorld 別館「奇天烈エレキテル」を参照下さい。
人類にとって、「明かり」がいかに必要であったかは、『闇をひらく光』-19世紀における照明の歴史(ヴォルフガング・シルヴェルブシュ著、小川さくえ訳、1988年3月7日初版、(財)法政大学出版局)に詳しく書かれています。
電気エネルギーを使用した灯火(ともしび)の果たした役割は、「改革」と呼ぶにふさわしいインパクトあったのだなぁ、と痛感します。
 
【エジソンによる白熱電球の発明】
1879年10月19日、エジソンはメンロー・パークの実験室で、炭素繊維(木綿糸を炭化した炭素繊維)を発光体とし、これをガラス球の中に入れ、空気を100分の一まで抜いて電気を流したところ継続して40時間程度光り輝きました。
実験が終了した2日後の10月21日がエジソン電球発明記念日とされています。
この成功から実用化までにさらに改良が続けられました。
発光時間を長くするため、フィラメントの選定に6000種以上の物質が試されました。
実験の中で良い成績を残したのが竹でした。
エジソンが竹に注目したのは、偶然だったそうです。
エジソンがたまたま手にしたシュロの団扇の骨組みに使われていた竹を見つけ、これを炭素化したところ抜群の成功をおさめたそうです。
最終的に、日本の京都の竹を材料にした炭素繊維で耐久性を増し、ガラス製のバルブの中に固定して、使いやすい耐久性のある白熱電球を開発しました。
エジソンの炭素白熱電灯の開発は研究開発史上初めて組織的な材料探索が行われました。
10万ドルの資金を投入して20人の科学者を全世界に派遣して6000種にのぼる植物繊維を収集したといわれています。
その結果選ばれたのが京都・八幡の竹だったのです。
白熱電灯は、J.W.スワンが同様な原理の電灯を発明し、その結果エジソンとの間で特許争いが生じました。
しかしエジソンとスワンは法廷での白黒より和解を選びました。
1883年エジソン・アンド・スワン電灯会社が設立され、二人で利益を分かち合う道を選びました。
この会社が後に世界的に有名なGE(General Electric)社の母胎となりました。
    - 参考:「電力技術物語 -電気事業事始め」志村嘉門 著、(社)日本電気協会新聞部 1995.9.16初
 
 
■ フィラメントの改良
エジソンの執念に近い炭素繊維によるフィラメント開発を経て、繊維を使わない合成フィラメントが現れるようになりその製造法は一変しました。フィラメントの前提は、安価で市販化できることが前提です。白熱電球開発の初期には白金線を使ったものがありました。これは当然高価です。
最初に使われたフィラメント素材は、セルロースでした。これは英国のスワン(Sir Joseph Wilson Swan、1828.10.31 - 1914.05.27)が実用化しました。
セルロースをどろどろに融かして噴射口から押しだすと、たちどころに固形するため直径に寸分の狂いのない無限に長いフィラメントを作ることができるようになりました。
これを巻き上げて、フィラメントの孤の長さに切断しました。
これに続く金属合金も同じ方法で製造されました。
最初の実用金属を使ったフィラメント灯 - オスミウムランプ - は、1898年にカール・アウエル・フォン・ウェルスバッハ (Carl Auer von Welsbach、オーストリアの化学者: 1858.09 - 1929.08)の手によって作られました。
彼は、これを開発する前から、ガス灯に希土類合金を含ませた網を作り、これにガスの焔を当てて加熱して輻射発光による灯り(ガスマントル)を作っていました。
これは単なるガス灯より数倍も明るいものでした。
その技術をフィラメント材料に応用したのです。
1900年代には、じつに多種多様な金属合金からフィラメントがつくられ、そのたびに光度を上げることができました。
光度を上げるには電流をたくさん流してジュール熱を増やし温度を高くしなければなりません。しかし、温度を上げると、容易に想像できますが、材料が温度に耐えきれずに溶けたり蒸発したりします。フィラメントの温度は、寿命を大きく左右したのです。
高温度に耐えるフィラメントの発明は、照明事業者にとって生命線であり、競って開発に乗り出していました。
実際のところ、電気のジュール熱で発光するフィラメントとして、3,000°C 程度の高温に耐える材料は炭素とオスミウムとタンタル、それにタングステンの4種類でした。
炭素はもろく耐久性に問題がありました。
オスミウムは、地球上にたくさんある金属ではなく貴重なもので、しかももろい性質がありました。
タンタルは、タングステンフィラメントができる前まで使われていましたが、電気抵抗が高く必要な抵抗値を得るにはタンタルの線材を非常に細くしなければならず、加工がとても難しい金属でした。
 
■ タングステンフィラメントの開発
第一次世界大戦が勃発する数年前の1910年、米国GE社のクーリッジ(W.D. Coolidge:1914年にX線発用のX線管も発明)が引線タングステンによるフィラメント電球を開発します。
タングステンは、高温でも安定した抵抗特性を示し蒸発して切れることが少ない金属です。
クーリッジの発明により、白熱電球ではタングステンフィラメントが体勢を占めるようになりました。
実は、タングステンフィラメントを使った白熱電球の研究開発はいろいろな所で行われていました。
GE社のクーリッジの業績は、硬くて加工に難しいタングステン材を安定して量産できる加工法を開発したことでした。
タングステンフィラメントは、1905年(クーリッジの開発の5年前)に、オーストリア人のHans Kuzel(1859 - 1922)によって作られていました。しかしそのフィラメントは、焼結という手法を用いていたので脆くて耐久性に乏しく、研究開発の域をでておらず量産には向きませんでした。
クーリッジは、タングステンを引線法という手法で均一で細長い素材を得ることに成功したのです。
白熱灯は、これによってようやく完成の域に達しました。
タングステンフィラメントの登場によって、電灯は赤味を帯びた微光からまぶしいほどの白い大量の光を生み出せるようになりました。
 
【William David Coolidge : 1873.10 - 1975.02】 (2003.03.05記)(2005.08.28追記)
クーリッジは、米国の電気物理学者である。
1873年マサチューセッツ、ハドソンに生まれる。
マサチューセッツ工科大学電気工学科卒業後、ライプチッヒ大学(Leipzig)に学び1899年に物理学博士号修得。
その後MIT(マサチューセッツ工科大学)に戻り、Arthur A. Noyes教授のもとで高温場における水溶液の電気伝導度の研究に従事した。
1900年、GE研究所(General Electric Research Laboratory、創設者は、Willis Rodney Whitney。場所は、Schenectady, New York)の設立と同時に入所した。
GEは、今でこそ超巨大企業になっているが、クーリッジが入所した当時のGEは経営的に非常に苦しく、研究所に対しては基礎的な研究よりも製品に直結する開発を望んでいた。
エジソンが発明しGEのドル箱になった白熱電球は、セラミックフィラメント電球や水銀灯の発明による台頭で、その存在を脅かされ存亡の危機に直面していた。
GE研究所所長のWhitneyは、クーリッジに対し高温に耐えるタングステンを使ったフィラメント電球の開発を要請した。
硬くて加工性に乏しいタングステンをどのような形でフィラメントにするかという難題に対して、引線タングステンという解決にたどり着くまで6年の歳月を費やした。
タングステンフィラメントランプの開発により、GEは従来の炭素電球の製造を中止し、1911年にはタングステンフィラメントランプ「Mazda C」電球に切り換えた。
タングステンフィラメントランプの開発には、5年間の歳月と10万ドル(1900年当時で4000万円相当)が費やされたが、この製品の成功と特許取得により1年後の1912年には投資額をすべて回収したという。
商品名になった「Mazda」(マツダ)は、自動車会社の名前でもなければ日本人の姓、松田でもない。
インドのゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーに由来する神々しい名前である。
東芝も白熱電球に「マツダ」の名前を与えて販売していた。
 
クーリッジの2番目の開発課題は、X線発生管であった(X線については、「X線光源」を参照)
X線は、1985年ドイツの物理学者レントゲンによってその存在が認められ、クーリッジもX線に興味を抱いていた。
彼がX線の基礎実験をする中で、タングステンフィラメントランプ開発の知識を利用して、高温に耐えるタングステンターゲットを使ったX線発生管(クーリッジ管)の開発を手がけていくのは自然の成り行きだった。
X線発生管の開発も難渋を極めたが、1909年、GE研究所所長Whitneyが雇ったラングミュア(Irving Langmuir)の協力によって、1913年に完成を見た。
(ラングミュアは、タングステンランプに不活性ガスを封入してランプの寿命を飛躍的に高めた人としても有名である。1932年、ノーベル化学賞を受賞した。)
X線発生管(クーリッジ管)の開発は、レントゲンのX線発見から28年後のことである。
彼は、クーリッジ管を発明した後も15年にわたってX線管の改良を続けX線分野に貢献した。
彼は、技術者としても超一級の仕事を成し遂げたが、研究所の指導者としてもたぐいまれな指導力を発揮した。
1929年の世界恐慌に際しては、GE社も経営難に陥り、GE研究所の存亡も危うくなった。
クーリッジはその時代の1932年に重役に就任し、苦難の選択である リストラや就業規則の引き締め、それに研究費削減を余儀なくされるが、大胆なリストラを敢行することを避け、柔軟な人員配置対策や必要最低限の経費削減をするなどをして所内の志気を高めていった。
彼の指導により研究所内の志気は高まり、GE社社長 Gerard Swope から科学研究者の増員の許可を受け、研究所の質を落とすことなく現在の電子技術の主流になっているシリコン技術の基礎を築いていった。
彼は、102才という高齢まで長生きし、1975年2月この世を去った。
 
 
■ スワン(Sir Joseph Wilson Swan、1828.10.31 - 1914.05.27)のこと   (2009.08.07追記)
白熱電球を発明したもう一人の物理学者に、イギリスのスワン(Joseph W. Swan)がいます。彼は、エジソンが白熱電球の発明を発表する1879年より1年前の1878年12月に、真空引きガラスバルブの中で炭素線フィラメントを使って40時間の連続点灯に成功しています。
イギリスでは、白熱電球の発明はスワンであるとしています。
スワンは、白熱電球の研究を1850年(22才)の時から始めています。しかし、当時の技術ではガラスバルブ内を満足のいく真空度に引くことが困難で、また、良質な炭素素材を作ることも難しく、長時間の発光を得ることができませんでした。
ドイツのガイスラー(Johann Heinrich Wilhelm Geissler、1814 - 1879)が発明した水銀による高性能真空ポンプが入手できるようになった1875年に、彼は再び開発に取り組み、炭素フィラメントもより強固なものに改良して実用化にメドを立てました。
スワンは、この発明をイギリスにて特許を取得をします。
また、1881年には電灯会社The Swan Electric Light Compnay を設立して、商業的な電球の生産を始めました。
白熱電球を灯すには電気が必要です。発電機は、イギリスの化学者ファラデー(Michael Faraday:1791 - 1867)が電磁誘導原理の発見によって実用化の道を開きました。
実用的な発電機は、1832年にフランスの実験器械製造業者ピキシ(Antonie Hippolyte Pixii: 1808 - 1835)によって発明されました。
ピキシの発電機は手回し式で、ハンドルを回すと馬蹄の形をした永久磁石が電磁石の周りを回り、永久磁石の磁極が電磁石の磁界を切って電気が発生するというものでした。
これは、水の電気分解などの化学実験に使われました。
彼の発電機は、交流の発電だったので同国の数学者・物理学者アンペール(Andore Apere、1775 - 1836)の提言によって、整流子を取り入れて直流発電機を作りました。この発電機は脈を打った直流発電でしたが、交流電気よりは使い勝手がよくアンペールらの研究に大いに役立ちました。
 発電機の普及を見るまでは、イタリア人ボルタ(Alessandro Volta:1745 - 1827)の発見した電池(ボルタの電たい)が使われていました。この電池は当然持続性がありません。
大きな発電機を回すのは、当時は蒸気機関が一般的で、これが後に水力に代わって行き、火力(タービン)発電になっていきます。
発電所の設備から配線、配電まですべてをシステムとして考えて、インフラ事業を展開したのはアメリカのエジソンで、彼の方が事業手腕があったようです。
エジソンは、スワンと同じ構造の白熱電球を1年後に開発し(一説によるとスワンのイギリスでの特許を模倣したと言われる)、アメリカで特許を取得します。スワンとエジソンは特許問題で裁判を起こすことになりますが、法廷での決着より歩み寄りを選択します。
エジソン側がアメリカでの販売を行い、イギリスはスワンが製造販売することで合意し、1883年には共同で電球製造会社エジスワン社(the Edison & Swan Electric light Company)が創設されました。
スワンの電球を最初に住宅用の明かりとして取り入れたのは、スワンの友人で兵器会社(アームストロング砲、軍用艦製造会社)のオーナーであったウィリアム・アームストロング卿(William George Armstrong、1810.11.26 - 1900.12.27)でした。彼の邸宅クラグサイド・ハウス(Cragside House)には、邸内の湖を利用した大きな水力発電機が設備され、1878年にアークランプ、1880年にはスワンの白熱電球を導入したと言われています。
スワン電灯会社は、1881年にはサヴォイ劇場(Savoy Theatre、1881年オープン)の全面的な電灯化を行っています。
イギリスでのスワン電灯会社は、着々と電灯化事業を進めていたことがわかります。
 
 
エジソン口金(Edison Screw)  (2009.12.28記)
電球に使われる口金は、2009年になった今でも100年前に作られたエジソン口金が使われています。
この口金は、スクリュー式で丸ネジをねじ込んでいくものです。ガラスのバルブを手で回してソケットに取り付けるので、強く締めるとガラスが割れそうでおっかない感じを受けます。ネジ山は、薄い銅板もしくは真ちゅう板( + ニッケルメッキ)を丸形に成形してあるので、ねじ込みが容易で緩みずらいのが特徴です。ネジの加工精度は、ネジの規格の中では最も低い精度になっています。要するに、ネジの噛み合いがガタガタになっていて受金(ソケット)に挿入しやすくなっています。ガタガタの噛み合わせを止めるのは、ソケットの底にあるバネ状の電極で、口金の底を押し返して緩みを止めています。ガタガタの噛み合わせでも締まりが良いのは丸ネジだからです。
私は、この口金を見る度に、松下幸之助氏(1894 - 1989)の考案した二股ソケットを思い出します。
現在の巨大企業パナソニックの創始者である彼は、エジソンの発明した口金を改良してヒット商品を作ったのです。
私の幼少の頃(1960年代)は、二股ソケットはまだよく使われていました。この時期に家庭用照明は、白熱電球から蛍光灯に変わって行きました。
エジソンの口金は、1909年に特許取得がなされました。ネジ式の口金は、1880年頃よりあったようです。これは特許ですから、ライバルであるウェスチングハウスもシルバニアも、イギリスのスワンもドイツのオスラムも、オランダのフィリップスも、日本の東芝もこれを使用するには特許使用料を払わなくてはなりません。1900年初頭は、170種類ほどの電球の口金・ソケットがあり、GE社のライバル会社などがいろいろな電球を作りはじめていた頃です。
電球の口金・受金は、時代とともにエジソン(GE社)の口金を電球の標準品として選び、1世紀以上を生き続けてきました。
現代にあっても、新しく開発された蛍光電球やLED電球などの口金に100年前に市販化されたエジソン口金が採用されています。電球の口金を換えようという気運さえ見えません。それだけ家庭の隅々に浸透してしまったと言えます。
電球の口金は、国際規格で決められていて、日本のJISにも規格化されています(JIS C 7709)。
私は、10才の頃よりこの年になるまでの40年間以上、この口金・受金にお世話になっています。しかし、これを最良の取り付け器具と思ったことがありません。このソケット(凹形の受金)は、100Vの電気端子が電極剥き出しになっていて、大きな口を開けています。その大きさは、大の大人の親指まで入ってしまうほどで無防備です。中学生の頃、電球を交換しようとして不用意にこのソケットを触ってしまい感電したことがあります。ソケットが上向きになっている電気スタンドは、ここに虫とか小物や水などが落ちたら危険です。ソケットの底にあるバネ電極が弱っていると、下向きに取り付ける電球が緩んできます。もう少し安全設計に留意したら良いのにと思います。
 
■ Exxの口金表記
エジソンの口金は、E26とかE10という呼び名で大きさを表しています。
「E」は、エジソン口金を示す表記です。
おもしろいことに、表記されている数値が口金の直径を示す「ミリ」寸法となっています。
当時(今でも)、アメリカはメートル法の導入にはとても消極的で、図面も工作機械もすべてヤード・ポンド法によるインチ刻みが普通だったはずです。
それがミリ表記とはどういうことなのでしょう。
資料によると、エジソンは欧州に自社のランプを売りたいという強い意志を持っていたので、口金の表記をミリ表記としたのだとありました。
それならば、口金はミリ単位で切りのよい規格となっているか、というとそうでもありません。
例えば、メートル規格のM6オスネジは、外径がφ6mmで、ねじ山ピッチが1mmという切りの良い規格になっています。
インチネジなどは、そのように切りのよいインチ列で規格化されています。(メートル規格のネジは、ヤード・ポンド法規格のネジを真似て作られました。)
しかし、電球の口金の規格を調べてみると、意外なことにミリ表示で示される口金の口径は期待していた値になっていませんでした。
つまり、E26の口金は、口径が26.0mm+/-0.1程度だろうと期待していたのに、規格では26.04〜26.34mmでした。
口金外径の許容寸法が0.3mmもあり、中心値は26.19mmとなっています。
この値をもって「外径が26mmです」とは、メートル法に慣れた人たちは言いせん。
おそらく、私が想像するに、エジソンは口金をインチサイズ(1-1/32 inch = 26.19mm)で作ったあと、メートルの世界に対して覚えやすいようにミリに換算して、呼び径26としたのだろうと思います。
アメリカの工作機械は100%と言っていいくらいインチゲージによる装置だった(つまりインチで部品を作る工作機械だった)ことを考えると、このように考える方が妥当です。
E26の口金のネジピッチ(山から山までの距離)は、3.629mmと規定されています。これは、1/7インチに相当します。
ネジピッチは、英語の資料にも「E26のネジピッチは、7 threads per inch(1インチあたり7回転、すなわち、ネジピッチ1/7インチ)とする。」と書かれています。
また、別の資料では、「GEは、口金の大きさを1/8インチ単位で系統だてて大きさを決めていった。」とありました。1/8インチ系列を頼りにE26を見てみますと、外径寸法は1-1/32インチになります。これだと1/8インチの倍数になりません。しかし、ネジの山と谷の中間である有効径に注目してみると、E26は有効径は25.4mmが当てはまり1インチとなります。また、E39の口金も有効径を38.1mmと見なせば、1.5インチ = 1 - 4/8 インチ = 38.1mmとなり、つじつまが合います。
このことから、エジソンの口金はインチで設計製造し、呼び名をミリに換算して命名したと考えてよさそうです。
 
■ E26とE27
電球の口金の規格を調べてみると、おもしろいことに気がつきます。「E26とE27」、「E39とE40」の二種類が非常に似通ったネジ径を持っているのです。E26は、日本の家庭用電球のほとんどに使われているので馴染みが深いものですが、なぜ似たような規格(E27)がもう一つあるのか不思議です。
E26は、日本とアメリカで使われるAC120Vの国の規格であり、E27は、ヨーロッパなどに使われているAC230V用だと説明されています。
規格を見ると、口金と受金(ソケット)は次のようになっています。
 
 
記号
口  金 (単位:mm)
受 金(ソケット) (単位:mm)
ネジ
ピッチ
丸ネジ
半径 r
外径 d
谷の径 d1
谷の径 D
内径 D1
最小
最大
最小
最大
最小
最大
最小
最大
E26
26.04
26.34
24.36
24.66
26.45
26.75
24.77
25.07
3.629 mm
= 1/7 inch
1.191 mm
= 3/64 inch
E27
26.15
26.45
23.96
24.26
26.55
26.85
24.36
24.66
3.629 mm
= 1/7 inch
1.025 mm
E39
39.05
39.50
36.55
37.00
39.61
40.06
37.07
37.52
6.350 mm
= 1/4 inch
2.329 mm
E40
39.05
39.50
35.45
35.90
39.60
40.05
36.00
36.45
6.350mm
= 1/4 inch
1.85mm
 
 
つまり、E26とE27では、口径で0.1mm程度しか違わず、ネジのピッチは全く同じなので、ネジの製作に許される精度を考慮すれば両者は寸法的にまったく同じものとみなしてよく、互換性があるとみなせます。
しかし、なぜほんのちょっとしか違わない二つの規格があるのかは、私にとって今もってナゾな部分です。
これは、ヨーロッパと米国の間で何かしらのやりとりがあったとしか思えない規格です。それは、米国がAC120Vであったのに対しヨーロッパがAC230Vの電源を使っているところに起因しているように思えます。
両者の規格品を混同して使ってよいかというと、それは違います。日本では、E27とE40は使ってはならない規格だそうです。この規格を持つ口金は、寸法の他に使用電圧においてもヨーロッパの電源に合うように規格化されテストされているはずです。
日本のE26の口金を持つAC100V仕様の白熱電球をイギリスに持っていって挿したらどういうことになるでしょう。口金の寸法は(ほとんど)同じですから、イギリスのソケットに入ります。しかし、電気を入れたとたんに、電球は爆発するでしょう。
英国の電源はAC230Vなのです。
考えただけで恐ろしいことです。逆にイギリスのAC230Vの電球を日本で使ったらどういうことになるでしょう。
80Wの電球は20Wの発熱にしかならないので、1/4の暗さになってしまいます。
 
  
タングステンランプ(Tungsten Filament Lamp、Incandiescent Lamp) (2010.01.07追記)
タングステンランプは、白熱電球の代表的なものです。この名前の由来は、発熱体(フィラメント)材料としてタングステンが使われたからです。タングステンは、高温に耐えて可視光域の発光効率が高く、かつ適当な電気抵抗を持つ発熱発光体としては申し分ないものでした。
このタングステンフィラメントランプを発明したのは、エジソンの後継会社であるGE(General Electric)社で1910年のことです。
 
■ タングステン(W)
タングステンは高温に耐える金属(融点:摂氏3,410度)で、電気も通しジュール熱にも耐えるため、強い光を発する電球フィラメントとして格好の材料です。しかし、私自身はタングステンの固まりを見たこともなければ触れたこともありません。タングステンはとても重く、比重は 19.3もあり、水銀(13.6)よりも重い金属です。たいていの金属は(鉛でさえも)水銀に浮きますが、タングステンは沈みます。タングステンは『金』と同じ比重をもっています。タングステン(tung-sten)は重たい石という意味だそうです。
タングステンは、スウェーデンの化学者シューレが発見しました。発見された当初は使い道はほとんどありませんでした。タングステンが脚光を浴びるようになるのは、融点が高い利点をいかした白熱電球のフィラメントに採用されてからです。X線を発生させるX線管(ターゲット)にも高温に耐えるタングステンが使われています。そのほか鉄の合金としてタングステンを入れた非常に強い鋼板が戦車などの軍用目的に使われています。タングステンと言うと非常に固いイメージがありますが、純粋なタングステン金属は柔らかい金属だそうです。タングステンは不純物(化合物)が混じると固くなる性質をもちます。
 
タングステンランプは、消費電力10W〜1000W程度のものが一般的です。このランプから得られる明るさは1,000lux〜20,000luxの照度で、4m2 程度の照射範囲に使用されています。
家庭用の照明装置は、特に日本では20Wから30Wの蛍光灯にその座を奪われており、近年は白熱電球の形をした蛍光電球がエコ意識もあって台頭してきているので、白熱電球の需要は年ごとに落ちてきています。反面、自動車用ヘッドランプ、表示灯、舞台照明、スタジオ撮影用照明、携帯用ランプ、直流点灯標準光源などには現在もこの種のランプが使われています。
懐中電灯などには、同じタイプに属する小型のクリプトンランプが使われています。
 
■ クリプトンランプ、不活性ガス封入ランプ
クリプトンランプは、タングステンランプのバルブ中に不活性ガスであるクリプトンを封入したものです。
白熱電球の開発初期は、バルブの中を真空としていましたが、真空が強いとフィラメントの蒸発が大きくなった場合に蒸発したタングステンがバルブ内面に付着して黒化するという問題がありました。
これを防ぐ手だてとして、1913年、米国GE社のラングミュア(Irving Langmuir)がバルブ内に不活性ガスを封入するガス入り電球を開発して黒化問題を抑制しました。
封入ガスとしては、通常、アルゴンガスと窒素ガスの混合ガスが使われています。
アルゴンに変えてクリプトン、キセノンなどの希ガスを封入したのがクリプトン電球です。
クリプトンは、分子量が大きく重いガスであるためにアルゴンや窒素のような軽いガスと違って熱対流がおきにくく、フィラメントからの熱を奪いにくい性質をもっています。
このクリプトンガスによって高効率、高寿命のランプができました。
 
タングステンランプの寿命は、フィラメントの寿命によって決まります。
フィラメントが切れた時が寿命となります。
フィラメントの寿命は、フィラメント温度に依存します。
フィラメント温度を上げると(電圧を上げると)光度が上昇し、それにつれてフィラメントの蒸発も大きくなり切れてしまいます。
タングステン電球に定格電圧より5%上昇した電圧を加えると(100V定格の電球に105Vの電圧を加えると)、明るさは18%増えますが寿命が半分になってしまいます。
140Vの電圧では電球は瞬時に切れてしまいます。フィラメントは、温度が低いときには抵抗が低いために点灯時に電流が多く流れます(このときに突入する電流をラッシュカレントと言います)。フィラメントに過大な電流が流れることは寿命の点では好ましくありません。つまり、あまり頻繁な電源の入切りはランプの寿命を著しく縮めることになります。
フィラメントの熱による蒸発を防ぐために、高温に耐えるフィラメント材(炭素、タングステン、オスミウム、タンタラム)が開発されました。
また、フィラメント形状も弧状のものから2重コイルにして熱が奪われにくい方式になりました。
ランプの高出力化とともに、フィラメントの光度が高くなり過ぎてまぶしさを与えるようになりました。
それを改善するため、1925年、日本の不破橘三(東芝)によってバブル内面をつや消し処理した電球が開発されました。
 
 
【ラングミュア Irvine Langmuir 1881 - 1957】
ラングミュアは、米国の物理化学者で、界面化学という分野を切り開いた人として知られている。
界面化学の功績で1932年ノーベル化学賞を受賞した。
ニューヨーク州ブルックリン生まれ。
コロンビア大学冶金工学を卒業後、ドイツゲッチンゲン大学に留学しエルンストのもとで学ぶ。
1909年、27才の年、GE社の研究所に入所。同研究所には、彼より9年前に入所したタングステンフィラメントを発明したクーリッジがいる。
彼は、同研究所でタングステン電球や真空管中の気体のふるまいについての研究を行い、1913年(32才)に不活性ガス入り電球を発明した。
この電球は、フィラメントが電気によって加熱され蒸発してガラス面に付着して黒化するのを防ぐために、ガラス球内部に窒素、アルゴンなどの不活性ガスを封入し、フィラメントの蒸発を防いだものである。
クーリッジの発明したタングステンフィラメントとラングミュアの発明した不活性ガス封入のアイデアで、GE社は照明装置の確固たる地位を築いていく。
彼の発明の根底には、蒸発、凝縮、吸着などに関わる「力」は化学結合による力と同じものである、とする論理があり、この論理を発展させ単分子の吸着の理論を展開した。
彼は、固体表面の吸着速度と蒸発速度の間には、ある一定の平衡状態に達する条件があるとする「ラングミュアの吸着等温式」を導いた。
この式をもとにして「界面化学」という新しい分野を切り開いた。
彼の理論により、触媒と呼ばれる現象が物理的に解明できるようになった。
ヨウ化銀による人工雨の研究も彼の手によっている。
 
 
タングステン・フィラメントランプの代表的なものを使った照度測定例を紹介しておきます。
 
測定に使ったランプは、写真撮影用に使われている岩崎電気のアイランプ(500W)です。
このランプ1灯を用いて照度を計測しました。
このランプは、照射距離200mmにて照射エリアφ100mmにわたって平均照度40,000luxを得ることができました。
また、距離を100mmに近づけて測定した結果、照射エリアφ50mmにて照度80,000luxを得ました。
 
この測定結果から、ランプが大きいために近距離では点光源とはならず、照度の逆二乗の法則を満足しないことがわかります。
近距離で使う場合は、タングステンフィラメントランプの持つ熱もかなりのものになるため、対象物の熱に対する考慮が必要となります。
 
 
 
 
照射距離(cm)
照射エリアφmm
露出 EV
照度 ルクス
   1,000W x 1灯
50
300
13.3
25,600
20
80
15.3
102,000
10
50
16.0
166,000
   1,000W x 2灯
50
300
14.5
59,000
20
150
16.3
205,000
10
100
17.0
333,000
   500W x 1灯
20
100
14.0
41,600
10
50
15.0
83,200
   500W x 2灯
20
150
15.0
83,200
10
100
16.0
166,000
岩崎電気製タングステンランプEYEランプ照度表
 
 
 
 
 
タングステンハロゲンランプ(Tungsten Halogen Lamp)  (2010.02.01追記)
タングステンハロゲンランプは、先に述べたタングステンランプの不活性封入ガスの中に、微量のハロゲン元素(ヨウ素、臭素)を入れた発熱発光ランプです。
白熱電球に変わりはありません。
ハロゲンガスを封入したことにより、発光効率とコンパクト性、寿命が著しく向上しました。
このランプは、1959年、米国GE社のEdward G. Zubler(1925 - 2004)とFrederick A. Mosby(1924 - )によってヨウ素を封入したハロゲン電球として開発されました。
エジソンが炭素電球を発明した1879年から80年を経て、新しい白熱電球が登場したのです。
この間に、蛍光灯や水銀ランプ、ナトリウムランプなども開発され、照明器具は大きな市場となっていました。
その中で、もっとも古典的な白熱電球で技術革新が行われたのです。ハロゲンランプは、2009年にあっては自動車のヘッドランプ、舞台照明、映画照明、展示ショーケース照明として使われていますが、1960年まではこれらの分野には旧来の白熱電球が使われていたことになります。
このランプは、右の写真を見てもわかるように、かなりコンパクトにできています。このコンパクトなバルブで、50Wから2000W出力が得られます。
ハロゲンランプは、小さくて出力が大きいのが特徴です。そのため単位面積の発熱が多くなり、バルブも高温になるので、バルブの材質には石英ガラスが使われています。
タングステンフィラメントも太く長くなっています。
これらのランプは、家庭用の白熱電球と形状が異なり、専用の灯具が必要です。
ガラス面を家庭用の白熱電球のようにフロスト処理(拡散処理)してないので強い光となります。家庭で使ったらまぶしくて使えません。
口金もまちまちです。傘のついたランプ(ハロゲンリフレクターランプ)は、スライドプロジェクタやOHP、商品展示のスポットライトとして使われています。
リフレクターランプの出力は、一般的に57W〜250Wです。
傘(リフレクター)は可視光のみ反射し、赤外線は透過される処理がなされているので熱を対象物に与えないようになっています。
リフレクターランプは、小型にできるタングステンハロゲンランプだからこそできたタイプです。
 
■ PARライト
リフレクターランプの別のタイプとして、タングステンランプの時代からPAR(Palabolic Aluminized Reflector、右写真)と呼ばれるランプがありました。
これは、バルブを楕円半球状のアルミ反射鏡に取り付けて、前面(投影面)を耐熱ガラスで覆ってシールド状にしたランプです。反射面がついているので遠い距離を照射するのに適していました。自動車のヘッドランプや航空機のヘッドランプもPARライトが使われていました。テレビ局のスタジオの天井にたくさん取り付けられているライトは、このPARライトが主流です。
天井照明は、照射距離が5m以上離れますのでパラボラ反射鏡を使ったライトは威力があるのだと思います。
このランプは、口径からPAR34、PAR46、PAR556、PAR64という呼び名が付けられ、PAR**に付けられた数字(**)は1/8インチ(3.175mm)を「1」単位とした倍数を示し、数字が大きいほど大きい口径のランプとなります。
PAR64は、64 x 1/8 = 8なので、口径8インチ( = 203.2mm)のランプとなります。
タングステンハロゲンランプが登場してからは、PARランプにはこのバルブが使われるようになりました。
ハロゲンランプは、一般に高輝度であるため、通常の白熱電球より照射距離を長く取ることができ、1m〜10mまでの使用に使われます。
家庭用電球としては、輝度が高すぎるため(眩しすぎるため)か、または価格的な面からか使われることはあまりありません。
 
■ ハロゲンサイクル
ハロゲン元素は、高温で加熱されて蒸発したタングステン原子と温度の低い電球の壁近くで結びついてハロゲン化タングステン(ヨウ化タングステン、もしくは臭化タングステン)が作られます。
これが、高温になったフィラメント部で遊離して、タングステン単体をフィラメントに還元させます。
結果的にフィラメントの蒸発が抑止される働きを持ちます。
ハロゲンを介在させたタングステン元素の還元作用をハロゲンサイクルと言います。
このハロゲンサイクル原理によって、フィラメントの寿命を著しく延ばすことができるようになり、蒸発の心配が減ったためフィラメントに電流をたくさん流して高温にできるようになりました。
その結果、従来のガス入り電球に比べて小型のバルブ(石英ガラス管)にすることができました。
また、フィラメント温度が同じであれば寿命を2倍にでき、同一寿命であれば温度を上げることができるので効率を約15%高くできるようになりました。
ハロゲンは、温度の低い管面で蒸発したタングステンが付着して黒化することを防ぎ、発光管を暗くさせないので管面の清掃作用も担っています。
ハロゲンランプは、さらにハロゲンサイクルにより寿命末期に至るまで光束の低下がほとんどありません。
 
■ タングステンハロゲンランプの開発
タングステンハロゲンランプの開発は、タングステンランプの黒化現象の克服から端を発しています。
白熱ランプのフィラメントは1910年以降タングステンを使うことが一般的になっていましたが、高温に耐えるタングステンであっても自らの発熱によって蒸発してしまい、寿命の低下や黒化による管面の透過率低下の問題が残っていました。
フィラメントの寿命については、フィラメントの構造を変えたり、管内を真空にしたり不活性ガスを入れたりする工夫によって、一定の向上は見られました。
バルブの中にハロゲンを入れる試みは、実は、1893年になされています。
エジソンが炭素フィラメント白熱電球を発明してから、それほど経ってはいません。
臭素(ブロム)をガラス球に入れたランプを開発したのは、米国のJohn Waring(1862 - 1901)でした。
彼も、白熱電球の開発に従事していた発明家・実業家でした。
エジソンの特許による法的攻撃に翻弄されながら、Waring Electric Companyという会社を興して、いろいろな白熱電球を作っていました。
そのうちの一つが、臭素ガスを入れたNovakランプでした。このランプは、残念ながら画期的な性能を発揮することができず、色合いも緑っぽかったので大成功を収めるにはいたりませんでした。
ハロゲンガスをバルブに封入するアイデアは、その後数十年の間忘れ去られてしまいました。
再びハロゲン入りランプの開発が始まったのは、1950年代に入ってからです。
開発が着手されたハロゲンランプは、照明装置としてではなくドライヤー(乾燥装置)の熱源としての要求でした。
ランプを乾燥器具に使いたいという需要を受け入れた米国GE社は、乾燥用ランプの設計に入り従来の球根形のランプに代え細長くて径の細いランプを作りました。ドライヤー用として最適にするためです。
ガラス管も熱に耐える溶融石英を使いました。
しかし、この細長いランプは、使っているとすぐ黒くなってしまう問題が起きました。
タングステンが蒸発して細長い管の内面に蒸着してしまうのです。
この問題の解決の糸口を見つけたのは、このランプの開発を担当していたElmer G. Fridrich(1920 - )です。
彼は、化学雑誌でハロゲン化合物の還元作用に関する記事を読んだことを思い出し、これを応用しました。
Elmerは、研究者ではなくGE研究所の機械工だったので、彼の発見は科学的根拠を見つけ出していませんでした。
したがって、Elmerが作ったハロゲンランプによる実験は、黒化現象を減じる結果が良好な時もあったりダメだったりとまちまちでした。
ハロゲンサイクルを安定したものにするために任命されたのが、化学者のEdward G. Zubler(1925 - 2004)と機械工学者のFrederick A. Mosby(1924 - )でした。
彼らは1953年にこのプロジェクトの担当となり、安定したハロゲンランプを完成させるのに6年の歳月を費やしました。
それほどハロゲンサイクル現象は再現が難しく、最適化のパラメータを得るのに時間がかかったのです。
最初の3年間は何をやっても石英管が真っ黒になり解決の糸口は見つかりませんでした。
試行錯誤の上にたどり着いた発見が、ガラス管に本来入れることはしない酸素を微量封入すると言うものでした。
この発見は彼らを大いに勇気づけたと言います。
ハロゲンサイクルを始めるには、タングステン酸化物がないとうまく起動しないということだったのです。
これによりハロゲンランプ実用化の道が開けました。
しかし、この時、同時に大きな問題が起こりました。
酸素を微量封入したために管内で予期せぬ放電が起きてしまったのです。
放電が起きたら最後ランプは消耗して二度と使い物にならなくなります。
彼らはこの問題をアルゴン不活性ガスを封入することにより解決しました。
酸素で起きる放電を抑圧するに足るだけのアルゴンを入れたのです。
これは、GE社のパテントとなりました。
当時のハロゲンランプの管内には、600 - 1500 Torrのアルゴンガスと、0.3 - 0.5Torrの酸素、それに5 Torrのヨウ素が封入されていました。
タングステンハロゲンランプが照明用として商業的にスタートしたのは、航空機の翼につけるウィングチップ用ランプだったそうです。
このランプは28VDC、150Wのものでした。
ヨウ素封入から始まったタングステンハロゲンランプも、時代とともに臭素に代わっていきました。
臭素が使われだしたのは、ヨウ素の分子量(126.9)が大きいためにアルゴンの分子量(39.9)との隔たりがあって、発熱によってそれぞれのガスの分散にバラツキが生じてしまうためでした。
特に細長いランプではこの傾向が強く、ランプを水平位置から少しでも傾けると顕著な不具合がでてしまいました。
このため分子量の低い臭素(分子量79.9)が使われるようになったということです。
また、アルゴンに代えてクリプトン(分子量83.3)とすると、臭素と分子量が近いためより安定した発光となります。
米国Lowell社のTotalight(トータライト)
細長いタングステンハロゲンランプ(500W)を使用。
反射板は折りたたみ式でアルミ製。
 
■ 応用範囲
タングステンハロゲンランプは、比較的安価で輝度も高いため、広い応用範囲に使用されています。
自動車のヘッドランプには、55Wのハロゲンランプが主流で使われています。(2000年以降はHIDランプが使われるようになり、2008年あたりからLEDランプが出てきました。)
タングステンハロゲンランプは、通常の白熱電球(タングステンランプ)に比べると1桁程度高価であり、光の質が硬いので一般家庭に普及するまでには至っていません。
タングステンハロゲンランプは、自動車のヘッドランプに大きな需要を生み、スタジオや映画の照明装置、展示品の照明装置に需要を広げました。
 
■ タングステンハロゲンランプの照度
以下に、1000W出力のタングステンハロゲンランプ(米国Lowell社TotaLight)を使って測定した照度を示します。
このランプでは、照射距離50cm、照射エリアφ100mmで、平均照度26,000luxを得ることができます。
タングステンランプ同様(それ以上に)発熱が大きいため、使用に際しては熱の考慮が必要です。
 
照射距離(cm)
照射エリアφmm
露出 EV
照度
ルクス
   1,000W x 1灯
50
400
13.3
25,600
20
2000
15.0
83,200
10
100
16.0
166,000
   1,000W x 2灯
50
400
15.5
118,000
20
200
16.3
205,000
10
100
17.3
410,000
米国Lowell社製TotaLightタングステンハロゲンランプ照度表
 
 
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放電灯(Electric Discharge Lamp)
 
放電ランプは、気体中の放電現象を利用した光源です。
白熱電球の次の世代の人工光源として登場しました。発光効率が白熱電球よりも4倍程度良いので、人工光源の半分以上を占めていると言われています。
白熱電球は、電気のジュール熱を利用した熱発光ですが、放電発光は電子が気体中を放電する際に気体に電子を与えて励起させ、これが元の状態の基底に戻るときに光エネルギーを出すというものです。放電灯は、実は、白熱電球ができる前からあり、電気の大気中放電によるアーク灯がありました。しかし、これはかなりまぶしかったため、柔らかい(炎のような)光を求めてガス灯が作られ、そして白熱電球が作られました。
蛍光灯もこの目的で開発された放電灯です。ただし、蛍光灯は、放電から直接可視光を得るものではありません。
蛍光灯は、蛍光発光を利用しています。放電管中で放電した電子が同じ管内に浮遊する水銀粒子に衝突して、その水銀原子から紫外線が放出されてその紫外線が蛍光灯管面に塗布された蛍光材に当たって励起し可視光を発光するものです。
蛍光灯が開発された当初は、水銀の色が強く演色性が悪くて固い色合いだったので、欧米諸国は家庭に使おうとしませんでした。蛍光灯の家庭での利用は日本が最も活発でした。 
 
 
 
蛍光灯(Fluorescent Lamp) (2002.05.25)(2009.12.21追記)
 
蛍光灯は、柔らかい光の照射を得意とする照明装置です。
柔らかい光とは、陰ができにくい光のことで空間を均一に照らし出すのに適しています。
蛍光灯は、消費電力に対する発光効率が25%と高くて熱損失が小さいため、
1960年代より白熱電球に代わって家庭や事務所の照明として一般的になってきました。
家庭用の蛍光灯は、4Wから40Wクラスが一般的で、大きなものでは220Wまであり、オフィスや工場で使われています。
 
我が家の居間は、3mx4mほどの床面積があり、
天井に環型32型(30W)タイプと30型(28W)タイプの2灯が一つの灯具に入ったものが2式、合計4灯=116Wの蛍光灯を吊り下げていて、
500ルクス程度の明るさを提供してくれています。
床面積12m2のエリアを500ルクスで照らしてくれるわけですから、
我が家の居間の蛍光灯は6,000ルーメンの前面投射光束を持っていることになります。
ちなみにこの蛍光灯をカタログで見ると、環形30型が2,210ルーメン、32型が2,640ルーメンの光を出していると書かれています。
このことから我が家の蛍光灯は、
 
   (2210 ルーメン + 2640 ルーメン)x 2 組 = 9,700 ルーメン
 
の光を放出していることになり、この光のうち
 
    6000 ルーメン/9700 ルーメン = 0.619
 
62%が居間の床面に照射されている計算になります。
蛍光灯が作る物体の陰は柔らかです。陰がほとんど見えません。
これは、蛍光灯が点光源ではなく、面光源であるからです。
ロウソクなどは輝度の高い一点からの明かりが空間に放射されるのに対し、
蛍光灯は長い蛍光管が全体に光るため物体にいろんな角度から光があたり陰を弱くしているのです。
従って、必然的に面光源の蛍光灯は光を遠くまで届かせることが苦手で、照射距離が短くて照射範囲の広い応用を得意としています。
蛍光灯は、居間でくつろぐ時やオフィスで仕事をするにはとても良い照明装置で、日常生活には無くてはならない理想の照明光源と言えます。
 
■ 構造
蛍光灯は、放電灯の一種であり、それも水銀灯の一種です。
ただし、水銀の蒸気圧が低い(10-2mmHg)真空管の中の放電(低圧水銀放電)です。
一般の水銀灯は、蛍光灯管を真空排気して、その中に数mgの水銀粒と2-3mmHg程度のアルゴンガスを封入しています。
アルゴンガスは、蛍光灯の始動時に放電をしやすくするために入れられています。
水銀の放電は、1/100,000気圧程度の蒸気圧で放電させると253.7nmの紫外輝線スペクトルを発します。
蛍光灯は、この領域を利用しています。
つまり蛍光灯は水銀の紫外線発光を利用しているのです。
水銀の蒸気圧をさらに高めて1気圧から数気圧にすると可視域に青、緑、黄の強い輝線スペクトルがあらわれるようになります。
工場や街路灯に使われる水銀灯はこの高圧水銀灯を利用しています。
水銀蒸気をさらに高めて10気圧以上にしますと連続スペクトルが強くなります。白色に近くなります。
これは、超高圧水銀灯と呼ばれています。
 
蛍光灯の発光メカニズムを右上の図に示します。
蛍光管に取り付けられたフィラメントから放射される熱電子が放電管内に散在する水銀粒子に衝突し、これにより発生する紫外線(とくに強い253.7nmの共鳴放射)が管壁面に塗布された蛍光体を励起させ可視光に変換されます。
発光が蛍光体によるもののため(面発光であるため)、高輝度発光は期待できません。
つまり、発光が蛍光面からの散乱光であるため、遠く離れた距離(10m以上)から物体を投光する(照らし出す)事も不得意です。
最近(1980年以降)では、蛍光管をクルクルと丸め込む技術が発達したため、反射鏡を取り付けて投光性能を増した蛍光ランプや、白熱電球の形をしたボール形蛍光灯が出てきています(右写真参照)。
これらは、白熱電球よりも電気を消費をしないということと寿命が長いという理由により、初期投資が許される条件下で(白熱電球よりは高価なので)白熱電球に置き換えられて使用されつつあります。
私は、2006年の冬、洗面所とお風呂場と廊下にある60Wのシリカ電球(タングステン電球)を右の写真にあるネオボールに換えました。しかし、これは60Wのシリカ電球より若干暗かったです。冬場には水銀が暖まらないので明るくなるのに1分以上かかります。洗面台ではすぐにでも明かりが欲しいのに1分も足止めされるのはちょっとイライラします。それに色温度のせいなのか発光電力が少し小さいめなのか、時間が経っても薄暗い感じが否めず、結局、3年目の冬に、もと使っていた60Wシリカ電球に戻してしまいました。蛍光電球は、一般の直管形蛍光灯と比べ水銀が暖まりにくいようです。洗面所とか廊下などほんのちょっとしか使わず、点けたらすぐに明かりが欲しいところではあまり意味がないことを知りました。
点灯してすぐ明るくしたい場合は、LED電球が良さそうですが、これも白熱電球より27倍も高い(2009年時点)ことを考えると触手が動きません。
 
 
■ 蛍光灯の歴史  (2009.12.21追記)
蛍光灯は、1938年アメリカのGE(General Electric)社のインマン(George.E.Inman : 1895 - 1972)と彼らのグループによって開発されました。蛍光灯は、真空(低圧)放電灯であり真空領域の放電発光の研究の流れから来ています。
放電発光は、1856年、ドイツの物理学者ハインリッヒ・ガイスラー(Johann Heinrich Wilhelm Geissler、1814.05.26 - 1879.01.24)が作ったガイスラー管(真空管)による実験が最初と言われています。
これらの放電発光は、非常に微弱な発光であり、紫外放電を伴っていて一般家庭用として使えるものではありませんでした。
その後、数々の物理学者が明るい放電発光を得るために、蛍光発光開発に取り組みました。
1926年、ドイツの発明家エドムント・ゲルマー(Edmund Germer、1901 - 1987)らが現在の蛍光灯の原型を作り上げました。それは、低圧水銀蒸気で満たされた管の内壁を蛍光粉末で覆って、管内中の放電による電子が水銀粒子に衝突し、それによって放射された紫外線が蛍光粉末に当たって可視光に変換するというものでした。
ゲルマーが唱えた特許を米国GE社が購入し、インマンらのグループが実用化しました。
このランプは、翌1939年のニューヨーク万国博覧会に出展され、会場内で多数点灯されたと言います。
 
蛍光灯開発の歴史は、少々複雑です。「蛍光灯はGE社が開発した」というのは、実用的な蛍光灯を作ったという点で言えることだと思います。
実際のところ、蛍光灯のアイデアや基礎研究では、GE社は遅れをとっており、1930年代前半までは蛍光灯の開発さえも消極的であったと言われています。
GE社は、当時ドル箱であった白熱電球のマーケットシェアを確乎たるものにすべく、タングステン電球やハロゲン電球を次々と開発していました。
したがって、ドル箱であった白熱電球の販売を脅かしかねない蛍光灯は、招かれざる客だったのです。
たとえ、蛍光灯をGE社で作って販売しても、自社の主力商品の白熱電球の販売を食ってしまうことが十分に考えられました(カニバリゼーション = cannibalization、共食い現象)。
それに加え、GE社は発電所も建設し電力設備も供給していたので、消費電力が少ない蛍光灯は電力事業をも低迷させる疫病神のような存在でした。
蛍光灯の開発は、当時、ヨーロッパがぬきんでていました。
 
【蛍光管の歴史】
1852年: アイルランド物理学者ストークス(George Gabriel Stokes: 1819 - 1903) - 蛍光物質の特性を研究。
      ストークスの法則 - 物質に当てる光の波長は、物質から蛍光として発生する光よりも短くなければならない。
1859年: フランス人アレキサンドル・ベクレル(Alexandre Edmont Becquerel: 1820 - 1891) - 放電現象と蛍光現象の解明。
1893年: 米国ウェスチングハウス社ニコラ・テスラ(Nikola Tesla: 1856 - 1943)
      - シカゴ万国博覧会で高周波電力による発光電球を出展。
1894年: 米国ダニエル・ムーア(Daniel McFarlan Moore: 1869 - 1936)によるムーアランプの発明
      - 窒素と二酸化炭素ガスによるピンク色の放電灯。
1894年: スコットランド化学者ウィリアム・ラムジー(William Ramsay: 1852 - 1916) - アルゴンガスの発見。
      不活性ガスとして放電管へ封入されるようになる。
1895年: ドイツ人ウィルヘルム・レントゲン(Wilhelm Conrad Rontgen: 1845 - 1923) - X線発見。
      蛍光物質を発光させる作用をもつ。X線が光源としての利用可能かどうかの取り組みがエジソンによって行われた。
1901年: 米国ピーター・ヒューイット(Peter Cooper Hewitt: 1861 - 1921) - 低圧水銀灯の特許。
1910年: フランス化学者ジョルジュ・クロード(Georges Claude: 1870 - 1960) - 赤い光のネオン管発明。
1932年: フランス人アンドレ・クロード(Andre Claude:) - 蛍光灯の市販化。
1926年: 独レクトロン(Rectron)社エドムント・ゲルマー(Edmund Germer: 1901 - 1987) - 蛍光灯の特許申請。
      蛍光面に、タングステン酸カルシウム + ケイ酸亜鉛蛍光体を使用。
1934年: 英国GEC(General Electric Company of England) - 35ルーメン/Wの高効率蛍光灯の開発。
 
蛍光灯開発に消極的であった米国GE社が、発明の覇者としてなぜ歴史に残ったのでしょうか。
1934年に英国のGEC社が発表した35ルーメン/Wの蛍光灯の開発は、米国GE社を震撼させたと言います。
当時、白熱電球の発光効率が3〜5ルーメン/Wであったのに対し、蛍光灯はそれよりも10倍の効率で発光したのです。
これを知ったGE社は、蛍光灯の底力を知って、自分たちもそれを開発しなければ時代に乗り遅れてしまうと観念したにちがいありません。
彼らは、蛍光灯開発のプロジェクトを遅まきながらスタートさせます。
蛍光灯は、白熱電球と異なり電源を入れればそのまま明かりになるわけではありません。
蛍光灯は放電灯ですから、点灯するための始動回路(高圧回路)が必要です。
それに、点灯した後も安定して光を放出させる安定器(バラスト)が必要です。
熱電子を放出する電極にも工夫が必要でした。
蛍光剤もノウハウの蓄積が必要な技術でした。
GE社は、電灯事業の成功により巨大な企業になっていたので、資本と技術力は十分にありました。
インマン(George.E.Inman)の下でプロジェクトチームが立ち上がり、蛍光灯システムが完成し、特許も1941年に取得しました。
しかし、彼らは、さらに欧州で開発された特許を買収して自分たちの権利を守りました。
彼らは、1926年に開発したドイツのゲルマーの蛍光灯の特許を18万ドルで買収し、フランスのアンドレ・クロードの特許も買収しました。
GE社の蛍光灯の発明の裏には、こうした会社としての経営的な動きがあったのです。
1940年代以降は、個人の発明は成り立たない時代となって行きました。
開発と販売(量産化)、特許の使用に関してあまりにも多額の資金が必要となったのです。
 
■ 蛍光灯の日本での導入 
蛍光灯が開発された当時、日本は戦時中の緊迫した時代でしたが、米国とはまだ開戦していなかったので少量の蛍光灯が米国から輸入されたそうです。
日本で最初に蛍光灯が利用されたのは、1940年(昭和15年)のことで、法隆寺金堂の壁画模写の照明として126灯が配備されました。
白熱電球では熱による壁画のダメージが大きいことを懸念した関係者が、当時開発された熱の出ない蛍光灯に注目したということです。
しかし、この蛍光灯が日本で本格的に普及するには戦後まで待たねばなりませんでした。輸入された蛍光灯の多くは軍需目的、特に軍艦や潜水艦の照明として使われました。鉄の塊でできた軍艦にとって発熱物体は耐えられない暑さになるので、できるだけ熱の出ない蛍光灯が優先的に回されたということです。
蛍光灯が実用化された当時は、赤色蛍光剤がなかったので青っぽい色だったそうです。この蛍光灯で見る人の顔や赤色の衣類、肉などはとても不自然でした。一昔前の公園や街路灯に使われていた水銀灯のような色だったろうと想像します。不自然な蛍光発色は、赤色の蛍光剤が作られるようになって改善されてきましたが、家庭の暖かみを大切にする欧米では家庭への蛍光灯普及は日本に比べて桁違いにスローであったそうです。
蛍光灯が一般に普及するようになるのは、第二次世界大戦後(1950年代以降)です。日本では、欧米諸国に比べて驚くべきスピードで蛍光灯が普及して言ったと言われています。その大きな理由は、日本人の明るさ好きによるところが大きかったと言われています。欧米人は明るさに質を求めますが、日本人は質よりも量(明るさ)を求め、その結果、日本の家庭に蛍光灯が急速に浸透して行きました。
商用製品としては、蛍光灯40Wタイプの棒状の昼光色蛍光ランプが1949年に実用化されます。
この時の明るさは、30ルーメン/Wでした。現在の40Wタイプの発光効率は、90ルーメン/Wですからかなり効率がよくなっています。
ちなみに白熱電球(タングステンランプ)は15ルーメン/Wでしたから、蛍光灯は6倍も発光効率が良かったことになります。
発光効率の改善は、蛍光体の改善でもあります。
蛍光体は、1942年に英国GEC社のマッキーグ(A.H.Mackeag)らによってハロりん酸カルシウムが発明され、日本においても1951年(昭和26年)に実用化されて効率が大幅に向上しました。
蛍光灯は、さらに1973年フィリップス社によって3波長蛍光灯が開発され、より明るくなって効率もアップしました。
家庭用の居間の照明装置でお馴染みのリング状の蛍光灯(環型蛍光ランプ)は、日本オリジナルのランプだそうで、1953年に30Wタイプとして開発されました。
 
 
● 蛍光剤(Phosphors)
蛍光灯の最も大きな特徴は、効率のよさにあります。少ない電気で明るい光が得られるのです。それは白熱電球の4倍と言われています。
蛍光灯の発光原理は、水銀蒸気によって発生する紫外線が管内面に塗布された蛍光剤によって可視光を発するものです。蛍光剤は、蛍光灯の性能を左右する大切なものでした。ネオン管のような蛍光剤のない放電管は、封印されたガスの放電発光に頼らざるを得ず、色合いも出力も実用的ではありませんでした。
蛍光灯に使われていた蛍光剤は、以下のようなものです。
 
・ タングステン酸カルシウム(Calcium tungstate phosphor)
・ タングステン酸マグネシウム(Magnesium tungstate phosphor)
・ 硫化カドミウム(Cadmium sulfide)
・ 硫化亜鉛(Zinc sulfide、ZnS)
・ ケイ酸亜鉛(Zinc silicate phosphor)
・ ケイ酸亜鉛ベリリウム(Zinc beryllium silicate phosphor)
・ ハロリン酸カルシウム(Calcium halo-phosphlate phosphor)
 
蛍光剤の開発は、英国の英国のGEC社(General Electric Company of England)が抜きん出ていました。英国GEC社は米国GE社と資本関係はなく全く別会社です。ライバル会社といってよいでしょう。
1942年、GEC社のアルフレッド・マッキーグ(Alfred McKeag)が開発したハロりん酸カルシウムは、蛍光灯の普及とともに蛍光剤の主流となっていくほどの優秀なものでした。ハロリン酸カルシウム結晶だけでは緑の発色が強いため、この中にアンチモンとマンガンを微量に含ませました。アンチモンの青色発光領域とマンガンの赤色がかった橙色発光が全色発光の手助けをして、白色光として理想のものにしました。また、アンチモンとマンガンの配合割合を調節すると色合いを微妙に変化させることができ、色温度で言うと2700K〜6500Kまでを1つの蛍光体で実現できました。従来の蛍光剤は、いくつかの蛍光剤を幾層にも塗って全色を出していましたが、製造工程が複雑になったり劣化によって発色のバランスが崩れていました。一つの蛍光剤で全色を出せることは夢のようなことでした。そしてさらに、ハロりん酸カルシウムは、従来の蛍光剤より2倍の約60ルーメン/Wの発光効率を持っていました。
ハロりん酸カルシウムは、蛍光灯普及に大きな貢献をしましたが、それでも演色性が悪いという欠点はぬぐえませんでした。1970年代までの蛍光灯は、写真を撮ると緑っぽくなってしまいます。それだけ、緑成分が強かったのです。
この蛍光灯の欠点を克服したのは、希土類元素を使った蛍光剤です。この蛍光剤は1970年代に登場しました。これは三波長型蛍光ランプと呼ばれるものです。この蛍光剤を開発したのはオランダのPhilips(フィリップス)社で、1973年のことです。フィリップス社は、赤、緑、青それぞれにピーク感度を持つ希土類の蛍光剤を地道に調べ上げ、新しい蛍光剤を作り上げました。この蛍光剤を使った蛍光灯は従来にない発色効率(90ルーメン/W)を持ち、演色性(Ra)も80〜90と向上しました。
2009年、日本で使われている家庭用蛍光灯には、三波長蛍光灯がほとんど使われています。
三波長蛍光灯に使われている蛍光剤の赤成分は、イットリウムとユーロビウムの酸化物が使われ、緑成分がセリウム、テルビウム、マグネシウム、アルミニウム、ユーロビウムの酸化物、そして青成分がバリウム、マグネシウム、アルミニウム、ユーロビウムの酸化物で作られています。これは一例で、実際はいろいろな希土類の材料が研究開発されています。
いずれにしても、発光材料が希土類元素を用いているのは興味あるところです。
 
 
 
【ブラックライト】(Black Light、UV Light, Wood's Lamp)  (2009.12.19追記)
 特色のある蛍光灯として、ブラックライトがあります。
ブラックライトは、360nmにピーク波長(発光波長310nm〜410nm)を持つ紫外線蛍光灯です。
ガラス管には、ウッド(米国物理学者 Robert Williams Wood:1868 - 1955)が1903年に発明した紫外線透過ガラス(Wood's glass)を使用しています。
ウッドガラスは、深青紫のガラスで、バリウムとナトリウムを添加した石英ガラスに9%の酸化ニッケルを含んでいます。このガラスは、310nm〜400nmnの紫外線を透過し、400nm以上の可視光領域をほとんど吸収します。
ブラックライトは、光化学反応や退色試験、夜虫の夜間時の補虫器、ジアゾ式複写機の光源として使われています。
パスポート検査、紙幣検査、製品の検査では、対象物に紫外線蛍光インクが使われているのでブラックライトを照射して偽造されていないかをチェックしています。
また、このランプを使って流れの可視化実験の蛍光タフト(気流子)を浮かび上がらせたり、蛍光トレーサの光源として使うことができます。
 
■ 蛍光灯のフリッカ
蛍光灯が、点滅発光をしていることを知らない人が多いのに驚かされます。
電灯は、すべて太陽光のように一定の光を放っていると思われています。しかし、電灯の中のほとんどのものはチラチラと点滅を繰り返す発光をしています。これは、家庭に送られてくる商用電源が交流であるために起きているものです。商用電源がなぜ交流であるのかは、発電所から電力を送るときに交流にするとまことに都合が良いからでした。
蛍光灯は、放電灯ですから極めて忠実に電源周波数に応答した発光をします。従って、蛍光灯は交流周波数成分(50Hz x 2 = 100Hzもしくは60Hz x 2 = 120Hz)を伴った発光をしていて、この発光のもつチラツキをフリッカ(flicker、チラツキ)と呼んでいます。
蛍光灯のフリッカは、一般の使用では人間の目に感じることはありませんが、ビデオ撮影をしたり高速度カメラで撮影すると顕著に現れます。
同じ交流電源を使っている白熱電球にフリッカがでないのは、白熱電球はジュール熱によってフィラメントが高温で熱せられていて、発熱したフィラメント自体も太くて熱容量が大きいので、フィラメントが高温に保たれ続けて、電源周波数には応答せずにすぐには冷えず発光変化がフラットになるからです。
それでも白熱電球の発光を高速度カメラで撮影して細かく観察すると、光量の変化がわずかながら認められます。
蛍光灯は放電灯ですから、発光が交流電源に素早く反応します。
このためフリッカ(光源の周期的な明るさの変化)が出やすくなるのです。
フリッカの出やすいランプとしては、蛍光灯の他に水銀灯、メタルハライドランプ、ネオン管などがあります。
こうした放電灯を使って、短時間露光を行うシャッタカメラや高速度カメラで撮影する場合には、フリッカによってフレーム(枚数)毎に明るさが異なる照度ムラとして画像に現れるため注意が必要です。
インバータ蛍光灯は、周波数を20-50KHz程度に上げてフリッカの出る確率を低くしたもので、家庭用で普及し始めています。
また、映画用に使われる蛍光灯照明装置(Kino Flo)には250,000Hzのインバータを内蔵したバラストが使われ、実質的なフリッカを除去しています。
こうしたインバータ蛍光ランプは、広い範囲を低照度で均一に照射する(100lux〜3,000lux)応用や、画像取り込み用バックライト光源として用いられています。
一般的に蛍光灯は、面発光で柔らかい光を出すので、高輝度、広範囲、遠距離照射での応用には向いていません。
 
 
【蛍光灯は何故交流点灯なのか ??】
蛍光灯はなぜ交流点灯なのでしょう。
一般的な使用ではそれほど問題にならないのでしょうけど、我々のように1秒間に1,000コマ/秒という高速度カメラを回していると、蛍光灯の放電発光(100Hz/120Hz)はとても嫌なものです。高速度カメラでは、蛍光灯のフリッカがたちどころに現れてしまいます。
「直流電源で蛍光灯は何故点灯しないのか?」、という素朴な疑問を昔から抱いていました。
結論を言いますと、
 
       蛍光灯は、直流点灯では問題が多く交流点灯がもっとも望ましい。
 
ということです。
たとえ車のバッテリ電源を使って蛍光灯を点灯させたとしても、バッテリとランプの間には安定器(バラスト)が必要です。白熱電球のように簡単に接続できません。
安定器は、高圧点灯回路と安定点灯のための交流発振回路を備えたものです。右上図では(2)のチョークコイルが安定器に相当します。
蛍光灯は、蛍光管(放電管)の両極に電子を放出するためのフィラメントが取り付けられています(右上図参照)。
フィラメントは、電気を通電させて熱電子を発生させる働きがありますが、放電管の長い道程を飛び出させるには高電圧(始動電圧)が必要です。
点灯回路には、高電圧を発生する機能があります。この回路によって放電管に電子が飛び出るようになると、放電管の電気抵抗が急激に下がるため電子はどんどん放出されるようになりそれにつれてランプ電流が上昇し続けます。
これを 電気的負特性 といいますが、要するに電気的な『系』が収れんせず発散してしまうのです。
こうしたシステムでは電流がどんどん流れ続けるため、アッと言う間に電流が増大しフィラメントの寿命が尽きてしまうという現象が起きます。
白熱電球では、自分の発熱で抵抗が高くなるため、安定した発光が持続するフィラメント温度と抵抗の収束値があります。
これを電気的正特性といいます、白熱電球も、点灯時はフィラメントが冷えているため抵抗が低く、定格の3倍以上の電流が数百ミリ秒の間流れています。しかし、蛍光灯には、自分でそれが決められないために外部の安定回路に依存せざるを得ないのです。
その役割を果たすのが、安定器(バラスト)と呼ばれるものです。
従来は、トランス(チョークコイル、右上図(2))一個でこの働きをしていました。
このチョークコイルはまた、始動時に高圧を発生させてランプの点灯を促すという、一石二鳥の役割をこなす優れものだったのです。
このチョークコイルは、どの蛍光灯にもついている四角いちょっと重たい金属の固まりです。
このトランスが、商用電源の交流に対して流れすぎる電流を制御して蛍光灯ランプの安定した点灯を持続させる働きをします。
このトランスの中に、電気的絶縁を良くするための化学油、PCB = ポリ塩化ビフェニール、が使われていてその毒性故に大きな話題となりました。
トランスに組み込まれているコイルは、周波数によって固有の抵抗を持つため、ランプに対して一定の電流を供給する働きを持ちます。
これは交流だからできることであり、直流に対してはトランスは全く働かず抵抗値もほとんど"0"となってしまうので、蛍光灯の点灯に対しては交流を使うのが都合が良いのです。
実際の蛍光灯点灯回路は、もう少し複雑になっていてチョークトランスと直列にコンデンサが入れられて電流と電圧の位相を整えて効率よい発光をさせたり、点灯スイッチを自動的に行うグロースタータ管というものが採用されています。
 
直流電源で蛍光灯を点灯する場合には、ランプ点灯と同時に放電電流を抑えるため直列に抵抗を入れなければなりません。
抵抗を入れるとどうなるかというと、そこで電気を消費してしまうので効率が悪くなります。
ですから、直流電源を蛍光灯に使う場合には高圧点灯回路は別として、始動し始めたら電流を一定にする電気損失の少ない電流制御回路を作らなければなりません。
この定電流回路を作るのは、結構複雑でコスト高となるので、自動車などのバッテリ(直流電源)を使う場合には一旦交流電源に直して一般の蛍光灯灯具につなげて使用するという手法が取られています。そのほうがコスト的に安く上がるためです。
 
 
●蛍光灯直流点灯 (2000.12.10)
こうした蛍光灯について思案をしている時に、2000年12月6日に横浜パシフィコで行われた画像機器展に参加して、直流電源による蛍光灯の製品に巡り会えるチャンスに恵まれました。
この蛍光灯システムを開発、製造しているメーカーは、(株)栗原工業(東京都調布市上石原)という会社で、蛍光灯のフィラメントが切れないように定電流回路を加えた電源装置(特許取得)を開発したそうです。
同社の資料によりますと、 
 
・蛍光灯直流点灯装置は、市販の蛍光灯を直流で点灯可能にした製品。
・この装置は、トランジスタによる直列型の定電流回路を応用し、出力電流を可変する調光機構を装備。
・用途として各種検査システム、特に高速高精度な画像処理用の照明光源として最適。
 
とあり、
 
・完全な直流点灯のため光量のリップル(変動)が少なく安定した光源が得られる。
・高周波点灯では周波数と蛍光灯の共振により光量が不安定で、チラツキや暗くなることがあったが
  この装置では一定に明るさを保つことができるので高速測定用の光源に最適である。
・ノイズレスのため、コンピュータなどの周辺での設置も可能
 
という特徴があるそうです。
この装置は、110W蛍光灯までの電源容量を持っているそうです。
直流点灯の場合、点灯するまでに約5秒、光が安定するまで(光の調光が安定してできるようになるまで)に15分ほどかかるそうです。
また、フィラメントが片方から電子が飛び出すようになるので陽極側に黒化現象が生じるため、定期的に極性変換スイッチで極性を切り換える必要があるとのことです。
 
2000.12.24 追記:このサイトを訪問されたM社のエンジニアから以下のメッセージをいただきました。
  「蛍光灯の直流点灯の件、昔リニアCCDを開発していた頃、当時のfax用標準のG54
  という蛍光灯を直流点灯してCCDの特性評価をしていました。スパッタ現象で
  片方が黒化しやすいので、いつも極性を逆転して長持ちさせようとしていたこと
  が懐かしく思い出されました。」
 
 
 
 
■ 「水銀」と発光
放電灯には、蛍光灯をはじめ水銀灯やメタルハライドランプに水銀を用いたものが多く見受けられます。
タングステンフィラメントの明かり(白熱電球)にとって代わり、一世を風靡している感じすら受ける放電灯に使われている『水銀』の正体とはいったい何でしょうか? 
なぜ水銀は放電発光体の材料として使われるのでしょうか?
水銀は金属です。
金属には珍しく常温で液体です。
これは全金属中唯一のものです。
摂氏-38.86度で溶け、356.72度で気体になります。
そして水銀は結構重い金属です。
鉄より重く鉛よりちょっと軽い(20度の液体で比重が13.5462、-38.86度の固体で14.193)ものです。
水銀は、古くから知られていた金属で、いろいろな金属を取り出す際の(冶金の)鼻薬として使われました。
水銀は重い金属なので化学結合力が弱く、合金として(アマルガムの形で)他の金属と親和し(仲良くなり)目的が終わればさっと身を引く貴重な性格を持っています。
水銀を電気的に見て見ると、水銀は重い金属のため電子をいっぱい持っていて(原子一つ当たり電子52個)、自由電子も比較的活発に移動できます。
電気抵抗は鉛の20x10-8Ω・mよりちょっと高くて95.8x10-8Ω・mです。この値はニクロム線とほぼ同じ値です。
ちなみに銀は1.62x10-8Ω・m、鉄は9.8x10-8Ω・mですから水銀はすばらしく電気抵抗が良いわけではありません。
水銀は、常温で液体であり、そして液体といえども蒸発して水銀蒸気が存在しているため、蛍光灯に使う場合にこの水銀蒸気を積極的に利用してます。
蒸発している水銀の度合いは摂氏20度で1.2x10-3mmHg( = 0.16 Pa)、摂氏50度で12.7x10-3mmHg( = 1.7 Pa)程度です。
水銀は、(何度も述べますが)重い金属でそして電子を比較的簡単に受け渡しできるので、放電の際に電子が気体として浮遊している水銀原子に衝突します。
その時、水銀原子中の電子はエネルギーをもらい(励起され)、これが安定状態に戻るとき特有のエネルギー(紫外線、全放射の90%がλ=253.7nm、残りがλ=185nm)を出します。
水銀のこうした、蒸気になりやすくて、なおかつ電子をもらいやすくて離しやすい、そして紫外線を発光しやすい性格が光を作る放電灯の基礎原理となりました。
現在の放電灯のほとんどにこの水銀が使われています。
水銀は、重金属でしかも常温で唯一の液体であるため電気分野ではいろいろ特徴ある役割を果たしてきました。
 
●水銀の電気分野での使われ方
 
★放電灯:
水銀は常温で液体でありしかもある程度蒸気として気体にもなり得るので、放電による光発光をする、と早くから注目されていました。
水銀蒸気による放電ランプの原型は、1882年、英国の物理化学者Davy(ディビィ)が水銀の放電発光を発見したことに始まります。19年後の1901年にはクーパーヒューイット(P. Cooper Hewitt)によって水銀ランプが試作されます。1906年にはキュー(Kuch ←ドイツ語ではK・u ウムラウト・c・h)によって石英管を使った水銀ランプが作られました。当初は、医療用や研究用に使われたそうですが、改良が進んで1930年代に照明用として使用されるようになります。
水銀ランプは演色性が悪いという性質を持っていますが、1950年には蛍光物質の開発が進み、その結果演色性の改善が進んで高圧水銀ランプの急速の普及を見ることになります。
 
★整流器:
水銀の金属としての性質、液体という流動性と蒸気金属になりやすいという利点を活かして作られた整流器です。
水銀整流器は大きなガラス状の装置で、形がタコに似ていてタコ型整流器と呼ばれていました。
これもシリコン半導体技術の発展により、高電圧、大電流のシリコン整流器が開発されると役割をシリコン整流器に譲っていくようになりました。
このガラス製の大型整流器が電気機関車に積み込まれて機関車のモータを回すときの交流→直流変換器に使われていた時代がありました
 
★リレースイッチ:
水銀の流動性と導電性、磁力に引っ張られるという特性を用いたスイッチです。
 
★電池:
水銀は電子を持ちやすく化学反応が穏やかで、他の金属と関係を保ちながらも金属単体として維持する力が強いという特徴をもっています。こうした電気をもらったり渡しやすいという性質を利用して水銀は電池の素材(鼻薬)としてよく使われます。
一般に耳にする電池としては、水銀電池(ボタン電池)があります。通常のマンガン電池にも添加物として水銀が入っていて環境問題で物議をかもしたことで記憶に新し所です。
 
● アマルガム(amalgam)
水銀の特徴の一つにアマルガムがあげられます。
アマルガムとは、水銀と他の金属の合金のことで柔らかいペースト状のものを指します。
水銀は、鉄、ニッケル、コバルト、マンガン、マグネシウム以外の金属ほとんどと解け合い合金を作ります。
その合金はほとんどの場合柔らかいペースト状のアマルガムとなります。
ですから、アマルガムは加工性がよくまた水銀の沸点の低さと化学結合性の弱さを利用して、アマルガムから再び必要な金属を取り出すというような冶金手法上重要な物質となっていました。
例えを上げると金。金と水銀をアマルガムにして溶液状とし刷毛で構造物に塗り、その後加熱して水銀のみを気化させて金メッキを施すやり方があります。
こうしたやり方は古来からよく知られていて、奈良の大仏もこの手法により金メッキが施されました。
『東大寺要領』という文献によれば、東大寺大仏には練金(純度の高い金)1,0436両(約146kg)と水銀58,620両(約820kg)が使われたとあります。
この二つの金属によってアマルガムを作りこれを仏像に塗りつけその後加熱して水銀を揮発させたわけです。
当時は最新鋭の工法だったのでしょう。
 
● 水銀の有害性
先にも述べましたように冶金には極めて有毒な金属を使うことが多く、これをよく知らなかった(知っていたかもしれないが対策がわからず無視して利用していた)昔の人たちが人体に受けた艱難は想像するにあまりあります。
奈良時代に大仏建立に携わった人たちも、中毒症状を起こした人が数多くいたことは想像に難くありません。
水銀アマルガムを用いた工法は、金メッキの一手法として当時画期的だったかも知れませんが、この手法は空恐ろしい内容を含んでいます。
アマルガムを加熱して水銀を気化させた後の水銀820kgはどこへ行ってしまうのでしょう?
これに関わった人々や周囲の環境はいかばかりかと想像されます。
一般に重金属(鉛、亜鉛、カドミウム、水銀、金)は無機の状態では、腸における吸収は全体量の5%程度にとどまりますが有機化合物と化合しているとその吸収率は90%以上になるそうです。
熊本県水俣で起こった水俣病は、有機水銀の中毒症状による忌まわしい事故でした。
これらは、河川などで水底から浮かんでくるメタンガスなどと工場廃液中の水銀が反応して有機水銀ができあがり、それが魚などの体内に蓄積し、さらにそれを食べることで人間の体内に吸収されたのです。
人間の体内に入ると、激しい中毒の他、腐食作用が大きいので口から食道にかけて激痛が走ったり、腎臓で濃縮されて尿細管を痛めて尿毒症を引き起こします。
また、水銀は、無機の状態でも蒸気として肺から入ると80%くらいが吸収されるそうです。
塩化水銀(Hg2Cl2)や硫化水銀(HgS)など1価の水銀化合物は水に溶けないので体内に吸収されず毒性を示しません(歯の治療に使われるアマルガムはこれを使っています)。
しかし、単体の水銀は常温で液体であり、わずかながらも蒸発をしていてこれが人体に吸飲されて0.1-0.5g程度吸入されると中毒を起こすと言われています。
 身のまわりには水銀灯、蛍光灯、マンガン電池(1g)、水銀電池(0.6g)、お椀などの朱塗りに含まれる硫化水銀(HgS)があります。
これが捨てられて焼却場で燃やされると外部に漏れて蒸発するのでかなり危険です。
 水銀は肺からだけでなく皮膚からも吸収されるそうです。
ちなみに、たばこ1本にも約1マイクログラムが含まれているそうです。
成人の1週間の摂取許容量は210マイクログラム(メチル水銀)ですから210本、約10箱です。
1日1箱以上のタバコを吸う人はかなりの水銀をため込むことになります。
 
● 蛍光灯に使用される水銀の量 (2006.01.24)
 朝日新聞2006年1月24日の朝刊21面に、「家庭の蛍光管回収像増やそう」という題で蛍光灯に使われている水銀の量とリサイクルについての記事がありました。
蛍光灯に使われている水銀には無機水銀が使われ、標準的な蛍光灯1灯あたり8mgの水銀が入っているそうです。
これでも30年ほど前までは50mgだったそうですから、1/6にまで減ったことになります。
日本で1年間に使用される水銀量は、2003年は15トンでそのうち蛍光灯に使われた量は6.6トンだったそうです。
水銀使用の大口は、我々の身近にある蛍光灯だったのです。
1年間に6.6トンの水銀が蛍光灯に使われ、それに近い蛍光灯が廃棄されているとなると、環境問題にも少なからぬ影響を与えます。
2000年の統計では、蛍光灯は一年間に約3億6000万本が廃棄され、そのうちのリサイクルは約1割に留まるそうです。
3億6000万本に入っている水銀は、8mgを掛けると2,880kgになります。
この水銀の9割が焼却や埋め立てに回されます。
近年(2005年以降)、エコという意識が高まり、白熱電球に変わる(水銀)蛍光電球が普及をしています。この電球にはもちろん水銀が使われています。
蛍光灯に使われる水銀は無機水銀という形になっていて、有機水銀ではないので人体に与える影響は少ないものの、焼却や埋め立てた後、有機化することは十分に考えられます。
こうした捨てられる水銀をうまく再利用できるシステムが今後もっと根付いてくると良いなと思います。
 
 
■ 蛍光灯の演色性
蛍光灯のもう一つの欠点は、光の色合いが素直でない点です。太陽光や白熱電球で見るのとはちょっと違う色合いとなります。
発光成分の青色・緑の発光成分が強いためカメラで撮影する場合に緑っぽい画像になります。
これは蛍光灯に使われている蛍光物質の蛍光特性から来ています。
蛍光灯に使われる蛍光体は、ハロりん酸カルシウム(3Ca3(PO4)2CaFCl/Sb,Mn)が1980年代まで主に使われていました。
この蛍光発光物質は、励起波長が180-320nmであり、この紫外線から370-720nmの可視光を発し、ピーク波長480nm、580nmの緑が強く出ます。
この蛍光物質は、りん酸カルシウムを主剤としてフッ素と塩素のハロゲンが添加されたもので、これにアンチモンとマンガンが加えられて演色性の改善がはかられています。
ハロりん酸カルシウムは、発光効率が良くて長期間安定して使えるというのが大きな理由ですが、カメラマンにとってはあまりありがたくない蛍光体です。理由は上に述べた緑が強いからです。
1980年代終わり頃から、三波長形蛍光管が市場に出されるようになり、蛍光灯の演色性と発光効率がかなり向上しました。1990年代からは、映画に蛍光灯が使われるまでに色合いがよくなりました。
一般的な照明装置に使われる蛍光体の要求項目は以下のとおりです。
 
・ランプ内で発生する紫外線を吸収する材料であること
・吸収した紫外線を効率よく可視光に変換できること。
・有毒でないこと。経年変化による特性の劣化が少ないこと。
・安価であること
 
蛍光体は放電空間に常に接しているため、光による分解や水銀イオンと電子の衝突によって劣化しないような強い特性をもっていて、温度上昇によっても安定した性能を発揮する必要があります。
こうした理由から、蛍光灯に使われる蛍光剤には、粒径10-20umの蛍光体を三層程度に塗布して使用されているようです。
なお、上に述べた蛍光体の他には、緑の発光をするけい酸亜鉛、青の発光をするタングステン酸カルシウム、桃色の発光をするほう酸カドミウム、青白発光をするタングステン酸マグネシウムがあります。1970年代からは、希土類元素を使った蛍光体が開発され、3波長形蛍光管として普及しています。
一般に昼光蛍光ランプは、空一面に薄雲がかかっているときの昼間の光(色温度約6500K)であり、白色蛍光ランプは日出から約2時間後の太陽の直射光(色温度約4500K)とほぼ同一の色温度の光を出します。
しかしながらこれらの蛍光灯の光分布は総じて赤色部分の光の量が不足しているため、このような蛍光灯で照射された物体の見え方は太陽光で照らされたものとは異なります。演色性が良くないのはこのためです。
そこで色の見え方を重要視する場所には、演色性を改善した蛍光ランプが使われます。
演色性を改善したランプには、ランプ形式の光源色を表すJIS記号(昼光色はD、白色はW、温白色はWW)の次にDLまたはSDLの記号が付けてあります。
DL、SDLの記号のついた蛍光ランプは演色性は改善されるものの効率が10 - 30%低下しています。
 
種 類
形 状
電 力
管 径
管 長
電 流
発光 光束 (ルーメン)
寿 命
昼光色
昼白色
白色
FL10
直管型
10W
25.5mm
330mm
0.233A
420
460
490
5,000
FL15
15W
436mm
0.300A
750
820
860
FL20SS/18
18W
28mm
580mm
0.350A
1,070
1,170
1,230
7,500
FL40SS/37
38W
1,198mm
0.410A
2,700
2,950
3,100
10,000
FCL30/28
環型
28W
29mm
(228mm)
0.600A
1,450
1,600
1,670
5,000
FCL32/30
30W
(300mm)
0.425A
1,780
1,960
2,050
FCL40/38
38W
(374mm)
2,440
2,680
2,800
JIS規格より抜粋 蛍 光 ラ ン プ の 規 格 
 
 
 
演色性を補って蛍光灯の宿命であるフリッカ問題をも解決して映画・スタジオ照明用の蛍光灯として製品を供給しているのが、以下に述べる米国Kino Flo社の蛍光照明装置です。
 
 
キノ・フロ(Kino Flo) (2000.11.04)(2000.12.21 追加)
 http://www.kinoflo.com/
蛍光灯の一種の光源で、演色性が高く、スタジオ照明装置や映画用照明装置に使われています。
発光原理が蛍光灯と同じですから輝度は高くないものの面発光する特徴から広い範囲をフラッドに照明する応用に適しています。
キノ・フロ社は、米国カルフォルニアSun Valleyにある会社で映画照明装置メーカーとして出発しています。
色温度や光の安定をうるさく言う映画業界にあって蛍光灯照明で成功しているユニークなメーカーです。
同社はアカデミー賞技術賞も受賞しています。
キノ・フロランプが使われた映画の作品に、『トルゥー・ライズ(True Lies)』、『Crimson Tide』、『Hoola Hoops Chips 』などがあるようです。
同社の成功の秘訣は、色バランスの良い蛍光灯ランプを開発したことにより、既存のハロゲンランプやメタルハライドランプとの相性が良く使える利点がでたこと、フリッカーのでないバラストを開発したこと、ランプ、灯具、バラストがとても軽く照明の設営が楽に行えること、照明のためのアクセサリーが完備していることなどがあげられます。
同社のKino FloランプはKF55とKF32の二種類があり末尾の数字が色温度を表しているようです。
ランプサイズはそれぞれ11種類22本あります。
発光特性は赤色部にかなりのリッチな発光特性があり可視光とほとんど変わらない発光分布を示しています。
カタログには演色性評価指数92と書いてありました。
普通の蛍光灯が65で演色性が良いメタルハライドランプが90なので色合い的には全く問題ない照明装置と言えます。
映画撮影用蛍光灯照明装置(Kino Flo)
一定の色温度とフリッカーを抑えた設計がなされている。
ランプサイズは長さと径、それに口金形状は明記してあるものの消費電力の仕様が明記されていませんでした。
これは発光分布をよくすることを第一命題としているため発光効率をかなり抑えてあるためと考えられます。(私の想像では1/4程度)
彼らが開発したバラストは25KHzの発光周波数(小さなランプでは50KHz)でランプを点灯させるもので映画カメラ撮影でもフリッカーの出ない電源になっているようです。
バラストの性能(入力電力:117VAC、5A)で1200mm長のキノ・フロランプ4灯点灯できるとありましたから、1灯あたり100W程度の消費電力になります。
この4灯タイプのシステムで照射距離1.2m、照射エリア(1.2m x 1.2m 程度)を1,840ルクスで照射します。
とても面白いシステムなのでチャンスがあれば使って見ようと思っています。
 
2000.12.21追記:
映画業界で照明装置を扱っているエンジニアと意見を交換する機会に恵まれ、談たまたまこの映画用の蛍光灯になり、貴重なアドバイスをいただいたので以下にそのコメントを紹介しておきます。
KINO FLOの光はとても良いと認識している。
何度かフィルム(映画カメラを使用)でのテスト撮影を行い、演色性は十分にあることを認めている。
問題はフリッカー(照明のチラツキ)。
電源部は高周波点灯用の安定器を採用してこれによりフリッカーを抑えているがまだ不十分。
60コマ/秒以上の撮影ではフリッカーを生じる場合が多い。
この照明装置のフリッカを調べるため光センサーを使ってオシロで観察すると50Hzのうねりが観察できた。
インバーター回路が悪いようだ。
安定器が作る発光周波数をいくら高くしても、電源周波数に影響されるようでは撮影(特に高速度撮影)には不向きと感じている。
この装置のフリッカー率は4%位。
映画業界で使わているメタルハライドランプでは0.9〜2%位だからかなり悪いという印象を受けた。
映画業界の高速度撮影では今後この安定器の改良が望まれるだろう。
 
彼のコメントによると、この装置は点灯周波数をKHzオーダーにしてフリッカを抑えている設計思想のようであるが交流電源の50Hzのリップルが発光のための出力電源にそのまま乗っかっているため高速度カメラなどの標準撮影速度以上の映画撮影で使うには慎重な検討が必要のようだ、とのことです。
安定器(バラスト)もしっかりしたものを作ればそれなりに安定した光が得られると思うのですが、技術力と開発費用のトレードオフと言った所でしょうか。
 
ちなみに日本の蛍光灯メーカ(東芝ライテック)からも映画撮影用光源に耐える蛍光灯が市販されています。
高周波点灯をするHfユーラインシリーズの105Wタイプのランプ(FHP105EEN GU)で、管長1,150mmで11,000ルーメンの発光をします。
このランプシステムは輝度が高く、6灯セットになったユニットではかなり強い照度を得ることができます。
 
 
■ 高周波点灯蛍光灯(Hfランプ) (2002.09.11)
蛍光灯は前にも述べましたが、面光源ゆえの柔らかい光が持ち味で影を強く出したくない撮影に向いています。
蛍光灯は商用電源を巧みに使って効率の良い光を提供し世界的な標準光源になりましたから、新しい規格による装置をおいそれと販売できないジレンマがあります。
しかしその蛍光灯にも新しい技術革新の波が押し寄せているようです。
その一つが放電周波数を20-50KHzに上げる高周波点灯による蛍光灯です。
通常の商用電源が50/60Hzですから一気に1000倍の周波数です。
民生用の高周波点灯蛍光灯は、Hf というネーミングで統一され灯具(高周波インバータ装置)とHf蛍光管を使って使用します。Hfは、High frequency(高周波)の略です。高周波点灯にすることにより以下の利点があらわれます。
 
・ 蛍光ランプ特有のチラツキがない。目に優しい。
・ 高周波点灯によりランプ効率がアップし、省エネ、高照度化につながる
  → 光出力は105 lm/W の高効率で通常の蛍光灯より40%も発光
    効率がアップします。また、寿命も9,000時間と一般の蛍光灯
    の1.5倍も向上します。
・ 商用電源周波数に起因する「ジー」という音がない。
・ 装置は50Hz、60Hzどちらの地域でも使用可能。
  → 一般の蛍光灯に使われている安定器は使用する地域によって
    安定器を使い分けているので適合しない安定器ではランプ電
    流が大きく変わりランプ寿命に悪影響を与えます。
・ 安定器は小型コンパクト。
・ 蛍光灯管もスリム、コンパクトにできる。
  → 一般の蛍光灯では蛍光灯の管径を細くすると始動しにくい特
    性を持っていますがHfインバータでは始動が楽であるため
    流が大きく変わりランプ寿命に悪影響を与えます。
  
この高周波点灯蛍光灯をスタジオ・映画用に開発したのが東芝ライテック(株)のDAYPOWERと呼ばれる商品です。
この製品は、東芝ライテックのHfユーラインというU字型をしたスリム蛍光管を使用しています。
従来は直管タイプだったのが折り曲げた形になっているので長さは従来の半分で管径もHfインバータ用のためφ17mmと細くなっています。
この蛍光管は105Wで、11,000ルーメンの光を放出します。
DAYPOWERはこの蛍光管を6本使って一つの灯具としました。
 
メーカ
Kinoflo
東芝ライテック
型名
482-K55-S
FHP105EN
光源色
色温度 5500K
三波長型
昼白色
管径
φ38mm
φ17.5mm
管長
1,200mm
1,150mm
重量
記載なし
430g(1灯)
定格ランプ電力
105W
全光束
11,000ルーメン
照度
864 ルクス
(距離 1.8m、4灯セット)
4,000 ルクス
(距離 2m、6灯セット)
定格寿命
記載なし
12,000 時間
映画用蛍光灯の仕様
 
この新しい蛍光灯はトンネル内の照明装置としても注目を集めています。
東名高速道路の日本坂トンネル下り(延長2.5km、三車線)を通ったことのある人は、あのトンネル内の照明がとても明るくて色合いがきれいなことに気づかれるでしょう。
従来、トンネルと言えばナトリウムランプが主流でした。
その理由はトンネル内は照明を四六時中点灯しなければならないため電気代節約が必要で、なおかつトンネル内ではススやチリ、粉塵が発生しやすくモヤのかかった中でも透過性のよい光の必要性からナトリウムランプが使われてきました。
しかしナトリウムランプの単色光が照らし出す延々と続く閉塞されたトンネルを走るのはあまり気分の良いものではありません。
1979年7月11日には古い日本坂トンネル下り車線で忌まわしい火災事故があり(トラック4台、乗用車2台の追突事故が発端となり、死者7人、負傷者3人、焼失車両173台、トンネル復旧にも長時間を要した世界でも有数の大惨事)、その教訓をもとに交通渋滞解消の狙いもあって新しいトンネルが作られました。
日本坂トンネル下り車線は平成9年3月に完成し(日本坂トンネルそのものは1969年)、このとき照明設備として東芝ライテック社製高周波点灯用蛍光ランプ「50W形Hf蛍光ランプ」が使われました。
このトンネルは、現在建設が進められている第2東名・名神高速道路建設のためのパイロット(試行)トンネルとして建設され、照明設備は運転者の視環境を重視して設計・施工されたそうです。
高周波点灯用蛍光ランプは、照明制御装置との組合せで連続調光(10%〜100%)が可能で、ランプ交換時の全体の光量のバランスを考慮したり災害時には100%点灯するというような良好な視環境の維持と省電力を図りながら、なおかつ演色性の高いトンネル照明となっています。
 
 
 
 
次世代型 無電極放電ランプシステム (2000.10.10)(2009.12.29追記)
Philips社から新しいタイプのランプシステムが発売されています。
Philips QL ランプシステムと呼ばれるもので、蛍光灯並の効率の良い発光を促し、蛍光灯のような熱電子を放出させるフィラメントがないため5倍強(約60,000時間)の寿命が得られるものです。
QLランプは、熱電子放出のフィラメントの代わりに電磁誘導によりランプバルブに封入された金属原子を励起させて紫外光を発生させバルブ内面に塗布された蛍光剤で可視光に変えるものです。
この方式は従来の白熱電球にも放電灯にも分類できない新しい光源です。従来のランプで寿命を決定する要素であったフィラメントや電極がないことから驚異的な長寿命(白熱電球の60倍、蛍光灯の5倍)を達成しています。
この特性は、ランプ交換の困難な場所やメンテナンスコストがかかる分野で威力を発揮すると言われています。
このランプが施工された例では、パリのシャンゼリゼ通りの街路灯に採用されているそうです。
この通りはバリの観光地であり頻繁なランプ交換は景観をそこねたり交通の妨げになったりするため、それを避ける意図があったそうです。
また、ロンドンの時計台ビックベンの時計盤を照射するランプにもこのQLランプが使われているそうです。
日本では1990年に日建設計により東京都豊島区にあるトヨタオートサロン"アムラックス東京"が完成し、その外壁に2,000個の無電極ランプが採用されました。その他、高天井の施設、トンネル内、沖合の照明設備、高圧送電線など高所や危険な所などランプ交換の作業を避けたい場所でQLランプが使われています。
下の模式図を見てもわかるように、ランプには電磁誘導を起こすための棒(パワーカプラー)が内蔵されていて別置きのHFジェネレータと呼ばれる安定器を介してランプが点灯するようになっています。
カプラーはランプ内で二次電流を発生するだけでその電流によりランプ内部に充填された金属蒸気(原子)を励起させ、それが低準位に落ちるときに発生するUV(紫外光)がランプ内部に塗布された蛍光パウダーに当たって可視光が発生するという仕組みです。
明るさは1Wあたり63ルーメン - 72ルーメンと蛍光灯以上の効率となっていて、以下に述べるメタルハライドランプに迫る効率の良さを持っています。
メタルハライドランプや水銀灯と違って面で発光するので、蛍光灯と同じような柔らかい光が期待できそうです。
逆に言えば照射到達距離があまり期待できないと言うことにもなります(つまり、スタジアム用の投光器のような使い方は不向き)。
このランプは蛍光灯などと比べると高価で初期投資に二の足を踏む製品ですが、維持費が安く長期的な観点から見て投資効果が期待できるケースで導入に踏み切る公共施設が多いようです。
この製品を画像用照明装置として使った実績はまだありません。
 
 
 
 
形式
ランプ電力
全光束
色温度
始動時間
演色数
定格寿命
適合安定器
使用電圧
QL 55W/827
55 W
3,500 lm
2700K
0.1秒以下
80以上
60,000h
専用安定器
200-240VAC
QL 55W/840
55 W
3,500 lm
3000K
0.1秒以下
80以上
60,000h
専用安定器
200-240VAC
QL 85W/827
85 W
6,000 lm
2700K
0.1秒以下
80以上
60,000h
専用安定器
200-240VAC
QL 85W/840
85 W
6,000 lm
4000K
0.1秒以下
80以上
60,000h
専用安定器
200-240VAC
QL 165W/830
165 W
12,000 lm
3000K
0.1秒以下
80以上
60,000h
専用安定器
200-240VAC
QL 165W/840
165 W
12,000 lm
4000K
0.1秒以下
80以上
60,000h
専用安定器
200-240VAC
無電極放電ンランプ Philips QLランプ 仕様・特性
 
 
↑にメニューバーが現れない場合、
クリックして下さい。
 
 
 
 
 
 
HID(High Intensity Discharge)ランプ
 
これから以降で述べる水銀灯、ナトリウムランプ、メタルハライドランプは、高圧による放電発光を行うためにこれらを総称してHIDランプ(High Intensity Dischargeランプ)と呼んでいます。
白熱電球や蛍光に比べて一般家庭に普及しなかったのは、製作が難しく、緑色が強く、紫外線も放出し光がが強すぎたためです。
HIDランプは、従来は取り回しが厄介で(始動時に高圧電源が必要で安定器も必要)、工場や街路灯などにしか見かけませんでしたが、最近は小型のものが普及し、安定器をランプに組み込まれたものが開発されたり自動車のヘッドランプにも使われるようになり、HIDランプという名前が知られるようになりました。
 
 
 メタルハライドランプ(HMIランプ)水銀キセノンランプも、源流をたどると水銀ランプに行き着きます。
 
 
水銀灯(Mercury Lamp) (2010.01.07 追記)
 
蛍光灯が低い水銀蒸気圧で発生するグロー放電であるのに対し、(高圧)水銀灯はアーク放電です。
放電による水銀発光は、 1901年の米国の発明家 Peter Cooper-Hewitt(1861 - 1921)によってスタートをします。
水銀灯には二つの流れがあり、一つは管内圧力が 低い1/300気圧程度の蛍光灯であり、もう一つが5〜20気圧の高圧水銀灯です。
 
■ Osira ランプ
英国GEC社が1932年に開発した、初の
水銀ランプ「Osira」。
大気圧放電で、400Wの出力。
高圧水銀灯を市販品レベルで開発したのは英国のGEC社であり、これは「Osira」ランプと呼ばれました。1932年のことです。
GEC社は、この400Wの水銀灯を街路灯として彼らの研究所のあったロンドンの通りに灯したそうです。そのランプの明かりはそれまで灯っていた1,000Wのタングステンランプよりも2.5倍も明るく、白色光の強い光だったそうです。水銀灯は、それまでは実験室レベルでしか点灯できていなかったのが、この年になって水銀蒸気を封入する技術が確立し、コンパクトなものになりました。
ただ、管内の圧力は大気圧と同じであり、高圧とは言えませんでした。蒸気水銀の圧力を高めれば発光効率は大幅に改善されることは当時からわかっていましたが、それを克服して実用化する技術がありませんでした。
電球バルブには、アルミノケイ酸塩(Aluminosilicate)硬化ガラスが用いられました。現在では、石英ガラスが一般的ですが、当時は石英ガラスが高価であり、しかも、これを加工する十分な技術もなかったので、安価で取扱がよく比較的高温に耐えるアルミノケイ酸塩ガラスが用いられました。従って、このガラスでは放電温度を高くすることができないので、発光出力を上げることができませんでした。このランプは、400Wで40 ルーメン/Wの発光効率と2,000 〜 3,000時間の寿命を持っていました。
また、ランプは垂直位置での使用のみであり、水平位置での使用ができませんでした。ランプを水平にするとアークが熱によって持ち上がり、アルミノケイ酸塩ガラスを直撃し破損させてしまうのです。街路灯などでは、たくさんの光が路面に当たるように水平位置でランプを置きたい所なのですが、このランプはできませんでした。GEC社は、この問題を解決する方法として、アーク放電の回りに電磁場を発生させてアークを封じ込める工夫を施しました。これにより理想のアークを得ることができました。以後、水銀灯は水平位置でのランプ使用と長いアーク長をもつことができるようになりました。
 
■ 高圧水銀ランプ
工場や街路灯、イカ釣りの集魚灯として使われる水銀灯。
2009年。(左が蛍光材を塗布した蛍光水銀ランプ、
右が透明水銀ランプ。) 口金はE39。
高圧水銀ランプの市販化を最初に行ったのは、オランダのフィリップス社です。彼らの研究チームは、アークの出力を上げれば水銀灯の発光効率が著しく向上することを知っていたので、高温に耐える放電管の研究を続け、1935年にタングステン電極とそれを覆う石英ガラスをシールする技術を開発し、1936年にPhilips HP300 (商品名 Philora)として販売を開始しました。このランプは、20気圧という高い蒸気圧で放電をおこなうランプでした。ただ、出力は75Wと低く、高い出力のランプ開発にはもう少し時間が必要でした。
Philips社は、つぎにSP500Wという80気圧で放電を行う水銀ランプを開発しました。このランプは水冷を必要としましたが、発光効率が40 - 60 ルーメン/Wと高く、演色性も極めて良好でした。
高圧水銀灯の発光スペクトルは、紫外光(404.7nm)と青色(435.8nm)、これに緑(546.1nm)と黄色(577.0〜579.1nm)を加えた4本の輝線スペクトルです。
色合い的にはやや緑を持つ青白い光となります。
水銀灯では、光線が連続スペクトルを持たないため演色性に乏しい反面、電気エネルギーから光エネルギーに変える効率が50〜60 lm/W(1Wの電気エネルギーから50〜60ルーメンの光エネルギーが得られる)と高いため、エネルギー効率が優先される街路灯や工場の広域照明設備、スタジアムのナイター設備、イカ釣り漁船の漁り火照明に使われてきました。
 
水銀灯は演色性(ものを映し出す色合い、太陽光に近いほど演色性が良いという指標)に問題があるため、緑と黄色の発光を抑えて紫外線を可視光に変える蛍光剤を工夫したり、特殊な分光透過率を持つガラスエンベロープを用いたものが工夫されています。
ただし、この場合には発光効率が15%低下します。
こうした水銀灯は、40Wから2,000Wまで作られています。
高圧水銀灯は、公共用広域照明としては有効であるものの画像を扱う分野ではあまり用いられません。
理由は以下によります。
 
1. 演色性が悪い。
2. 点灯時及び再始動時に時間がかかる。
3. 放電管のためフリッカ発光である。
 
水銀灯は、始動のための専用の安定器が必要です。
水銀の特性は、先に詳しく述べました。このランプで使う水銀は、蛍光灯のように常温でわずかに浮遊する水銀蒸気を使った低圧放電ではなく、熱(アーク放電)によって水銀を完全に気体にして1気圧〜20気圧の蒸気圧にして放電を行うために、始動に時間がかかります。
通常で5分から7分程度必要となります。
また、点灯したランプが消えて再点灯する場合、多くの安定器は蒸気圧の高くなった水銀灯を瞬時に再点灯させることができないので、水銀灯が冷えるまで待って再度点灯を行っています。
最近のHIDランプは、こうした不具合を解消した安定器が開発されてきています。
 
 
■ UHPランプ(Ultra High Performance/Pressure)
フィリップス社が1998年に開発した超高圧水銀ランプ(UHP)。液晶プロジェクタ光源の世界に一大改革をもたらした。
UHPランプは、1998年に登場した最も新しい水銀灯です。
液晶プロジェクタ(および、DLPプロジェクタ用ランプとして脚光を浴びています。
UHPランプは、名前からわかるように超高圧水銀蒸気中での発光を促すもので、放電光は太陽光に近くなり発光効率も向上します。
そうした発想は昔からあったものの、実用化の道のりは遠く、1998年にオランダのPhilips社のHanns Fischerが初めて商品化にこぎ着けました。
このランプは、バルブ内の圧力が約200気圧あり、0.7mmという小さい電極間で放電を起こさせています。この短い放電長で120Wの電力を消費しています。従って、電極の放電はプラズマ発光に近く高温となるために発光スペクトルが連続となります。石英ガラス内面は、1,000℃程度となります。プラズマ状態の発光輝度は、1G cd/m2(1ギガカンデラ)にも達するそうです。発光効率も60 ルーメン/Wと極めて効率のよいものになっており、ランプ寿命も2,000時間〜4,000時間と良好な値になっています。1日3時間程度、週3日程度使う液晶プロジェクタでは、6年程度の使用が見込まれます。
こうしたランプの特徴は、高輝度点光源を求める液晶プロジェクタ(及びDLPプロジェクタ)に最適であったため、急速に普及しました。液晶プロジェクタでは、20mm x 10mm程度の液晶部に均一な光を当てなくてはなりません。点光源は、そうした光学設計の要求を満たす大切な要素となるのです。また、演色性もRa65とかなり改善されました。水銀灯は、本来演色性が良くない光源なのです。それを200気圧という高圧下で発光させることによって、演色性を改善することができました。
従来、水銀灯の演色性改善は、他の金属や希土類元素を封入して赤色域を補う発色の改善方法や、水銀灯管内に赤色を発色する蛍光材を塗布する方法がとられてきました。
もちろん、水銀蒸気圧を上げることも連続スペクトルを発生させる解決の一つでした。20気圧程度までの高圧水銀灯は、1950年代よりたくさん市販化されて街路灯や工場の照明器具、スポーツスタジアムで使用されてきました。しかし、200気圧もの高圧による水銀灯は製造技術が難しく、水冷設備を施したものなどの特殊な方法以外は使われていませんでした。
 それが、我々の身の回りにある液晶プロジェクタ(や、DLPプロジェクタ)の光源として使われるようになったことは、大きな驚きです。わたしの認識では高圧水銀灯は大きなバルブ形状で取り扱いも大変だと思っていました。ましてや、民生品に組み込んでメンテナンスフリーでボタン一つの操作でできようとは思っても見なかったのです。
200気圧の水銀蒸気を1,000℃の高温雰囲気で耐える石英管の製造や、電極をうまくシーリングする技術がかなりの進歩を遂げているのに違いないと思いました。
超高圧水銀ランプ(UHP)は、現在、100W〜300Wまで12種類ほど市販化されていて、価格は、40,000円〜80,00円程度です。
 
この水銀灯のもう一つの大きな特徴は、AC点灯の他にDC点灯ができるタイプがあることです。水銀灯はAC点灯が常識ですが、液晶プロジエクタに使用する際に交流放電によるフリッカが気になるので、それを改善するためにDC放電回路を設けて点灯をしています。DC点灯の場合は、電極がカソードとアノードとなるために、電極が片ベリしないようにランプを設計する必要があります。
 
1990年代後半までの液晶プロジェクタは、メタルハライドランプが主流でした。それが、UHPランプの登場により液晶プロジェクタランプの座を譲りつつあります。
その理由としては、メタルハライドランプに比べ高輝度で点光源として優れており、また同じランプ出力ではサイズがよりコンパクトになるためです。少ない消費電力で明るくて、一点から高密度の光が取り出せるのですから魅力です。演色性は現在の所メタルハライドランプの方が優れています。
(一説によると、メタルハライドランプはアーク長が長いので発光の色分布が不安定であるとされ、反面、超高圧水銀灯はアーク長が短いので、一点から連続波長が出るために水銀灯の方が色合いが良好であると言われています。)
しかし、演色性が悪いという弱点に目をつむってもUHPランプの長所の方がたくさんあるようです。
2009年にあってはUHPランプが液晶プロジェクタの標準光源となっています。
 
 
 
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ナトリウムランプ(Sodium Lamp) (2002.09.11 追記)(2009.12.23追記)
 
ナトリウムランプは、ナトリウム蒸気の放電発光を利用した放電管です。
ナトリウムの放電は、D線(589.0nm、589.6nm)と呼ばれる黄色の輝線スペクトルが強く放射され、ナトリウム蒸気圧を上げていくにしたがいスペクトルが可視域全体に拡がり黄白色の帯スペクトルとなります。
発光効率が 130 〜 200 lm/Wとランプの中で最も高効率であるため、水銀灯同様街路灯、広域照明設備に使われています。
ナトリウムランプは発光効率がとても良いことが早くから認められていましたが、ナトリウム自体の扱いが難しい金属であり危険でもあるため高温でナトリウムに耐える材料が開発されるまで実用化の道は険しいものでした。
考えてみると、水銀と言いナトリウムと言い、身近な光源には危険な金属が使われていることを思い知らされます(もっとも、IC素子やLED、バッテリなどにもヒ素、カドミウムなどの重金属が使われているのでこれは光源に限ったことではありません。)
ナトリウムは、柔らかい金属で97.81℃で液体となり882.9℃に沸点を持ちます。
水素、リチウム、カリウムなどがナトリウムの仲間で、アルカリ族に属する極めて活性の高い金属です。
イオン化傾向も高く、他の元素と反応しやすく単体で自然界に存在することは希です。
ナトリウムを単体で遊離すると活性が強いためイオン化されやすく、融点(97.81℃)、沸点(882.9℃)の低い金属であることから金属蒸気が電子を受けるとたやすく励起されて光を放出します。
ナトリウムはまた、熱中性子を吸収しやすい性質を持っているため原子炉の冷却剤として使われています。
金属ナトリウムは、水と激しく反応するために取扱がやっかいで十分な安全を考慮を施してナトリウムランプの完成を見ました。
 
ナトリムランプは、低圧蒸気中での放電研究から始められました。これは1919年、米国物理学者でウェスチングハウス社のコンプトン(Arthur Holly Compton: 1892 - 1962)による実験が最初と言われています。彼は実験レベルながら、ナトリウム放電で200ルーメン/Wという発光効率を出しました。これは当時の白熱電球の10倍以上の効率をもつものでした。ただ、ナトリウムを受ける皿や高温に保つ容器など実用化に向けては多くの問題点がありました。
ナトリウムランプの実用化には、ドイツのオスラム社とオランダのフィリップ社がしのぎを削り、1930年代に市販化にこぎ着けました。
1932年、オランダのフィリップス研究所のホルスト(Gilles Holst: 1886 - 1968)によって低圧ナトリウムランプが初めて作られ、それ以降急速な発展を見るにいたります。フィリップス社は、オランダのBeekからGeleen間の道路に30灯の低圧ナトリウムランプを直列に吊して夜間灯としました。この時のランプの効率は38.5 ルーメン/Wで、15VDC、5.5A(82.5W)のものでした。直流ランプだったのです。
オランダフィリップス社が実用的なナトリウムランプを市販化した4年後の1936年に、米国GE社から交流で点灯する10,000ルーメンを放出する「NA-9」と言う有名なナトリウムランプを市販します。これは、かなりの長寿の製品生命を持ち1966年まで製造されたそうです。
ナトリウムランプの実際の普及をみたのは1957年からです。
低圧ナトリウムランプは演色性が悪いので、ナトリウム蒸気を高め、演色性をよくする研究が行われました。
高温高圧に耐えられる半透明セラミック管を用いた高圧ナトリウムランプが1960年に米国のGE(ジェネラルエレクトリック)社から発表され、数々の改良が試みられた後、高効率光源として確固たる位置を築き上げるようになりました。
 
アメリカ、ヨーロッパでは高速道路、一般道路の街路灯がすべてナトリウムランプに徹底されているのには驚かされます。
国民性の違いでしょうか。
日本では四六時中点灯しているトンネル内とか霧が発生しやすい御殿場あたりの山場にナトリウムランプが使用されている以外では、水銀灯やHMI(メタルハライド)ランプの使用が多く見受けられます。
トンネル内や、霧の発生しやすい所にナトリウムランプが使われるのはナトリウムランプの発光波長が590nmと比較的長い波長であるため、排気ガス中の煤煙の粒子にによる光の散乱・吸収が少なく、空気中での光の透過が優れ視認性の低下が少ないためと言われています。
ランプは、200W、360W、660W、940W程度のものが使われています。
発光光束は、360Wのランプで50,000ルーメンあり12,000時間の寿命を持っています。
これは、蛍光灯37Wクラス(3,000ルーメン)の約17倍の光束を持ち、寿命も約1.2倍あります。
寿命が12,000時間ということは、夜6時から翌朝6時までの12時間点灯したとすると、1,000日(約2年半)毎に交換という換算になります。
トンネル内では24時間の連続点灯となりますので、500日(1年4ヶ月)毎の交換が必要になります。
 最近のトンネル内の照明は、ナトリウムランプの使用に代えて高周波蛍光灯が使われるようになりました。
蛍光灯よりも効率が良くて電気代もかからないナトリウムランプが蛍光灯に変わるというのは興味ある所です。
ナトリウムランプは黄色の発光であまり気持ち良い照明ではありません。
長いトンネル内では閉塞感が強いため、自然な光の出る蛍光灯が注目されはじめたのかも知れません。
新しいタイプの蛍光灯が本格的に採用されたのは、東名高速道路の下り日本坂トンネルで、これにはHf蛍光灯が使われています。
これからのトンネル照明のありかたを問うものとして注目されています。
映像記録から見たナトリウムランプの利用価値はあまりありません。
レンズを作る際には平面性を検査するためにオプティカルフラットと呼ばれる光学平面ガラスとD線を発する(低圧)ナトリウムランプを用いて製作レンズの出来具合を検査しています。
また、昭和30年〜40代の野球場のナイター設備は、水銀ランプの緑色輝線を和らげるためナトリウムランプを分散配置させ、これを「カクテル光線」と称して使用していました。
しかし、カラーテレビ放送の台頭と共にこれらのランプでは色合いが悪いため、昭和50年あたりからはスポーツスタジアムには高演色水銀ランプやメタルハライドランプが使われるようになりました。
 
ナトリウムランプには、以下に述べる低圧ナトリウムランプと高圧ナトリウムランプがあります。
 
●低圧ナトリウムランプ:
発光管はナトリウム蒸気に侵されない耐ナトリウムガラスが使われ、この中に金属ナトリウムと始動補助用のネオン・アルゴンガスが封入されています。
放電灯には始動をしやすくするためにネオンガスやアルゴンガスがバッファとして入っているようです。
発光管は通常ランプを小型にするためU字型になっていて数カ所に突起を設けそこに金属ナトリウムを溜めるようにできています。
この突起により点灯中にナトリウム蒸気圧は管内で均一となり、同時にナトリウムが管壁に広く付着して光束が減退するのを防いでいます。
ナトリウムランプの発光効率を最大とするためには蒸気圧を4x10-3mmHgとし、ランプ管壁温度を260°Cに保たねばなりません。
このために外管は伝導、対流による熱損失を防ぐため真空とし、また熱放射を防ぐため内面に可視光を透過する赤外線反射膜を塗布して発光管を保温し保持しています。
低圧ナトリウムランプの発光は、波長589nm、589.6nmの黄色のD線で、効率は実用光源中最高(175 lm/W)です。
単色光であるため演色性は悪いのですが、色収差がないため明暗の対比、形の識別に優れ、またD線は煙霧中の透視性が優れているため検査用光源、トンネルや海外沿いの道路などのガスや霧の発生しやすい所の照明に使われています。(2000.11.13追記)
 
●高圧ナトリウムランプ:
高圧ナトリウムランプの蒸気圧力は100 - 200mmHgです。
大気圧よりは低い圧力です。
ナトリウムの蒸気圧を上げていくとD線の自己スペクトルが吸収されて減少し、その両側に連続スペクトルからなる発光が見られるようになり白色光に近くなります。
発光管は高温・高圧のナトリウム蒸気に化学的に安定な可視光に透過性のあるアルミナセラミック管が用いられ、金属ナトリウムと始動補助用のネオン・アルゴンガスが封入されています。
このタイプは始動電圧が低いために水銀灯用の始動回路を流用できます。
ネオン・アルゴンガスの代わりにキセノンガスを封入したものは始動電圧が2,000V以上と高く専用の始動安定器が必要となります。
高圧ナトリウムランプは白色光として効率が最も高く寿命も長い、そして光束低下の少ない経済的な光源です。
演色性は、色温度が2000K〜2100K、演色評価指数25とあまりよくありませんが、白熱電球によく似ていて、屋外、工場、体育館などの屋内照明に用いられています。
ナトリウムの蒸気圧を上げると演色性が向上しますが効率が低下します。
ナトリウムランプは始動して安定するまでに約7分程度かかります。
再始動は消灯後約1分で再始動します。
 
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キセノンランプ(Xenonランプ、クセノンランプ) (2007.01.08 追記)
 
石英ガラス管中にキセノンガスを封入し放電を起こすと、紫外から赤外にかけて太陽光のスペクトルに近似した発光(色温度5000〜6000K)が得られます。
アーク放電であるため点光源(輝度107cd/m2)にしやすく、しかも高輝度であるため、映像記録の観点、特に高速度カメラ撮影用光源、劇場用フィルム映写機用ランプとしては最も適した光源といえます。
ランプを点灯させる際には、キセノンガスが封入された電極間でアーク放電を起こさせる関係上、始動時に数KVの高電圧が必要であり放電開始後もアーク放電に必要な電圧と電流が必要になります。
こうしたことからキセノンランプには専用の電源部が必要となります。
キセノンランプの発光効率は20〜40 lm/Wと比較的高いものが得られます。
ランプの大きさは100Wから数kWまであり、ファイバライトガイドの光源、映写機の光源、OHPの光源、大型サーチライト、模擬太陽光として使われています。
高輝度・点光源であるため映像記録分野でも、高速度カラー撮影用、シュリーレン用光源、顕微鏡用光源として使われています。
ただ、熱もかなり出ますので熱に弱い樹脂やガラスなどに長時間(高速度カメラ撮影では10秒以上)照射するのは危険です。
 
 
キセノンランプバルブ。
石英バルブ内にタングステンの電極が配置され、
アーク放電を起こす。
バルブ内にはキセノンガスが高圧封入されている。
 
 
キセノンランプは以下の項目で述べるメタルハライドランプが登場するまで白色光源として重要な役割を担ってきました。
近年メタルハライドランプの効率の良さと演色性が向上してきたため熱のでないランプとして需要が増しキセノンランプの役割を徐々に譲りつつありますが、キセノンランプの持つ直流点灯である(フリッカーがでない)こと、光の安定性がよいこと(電流を変化させても光量の変化だけで光の色合いのバランスがくずれない)、連続した波長発光が得られること、などこうした優れた特性が活かされる分野ではまだまだ現役で活躍しています。
ランプは、ウシオ、浜松ホトニクス、三菱電機OSRAMなどから供給されています。
また、米国ILC社(現、米国PerkinElmer社)のセラミクス一体型クセンノンランプは、放物面鏡の焦点に放電電極を配し、高輝度の平行光束が得られます。
このランプは、小型探照灯(サーチライト)用として開発され100m〜500m遠方を照射することができるものです。
このランプの照度表を以下に示します。
800Wのランプでは、照度が3mの照射位置からでも50万ルクス以上の照度が得られます。
50万ルクスと言えば真夏の晴天での最高照度の3倍以上の明るさです。
この光は、明るさも強いけれど熱もすごいので取り扱いには注意が必要です。
 
 
照射距離(cm)
照射エリアφmm
露出 EV
照度 ルクス
  VIX 300W x 1灯
100
50
18.6
1,010,000
20
50
21.0
5,330,000
  VIX 800W x 1灯
300
50
17.6
505,000
200
50
18.3
820,000
100
50
19.0
1,330,000
50
50
20.0
2,660,000
30
50
20.6
4,040,000
米国ILC社製ビーム型キセノンランプ照度表 
(2006年5月現在、ILC社はブランドをPerkinElmer社に移してCermaxという製品になっています。)
 
 
【キセノン[Xe]と呼ばれる元素】 (2003.04.27追記)
光を扱っていると、キセノンという元素を良く耳にします。
アメリカ人はゼノンと発音しています。
この業界に入った28年前、映画用の光源やストロボなどをクセノンランプとかクセノンフラッシュと称していました。
映画用の資料の多くはクセノンという言い方をしていました。
キセノンとうのはどういう元素なのでしょう。
放電管にはキセノンの他にヘリウムやネオン、アルゴン、クリプトンなどの元素が使われています。
これらの元素は、性質が極めて似通っています。
化学の本などで元素の周期表を見ますと、一番右端の欄の「0」族というところにこれらのガスが不活性ガスとして掲載されています。
大気中にホンのわずかにしか存在しないので希ガスともよばれています。
不活性元素というのは化学的に安定していて他の元素と化学結合せずに単体で存在している元素をいいます。
これらの元素は電気的に安定していて原子に電子が入り込んでもすぐ安定した原子の状態に戻ろうとして(多くの場合はイオン化したり他の元素とくっついて化合物を作る)、もらった電子からのエネルギーを光エネルギーに変えます。
これが放電管の封入ガスとして使われるもっとも大きな理由の一つです。
原子量の軽いヘリウムやネオンは放電が起きやすいのでネオンサイン用ランプとしてよく使われます。
また、光源としてではなく、電子管内の放電を促すためのバッファガスとしてネオンガスがよく使われます。
ちなみに白熱電球に封入される不活性ガスとして使われているキセノンやクリプトンの目的は、これらのガスの原子量が重いためフィラメント回りの熱対流が起きにくく、ジュール熱で熱せられたタングステンフィラメントが回りの不活性ガスの熱対流によって蒸発するのを防ぎ、フィラメント寿命を長くするためです。
キセノンやクリプトンを封入した白熱ランプではガス自体が発光することはありません。
原子番号の若いヘリウムやネオン、アルゴンは、励起される電子が基底状態に戻るときの量子エネルギーが数通りしかなく、この量子エネルギーは特定の波長だけを放射するために光学的な共振を起こしやすいため、レーザ用の励起ガスとして使われました。
キセノンは比較的重い不活性ガスであるためたくさんの電子を持っていてそれによりいろいろな光を放射するものと考えられています。
キセノンの発光が太陽光の発光に近いことから現存では理想の白色光源としてみなされ、キセノンアークランプやフラッシュランプ、ストロボランプに多用されています。
キセノン(Xenon)は1898年にイギリスのラムゼーらによって希ガス元素を発見していく過程で、アルゴン、クリプトン、ネオンについで液体空気の分留から最後に発見されました。
 キセノンランプは1933年頃からドイツで研究され、1944年シュルツ(R. Schluz)よって実用化されました。
日本では1952年頃から製作され、主としてフラッシュランプとして用いられました。
 
 
■ 高速道路標識投光用光源 (2007.01.08)
十年ほど前から、東名、東北自動車道などの高速道路に下記のような案内表示板を照らす投光型照明装置が設置されはじめました。
従来の案内表示板は、表示板内部に蛍光灯が埋め込まれていたり、表示板上部に灯具がついていてそれで表示板を照らす仕組みになっていました。
新しい方式は、50mほど離れた路肩から表示板めがけてサーチライト(キセノン投光器)を照射させて、反射効率の良い反射板で運転手に光を反射させるものです。
この方式にすると従来のものに比べ保守が格段にしやすくなります。
従来の方式では消耗品であるランプを交換する時に、高所作業用の特別サービス車を使って車線に車を止めて作業を行わなければならないため、作業者が高速道路の一車線をふさぐことになり、とても危険な上、なおかつ交通渋滞にもつながっていました。
新しい方式は、こうした問題を解決してくれます。
ランプ交換は、路肩に車を止めておいて人が歩いて行って簡単に交換することができます。
この方式を採用するには二つの技術革新が必要でした。
一つは、投光器によって照らされる表示板がうまく反射して運転手側に輝度の高い表示をしてくれること、そしてもう一つは50mほど離れた位置から効率良く光を案内板に照射する投光器(サーチライト)が製作できることでした。
キセノンランプやサーチライトはずいぶんと昔からあった技術ですから、このシステムが完成するメドは、高効率の反射板の開発にあったのだろうと想像します。
この反射板は、スコッチライトのような再帰性反射(反射板(Reflector)再帰性反射を参照)の原理を採用したものです。
 
 
高速道路に設置されている案内標識投光用キセノン照明装置
 
表示板を照らし出す照明設備として、最近主流になっているHMI(メタルハライド)ランプを使わずに、なぜキセノンランプを採用したのでしょうか。
HMIライトの方が電気を消費せずに運用上のメリットが大きいと考えられるのですが、キセノンランプが採用されました。
その大きな理由として、キセノンランプは点光源であり、かつ光のエネルギー密度がHMIランプよりも高いことがあげられます。
サーチライトとしては、HMIライトは遠くまで飛ばせないのです。
キセノンランプは一点から強烈な光が放射されているのです。
映画館のフィルム映写機に使われる光源はキセノンです。
液晶プロジェクタには300W程度のHMI(メタルハライド)ランプが使われていますが、大きな液晶プロジェクタになるとキセノンランプが使われます。
この事例からみてもキセノンランプは点光源として強い光エネルギーを持っている事が理解できます。
投光器(サーチライト)を路肩に設置しなければならない条件、そして強い光束を効率良く反射板に投射しなければならない関係上、キセノンアークランプがベストな選択であったと推察できます。
 
 
 
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キセノンフラッシュランプ(ストロボ)(2002.09.18)(2009.12.15追記)
 
 
■ 瞬間発光光源の歴史
キセノンガスの良好な放電特性を利用して短時間発光を行う光源を、キセノンフラッシュランプと言います。
キセノンフラッシュが科学技術に寄与した功績は大きいものでした。
適度な光量と短時間発光、それに加えて高い繰り返し発光を持つキセノンフラッシュで撮影された写真からは、数多くの神秘で新鮮な情報が提供されました。
従来の閃光光源といえば、電気放電を大気中でそのまま発光させる火花放電方式か、1900年初頭から使われていたマグネシウムを金属皿に適量に盛って電気点火させていたマグネシウムフラッシュが一般的でした。
しかし、マグネシウムフラッシュは光量が多い反面、100万分の1秒( = 1マイクロ秒)などという短時間露光には適していませんでした。
学術的な用途には、短時間で発光する光源が必要で(さもないと高速で推移する現象は、写真撮影露光中に移動して像が流れた像ボケ写真となってしまうため)、この目的のために大気中の火花放電による発光装置が使われていました。
火花放電による高速度写真撮影に初めて成功したのは1851年、英国のWilliam Henry Fox Talbotです。
彼はライデン瓶に蓄えた電荷を空中で放電させ1/2,000秒(500マイクロ秒)の発光を作り、London Times紙を回転板に取り付け回転させて、見事に静止画として写真に収めたといいます。
その時使用した感光材は「amphyitypes」と呼ばれたもので、ASA4相当(現在のフィルムの1/100)でガラス板に卵白と水に硝酸銀を混ぜて塗布したものだったそうです。
この感光材を使って、それにF/32の口径比を持つレンズ(現在のレンズの1/500の明るさ)をカメラに取り付けて撮影されたと言います(出典: An Early History of High Speed Photography 1827-1930 written by Lincoln Endelman in 1988, SPIE's 32nd Annual International Technical Symposium)
Talbot、Mach、Cranz、Boysらが始めた高圧コンデンサに電荷を蓄え空中で火花放電を起こさせる瞬間光源は、シュリーレン撮影法を確立し、高速飛翔体の研究(当時は弾丸が主流)に大きな功績を残しました。
 
■ キセノンフラッシュの発明 エジャートン博士
空気中に電極を露出させて高電圧で放電させる火花放電は、光が弱く広い撮影範囲を照射する力はありませんでした。
そこで発光を起こしやすい気体をバルブの中に封入して、高電圧をかけて気体放電させる研究が行われました。
1930年代に米国MIT(マサチューセッツ工科大学)の Harold Edgerton博士(1903.4.6 - 1990.1.4)の手によって、安全で使いやすいガス封じ込めフラッシュ装置が発明されると、これが一気に主流の座を占めるようになりました。
キセノンフラッシュの歴史は、Edgerton(とドイツのフリュンゲル = Frungel)の歴史といっても過言ではありません。
初期の頃の Electric flash は、キセノンではなく水銀を用いていました。
しかし、水銀蒸気は温度と蒸気圧によって発光輝度と発光時間がバラつくために、適正露光を得るのに随分と骨が折れたそうです。
エジャートンは、水銀に代えて希ガスのアルゴンを使ったフラッシュ装置を開発し、最終的にキセノンを封入したキセノンフラッシュ装置に落ちついたそうです。
キセノンにしたのは、発光スペクトルが太陽光に近く、発光効率も良く、またガスの熱容量が小さいため短時間発光(サブマイクロ秒)が可能になるためでした。
この装置は、その後 Eastman Kodak社によって Kodatron の商品名で米国東部の写真撮影スタジオで使われ始めました。
1940年、プロカメラマン Joe Costa が携帯用に改良されたキセノンフラッシュ、Kodatron portable、をひっさげてプロボクサー Joe Luis のファイティングシーンを撮影し、それを「Life」誌に掲載しました。
短時間露光を可能にしたスポーツの瞬間写真は、今までにないスポーツ報道の一面を切り開きました。
その後エジャートン博士は、科学者として以上に、有能なカメラマンとして活躍しました。
フットボールを蹴る瞬間にボールが激しく歪んで靴にのめり込んでいる瞬間写真や、棒高飛びの多重露光写真など有名な瞬間写真を次々と発表しました。
彼が取り組んだストロボには、以下のものがあります。
 
1. 数百KHzの高周波数発光ストロボ - 数マイクロ秒間隔の映像の取得が可能。
2. 数10nsパルスの極短時間発光ストロボ - 超高速で推移する現象をブレなく撮影。
3. ストロボを使った海底写真撮影 - 光のとどかない暗い海底を撮影。
4. ストロボを使った夜間の航空写真撮影(地上高1.6kmより1km四方を撮影)
5. 顕微鏡用マイクロギャップストロボ - 鮮明な画像撮影。
6. 航空施設用ビーコンストロボ - 長距離まで表示可能。
 
エジャートン博士(Dr. Harold E. Edgerton、1903年-1990年)とは3度ほどお会いしたことがあります。
最後にお会いしたのが26年ほど前(1983年)で、マサチューセッツ工科大学のエジャートン研究室で開かれた高速度写真セミナーに参加した際、彼の研究室の見学と講演を聞く機会がありました。
当時のエジャートン博士は80才でしたが、高齢とは思えないほど矍鑠(かくしゃく)とされていて、ユーモアの固まりでとても茶目っ気があり、また著名なこともあって皆から絶大なる人気を得ていました。
彼の偉いところは、自分でストロボを発明し、それを縦横無尽に駆使して新しい写真文化を開拓したところにあります。
彼を慕う科学者も多く、ロチェスター工科大学のAndrew Davidhazy教授(http://www.rit.edu/~andpph/)もそのうちの一人です。
Davidhazy先生は、ストロボ写真に魅せられ面白い科学写真を撮り続けていらっしゃいます。
Davidhazy教授は、あごひげを蓄えた痩せ目ののっぽ教授で、普段はとても物静かで存在が希薄なのですが、彼の論文はとても茶目っ気があって(例えば、人間の皮むき写真カメラを作ったり、コンドームの風船爆破の切れ目と爆破速度を高速度カメラで解明したり)、講演の内容もスパイスがとても利いて元NHK解説者の平野次郎さんみたいな感じの人柄です。
 
【Harold Eugune Edgerton 1903 - 1990 氏のこと】 (2002.10.04)
ハロルド・エジャートンは、1903年4月16日、ネブラスカ州のFremontという所で3人兄弟の長男として生まれました。
中学、高校時代に写真に目覚め、叔父さんから写真撮影技術の手ほどきを受け自宅に写真のための暗室を作りました。
また高校時代の夏休みに電力会社で働いて発電に興味を持つようになります。
1921年に地元リンカーンにあるネブラスカ大学に入学します。
大学卒業後、ニューヨーク州Schenectadyにある電気会社に勤め発電用のタービンの研究を続けます。
1926年、23才の時にマサチューセッツ工科大学に入学しタービンロータの研究に従事し、この時に使用したストロボライトが後に彼のライフワークとなったキセノンフラッシュ研究の引き金となったようです。
彼が大学時代に使っていたストロボが、どんなものであるのか私自身調べ切れていません。
恐らく水銀灯のストロボかネオンガスを使ったストロボ(ネオン管)であろうと想像しています。
彼は、この経験をもとにキセノンフラッシュストロボを開発するに至ります。
1931年には、高周波数のストロボ、単発発光のキセノンフラッシュを開発し電気工学学会に発表しました。
こうして本格的なキセノンフラッシュの研究に従事するようになり、1933年にはストロボスコープで米国の特許を取得し、その後35年にわたって45もの特許を取得していきました。
1937年からは雑誌『Life』の写真家としても活動を始めます。
1947年には、MITの仲間とEG&G社(設立の名前は、Edgerton, Germeshausen, and Grier, Inc.)を設立します。
彼らの会社が行った最初の大きな仕事は、原子力エネルギー委員会から依頼された11kmも離れた距離から核爆発現象を撮影する特殊カメラ(Paratronicカメラ)の開発だったそうです。
また、雑誌 National Geographic にハミングバードが高速で羽ばたく空中静止の瞬間写真をキセノンフラッシュで撮影して掲載するなど、自然科学分野でも自ら発明したキセノンフラッシュで興味ある高速瞬間写真を次々と発表しました。
スポーツ分野では、1938年に運動選手をマルチフラッシュ手法で多重露光撮影する技術を確立してこれをカメラメーカに売り込みますが、うまくいかなかったのでスポーツ写真家と契約してストロボ機器の販売とサービスを始めます。
スポーツ写真で革新的な瞬間写真が撮れるようになったのは1940年になってからでした。
1940年にはハリウッドのMGMスタジオにストロボを持ち込んで高速写真のデモを行います。
彼はそこでPete Smithと共同で「Quicker Than a Wink」(まばたきよりも速く)という作品を作りあげ、アカデミー賞を授賞します。
第二次世界大戦中は軍の要請で航空機から地上を真夜中に地上を撮影するためのジャイアントフラッシュの開発を手がけました。
 
Edgerton博士は、自ら会社(EG&G社)を興し特殊なストロボバルブや電気素子を開発してその普及に務め、大きな功績を上げています。
 
EG&G社は、創設者の3人の頭文字、Harold Edgerton、 Herbert Grier、 Kenneth Germeshausenからつけられました。
現在は、フラッシュバルブならず光電素子、CCD素子などユニークな製品を開発する企業として知られています。
 
流れの可視化分野でのストロボの貢献度は高く、シャドウグラフによる衝撃波の可視化ではマイクロギャップストロボが使用されたり(ストロボバルブが小さく放電電極が短いため点光源が得られる)、キャビテーションのメカニズムを解明するため発生信号をトリガにしたストロボスコープが使われています。
 
 
■ レーザ発明への貢献:
レーザ(Laser)の発明は、キセノンランプの貢献なくしてはあり得ませんでした。
レーザを発明した(実際に発振させた)のは、米国ヒューズエアクラフト社(Hughes Aircraft)の軍用エレクトロニクス研究所の研究員セオドア・H・メイマン(Theodore H. Maiman、1927〜)でした。
メイマン33才、1960年のことです
彼は、レーザ発振の媒質にルビーロッドを用いて励起光源としてキセノンフラッシュランプを採用したのです。当時、レーザの原理は公にされていましたから、誰が最初にレーザを発振させるかでいろいろな研究機関でしのぎを削っていました。
メイマンがレーザの発振に成功したのは、媒質をガスでなく固体で行ったこと、そして強い励起光源を使ったことだと言われています。当時、レーザを発振させるに足るだけの高密度光エネルギーを取り出せるのはキセノンフラッシュしかありませんでした。メイマンは、GE社製の螺旋式キセノンバルブを励起光源として流用しました。このキセノンバルブはFT-506というタイプで、900Vで1,000Watt-sec.の発光能力を持っていました。このランプは軍需用のもので、偵察機に搭載して夜間撮影用ストロボとして使われていたものです。潜水艦が砲弾などを充填するために夜間海上に浮上してくるのを狙って、低高度から海面撮影をする目的に使われていたものです。メイマンは軍用エレクトロニクス研究所に勤めていましたから、高輝度・高密度の光源(フラッシュ)があることを知っていたのだと思います。ランプの管形状が螺旋形状をしていたので、その中にルビーロッドを入れると効率よくロッドを照射することができました。もともと、ランプをくるくる丸めて螺旋型とするのは、光量をかせぎたい大光量のランプに使われるものです。そのクルクルに巻かれた螺旋型がルビーロッドを埋め込むのにまことに都合がよかったのです。しかし、そのキセノンランプを使ってもルビーをレーザ発振することは容易なことではなく、時には定格以上の発光を必要として1,500wat-sec.での発光も余儀なくされ、そのために著しい寿命の低下をまねいていたと言われています。
キセノンラッシュランプは、半導体レーザと共にYAG、ルビーなど固体レーザを励起するための光源として現在でも使われています。
 
左の写真は風船を打ち抜いていく弾丸の瞬間撮影です。エジャートン博士が1959年に撮影した作品です。
写真右端に椎の実状の弾丸が見えます。3つの風船の左から弾丸が貫通しました。
風船を3つ配置したことで風船の割れる具合を時系列的に見ることができます。
博士らしい配慮です。
エジャートン博士の詳細は、Edgerton Center(http://web.mit.edu/edgerton/main.html)と呼ばれるホームページで知ることができます。
 
■ キセノンフラッシュの性能
キセノンフラッシュの性能を決めるのは、以下の項目です。
 
(1) 入力エネルギー ← ストロボランプに加える電気エネルギー。
             発光用のコンデンサに蓄えられたエネルギー
             ( = CV2/2)で表す。
             ストロボには、すべてコンデンサが組み込まれ、
             コンデンサの充電電圧(V)とコンデンサ容量(C)
             で発光量が決まる。
(2) 発光時間 ← ストロボランプが発光する時間ピーク発光の半分の輝度
          時間(半値巾)で表す。基本的に、コンデンサに蓄えら
          れた電荷の大気放電であるので、電気エネルギーが大き
          いほど放電に時間がかかり発光時間が長くなる。また、
          ランプの放電距離が長い方が発光時間が長くなる。放電
          ギャップが短いランプでたくさんの電流を流すと、電極
          電極が疲労して寿命を縮めてしまう。
(3) 放電ギャップ長 ← ストロボランプの放電を行う電極間距離。
(4) 寿命 ← ランプは命あるもの。100万回発光などと発光数でおよその寿命を表す。
 
ユーザの立場からキセノンランプに要求する性能は、入力エネルギーが大きくて発光時間が短く、放電ギャップが短くて寿命が長いものが望まれるのですが、現実はこのうちのどれかが犠牲になります。
キセノンフラッシュの発光効率は極めて高く約30%です。つまり、電気入力エネルギーの3割が光に変わることを意味します。
フィルムカメラ用(一眼レフデジタルカメラ用)のストロボは、広い面積を照射させるため放電ギャップが広くて、発光時間も永井約1ms程度の発光をもっています。
Autoストロボでは、ストロボに取り付けられたフォトセンサーが一定の光量を検知していて一定光量に達するとサイリスタで電気をカットする回路が組み込まれています。
このストロボでは、光量を時間調節によって制御するという方式になっています。
発光エネルギーの大きさは一般的には、G.N.(ガイドナンバー = 照射距離(m)x カメラレンズ絞り)で表されGN20〜56程度のストロボが容易に入手できます。
工業用のストロボは、0.1マイクロ秒〜10マイクロ秒の発光で発振周波数300Hz程度のものがよく使われ、ジャパンフォトニクス、菅原研究所、日進電子、シンポ工業から発売されています。
面白いストロボとしては、発光時間が11msと長くて1,100Jの入力エネルギーを持つ矩形波(山なりの発光波形ではない)ストロボが米国 Cordin 社より製品化されています。
このストロボは点光源ではありませんが、発光が強力で発光時間も長いためマルチカメラ、ドラム式フレーミングカメラ、イメージコンバータカメラなどの記録枚数が少ない高速度カメラ用の連続光源として使用されています。
 
 
■ キセノンフラッシュの発光原理
 
 
(参考文献:Electronic Flash Strobe edited by Harold E. Edgerton)
 
上図は、基本的なキセノンフラッシュの回路図です。
フラッシュランプは真空管であり、チューブ内の両極に電極が配備されています。チューブ内には1/10気圧程度のキセノンガスが封入されています。
放電発光を促す関係上、ランプの両極(アノード→カソード)間には高圧がかかります。
放電とは、絶縁破壊(ブレークダウン)によって電気が流れる現象を言います。したがって、バッテリもしくは直流電源は放電を起こすに足るだけの電圧(E)を加えなければなりません。
充電電圧(E)は、250V〜500V程度の電圧が必要です。
昔は、実際に高圧バッテリーを作っていたようですが、最近はDC-DCインバータを使って6Vの乾電池からこの電圧まで昇圧させます。
この電圧で( Rc)の抵抗を介してコンデンサCに電圧が蓄えられます。
充電抵抗(Rc)を小さくすれば速く充電できる反面、コンデンサーに大量の電流が流れ込むためタフなコンデンサーを用意しなければなりません。
充電電圧(E)で蓄えられたコンデンサ(C)の電気量がランプ入力エネルギーとなります。エネルギー量は以下の式で表されます。
 
     ランプ入力エネルギー = CE2/2  ・・・(Light96)
        C: コンデンサの容量(F、ファラッド)
        E: コンデンサに印加する電圧
 
電源の電圧ではランプの放電を起こすだけの力がないので、別の電気回路でキセノンガスにトリガ(高圧パルス)をかけ、ランプ放電を起こしやすくします。
これがトリガ電極というもので、コンデンサ(C1)に貯められた電荷をトリガスイッチを閉じることによってトリガコイル(T)に流し、このコイルで昇圧された電圧がランプの周りを覆うようにして流れ、ランプ内のキセノンをイオン化させて放電を起こしやすくします。
トリガコンデンサ(C1)に貯えられる電荷は、ガスを励起させるための目的ですからそれほど大きくなくて大丈夫です。
トリガコンデンサC1には、上図のR1とR2の抵抗比で分圧されたバッテリ電圧[E・R2/(R1 + R2)]で電気が貯えられます。
これがトリガスイッチ(X接点)を閉じることによって C1 のコンデンサが一気に放電され、スパークコイル(T)を昇圧させます。
トリガ電極にかかる電圧は5〜10KV程度です。
このトリガ電極だけでもキセノンは十分にイオン化します。
エジャートン博士の本には、トリガ電極だけでキセノン管のキセノンが励起されて光っている様子が写真入りで説明されています。
こうしてフラッシュチューブ内のイオン化されたキセノンガスは抵抗が低くなるため、メインコンデンサ(C)から蓄えられた電気が流れるようになり、放電が起きるようになります。
キセノンガスの放電は、キセノンガス圧、放電管距離、放電電圧、ガス温度によって特性が変わってきます。
放電が起きている時のガスの電気抵抗は一般に数オーム(Ω)です。
 
以下にキセノンフラッシュの発光特性を示します。
基本的に、メインコンデンサ(C)の容量が大きいほど電気エネルギーを多く蓄えるので発光エネルギーも大きくなります。
発光エネルギーが大きくなると一般的に発光時間、発光強度とも大きくなります。
したがって短時間発光をしたい場合には、コンデンサ容量の小さいものを使う必要があります。
キセノンフラッシュの発光は、立ち上がりが10μ秒〜30μ秒になっている反面、発光の収れんは100μ秒以上と長くなっています。(以下の発光特性曲線参考。)
これは発光時に高温になったキセノンガスが冷えずに放電が終わった後も発光を続けているためです。
このためキセノンフラッシュは左右非対称の山形の発光となります。
キセノンフラッシュの発光時間はピーク発光の半分の値での発光時間(半値巾発光時間)で言い表しています。
こうした山型のしかも発光が尾をひくキセノンフラッシュでは時に画像の画ブレを確認することがあります。
 
 
 
■ ストロボの明るさの単位
上でも述べましたように、ストロボの明るさと性能の目安は以下に要約できます。
 
● 入力エネルギー(J = ジュール)
入力エネルギーは、CE2/2 で定義されます。
ストロボバルブが高圧、高電流に耐えられるならば、入力エネルギーが高いほど、キセノンフラッシュランプは明るく光ります。
電気エネルギーが大きいと熱エネルギーも多くなり発光時間も長くなります。
実際の所、熱容量が小さいキセノンと言えども高圧をかけられるとガスはプラズマとなって発光し、コンデンサに蓄えた充電電圧が下がっても、ランプ内部の温度が下がらず発光は弱いながらも尾を引いて続きます。
また、入力エネルギーが高いランプは総じて放電距離(電極間距離)が大きく、大きなランプとなります。
 
● 発光時間(秒、ミリ秒、マイクロ秒、ナノ秒)
ストロボの特徴は、発光時間にあります。発光時間は、100nsから10msまでいろいろな発光を持つストロボが開発されています。
ここで言う発光時間とは、発光時間すべてを言うのではなく、ストロボのピーク発光の半分の発光輝度を持つ時間(半値巾時間)を言います。 (上図発光特性参考)
従って、実際の発光は、カタログ値で述べられている時間よりも2〜3倍程度長く発光しています。
しかし、オートカットオフ機能をもったストロボでは発光の途中で、電気回路によってランプに流す電気を強制的にカットオフし、グランドに落とすものがあります。
このようなストロボは、発光は短い発光となります。35mmスティルカメラ用で販売しているオートストロボなどは、ストロボに光量を検知するフォトダイオードが組み込まれていて、全光量の1/2、1/4、1/8、1/16になると発光を止める機能があります。
この機能を使うと、尾を引いた発光部分がカットされ発光時間が短くなります。
 
● 発光間隔(Hz、サイクル)
ストロボの大きな特徴に多重発光があります。 (右写真は、Andrew Davidhazy博士の多重露光撮影。)
1秒間に10回以上の発光を行うと、速い動きの被写体が多重露光されて浮き上がって見えたり、回転運動体などをタイミング良く発光させると回転体があたかも止まっているように見えます。
キセノンランプにたくさんの繰り返し発光をさせるには、
  ・充電コンデンサが充電・放電を繰り返すに耐える性能を持っていること
  ・速く放電し、速く充電できる回路とランプ性能であること
  ・たくさん発光しても壊れないランプであること、
等の性能が求められます。
キセノンストロボの発光周波数は200Hzが限界と言われています。
高速度ビデオ用に開発したストロボには500Hz、1000Hz用のものがあります。
また、特殊なもので100,000Hzの発光をするストロボが、ドイツのインパルスフィジック社の手により戦後開発されストロボキンという商品名で市販化されました。(1960年代)
これはしかし、連続で長時間の発光は難しく、20発程度の限られた発光回数を持つものでした。
電源部は大型ラックに設えられた大型のもので、ランプも大型のものでした。
この種のキセノンフラッシュ装置は、主に航空工学の衝撃波の研究や、翼の流体研究に使われました。
 
● G.N.(ガイドナンバー)
ガイドナンバーは、ストロボの発光量を撮影条件の観点から数値化した値です。
ストロボの光量をレンズの絞り(Fナンバー)と照射距離(m = メートル)の積で表したものです。
つまり、G.N.30をもつストロボは、照射距離7.5mの距離で絞りF4の設定で適正露光が得られます。
(30 = 7.5 x 4)
照射距離を3.8mと近づけるとレンズ絞りはF8にすることができる計算も成り立ちます。
(30 = 3.8 x 8)
ガイドナンバーの関係式を以下に示します。
 
     G.N. = F x D  ・・・(Light97)
       F:レンズ絞り
       D:ストロボ照射距離(m)
 
ガイドナンバーは、明るさが距離の二乗に比例して暗くなると言う法則を前提としています。
従って、この法則は点光源が前提ですので、点光源でないストロボの近距離撮影(2m以下)では満足しなくなります。
また、G.N.はフィルム感度がISO100の時の値で示されていることが多いので、フィルム感度がISO200になるときには値を1.4倍に、ISO400になるときには2倍にする必要があります。
 
     G.N. = F x D x √(100/ISO)  ・・・(Light98)
       ISO:フィルム感度   
 
● BCPS、CPS(Beam Candela per Seconds、Candela per Seconds)
古いストロボのカタログを見ますと、BCPS、CPSのような値が出てきます。
これはBeam Candela /seconds、Candela / Secondsと言う光の単位で、ストロボの発光量全体をカンデラで表した値です。
これらの数値は、ストロボメーカが自社で測光器を使って測定し出荷していました。
ユーザはこの値を見て適切な露光条件を決めていました。
今はガイドナンバーに置き換えられてあまり使われなくなりました。
BCPSは反射鏡などを含めた総合的な値で、CPSはランプの裸の値です。BCPS/CPSの比が反射鏡の効率値を示します。
ちなみに、このBCPSとガイドナンバーには以下の関係式があります。
 
     G.N. = √(BCPS x ISO / C)  ・・・(Light99)
       ISO:フィルム感度
       C:定数(160〜270)
 
 
ストロボは電気的な応答がよく、短時間発光するので高速で推移する対象物
を静止させて撮影することができる。
上の図は、ストロボを光源としてカメラ同期撮影するレイアウト。
 
 
 
 
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閃光電球(Flash bulb)(2002.11.12)
 
閃光電球(Flash bulb)は、キセノンフラッシュ(ストロボ)が安価に安定供給される以前の1930年代〜1970年代に使用されていた瞬間光源で、マグネシウム光源(Flash powder)を使いやすくしたものです。
マグネシウム光源は、1960年代、街の写真屋さんが入学式とか卒業式などの集合写真を撮る時に、4 x 5版カメラをセッティングして屋内で撮影する際に使っていました。
マグネシウムをたくと、カメラシャッタ音と共に「シュボッ」という音を発して、目映い閃光と共にマグネシウム煙がモヤモヤと立ち上ったのを記憶しています。
今はこのような光源を使う写真屋さんはいないでしょう。私が、最後にマグネシウム光源を見たのは、実姉の大学卒業式の集合写真撮影現場に居合わせたときです。1977年のことです。
今の写真屋さんは、少々重くても大型のストロボ装置を運び込み、アンブレラ反射鏡にストロボ灯具をセットして撮影しています。
マグネシウム光源は危険で、その上発煙を伴います。
それに発光のためのマグネシウム量のさじ加減も難しく、アマチュアが使いこなせる代物ではありませんでした。
こうした人工光源を使いやすくする工夫が1880年代から進められて、1932年に実用に堪える閃光電球(フラッシュバルブ)が完成しました。
私が小学生の頃(1960年代)、学芸会などで壇上に上がった我々の演技をカメラ好きの近所のアマチュアカメラマンがこのフラッシュバルブを使って決定的瞬間を撮ってくれました。

当時、アルバムに貼られたいろいろな写真を眺めると、写真のほとんどが動きのない集合写真であるのに対し、閃光電球と長焦点距離レンズを使った学芸会の写真は、暗い場内にありながら一条の閃光と共に遠くの距離から壇上の演技を射止め、イキイキとした画像に収めていました。
当時、子供ながらにその写真を見て閃光電球の威力はすごいなと思ったものでした。
しかし、このフラッシュバルブは使い捨てであり、当時高価なものであったと記憶しています。
1個50円〜100円程度であったでしょうか。今のお金にすると300円〜600円/個に相当します。
当時は、カメラを持つ家庭が少なく、フィルムもプリント代もソコソコ高価であったため、銀塩に記録された舞台上で躍動する子ども達の写真は大切な記念となりました。
このフラッシュバルブも1970年代になるとキセノンストロボ技術が進んで安価なストロボ装置が出回るようになり、また、オートフォーカス、自動露出機構などとともにカメラの中に組み込まれるようになるとその役割が薄れていきました。
フラッシュバルブの形状は、タングステンランプを小型にしたような形をしています。
しかしながら、その性質はかなり異なっています。
フラッシュバルブは短時間発光とは言うものの、その発光時間は数十ミリ〜数秒と、キセノンフラッシュ光源に比べ桁違いに長い発光をします。
また、発光と同時に内部の発光剤が酸化剤と反応して燃え尽きてしまうため二度と発光はしません。
タングステンランプが、フィラメントが燃え尽きないように不活性ガスを入れたり高温に耐えるフィラメントを使っているのに対し、フラッシュバルブは全く逆で、素早く発光してそして強く燃え尽きることを前提としています。
発光剤はアルミ箔やマグネシウム、ジルコニウムでできていて、これに酸化剤(過塩素酸カリ、酸化鉛)を加えてバルブに封入されています。
バルブの中には点火用のフィラメントが入っていて3〜6V程度の電圧でフィラメントを加熱させて、発光剤に着火させます。
 
■ 閃光電球の歴史
フラッシュバルブはこれまでいろいろなタイプが製作されました。 
フラッシュバルブ開発の試みは1880年からあったと言われています。
銀塩感光材料が発明されて50年後にこの光源のアイデアができたことになります。
また、この時期は、エジソンが炭素繊維ランプを発明した時期でもありました。
電気も十分に整備されていない時代にフラッシュバルブが開発された動機というのは、鉱山の照明用のニーズがあったと言われています。
この時期、ライムライトやマグネシウムパウダー光源はありましたが、閉塞された空間という問題と、粉塵爆発やガス爆発を誘発する危険があったので、これらの照明装置を使うのはとても危険でした。
酸素を封入してガラスで覆われたフラッシュバルブは携行に便利で取扱が楽だったのです。
フラッシュバルブを最初に考案したのはJohn McClellanという人だそうです。
彼はマグネシウム金属を酸素と一緒にガラス球の中に入れて燃やす電球を考えました。
1880年代のことです。
しかし、これは失敗に終わりました。
1893年には、英国のThomas Bolasという人によって炭坑内の写真を撮るための発光電球として、アルミ片を酸素と一緒に入れて発光させる試みがなされます。
また、同時期、フランスのChauffourがマグネシウムと圧力封入した酸素で発光する写真撮影用電球を作りました。
しかし、これらはみな試験的な領域を出ず、実用化になるには1925年まで待たなくてはなりませんでした。
フラッシュバルブを現在の形に仕上げたのはオーストリア人のPaul Vierkotter(ポール・フィールコッタ)であったと言われ、1925年の事だそうです。
彼は、マグネシウムをワイアにコーティングしてガラスバルブの中に入れた閃光電球を作ったそうです。
これは後に改良されてアルミフォイルに置き換えられ、これを低圧の酸素ガスを封入したガラスバルブに入れました。
マグネシウムをアルミに替えたのは安価だったからです。
1930年、ドイツのヨハン・オスターマイヤー(Johannes Ostermeier)が特許を取得し市販化に踏み切り『Vacublitz』という商品名で売り出しました。
1932年には、英国のGEC社が『Sashalite』という商品名で大々的に売り出しました。
Sashaliteは、これを発明したSasha氏にちなんでつけられたそうです。
このランプは、封入ガスを100%酸素ガスにし、ガラス球に入れたアルミフォイルを発火させるものでした。
フラッシュバルブはキセノンフラッシュが安価に出回るまでの1970年代までの40年間、カメラ用簡易光源として重大な役割を担いました。1920年代〜1950年代を扱ったハリウッド映画を見ると、閃光電球を取り付けたプレスカメラで報道写真家が写真を撮っている場面をよく見ます。2005年にアカデミー賞を取った「Aviator」という映画では、主人公がマスコミに取り囲まれてたくさんの写真が撮られるシーンがあり、撮影に使われた閃光電球が床に捨てられるため皆が歩くたびに捨てられた閃光電球がグシャリグシャリと音を立て割れていました。そのぐらい閃光電球はたくさん使われていたということです。
 
■ 閃光電球の発光
フラッシュバルブは、キセノンストロボと違い点火から発光輝度が最大になるまでに10ミリ秒以上の遅れを持っています(キセノンストロボは80us程度の遅れがあります)。
コマーシャル・アマチュアフォト用のカメラ(35ミリフィルムを使ったライカサイズカメラ)に使われているフォーカルプレーンシャッタは、シャッタが全開するまでに15ms程度の遅れを生じるため、フラッシュバルブをシャッタと連動して同一タイミングで発光させて撮影を行うには時間的同期をとる機構が必要です。
フラッシュバルブは、発光の遅れと発光時間に応じて、
 
・Fクラス (発火のタイムラグ5-10ms)
・Mクラス (発火のタイムラグ20ms)
・Sクラス (発火のタイムラグ30ms、発光時間20ms)
・FPクラス (発火のタイムラグ10ms、発光時間30ms)
 
などが規格化されました。
従って、これらのフラッシュバルブを使うときはクラスに応じた接点(M接点、FP接点)を用いて同期発光させなければなりませんでした。
 
【カメラシャッタについて】
カメラレンズには、レンズシャッタとフォーカルプレーンシャッタがあります。
フォーカルプレーンシャッタというのは、35mmライカサイズのカメラに多く採用されているもので、フィルム面の直前(フォーカルプレーン)に配置されたシャッタ機構です。
このシャッタは、先幕と後幕の2枚の幕シャッタで構成されていて、この二つの幕が時間がずれて走行することにより、二つの幕に間隙ができその間隙の巾と時間でフィルム面への露光が決まるというものです。
従って、1/500秒のシャッタをフォーカルプレーンシャッタで切る場合には、両者の幕は狭いスリット(間隙)を形成しながら走ることになり、フィルム面を幕で全開にすることはありません。
反面、遅いシャッタ速度の場合、例えば1/60秒以下では、先幕が走った後に後幕が走るタイミングとなり幕が全開になるタイミングがあります。
ストロボ発光は、シャッタが全開になったタイミングで発光しないとシャッタによるケラレが生じますから『X接点』という接点信号を利用してストロボ発光を促します。
閃光電球(フラッシュバルブ)の場合は、閃光電球が発光し始めてピークに達するまでに10ミリ秒から20ミリ秒(1/100秒〜1/50秒)かかるため、シャッタが走る前に発火信号を与えてその後シャッタが開くようにしなければなりません。
それが『M接点』、もしくは『FP接点』と呼ばれるものです。
フォーカルプレーンシャッタは、横方向に走る方式のものと縦方向に走る方式があります。縦方向に走る方式のものは、走る距離が近いので高速でシャッタを走らせることができシャッタを全開にするタイミングをとりやすいため、『X接点』が1/250秒で同期できるシャッタも開発されています。
 
 レンズシャッタというのは、レンズ鏡筒内に内蔵されているシャッタ(フィルム面ではありません)で、4x5判のカメラや6x9判カメラ、ハッセルブラッドカメラ用レンズに取り付けられているシャッタです。
イメージフォーマットが大きいカメラではフォーカルプレーンが大きくなりすぎシャッタ精度や耐久性が問題となるためレンズシャッタが主流になっています。
レンズシャッタは、通常レンズ絞りの位置に配置された5枚羽根で、花びらが開くようにシャッタ羽根が開いて閉じるものです。
構造が複雑であるため高速化が難しく1/500秒が限度です。
ただしこのレンズは絞りの位置でシャッタが開くため開閉のどの段階でもフィルム面全域に光が届き、どのシャッタ速度でも必ず全開するタイミングがあるためストロボとの同期撮影ではシャッタ速度による制約はありません。
 
 
カメラ用のフラッシュバルブは以下のものが市販されていました。
 
【FP級】フォーカルプレーンシャッター用。発光持続時間30ms
【MF級】レンズシャッター機用。
    小型フラッシュバルブで、スイッチインしてから最大光量に達する
    までに約15msかかる。発光持続時間約15ms。
【M級】レンズシャッター機用。スイッチインしてから最大光量に達するまで
    に約20msかかる。発光持続時間約15ms
 
上のグラフからわかるように閃光電球は発光までの時間が1/100秒から1/50秒と遅く、発光時間も1/100秒から1/50秒とそれほど短くないことがわかります。
しかし、光量はかなり大きく広い範囲を照射したいときには便利な光源と言えます。
 
 
 
長時間閃光電球(Flood Flash Bulb) (2002.11.04)
下の写真に示す長時間閃光電球は、上に述べた閃光電球を踏襲するものですが、光量が大きく、長時間の発光ができる特徴があります。
長時間発光することから「フラッシュペインティングライト」とも呼ばれていました。
洞窟や大きな室内での撮影などで、撮影助手がこのバルブを大きく振り回して、発光した光を対象物に塗って撮影していました。
長時間閃光電球は光量が大きく、3メートル離れた距離でも8m x 8mのエリアを1,200ルクスの明るさで照射することが可能です。
洞窟写真家は、100m x 100m x 100n程度の洞窟内空間を広角レンズ付きカメラと複数のフラッシュバルブを使って撮影を行っています。
光量は140,000ルーメン/秒が確保できるため、1.75kW相当のHMIランプ(メタルハライドランプ)に相当します。
このランプは100Wクラスの白熱電球並の大きさでコンパクトであり、発光のための電源は乾電池(3V〜45V)を印加するだけでよいため場所の狭い限られたスペースでの使用に向いています。
この高輝度ランプを高速度カメラに流用することができます。
下図に示すアイルランドMeggaflash社の長時間閃光電球PF-330は、1.5秒間の発光がおこなえます。
この発光時間内で、Redlake MASD社の高速度カメラモデルHG2000を使って撮影すると、2,000コマ/秒、露出時間60マイクロ秒、レンズ絞りF5.6の条件で、照射距離1m、照射エリアφ80cmを確保できます。
また、ナックハイスピードビデオカメラMEMRECAM Ciでは、2000コマ/秒、1/6000秒(167マイクロ秒)の露出でレンズ絞りF5.6として同じ照射エリアで撮影できます。
照射距離を2mに延ばしてして照射エリアをφ1.6mとしても、絞りF2.8で撮影できるだけの光量が確保できます。
長時間閃光電球は、1986年まで米国GTE Sylvania社でFF-33という製品名で販売されていました。
Meggaflash社のPF330は同一性能製品です。
この製品は、1986年米国Sylvania社が同国のEG&G社に製造権を委譲しアイルランド工場で製造をつづけていたものを、1995年、Meggaflash社が製造権を引き継いで製造を続けているものです。
 
【Megga-flash Bulbs(Meggaflash Technologies Ltd社製)仕様】
・モデル名: PF330
・タイプ: Flood Flash (大光量フラッシュ)
・発光時間: 1.7秒
・着火遅れ: 50ms
・光量(定格): 140,000ルーメン・秒
・色温度: 3800K
・BC パワー(最小): 10MWS
・バブルタイプ: A-23
・ベースタイプ: Med Screw #102 (通常のエジソン口金)
・着火電圧: 4.5V - 45V
・必要電流: 3A
・寸法: φ72mm ×151mm(L)
・重量: 200g以下
 
  
長時間閃光電球 左:発光前、右:発光後
.
 
 
Meggaflash PF310 閃光電球でとらえた4,800ft/s(5.3km/s、音速4.3)のロケットスレッドテスト写真
Meggaflash社/米国Sandia National Labs提供 
 
 
 
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メタルハライドランプ (2002.09.10追記)
メタルハライドランプは水銀放電灯の一種です。
最近ではHIDランプ(High Intensity Dischargeランプ)の代名詞にまで成長しました。
メタルハライドランプは、水銀灯の効率の良さを保ちながら水銀ランプの発光管内にハロゲン化金属(TII、SnI2、NaI、InI、DyI3等)を封入し、演色性(えんしょくせい)を改善したランプです。
 
演色性(Color Rendering)とは光源を当てて物体を見る場合の自然な色合いの度合いを指し、太陽光に近い光源が演色性が良いと言います。
もっとも太陽光も緯度、日時、季節によって色合いが変わるため、演色性を測るには、白色塗装電球を作りこれを演色性100の光源としてそれぞれの光源の値を測定します。
100に近い値を持つ光源ほど演色性が良いことになります。
ちなみに水銀ランプは41、ナトリウムランプは63、通常の蛍光灯は65、演色性の良い蛍光灯は90、メタルハライドランプは90です。
 
メタルハライドランプの開発は1959年に米国のGE社で始められました。この開発の中心人物が、GE社 Schenectaday Research Lab(スケネクタディ研究所)レイリング(Gilbert H. Reiling)でした。彼は、水銀ランプの発光管の中にナトリウム、タリウムおよびインジウムのヨウ化物添加封入したところ、ランプ寿命を損なうことなく光色や演色性が双方とも大幅に向上することを発見し、1961年に特許を取得し1962年に発売を始めました。
メタルハライドランプの原型は水銀灯なのです。
 
水銀ランプの演色性を改善する試みは1930年頃から行われ、発光管内に水銀の他にカドミウム(Cd)や亜鉛(Zn)など蒸気圧の高い金属を添加封入しそれら金属の発光スペクトルを利用することが試みられていました。
しかし金属蒸気を安定させるためには高温が必要で、それに耐えられる発光管の開発が当時の技術では難しく難航していました。
発光管としての石英ガラスは摂氏1,000度が限界であり、この温度では金属蒸気を安定させて光を取り出すことが困難だったのです。
また、ナトリウムは高温で石英を急速に浸食させるのでそのままの形で使用することは不可能でした。
これらの問題を解決したのがレイリング(Reiling)であり、彼は金属をハロゲン化合物として封入することにより、温度が低くなる発光管壁近くでの金属がハロゲン化合物として存在するようになるため、石英管が金属蒸気から侵されるのを防ぐことを発見しました。
このハロゲン化合物の金属を水銀灯に封入することにより実用化の目途がたったのです。
発光管内のハロゲン化金属は、電極間のアーク中心部の約5,000Kの高温場で金属原子とハロゲンに解離して金属特有のスペクトルを放射するようになり、管壁近傍で再びハロゲンと結合してハロゲン金属となります。
メタルハライドランプは、250W程度の小型ランプから18kW程度の大きなものまであり、液晶プロジェクタ用光源、映画撮影用照明装置、自動車安全実験高速度カメラ用照明装置(日産自動車安全実験設備)、スタジアム照明装置、自動車ヘッドランプ(HIDランプ)として近年急速に需要を増しています。
メタルハライドランプは演色性が極めて良いため、塗料の色合成の際の色を決めるための照明光源として用いられることもあります。
また、発光効率が80 lm/Wと高いため必要照度を得るための副次的な熱の発生が抑えられ、結果的にはランプの灯数、消費電力を抑えることができます。
 
■ 屋外競技場での照明装置
第17回冬季オリンピック(リメハンメル、ノルウェー、1994年)の開会式では北欧の夜を演出するために大型メタルハライドランプが活躍しました。
1998年の長野オリンピックにもメタルハライドランプがたくさん使われました。
特にボブスレー競技場では、スタート地点のスタートハウス3カ所とフィニッシュ後の計量棟に2.5kWランプ24灯、1.2kWランプ17灯、575Wランプ17灯が配置され、平均照度1,000ルクスが確保されました。
また、コースにはスポット的に12kWのランプが配置されました。
近年のサッカー熱に後押しされて、サッカー場もりっぱな照明設備が設置されつつあります。
ワールドサッカー開催に合わせて建設された日本の新しいサッカー場にはメタルハライドランプがふんだんに使われています。
興味あることは、従来の大形のランプ投光器から小型の投光器がたくさん横並びに配置されるようになったことです。
昔の競技場ではプレーヤの落とす影が4方向の強いものであるのに対し、最近のものは強い影が現れません。
それだけたくさんのライトを配置して無影にちかい照明をしているのです。
ピッチの明るさもかなり明るくなっています。
テレビで見ていると隅々まで光が回っているように見受けられます。
2004年秋に結成された楽天イーグルスのホームグランドの照明は、急造であったせいかあまり芳しいものではありません。
従来の大きなランプで照らすため、光の質が固く、なおかつグランドに注がれる絶対光量が足りません。
テレビで見ているとプレーヤの陰影が強く、顔の輪郭の影の部分が暗く沈んでしまいます。
なおかつ、ランプの演色性が悪いせいか、色合いがすこし赤みがかっています。選手の唇などは紫色に見えます。
あの色は水銀灯そのものです。
テレビで、楽天イーグルスのホーム球場の放送を見ているとレトロな感じを受けます。
 
 
■ HMIランプ
メタルハライドランプの別の言い方がHMIランプです。
メタルハライドランプの市販化はOSRAM(ドイツ)によってなされ、OSRAMではこれをHMIランプと呼んで一般的になりました。
つまり、HMIはドイツOSRAMの登録商標のランプであり、次の三つの頭文字を並べたものです。
 
H = 水銀 Hydrargyrum(ギリシャ語)
M = 中くらいのアーク長(Medium Length Arc)
I = ヨウ素化合物添加(Iodide additives)
 
ちなみにオランダフィリップス社では、同じメタルハライドランプをMSRランプ (Medium Source Rare Earth Lamps)と称して販売しています。
一般的にはHMIランプのほうが馴染みが深く一般名詞として使われています。
メタルハライドランプは、水銀灯の一種のため交流放電で、そのため蛍光灯のようにフリッカが出やすい特性を持っています。
直流点灯はできないのです。
その理由は、蛍光灯と同じで放電灯の負荷特性によります。
近年フリッカ(蛍光灯、交流放電灯に見られる発光のチラツキ)のでない電源(バラスト)が開発されほとんどのランプがこれを採用しました。
フリッカフリーバラストは、基本的には交流電源をランプに供給するのですが波形がサイン波ではなく矩形波にしているため放電が瞬時に切り替わり、見た目には(フォトダイオードで測定しても)連続点灯しているように見えます
メタルハライドランプは点灯に高圧を必要とし封入された金属が蒸気になるまで時間がかかります(通常2-3分程度)。
それに加え点灯後に再度点灯する際、安定化電源(バラスト)によっては再点灯に時間がかかるものがあります。
メタルハライドランプは放電灯であるため放電ギャップを利用した応用(シュリーレン点光源)が考えられますが、放電管が高圧放電で紫外線も出すことから放電管をランプハウスで覆い、紫外線カット用保護ガラスを着用して使用しなければなりません。
このため点光源で使われることはなく面光源の性質が強い光源となっています。
1,000 luxから100,000 luxまでの広域照明に適しています。こうした応用でのメタルハライドランプは、575Wから12kW程度までの大出力ランプがメインであり、金属蒸気を熱するには小型ランプは難しい問題があったのかも知れません。
しかし最近になって液晶プロジェクタ用のランプにメタルハライドランプの性能が注目されるようになったり自動車用ヘッドランプでも有効性が認められるようになり、35Wから250Wクラスの小型ランプが開発されるようになって来ています。
 
【屋外スポーツの照明】
スポーツが盛んになり、ナイター設備も充実してきました。
テレビ中継もさかんに行われるようになって明るさと演色性が照明設備の重要な要素となりメタルハライドランプが注目され使われるようになってきました。
ナイター設備のある競技場はどのくらいの明るさでグランドが照明されているかというとプロ野球ではピッチャーズマウンドとバッタボックス、内野が3000ルクスで照明され、外野は1500ルクス程度になっています。
サッカーはプロ野球球場よりは暗く500ルクス程度です。
テレビでみるとサッカー場は若干暗く見えるのもうなずける感じです。
しかしワールドサッカーが行われた新しいスタジアムではかなり明るい照明設備が導入され、高速度カメラを使った撮影でも十分にきれいな画像を提供していました。2002年日本と韓国で行われたワールドサッカーは、最新のスタジアムがお目見えしピッチの芝生と選手のプレーをメタルハライドランプが鮮やかなに写し出し色を添えました。
最新のスタジアムの照明では、従来大出力ランプを使っていたのをやめて小型ランプを多数配置して柔らかな配光を施す設計になっています。
選手がピッチに落とす陰が柔らかく、従来の4つの影を落としていた照明とは随分と趣が違い選手にとってもプレーしやすい照明設備となっていると思います。
スタジアムの照明設備は、プレーヤの視野に入らないように、また観客の視野に入らないように、そしてまたプレーヤの影を濃く落とさないように、複数の角度から、そして高い位置から照明するのが一般的です。
 
 車載用小型耐Gメタルハライドランプ。
ランプ(右)とバラスト(左)
バラストはフリッカフリー、AC100VとDC28V〜36V使用できる。
 
 
 
【自動車ヘッドランプ】 (2004.09.29追記)
自動車のヘッドランプは、従来、白熱電球(タングステンランプ及びハロゲンランプ)が主流でした。
近年になってメタルハライドランプを中心とするHIDランプが高級車種に使われだしてきています。
白い色で強い光を出しているヘッドランプはたいていHIDランプです。
国産車では、1996年にトヨタのマークIIツアラに初めて搭載され、以後徐々に搭載される車種が増えてきました。
世界で最初にHIDヘッドランプを搭載したのは、1991年ドイツのBMW7シリーズと言われています。
HIDランプの中にキセノンガスを封入しているためキセノンランプとも呼ばれていますが、学術的、原理的にはメタルハライドランプに属します。
HIDランプは、High Intnsity Discharge ランプの略で高圧放電灯を意味します。
従って、水銀灯、メタルハライドランプ、ナトリウムランプなどは高電圧による放電灯であるため、すべてHIDランプのカテゴリに入ります。
HIDランプは、ランプ形状を堅牢にする必要があり電源装置も大掛かりであったため、工場の照明設備とか屋外の球技施設の照明、道路照明などに使われていました。
それが、高圧放電灯そのものと電源装置がコンパクトになり、しかも安価に作れるようになったため、自動車ヘッドランプに使われるようになったと考えられます。
HIDランプは、元来発光効率が白熱電球よりも良く、構造が堅牢で耐久性も良いことが認められていました。
HIDランプは、白熱電球に比べ光量で2-3倍、寿命が2倍、消費電力は40%減という魅力的なものでした。
しかし、白熱電球に比べてコストが高く、点灯に際して専用の始動回路(バラスト)が必要でした。自動車ヘッドランプとして注目されるようになったのは、一に明るいこと、次に消費電力を食わないこと、三に構造上耐久性に優れていることでした。
後はコストとのトレードオフでした。
HIDランプを自動車のヘッドランプに使おうと最初に考えたのはヨーロッパだそうです。
夜間の交通事故が昼間よりも2倍も多く、その大きな理由が暗さ故の視認性の悪さで、そうした事故を少しでも減らそうとヘッドランプの改善が熱心に討議され、HIDランプが注目されるようになりました。
HIDランプを使ったヘッドランプを作ろうとした彼らは、専門委員会を結成して1995年にはECE98と呼ばれるディスチャージヘッドランプ規格を策定し、BMW7シリーズ、ベンツEクラス、アウディA8に試験的な搭載がなされました。
今から14年も前のことです。
1996年にはECE99という規格が制定され、点灯後1秒で安定光束の25%、4秒後に80%にならなければならないことが定められました。
メタルハライドランプは水銀灯ですから点灯時間が遅いのが特徴なのですが、車のヘッドランプではこの特徴が命取りになりかねないため迅速に立ち上がるメタルハライドランプの開発を目指したのです。
この他、この規格には、以下の仕様が盛り込まれていました。
 
   ・定格電圧: 12VDC(乗用車のバッテリ電圧で使用)
   ・定格電力: 35W(乗用車のバッテリに負荷を与えない。現行のハロゲンランプの電力55Wを考慮)
   ・試験電圧: 13.5VDC(過電圧に対する安全性)
   ・ランプ電圧: 85V+/-17V(バラストでバッテリ電圧を昇圧して使用)
   ・ランプ電力: 35W+/-3W
   ・光束: 2800 +/-450 ルーメン 
   ・ホットスタートのOFF時間: 10秒(消灯から再度点灯までの待ち時間)
   ・光束立ち上がり: 25%以上(1秒後)、80%以上(4秒後)
 
点灯と消灯をくり返す自動車用のヘッドランプならではの規格があり、12VDCという制約の中で35Wという比較的小型のランプの開発がなされました。
上右の写真は車のHIDランプ(キセノンランプ)の単体で、中央の楕円形状がガスと金属粒、および水銀が充満している部分で、その両端が電極になっています。
左側の電極は、下側のステーの中を伝わって右側に出ています。
これに反射鏡、照射レンズ(前面ガラス)が組み上げられてランプとなります。
バラストはランプの近くに取り付けられています。
道路照明や映画撮影用に使われるメタルハライドランプにはキセノンガスが封入されていません。
しかし自動車用のヘッドランプにはハロゲン化金属の他にバッファガスとしてキセンノンガスが入っています。
なぜキセノンガスが使われているかと言うと、自動車用のHIDランプは点灯後速やかに明るさを確保しなければならないので、水銀やハロゲン化金属が溶けてガス化するまで待てず、点灯と同時に発光を行うキセノンを封入して初期発光を助けているのです。
メタルハライドランプは、2kVでランプ点灯をしますがキセノンガスはそれよりも高圧でないと発光しないので15kVの始動電圧をバラストで作っています。
点灯後、金属が溶けて本来のメタルハライドランプが機能して来た時点で電圧を下げキセノンガスの役割は発光の働きから熱を逃がすガスとしての役割を担うようになります。
 
2007年以降、LEDヘッドランプが市販化され急速に市場に出始めています。しかし、2017年時点では、輝度がまだ不十分でオプション設定で高価格です。(2007.04.20追記)
 
 
【イカ釣り漁船の集魚灯】 (2003.08.17記)
イカ釣りは夜行われます。
イカ釣り漁船には、たくさんの集魚灯が取り付けられています。
集魚灯に使われるランプは、メタルハライドランプや水銀灯、タングステンハロゲンランプなどで、青い色にイカが集まりやすいことから、高価であっても効率の良いメタルハライドランプが使われることが多いようです。
しかし、そのランプの消費電力はハンパでなく多く、1隻あたりの電灯の消費電力は180kWと言われています。
1kWのランプですと180灯を点灯していることになります。
これだけのランプを購入するのも大変なことながら、これを点灯させるための発電機も大変なものです。
この発電機を回すためのディーゼルエンジンも、500馬力程度が必要と思われます(180kWは馬力に換算すると250馬力なので、その倍くらいのディーゼルエンジンが必要)。
たくさんの化石燃料を消費することと、夜空に無駄に放射される集魚灯の公害からランプを発光ダイオードに置き換える試みもなされています。
香川大学の岡本研正教授は、青色高輝度発光ダイオードの効率よい発光に目をつけて、30,000個のLEDを取り付けた集魚灯を開発して、イカ漁の評価をされています。
集漁灯をLEDに換えると、消費電力が従来の1/250になり、夜空に無駄に放たれる光も抑えられるということです。
また、消費電力もさることながら、集魚灯がLEDになれば重さが軽くなりランプ自体も割れにくくて寿命も延びるので、メンテナンスコストは激減するでしょう。
 
LEDがイカ釣り集魚灯として有益だと言われて久しくなりますが、2017年時点の趨勢はどうでしょうか。(2017.11.28記)
 
 
■ 水銀キセノンランプ(Mercury Xenon Lamp)  (2005.08.25記)
このランプは、水銀ランプにキセノンガスを封入しキセノンランプの特徴と水銀ランプの特徴を合わせ持たせたランプです。
紫外線と可視光を利用する理化学分野の要求で生まれたランプです。
半導体製造分野や蛍光観察用、紫外線硬化用などの目的に使われます。
水銀灯は、紫外から可視光にわたる発光スペクトルとキセノンランプによる紫外から赤外までのスペクトルをあわせ持つため、非常にスペクトルレンジの広い発光が可能です。
水銀灯は点灯・再点灯に時間がかかるという不具合がありますが、キセノンを封入しているため瞬時の点灯が可能です。
また、メタルハライドランプでは交流点灯でしたが水銀キセノンランプでは直流点灯が可能です。
ランプは、50W〜5,000Wまであり、キセノンランプとほぼ同じ形状をしています。
点灯には、始動のための高電圧パルスが必要なため専用の電源を用います。
また紫外線もたくさん出ますので、皮膚や目に障害を起こしやすくなるため取扱いには十分な注意が必要です。
 
 
 
 
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ルミネセンス(Luminescence) (2000.10.30記)
 
熱放射以外で光を発光するものをルミネセンスといいます。
日本語では「蛍光」とか「燐光」と呼ばれています。蛍光と燐光の違いは、発光の継続時間によって使い分けられているようです。
ルミネセンスの種類としては、以下のものがあります。
 
■ エレクトロルミネセンス - 電界で刺激されて生じるルミネセンス(発光ダイオード、ELランプ)。
 
■ ホトルミネセンス - 蛍光灯。光子(X線、紫外線、可視光線)で励起して生じるルミネセンス。
            (タングステン酸カルシウム = CaWO4 の紫外線蛍光発光、X線で燐光発光)
 
■ 熱ルミネセンス - 物体を加熱させた場合、同温度の完全放射体より強い放射を生じる現象。
           (酸化亜鉛 = ZnO の青色発光、トリウムやセリウム酸化物の白色発光)
 
■ 焦ルミネセンス - いわゆる炎色反応。
           アルカリ金属、アルカリ土金属などの蒸発しやすい元素や塩基のガス炎での金属蒸気発光。
 
■ 陰極線ルミネセンス - テレビ(ブラウン管)の蛍光面。陰極線による蛍光体の発光。
 
■ 化学ルミネセンス - 化学反応による発光。黄りんの酸化発光。
 
■ 生物ルミネセンス - ほたる、発光魚類、ほたるイカ、発光バクテリア。
            (ほたる = ルシフェリン物質のルシフェラーゼ酵素の触媒で水と一緒に酸化して発光する現象)
 
■ 摩擦ルミネセンス - 結晶を砕くとき結晶格子の破損のために生じるルミネセンス。
            (氷砂糖の粉砕時青白い発光、火打ち石の発光)
 
これらの発光は熱を伴わないため効率の良い光を得ることができます。
しかし残念ながら我々日常の闇を照らす明かりとなるまでの高輝度の発光はできていないようです。
ルミネセンスは表示灯としての位置づけが強く、高速度カメラの照明装置としての位置づけは低い感じを受けます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
発光ダイオード (LED = Light Emitting Diode) (2005.04.02追記)(2015.07.07追記)(2017.05.08追記)
  
発光ダイオードについては、2010年12月にオーム社より「らくらく図解 発光ダイオードのしくみ」を発刊しています。
 
 
これまで紹介してきた光源は、ジュール熱を利用した発熱光源(タングステン電球)であったり、ガスを使ったグロー放電(蛍光灯)、もしくはアーク放電による発光ランプ(水銀灯、ナトリウムランプ)でした。
発光ダイオード(LED = Light Emitting Diode)は、全く新しいタイプの光源でトランジスタ技術の発達に伴い1968年に生み出されました。
従来の光源がバルブ形状をした真空管光源とすると、発光ダイオードは半導体光源(固体発光素子)と言えなくもありません。
固体素子の大きな特徴は耐久性が高いことです。
衝撃で壊れることがまれですから携行品に最適です。
また、小型化することが容易で消費電力も少なくてすみます。
ただし、LEDに限らず他の多くの固体素子について言えることですが、大型のものを作ることが苦手で、熱に対してデリケートであり比較的高価なのが欠点です。
それでも、固体素子化への流れは電気素子であるならばすべてのならいであり、光源もその流れに沿ってこうした時代が来たのだということが言えるでしょう。
 
 
■ 白熱電球と蛍光灯がLED電球に置き換わるとき
LED電球は、2009年になって白熱電球の形をした8.7WのLEDランプが登場しました。
このランプは白熱型60Wと同じ明るさの性能をもつもので、2009年12月時点での価格は9,500円でした。
2010年4月現在で5,200円程度になっています。
2015年7月時点では1600円です。
2017年5月時点では安価なもので1000円を切るまでになっています。
8年の間に1/10にまで価格が下がりました。
液晶テレビにも、画面を照らす光源に従来の蛍光灯からLEDに変わる製品が出されて市場を賑わし始めました。
LED光源が市民権を得て大きく花開いてきたと言えましょう。
ただ、LED電球の価格はまだ高価です。
白熱電球の60Wタイプは150円〜350円で購入できます。
自動車に使われているランプを見て見ると、高級車ほどLEDの採用率がたかくなっています。
自動車室内照明を始め、ブレーキランプや方向指示ランプなどLEDライトが多く使われています。
大光量を必要とするヘッドライトにもLEDが使われるようになりました。
けれどLEDヘッドライトは2015年現在も高価です。
 
■ 1日1時間程度の使用頻度の場合の場合(2009年時点)
消費電力量について従来の白熱電球とLED電球を比較してみます。
LED電球の消費電力は、同じ光量を持つ白熱電球の1/7倍です。両者の価格の差額分である9,150円( = 9,500 - 350)を回収するには、どのくらいの時間使用すれば良いでしょうか。
電力料金は、およそ20円@1 kW/h であるので、これで換算すると投資額9,150円は457.5 kW/h分の電力量に相当します。この電力量分はLED電球の点灯によって回収できる時間で言うと8,900時間となります。
白熱電球タイプは、家庭のお風呂場や洗面所、トイレや廊下などの使用が多いので1日1時間程度の使用と考えると、投資効果は、8,900日、すなわち24年後に現れることになります。
また、ランプの寿命も考慮に入れて投資効果を考えてみます。
白熱電球は、寿命が1,000時間と言われていますから、1日1時間の使用では3年程度に1回換える必要があります。我が家では6年間ぐらいで交換しています。従って、白熱電球の1,000時間の寿命を考えて3年毎に交換して電球代を加味したとして再計算をしてみると、LED電球に投資した金額は19年後まで回収できません。
一般的に投資効果は1年くらいで回収したいので、この観点からLED電球の価格を割り出してみると、720円くらいになれば白熱電球に置き換える価値が十分に出てきます。
白熱電球は、1年間に370円程度しか電気を使用していないのです。
使用時間が少ない目的の照明器具では、LEDの投資効果は低いと言えます。(2009年記述)
 
2015年7月時点で、LED電球は10Wの消費電力で60型として1600円相当で販売されています。
かなり安価になりました。
2017年5月時点では1000円程度になりました。この価格帯になれば投資効果は歴然です。
 
■ 居間での使用の場合(蛍光灯の比較)
LED電球と蛍光灯と比較してみましょう。
蛍光灯は消費電力が低く価格も比較的安価です。
広い面積を明るく照らすには蛍光灯がもっとも適当と思われます。
コンビニはたくさんの蛍光灯を使って店内を非常に明るく照らしています。
新幹線車内も相当明るい設備をしています。
このような大量の光量を必要とする空間にはLED電球はまだまだ高価だと言わざるをえません。
 
我が家の居間には、30Wクラスの蛍光灯を4灯、計116W( = 30 + 28 + 28 + 30)使用しています。
蛍光灯の明るさは、白熱電球の3倍あるので、居間で白熱電球を使うとすると348W分が必要です。
これをLED電球に変えると、8.7Wクラスのものが少なくとも6個必要です。
そうするとLED電球の値段は57,000円となります。
蛍光灯は4つで6,000円くらいですから、投資の差額は、51,000円です。
この差額を20円@1 kW/h の電力料金で換算すると2,550 kW/h分となります。
居間は一日平均10時間点灯していますから、8.7Wx6個 = 52Wの低電力量をもつ高価なLED電球を使ったとすると、蛍光灯価格との差額分の回収は、4,900日、つまり13.5年かかることになります。
ランプの交換を考慮してみます。
蛍光灯の寿命は6,000時間と言われているので、一日10時間の点灯する我が家の居間の蛍光灯は1.6年(1年7ヶ月)で交換することになります。
我が家は実際そのくらいの頻度で蛍光灯を交換しています。
この蛍光灯の交換費用を考慮すると、LED電球に置き換えた場合、4,521日、つまり12.4年をかけて投資した差額を回収できることになります。
 
この計算で検証するかぎり、家庭でLED電球を使っても投資効果が出るのが12年間以降になってしまうので、まだLED電球の値段が高すぎることがわかります。
1日中照明をつけているオフィスや工場などでは、LED電球の投資効果は高いと考えますが、家庭で使うにはまだ割高感があります。
家庭でLED光源に置き換わるためには、価格が1/3程度に下がる必要があると考えます。(2009年記述)
 
2015年、居間用の照明器具(シーリングライト)はLEDが中心で、量販店もこれらの照明器具を熱心に販売しています(右写真)。
これらの照明装置は10000円から40000円程度となっています。
LED照明は蛍光灯照明と違い、明るさを調整できたり、色合いを調整できたり部分照明や自動調光ができるようになっています。
こうした付加価値が従来の蛍光灯照明にはないので、少し効果でも時代の要求にもかなって販売が順調なのだろうと思っています。
 
2016年11月、我が家の居間に28.5Wのシーリングライト(右写真)を2基とりつけました。従来は、蛍光灯で、環型32型(30W)タイプと30型(28W)タイプの2灯が一つの灯具に入ったものが2式、合計4灯=116Wのものだったので、消費電力的には0.49倍、約半分になりました。フル点灯だと明るすぎるので半分程度の明るさにしているので消費電力は28.5W程度となります。

 

 
■ LED電球の投資価値
LED電球には投資金額と電力料金ばかりで換算することができない点があります。例えば以下の場合です。
● 交換がほとんどないので、お年寄りや電気器具の取り扱いの不得手な人には価値がある。
● 白熱電球に比べ発熱がないので、夏場の冷房費用を抑えることができる。
● 明るさを調整できる。色合いを調整できる。
● 電球が樹脂でできているため、ガラス電球に比べて割れにくく安全。
● 真空管電球でないため取り扱いが簡単。
● 蛍光灯に比べ水銀を使用していないため環境に優しい。
● 蛍光灯に比べUV(紫外光)を出さないので人体に優しく、家具や本、樹脂などを劣化させない。
● 蛍光灯に比べ冬場でもすぐに点灯する。蛍光灯電球は冬場では1分程度たたないと明るくならない。
● 蛍光灯に比べチラツキがない。
 
 
 
  
 
発光ダイオードイラストの提供
http://www.nanoelectronics.jp/index.htm
■ 発光ダイオード(LED)とは
発光ダイオードは、トランジスタの石そのものが光るものです。
従来の白熱電球や蛍光灯、メタルハライドランプが真空管(電子管)の一種とするなら、LEDは固体発光素子と言えるべきものです。
LEDが発明された当初の発光波長は赤外発光のみであり、人間の目には見えませんでした。
それが赤色領域まで拡げられ青色まで進化しました。
赤色発光が完成した当時のLEDは、発光輝度がそれほど高くなく、表示灯程度の使い道しか考えられませんでしたが、1880年代の終わりから高輝度LEDの開発が進み、発光色も緑、青、白色の発光ダイオードが開発されるまでになりました。
現在では、交通標識の信号ランプの代わりや交通渋滞を示す表示パネルに発光ダイオードが使われています。3Wや5Wという消費電力の非常に高い電球に変わるほどのLEDも開発されています。 
従来の白熱ランプに替えて発光ダイオード(LED)が使われるようになった理由は、消費電力が低くて耐久性が高いことが上げられます。
 
トランジスタ(半導体)がなぜ光を出すのかというのは難しい質問です。
私自身、いろいろな本を読んでみても、解説の内容が専門的すぎて良くわかりませんでした。ただ、むずかしい電子工学技術でも大変わかりやすく解説した良書があります。
白土義男氏(私は彼に私淑しています)の電子技術に関する単行本(日本放送協会から多数出版、「デジタル回路の手ほどき」、「IC利用工作のノウハウ」、「トランジスタ回路活用のポイント」等)は、非常にわかりやすくエレクトロニクス入門書としては出色の出来です。
これらの解説書をもとに、LEDの説明を要約すると次のようになります。
 
■発光ダイオードは半導体(固体素子):
発光ダイオードは、半導体ダイオードです。
ダイオード(Diode)そのものは、昔は、二極真空管の事を言っていました。
二極真空管は、英国のフレミング(John A. Fleming: 1849 - 1945)が発明しました。
フレミングは「フレミングの右手・左手の法則」で知られる有名な電気物理学者です。
面白いことに、フレミングはロンドン大学の教授を務める傍ら、エジソンの電灯会社の技術顧問をしていて、タングステン電球の改良に関わっていました。
1884年、その研究成果の一つとしてエジソン効果を発見します。
エジソン効果とは、フィラメント電球の中に別途電極を封入してフィラメントとの間に正の電圧を加えると、電極からフィラメントを通しては電流が流れるものの、逆の負の電圧を加えると電流が流れないという原理です。
これが後の二極真空管発明の種火となりました。
二極真空管が、電気を1方向にしか流さない弁作用を持った電気素子、ということから、英国では真空管のことを命名したフレミングにちなんでバルブ(Valve)と呼んでいます(電球の球根形状を表すBulbとは違います、流体を流す弁のバルブです)。
米国では、真空管の形状そのものを表すチューブ(Tube)と呼んでいるので、両国でその言い方に違いがあります。
フレミングが二極真空管を開発した背景には、彼は当時マルコーニの無線電信会社の技術顧問もしていて、性能のよい通信用の検波管開発の必要に迫られていました。
彼は、2年も前に関わったエジソン効果を思いだして、ダイオード(現在の固体ダイオードではありません、ニ極真空管です)の発明に漕ぎつけたのです。
実用的な検波管の発明は、1907年米国ウェスタン・エレクトリック社の技師ド・フォレストの三極真空管からです。
この三極真空管が、トランジスタの原型となりました。
ダイオードは、半導体素子の代名詞のように受け入れられがちですが、名前の由来は真空管なのです。
真空管の弁作用を持つものを半導体素子で作られるようになり、これがダイオードと名付けられて広く知れ渡りました。
 
■pn半導体接合を通過する電子:
半導体は、電気を良く流す材料と全く流さない材料の中間(電気抵抗率:2.3 x 103 Ω・m)の材料です。
そうした材料には、シリコン、ゲルマニウム、ガリウム、ヒ素などが知られています。
電気技術者たちは、これら半導体材料の物性を結晶レベルまで解明して正の電荷を持ちやすいp型半導体と電子(負の電荷)を持ちやすいn型半導体を作り上げました。
この性質の異なる二種類の半導体を結晶レベルで重ね合わせると、電気を通しにくいはずの半導体が p型結晶から n型結晶の一方向にだけ流れるようになります。
これが半導体素子のもっとも代表的な構造で、整流素子ダイオードと呼ばれるものです。
真空管のダイオード(電気を一方的に流す働きを持つ素子)機能が半導体でできるようになりました。
ただ、この半導体ダイオードに電気を流すには順方向に電圧を加えていってp型半導体を乗り越えてn型半導体まで到達できるだけの電位差が必要となります。
その電位差は、半導体素子によって異なります。
通常、この電圧は低い方が電気損失が少ないので、電位差(バンドギャップ)の低いゲルマニウムやシリコンが使われます。
その電位差は、0.6V〜1.4V程度となります。
しかし、電位差(バンドギャップ)が小さい半導体素子は、近赤外発光や可視光の発光が行えないため遠赤外域となります。
近赤外よりも短い発光を促すためには、少なくとも1.8Vから3.0Vのエネルギギャップを持つことが必要であり、
この点から、トランジスタで主流のシリコンやゲルマニウムによる半導体素子では十分な可視光発光を出すことができませんでした。
半導体素子の基本構造である半導体結晶の pn 接合間では、今述べた電位差ができていて、
電流が流れるとその接合間に 電圧 x 電流 = 電力 が消費されます。
これが、ダイオードをはじめトランジスタ、IC素子で問題となる熱損失です。
半導体は、自己発熱でいともたやすく結晶組織が破壊されてしまいます。
この熱損失こそが発光ダイオードの出発点なのです。
熱損失はとりもなおさず赤外放射です。
赤外発光をより近赤外に、そして可視光にするための半導体素子の開発が発光ダイオードの始まりなのです。
 
 
■Eg(バンドギャップ、禁制帯幅):
熱損失をもう少し厳密に言うと、シリコンを使ったトランジスタの発熱は雑音のような熱放出であり、発光ダイオードの発光は、電子の励起発光です。
半導体が励起発光を行うには、まず第一に pn 間のバンドギャップが大きい必要があります。そうした半導体材料である必要がありました。
それを可能にしたのがガリウムとヒ素を混ぜた半導体(ガリウムヒ素 = GaAs)です。その基板上に、pn 半導体を作って電流を流すことにより赤色発光が得られました。
また、ガリウムとリン(ガリウムリン = GaP)で黄色の発光が、そして窒化ガリウム(GaN)で青色発光が出るようになりました。
このように発光ダイオードは、赤外から赤、黄色、緑、青へと短波長側に進化していきました。
熱損失がそもそもの発光原理である半導体光源にとって、青色発光の出現は画期的な出来事でした。
熱発光からスタートした半導体光源が、電子によって励起され光を出すガリウム・リン、ガリウム・ヒ素などの半導体結晶を生み出し、量子発光を促す可視光源にまで進化したのです。
 上右の表は、発光を促す半導体材料と発光波長、発光材質の関係を示したものです。
この表は、東北大学を卒業され(財)半導体研究振興会、スタンレー技術研究所にお勤めの奥野保男氏が書かれた「発光ダイオード」の中に紹介されているものです。
発光ダイオードは、最初、ガリウムヒ素(GaAs)素材からスタートしました。
その素材は表の右上に位置しています。
この素材は、従来のシリコン半導体の比べてバンドギャップが1.43Vと高いために、860nmの近辺で波長の揃った光を放出することができました。
この発光は、電子の励起に起因するものです。結晶の中の電子が決められた準位でエネルギー放出を行うために、こうした特定の光が放出されるのです。
電子の励起エネルギーから直接に光が放出されることを、直接遷移型発光と言います。
この発光は、非常に効率良い発光です。
発光ダイオードでは、この直接遷移の他に間接遷移型発光があります。
間接遷移は、電子が光として放出されるのと同時に分子を振動させる熱・音エネルギー(フォノン = 格子振動と呼んでいる)を放出させます。
間接遷移型は、一般的に発光が弱く効率が悪いので、特別の不純物を導入し励起された電子をいったんこの不純物で束縛して、これから発光を促すエネルギーに変換させます。
黄色や緑の発光ダイオードは、間接遷移型であるガリウムリン(GaP)で作られています。
 
発光ダイオードの発光波長は、以下の式から求めることができます。
 
     λ = 1240 / Eg  ・・・(Light100)
         λ: 発光ダイオードの発光波長(nm)
         Eg: 半導体材料の禁制帯幅(eV)
 
上の式は、量子エネルギーの式から導かれます。
   
     hν = ΔE = Eg = c/λ  ・・・(Light101)
        h: プランクの定数
        ν: 光の振動数
        ΔE: キャリア再結合前後のエネルギ差(eV)
        Eg: 半導体材料の禁制帯幅(eV)
        c: 光速
        λ: 発光ダイオードの発光波長(nm)
 
この式によると、可視光(λ = 760nm 〜 380nm)を促す禁制帯幅Egは、1.63eVから3.26evが必要であるために、LEDの開発にあたってはこの範囲にある半導体結晶探しと、それを製造する手法の確立が重要な要素となりました。
ガリウムヒ素(GaAs)とガリウムリン(GaP)の二つの結晶の間に、それぞれをほどよく混ぜて結晶を作ることによって赤から緑にかけての発光が出るようになりました。
この発光ダイオードは、GaAs1-χPχという表記で言い表され、χが不純物を混入する度合いを示しています。こうした結晶を作る技術が、エピタキシャル成長技術と呼ばれているものです。
 
発光ダイオードの開発と同時に、半導体レーザの開発も急ピッチで進められました。
半導体レーザと発光ダイオードは、発光素子材料の点では共通点がたくさんあります。
ただし、半導体レーザは、放出される光が誘導放出でなければならないために、発振条件の整った形状を持たねばなりません。
こうした制約があるため、半導体レーザでは、発光半導体素子をダブルヘテロ構造にして「へき開」と呼ばれる端面処理を行って、レーザ発振を行っています。
半導体レーザの詳細は、レーザの項目を参照下さい。
 
 
■ 高輝度LED
日本のスタンレー社では、1980年代終わりに1000ミリカンデラを超す高輝度LEDの開発に成功させています。
このおかげで高輝度LEDを使ったペンライトや懐中電灯ができるようになりました。
また、最近(2005年)では、以下に述べるように、高輝度の白色LEDを5ヶ使った懐中ランプが市販されています。3Wの高輝度LEDを使った明るい懐中電灯(携行ランプ)も作られています。
こうした高輝度LEDの製品化により、興味ある光源がユーザの研究室レベルで簡単に、且つ安価にできるようになりました。
LEDの光源としての魅力は次の通りです。
 
【光源としてのLEDの魅力】
  (1) 小型堅牢
  (2) 低消費電力、低発熱量
  (3) 光量調整が安易
  (4) パルス発光が簡単(1us程度)
 
大久保忠著「光ファイバーの実験と工作」には、LEDの頭部に穴を開けて、その中に光ファイバーを差し込んで接着し、光ファイバのストロボ装置の作り方が書かれています。
   
LEDファイバーストロボ(顕微鏡照明用・インクジェット同期用に開発)
2ch出力、赤色発光、1us発光、10KHz、TTL信号同期

 

これを10個から20個程度製作して実験に利用したら、いろいろな使い方ができると考えます。
氏の本の中にはLEDと光ファイバの製作するにあたって、実際の製品名と特性が掲載されています。これらは、入手できるパーツばかりなので、この本を頼りに秋葉原か大阪日本橋に行けば手作り光源ができます。
この本で紹介されている高輝度LED(スタンレーH-2K、現在はH-3000Lと呼ばれる3000mcdのものが市販されています。ただし、現在=2002.08の段階は製造を中止している模様。)が、どれだけ高輝度であるのかを検討してみましょう。
H-2Kは、50mAの順電流を流したとき、λ=660nm(赤色)で2,000mcdの発光光度を得ます。
このLEDを10cmの距離から被写体を照らすと、
 
     2000x10-3 cd/(0.1 m)2 = 200 lux  ・・・(Light102)
        (改:2000.11.07 E.K.さんよりご指摘を受け訂正しました。)(2002.12.15再訂正)
 
の明るさを得ることができます。
さらに、パルス発振によってストロボのように使えば、LED内部発熱を抑えることができるので、300mAまで流すことができます。
この場合の想定照度は、約6倍の1,200luxとなり、照射距離を5cmまで近づければ5,000luxの明るさになります。
実際このLEDを白い紙に照射すると、非常にまぶしく、眼球光彩の絞り機能が働かず網膜にしばらく光源像が焼き付いているぐらいに明るく発光します。
このLEDは、指向性が強く照射角度が4°程度なので、
 
     2 x 100mm x tan 2°=φ7mm    ・・・(Light103)
 
という計算から、10cmの照射距離でφ7mm程度のエリアしか照射できません。
先に述べた光ファイバを挿入すれば、光ファイバーの開口数によりLEDの発光が拡がります。
照射角度が24°程度のファイバ(N.A.=0.20)を使うと、ファイバ端から100mmの照射距離で照射エリアφ40mmの大きさになります。
LEDの開発の歴史は、赤外発光から始まり、赤色、緑を経て青色領域にまで延びてきており、さらにフィラメントランプに置き換わるべく、高輝度化を目指しているようです。
近年、通情報標識にも高輝度LED(赤、橙、緑)が使われだし、乗用車のテールランプにも数十個のLEDアレイを埋め込んだランプの試作も発表されています。
ちなみに、発光ダイオードで有名なメーカーとしては、スタンレー、シャープ、東芝、ヒューレットパッカード、ローム、三洋、豊田合成、日亜化学、Luxeonなどがあります。スタンレー社は自動車ランプを得意としている会社で、東北大学名誉教授西澤潤一先生の指導のもと高輝度発光ダイオードの開発、市販化にいち早く名乗りを挙げた会社です。
日亜化学は、徳島の会社でブラウン管などに使われる蛍光材を製造し、発光ダイオードも製造していましたが、中村修二氏を開発チームとする青色発光ダイオードの開発にいち早く成功し、業界の大手となりました。
豊田合成は、トヨタ自動車の関連会社で樹脂成形品などを得意としていた会社でしたが、1985年に豊田中央研究所と名古屋大学名誉教授赤碕勇先生、それに科学技術振興機構の援助のもとで青色発光ダイオードの開発・市販化に成功し、発光ダイオードメーカの大手になりました。(2000 記)
 
 
 
【自動車のヘッドランプにLED】 (2009 記)(2017.11.28追記)
車のヘッドランプにもLEDが使われるようになりました。
2007年8月にドイツの Audi 社が発表したスポーツカー R8には、照明装備をすべてLEDにしたモデルがラインアップされています。
ヘッドランプにLEDを搭載したのはAudi R8が初めてです。
このヘッドライトユニットは、1灯のモジュール当たり、大小合わせたLEDが54個使われているそうです。
ハイビーム用には、4個1組のLEDアレイを2セット使い、ロービームには上下の配光用に2セット、左右の配光には2個1組のLEDアレイを3セット使っています。
方向指示器用に8個の黄色いLEDを使い、そしてランプ下部の隈取りに24個の小型LED(日中点灯用)を装備しています。
白熱電球(豆電球)は全く使っていないということです。こういう時代が来たのです。
(もっともこのフルLEDランプはオプション扱いで、58万円するそうです。)(2009記)
2017年ではLEDヘッドランプが一般的になって来ています。
LEDヘッドランプはオプション扱いで値段も高いけれど一般の自動車にもオプションで付けられるようになりました。
また、AudiとBMWは新世代のヘッドランプとしてLEDに替えた半導体レーザを使ったものを開発しています。
半導体レーザはLEDに比べ直進性が良いので光の到達能力に優れ配光光学設計を行いやすいという利点があります。
欠点は、白色レーザがないことと、コヒーレント光で見づらいこと、そして光のエネルギー密度が高く目に危険というデメリットもあります。
この欠点を克服するために、青色半導体レーザを黄色の蛍光体に照射させて白色にさせ、さらにインコヒーレント光学素子を使って散乱光に近い光を得ているものと思われます。
 
■ 青色発光ダイオード・白色発光ダイオード (2006.04.29追記)
青色発光ダイオードについて少し詳しく述べたいと思います。
青色発光ダイオードは、名古屋大学名誉教授(現・名城大学教授)赤碕勇先生(1929年1月30日〜)による指導と豊田中央研究所、科学振興財団機構の援助によって、1986年に(株)豊田合成が青色発光ダイオードの実用化に成功し、2000年以降、高輝度の青色発光ダイオード、白色ダイオードが市販化されるようになりました。
青色発光ダイオードは製造が難しく、「窒化ガリウム(GaN)を使ったダイオードは今世紀中には無理」とされていました。
赤碕勇先生は、名古屋大学工学部に教授として着任される前より松下技術研究所時代に青色発光ダイオードの研究を続けておられ、MIS(Metal Insulator Semiconductor)構造での窒化ガリウムによる青色発光を成功されています。
青色発光ダイオード開発の問題は、ダイオードの構造であり、半導体構造をMIS構造ではなくPN接合にした青色発光ダイオードの開発が望まれていました。MIS構造というのは、最近注目を集めているMOS(モス = Metal Oxiside Semiconductor)という半導体と同じ構造の金属酸化膜を利用した半導体のことで、金属→絶縁物(酸化膜が多い)→P型(もしくはN型)半導体という構造になっています。PN接合のようにP型とN型を同時に生成する必要がないので製造しやすい反面、発光ダイオードとしての応用範囲(例えば半導体レーザへの進展など)が限られてしまうという問題がありました。
ダイオードは、PN接合型でないと価値が半減してしまうのです。
半導体レーザへの転用がきく窒化ガリウムを使ったPN接合型の青色発光ダイオードの製造は、格子定数という結晶間の距離が他の材料と違うために、サファイアなどの基板の上に結晶を成長させる製造プロセスが困難とされていました。サファイア基板に窒化ガリウム結晶がくっつかないのです。
赤碕勇先生は、この問題に対し、両者の間に緩衝(バッファ)層を設ければ可能とし、その打開のための地道な研究を重ね、1986年、(株)豊田合成にて実用化に至りました。
 
 
白色発光ダイオードは、青色発光ダイオードが基本となっています。
一見、白色といえば3原色の合成であるので、赤色、緑色、青色の3つの発光ダイオードで白色ダイオードを作っていると考えがちですが(実際、一つのパッケージに3つのダイオードを内蔵したものがあった)、現在の白色発光ダイオードは、青色ダイオードの発光面に黄色の蛍光剤を塗布して、青色と青色光の励起による黄色の発光が混ざった白色としています(上図参照)。
この方が構造が簡単で(したがって安価で)、かつ高輝度のものができます。輝度の高い青色発光ダイオードができたことにより、必然的に輝度の高い白色発光ダイオードが作られるようになりました。
白色LEDは、もちろん元の青色LEDよりは明るくすることはできません。
 
高輝度発光ダイオードの応用は、装置の表示灯というよりも、屋外での大型ディスプレーの発光素子、交通信号の表示灯、小型携行ライト、液晶ディスプレーのバックライト、自動車のヘッドランプに応用を広げています。
 
発光色
モデル
メーカ
光度
電圧
電流
指向特性
大きさ
価格
白色
NSPW-500BS
日亜化学
5,600mcd
3.6V
20mA
20°
φ5mm
約250円
NSPW-300BS
2,800mcd
25°
φ3mm
約200円
青色
E1L53-3B
豊田合成
1,200mcd
3.4V
30°
φ5mm
約200円
黄色
TLYH180P
東芝
8,000mcd
2.1V
約100円
赤色
TLRH190P
東芝
19,000mcd
1.9V
φ10mm
約300円
UG5304X
スタンレー
5,600mcd
3.7V
30°
φ5mm
-
 
 
 
【LED携帯ライト = 懐中電灯】  (2002.08.13)
発光ダイオードが懐中電灯として使えるという情報を得てそのランプの性能をテストしてみようと思いました(2002.08)
購入したのは米国 Emissive Energy社の「INOVA X5」と呼ばれる5ヶの白色LEDを用いたものです。
私はこれを秋葉原で約10,000円で購入しました。これを選んだのはいろいろなLEDランプ(携帯ライト)の中で一番明るそうだったからです。
この製品に使われている白色LEDはとても明るく、10cmの照射距離で6000ルクス、1メートルで160ルクスの明るさがありました。
 
 
 米国Emissive Energy社のINOVA X5 携帯ライト。白色LED5個を使用。
 
ライトの外観の素材は航空機用のアルミニウム2011(アルミニウムの詳細はAnfoWorld別館「マウンテンバイク始めました」を参照下さい)を採用し、電池を入れる部分は無垢のアルミ材を削り出して作られています。
接合部分がないので頑丈で防水性に優れているな、と感じました。
大きさは、直径φ20mmで長さ118mm、重量約80gでペンライトよりは少し大きめの感じを受けます。
採用されている白色LEDはとてもまぶしくて、昼間でさえもLEDをまともに見ると目が眩みます。
照らし出す能力は、1mの照射距離で160ルクスあり、暗闇でかなり明るく照射することができます。
 
LEDの性能を現すものに「光度」という単位があります。
この光度はLEDの発光の強さを表したものですが、このライトの場合、1mの照射位置で160ルクスありますから、LEDの見かけの光度が160カンデラあるということです。
光度と照度の定義はこの「光と光の記録」の[光の単位について]の項でも触れていますので参照してください。
その光度と照度は発光体が全周方向すべてに同じ照度であるときに光度の表現が成り立ちます。
このライトの場合、投射方向のわずかの範囲だけ明るいので明るい照度だけで光度を表現するのは正しくはありません。
しかし、LEDの性能表ではピークの光度を表記していることが多いので見かけの「光度」を用いてライトの明るさの比較を行っています。
このライトは5つのLEDを用いて160カンデラありますから1ヶあたりのLEDの光度は32カンデラ(32,000mcd)ということになります。
白色LEDでは日亜化学のNSPW-500BSというものが5,600mcdという光度を持っていて最も明るい白色LEDの一つとされていますが、このライトの白色LEDはそれよりも6倍ほども明るいのです。
(日亜化学のLEDは大きさ、φ5mmで3.6V / 20mA( = 72mW)が定格入力、INOVA X5ライトは、6.0Vで60mA( = 360mW、私の想定入力)となっていて消費電力で5倍も大きくなっています。
どこのLEDを使っているのか興味あるところです。
このライトの有効な照射距離は10cmから3m程度でそれ以上の照射距離では物体を明るく照らすことはできません。
この照射距離での有効照射範囲は3cmから1m程度でした。
小ぶりなライトであるため比較的近距離を照らすのが有効であると思われます。
このライトの電池は、リチウム電池(CR123A)を2個使用しています(電池の詳細はAnfoWorld別館「奇天烈エレキテル」を参照下さい)。
この電池はデジタルカメラなどに使われる電池で、公称電圧3.0V、公称容量1400mAh、連続標準負荷20mA、使用温度-40℃〜+70℃の性能を持っています。
リチウム電池は1970年代に軍需用として開発されました。
これを民生化したのは日本だそうです。
自己放電が少なく、大電流が流せ、温度に影響されず一定の放電特性が得られて3.0Vという高い電圧が得られる、というのがこの電池の特徴です。
携帯ランプでいつも哀しい思いをするのは乾電池の自己放電です。
いざ使おうとしたときにランプがつかない経験を何度もしましたが、リチウム電池ではそのような問題はまずおきません。
使わずに放置しておいても自己放電しないのでもちが良いのです。
反面高価であるのが欠点です。この電池は1個あたり800円(2002.10当時)ほどします。
この電池を使ってこのライトがどれだけの電流を流しているかの実験をしたところ、300mA流れていました。
リチウム電池の連続標準負荷の10倍強の電気を流しているため、長時間の点灯は電池に極度の消耗が出ると思われます。
このライトに流れる電流が300mAですからLED1ヶ当たりでは60mAの電流が流れていることになります。
LEDは10mAから20mAの電流を流すのが一般的なのでこのライトは約3倍の電流が流れていることになります。
このバッテリでの使用時間は約5時間程度と想定されます。
 
ライト全体の消費電力は、6.0V x 0.3A = 1.8W であり、長時間(約5分程度)点灯しているとランプ前部が熱くなってきます。
5分点灯すると、1.8W x 5 x 60 = 540Jの発熱となり、129カロリの熱量になります。
ランプヘッドが50g程度の重さとすると、アルミの比熱は0.216カロリ/グラム・度なので129/(0.216 x 50) = 12度の上昇になります。
ランプ前部は左のような形状になっていてφ5.5mmのLEDが放射状等間隔に配列されています。
LEDに特殊なレンズがついているのでしょうか、LEDにしてはかなりの投射能力があるように感じました。
ランプ部と電池部は下右に示すようにネジが切られていてねじ込む形で装着するようになっています。
ネジ部は「O」リングが入っていて防水機能を持たせています。
このライトの説明文を読むと以下のような設計思想で作られたようです。
 
『約3キロ先まで光が届く、エアクラフトアルミの頑丈なボディに話題のLED5個を使ったフラッシュライト。重厚感があり秀逸なデザインを心がけた。
車のタイヤで踏んでも崩れない丈夫さを持ち合わせている。
LEDは発熱しにくく、通常の懐中電灯と比べ引火などの危険性がない。
さらにはバッテリ、LEDの寿命も長いので、電池や電球の取替の必要や消耗品の廃棄が少なくてすむ。
このライトは、レジャーやアウトドア、サイクリング、水辺、あるいは夜中の突然の車両整備、災害などに威力を発揮する。
  ・ 45mウォータプルーフ
  ・ 使用可能気温: -40℃〜+50℃
  ・ 11万時間のLED寿命
  ・ 5個のLEDが驚異の明るさを実現
  ・ 白色光源
  ・ 2000ポンドの耐衝撃ボディー
  ・ 滑りにくいグリップデザイン
  ・ リチウムイオン電池使用(CR123Ax2個)
  ・ サイズ: 直径 φ20mmx長さ118mm、重量:約80g
 
このランプの配光特性は以下の通りでした。
この特性図の値は照度計を用いて30cmの距離で照度を測ったものです。
 
 
 
 
■ 高輝度LED(発光ダイオード) (2005.05.29)(2005.06.23追記)
発光ダイオードも年を経るごとに高性能なものが出ているようです(2005.05)
最近では、5Wの白色LEDが出ています。
1個のLEDで5W!です。
乾電池3本をつなげて常時1.1Aの電流が流れる計算です。これは明るいに違いありません。
今年(2005年5月)横浜のみなとみらいで開かれた「人とくるまのテクノロジー展」では、スタンレー(STANLEY社)がLEDのヘッドランプを展示してました。
そのヘッドランプは、照射エリアが狭くて照射距離も若干近いものの、すごく明るくて発光ダイオードも表示装置から照明装置へ徐々に進化していることを伺わせるものでした。
自転車のヘッドランプや登山用に頭に装着するヘッドランプにも、高輝度LED製のものがどんどん発売されています。
私が高輝度の携行LEDをテストしたのが5年前(2002年)です。
LEDでも発光強度の強いライトができるものだとすごく新鮮な気持ちになりました。
 
■ 高輝度携行LEDランプ
2005年2月、また新しい携行LEDを購入しました。
製品は、KOOL BEAM Super Max7と呼ばれるもので、秋葉原で偶然立ち寄ったお店で薦められて、5,000円で購入しました。
「1個のLEDでとてつもなく明るいよ。1個だから反射鏡との相性がよくて明るいよ。」というお店の人の一言と、実際に手に取って点灯したところとても明るくてびっくりし衝動買いしてしまいました。
このライトは、3年前にテストした5つのLEDを内蔵したINOVA X5よりもはるかに明るくて光のまわりも良好でした。
この携行ライトを作っている製造メーカーの名前はあまりよく知らない会社で、住所も連絡先もパッケージに明記されていませんでした。
インターネットで調べようにも会社概要がヒットしませんでした。
それでもこのブランドのライトは秋葉原のお店でいろんなところで売っています。
 
■ 携行LEDランプの照度
このライトには、米国Luxeon社の白色LED 3Wが使われていて、単四アルカリ乾電池3本で点灯します。
LED自体の寿命は、つけっぱなしで50,000時間(5年弱)という長寿命です。
照度を測ったところ、照射距離50cm(0.5m)で中心照度1,900ルクス、半値巾は、φ10cm(at 900ルクス)でした。
照射距離を25cmに近付けると照度は7,000ルクスになりました。
3年前にテストをしたINOVAというLEDライトの4倍近い明るさがあります。
実際、点灯して両者を比べるとその明るさは歴然で、遠く(5〜10m程度)まで良好な明るさを確保できました。
5mから10m程度を明るく照射できるというのは携行ランプとしては申し分ないものです。
小型で強い光源の使い道は私のような現場作業者にとって有効なツールとなり得ます。
しかし、この点光源は光度がとても強いので、ライトをまともに見ると目が眩みます。
もう少し柔らかくて広い範囲を照射したいという目的には適切でないかも知れません。
特に暗闇で作業をしたりする時には、目の瞳孔が開いているので強い光が入ると目が眩んで、回復するのに少し時間がかかってしまいます。
 
■ 発熱
ライトヘッドの発熱に関しては、INOVAの推定消費電力が1.8Wで今回のKool Beam SuperMax 7が3Wなので、ランプヘッドが熱くなるかと思いきや5分の連続点灯でもそれほど熱くなりませんでした。
バッテリは、通常のアルカリ単四電池を使って直列接続の専用のホルダに収めて使います。
高価なリチウムバッテリではないので安心して使えます。
 
 
■ スマートフォンのライト
2010年に発売されたスマートフォンには、カメラライトとして小型LEDが備え付けられていました。右のライトはApple社のiPone7(2016年)のもので色温度を少し変えた6モジュールの小型LEDがし

 

■ 学術用高輝度パルスLED(2015.07.07)

2015年、米国IDT社から120Wの高輝度パルス発光LEDが発売されました。

このLED光源は高速度カメラ用のパルス光源で、連続発光の場合120Wの出力を持ち、パルス発光では1.7倍の発光強度で最小2μ秒( =/ 1/500,000秒)、最大繰り返し100,000Hzの発光を行います。

  

高輝度 パルスLED照明装置(米国IDT社 モデル Constallation 120E28)

この光源は、12ヶの高輝度LEDが組み込まれているので1ヶあたり10Wの出力を持ちます。
この装置は、3メートルの照射距離でφ700mmを20,000ルクスで照射できます。
コンパクトで使い勝手のよいパルス光源です。
 
【仕様】
・ 発光光束: 12,700 ルーメン(連続)、22,000ルーメン(パルス発光時)
・ 色温度: 6200K
・ 発光ビーム角度: 15°@FWH(発光照度が半分になる値)
・ 発光時間: 外部信号により最小2μ秒〜連続
・ 外部発光信号入力: TTL(5V)立ち上がり信号
・ 最大外部信号周波数: 100,000 Hz (BNCコネクタによる電気接続)
・ 調光機能: DMX
・ 寸法: 105mm (D) x 92mm (W) x 93mm (H)
・ 重さ: 約0.7 kg
・ 寿命 : 40,000 時間
・ 電源: 48VDC(専用ACパワーサプライ附属、100 - 240VAC@220W)
・ 取付: 本体三カ所にカメラネジ(1/4-20 UNC)を配置
↑にメニューバーが現れない場合、
クリックして下さい。
 
 
LCD(Liquid Crystal Display) = 液晶  (2000.10.30)(2004.11.19追記)(2015.07.07追記)
 
近年脚光を浴びている表示用デバイスです。
2000年代からCRT(ブラウン管)表示機器を駆逐し、2015年にあっては表示装置の代名詞になっています。
LCDはそれ自体が発光しないので光源としてのカテゴリには入らないと思いますが、光を制御するシャッタ機能としての働きがあり、今後の展開が楽しみなため取り上げておくことにします。
液晶を高速度シャッタの代わりとして実際に使っている例があります。シャッタ(Shutter)については項を改めて紹介する予定です。
液晶表示は、家庭の至る所で見受けられます。
腕時計、家庭電化製品の表示、コンピュータのモニタ画面、液晶テレビ、液晶プロジェクタ、カーナビ、デジカメモニタなど等、至る所で活躍しています。
液晶は単なる表示器としての位置づけから脱皮して、究極のディスプレーとして確固たる位置を築きつつあります。
 
液晶ディスプレーがこれほどの進展を見たのはどのような利点があったからでしょうか?
液晶の躍進の第一は、小型コンパクトという特徴が上げられます。
次に消費電力が少なく低い電圧でも駆動できる点が上げられます。この両者の特徴で応用範囲が驚くほど広がりました。
液晶が急速に普及する最初の製品は、1971年の液晶ディスプレーを使った腕時計の発売です。
その次に電卓の表示モジュールに採用されました。
1975年から1977年にかけてその勢いが一気に加速されました。
その後、コンピュータのモニタに採用されはじめて、テレビの受像機にまで発展していきます。
2002年はテレビ受像機がCRTを凌ぎ、2004年現在はテレビ受像機の主役になりました。コンピュータモニタはほぼその座を液晶に譲りました。
 
■ 液晶ディスプレーの経済効果 - 使用電力
 
液晶ディスプレーの有用性を那野比古が『わかりやすい液晶のはなし』(1998年8月30日初版、(株)日本実業出版社)の中で次のように述べています。
『かって、"社員一人一人にパソコンを"と叫ばれたことがありましたが、考えてみると、パソコンの導入は莫大な目に見えない費用を発生するのです。CRTディスプレータイプのパソコンはキーボードを付けるとデスク(机面)の大部分を占拠してしまいます。そこで、サイド・デスクを付けるとか、大きい机が必要になります。これが大変な費用の発生源です。パソコンが占拠する面積は、企業にとってはいわばデッド・スペースです。首都圏など極めて高い"家賃"で入居しているオフィス・ビルでは、このパソコンの占拠スペースも家賃として支払わなければならいことになります。
 しかし、液晶ディスプレイ付き、特にノート型に至っては、そのような懸念は不要です。使わない時は、棚にしまっておくこともできます。一人一台どころか数台もっていても構いません。100人が働く職場で一人一台のパソコンを導入した場合、液晶ディスプレイのパソコンとCRTディスプレイパソコンでは、首都圏の場合、フロア借賃が月間約30万円、電気代が年間約100万円も液晶のものの方が節減できたとう実例もあります。おまけに空調を強化するための電気代も浮きます。』
 
液晶ディスプレーの登場で、オフィスの景観が一変しました。
事務所には各机にそれぞれ一台ずつ何らかの表示装置が置かれるようになりました。
デスクトップコンピュータのモニタであったり、ノートパソコンであったり。
以前は、ノートに鉛筆だったオフィスがパソコンとネットワークに時代になってきているのです。
こうした職場の環境を見てみますと、OA機器を置く専有面積やディスプレイ表示をするにかかる電気代、これら電子機器の発生する熱を抑えるための空調電気代を考えると次世代は消費電力の少ない液晶という路線が見えてこなくもありません。
液晶メーカーは、21世紀に持っていくのは液晶でありCRTディスプレイは置いていくもの、と大々的に宣伝しています(1990年代後半)。
しかし問題もなくはありません。
 2000年当時、私は、会社のパソコン用に液晶ディスプレーを使い始めました。
液晶ディスプレーは、液晶業界でも一番熱心に開発、製造をしているメーカーの15インチ(1024 x 768 画素)液晶ディスプレーを使い始め、息子にもノートブックパソコンを購入してやりDVDを接続して映画を楽しみました。
しかしながら、当時の液晶はCRTに比べて視認性が劣っていました。
画面の真ん中と周辺部では画面を見る角度が違うので液晶の構造である光の漏れと偏光で色がくすんだり暗くなったりします。
液晶では均一な素直な発光はまだまだ課題であるな、と考えさせられました。
しかしこうした液晶の持つ問題点も徐々に克服され2002年あたりから店頭に並べられた高品位液晶ディスプレーの画像は違和感無く、いや、CRT以上の鮮やかさで画像を提供してくれるようになっています。
1999年あたりから発売されているマッキントッシュのシネマディスプレーは明るくて視野も広く、マックで作った広告原稿を印刷しても液晶で確認した品質そのままに出来上がるそうです。
DTPや広告関係者は2000年代前半までCRTをモニタとして使っていました。しかしそれも液晶モニタの性能の向上によって置き換わって行きました。
 液晶ディスプレーの目標はCRT(Cathode Ray Tube、ブラウン管)ディスプレーであり、この品質にたどり着くために飽く無き開発をしてきたと考えます。
 
 
■ 液晶の誕生
 
● 液晶(LC = Liquid Crystal)の発見
液晶が見つかったのは1888年で、オーストリアの植物学者、F. ライニッツァ(F. Reinitzer)によって発見されました。
彼はコレステロールと安息香酸のエステル化合物を結晶の形で作ることに成功しました。
ところがこの結晶に熱を加えてみると、不思議な現象に遭遇したのです。
何と、二度も溶けたのです。
彼が発見したエステル化合物の結晶は、温度が145度Cになると結晶は白く濁った液体になったのですが、これが実に鮮やかな色を呈していました。
さらに温度を上げて179度Cになると、結晶は透明な液体になりました。これが人類初の液晶の出会いとりました。
一体どうしてこのようなことが起こるのか彼にはわからなかったので、ドイツの物理学者のO. レーマン(O. Lehmann)に、その原理を解明してもらうことにしました。
レーマンはついに、それは液体でありながら、結晶がもっている独特のいくつかの性質、例えば、結晶に当てる光の方向を変えると屈折率が異なるという複屈折といった性質、難しい言葉で言うと異方性があることを見つけ、“流れる結晶”という考えにたどりつきました。
鮮やかな色を示した液体は、実は結晶と液体の中間状態であることから、後に、G. フリーデルが『液晶』と名付けたものです。
 
● RCA社の液晶ディスプレー
その後、液晶の研究はしばらく停滞していましたが、1958年ごろから液晶の分子構造や光学的性質が調べられ、工学的応用について研究が始められるようになりました。
1960年半ば、米国のニュージャージー州にあるRCA社デビッド・サーノフ研究所で画期的な発見がなされました。
この発見は、液晶に電圧をかける、つまり液晶を挟んで上下にプラス・マイナスの電極をつけてやると、液晶中を通る光の割合、つまり光の透過率が変化するという性質が見いだされたのです。
この発見は、ジョージ・ ハルマイヤー(Heilmeier)とR. ウルンヤモスによるものでした。
彼らの功績は、液晶の変化を非常に低い電圧、例えば10V以下で、「液晶の中の長い分子がその並び方を変える」という性質を実証したことです。
彼らは直ちにその性質を利用して、世界で最初の液晶ディスプレーの原型を開発しました。
彼らはこれをDynamic Scattering Modeと名付けました。
ただ、当時はこの液が非常に粘っこく、100度Cぐらいに温めておかないと液晶分子が並ぶ方向が変えられないと言う代物だったので、そのままの状態で現在のようなディスプレーにすることはできませんでした。
1968年には応用製品の一環として室温でも作動する液晶ディスプレーの原型が作られました。
これは、窓ガラスを二重にして、その間に液晶を封入してその左右から電圧を変えて明るさを変える調光窓ガラスであり、これが試作されるや一大センセーションを巻き起こしました。
しかし、面白いことにRCAはちらりと見ただけで、ハイルマイヤーの研究を即座に中止させたのです。
何故なのでしょう?? 
これを見ても、ビジネスの世界では製造可能と言うだけでは実際に製造される保証にはならないことがわかるでしょう。
当時RCAにとって、ブラウン管は利益の大きい商売だったのです。
液晶ディスプレイはそのブラウン管ビジネスを脅かす可能性があったので、RCAは研究の中止を決定したのでした。
25年後の現在、RCAの名はもはやテレビ市場にはありません。
しかしながら、液晶ディスプレイはいたるところにありブラウン管の市場を駆逐し、201年デジタル地上放送開始を潮に姿を消しました。
 
 
■ 液晶の構造
液晶とは、「液体」と「結晶」の合成語です。
液晶は、結晶と液体の中間の状態 - つまり、「液体でありながら固体のような振る舞いもする」、分子や原子は液体のようにバラバラなのであるが結晶のようにある一定の方向を向いて揃っているものです。
このような性質から液体の「液」と結晶の「晶」を取って「液晶」と名付けられました。
英語では、「リキッド(液体)クリスタル(結晶)、Liquid Crystal」、略してLCと呼ばれています。
通常、結晶は分子や原子が互いにがっちり手を取り合って、頑丈な立体構造を作っています。
一方液体は、分子や原子がバラバラになり、ゆるく互いに手を触れ合いながら存在しています。
ところが、コレステロールの安息香酸エステルの場合、棒のような形をした分子や原子がバラバラになり、ゆるく互いに手を触れ合いながら存在しなおかつ棒の向いている方向がそろうという状態が存在します。
結晶構造が液体の中に存在するのです。これが液晶なのです。
液晶は、その構造上以下の3つのカテゴリに分けられるそうです。
 
1. ネマティック液晶  --- 細長い分子の軸方向が一方向に向いている液晶構造(液晶素子の一般的な構造)
 
2. スメクティック液晶 --- ネマティック構造が1つの層であるのに対し複数の層になっている構造
 
3. コレステリック液晶 --- スメクティック構造の各層が順次層毎にねじれている螺旋構造
 
こうした液晶構造に電気的な刺激を与えると液晶の分子配列の規則性に変化が表れ光の透過率が変化します。
この性質を利用したのが液晶ディスプレーなのです。液晶は、光を発するのではなく光の透過を制御する素子なのです。
 
 
液晶装置は、非常に薄い2枚のガラス板(面精度はかなり良い)の4辺の周りをシール材というもので支持し張り合わせてあります。
2枚の板の間隙はわずか5ミクロン(0.005mm)という狭さです。
その2枚のガラス板の間に液晶が注入されています。
2枚のガラス板がかなり狭いためこの間隔を維持するためにスペーサーと呼ばれる極小のボールがちりばめられています。
簡単に注入と言っても5ミクロンの間隙に隙間なく入れ込むわけですら相当な技術ノウハウが必要です。
一説によるとこの注入工程は少し大きなパネルでは3時間もかかると言われています。
液晶装置製造の一つの大きなボトルネックとなっているそうです。
 
ここで重要な構造を述べます。
薄い間隙で配置された2枚のガラス板にサンドイッチ状に液晶を注入する際に、液晶分子は上下のガラス板に平行になるように長い結晶を横に並べた分子構造にする必要があります。
なおかつ、上のガラス板と下のガラス板では横に並んだ液晶の分子構造の方向を90度ずらした「ねじれた」構造にします。
このねじれた液晶構造はガラス間に電極をおいて電圧を変えるとねじれの角度が変化します。
2枚のガラスにそれぞれねじれた方向に液晶を配列する仕組みをどのようにして行うかというと、ガラスに配向膜を張り合わせてそこに細かな一方向のキズを付ける処理を施し(ラビングと言います)、そこに一方向性の液晶(ネマティック構造)を落とし込みます。
配向膜はポリイミドの薄膜だそうです。
このガラスを上下90°の角度にクロスさせて張り合わせます。
このガラス間の間は約5ミクロン(5/1000mm)で、その間はネマティック構造(とほんのちょっぴりコレステリック構造)の液晶で満たされます。
このようにして組み上げられた液晶は、電圧を加えない状態では、一方向にキズが付けられた配向膜に支えられて分子が一方向にならぶため、二つの配向膜の間の液晶は自然にねじれたような配列となって安定します。
この両者(ガラスにつけられた透明電極)に電圧を加えますと液晶は配向膜の並びから外れて電極の方向に向くようになります。
つまり二つのガラス面に対して垂直に立つようになります。
さらにこの2枚のガラス板の外側に偏光板を90度に配置しておけば、注入された液晶によってよりシャープに光が透過したり遮られたりするようになります。
つまり、液晶がガラス面に対して垂直に配置する場合は(電圧がかかった場合は)、液晶内は光透過するものの両面に配置された90度対向の偏光板によって光が遮断され、反対に、電圧がゼロになると配向膜によって液晶がさらに光を90度ねじるため同じ90度に配置された偏光板をすり抜け光が透過するようになるのです。
このようにして電圧がゼロの時、液晶は光を透過するようになり、電圧が加わると90度に交差した配向膜によって光が遮られます。
このような仕組みの液晶をTN液晶素子(Twisted Nematic液晶素子)と呼んでいます。
一般に液晶ディスプレイ装置では、下にバック・ライトと呼ばれる光源を置き、その透過光で表示させているので基本的には何もしなければバックライトで白く表示される「ノーマリ・ホワイト」となります。
中には、2枚のガラス板の外側に配置される偏光板の振動方向を同じにした「ノーマリ・ブラック」のものもあります。
 
 
■ カラーTFT液晶 (2004.11.19訂正)
液晶は上記のような構造を主原理として進化を遂げてきました。
現在では、これから述べるTFTと呼ばれる液晶が主流になっています。
TFTとは、Thin Film Transistor(薄膜トランジスタ)の略で、液晶構造そのものではなく、液晶に電圧を加えるスイッチの仕組みのことを言っています。
液晶が7セグメントのような比較的大きな表示素子からコンピュータモニタのように1000x1000画素のような高集積化素子に発展していくにつれ、液晶モジュールをコンパクトに設計ししかも各液晶セルを高速でスイッチングする必要が生じ、TFT液晶が開発されました。
TFTはその名の通り非常に薄いトランジスタでガラス基板上に作られるトランジスタです。
一般のトランジスタがシリコン基板上で作られるのに対し、TFTではガラス板の上にトランジスタが作られるのが大きな特徴です。
TFT液晶の第二の特徴はスイッチング応答が速いことが挙げられます。
液晶そのものは本来温度に依存し、粘性をもっていて、電圧を加えても迅速に配列が変わらない特性を持っています。
この特性が1000x1000画素を1/60秒で表示するコンピュータモニタでは大きな問題となっていました。
この問題を解決したのがTFT液晶なのです。
この液晶では各画素にすべてトランジスタを設けて、なおかつそのトランジスタには以前の電圧を記憶するメモリ部も持たせました。
メモリを持たせることで液晶は1/60秒で前からの変化分だけ配列を変えればよく、最初から配列するより高速に応答することが可能になりました。
TFT液晶ではこのメモリに透明電極(ITO:酸化インジウムに酸化錫をドープしたもので、Indium Tin Oxideの意味)を使っています。
VGAやテレビモニタでは液晶素子をCCDアレーのように細かく細分化し、微小セルをTFTでスイッチングするという方式を取っています。
このスイッチング時間は、たとえばVGA(640x480画素)モニタの場合、これを1/60秒で入れ替えています。
TFTのアクティブ・マトリクス方式を使えばこれらの信号は難なく送ることができます。
問題は液晶の動作です。
液晶の動作が緩慢であると言っても1/100秒程度では十分に応答します。
つまり、TFTの信号が高速で送られてきてもその信号を受けて情報をメモリし、次の信号が送られてくる間に液晶が反応していればことが足りるわけです。
このようにして、TFT液晶では薄膜トランジスタで精緻なスイッチング素子をガラス基板上に作り透明電極(ITO)をメモリとして高画素対応のディスプレーができるようになりました。
液晶画面のカラー化においてもTFT液晶は重要な役割を果たしています。
カラー液晶は液晶の外側にカラーフィルタを備えて三原色の加色手法でカラー化するものです。
したがって白黒ディスプレーに比べ三倍の集積技術が必要とされるのです。
それを可能にしたのが集積度が上げられてスイッチング性能の優れた薄膜トランジスタ型(TFT)液晶であったのです。
TFTカラー液晶ディスプレーを最初に製品化したのは日本電気(NEC)で1989年5月の事だと言われています。
NECは当時NEC9801シリーズでパソコン業界のリーディングカンパニーの位置を占めていて、その余勢を駆って東京晴海で開かれたビジネスショーの展示会でカラー液晶ディスプレー搭載のパソコンを初めてお目見えさせました。
当時他の会社はTN型液晶を進化させたSTN(Super Twisted Nematic)型でカラー化を行ったものが多い中、NECは新しい技術を導入して他社と差別化を図りました。
実際これら両者を並べて展示したところ、コントラスト、応答速度、カラーの鮮やかさなどTFTカラー液晶ならCRTに劣らないという認識を明確にした出来事でもありました。
NECはこの技術をノートブックにも採用し、1991年10月から9801 NC notebook(カラーTFT液晶、640x400ドット、4096色カラー)として発売されました。
TFTカラー液晶ディスプレー開発の歴史について、2004.11.19日にH.H.先生(共立出版、「カラー液晶ディスプレイ」編者)からお便りをいただきました。
先生によりますと、世界で最初にカラー液晶を開発したのは1984年で、セイコーエプソン社が高温多結晶Si TFTの2インチ形カラーLCDを 開発し、これを小型テレビに付けたポケットTVを発売した時だそうです。
また、1986年には松下電器によりアモロファスSiのTFTの3インチ形カラーLCDを組み込んだポケットTVが発売されたそうです。
NECは、大型パネルとしてパソコンに最初に搭載したということのようです。
 
 
 
■ シャッタとしての液晶
 (準備中)
 
 
 
 
液晶ディスプレーの他に、似たような表示ディスプレーにELがあります。
ELは液晶の欠点を補っているデバイスです。もちろんそれだからといって液晶ディスプレーがこれにとって代わるとは現時点では言い切れず、ELデバイスにも欠点があります。
いずれにせよこうしたデバイスは今後注目すべきもので、液晶ディスプレー、ELディスプレー、(それにプラズマディスプレー)が時代を担っていくものと考えられます。
 
 
EL (Electro Luminescence) 表示灯 (2000.10.30)(2001.01.07改)
過日、電子デバイス装置を研究開発されている大手企業のエンジニアと話をする機会があり、興味あるトピックを紹介していただきました。
「EL」という表示デバイスが今後大きい市場になるであろう、というのです。
私自身は、ELというのは蛍の発光に毛の生えたような存在としてしか意識していず、自分の持っている腕時計の表示用ぐらいの認識でしかありませんでした。
このELが今かなり脚光を浴びていて、近年、三洋電機とKodakは共同でアクティブマトリックス型有機ELディスプレイ装置を発売しました(2000.09)
三洋電機はELディスプレイを駆動するための電流駆動型低温ポリシリコンTFTドライバー回路を開発し、コダックは、緑色、青色、赤色の有機EL材料および、その成膜技術を中心に有機ELディスプレイに関する様々な要素技術を開発ました。
このデバイスは、以下の性能をもったものでちょっと小振りの表示装置です。
 
【アクティブマトリックス型フルカラータイプ】
・有効表示寸法: 48.6 × 36.6 mm
・画面サイズ: 61mm(対角)
・ドット数:852×222ドット
・ドットピッチ: 0.057×0.165mm
・ドット配列:  RGBDelta
 
我々素人から見ると液晶もELも違いがよくわからないのですが、彼らの話には妙に説得力がありました。
液晶はなるほど現在一斉を風靡していますが欠点もないわけではありません。
その一つが発光の素直さです。
液晶は構造上偏光板という2枚のガラスを挟んで液晶を入れています。
液晶の電気的な結晶の並び替えで透過率を変化させています。光を透過させるのに白色の光を任意に調光できないので、画面を小さなセルに分けてその小さな部位に液晶を注入してその窓にR.G.Bの色フィルターを配置しそれぞれのセルをトランジスタでスイッチングさせて透過調節をしているのです。
 
エレクトロルミネッセンス(以下EL)はLCDと違って自ら光っている自発光体でなおかつ面発光であるため発光が素直な点が挙げられます。
これは表示装置としては決定的なアドバンテージを持ちます。ディスプレー装置としては視認性が良いことが第一命題であろうからです。
液晶の場合、表示部を斜めから見ると良好な表示を得にくいという問題があります。
この問題があるため自動車のスピードメータの表示装置に使えず、
これに替わってEL表示素子が注目を浴びていると言われています。
 
EL素子は、構造上大きく分けて無機ELと有機ELがあるそうです。
ELの初期のものは無機ELで硫化亜鉛(ZnS)を母体材料に、マンガン(Mn)を適当量添加した、ZnS・Mn発光層を絶縁層ではさみ込んだ2重絶縁層構造になっていて、これに交流電圧を加えることにより明るい発光が得られるというものです。
1935年にこの構造原理が発見されて以来、極めて多くの研究と開発がなされ、その結果として、上に紹介したような有機ELが開発されるに至りました。
無機ELは、ZnS:Mnを主材料とした橙色発光で、主に長波長が得意です。
発光のための電圧は、200V程度の交流を印加します。
反面、有機ELは複雑な層構成と材料を組み合わせて作られ、短波長が得意で、数Vの直流で発光します。
こうした研究が積み重ねられ、EL自体の輝度・寿命等の性能が大幅に改善されました。
(右図、有機ELディスプレィイラスト提供:http://www.nanoelectronics.jp/index.htm
 
我々の興味は明るさがどの程度で、ELが表示灯としてではなく光源として使えるかどうか、というところです。
これは今後調査をしていく中で更新していく内容としたいと思います。
ELの欠点は、寿命が結構短いということをあげておきます。
 
■ 特徴
1. 均一的な面自発光光源
  発光ムラがなく、他の光源のように反射、拡散等の付帯装置が不要。
2. 発熱がない
  発熱がないため、LCD等のディスプレイに密着させて使用できますのでスペースのロスがない。
3. 薄型光源。良好なスペース・ファクタ。
  ・スタンダードEL:厚さ0.8 mm 〜
  ・薄型EL:0.25 mm 〜
4. 軽量
  ・スタンダードEL:0.16 g/cm(参考値)
  ・薄型EL:0.04 g/cm(参考値)
5. 豊富な発光色
  ブルーグリーン・グリーン・ホワイト・イエローグリーン・イエロー
6. 多様な形状
7. 目視性が良い(遠距離よりの目視が可能となり安全性が向上)
8. ELの発光は45度以上の側面からの確認が可能(安全性の向上)
9. 省電力(単三電池2本で約240時間の連続使用が可能)
10. 電球を使用していないため、電球切れなどの心配がない。
 (本項を掲載している中で不適切な記述がありました。
SStarさんより2001.01にご指摘を受けまして書き改めました。
ご協力感謝致します。2001.01.07)
 
 
2007年12月、ソニーが有機ELのディスプレー装置(モデルXEL-1)を他社に先駆けて発売しました。
このディスプレー装置は、11型で960x540ドットの表示画面を持っていて厚さ3mmという驚異的な薄さが売り物でした。
商品の価格は当時約20万円でした。
しかし、液晶ディスプレーが大型化し価格も急速に下がってきたことから有機ELでこれに太刀打ちすることは不可能で2010年販売を中止しました。
 
 
 
レーザ(LASER) (1999.07)(2006.12追記)
アインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)の予言した「光の誘導放出」理論をもとに1950年代から急速に進歩した光の共振発振光源がレーザです。
レーザについては、別サイトで紹介しています。
レーザに関連する書物がたくさんある中、筆者が出会ったレーザ関連の書物の中で沓名宗春氏の「レーザの科学 - 人工の光が生む可能性 - 」はとてもおもしろい本でした。
この本は氏の専門である溶接・高温加工工学の立場から書かれたものですが、レーザの入門書としても実に面白く、レーザに対する縦横無尽の切り口が読者を飽きさせません。
いろいろな角度から(歴史、時代背景、生活の中から)のレーザのアプローチがあり、氏が体全体を通してレーザを把握し、彼の咀嚼を通して語られているのがよくわかります。
別サイトのレーザの説明では、画像用光源としての観点から各種レーザの特徴を述べています
 
レーザの説明に移ります 
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X線光源(X-ray)  (2003.03.02)(2006.06.16追記)(2008.11.13追記)
 
X線は、極めて波長の短い光です。そのため、直進性が強く粒子的な振る舞いが目立つ光源となります。
X線は、紫外線より波長が短く、γ(ガンマ)線より長い波長を持っています。波長で言いますと、λ = 数10nm〜0.01nm、数百Å〜0.1Åを持つ光です。
この長さは、原子の大きさ程度に相当するものです。
X線は、波長が短いため光子エネルギー(hν)が大きく、そして直進性が強いため原子量の低い固体中を透過していく力を持っています。X線が光であるというのは、ちょっと不思議な気がします。
 
X線が発見された当時は、X線そのものがどういうものであるのか分かりませんでした。
陰極線(真空中の電子の流れ)を研究している延長上で発見されたX線は、物体の中を透過し銀塩フィルムに像を結ばせることができる摩訶不思議なものでした。
X線は、ガラスで作られたレンズでは屈折がおきず直線性が強いものでした。
したがって、X線が発見された当初は粒子ではないかとされていました。
しかしれっきとした波動の特性をもっていますし(回折現象がおきる)、反射もかなり激しくおきます。
 
X線が波の性質を持っていることを確かめたのは、1912年、ドイツの物理学者ゾンマーフェルトのもとにいたラウエ(Max von Laue、ドイツの物理学者:1879-1960、1914年ノーベル物理学賞受賞)です。
彼が「X線は原子の大きさ程度の波である」ことを、原子に衝突させたX線の回折(ラウエ斑点)で確かめました。
 
X線を表す単位としては、波長のオングストロームやナノメータで表すよりも、エネルギー量の電子エネルギのKev(キロエレクトロンボルト、ケブ)で表すことが多いようです。
可視光のエネルギーは、数eV程度ですがX線は数KeVとなります。
電子ボルト(KeV)と波長(λ)の関係は、以下の関係があります。
 
   E [keV] ≒ 1.24/λ [nm]   ・・・(Light104)
 
この関係式は、X線発生管に電圧 Eを加えたときターゲットに電子が衝突して発生するX線の最短波長λminを示す値です。
実際はこれより長い波長がたくさん出ますが、この関係式でX線の値を言い表します。
 
X 線と一口に言ってもその範囲は広く、可視光の青から赤の波長の範囲よりももっと広い範囲を言うことが多いので、これを以下のように4つに分けて表しています。
 
超軟X線:数10eV ← 紫外線に近いX線
軟X線:0.1〜2keV ← エネルギーが低く透過性の弱いX線
X線: 2〜20keV ← 典型的なX線
硬X線:20〜100keV ← エネルギーが高くて透過性の強いX線
 
弱いX線は、その名の通り透過力が弱いので、固体内部を通過せずに反射してしまいます。
反対に強いX線は、透過能力があり、人体に対して極めて危険であるために取扱に注意が必要です。
 
 
■ X線(X-ray)の発見  (2002.03)(2006.11.26追記)
 
X線の発見は、有名なドイツ人物理学者で、ヴュルツブルグ大学(University of Wuerzburg )教授のレントゲン(Wilhelm Conrad Roentgen、1845-1923、レントゲンRontgenのoはオーウムラウト、物理量の単位のレントゲンはroentgenと書き表わす)によってなされました。
1895年11月5日のことです。
彼はこの発見で、第一回ノーベル物理学賞(1901年)を受賞しました。
  
彼の発見は、真空放電による陰極線の研究をしている延長上で行われました。
彼は優秀な物理学実験家でしたが陰極線の研究に関しては新参者で、優秀な指導者に師事して造詣を深めていたわけではありません。
彼は、チューリッヒのスイス連邦工科大学の機械工学出身であり、機械技師として社会人をスタートさせました。
彼が入学した1865年から数えて30年後には、アインシュタイン(Albert Einstein:1879-1955)が同じ大学に入学しています。
 
レントゲンは、大学時代に物理学の面白さに取り付かれ、物理学を教えていたアウグスト・クントの研究室に出入りするようになります。
大学卒業後も物理学の世界で研究を続けたいとする彼の希望は、しかしながら、高校を正規に卒業していないという理由から教授資格を得ることは絶望的でした。
それでも、恩師クントの働きかけでなんとか大学での研究職に身を置けるようになり、熱力学から研究生活をスタートさせることができました。
熱力学は、当時のドイツでは非常に活発に研究されていた分野です。
しかしながら、電気に関する研究、特に陰極線の研究は新しい分野であったために、実験設備をあつらえるのは大変でした。
 
当時の陰極線研究は始まったばかりで、陰極線そのものが電子の流れであるということすら理解されていませんでした。
電子の概念が当時なかったのです。
そうした時代の中で、レントゲンが陰極線研究のための研究設備を準備できるようになったのは、彼がいくつかの赴任先の大学で行った熱力学の実験手腕と、研究成果のすばらしさによって名声が高まってからです。
本格的な研究は、1888年(43才)にヴュルツブルグ大学に赴任してからのことになります。
この大学は設備も比較的整っていて、実験設備を購入する力もありました。
 
赴任して7年後の1895年11月に世紀の発見、X線を見つけます。
この大発見の1年前、1894年にレントゲンは陰極線に関する研究を始めます。
この研究を始めるきっかけになったのは、同国の物理学者フィリップ・レーナルト(Philipp Eduard Anton von Lenard:1862 - 1947:1905年ノーベル物理学賞受賞)が発表した陰極線(cathode ray)の論文に目を留めたことにありました。
レーナルトの論文には、真空度の高い真空管を使って、これに薄いアルミ箔の窓をもうけて、ここから陰極線を空気中に取り出したことが書かれていました。
彼はその内容に興味を持ち、レーナルトに手紙を書いてブラウンシュバイクにある科学機器製作会社ミュラー・ウンケルを教えてもらい、彼と同じ窓のあいた真空管(レーナルト管)を手に入れます。
また、レーナルトに頼んで窓に貼るアルミ箔(厚さ5um)を2枚ゆずってもらいました。
当時、アルミニウムが潤沢にないことをうかがわせるエピソードです。
その他にガイスラー管、クルックス管、ヒットルフ管も入手し、高電圧発生装置も用意しました。
 
こうして彼の手による陰極線研究の追試験が始まりました。
 
X線の発見は、実に偶然に、しかも彼の注意深い観察力でもたらされました。
彼の当初の目的は、陰極線を大気中に導きだすことでした。
彼は、最初にレーナルト管を使って陰極線が大気中に放出されることを蛍光紙(白金シアン化バリウム)で確認しました。
次に、アルミニウム薄膜でできた窓のないヒットルフ管とクルックス管についても同じ試験を行いました。
不思議なことに、冷陰極線が飛び出すことのない窓なし真空管で、しかもそれを黒い紙で覆ってあらゆる光をシャットアウトしても、そこから目に見えない何かが放出されて、近くに置いた白金シアン化バリウムが蛍光を発していました。 
レントゲンはレーナルトと違って、高電圧発生器に自ら手を加えて、より強力な高電圧が発生できるようにしていました。
おどろくべきことに、彼が発見した放射線は、壁を隔てた隣の部屋にある白金シアン化バリウム紙をも発光させる力を持っていたのです。
 
こうした発光現象は、当時、陰極線を研究している人たちの間では、はっきりとではないにしてもそれとなく認識されていました。
レントゲンは、その奇妙な現象を見逃さなかったのです。
レントゲン以前に陰極線を研究していた科学者たちは、そばに置いてあった写真乾板を現像した時に、わけの分からない像が写っている(カブっている)ことに気にもとめなかったと言います。
クルックス(William Crookes)は、放電管の近くに置いてある写真乾板が頻繁にカブるので、写真乾板屋に不良品だとクレームをつけたと言われています。
レントゲンは、おかしな現象を注意深く観察しながら、不思議な事象を解明して「X線」として論文にまとめあげました。
もっとも、彼が追試験をしていた時に使った高電圧発生装置は、当時のどれよりも強力なものであったために、不思議な現象が顕著に現れたことは十分に想像できます。
 
レントゲンは、最初、この放射線がどのような位置付けのものであるのかわからなかったので、数学でよく使う未知数に当ててX(エックス)線と名付けました。
その不思議な放射線をさらに詳しく調べるために、彼は研究室に閉じこもり、1ヶ月半の間不眠不休で様々な実験を行って、放射線の透過度やその諸特性を調べあげて、論文として発表しました。
その論文は、当時の科学者・医学者、ジャーナリズムに大センセーションを巻き起こしました。
彼の論文には、不思議な放射線(X線)が厚い木の板や1000ページにわたる厚い本を透過する力を持っていることが書かれていて、金属板ではその力は弱まって、0.5mmの鉛ではその透過能力がほとんど無くなることが書かれてありました。
また、同時に掲載された彼の夫人の手の骨の透過撮影写真は、異常なほどの関心を呼んだそうです。
彼の論文には、X線の属性について詳しく触れていて、さまざまな固体についての透過率の他に、写真作用を持っていること、帯電体を放電させること、陰極線と違って磁場によって曲げられないこと、可視光と違って屈折しないことが書かれていました。
X線は、陰極線を磁石で曲げるとX線の発生点がそれにつれて移動することから、X線は放電管の最も強く蛍光を発する所から出ていることもつきとめられています。
 
彼は一躍時の人となりましたが、研究の手を緩めずさらに研究を重ねX線の基礎を確立しました。
X線が発見された当時、医学者の間では、医学診断装置としてはX線は有効なものにはならないだろうとされていました。
1896年1月、X線の発見の1年後、地元のヴュルツブルク物理学医学協会でX線の講演が行われ、講演の後に別室に居残ったレントゲンと教授達の間でX線の医学応用利用に関する懇談が行われました。
このとき、ヴュルツブルグ大学の外科教授シェーンボルトは、X線は内臓の診断には有効ではないとコメントしたと言います。
彼の大学の医学関係の教授は極めて冷淡でした。
レントゲンは、それに対して、病院や開業医にX線装置を導入して診断手法を確立すべきだと考え、市の医務衛生局に補助費を出してもらうよう要請しました。
しかし、これはうまくいかず却下されてしまいました。
この時、シェーンボルトの協力があれば、現在とはもっと違った放射線医学の展開がなされていただろうと言われています。
現在では、X線というよりもレントゲンという名前で、産業分野以上に医学分野で親しまれています。
 
もうひとつのエピソード。
X線の発見で陰極線研究の大先輩であるレーナルトは、生涯にわたってレントゲンの研究成果を認めず、X線の先駆者は自分であると主張したそうです。
レーナルトは自分が死ぬまでX線は高周波線であると位置付けさせ、大学で習う物理学のテキストにもX線(レントゲン線)という言葉を使うのを禁じたそうです。
そのレーナルトは、第一回ノーベル賞の選考段階においてもレントゲンに敗れます。
当時、新しい放射線発見の功績をレーナルトとレントゲンの二人に分け与えるという案が出されましたが、投票の結果、レントゲンが栄えある第一回目のノーベル物理学賞に輝きました。
レーナルトは、4年後の1905年に陰極線の研究でノーベル物理学賞を受賞しています。
 
X線の発見は、それまでの物理学の礎(いしずえ)の上に成り立っています。
一つは、1800年に発明されたボルタの電池であり、一つは真空放電管製造の向上です。
真空放電管は、ドイツのガイスラー(Geissler)科学器械製造会社が1855年に水銀による真空ポンプを発明したことにより、真空度の飛躍的に向上した装置ができるようになりました。
ここに真空放電研究の基礎が出来上がりました。
真空放電研究は、電気化学の祖であるイギリスのファラデーによる基礎研究の後、ドイツのユリウス・プリュッカー(Julius Plucker :1801- 1868)によって開花します。
プリュッカーは、1851年にリュームコルフが作った高電圧発生装置(リュームコルフ誘導コイル)を使って、ガイスラーの真空装置(Geissler Tube)に取り付けて使用しました。
これによって真空放電の解明が進みます。
この当時は、まだ電子という概念はありませんでした。
電気の存在は認められていたのに、電子はまだ発見されていなかったのです。
しかし、真空状態の中で高圧電場を作れるようになって、電気の流れる現象が明らかになっていきました。
彼らはこれを陰極線(Cathode Ray)と呼ぶようになり、真空場でおきるさまざな発光や蛍光、そして陰極線が空気中に飛び出てくる現象が研究されました。
これらの研究を行ったのは、ウィリアム・クルックス(William Crookes)、ハインリッヒ・ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz:1857 - 1894)、フィリップ・レーナルト(Philipp Eduard Anton von Lenard:1862 - 1947:1905年ノーベル物理学賞受賞)などです。
このように不思議な陰極線は、波であるのか粒子であるのかよくわかっておらず、粒子説派と波動説派でさかんな論議が行われていました。
 
こうした時期にレントゲンが登場します。
レントゲンは、レーナルトの陰極線の研究の追試を行っていました。当時、陰極線は、真空中で活発に動作するためエーテルを介して運動する電磁波であろうという見方が強くあり、ヘルツとその弟子のレーナルトがさかんにその実証実験を行っていました。
しかし、エーテルを介して運動する電磁波(空中放電の電波など)は、空気中であろうと透明な固体中であろうと良好に伝播していくのに、陰極線にはそのような特性を出す媒質がなかなか見つかりませんでした。
1891年、ヘルツは、陰極線がいくつかの薄膜金属(金、銀、アルミニウム、など)を透過することを見い出しました。
ヘルツの弟子レーナルトは、この実験をさらに続け、1894年、陰極線を0.003mm(3um)のアルミ箔で覆った窓を通して放電管の外へ取り出すことに成功しました。
レントゲンは、この延長上の研究を1894年から行い、1年後の1895年にX線を発見するのです。
 
X線の発見は、原子物理学と量子力学、はたまた、光学の統一的な見解への発展を促していきました。
1896年のフランス人物理学者ベックレル(Antoine Henri Becquerel, 1852.12 - 1908.8、1903年ノーベル物理学賞受賞)による放射能の発見や、1897年の英国人物理学者J・Jトムソン(Sir Joseph John Thomson:1856 - 1940:1906年ノーベル物理学賞受賞)による電子の発見の直接の契機にもなっていきました。
1905年のアインシュタインの光量子説も、レントゲンによるX線の発見が大きな動機付けとなっていたのは想像に難くありません。
X線は、現代物理学の出発点を示す大きな出来事であったと言えます。
 
 
■ X線の性質
 
X線は、光の仲間に入る紫外線よりももっと波長の短い電磁波で、その性質は以下のようなものです。
 
   1. 蛍光物質を光らせる --- 蛍光作用
   2. 写真作用をもつ(銀塩を感光させる) --- 感光作用
   3. 直進性がある
   4. 気体を電離する --- 電離作用
   5. 物質を透過する --- 透過する能力は原子量の大きさに比例して弱くなる
   6. 透過性の良い硬X線と透過の悪い軟X線がある
   7. 対陰極(陽極)から放射されるが放射は垂直ではない --- 帯電粒子の流れではない
   8. 磁界や電界によって曲がらない --- 帯電粒子の流れではない
   9. 結晶に当てると回折し干渉する --- 波である。波長は可視光より短い
   10. 可視光と同様偏りを示す --- 横波である
   11. 物質にあたると電子を出す --- 光電効果
   12. 光子エネルギーが高い ---- hνが大きい(波長が短く周波数が高い)
   13. 細胞を破壊する --- 生理作用
 
X線は、光子エネルギーが高いので原子に当たると電子を吹き飛ばしてしまいます。
光が原子に当たると電子を励起させエネルギー準位を高めますが、X線はそのような作用よりもより強い力学的力があるのです。
強いエネルギーで電子が吹き飛ばされる原子は電子のない状態になります。
すなわちイオン化されます。この働きで上のX線の性質の1.、2.、4.が理解できます。
 
 
■ X線のエネルギー
 
X線は、高電圧を加えた電子線の衝突で発生します。そのエネルギーを計算してみます。
まず電子が電圧を加えられてターゲットに衝突する過程で、印加電圧V、電子の素電荷e、電子の質量m、電子の速度vとしますと、電子の持つエネルギーEは、
 
     E = eV = mυ 2 /2   ・・・(Light105)
        e: 電荷 1.602 x 10-19 C(クーロン)
        V: 印加電圧
        υ: 電子の速度
        m: 電子の質量 9.1095 x 10-28 g
 
となります。この電子のエネルギーがすべて光子に変わったとすると、
 
     E = eV = hνmax = h c/λmin   ・・・(Light106)
        h: プランクの定数 6.626 x 10-34 J・s
        c: 光速 2.9979 x 108 m/s
        λ min: X線の発生最短波長
 
     λmin = h c/eV   ・・・(Light107)
 
が導かれ、波長の短いX線を得るには高い電圧を電子に加えてやれば良いことがわかります。
30KVの電圧で電子をターゲットに衝突させると上式より、最小0.04nm( = 0.4Å)のX線が発生します。
上式は、
 
     E [keV] ≒ 1.24/λ [nm]   ・・・(Light104)(前述)
 
の拠り所となっている式です。
X線は、波長で言うことが少なく、上に上げた電子ボルト(ケブ=Kev)で言い表される大事な式です。
X線は光でなく電子のような感じを受けます。
10KVでターゲットに電子をぶつけてX線を出す、というような感覚です。
 
 
■ X線を用いた撮影応用
 
医学分野ではX線を用いた人体内部の可視化が盛んに行われています。
しかしながら、X線光源を使った透視の初期は、医師、レントゲン技師が蛍光板からの非常に微弱な可視光像を直接見るという手法であったため、目が慣れるまでに(暗順応)20-30分を要し、そのうえ微弱光画像での診断を強いられ観察者にとっては非常に負担のかかる仕事でした。
観察像がくらいために、X線診断では、X線から蛍光板を用いて変換された微弱可視光像をイメージインテンシファイア(光増幅光学装置)で増幅し、それをビデオカメラで撮影して診断するという手法が確立され発展しました。
 
X線像増強管(X線イメージインテンシファイア、X線I.I.)を世界で始めて開発したのは、オランダのフィリップス社で、1952年のことです。
この装置(X線像増強管)は、真空管の一種で入射面でX線像を受けます。
これを一旦電子像に変換増幅させて、出力面の蛍光面に可視光像を結ばせます。
強い可視光像が得られるので、X線撮影が随分と楽になりました。
X線I.I.の入射面は、蛍光板(シンチレータ)が光電面と抱き合わせになっていてて、X線→微弱な可視像→電子像という変換を行います。
光電面から放出される光電子像を電子管の中で電子増幅させ、出力面の蛍光面で明るい可視光に変換します。
X線I.I.が開発された当初は、入力蛍光面に粒状蛍光体が使われていたため、明るさも不十分で解像度も芳しいものではありませんでした。
しかし、1970年に米国バリアン社によって、CsI(ヨウ化セシウム)結晶蛍光板が開発されてからは、解像力が良くて感度も良い像が得られるようになったため、X線画像が飛躍的に向上しました。
 
心臓環状脈血栓の可視化では、心臓の収縮が速いため、120コマ/秒のカメラを用いたパルスX線装置が使用されています。
しかし、工業用ではほとんどが連続放射のX線光源であり、短時間発光のフラッシュX線は国産のものはありません。
パルスX線装置は、ヒューレット・パッカード、Scandiflashなどの外国製品に頼っています。
日本でフラッシュX線の研究と開発を精力的にこなしておられるのは、岩手医科大学物理学教室の佐藤英一先生です。
この研究室では、単発発光のフラッシュX線光源、ビデオカメラに同期したパルスX線、10,000コマ/秒対応のフラッシュX線装置の開発を行っています。
X線は、電極に高圧(10KV以上)をかけて電子が陽極(ターゲット)に衝突することによって容易に発生させることができます。
CRT(ブラウン管)でもわずかにX線が発生しています。
強いX線を出すためには、電極に高い加速電圧をかけ電流を多く流します。
X線光源を使った撮影では、銀塩フィルム及びX線ビジコンで直接撮影する方法がありますが、十分な感度が得られないので、X線像を一旦可視像に変換し可視像を光増幅装置(イメージインテンシファイア)で増強する方法が一般的です。
X線像を可視光像に変える蛍光板は、CsI(ヨウ化セシウム)結晶板が最も変換効率が良いものとして使われています。
 
X線は、直進性が強く自由に屈折させる光学系の設計が困難であるので、点光源という形で使用します。
従って、ターゲットより放射されるX線の立体角と被写体の距離で撮影エリアが決まり、被写体からの蛍光板(シンチレータ)の位置で蛍光板の大きさが決まります。
遠く離れれば離れるほど大きなシンチレータが必要となります。
点光源は、実際にはある程度の大きさを持っていますから、先鋭な像を得ようとするならば点光源をできるだけ小さくし、被写体と蛍光板の距離をできるだけ近くする必要があります。
 
高速度カメラでの使用は、1970年代に大阪大学溶接工学研究所(現 接合科学研究所)にて行ったのが最初です。
これは、電子ビーム溶接を使っ溶接現象の金属溶融内部を、連続X線を用いて300コマ/秒で撮影したものでした。
また、1980年代前半には、日本原子力研究所でパイプ内部の流れの可視化を2,000コマ/秒で撮影した報告もあります。
遡(さかのぼ)って、1975年、英国のロールスロイス社で、ジェットエンジン内部のタービンブレードの破壊試験用に、連続X線と第四世代のイメージインテンシファイア(ゲートによりシャッタ時間を短くできる光増幅装置)を使って、10,000コマ/秒のX線撮影を行った報告もありました。
 
私自身の経験を述べますと、X線をパルス発振にして、高速度カメラの光源にする試み(X線高速ストロボ撮影)を行ったことがあります。1995年、岩手医科大学の佐藤英一先生の協力によって、100,000コマ/秒(10マイクロ秒単位の連続画像)のX線高速度撮影システムを完成させました。
この装置は、X線を発生する電子管に、高速度カメラからの同期信号をグリッドバイアス電圧として入力させ、高周波のパルスX線を作りました。
それに加え、X線I.I.を従来連続モードであったものからパルス駆動とし、高速度カメラからの同期信号でシャッタを働かせ、光量効率と動的解像力を向上させました。
このシステムは、100KV、1mA、0.5μFのコンデンサを使って、熱陰極線型グリッド変調X線電子管でパルスX線を発生させました。電圧は必要に応じて50KVより5KV単位で設定できるようにしました。
X線のシャッタリングは10μsから100μsまで可変設定としました。
X線パルス発振周波数は、現状の技術では32,000Hzまでが限界のため、これ以上の撮影速度では、X線発光を100usの長い発光とし、X線イメージインテンシファイア側で数マイクロ秒@100,000Hzのシャッタを切り、100,000コマ/秒の撮影の対応を図りました。
この装置は、現在の所、有限パルス(1パルス〜32パルス)の発振しかできず長時間のパルス発振は不可能です。
X線イメージャは、口径150mmのヨウ化セシウムでできており、100,000Hz、最小ゲートパルス1usができるようになっています。
さらに光増幅が必要な場合に備え、ゲートX線I.I.に可視光用イメージインテンシファイアを接続できるようにして、ここでさらに100倍〜10,000倍の光増幅と2,000,000コマ/秒までの撮影速度対応、100ns〜1msのゲート時間が設定できるようにしています。
この装置は、10,000コマ/秒から2,000,000コマ/秒の高速度カメラ用として開発し、エポキシ樹脂カートリッジ内で起きる水の爆発現象の可視化用に使用されました。
エポキシカートリッジ内の水と膨張空気を区別するため水に造影剤を添加して可視化を行っています。
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中性子光源(Neutron Radiography Light Source) (2006.05.01追記)
 
X線と性質を異にしながら物体内部を透過し、水の吸収に敏感に反応する光源です。
中性子(Neutron)は、簡単に作り出すことはできず、原子炉の核反応や粒子加速器から取り出します。
金属内部の水の流れ、気泡の発生状況は中性子光源が理想の光源であるため、中性子を用いた撮影法(中性子ラジオグラフィー = Neutron Radiograph =NR)が確立されています。
中性子は直線性が強くそのままでは可視化ができないので、中性子線を可視像に変換する増感板に結像させ、これを高速度カメラでとらえるという方法を取っています。
可視像はかなり暗いため高速度カメラの前には1000倍程度の光増幅ができるイメージインテンシファイアを取り付けて撮影します。
 
中性子ラジオグラフィ(NR)は、X線ラジオグラフィーと同様不透明体内部の可視化が可能すが透過する物体に差異があるため補完的な立場にあります。
中性子は水素原子に良く吸収されるため、水、ポリエチレンなど水素原子を含んだ物質に吸収されやすい性質をもっています。
反対にアルミなどはよく透過します。
 
X線は原子量に比例して吸収が強くなっていき、水素では0.1μ/ρ(mass atttenuation coefficient)、鉛で2、ウラニウムで3程度となっています。
これに比べ中性子では、原子量の低いもので水素(25μ/ρ)、ボロン(50μ/ρ)、リチウム(7μ/ρ)などがきわめて強い吸収を示し、原子量の高い方でもGd(200μ/ρ)、Cd(15μ/ρ)、Sm(20μ/ρ)、Eu(15μ/ρ)、Dy(3μ/ρ)となっていて値がそれほど高くないことがわかります。
原子量が大きくても透過の良いものとしては、鉛(0.03μ/ρ)、BI(0.02μ/ρ)、ウラニウム(0.03μ/ρ)があります。
アルミは中性子の方が良く透過します(中性子0.03μ/ρ、X線0.15μ/ρ)。
 
京都大学原子炉実験所の日引助教授は、原子炉の中性子光源を用いて、金属の蒸気爆発の様子をテープ方式1000コマ/秒の高速度ビデオと、高感度イメージインテンシファイアを組み合わせて、中性子高速撮影を行い、得られた画像の濃度を画像処理装置によって中性子線量に置き換え、透過率から水、蒸気などの密度計算を行っていました(1995年)。
この実験は、ウッドメタル(鉛、スズ、ビスマス、カドミウムの合金)を恒温漕(600℃)で液体にし、この液体ウッドメタルをステンレスで作った容器に満たした重水中に重力の力で落とし込み、重水素の沸騰の様子を中性子光源による高速度撮影を行うものです。
ウッドメタルは急速に熱を奪われ固体化して重水の中を落下していきます。
カメラ(HSV-1000)は、この挙動を中性子線を用いて500コマ/秒で撮影しています。
現象を長く取りたいため長時間録画のテープ式高速度ビデオが使われています。
 
【応用】
このような中性子の透過特性を利用した中性子ラジオグラフィーの応用例は次のようなものがあげられます。
 
1. 宇宙ロケットの火工品、多段ロケットの切り放し切断ボルトの全数検査。
2. タービンブレード内の冷却剤経路の目詰まり検査
3. 航空機の翼のまるごと検査
4. 植物の発根機構の解明に関する土壌中の水分量とその空間分布の定量
5. ヒトの歯芽内部の象牙質部の栄養伝達機構の解明
6. ヒトの結石、胆石などの生成機構
7. 気液二相流の解析
8. 粉体流の解明
9. 低温核融合の金属中の水素濃度空間分布の定量
 
【運用機関】
中性子線は簡単に手に入るものではなく原子炉設備が必要です。
世界的な公的機関で利用されている中性子光源が利用できる機関は以下の通りです。
 
・カナダ チョークリバー国立研究所
・フランス サックレイ
・オランダ ペッテン
・日本原子力研究所
 
 
 
爆発光源(アルゴンフラッシュ[Argon Flash]
アルゴンキャンドル[Argon Candle]) (1999.7.15記)
 
通常の放電光源が、高電圧エネルギーを用いてキセノンガスを励起発光させる方式をとっているのに対して、爆発光源は、衝撃波エネルギでアルゴン不活性ガスを励起させ強烈な光を発生させるものです。
衝撃波の発生には爆薬を使います。爆薬が作る衝撃波の発生時間分だけ不活性ガスが励起されます。
衝撃波によって励起された光は強烈で、太陽光照度の10,000倍が得られると言われています。
 
発光する方式が方式なだけに、我々が一般に使用することはまず不可能です。
この光源は、100万コマ/秒撮影用の高速度カメラ光源として開発されました。
文献も米国の研究所から発表されています。
左の図が、一般的なアルゴンフラッシュ(Argon flash、Argon Candle)装置の構成です。
外径φ63.5mm、長さ約300mmのアクリルチューブ(B)の内側長手方向3/5程度に爆薬を貼り付けます。
その前面にアクリル窓(A)をエポキシ接着剤で接着します。
光は、このアクリル窓から放出されます。
チューブ内部には、シート状の爆薬シート(E)を丸めて入れます。
シートは、チューブの内壁に沿うようにして張り付けます。
アルゴンガス注入口(D)を塞がないように、内周の長さ(この場合、170mm)にカットして埋め込みます。
チューブの他端は同じ爆薬シートをφ57mmに切り、塞ぐようにして挿入します。
この円形爆薬シートは、チューブ内部に埋め込んだ爆薬シートに接触するまで押し込み、ピロキシリンセメント(Pyroxylin cement:ニトロセルロールを溶媒にとかした溶液)で接着します。
 
チューブ(B)の長さは、フラッシュ発光時間に影響を与えます。チューブ長の3/5を爆薬シートで被うのが一般的です。
チューブの長さが300mmの場合に、900グラムの爆薬を使うと約100usの発光が得られます。
チューブが長くなれば、それだけ衝撃波の発生している時間も長くなりますから、発光時間も長くなります。
 
アルゴンガス注入口(D)からアルゴンガスをパージします。
チューブ後端の爆薬シート(C)には、第一爆薬であるテトリルが取り付けられ、これを雷管起爆させます。
テトリルを介して二次爆薬(爆薬シート:Du Pont EL 506A8)が爆発します。
チューブ内部に貼り付けた爆薬シート(E)は、チューブ後端で発生した衝撃波を最後まで発生させるために(長時間安定した発光をさせるために)チューブ内部に巻かれています。
 
このアルゴンフラッシュで得られる照射エリアは、照射距離1.2m(4ft)で、φ380mm(15inch)と報告されています。
もしこれよりも広い範囲を照射したいのであれば、アクリル窓(A)の前に凸レンズを取り付けます。
このランプでは、φ380mmのエリアを、晴天の条件下の10,000倍(1E9ルクス)で照らすことができます。
この光源が開発された当時、100万コマ/秒クラスの高速度カメラとして、Beckman & Whitley のmodel 189ロータリーミラー式フィルムカメラが使われていました。
このカメラは、2000年までは米国Cordin社にて同様のタイプのカメラが販売されていました。ロータリーミラー式フィルムカメラは、内部光学系がF16と暗く、シャッタ時間2us、フィルム感度ASA320(ISO320)相当なので、このアルゴンフラッシュを使ってなんとか撮影できる露光条件となります。
 
このランプは、起爆装置が働いて最高輝度の発光になるまで発光遅れがあり、チューブ長さで遅れ時間が決まります。この遅れは、1インチ(25.4mm)当たり4usかかります。従って1フィート長(300mm)のアルゴンフラッシュでは47usの発光遅れとなります。
また、Pressman(Stanford Research Institute)の研究によると、アルゴンガスだけをパージするのではなくて、キセノンガスを(アルゴンガス75%に対して)25%添加させると、発光時の明るさが添加しない場合に比べ、10倍ほど向上することが報告されています。封入ガスもアルゴンガスにとって代えてキセノンガス100%にしますと、さらに2倍の明るさが確保できるそうです。ただ、キセノンガスは高価であるため頻繁な使用は難しく、キセノンガスより安価なクリプトンの方が現実性が高いとも報告されています。
 
Pressman(Stanford Research Institute)の論文によると、当時のアルゴンフラッシュ光源が爆薬を13ポンド(5.9kg)を必要としていたため、その薬量を5ポンド(2.3kg)にして且つ従来の光源性能(発光時間100us、モデル189高速度カメラで2usの露光で撮影できる)を満足する改良を迫られ、以下のようなアルゴンフラッシュ光源を開発したそうです。
その主な改良点は、以下に示す通りです。
 
 1. アルゴンガスにキセノンガスを添加して輝度を増加させた
   (キセノン25%、アルゴン75%)
 2. アルゴンフラッシュ灯体内部ににアルミマイラーフィルムを反射鏡として使用。
   最も効果的な照射が行えた。
 3. アルゴンフラッシュ灯体形状は、四角錐台形がもっとも理想的。
   実験の結果、光源窓8インチx8インチ(200mmx200mm)、
   デトネーション充填部開口部4インチx4インチ(100mmx100mm)、
   長さ30インチ(762mm)の灯体形状が良好な照射特性を示した。
 4. 爆薬は、後端部は、B-3コンポジット爆薬。コーン部には厚さ
   0.2インチ(5mm)のDu Pont type D sheet explosiveを使用。
   爆薬は高性能爆薬であればあるほど(例えばHMX)強い衝撃波が出て高輝度光源が得られる。
 5. 灯体は、建築用ファイバーボードを使用。
   鉄板を使えば、衝撃波に耐えるのでより効果的な光源を得る。
 6. 灯体からさらにフードを取り付けると光量が10%増加する。
   フードは、段ボールを用いて内面にアルミマイラー反射鏡で葺いたフード
   (6インチ=152mm)状のものを取り付けた。
 
(参考文献:"Explosive Flashlight: A New Development in an Explosive Light Source", by Jack Gershon and R. H. Stresau, "High-Intensity Explosive Light sources", the 5th International Congress on High-Speed Photography, by Zev Pressman, Poulter Laboratories, Stanford Research Institute, Washington, D.C. Oct. 17, 1960)。
 
 
 
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シャッタ (Shutter)- - - 光の透過を制御する装置 (2002.12)(2007.07.01追記)(2007.09.17追記)
 
光を遮る機構がシャッタ(Shutter)です。
シャッタは、カメラなどで露光を制御する時に大切な役割を果たすもので、フィルムカメラの発達とともに進化してきました。
銀塩感光材が登場した1840年代、感光材の感度は低く、晴天下での撮影でも数分の露光が必要でした。
このような感光材を使った撮影では、レンズの前にキャップを被せ露光の際にそのキャップを外して、数分の露光の後に再びキャップをするという方法が取られていました。
こうしたシャッタをキャッピングシャッタ(Capping Shutter)と呼んでいました。
このようにして生まれたシャッタは、感光材の感度の向上と共により短時間で正確に作動するシャッタへと進化を遂げていきます。
シャッタは、光源そのものを短時間で発光させて、シャッタ効果をもたせる方式もあります。
キセノンフラッシュ(500ns〜1ms)、LED(1us〜100ms)、レーザ(YAG:50ns、銅蒸気レーザ:20ns、半導体レーザ:100ns、フェムトレーザ:5fs)などの短時間発光光源がこれに相当します。
 
■ ギロチンシャッタ(Guillotine Shutter) (機械式シャッタ)
2枚の穴の空いた金属片を交互にスライドさせることにより両者の開口部が交差する時間で光の透過を行うものです。
初期のメカニカルシャッタと言うべきものです。2枚の金属片に開けられた孔の形状で露出の度合いが変わって来ます。
小さい孔は露出時間が少なく、大きい孔は露出時間が多くなります。
2枚の金属が交差する時間によっても露出時間は変わってきます。
高速シャッタではあらかじめバネによって板を引っ張り留め金で止めておいて、留め金を外すことにより高速で板が移動し露出を切ることになります。
 
カメラレンズに取り付けられた、ドイツDeckel社のCompurシャッタ。レンズシャッタのスタンダードとなった。
■ レンズシャッタ(Lens Shutter、Between Lens Shutter) (機械式シャッタ)
カメラが開発された初期のシャッタは、レンズの前部に取り付けられ手でキャップをするようにして使っていました。
数秒程度の動作でも全く問題がありませんでした。
時代が下がるにつれて、精度よく露出時間が設定できるシャッタ機構が作られるようになり、それをレンズ内部に組み込むようになりました。
その装置はまるで時計仕掛けのようなメカ装置でした。
1900年代初頭には、精巧なレンズシャッタがドイツDeckel社から開発されました。
そのシャッタは、Compurシャッタ(コンパーシャッタ)という名前で販売されシャッタの標準品となりました。
Compurというのは、Compound(複合)という文字の派生です。
Deckel社の前には幾多のメーカーによってCompoundシャッタが作られていました。
Compoundシャッタは空気シリンダを使って「B」(バルブ)モードと「T」モードのシャッタが切れるようになっていました。
要するに空気圧によってシャッタを「開く」、「閉じる」の2通りの動きをするものでした。
このシャッタは、当然1/100秒などの短時間露光はできません。
フィルムが高感度になり、レンズに明るいものが開発されるにつれてより高速にシャッタを切る装置が登場してコンパーシャッタの時代になっていきました。
レンズシャッタは精緻な機械部品で、バネに連動して2枚から5枚の羽根が一斉に開いて閉じるようにできています。
羽根の開閉機構が複雑であるため高速対応が難しく、1/250秒〜1/500秒が最高です。
現在では、4x5、8x10などの大型フィルムカメラ用のレンズに使われています。
レンズシャッタは、フォーカルプレーンシャッタと違ってすべての露光セッティングで全開になるので、ストロボ同期はすべての露光時間で行うことができます。
フォーカルプレーン式では先幕と後幕で露光を行う関係上、両者の間隔が広いタイミングになる設定(つまり、多くの場合1/60秒以下)でないとシャッタカブリがおきてストロボ発光とシャッタの同期が取れず画像の左右でケラレが起きてしまいます。
レンズシャッタではそのようなことは起きません。
   
          米国Vincent Associates社のUnibritz高速メカニカルシャッタ。
          レーザ応用分野で使われているシャッタ。
          露出時間は1/1000秒程度。
 
■ フォーカルプレーンシャッタ(Focal Plane Shutter) (機械式シャッタ)
フォーカルプレーンシャッタは、35mmライカサイズカメラで登場するシャッタです。
一眼レフのシャッタ音は、ミラーを跳ね上げる音とこのフォーカルプレーンシャッタの走る音の合成音です。
非常に質感のある音でカメラマニアにはたまらないサウンドですが、音と共にカメラに振動を与えるので画質に影響して困ることがありました。
また、静かな撮影したいときもこの音は困りものでした。
最近のデジカメには、わざとこの音を電子音で作ってシャッタ音を出しています。
フォーカルプレーンシャッタは、フィルム面の直前にシャッタ幕を走らせてシャッタを切る構造のものです。
フィルム結像面にあるシャッタということでフォーカルプレーン(focal plane)シャッタと呼ばれるようになりました。
フォーカルプレーンシャッタは、レンズ交換が頻繁になった35mmフィルムカメラで一般的になりました。
交換レンズ毎に高価なレンズシャッタを組み込むことが得策でなく、カメラ本体にシャッタを組み込んだ方がシステム的に無駄がないというアイデアから生み出されました。
フォーカルプレーンシャッタは2枚の薄い黒幕でできていて、最初の幕が走った後に一定の間隔をおいて後幕が後を追うように走ります。
先幕と後幕が作る隙間間隔(この隙間から光がフィルム面にはいる)と走行時間で露出時間が決まります。
両者の間隔(スリット巾)が狭ければ狭いほど、また幕のスピードが速いほど露出時間が短くなります。
フォーカルプレーンシャッタが開発された当初は、1/1000秒が限界でしたが、1/5000秒程度まで向上しました。
露出時間を短くできるようになったのは、幕を横に走らせることから縦に走らせるようにして膜の走行スピードを速めたことと、幕材質を布から薄いメタルにしてこれを短冊状に何段にも重ねて鎧のような形状として耐久性、信頼性を高めたことによるものでした。
 
■ ロータリディスクシャッタ(Rotating Disk Shutter) (機械式シャッタ)
読んで字のごとく回転する円板によるシャッタです。回転円板に切り欠きをもうけて、切り欠き部の開口角(θ)と円板の回転数(ω)でシャッタ時間が求まります。
映画カメラで採用されている機械式シャッタです。映画カメラでは、フィルムを1秒間に24枚(高速度カメラでは500枚/秒)で送らなければならないので、一眼レフカメラで使われているフォーカルプレーンシャッタやレンズシャッタではとてもこの速度に追従できません。
従って、フィルムの送り機構と連動させて、フィルムを送るタイミングで回転円板シャッタを使って光を遮り、フィルム送りが止まってフィルムが静止した時に円板の開口部が回ってきて露光する方式になっています。
開口部を狭くすると短時間で露光が終わりますので高速シャッタが可能になります。
この方式での露光時間は、1/(2 x 撮影速度)〜1/(100 x 撮影速度)が実用的でした。
 
■ ロータリーミラーシャッタ(Rotating Mirror Shutter) (機械光学式シャッタ)
ロータリーミラーカメラに採用されているシャッタ機構です。
回転する多面鏡の回転角でシャッタを行います。ロータリーミラーカメラは、1,000,000コマ/秒程度の撮影速度を有するもので、その撮影速度に応じた光束を切る光学的な機構が必然的に備えられています。
 
 
■ ケルセル(カーセル)シャッタ(Kerr Cell Shutter) (電子式シャッタ)
ニトロベンゼンなどの均質な液体(等方性物質)は、高電圧を加えることにより異方性を示します。
つまり電圧が加わると偏光を示すので高速シャッタとして使うことができます。
このような効果をケル(Kerr)効果と呼びます。
ニトロベンゼンはケル定数が高いのでこの装置の代表的なものとして使われました。
この現象は、1875年、スコットランドの物理学者 John Kerr(1824 - 1907)によって発見されました。
ケル効果を出すには、媒質に30kV程度の高電圧をかける必要があり、高速で高電圧を出力する電気回路がこの装置の心臓部分でした。
ケル効果を示す媒体のレスポンスは極めてよく、開発された当初は数十ナノ秒のシャッタリングが可能で、最近はピコ秒でのスイッチングが可能になっています。
発見された当初は、超高速シャッタとして使われ、レーザの発展とともにQ-スイッチ素子として使われました。
ケルセルシャッタは、
  ・駆動が高電圧を必要とすること。
  ・ケル定数の高い物質がニトロベンゼンしかなく、有害で爆発の危険があること。
  ・ポッケルスセルシャッタの方が低い電圧で駆動できるので使いやすいこと。
という理由から、あまり使われることはなく、最近では強力な光を扱うレーザのQ-スイッチに使われているにとどまっています。
 
■ ポッケルスセルシャッタ(Pockels Cell Shutter) (電子式シャッタ)
ケルセルが液体であったのに対し、ポッケルスセルは結晶体を使っています。
ADP(第一リン酸アンモニウム塩)やKDP(第一リン酸カリウム塩)などの結晶体のZ方向に電界を加えるとケル効果と同様な異方性を示すことが発見され、高速シャッタとして使われました。
この効果を発見したのは、ドイツの物理学者 Friedrich Carl Alwin Pockels (1865 - 1913) で、1893年(28才)の時のことです。このシャッタは、レーザのQ-スイッチ素子としてよく使われます。
 
■ ファラデーシャッタ(Faraday Shutter) (電子式シャッタ)
ケルシャッタが液体を高電圧で駆動し、ポケッスルシャッタが光学結晶を電界で駆動するのに対し、ファラデーシャッタは、光学材質(透明誘電物質)に強い磁界を与えて透過光の偏光角度を変える高速シャッタです。
ファラデーシャッタは、ベルデ定数(物質で決まる磁界の強さと偏光回転角との比例定数)の大きな媒質中を光軸方向に強い磁束を通して光を偏光させます。
そのため、媒質の回りにコイルを巻き、コンデンサにより蓄えられた電荷を瞬間的にコイルに流して大電流による高磁界を作ります。
コンデンサとコイルの組み合わせからわかるように、あまり短い時間の駆動はできません。
しかし、媒質には通常のガラス(屈折率の大きなガラスはベルデ数が大)を使うことができ、大口径のものが製作しやすいため大口径シャッタが可能です。
動作も安定しているため、レーザのQ-スイッチとしてよく利用されます。
このシャッタは、名前の如く英国の化学物理学者マイケル・ファラデー(Michael Faraday)が1845年に発見したものです。
 
■ 銅線爆破シャッタ(Copper wire explosion shutter) (電子化学式シャッタ)
鉛の細線に高電圧をかけて銅線を一気に溶かして蒸気にし、スパッタを透明ガラスに付着させて遮光するシャッタです。
レンズの前面に2枚のパイレックスガラスをフィルタのように取り付けます。
2枚の光学ガラスの中には0.2mm程度の鉛線を渡します。
この鉛線に1000V程度の電圧を一気に加えて線爆破を起こして鉛線を蒸発させてパイレックスガラスに鉛蒸気を付着させます。
付着したガラスは透明度を失い黒くなり光を通さなくなるのでキャッピングシャッタとすることができます。
キャッピングシャッタと言ってもON→OFFするだけの機能でありOFF-ON-OFFという機能はありません。
応答時間は、電子回路の電圧発生回路に依存しますが数十マイクロ秒で線爆破を起こさせます。
このシャッタは、使い切りであり主に露光を中止するために使われました。
このシャッタが使われたのは、爆薬の実験で高輝度自発光現象の撮影です。
高速度カメラのロータリミラー式カメラはミラーが回転して高速度撮影を行いますが、カメラに貼り付けたフィルムには、ミラーの回転による多重露光を防がねばなりません。
現象と同期してミラーの一回転分だけ光をカメラ内に通してそれ以上の光はカットする必要があります。
メカニカルシャッタ(レンズシャッタ)では2ms程度の応答がせいぜいなので、数十マイクロの応答があるこのシャッタが使われました。
 
■ 液晶シャッタ(LCD shutter) (電子化学式シャッタ)
液晶の偏光原理を使って電圧制御によって遮光をコントロールするものです。
 
■ イメージコンバータシャッタ(Image Converter shutter) (電子式シャッタ)
イメージインテンシファイアに代表される電子管の電子制御を用いたシャッタです。
   (第四世代イメージインテンシファイア参照)
 
■ 電子シャッタ(CCD、CMOS素子) (電子式シャッタ)
固体撮像素子に組み込まれたシャッタです。
最初に固体撮像素子に電子シャッタ機構が組み込まれたのはCCDで、CCDの特徴である転送原理によって開発されました。
CCDによる電子シャッタは、1/1,000,000秒(1マイクロ秒)まで可能になっています。
   (CCD固体撮像素子のシャッタ機能参照)
 
■ キセノンフラッシュシャッタ(Xenon flash lamp) (電子光学式シャッタ)
暗い対象物に、短時間で発光する光によって露光を行う光のシャッタです。
   (キセノンフラッシュ参照)
 
■ アルゴンフラッシュシャッタ(Argon flash light) (化学式シャッタ)
アルゴンガスと爆薬を用いた強烈な輝度を発するフラッシュ光源です。発光は爆薬が起爆している時間だけ発光します。
   (アルゴンフラッシュ参照)
 
■ LED(発光ダイオード)シャッタ(pulsed LED lighting) (電子光学式シャッタ)
発光ダイオードをパルス状に発光させる光のシャッタです。発光ダイオードは、身近にある光源で連続発光として使われるケースが多いようですが、電流に対する応答がとても良くマイクロ秒の発光を簡単な電子回路で行うことができます。それを利用して、発光ダイオードの輝度調整を発光時間の調整で行っているものをよく見かけます。
   (発光ダイオード参照)
 
■ レーザシャッタ(pulse Laser) (量子光学式シャッタ)
パルスレーザ光による光のシャッタです。最初に発見されたレーザは、短時間発光のルビーレーザでした。
   (レーザ参照)
 
■ A0M(Accoustic Optical Modulation)シャッタ (量子光学式シャッタ)
音響光学素子と言います。透明な無機材料に超音波を加えますと光学特性が変わることを利用して、光の屈折を行うものです。
  (レーザ - レーザシャッタ参照) 
 
 
 
 
 
 
 
  
レンズ - - - 人類の科学史上最も有益な発見
 
 
 ---------- レンズのより詳しい内容は、レンズについてで紹介しています。 ---------
http://www.anfoworld.com/Lens.html (2005.11.12)
 
 
 
 
光と光の記録 --- 記録編
 
 
 
 ---------- 光の記録原理より詳しい内容は、光と光の記録 --- 記録編で紹介しています。 ---------
http://www.anfoworld.com/Recordings.html (2005.11.12)
 
 
  
 
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